「開始まであと10分か。結局もう誰も来ないみたいやの」
「まだ10分ある」
「…まぁええわ。誰が来ても優勝はうちの石川か加護やろ」
つんくのこの台詞に保田圭がピクリと反応する。
「何を言うのかしら。優勝は藤本・亀井・田中・道重の4人の誰かよ」
「もちろん俺はあいつらの実力は知っとるで。確かに強いが優勝にはちと役不足や」
「つんくさんはあの子達の本当の恐ろしさを知らないから…貴女はどう思うの、石黒さん」
石黒は、つんくと保田に視線を向けると小さくため息をついた。
「あんた達は肝心な人間を忘れている。うちの飯田と夏美館の安倍だ。
なんだかんだ言っても結局、この二人を中心にサバイバルは展開するだろう」
「ククク…飯田と安倍かい。まぁそれは無いやろな」
「同感ね」
「どういう意味だ?保田、お前まで」
「その二人は名前が売れすぎとる。それだけ狙われるっちゅうことや」
「そういうことよ。このルールでは圧倒的に不利になる。いかに安倍と飯田でも…」
とは言いつつも、保田は自分の台詞に自信がある訳ではなかった。
例え複数相手だろうとあの二人が負けるという姿がどうしても想像できない。
なっちの次元の違いすぎる強さを、身に染みて知っているからだ。
だが今の藤本と亀井達ならば、その想像を打ち破られると確信している。
(本当に楽しみだわ。復讐のそのときが…)
「不利な状況だということをあの二人が気付かぬはずがない。
その程度で敗れる程の二人ならば、もう何年も前にこの世界から消えているさ。」
すでに現役をリタイアしている石黒は心の底からそう思っている。
もう7年以上は経つか。
この格闘技の世界でそれだけ長きにおいて頂点にいることの厳しさ、想像もつかない。
飯田圭織と安倍なつみ。この二人は本当に尊敬に値する。
「言いよるのぉ石黒」
「フン。だから順当にいけば決勝戦は飯田対安倍になると思っている」
「そこまで予想しとるか」
「逆に言えば、もし飯田圭織と安倍なつみを倒す者が現れたとしたら…」
「したら…?」
「その娘がこのバトル・サバイバルの中心人物となるだろう」
言い切った石黒。しばしの沈黙。
流れを変えようと保田は福田にも話を振る。
「…福田さんは黙っていらっしゃる様だけど、ぜひ予想を聞かせてもらいたいわねぇ」
「予想か」
福田は静かに手の中のチケットを眺めた。
「優勝予想は分からんが、可能性を持つ奴ならば知っている」
「誰?」
「あいにく、まだここには来ていな……」
そのときだ。
ゾクリと。
まるで『恐怖』という言葉を具現化した様な感触が、場の全員の背筋を駆け抜けた。
嫌な汗がぬるっと額を伝う。心臓が爆発しそうなほど動悸が激しい。
ゆっくりと、後ろを振り返った。
木々の間に一人の娘が立っていた。
それは間違いなくそれであった。
(何故ここに…)
あのクールな福田が唇を紫に震わせて後ずさる。
(何この子?)
(なんやこいつ?)
保田やつんくでさえも、その邪悪な気質に目を疑う。
(本当に…亜弥?)
彼女を待っていた石黒すら、思わず自らに問いかけた。
そこに立つ娘の形をしたそれは…まぎれもない『死神』であったからだ。
「匂うね」
ポツリと呟く。
前髪をかき上げる。
うすく笑む。
そのすべてが『死』を連想させる。
「血の匂いだ」
松浦亜弥が牙を覗かせて、現れた。
「あ、亜弥ちゃん!待っていたぞ。このバトル・サバイバルに参加しに来たんだろ。
チケットは用意してある。またハロープロレスとして戦って…」
気を取り直しなんとか声を掛けたのはやはり、ハロープロレスの石黒。
松浦にとって高校時代から高橋流道場で世話になったお姉さん的存在である。
ところが、今の松浦はその石黒の手をピシッとはねのける。
「それ以上、近寄るな」
「え…?」
「プロレスなんて遊びは……忘れた」
氷のような瞳。氷のような声。
あの頃の亜弥はもういないのか…。石黒は愕然と肩を落とす。
「この一年で…さらに修羅場をくぐったのか」
「あぁ、あんたか。よく生きていたね。元死神さん」
次に声を掛けたのが福田明日香。覚悟はできている。
「バトル・サバイバルに参加しにきたのか?」
「さぁね。殺意の風に誘われてここへきた。それだけだ」
「残念だがチケットを持たぬお前に参加資格はない」
絶対にこの女を参加させる訳にはいかない。そう思って福田は言った。しかし…。
「関係ないね。ここにいる奴全員殺せば誰も文句は言わないだろう?」
福田明日香。石黒彩。保田圭。つんくと配下のアヤカ、岡井千聖、萩原舞。
松浦の吐いた一言に全員が凍りついた。
「言ってくれるじゃない」
ギラついた蛇の如き視線で、前に躍り出るのは保田圭。
ヤル気だ。
「やめろ!!」
「止めるな福田。こいつは殺す」
「お前が死ぬぞ!」
一旦キレてしまった保田はもう止められない。
右腕の包帯を巻き取る。悪魔の所業『毒手』再び!
