小説「ジブンのみち」part3

このエントリーをはてなブックマークに追加
169辻っ子のお豆さん ◆No.NoSexe.
第29話「戦いは終わらない」

目の前で繰り広げられる激闘の数々に、高橋愛の闘争本能はずっとくすぶられていた。
これらが女子格闘技界の頂上に位置する者たちの戦いである。
(私は…私も…)
もし、万が一、あってほしくはないが、辻希美が負けたとしたら…
勝敗は2対2となり、この戦いは終わらない。
(その場合は私と…)
愛はチラリと向こう側に目を移す。藤本美貴。彼女が相手となる。
どうして彼女があちら側についているのか、その理由を愛は知らない。
だが理由は何であれ、戦いを避ける訳にはいかない。
(勝てるか?)
藤本美貴を相手にして果たして勝てるか?この疑問に答えがでない。
彼女はトーナメントで準決勝敗退している。そういう意味では愛と同じ位置だ。
だが彼女の負けと自分の負けは、決定的に違っていると思う。
自分と辻希美が再戦したとしても、まるで勝てるイメージが湧かない。そういう負けだ。
だが藤本美貴と矢口真里が再戦したとすれば、むしろ藤本が勝つ可能性が高い気がする。
たった一回しか使えないチャンスを矢口真里がもぎとった。そういう決着だった。
(勝てるか?)
そんな藤本美貴に勝つことができるのか?勝つと言いたい。だけどそう思えない。
彼女だけにではない、今ここにいる9人の誰を相手にしても「勝てる」と言い切れない。
(この中で一番弱いのは…)
ギュッと拳を握り締めて、愛は目の前の激闘に目を移した。
田中れいなという強敵に巡り合えた辻希美が、イキイキしている様に見えた。
自分と闘ったときよりも…。
170辻っ子のお豆さん ◆No.NoSexe. :04/07/04 22:51 ID:z58OGRWn
苦境に立たされながらも辻希美はワクワクしていた。
(もうちょっとなんらけどな〜)
田中は鼻を押さえながら、もの凄い目つきでこちらを見ている。
(次は当てるから!)
ニコッと笑って、再び飛び出した。
正直なところ笑える状況ではない。あっちは無傷で、こっちはもうボロボロだ。
しかし負けるつもりはなかった。
自分はトーナメント優勝者である。
自分が負けたら他のトーナメント出場者に合わす顔がないと思っている。

「いくぞぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!」

思い出した。なっちに教わった武器、この拳だ。
どんなに追い込まれようと、この拳が一発でも相手に当たればひっくり返せる。
その拳を撃つ。
田中がカウンターで蹴ってきた。それが横っ腹を思いっきり叩いた。
あばらが何本かいったかもしれない。それ以上にそこから広がる気孔が厄介だった。
だが耐えた。防御を考えないでとにかくこの攻撃だけを当てる。もう一度吼えた。
目の前に掌があった。田中の小さな掌だ。鼻頭が熱くなる。

「死ね」

音がしなかった。脳が揺れる感触。意識が吹っ飛んだ。
何も考えられなくなった。だから考えないままに動いた。すると拳が何かに触れた。
ズドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!!
171辻っ子のお豆さん ◆No.NoSexe. :04/07/04 22:52 ID:z58OGRWn
道重さゆみは見た。田中れいなが殴り飛ばされるシーンを。
亀井絵里も見た。その瞬間スッと瞳孔が開く。
100%である。田中は本気の本気を出している。
そんな田中が倒された。にわかに信じがたい出来事に二人の顔つきが変わる。
(当たった!)
脳が揺れ、朦朧とした意識の中で、辻は確かにその感触を得た。
このまま一気に攻めたい所だが、さすがにダメージがたまり過ぎていた。
ダウンする田中を前に意識の回復を待つ。

「ハァ…ハッ…ゲホッ…ハ…」

すぐに辻が攻めてこれないことは、九死に一生を得たようなものだ。
かつて経験したことのない破壊力に田中はもがき苦しんだ。
コロシアムのルールに10カウントはない。
どちらかが敗北を認めるか戦闘不能に追い込むしかない。
そしてもちろん田中が敗北を認めるはずがない。だが体が言うことをきかない。
(冗談やろ?れいなはたった一発しかもらってなか!)

