第39話「加護亜依vs辻希美」
丘陵地帯に二人の娘がいる。
「この可愛い顔に傷でもついたらどーするのよ!もう!」
「あーわかったわかった、悪かったたい」
頭を掻いて適当に流す田中れいな。
そしてもう一人は、鏡で念入りに顔をチェックする道重さゆみ。
(ハァー、ついてなか)
まさかサバイバルで最初に不意打ちを仕掛けた相手がこの道重だとは…。
気配を消して死角から放った発勁。
相手が肉体を硬質化できる道重でなかったら瞬殺であったろう。
「本気でさゆに喧嘩売ってくるのかと思ったよ」
「それはなか。少なくともさゆとえりには手ぇ出さん」
「ほんと?」
「友達やけんね。たった3人だけの…友達」
「うん、エヘ」
「なに笑っとー!」
「だってぇ〜れいなの口からそんなハズすぎる台詞でるなんてぇ〜エヘヘ」
「さゆぅ〜〜〜!!!」
「いやぁ〜ん。さゆも友達には手出ししないよ〜♪れいな」
たとえどんな状況になっても絶対に…トモダチだから…
「トモダチ…だよね?」
何を言っている?
「ののとあいぼんは…トモダチだよね?」
知るか。
私はその汚い顔を蹴り飛ばした。
「ぷぎゃ!」と声をあげて、奴はふっとんだ。
その途端ゾクンという感触が全身を駆け巡る。
これだ。
加護亜依は大きく息を吸い込むと体中の震えを押さえ込んだ。
私が求めていたものはこれに違いない。
目の前にいるこの薄汚い小娘の息の根を止めること。
事実、体が反応している。
他の奴ではこうはならなかった。
これほどまで戦闘欲求を刺激する奴はいなかった。
手も。足も。眼も。鼻も。口も。耳も。体中のすべてが奴に興奮している。
「あいぼん!!どうして?どうしてなの!?…こんなこと?」
どうして?
それはお前がその身で教えろ。
どうして私がこれほどお前だけを求めるのか!
途方も無い虚無感に目を覚ました。
暗闇を仰ぐ様に私は立ち上がる。
アテも無く進む。
何も思い出せない。自分が誰で何をしていたか。
いやそれ以前に…それらを思い出せないことすらどうでもよい自分がいる。
ただ胸の奥底から沸き起こってくるのは闘争本能。
(タタカイタイ…タタカイタイ…タタカイタイ)
闇。
そう呼ばれる場所にどうやら私は属しているらしい。何も思い出せない。どうでもいい。
周りにいる奴等、どいつもこいつも危ない面をしている。
こいつらではない。
確かに戦闘には飢えているが、それを満たすのはこいつらではない。
どこだ?どこにいる?
この渇きを満たしてくれる奴は一体どこにいる!?
(……ぼん)
!!!!!!!!!!!!!!
聞こえた。確かに聞こえた。
他の誰も聞こえていないのか?私には確かに聞こえた。
血が猛った。
こいつだ。私の望む敵だ。この渇きを癒す者だ!
欲の赴くまま私は闇の根城を飛び出した。声の呼ぶ方へ。
(……あいぼん)
森を進む。
まるで覚えが無い道なのに不思議と迷いはしない。
呼んでいるんだ。奴が。この血が。
後ろから闇の者が二人ほどついてきている。
離れて干渉しなければ別に咎めるつもりはない。
だがもし私の戦闘を邪魔する気なら、ただでは済まさない。
そして邂逅の刻。
「あいぼぉぉぉん!!!!!」
私と同じくらいの年頃の娘が視界の向こうに現れた。
…トクン
ほんのすこし高ぶる鼓動。
(間違いない)
奴はいきなり飛び掛ってきた。
私はその胸を突き飛ばした。
尻餅をついて地べたに転がるその娘は、絶望と仰天の入り混じった顔を浮かべる。
「私だよ…のの…辻希美だよ。忘れたの?」
知らない。
貴様の名前などどうでもよい。
知りたいのは貴様が私の渇きを癒せるか否か?