「後悔しても遅いわよ」
松浦は保田に視線すら向けない。保田の右手は難なく松浦を捉えた。
「触った!私の毒手に触ったわよ!アハハ…これでお前は死ぬわ!アハハ…」
…ところが、松浦は平然と触られた箇所をつかみ取る。
「戦場では猛毒の兵器など当たり前だ」
「…え?」
「とっくに免疫はできている」
グウギュギュリュ!!!!!
「ぃぎゃああああああああああああああああああ!!!!!!」
言い終わると松浦は、握力で毒手をにぎり潰す。
骨の砕かれる音に転げまわる保田。
「むしろ、お前の汚い手に触られたことの方が…問題だね」
想像を絶する光景に、他の者は何もできない。
あの恐ろしき『毒手』の保田を、まるで赤子の様にひねり潰す超越者。
(私と戦った一年前より…はるかに強くなっている)
福田明日香の絶望はさらに深みを増した。
「次は誰かしら。後ろで大きく構えてる大将さんはどう?」
闇の王・つんく。
もちろん唯我独尊の松浦亜弥にはそんなこと関係ない。
アヤカ・岡井・萩原らがつんくの前に立ちはだかる。
「ええ度胸やの小娘。俺に手ぇ出したらどうなるか、知らんようやの」
「知らないし、興味もない」
自分以外のすべてを敵にまわしても構わないといった眼光。
まだ年端もいかぬ岡井と萩原はその眼光だけで、気落とされてしまった。
このまま松浦亜弥の手で皆殺しとなるのか…。
「やめろ松浦」
松浦の前に立ちはだかったのは福田明日香。
コロンと松葉杖を倒す。すでに自分の力で歩けるまでに怪我は治っている。
「バトル・サバイバルは殺し合いではない。格闘技だ。貴様の出る幕ではない」
「変わったね福田さん。あんたの口からそんな台詞」
福田明日香を変えたのは一人の娘である。
もちろん亜弥はそんなこと知らない。
「貴様を死神にしたのは私の責任だ。命に代えても私が止める!」
「ただの人に成り下がったあんたに何ができるかしら?」
「……再び死神にでもなろう」
「ふ〜ん、また殺されたいんだ」
とても勝てない。
前に立っただけで福田にはそれが理解った。絶望的に開いた実力差。
しかし引き下がる訳にはいかない。
一人の娘を黒き闇に包まれた死神へと変えた責任。
一人の有望な若き格闘家を死地に追いやった責任。
そしてこれ以上の犠牲を出さぬ為に…。
(この命に代えてでも、この死神はここで止めなければいけない!)
死を覚悟した。福田は吼え、松浦に飛び込んだ。松浦は笑った。
「死ね」
亜弥の手が福田の首を刈ろうとしたそのときである!
闇の世界を切り裂くほど明瞭な雄叫びが、丘の向こうから鳴り響いたのは!
「まにあったああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」
一見。野生の動物が飛び込んで来たのかと思う。
それほどに汚れた塊が、丘の上から飛び降りて来たのだ。
毛皮に包まれた体。
土垢に濡れた肌。
ボサボサの髪。
恐れなきまっすぐな瞳。
その場の全員が、それの姿形に目を奪われた。
「あ、バトル・サバイバルってここでええんやろ?」
その口から出たのは日本語。しかもかなり独特な訛り。
福田明日香は、こんな場所へこんな格好で来てこんな喋り方をする奴を一人しか知らない。
「ん、ん、あの〜、皆さん固まってえんと誰か答えてや」
生きていたか。
一度は死神へと堕ちた自分が涙というものを流すとは思わなかった。
だが今、こんなにも涙をこらえている。
万感の想いを胸に、福田は待ち望んだ弟子の名を呼んだ。
「高橋愛」
自分の名を呼ぶ声に、愛は目をまぁ〜るくして飛びついた。
「あ〜〜福田さん!!こんなとこにいたぁ〜!探したんやよ〜!」
「よく生きて秘境から出れたな」
「ジャングルなんか一ヶ月前に出たわ。でもお金もないし場所も言葉もわからんし、
そんで走って銀杏まで戻ったのに福田さんえんのやもん!!いじわるや!」
「走って?アフリカから中国へ?」
「ほやあ!途中で道まちがえて迷って一ヶ月もかかってもたが」
「ここへは?」
「銀杏のマスターに福田さんの伝言を聞いて、急いで泳いで来たんやが!も〜!」
「中国から泳いでか?」
「一文無しやしこんな格好やし、船も電車も使えんが!全部走ったわ」
「ハハハ」
