私は15歳になった。
市井流柔術は門下生も増え、全盛期を迎えていた。
入門審査の内容を緩めたこともあるが、市井ちゃんの名が売れたことが大きな原因。
あのプッチ公園の件以来、市井ちゃんは他流派との試合をよく行う様になった。
そしてその全てに勝利を収めた。入門希望者が増えないはずがない。
「私の闘いをよーく見ておけよ」
ことあるごとに市井ちゃんは私にそう言った。
出会った頃とはまるで別人の様に戦い続ける市井ちゃん。
「負けるまで闘うつもりかもな。市井さん」
ヨッスィーが何気なく呟いた一言。
その意味がわかったのは、それが現実となる時だった。
当時『最強』の文字を独占していた女帝・中澤裕子プロデュースの女子格闘技大会。
市井ちゃんは当然のように出場する。私もヨッスィーと一緒に観戦にいった。
最強を目指す女、総勢26名の潰しあい。
市井ちゃんは優勝候補に挙げられていた。
私も優勝すると思っていた。
あの頃の私はまだ市井紗耶香以上に強い人物を見た事がなかったからだ。
だから驚いた。
眩しいくらいに輝きを放つあの太陽の様な女を見た瞬間。
すべてはまるで彼女を中心に回っている様な気がした。
安倍なつみ。
ベスト4はあっさりと決まった。
明らかにこの4人だけ他とレベルが違っていた。
市井紗耶香。安倍なつみ。保田圭。福田明日香。
「ごっちん。あれって体操のおばちゃんじゃね?」
市井と安倍ばかり注目していた真希に、隣の席の吉澤はのんびりと告げた。
見ると確かにプッチ公園で八極拳の体操をしている変なおばちゃんがいた。
「ほんとだ!」
「あの人、保田圭って言うんだ。つーか二十歳かよ」
「嘘でしょ!子供の2,3人いるかと思ったよ〜」
と笑っていたのだが、おばちゃんの闘いぶりにその笑いも何処かへ飛んでいく。
年齢以上にびっくりする強さだったのだ。
(人は見かけによらないね〜)
最後の一人、福田明日香の強さはよく分からなかった。
力を隠しているふしがあり、それがどれくらい隠しているものか真希には読めなかった。
間違いなく言えるのは4人ともメチャクチャ強いということ。
その中でも安倍なつみだけはさらに別格であると真希は感じ取っていた。
準決勝。市井の相手はその安倍だった。
(勝てない)
口には出さなかったが、始まる前から真希は確信していた。
(今日…市井ちゃんは負ける)
「私の闘いをよーく見ておけよ」
市井紗耶香がよく言っていた言葉を思い出す。
真希は見た。
立ち技の攻防。グラウンドの攻防。その手足の動きの一つ一つ。
『最強』を目指すことがどういうことなのか?
市井紗耶香は身をもって真希に教えようとしていたのだ。
安倍なつみの拳で沈みゆく市井紗耶香を見ながら、真希はその想いにようやく気付く。
『勝者!安倍なつみ!!』
結果はわかっていた。だから真希は動揺しなかった。
輝く『勝者』安倍なつみと、惨めな『敗者』市井紗耶香を、ただじっと見つめていた。
「恐い目ぇしてるぜ。ごっちん」
隣で吉澤が呟いた。
怒号の様な歓声に真希の金色の髪が揺れてなびく。
決勝戦は、安倍が保田の八極拳を咄嗟に真似るという仰天の荒技で勝利を収めた。
最強の称号を得た安倍なつみは、太陽の笑みでキラキラ輝いていた。
「最強か…」
その光景を見ながら、珍しくヨッスィーがたそがれていた。
(遠いね。だけど、いつか…)
遥か高みに立つあの女の所まで、私達もいつかきっと!
