「じょ、冗談やろ?」
「半年で地上最強になろうと思ったら、こういう方法しかねえんだよ」
何の武器も無い。
己の手足だけを武器にこのジャングルに飛び込めと……正気の沙汰ではない。
「この修行の生存確率は?」
「生存確率?そんなもんは知らねえ」
「当たり前や!死ぬに決まってるが!」
叫んでいた。体が震えていた。無茶苦茶だ。
待つのは間違いなき…死。
こんなこと普通の人が考える内容じゃない。
やっぱり間違いだった。こんな頭のイカレタ人に弟子入りしたのは…。
福田がヘリの扉を開く。
もの凄い突風がヘリの内部に吹き荒れる。
愛は子供の様に涙を流して後ずさった。
「どうした?行かねえのか?地上最強になりてぇんだろ」
「い、いや…」
「何を言ってやがる。絶対に諦めないんじゃなかったのか?」
「だっ…だって、こんな…」
真っ暗だった。もう何も考えられなかった。そのとき…声が聞こえた。
(私は行くぜ)
怯えきった愛を見て、福田明日香は内心ほくそ笑む。
これは初めから高橋愛に地上最強の夢を諦めさせる為の狂言でしかなかったのだ。
(絶対的な死、不可能な内容を突きつければ諦めざるをえない)
(高橋の武術家としての才は、必ずこれからの格闘技界の糧となる)
(それを人間離れした怪物達との争いで潰すのはあまりに惜しい)
(地上最強なんてくだらない幻想にとらわれず、自分に相応しい道を選ぶべきなんだ)
(ジブンのみちを…)
ヒュン!
風が吹いた。
福田がヘリの扉を閉めようとしたそのときだ。中から外へと向けて…
一陣の風が飛び出した。
「なっ!!!!!」
福田が目を見開く。信じられない出来事。
「バカヤロオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!」
小さな粒が広大すぎる熱帯雨林へと落ちてゆく。
福田の叫びはもはや風に届かない。
(私は行くぜ)
愛の耳にはその声だけが響き続けていた。
パラシュートが開いたのは地上ギリギリの高度。
3000mの勢いはそう簡単に緩むものではなく、木々の枝がクッションとなった。
身軽な愛でなければここで死んでいたかもしれない。
「プハーッ!!あー怖!!」
人類未踏のジャングルに高橋愛はたった一人で到達した。
まず最初に思った感想。
(暗い)
巨大な枝葉が完全に太陽を遮っており、昼間だというのに闇夜の様な空間。
そして次に思った感想。
(臭い)
腐った肉の匂い。濃い原始植物の匂い。血の匂い。色んな匂いが混ざり合っている。
呼吸を落ち着かせると、ゆっくり辺りを伺いながら愛は立ち上がる。
(囲まれている……!一匹、二匹、もっとたくさん…)
そしてすでに自分が何かに囲まれていることを悟る。
八方から流れてくる獣の呼吸音。
「嘘やろ。いきなり!?」
愛はいつでも戦闘態勢に入れる様、神経を張り巡らせる。
木々と茂みの隙間に一瞬、獣の姿が見える。
(あれって…ハイエナってやつ?)
初めて目にする野生動物の姿に愛の緊張は高まる。
迷う必要は無い。この空間に味方はいない。向かい来るすべてが敵だ!
いつ飛び掛ってきてもいいように構えるが、一向にその気配がない。
(もしかして…待ってる気?)
