「ふわぁ。……んだよ、うるせえな」
大声で辻が泣き叫んだ為、隣で気絶していた飯田が目を覚ました。
そんなアクビをして起きる飯田に、辻と高橋が反応した。
「飯田さん!!」
「止めてくらしゃい!いいらさん!なちみを助けて!!」
「ああ?話が見えねえよ。ちょっと落ち着けって」
号泣する辻に説明ができる訳もなく、愛が大雑把に説明する。
保田のこと。毒手のこと。安倍が死ぬ気であること。
話を聞き終えて、闘技場でにらみ合う安倍と保田に目を移す。
すると飯田は皮肉交じりの笑みを浮かべた。
「いっぺん死んだ方がいいかもな」
「え!」
「いいらしゃん!!なんれ!!」
「アホ、お前らまだ安倍なつみって女が分かってねえみたいだな」
頭上に?マークを浮かべる二人。
「それにしても毒手とは……ご苦労なことだが」
「だが?」
「安倍がパーフェクト・ピッチだけの女なら、とっくに俺が殺してるってこった」
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
吼える保田。悪魔の毒手が迫るそのとき、天使が羽ばたいた。
(何…!?)
保田圭の視界から安倍なつみが消える。
――――――――「パーフェクト・ピッチとか、そういうのは関係ねえんだよ」
目標を見失った毒手が宙を切る。
保田の目の間にまぁるい拳があった。
なっちの拳だ。
理屈は無い。
ただ避けて、ただ殴る。安倍なつみにとってはただそれだけの行為。
――――――――「関係なくバカ強ぇんだ、安倍なつみってのは」
バゴォォン!!!!!!!!!!!!!!!
超速球の砲丸を真正面から投げつけられたような一撃。
保田がぶっ飛ぶ。ただ触れる、それすらもさせてもらえない程に圧倒的な。
あまりに単純で。あまりに強烈!正拳突き一撃!
(そんな!そんな!そんな馬鹿な!そんなはずはねぇ!)
気が狂いそうなほどの破壊力を前に、地面を転がりながら吼える保田。
(そんな為にあの地獄の苦しみを乗り越えた訳じゃねぇ!私は…)
爪で地面を掻き毟る。釣り上がった瞳が憎き敵を睨みつける。
(私こそが最強だ!!)
野獣の様な咆哮をあげ、保田圭は立ち上がった。
「へぇ」と飯田が感心の声を吐く。
なっちの正拳突きをまともにもらって立ち上がれる奴なんて、そうはいない。
血で顔が真っ紅に染まっていた。鼻がへし曲がっている。呼吸も荒い。
だがそれでも保田の視線はさらに凶暴さを増している。
「うがらああらああおらおおおあああああああ!!!!!!!」
何と叫んでいるか分からない声を発しながら、なっちに突進する保田。
ダメージなんて関係ない!毒手が触れればそこで決着なのだ!
試合に勝とうが負けようが知ったことではない。
重要なのは、安倍なつみの息の根を止めたのが保田圭であるという事実!
ドンッ!!
みぞおちに何かが突き刺さった。
安倍なつみのつまさきだ。いつの間に?
足が浮いた。そのまま真上に蹴り上げられた。信じられない激痛。
肉体のありとあらゆる内容物が逆流を始める。
口から何かが出てきた、堪える間もなく地面に叩き落された。
(安倍なつみぃ!!)
上を見た。足の裏があった。それが徐々に大きくなってきた。
メチィ!!
そんな音がした。
全てが暗闇になった…。
高橋愛は全身に鳥肌が立っていることに気付いた。
コロシアムは静寂に満ちていた。
安倍なつみの足が地面に落ちた保田圭の顔面を踏みつけたメチィという音がしてから、
誰も声を発する者はいなくなっていた。
衝撃であった。思えば安倍なつみの戦いを見るのは始めてだ。
ここまでするのか、と思った。圧倒的で、微塵のためらいもない。
一体どんな顔をしているのか、こちらに背中を向けているから見えない。
まさかこれほどのことをしても、いつもの笑みを浮かべているのだろうか?
