第38話「序盤戦」
高橋愛は海岸線に降り立った。
島の西側、長い砂浜が広がる一帯に着いた様だ。
『ただ今よりバトル・サバイバルの開幕を宣言する!!』
巨大なスピーカー音が聞こえた。
どうやら島の至る所に小型カメラとスピーカーが設置されている様だ。
出場選手全37名が島に立ったのを確認して合図したのだろう。
(こんな舞台まで用意するなんて、そうとう物好きな人やの)
(ま、ありがたいけどね)
愛は辺りを見渡した。
島の中央に巨大な城が見える。あれが闇の根城だろう。
左右は長く伸びる砂浜、前方は少し小高い堤防の先に緑の森が広がっている。
するとその森から一人の女が現れた。
(いきなり?いや、私を狙って待ち伏せてたか)
「50%の確率が当たりましたわ」
「ああ、お前かぁ」
「最後のボートのどちらかが貴女だと信じていましたから」
この女はわざわざボートの方向を追って、海岸線で待ち伏せていたのだ。
すべては高橋愛にリベンジを誓うため。
「いいよ。闘ろう。斉藤美海」
出場選手の誰と誰よりも早く出会った二人。
バトル・サバイバル第一試合は高橋愛vs斉藤美海
「思い出すねぇ、あの大会」
両足を肩幅に広げながら、愛は言った。
思い返せば、高橋流柔術の公式戦最初の相手がこの娘である。
あのときと同じ夏美会館の胴着と構え。しかしその顔つきはあの頃と比較にならない。
「お前もめっちゃ修行したみたいやの〜」
「当たり前ですわ。あなたにリベンジできるこの日を待ちわびていた」
「そっか」
「覚悟なさい!」
ザッと美海は砂浜を駆けた。
足場の悪いこの場でも、揺らぐことなく一直線に向かってくる。
相当に足腰の鍛錬も積んだのであろう。
一方の愛は両足を肩幅に広げて棒立ちのまま、これを待っている。
とても戦いのスタイルとは思えないが、顔には笑みが浮かんでいた。
(嗚呼〜なつかしぃこの感覚)
やはり人間を相手に戦うのが一番いい。
そんなことを考えていた愛の頬に美海の拳が走る。
当たった!!と思った美海だが、拳はギリギリの所で宙を切った。
(何っ?)
愛はまだ棒立ちのまま空を仰いでいる。
「いい天気やよ」
棒立ちのノーガード。そんな構えで愛はこんなノンキな台詞を吐いている。
当然、美海の怒りに油を注ぐ。
「ふざけないで!」
後ろ回し蹴り三連打。
美海ほどのバランス感覚がなければ、この砂浜でなかなかできる芸当ではない。
しかし、そのすべてがふぅと空振りに終わる。
愛はまだ一歩も動いていない。
美海は怖くなってきた。
まるでそこに存在していないような…幽霊でも相手にしている感覚。
もちろん愛は幽霊ではない。
上半身のわずかな振りだけで攻撃を避けているのだ。
それも美海ほどの実力者が気付かない程のスピードで。
「な、なんですの!?あなた…本当にあの…高橋愛?」
ニィと愛は笑ってみせた。それが余計に美海を恐怖に誘う。
最初に闘ったときとも、トーナメントで石黒や辻と闘っていたときとも、まるで別人。
強くなっているという類の変化ではない。
そこに立つ存在・恐怖・威圧・全てが別人。
この短期間で一体なにをすれば、こんなにも人は変わるというのだろうか!?
「もっちろん。高橋愛やよ」
「いいですわ。奥の手のつもりでしたけれど、やはりこれを使うしかないみたいですね」
「おっ!」
美海の気の質がグゥンと上がった。
これはかつての自分を越えているかもしれない。
(何かする気やなぁ)
スッと、ここで初めて愛は膝を落とした。
棒立ちからいつでも動ける体勢へと変化したのだ。
「賢明な判断ですわ」
「たしか…お前の得意技は…」
ニヤリと美海が牙を覗かせると、右足を高らかに上げた。
得意技は…かかと落とし!!
(前回の失敗は…片足で不安定になった所を倒されたこと)
(しかし今回は違います!)
ものすごい勢いで振ってくるかかとを、愛は上半身の振りでかわそうとする。
そのとき真下から競りあがってくる別の物体!
左の軸足による蹴り上げだ。
上下から獣の牙の様に相手を襲う美海の新必殺技『獣牙』
タックルに来た相手はこの下からの蹴りでアゴを叩き割られる。
この技の必殺度は、同門の木村あさみを相手に証明済み。
「私の勝ちです!!」
ガガッ!!
