第31話「二人の夢はいつまでも」
「この試合、あっちのアイちゃんが勝ちますよ、老師」
「なんじゃいきなり」
すると加護が指した方の愛が動き出す。
一見、先ほどまでの動きから何ら変化はない。だが、分かる者には分かる。
この会場に限れば、福田明日香、加護亜依とその老師、平家みちよとアヤカの5人のみ。
ほんの少しずつではあるが高橋のスピードが増してきているのである。
一見、村上は反応している様に見える。しかし…
ガクッン
突然、村上の膝が崩れた。
(……っ!)
知らぬ間に自分の限界を超えた速度に付き合わされていたことを知る。
それでも高橋愛のスピードはさらに加速を続ける。
ついに見え隠れした彼女の真価。戦いが進むにつれ増してゆくそのスピード。
舞台袖にいる福田の目つきが変わる。
数々の修羅場をくぐってきた福田をして、未だ体験したことのない未知の速度。
(今はまだ未熟だが、あのスピードに牙を与えれば…)
(バカな…何を考えている私は…)
自覚はないが、深い絶望に包まれた福田の感情に今、一点の小さな光が生じた。
「もう止めた方がいい」
勝機が無いことを悟ったアヤカが平家に述べる。しかし平家は首を振った。
「いや。この敗北がいずれ財産になる。最後までやらせよう」
「平家さん」
「プロジェクトKはまだ途上の段階。現時点では及第点だよ」
村上の顔はさきほどまでの無表情とはうって変わり、明らかに怯えを見せていた。
無理もない。彼女の知る世界は同じ14人の子供と平家とマスターつんくだけ。
それがいきなり彼女の想像を超える“速さ”という脅威に出会ったのだ。
アヤカは見ていられず、舞台から目をそらした。
そのそらした先に一人の娘を見つける。
(あれは…)
マスターつんくからの命令で、アヤカは表の格闘家達の調査に携わっていた。
なっちが開催したトーナメントなどはもちろんチェックしている。
そこに姿を消した気になる娘がいたのを思い出す。
「それにしても、あの高橋愛という娘、これほどの才を秘めていたとは」
「平家さん。それよりももっとおもしろい子を見つけたかもしれません」
「どうしたアヤカ?」
そのとき会場にワッという歓声があがった。
ついに高橋が村上のバックをとって、その首に腕を回したのだ。
一気に締め上げるも村上はタップをしようしない。
いや、しないのではない。ギブアップのやり方を教わっていないのである。
村上は泣きそうな顔で平家の方を見た。しかし平家は何の動きも見せない。
「平家さん、もういいでしょう」
「教育係は私だよアヤカ。プロジェクトKにギブアップはない」
あくまで冷酷に平家はそう告げた。
高橋もその異変に気付いた。しかしこれは勝負である。力を緩める訳にはいかない。
やがて村上は落ちた。ギブアップをできないまま意識を失い動かなくなった。
『優勝!高橋愛!!』
決着の合図。河北省衝水擂台賽、優勝は日本人の高橋愛。
そして閉会式から賞金の授与が行われる。十万元。
高橋愛は諸手を振って喜んだ。舞台下で待つ福田明日香に声を掛ける。
「これで弟子として認めてもらえますね」
「無事に銀杏にたどり着ければ、な」
「は?」
「行くぞ」
福田と高橋が足早に会場を去るのを加護は見ていた。
そして老師に声をかける。
「ちょっと遊んでくる」
「やれやれ、仕方が無い奴じゃ」
「ちょっと行ってくる」
気絶した村上愛をアヤカに託した平家みちよは、高橋を追う加護の後を追った。
「裏口をどうぞ」
大会関係者に気を使ってもらい、一般と別の出口を用意してもらった。
賞金とトロフィーを抱えた愛はスキップしながら外に出る。
ところが、細い路地を抜け角を曲がると、数十人の中国拳法家が待っていた。
隣で松葉杖をつく福田がため息をこぼした。
「…図られたか」
「どうゆうことすか?」
「大会関係者もグルだよ。日本人に優勝もってかれてそのまま帰す訳にいかねえだろ」
「ええっ!?」
愛は後ろを振り返った。すると後ろにもすでに数十人の中国拳法家がいる。
逃げ場はない。囲まれてしまっていた。
頼る様な目つきで愛は福田を見たが、その姿を見て考え直す。
(福田さんは歩くのがやっとの怪我人や。私一人でこれだけの人数を…)
絶望的な状況であった。彼らの目つきはすでに出来上がっている。
謝って許してもらえる雰囲気ではない。
賞金とトロフィーをリュックに投げ入れて背負い、構える。
(やるしかない!)
「やるしかあらへんでぇ」
そのときだ。一人の少女が愛の真後ろに飛び降りてきた。
お団子頭に黒目の大きな、まだあどけない顔の娘であった。
「手ぇ貸したろか」
「誰?」
「か・ご・ちゃん・です♪」
(加護?)
