公式本

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1名無し募集中。。。
まず、どこに売ってるの?
それと、本屋の中のどこに置いてあるの?
2 ◆3A9B...... :04/02/20 06:33 ID:619xXeUR
2get
3ねぇ、名乗って:04/02/20 17:12 ID:SVOmlCZn
>>1 モーヲタコーナー
判らなきゃ店員に、
「モーヲタサイクリストとか、モーオタマガジンって何処に有りますか。」
と訪ねると教えてくれる。
4ねぇ、名乗って:04/02/21 02:10 ID:fBp0EeyD
てすt
5ねぇ、名乗って:04/02/21 02:11 ID:fBp0EeyD
てすt
6ねぇ、名乗って:04/02/21 02:11 ID:fBp0EeyD
てすt
7ねぇ、名乗って:04/02/21 02:12 ID:fBp0EeyD
てすt
8ねぇ、名乗って:04/02/21 02:12 ID:fBp0EeyD
てすt
9ねぇ、名乗って:04/02/21 06:35 ID:fBp0EeyD
ハロー!プロジェクト大百科
http://ex4.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1076678284/
10ねぇ、名乗って:04/02/22 01:45 ID:gfknwhHc
11名無し募集中。。。:04/02/22 06:33 ID:tUeD4vsO
再利用期待sage
12ねぇ、名乗って:04/02/23 01:10 ID:/FraI3Eu
さげ
13名無し募集中。。。:04/02/23 21:28 ID:uXYJueWr
14名無し募集中。。。:04/02/24 06:38 ID:zF/juoM9
hozen
15名無し募集中。。。:04/02/24 23:08 ID:vD/LE2M8
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16名無し募集中。。。:04/02/25 21:07 ID:RPveozBE
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17名無し募集中。。。:04/02/26 06:45 ID:rlXdqWX0
18名無し募集中。。。:04/02/27 04:26 ID:hCeocBAK
ほほ
19名無し募集中。。。:04/02/27 17:12 ID:wQv8QhaQ
保全
20名無し募集中。。。:04/02/27 21:19 ID:Ed/7ZuCW
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21名無し募集中。。。:04/02/27 21:19 ID:Ed/7ZuCW
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22名無し募集中。。。:04/02/27 21:20 ID:Ed/7ZuCW
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23名無し募集中。。。:04/02/27 21:20 ID:Ed/7ZuCW
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24名無し募集中。。。:04/02/27 21:21 ID:Ed/7ZuCW
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25名無し募集中。。。:04/02/27 21:21 ID:Ed/7ZuCW
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26名無し募集中。。。:04/02/27 21:21 ID:Ed/7ZuCW
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27名無し募集中。。。:04/02/27 21:22 ID:Ed/7ZuCW
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28名無し募集中。。。:04/02/27 23:37 ID:33fYz/rK
29名無し募集中。。。:04/02/28 06:32 ID:loDMyPkw
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30tes:04/02/28 10:26 ID:kN4Yn7cE
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31名無し募集中。。。:04/02/28 19:16 ID:zlFlTkuG
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32名無し募集中。。。:04/02/28 21:45 ID:y3ZOa/fF
保全
33名無し募集中。。。:04/02/29 06:30 ID:or1CH6Hy
34名無し募集中。。。:04/02/29 19:27 ID:kwX5E1yp
35ねぇ、名乗って:04/02/29 21:30 ID:kwX5E1yp
TEST
36名無し募集中。。。:04/03/01 05:58 ID:6DeX0duC
37名無し募集中。。。:04/03/01 20:33 ID:dTjPu4HX
ここ使っていいでしょうか
これの続きです

http://ex4.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1068302424/
38名無し募集中。。。:04/03/02 04:32 ID:J0N8QyPW
あい
39名無し募集中。。。:04/03/02 08:30 ID:KOqXIaUx
>>37
移転待ち保全
40名無し募集中。。。:04/03/02 23:53 ID:JaI2gUVz
40
41ayaya:04/03/03 17:31 ID:LZLVyrmi
早く斬られたいよ
42名無し募集中。。。:04/03/03 20:56 ID:cZhwF5yU
三、秘剣

藤本は居場所を追われ、道場の裏手をぐるりと回り、
脇の小さな蔵の横を歩いていた。

右手を見つめる。
刀の柄の感触と、枝の手ごたえが残っている。
まだ足りないか。まだ。

「ヤァアアアアア」
開け放たれた道場の戸から、若々しい気合の入った叫びが漏れ聞こえてくる。
ふと、足を止める。
おとめ組の田中れいなの声。

見ると道場の中には二人しかいない。二人とも防具姿で竹刀を構えている。
壬生娘。組は、決められた任務以外の時は遊んでいようと、
体を鍛えていようとその隊士の自由である。
藤本の立つ側とは反対のほうの戸から傾きかけた陽光が中に入り込み、
二人の影を長く伸ばしている。