自らは危険を冒さず。別の動物が愛を襲ったスキに確実に捕らえる。
なんてハイエナらしいんだと愛は思った。
同時にそんな奴らの相手なんてしてられるか!とも思った。
(逃げる)
考えが決まったら行動は早い方がいい。
トンと勢いをつけて愛は走りだした。すかさず周りの気配も付いてくる。
スピードに自信がある愛だったが足では勝てないとすぐにわかった。
人間とは根本的な造りが違っているらしい。
(足は負けても人間には知恵があるんやよ〜)
ピョンとフェイントを掛けた。
そのまま木の枝を掴み、器用に大木の上へと登ってゆく。
「へっへ〜。登ってこれんやろ〜」
ヌルッ。
悔しがるハイエナを見てやろうと下を向いたときだった。
掴んでいた枝が突然ヌルルと動き出した。まるでヘビのように……。
(ヘビのよう…)
「うっぎぃゃああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
今までの人生でおそらく最高最大の悲鳴だったろう。
体長5mはあるような巨大なヘビが愛を見て笑っていたのだ。
お尻から地面に落ちた。
痛みとかもう関係なかった。とにかく逃げる。何にも考えられない。
逃げる愛を大蛇が追う。少し離れてハイエナ達が追う。
「もーやだやだやだやだやだやだやだやだ!!!!!」
やがて知る。
逃げたって逃げ場なんて何処にも無いこと。
動けば動くほど…新しい獣のテリトリーに踏み込むだけだってこと。
「わっぁ!!」
黒い塊にぶつかって、愛は前方へ転がった。
「うぅ〜なんや!!」
黒い塊に鋭い牙が生えていた。
牙は美味そうな獲物を見つけた喜びに猛っているようであった。
(ふぇ?ちょ…ちょっとぉ〜冗談やめてや)
肉食獣・クロヒョウ。
嘘偽り無い、待つなんて悠長なことは無い、目の前の獲物を噛み喰らう本物の野獣。
「ガウルルルルウルルルルルルル…」
恐怖という次元を超えた目の前の映像が、愛にはまるで映画のように写った。
だけどそれは映画じゃない。生身の野生・生身の恐怖・生身の死である。
すると、追ってきた大蛇が目の前のクロヒョウに巻き付いた。
スキを付かれたクロヒョウは爪と牙で大蛇に反撃する。
ハイエナどもはシメシメと遠巻きでこれを眺めている。
これが本物の野生動物同士の激突。想像を絶するパワーと迫力。
あまりの恐怖で完全に腰の抜けた愛は、逃げることすら忘れ見入っていた。
どちらが自分を食べるかで争っているのである。
ルールも栄光も何も無い。
『食うか食われるか?』
ただそれだけの戦闘。あまりに原始的で。あまりに野性的で。あまりに…
「…すごい」
声に出して、愛は気付いた。
(何言ってるんや!逃げるなら今しかないが!)
起き上がると愛は迷わず上に跳んだ。
木の上ならばクロヒョウもハイエナを届かないと思ったからだ。
愛が枝に登ったときであった。地面が真っ赤に染まった。
ギュチュグチュグュ…!!!
クロヒョウの牙が大蛇を噛み千切った音だ。
勝者は決まった。クロヒョウが大蛇を喰う。情け容赦があるはずない。
「ガグルウルルルルッルウッル…」
味が御気に召さないのか、すぐにクロヒョウは愛に視線を移した。
筋肉が引き締まっている割にプリンとした愛の体が、たまらなく美味そうに見えるらしい。
ハイエナどもはさっそくクロヒョウの残した大蛇の肉を漁っていた。
あれが数分後の自分の姿かもしれない…。
そんな不吉な考えを吹き飛ばすように愛は首を振る。
(やっぱりあいつら登ってこれん!下に落ちなきゃええんや!)
身軽さには自信がある。さっきのヘビみたいな失敗が無い限り落ちはしない。
ドドォォン!
「うわああっ!!」
大木が揺れて落ちそうになった。
両腕で幹にしがみ付いてなんとか事なきを得る。
下を見るとクロヒョウが木に体当たりをしていた。何が何でも愛を喰う気らしい。
(冗談じゃないわ!喰われてたまるかぁ!)
愛はバッと隣の木に飛び移った。さらに次の木へ、また次へ。
下からでは回り道になる様に考えながら逃げる。もうヘマはしない。
そして体当たりなんかじゃビクともしそうにない巨大な木を見つけ、愛はそこで止まった。
物凄く大きい木なので枝と幹の隙間に休めるスペースがある。
「ここなら大丈夫やろ」
木の下でクロヒョウは悔しそうに唸っていた。
根競べになると思っていたが、クロヒョウは意外にもあっさり視線を変える。
(あれ?)
しかしそこで愛は嫌なものを見てしまう。
クロヒョウのすぐそばでサルの赤ちゃんが啼いていたのだ。
赤ちゃんザルに逃げ場は無い。愛の身代わりとなりクロヒョウに喰われるしかなかった。
(……何を考えてるんや、愛)
(これはチャンスやろ。せっかく自分の身代わりが現れたんやよ)
(今のうちにもっと遠くへ逃げなあかんて)
喰うか喰われるかの世界。
利用できるものはすべて利用しなければ…生き残ることなんできない。
どうして迷う必要がある。当たり前だ。これが当たり前なんだ。
(逃げ…)
「キキィーーーーーーー!!!」
踏み出そうとしたそのとき、赤ちゃんザルの鳴き声が耳を通過した。
クロヒョウが獰猛な牙を剥き出していた。
「うわああーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
自分でもわからない。吼えた。
気がついたらクロヒョウの首根っこ目掛けて蹴り込んでいた。
感触がヒトのそれと違う。巨大な筋肉の塊。
クロヒョウは何のダメージも無さ気に、またこちらへ獰猛な牙を剥き出した。
自ら降りてくるなんて馬鹿な奴だとでも思っているに違いない。
愛は赤ちゃんザルが逃げ出すのを視界の隅に確認する。
自分にもう逃げ場は無い。
本物の肉食野生獣とわずか3mの距離で向き合っている。愛は覚悟した。
やるしかない!