「立って!れいなぁー!」

道重が声をかけた。ダウンしたとはいえまだ一発もらっただけ。
ダメージは敵の方が多いと思っている。だがそれは傍で見ている者の意見である。
想像を絶する激痛の中で、田中は道重の応援に憎らしささえ覚えた。
唯一、愛だけには田中の苦しみが痛い程に理解できた。
(たとえ立てても…もう無理やよ…)
172辻っ子のお豆さん ◆No.NoSexe. :04/07/04 22:54 ID:z58OGRWn
真の敗北。
田中れいなは生まれて初めて、その言葉に恐怖を感じた。
矢口戦での負けは負けと思っていない。あれは本気じゃなかったからだ。
しかし今は違う。本気だ。全力だ。100%だ。田中れいなの全部だ。
なのに地べたでもがき苦しんでいる。

ジャリ。
足音が耳に入ってきた。すぐ間近での足音、犯人は一人しか考えられない。辻希美。
背筋に氷の槍を突き込まれたような寒気を感じる。
(恐怖?これが恐怖やと?私があいつを恐れとーと?)
(冗談じゃなか!私は…私は…)

「…誰にも負けんたいっ!!」

まさに辻が攻撃を仕掛けようとした瞬間、田中がブワッと飛び起きた。
撃った。撃った。撃った。
死にもの狂いで発勁を連発する。攻めて、攻めて、攻める!
もの凄い連続攻撃に辻の体が揺れ動く。

「勝負あったな」

飯田の台詞に頷く安倍。愛も同じ感想をもった。
単純な打撃の打ち合いとなったとき、彼女に勝てる人間を思いつかない。
ふと辻希美の体が止まった。あまねく発勁連打の中でたった一発の拳が火を吹く。

ドンッッ!!!!!!!!!!!
173辻っ子のお豆さん ◆No.NoSexe. :04/07/04 22:55 ID:z58OGRWn
ゴッガッガッドドオォォォォォン!!!!!!!
地面にバウンドして飛んで、もう一度バウンドして、そのままの勢いで壁に激突する。
そして田中はピクリとも動かなくなった。
この圧倒的な攻撃力を相手に打ち合いを選んだ時点で、こうなることは見えていたのだ。

「ちかれたぁ〜」

それを見てベタンと腰を下ろす辻希美。言葉とは裏腹に満足気な表情が見て取れる。

「勝ったぁ!!!」

愛が歓喜の声をあげる。完璧な勝利、そしてそれはチーム全体の勝利を意味する。
だが、見事な勝利を飾った辻を祝いに飛び出そうとした愛は、妙な不安に足を止める。
敵チームの亀井と道重が、まだ余裕の笑みを浮かべているのだ。

「あ〜あ。やっちゃった。もう…さゆ、知〜らないっと」
「れいなの本性見れるの久しぶりだね〜ワクワク」

あの二人は何を言っているんだ?
辻希美の正拳突きをこれほどまともにもらって、もう戦える訳がないだろう。
だが何故か不安が収まらない。愛はソーっと田中の方を見た。
ピクピクピクッとすごい速さで痙攣していた。そしてそこから奇妙な泣き声が響いた。
田中れいな本人も自覚の無い……彼女の本性。

「にゃ〜〜〜〜〜〜〜ん♪」
174辻っ子のお豆さん ◆No.NoSexe. :04/07/04 22:56 ID:z58OGRWn
四足。
壁からムクッと現れた田中は手と足の四本で、地を踏んでいた。
瞳が大きく見開かれ爛々と輝いている。そしてもう一度鳴いた。

「にぃやぁ〜〜〜〜お」

一体何が起きているのだろう?
愛も、安倍や飯田すらもその顔に困惑を浮かべている。
誰より一番驚いているのは当の辻希美である。勝ったと思ったのだ。
そんな敵陣の驚きを見た道重がニタ〜と微笑んで言った。

「れいなは師匠に拾われるまで天涯孤独だったの。赤ちゃんの彼女を育てたのは…」
「ネコ…?」

辻がとまどいながら聞き返すと、道重はさらに嬉しそうに言った。

「そう、れいなの意識が飛んじゃうと、ああしてれいにゃが出ちゃうんだよね〜」
「あの子、かわいそう。れいにゃと遊ぶなんて…」
「でも悪いのはあの子だよ。れいなを殴ったんだから。殺されても仕方ない」
「うん、仕方ない。ウフフフフ…」

道重と亀井は笑いながら顔を合わせると、二人で辻にバイバイと手を振った。
ハッと辻は田中に視線を戻す。しかし元の場所に彼女の姿はもうなかった。
シャッ!鋭い痛み!爪で肩の皮膚がえぐられる。その動きにまるで反応できなかった。
もはや体力も残り少ない辻に、人間離れした動きでれいにゃが襲い掛かった!
175辻っ子のお豆さん ◆No.NoSexe. :04/07/04 22:57 ID:z58OGRWn
(館長、まだ…)
地下コロシアムのちょうど真上にあるビル入口に、紺野あさ美は控えていた。
あらかじめ安倍なつみに命じられていたのだ。
昨夜、極秘に呼び出された紺野は、館長室で安倍と二人だけの会合をした。