本当の最強を知ったその日、黄金時代の終焉も近づきだしたのかもしれない。
日々は流れる。
優勝した安倍なつみの夏美会館空手は、瞬く間に勢力を拡大していった。
反対に、圧倒的な敗北を喫した市井紗耶香の市井流柔術はどんどん規模が縮小していく。
また一人、また一人、昔の仲間が去っていくのを見送る。
女子格闘界のニュースは夏美会館やジョンソン飯田のハロープロレスがほぼ独占、
市井流の名を出す者などどこにもいなくなってしまった。
真希は髪型を変えた。
あれだけ好きだった金髪を辞めて黒髪に戻したのだ。
真希特有の決意の表れでもあった。
(市井流の名が再び認められるその日まで、髪は染めない)
「ごっちん。ちょっと話があるんだけど」
そんな中学卒業を間近に控えたある日、吉澤が真希を呼び出した。
いつものプッチ公園。
だけど今日は決闘じゃなく並んでベンチに座る。なんか変な感じ。
「で、話ってなに?ヨッスィー」
「あぁ…結局うちらの決着、まだついてないよな」
「まぁね。でもまだ時間はあるし、同じ高校に入ればもっと会えるし…」
「私さ。高校には行かない」
「またまたぁヨッスィーのジョークはもう聞き飽き…」
「中学出たら、アメリカに行くことに決めたんだ」
「!!……本気?」
「うん」
ヨッスィーは珍しく真面目な顔をしていた。
私は間近でその横顔を見つめた。真面目な顔してればやっぱり天才的美少女。
彼女がこんな顔するってことは、もう止めれないくらい決心してるってことだ。
「私はアメリカでプロボクサーになる!そして世界チャンピオンになる!」
「……ヨッスィー」
「市井さんと安倍なつみのあの闘いを見て、やっぱり最強を目指したいって思ったんだ。
本気で夢を叶えようと思ったら、動くのは早い方がいいし…だから」
「わかるよ。後藤も同じ」
「ほんと!あーよかった!反対されたらどーしよーって思ってたんだぁ!」
いつもの笑顔に戻るヨッスィー。
本当は嫌だった。離れ離れになんてなりたくなかった。止めたかった。
だけど…本気で夢を追う人を止める資格なんて無い。
「よっすぃーはボクシングで、後藤は柔術で、一番になろう!」
「おお」
「そしたらさ、次は日本一賭けて決着つけようね」
「あぁ約束だ」
子供の約束。
一番てっぺんの決勝戦。
チャンピオンになったヨッスィーとチャンピオンになった私が、長い長い決着をつける!
またあの黄金の時間が戻ってくる!
―――――――――この願いは決して叶わないなんて、そのときは知る由も無かった。
中学卒業後、ヨッスィーはすぐに渡米してしまった。
私は普通に地元の高校に通う予定。
またあの退屈な日々に逆戻りするのかと思うと、泣きたくなってきた。
「真希、私とブラジルに行かないか?」
だから市井ちゃんのその誘いは、驚きよりも喜びが大きかったくらいだ。
「今や柔術の本場はブラジルにある。私はブラジルでさらに柔術を学ぼうと思うんだ。
あそこはバーリ・トゥードも盛んで闘いの場所に困ることは無い」
「行くっ!」
私は即答した。あまりの迷いの無さに市井ちゃんが戸惑った程だ。
だってヨッスィーがアメリカに行ったのに、負けてられないって気持ちがあったんだもん。
話が決まったら行動は早い。まず家族に了解を得る。
私の家族は私が市井流に合格したあの日から、いつだって応援してくれる。
本当に感謝してるよ。絶対に一番になってみせるからね。
次に決まってた高校をキャンセル。パスポートもGET!準備万端。
「市井ちゃん。私はブラジルで一番になるまで帰らないよ」
「そりゃあ一生無理かも」
「できるもん!」
「冗談。真希ならなれるさ」
こうして私は市井ちゃんと共に日本を発った。
一路、格闘技最強国ブラジルへ。
当時、ブラジルではロムコーファミリーという有名な一族が幅をきかせていた。
生まれたときから全員がその身に柔術を叩き込まれるという恐ろしい血族である。
真希と市井が最初に訪れた道場にアミーゴという女がいた。
「やるかい?日本人」
彼女達は誰の挑戦も拒まないという。
真希はやりたかったが、市井がそれを遮り代わって自分が挑戦を申し込んだ。
1分もたなかった。組み付いて寝技に持ち込んでマウントを取り関節を決める。
そこには勝利する為の完璧なシステムが完成されていたのだ。
レベルが違いすぎる現実を市井は知る。
「市井ちゃん。次は私が…」
「ダメだ!今のお前では勝てない。昔言っただろう。最初で最後の敗北と…」
初めて吉澤ひとみと闘い反則負けを喫したあの日のことだ。
市井は日本でなっちに負け、そして今ブラジルで負けた。しかしまだ腐ってはいない。
真希という希望がいるからである。真希を最強にする為ならば何度敗北してもいい!