「笑い事じゃないわ!ほんとに死ぬかと思ったんやよ!」
福田は笑った。なんというバカ。
声を出して笑うなんて何年ぶりだろう。
「愛……」
「はい?」
「お前に会えてよかった」
「ハァ?何すかいきなり!?恥ずかしいわ!」
「…今すぐでも戦えるか?」
24時間臨戦状態のジャングルを生き抜いた高橋愛にとって、それは愚問である。
「当たり前やよ!」
戦える。その為にここへ来たのだ。
愛は怪物たちとの決戦の舞台となる孤島を眺めた。――――――1人の娘が視界に入る。
「えっ!?」
「…」
「亜弥?亜弥や!!」
「……愛」
高橋愛と松浦亜弥。
実に2年近く道を違えた親友同士の再会。
「うわぁ!!ほんとひさしぶりぃ!!元気やったか!」
「うん」
「私も元気やよ!」
「見ればわかる」
「あっ、そっか〜ニヒヒヒ」
「ちょっと待って」
喜んで駆け寄ろうとした愛を、亜弥が制す。
「それ以上、近寄らないで」
「え?」
「…自分が抑えきれなくなるから」
口元の牙を手で覆う亜弥。
まだ、ここじゃない。二人が目指した決戦の場所はこんなところじゃない!
「あ〜〜そやの」
理解した愛は歩みを止める。
二人を別つ距離。約10m。それ以上近づいたらもう我慢できなくなる。
これはまだ再会ではない。
「決着をつけるのは地上最強を決める場所やった」
「あぁ」
「それはそうと…亜弥……ずいぶんと変わったね」
「そっちこそ……愛……ずいぶんと変わったよ」
高橋愛はなつかしい松浦亜弥の顔を見つめた。
松浦亜弥はなつかしい高橋愛の顔を見つめた。
二人とも語りつくせないほどの修羅場を越えてここまで生き抜いてきた。
「楽しみにしてるから、途中で負けたあかんよ」
「誰に言ってんの?そっちこそね」
「うん、じゃあ」
「上でね」
バッと二人は同時に背中を向け合った。
次に向かい合うときは…そういうときである。
亜弥は死神の気を潜め、ハロープロレスの石黒の方へと歩む。
「…亜弥」
「気が変わりました。そのチケットを受け取ります」
「ハロプロに戻るってことか?」
「いいえ。ジョンソン飯田も倒すつもりです」
「…そうか。わかった」
石黒はハロープロレス最後のチケットを松浦亜弥に渡す。
たとえそれがハロプロにとって最大の敵を招く結果となったとしても…
(あとは信じるのみだ……運命と、飯田圭織と、松浦亜弥を)
「愛。これがお前の出場チケットだ」
一方、福田は高橋流道場で受け取ったチケットを愛に渡す。
「それから、これも」
「わぁ」
もう一つ福田が取り出したもの、それは高橋流の胴着であった。
「流石にそのボロボロの水着みたいな格好で大会には出せないだろう」
「うわぁ〜ありがと、福田さん」
「愛。お前はあくまで高橋流柔術だ。福田流などにするつもりはない。その血を忘れるな」
「うん」
「それから最後にひとつ」
(何もできない出来損ないの師匠からの最後の言葉だ)
「勝ってこい」
松浦亜弥・高橋愛。
二人を乗せた最後のボートが、島の左右へそれぞれ分かれて行く。
(本当にここまで来たんだな)
二人が高校生だった頃から知る石黒は、懐かしむ思いで見送った。
「聞いたよ。あんたが日本一なら、私は世界一の格闘家になるんやって」
「ベーだ。じゃああややは宇宙一のプロレスラーになるもん」
「宇宙にプロレスなんてないわバカ!」
「やる気?」
「やるか?」
二人ともまだまだ子供だった。
それがいつの間にか、本当に頂点を目指せる場所にまで成長した。
想像を絶するほど過酷な修羅場を越えて。
感慨深いものがある。
できることならば本当に決勝戦で二人を戦わせたいという気持ちも少なからずある。
だがそれを叶えるには、あまりにも強烈すぎる怪物達が待ち受けている。
もう、自分には手の出しようも無い世界。
「がんばれ」
それだけが唯一、石黒彩個人が二人へ送ることのできる言葉だった。
(愛ちゃん。亜弥。がんばれ)
第37話「バトル・サバイバル開幕」終わり
次回予告
バトル・サバイバルの幕開けとなる第一戦は、あの娘とあの娘のリベンジマッチ!
「思い出すねぇ、あの大会」
この試合をかわきりに、島のアチコチで激闘の火蓋は切って落とされてゆく。
そして序盤戦最注目の一戦も!
To be continued