それだけだ。
「トモダチ」
奴はその言葉を繰り返す。
悪いがそんな言葉は知らないし必要としていない。
戦え。
私は拳で奴の頬を殴り飛ばした。奴は立ち上がってきた。
私は爪先で奴の腹を蹴り上げた。奴は立ち上がってきた。
何度も何度も地面に投げつけた。その度に奴は立ち上がってきた。
ボロボロになって泥にまみれながらも奴は立ち上がる。
その度に繰り返す。
「あいぼん…トモダチだよね」
いい加減いらつく。
(あいぼん?なんだそのふざけた名は?私は何でもない!その名を呼ぶな!)
蹴った。
奴はまた倒れた。
地面に血反吐をばらまいた。見苦しい。
ヘドを吐きながら涙に濡れた目で私を見てくる。
「…ぁいぼぉ……」
うっとうしい。
ちっとも満たされやしない。
苛立ちが増すばかりだ。
望んでいたものはこんなものではない!
「戦え!!」
気が付くと私の口が勝手にそんな言葉を吐き出していた。
奴はずっと殴られっぱなし。殴り返そうとする素振りすらみせない。
理解できない。それで一体どうなるというのだ?
「殴り返してこい!!勝負しろ!!」
また口が勝手に開く。
この声は誰の意思だ?私か?どうしてこれほど奴に執着する?
向かってくる気がないのなら、そのまま叩き潰してしまえばよいではないか。
こんなバカなど知ったことではない。そうだ。
私が目指す場所は遥か高み……
こんなザコにいつまでも構っている暇は無い。
「ののはできないよ…」
黙れ。
「あいぼんと戦うなんて…できないよ…だって」
黙れザコ!
「トモダ…」
ドガッ!!
立ち上がった辻希美は両腕を後ろに回した。
それは絶対に攻撃をしない、加護の攻撃を受けもしないという意味。
信じる。
『辻希美は加護亜依を信じる』
そういう想いを込めた行為だ。
その行為を見た加護は口元をニィと歪め、躊躇なく攻撃をぶち当てた。
(死ね)
ノーガードで加護の打撃をくらった辻は、地面を10mは転がり木の幹にぶつかり止まった。
もはや、全身すり傷と青痣だらけのボロクズとなり果てていた。
それでもまだ腕は後ろに回したまま…
必死で立ち上がろうとする。
「…っぁ…ぃぼ…ん……」
「黙れ」
ヨロヨロ近寄ってきた辻の胸倉を掴み挙げた。
宙吊りで首を締め上げる。
辻はケフンと咳き込む。瞳に大きな涙の粒がたまる。しかし抵抗はしない。
死ぬほど苦しい顔をしているくせに、一切その腕を使おうとしない。
「本当に…殺されたいか?」
「……っぼ…ん」
「黙れぇっ!!!!」
加護は叫んだ。そして辻を思い切り投げ捨てた。
もうダメだ…
苛立ちが限界を超えてしまった。
このバカを目の前から消しさらなければこの不快感は消えやしない!
殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!
(殺せっ!!)
「ケフッ、ケホッ、ケフン!!」
頬を地につけたまま咳き込み、気道に息を流す。
(ののは…あいぼんを…信じて…い…………っ!?)
そして辻希美は空気の変化を感じた。
あまりにも桁外れな気質。
これまで日本中に奇跡を振りまいていた辻希美が、初めて自ら味わう奇跡。
加護の皮膚から漏れる強烈すぎる闘気。
人間という種族がどんなに精進しても辿り着けぬ境地を…遥か超えている。
辻希美は目を丸くしてそれを見上げた。
鳥肌が立っていた。
小刻みに震えていた。
『奇跡』と呼ばれた存在が初めて、この世界にもう一人だけ存在する『奇跡』に慄いた。
「もう…お終りだ」
加護亜依はそっと囁いた。
奇跡の奥義。三倍拳。