安倍なつみは笑ってはいなかった。怒ってもいなかった。表情が無い訳でもない。
普通だ。普通の顔をしていた。普通の顔をしてある女を見ていた。
敵陣の中にその女はいた。
藤本美貴である。
彼女もまた安倍なつみを見ていた。
例えようの無い空気がその間を流れている。
ムクリ…と何かがその間を遮った。
まさかもう立ち上がることはないであろうと思われた怪物である。
「死ぬよ」
それを見た安倍が、そろりと言い放つ。
悪魔に魂を売った怪物の顔はもはや判断も付かぬ程、壊されていた。
しかし口元がニヤァと笑んだ。復讐への執念と狂気が限界を超えたのだ。
保田圭の黒い腕が安倍なつみの頬に向かって伸びた。すると安倍は前へ出た。
田中れいなは思わず目を見開いた。
道重さゆみは目を伏せた。
我が事以外にまるで興味を示そうとせず、マイペースにお茶し続ける娘、亀井絵里。
彼女までもがその視線を一人の女に向けた。
パァン!!!!!
完璧な体勢で成された発勁の音がコロシアムに響き、
黒き腕の悪魔は二階壁にまで弾き飛ばされ、壁に埋まりついに動かなくなった。
「あんたに教わった技だべさ」
なっちが言った。ふさわしいだろとでも言いた気に。
あの悪魔のように恐ろしい師匠の最期の姿に…三人の弟子はそれぞれの表情を浮かべる。
藤本美貴はまだじっと安倍なつみを見ていた。
すっかり泣き止んでいる辻も、口を明けてポ〜としている。
飯田はやれやれとでも言いたげにアクビを噛み潰す。
「コールはまだかしら?寺田さん?」
上で見ているはずのコロシアムマスターを挑発するなっち。
(保田ぁ……あの役立たずがぁ……)
寺田は歯軋りしながら、勝利宣告を言い放つ。
『あ、安倍の勝ち』
ワァッ!と辻と高橋が歓声をあげた。
ただ触れる。あの保田圭をして、それすらも叶わない。なんという最強!
一体どれだけ強いのか?まるで底が見えてこない。
ちょっとでも心配したこっちが恥ずかしくなる。
涙まで流した辻も恥ずかしそうにしている。
「さ、さすがなちみなのれす!」
辻が照れ隠しに声をかけると、戻ってきた安倍なつみは天使の笑みを浮かべ、言った。
「のの」
「へい!」
「次で決めて来い」
ドクンと辻の鼓動がひとつ高鳴った。
これで二勝一敗。あと一勝でこちらの勝利が決まるのだ。
その一勝を「決めて来い」と言われた。館長の命令は絶対。この際の返事は一つしかない。
「押忍!」
大きく声をはりあげ、副将辻希美が前に出る。
「がんばれ」と愛も声をかけると、確認する様に振り返る。
「愛ちゃんの出番はないれすよ」
「始めからそのつもりやよ」
「師匠……」
一方の保田チームには暗雲たるムードが漂っていた。
弟子三人で壁に突き刺さった保田を下ろす。
道重が心配そうに保田を揺り動かすも、まるで起きる気配がない。
禁断の毒手にまで手を染めたあの恐ろしい師匠が、こんなにも呆気なくやられるとは。
にわかに信じられる出来事ではない。
「さゆ、心配なか!うちと美貴さんで二連勝すればよか話たい!」
準備運動しながらそう言い放つ田中。しかしここで藤本から思わぬ返事が返ってくる。
「悪いけど、私は観戦に来ただけ……闘う気はない」
「ちょっと今さら何言っとー!」
「それにこれは元々保田圭と安倍なつみの喧嘩だ。たとえ私達がこのあと二連勝した所
で何の意味も無いさ。もう保田圭の負けで、安倍なつみの勝ちなんだよ」
「……ぐっ」
「それより早い所、医者に見せた方がいい。ほうっておいたら死ぬぞ、お前らの師匠」
「知らなか!」
「れいな…」
「あいつら皆殺しにすればよかたい!師匠もそれを望んでる!」
へそを曲げた田中に道重が声をかけるが、田中の腹の虫はもう収まらない。
なんだかんだ言っても、師匠は師匠である。
保田圭の八極拳をもっとも正当に受け継ぎし娘が、飛び出す。
対戦相手が飛び出して来て、初めて辻希美は気付く。
「あーーーお前!!トーナメントに出てた田中だぁ!!」
(今頃、気付いたと?このガキ)
れいなの顔がひきつる。
「ほんとだー!!えーどーしてぇ?敵やったんかぁ?」
「あっ、ほんとだべさ」
そう言われて高橋と安倍もやっと気付いた。
(やっぱ皆殺しばい、こいつら…)
れいなの顔がさらにひきつる。
「でも矢口さんに秒殺された子やろ。楽勝やわ」
「ののー、秒殺しろ」
「アーイ」
(100%……)
れいなのスイッチは完全に入ってしまった。
一体どうなるこの対戦?
『副将戦!!辻希美vs田中れいな!!』