ロムコーファミリーにはこのアミーゴを凌ぐ実力者がまだ何人もいるという。
ブラジルで頂点に立つという話が、どれだけ雲の上のことか身に染みる。
それでも真希ならば…。
「お願いがあります」
市井はアミーゴに頭を下げた。たった今敗北した相手に入門を申し込んだのだ。
敵を倒すにはまず敵の技・ブラジリアン柔術を知らねばならない。
(それでも真希ならば、必ずこいつら全員を越える!)
3年間。
市井と真希はロムコー柔術を学んだ。
その間にロムコーファミリーの恐ろしさもとくと知った。
―――バーリ・トゥード大会3連覇のムロア。
―――海外の異種格闘技大会を荒らしまわるラハカート。
―――400戦無敗のブログー。
その他にも数多くの最強戦士がこの血族から生まれ出ている。
市井と真希はじっと耐えた。ひたすら耐えて、ひたすらにその技を盗んだ。
そして真希が18歳の誕生日……事件は起きた。
「プレゼントがある。今夜6時に○○港三番倉庫に来てくれ」
市井にそう告げられた。
何の疑いもなく喜んで出かけた真希を待ち受けていたものは…。
「んあ〜真っ暗」
「真希」
「市井ちゃん!どこ〜?」
暗闇から市井の声がする。しかし姿は見えない。
「この3年間。よく頑張った。お前は強くなったよ…」
「エヘヘ…褒めるのは出てきてからにしてよ」
「…だけどまだなにか足りない。真希が最強になるには」
「なんか足んない?」
ズザザザザザァ…………
暗闇を蠢く複数の気配を感じ取る。そこに潜むは冷たき殺意。
「市井ちゃんっ!!」
「真希に足りないもの。これが私からの最後のプレゼントだ」
その言葉が終わると共に暗闇の殺意が、一斉に真希に向かって襲い掛かる。
真希は音と気配だけを頼りに逃走を試みるが、敵にはこちらの動きが見えている様だ。
金で雇われたプロの暗殺集団。全員がブラジリアン柔術達人クラスの実力。
先回りをして蹴り倒される。
真希は助けを求めた。しかしその声は届かない。市井は鬼と化していた。
(真希。ただの天才格闘家で終わるか?それとも真の最強へと目覚めるか?)
この3年で、ロムコー一族の下にいて奴らを越えることは不可能と悟った。
だから市井は最後の選択を選んだ。
柔術では勝てない。格闘技の常識はロムコーが完成させてしまっている。
奴らを越えるには常識の枠を外れた方法しかない!
「市井ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
恐怖と悲しみに満ちた真希の咆哮が市井の胸を締め付ける。
「生きろ!真希!最強になりたければ生き残れっ!!」
それが最愛の弟子に贈れる精一杯の言葉。
市井の拳が血で滲んでいた。
「姉貴は格闘技やるべきだね。絶対トップとれる!俺が保証する!」
「後藤!将来お前がチャンピオンになったら俺達応援するから」
「今日の敗北を、後藤真希の人生…最初で最後の敗北にしな」
―――――――巡りめく絶望と恐怖の暗闇の中で、思い出す道と言葉たち。
「よっすぃーはボクシングで、後藤は柔術で、一番になろう!」
「おお」
「そしたらさ、次は日本一賭けて決着つけようね」
「あぁ約束だ」
―――――――真希は泣いていた。悲しみがすべてを包んだ。
「生きろ!真希!最強になりたければ生き残れっ!!」
すべてを包んだ。
「大丈夫。きっと大丈夫」
呪文のように私はくり返す。
この道の先にはきっとまた、あの黄金の時間が待っているはずだから。
光が溢れる。
真希の髪の色が鮮やかな金に変色しだした。
暗闇に、突如として出現した光。
ナイトスコープを装着していたプロの暗殺集団は思わず目を背ける。
金髪の後藤真希。その姿はまるであの頃の…黄金の娘。
「……っ!?!?!!」
騒ぎ立てる男達をあざ笑う様にゆっくりと立ち上がる真希。
口元は笑みの形を作っていたが、瞳にはこれまでにない超越した感じが認められる。
…ュッ!