田中の相手をしているのは、動きの癖から言って、さくら組の亀井絵里か。
亀井は途中から藤本の姿に気がついたのか、
時折、気にするようにちらちらと見ている。

「えり! なによそ見しとう!」
田中が容赦なく、亀井に竹刀を打ち込む。
板を踏み鳴らす音と、はじき合う竹刀の乾いた音が、
しんとした広い道場の中に響く。
43名無し募集中。。。:04/03/03 20:57 ID:cZhwF5yU
また歩きはじめる。
どこか厳粛な空気に支配されていた道場内とは対照的に、外は蝉の声がうるさく、
日が陰ってきたとは言え、夏の陽光の照りつけがまだ厳しい。

屯所の境の垣根のほうでは、相変わらず近所の子供たちが騒がしく駆けずり回っている。
今度は辻と一緒らしい。
辻はあらん限りの力で子供たちと一緒になって走り回っている。
その笑顔はまるで子供たちと変わらない。

子供たちを構う隊士の中でも、特に辻はいつも近所の子供たちと遊んでいる印象がある。
あの、鴨川の河原で対峙した獣と同じものとは、今ではとても思えない。
壬生娘。組に藤本が入って以来、あの恐ろしい速さの突きを繰り出した狼の面影を、
藤本はまだ見ていない。

しかしそれにしても、先程の道重といい、いくら子供とは言え、
そもそも部外者をそうやすやすと屯所内に入れてしまっていいものなのだろうか。
自分の知っていた壬生娘。とは、だいぶ印象が変わったように思う。

藤本は実は以前、隊士を募集に来ていた壬生娘。に入隊を志願したことがある。
志願と言うよりは、とりあえず身を隠す場所を探していたと言ったほうが正しいかもしれない。
人を斬って、追われていた。
つんくとも、そこで出会った。
44名無し募集中。。。:04/03/03 20:59 ID:cZhwF5yU
その頃の壬生娘。はもっとぎらぎらと、
抜き身の刀のような人間が多く殺伐としていた印象がある。

最近の噂を少しは聞いている。
時が経ち、組織としての黎明の時期を過ぎたことで、
組織外より、組織内での地位確保に意識を割く者が増えているのではないかと。

曰く、壬生の狼は京の贅沢な暮らしに慣れ、腑抜けている。と。

壬生の狼を変わらず畏れつづける者がいた一方で、
死中に身を置く過激派浪士の先端では、そう嘲る者もいた。

慣れとは、頭では分かっていても、逆らうのは言うほど容易なことではない。
そこにはどうしようもない、時の流れの圧力のようなものが存在する。

たとえばこの二百五十余年の泰平の世の間に失われた数々の物もそうであろう。
実質失われて久しい、武士の道というものなどもそうだ。
個人の剣でさえ、常に鍛錬を続けなければ現状を維持することさえままならない。
それはいわば、人の業のようなものなのかもしれない。

「ヤァアアア!!」
叫び声と共に、竹刀が触れ合う乾いた音が、道場の中に響いていた。
45名無し募集中。。。:04/03/03 21:00 ID:cZhwF5yU
さくら組屯営内。
座敷の外の小さな庭先で、新垣里沙は一人腰を下ろし、悔やんでいた。
自らを責めていた。

あの瞬間、身がすくんだ。
藤州浪士、濱口優を捕えようとしたあの時である。
つまづいた亀井に後ろから寄りかかられ、思わずよろけて地面に手をついた。
隙を突いて浪士が斬りかかってきた。
そこをあの、藤本に救われた。

言い訳のしようがない。と新垣は思っている。
あの瞬間確かに、自分は死を感じ、身をすくませた。

それを覆い隠すために、とっさに亀井を責めた。
しかし、よろけてしまったのは自分に隙があったからだ。
今にして思えば、獲物を目の前にして気を緩ませてしまったような気もする。
そうでなければ、たとえ亀井が体当たりしてこようとも、決して揺るがなかったはず。
46名無し募集中。。。:04/03/03 21:00 ID:cZhwF5yU
そしてたとえ、よろけて手をついたとしても。
自分の心が据わっていれば、相手の反撃などものともしなかったはずだ。
藤本が現れなければ、自分はきっとあの時に死んでいた。

意識が、地の底に堕ちていく感覚に襲われる。
支えるように自分を抱きしめる。
自分に亀井を責める資格があるのか。

有野、濱口を捕えた後、屯所までの帰路を壬生娘。さくら組は隊列を組んで歩いた。
京の治安を守る壬生娘。の力を町に誇示するかのように、
浅葱色の隊服を一様に纏い、みな胸を張る。
黒地に赤く「娘。」の字を染め抜いた旗を掲げて歩く。