「明日の晩、私達は敵の策を真っ向から受ける」
「押忍」
「地下コロシアムという地図にも無い場所に招待されるんだけど、どう思う?」
「はい。十中八九、罠と思われます。誘いに乗るのは得策と思えません」
「だけどなっちは地上最強を語っている以上、逃げる訳にはいかないんだよ。ねぇ」
「最強も色々と大変ですね。きつい様なら代わりましょうか?」
「エヘヘ。おもしろいこと言うな紺野。まぁそこでひとつ頼みがある訳よ」
「何でしょうか?」
「うちらが敵の車に乗ったら、お前気付かれない様に後をつけろ」
「……!」
「まずコロシアムの場所を割り出すこと。それからこの小型ポケベルを預けておく。
 これなら圏外でも通じるだろ。これで合図するまで上で待機していてくれ」
「ポケベルが鳴ったら?」
「私達に何らかの危険が起きたということ。後の判断はお前に任せる。いい?」
「押忍」
「このことは他言無用。誰にも気付かれるなよ」
「辻さんにも、ですか?」

館長と共にコロシアムへ向かう夏美会館現王者について、紺野は尋ねた。
すると安倍はそれまでの真面目な顔を崩して、頭を指しながら答えた。
176辻っ子のお豆さん ◆No.NoSexe. :04/07/04 22:58 ID:z58OGRWn
「ののは腕は立つがここが弱い。余計な策略まで語ると集中できなくなるかもしれん」
「なるほど」
「紺野。お前は頭がいいからな。これからもその知恵でなっちを助けて欲しい」

その台詞に、紺野は複雑な感情を得た。

「もちろん、そのつもりです。但し頭だけでなく、こちらでもですが…」

スッと紺野は拳を握り、館長の前に差し出した。
高橋愛・後藤真希と敗戦が続き、かつての伝説の娘も今や最強に程遠い位置付けに落ちた。
しかし紺野は高みへの挑戦を諦めた訳ではない。
その証拠を差し出された拳は語っている。
安倍は知っている。連夜、彼女が死に物狂いの特訓を続けていることを。
差し出された拳に…今や何かが宿ろうとするほど…。

「ああ、期待している」

太陽のような笑みでなっちは言った。

……ということが昨晩あったのだ。コロシアムの真上で待機する紺野。
ポケベルは未だ鳴っていない。このまま鳴らなければ、それが一番いいのだが…。
気になったのは自分以外にも尾行している車があったことである。
その車がどういった目的なのかは知らないが、不安は拭えない。
(誰かいる!?)
そのときであった。ビルの反対側で誰かが動く気配を感じた。
動揺して身を動かした為、こちらも気付かれたかもしれない。
(どうする?)
177辻っ子のお豆さん ◆No.NoSexe. :04/07/04 22:59 ID:z58OGRWn
紺野は考えた。迷った訳ではない。覚悟はすでにできている。
たとえ館長の命令に背くことになれど、敵と会えば闘うつもりだった。
(闘るなら即効。敵が連絡を取る前に倒す!)
考えも決まった。決まったら迷う必要は無い。紺野は一気に飛び出した。
すると向こうの影も同時に飛び出した。ビルの入口中央で二人は重なる。

「えっ!」「おわっ!」

互いの顔を見て二人は同時に声を上げる。
闇の戦士ではない!彼女は見たことのある顔だ!

「お前、夏美館の紺野!」「あなたはハロープロレスのデビルお豆!何でここに!」

そう、そうはデビルお豆こと新垣里沙であったのだ。
保険をかけていたのは安倍だけではない、飯田もまた新垣に同じことを命じていたのだ。

「私は…社長の命令でここに!」
「わかりました。とりあえず声のトーンを落として、敵に気付かれてしま……」
「いよーーー!!!!お前らもいたのかよおおおおお!!!!!」

紺野の心配をよそに、後ろからとびきりの大声で現れたのは柔道の小川麻琴であった。

「何だあ?お前は矢口真里の保険かあ?」
「いやーハハハ!おもしろそーなんで勝手に来ちまったぜぇウヘヘヘヘヘへ」

新垣の問いに小川が豪快に答えると、紺野は頭痛で顔を歪めた。