愛は首を傾ける。どこかで見た顔に、どこかで聞いた名前。
だがそれを思い出す前に福田が口を開いた。
「じゃあな。先に銀杏で待ってるぜ」
「へ?福田さん、ちょっと…」
「言ったろ。弟子になりたきゃ金持って銀杏に来いってよ」
それだけ言い放つと福田は、松葉杖をついたまま中国武術集団の方へ歩き出した。
当然彼らが黙って通すはずはない。福田に対し身構える。
しかし福田は歩みを止めようとしない。
むしろ下がりだしたのは数十人の中国拳法家達の方だ。
相手は松葉杖にギブスを巻いた怪我人である。しかし誰一人彼女に向かう者はいない。
やがて道が開いた。モーゼの様に福田の前で人並みが割れたのである。
それは信じがたい光景であった。
数十人の中国拳法家の顔色が変わっている。本能が恐怖しているのである。
怪我をしているとかそういうのは関係が無いこと。それは空気。
刃向かえば『死』を連想させる様な尋常ならぬ空気を帯びた人物なのだ。
彼女がその場を去るまで、誰一人動く者も言葉を発する者もいなかった。
ただ一人を除いて。
「なんやけったいな人やな〜」
福田明日香が去ると、集団は我に帰ったように再び高橋を囲む。
愛も自分の状況が少しも改善されていないことを思い出す。
いや、ひとつ変わったのは目の前にいるこの少女。
「ほな、後ろはうちに任しときぃ」
「え!ちょっと!」
しかし彼女の正体を確認している暇は無い。
福田というダムに関止められていた武術家の波が、高橋と加護に押し寄せる。
愛は頭を切り替える。どちらにしろここを抜け出さなければならない。
そしてそれは愛一人ではとうてい叶わぬ所業である。この娘を信じるしかない。
前の敵だけに集中した。
前後から攻められては動きがチグハグになるが、前だけならば負けない。
一人、また一人、休むことなく攻めてくる中国武術家を倒していく。
しかし後ろから攻めてくる敵はまだいない。
ということはあの加護という少女が抑えているということだ。
(加護…?)
(やっぱりどっかで聞いたことあるような…)
(そうや!あのときの!亜弥と引き分けたっていう子!)
戦いながら愛は思い出した。
二年前の18歳以下トーナメントで圧倒的強さを誇る松浦亜弥と引き分けた娘。
愛は自分の試合で負傷していた為、それを見たのは後日の録画でだけだ。
しかし亜弥の狂気に一歩も譲らぬその力、強く印象に残った。
(こんな所で会えるなんて、すっごい偶然)
加護亜依の戦い、見たくて仕方なくなってきた。
しかし数の多い敵を相手に、後ろを振り返る余裕は与えてもらえない。
(あ〜も〜!すぐ後ろやってのにぃ)
どれほど倒しただろうか。敵の集団が急に引き始めた。
肩で息をしながらようやく後ろを振り返れると、後ろの敵も引いている。
愛は背中を向ける加護に声をかけた。さすがに加護も疲れている様だ。
「逃げるんかな?」
「どうやら、ちゃうみたいやで〜」
なんと、敵の集団は長い棒を取り出して来た。
少林拳などに代表される棍である。それを二人のアイに向ける。
「手段は選ばへんてか」
「加護さんは逃げていいよ。元々あいつらの狙いは私やし」
「アホぬかせ」
加護はくいっと唇を吊り上げた笑みを見せる。それに愛も笑みで返す。
しかし絶体絶命である。
愛はすでに体力も尽きかけている。その上に敵は複数の武器を所持。
どうなるかわからない。しかしただでやられるつもりは無い。
愛は覚悟を決めた。すると加護がポツリと呟いた。
「しゃ〜ないわ。アレ、使うかぁ」
アレ?加護は何か秘策をもっているのであろうか?
愛は思わず加護の方を振り返った。
しかしここで加護のその秘密を見ることは叶わなかった。
中国武術集団のさらに後方から、物凄い戦気がやってきたからだ。
「なんや?なんや?」
「この気…嘘でしょ…」
愛は一瞬、そこへ安倍なつみかジョンソン飯田が現れたのかと思った。
それほどの気を有している者が近づいてきたのである。
しかし、それはそのどちらでもなかった。
恐れをなした中国武術家集団が棍を向ける。
旋風の様な打撃がそれらを瞬く間に一蹴してゆく。
そしてその圧倒的な気を有した者は、二人の元へ姿を見せた。
「お前達が高橋愛と加護亜依だな」
「はい」
「誰やお前」
その圧倒的な気を有する女は、大人の色気を加えた穏やかな笑みを浮かべる。
それはかつて、あの石川が現れるまで闇のコロシアムの王者だった者の顔。
地上で女子格闘技界が芽生えようとしていたあの時代。
もし彼女が表にいたならば…
頂点に立ったのは安倍でも、飯田と石黒でも、福田でも、中澤でも無い!
「平家みちよだ」