普通だった。
上下連蹴りというこのアクロバティックな技を愛は普通にかわした。
獣の牙を避けることなど日常茶飯事だという顔で。
「え!?」
「獣の牙って…そんなもんじゃないよ」
「あ、あなた…」
「だってそれ、ちっとも怖くないもん」
「……っ!!」
自慢の必殺技を少しの動揺も無く避けられたことに、うろたえる美海。
想像をはるかに超えている。
この高橋愛の変化は……想像を絶している!
「本物、教えたげる」
右手の指で牙を形作る愛。
すると美海は物凄い重圧を感じ、動けなくなった。
(な、何ですの…!?)
牙の指をゆっくりと美海の鼻先に近づける。
(嫌……)
(殺されるっ!!)
美海の目に、手の牙が生身の野生肉食獣に見えた。
(やめ…)
「やめてえぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!」
―――――――――――――――――――――世界が戻る。
青い海と白い砂浜。
美海は砂の上で尻餅をついていた。
目の前では牙を解いた高橋愛が笑っていた。
「どうやった?」
まだ体の震えが止まらない。
やっとの思いで喉から絞り上げた言葉。
「…ま、参りました」
「うん!」
リベンジどころでは無かった。
相手はもう見えないくらいの遠くへ行ってしまっていた。
触れることもできなかった。両足を動かせることもできなかった。
「強く…なりましたわね…本当に」
「ほんとか!よかったぁ!!誰とも試合してないから分からんかったんや!そっかぁ!」
呆れる。なんてことはとうに越えている。
「何を目指してらっしゃるの、高橋さん」
「決まってるが。いちばん上やよ」
もうそれが、ちっとも無謀に聞こえない。
『勝負あり!』
安堵のため息をついたとき。愛と美海は思わず島の中央部を見上げる。
突然、巨大なスピーカー音が島全体に向けて響き始めたのだ。
『敗者!斉藤美海!』
つんくの声。
今の戦いの一部始終が何処かで見られていたのだ。
そして放たれた決着の合図。これが審判のいないこのサバイバルの勝敗判定法か。
『勝者!高橋愛!』
自分の名前も呼ばれてドキリとする愛。
これで島全体に斉藤美海を倒したのが高橋愛だと知れ渡るということになる。
(な〜るほど、そういうシステムね)
『残り36名!』
バラバラに散りながらも誰が誰を倒したのか知ることができる。
その情報はこの生き残り戦において、とてつもなく大きな意味を持つ。
勝者として名が何度も挙がる娘は…まちがいなく強いということ。
逆に名を呼ばれず生き残る娘は…無傷で戦闘を回避している、別の意味で危険。
その情報は終盤になればなるほど大きな意味をもってくる。
戦うか?逃げるか?
もちろん愛は最初から前者しか考えていない。勝って勝って勝って頂点へ!
愛が到着した砂浜から見て孤島のちょうど反対側。
島の東側、ゴツゴツした岩肌の絶壁に松浦亜弥のボートは到着していた。
もちろん彼女の所にも愛が勝利した放送は届いている。
(あんにゃろ〜もう戦いやがったのか。ズルい)
対戦相手どころか生物すらいないような絶壁の真下で亜弥は立往生していた。
とりあえずはロッククライミングするしか選択肢はないようだ。
(あ〜なんかイライラしてきたぁ!私も早く戦いたいぞぉ!)
牙を研ぎながら、垂直に近い絶壁を亜弥は腕の力だけでスルスルと登っていった。
安倍なつみは島の北西に広がる森の中でこの放送を聞いていた。
(美海…負けたか)
早すぎる、と思った。
開始の合図からまだ3分も経っていない。
すぐに出会ったとしても戦闘時間は2分足らずか?
はっきり言って美海は強くなっている。
高橋愛といえど、これほどの短時間で勝てる娘では無くなっているはずだ。
(不意打ち……いや、高橋はそんな手を使う娘ではない)
(…ということは姿を消していたこの一年で……相当に化けたか)
もともと安倍にとって高橋愛は、紺野を倒して計画の邪魔をした敵である。
コロシアムで一時手を組みはしたが、やはり高橋流が敵であることに変わりは無い。
(高橋愛。一応記憶には留めておくべ)
だがそれよりも優先すべき敵がいる。
つんくの手先。いわゆる闇の軍団と呼ばれる連中だ。
誰よりもこいつらの全滅こそが最優先事項。
…とはいえ、今のなっちは立ちはだかる者ならば誰であれ手加減しない。闘気の塊。
(まぁ……皆殺しでいいべさ)