音にもなっていない。
音が鳴るよりも早く、一人の男の手首から先が飛んでいた。
その速さは光。光速の閃光。
常識を逸脱した娘の変化にプロの暗殺集団が、我先と逃げ出す。
すべてが遅い。
金髪の娘が一振りする度、男達の血飛沫と絶叫が響く。
市井は震えながら、ただその光景を見入っていた。
あっという間に自分と金髪の娘以外の全員が、地べたに這いつくばされた。
震える全身を堪えながら、ようやく発した言葉。
「本当に…真希なのか?」
次の瞬間、市井紗耶香の左腕が飛んだ。
ブラジル最強を決めるバーリ・トゥード・トーナメント後。
ロムコーファミリーの一人アミーゴが、海外修行の旅からひさしぶりに帰国した。
今や自分こそが一族最強であるという自身に満ちた顔つき。
だが空港に流れるニュースを見て、彼女の顔つきは一変する。
『ムロア・ラハカート・ブログー敗れる!』
『ロムコーファミリー壊滅!』
『バーリ・トゥード・トーナメント優勝は金髪の日本人』
「なんじゃこりゃぁぁぁ!!!!!」
アミーゴは激怒した。
今度こそ最強の姉達を越えてやろうと、勇んで帰ってきた矢先の事。
「一体、誰がやりやがった!」
ニュースの画面に怒鳴りつける。
そこに映し出されたのは、金色の髪を輝かせた日本人の娘。
(こ、こいつは確かあのときの!)
アミーゴは思い出す。
3年前、自分に秒殺された日本人の横にいた小娘。
信じられない事が起きた。すぐさまアミーゴは今来た空港をUターンする。
「挑戦者の立場が逆になったという訳か。いいだろう!覚悟しておけゴトウマキ!」
最強血族の生き残り・アミーゴ・ロムコー。日本へ!
市井の博打は結果的に成功した。
極限にまで追い込まれた真希は想像以上の覚醒を果たす。
髪が黄金色に変化し光の速度を得る超技を会得。
まるで時間を支配している様な感覚の為「黄金時間」と呼ばれる。
かろうじて一命をとりとめた市井は治療の為、先に日本へと帰国。
ブラジルで最強になるまで帰らないと誓っていた真希は、一人残る。
そしてバーリ・トゥード・トーナメントに出場した真希は驚異的強さで大会を制覇。
「黄金の娘」後藤真希の名はブラジル全土を揺るがす大ニュースとして駆け巡った。
そして真希は日本に帰ってきたのである。
一つの約束と共に。
しかし…運命は彼女に残酷な結末を与える。
植物状態の吉澤ひとみと…その仇・石川梨華の名前。
「いちーちゃん。そいつ、ごとーが殺してもいいよね」
甘えん坊のマイペース少女は、いつしか氷の鬼神と呼ばれる様になっていた。
それでも道は続いている。あの黄金の時代が帰ってくると信じ、進み続ける。
邪魔する者はすべて切り裂いて――――――――――――――――。
「さぁ、派手にいくべ」
私は独りになっていた。
最近はあまり笑っていない。
番外編「黄金時間」終わり
【番外編あとがき】
ごっちんストーリー。
いざ書き始めると予想以上に長くなり、無駄な部分をかなり省略しました。
ブラジル編はとりあえず覚醒とアミーゴだけ描ければいいや、と。
この「黄金時間」。ご存知の通りまだ日本では披露していません。
一番の原因はやはりなっちの「パーフェクト・ピッチ」の存在ですね。
抑制の効かない「黄金時間」を使うときは、ごっちんもそれだけの覚悟を決めた時です。
さて、この番外編を読み終えたあと第6話の吉澤と市井の再会シーンや、第23話の後藤
帰国後のストーリーを読み返すと、また違った視点で楽しめるかもしれません。
このごっちんも本編ではまだあまり活躍していませんが、後半は色々と出番も増える予定
ですので、ご期待ください。