自分が憧れ続けた「娘。」の一文字。
しかしそれを、道の隅に避けた町の人々は畏れ、あるいは蔑みの目で見つめる。
新垣はその視線が嫌いだった。
47名無し募集中。。。:04/03/03 21:01 ID:cZhwF5yU
新垣里沙は、異国との条約締結により外交貿易用に開港された横浜の豪商の娘である。
そのため、入隊当初は隊の資金捻出のための縁故による入隊ではないかと、
陰で囁かれたこともあった。
他の隊士に比べて体つきが頼りなかったことも、噂に信憑性を持たせた。
町の視線はそれに似ている。

決してそのようなものによる入隊でないことを、自分は知っている。
しかし、多くの人にとっては事実などどうでもいいことなのだ。
彼らにとっては、自分の心の中にあるものこそ真実なのだろう。

そしてそれもきっと間違いではない。と新垣は思う。自分もそうだから。
真実とは一部の事実の中にあるものではない。
自分の心の中にこそ、真実はある。

だから。疑われているからこそ、自分は強くなければならない。
疑われている上に弱い者など、壬生娘。にはいらない。

少なくとも。自分の憧れるあの人は、こんなことで弱音は吐かなかったはずだ。
48名無し募集中。。。:04/03/03 21:02 ID:cZhwF5yU
辻はまだ子供たちと駆け回っている。
人外のような奇声の中から何とか聞き取れる内容から察するに、鬼ごっこらしい。

まともに鍛錬をしているのは、結局のところ田中くらいか。
現在出動中で留守にしている小川も、
普段は辻と一緒に子供と遊んでいることが多い。

局長の飯田は昼間から俳句を詠むと言っては部屋に篭り、
たまに息をついては、ぼうっと、ただ、天井を見つめている。

道重は子供と遊ばない時は一日中、
どこから見つけてきたのか、二尺はあろうかという大きな手鏡を両手で持って、
ひたすら自分の顔を見つめている。

おとめ組副長の石川に至っては、
暇を見て屯所を抜け出しては、さくら組の吉澤ひとみといつも何やら話込んでいるらしい。
ちなみにこの二人は、江戸の桃井道場に通っていた時代からの仲だという。
「位は桃井、技は千葉、力は斉藤」と言われた、江戸三大道場のあの桃井である。

今も屋敷の玄関で、さくら組を抜け出してきたのであろう吉澤と、石川が話している。
なにやら仲良さげに、互いに触れあい、笑いあっている。
藤本はふと、壬生娘。組の中で衆道が流行しているという噂を聞いたことを思い出す。
正直、少し気味が悪いと思っている。
49名無し募集中。。。:04/03/03 21:03 ID:cZhwF5yU
幹部も隊の緩みを感じとり、規律をより厳しくし、引き締めようとした時期があった。
しかし、隊士たちの目的意識を保ちつつ、強権で縛り付けるのは非常に困難なことでもある。
隊律に拘るあまり、多くの脱退者、粛清による死者を出したのも状況を難しくした。
そのことで隊自体の根幹となる有能な人材をも少しずつ失っていたのである。

だが、京都に勤王の志士のみならず、機に乗じた荒くれ者が溢れるこの時代、
組織が緩んでも不逞の輩が減るわけではない。むしろ増える。

壬生娘。組は佐幕の立場から、破壊活動を目論む勤王志士の摘発をその旨とはしていたが、
実際にはそれ以上に、勤王を騙るだけの只の盗人まがい、不逞浪士の数の方が遥かに多く、
日常ではそういった輩を取り締まる役目の方が多かった。

そのため人手の需要は増えつづけ、
ついにはより広い範囲の警備をする必要に迫られ、組を二つに分けるに至った。

しかし壬生娘。組を二つに分けるにあたって、
会府藩が京で一気に勢力を伸ばそうと目論んでいるのではないかという批判もあった。
またそれは、いたずらに隊士の質を下げ、壬生娘。組の存在自体を地に堕とすと。
50名無し募集中。。。:04/03/03 21:04 ID:cZhwF5yU
「エイ!」
新垣が一人悩んでいると、隣の庭から人の声が発せられていることに気が付いた。
垣根の隙間からそっと覗くと、紺野あさ美が虚空に向かって手刀を構えている。
「あさ美ちゃん……」

「エイ!」
紺野は額に浮いた汗をぬぐおうともせず、何度も何度も、ひたすらに拳を前に突き出していた。
「誰?」
気配に気がつき、紺野がこちらに構えた。

新垣がそっと出てくると、紺野は「里沙ちゃんか」と言って、構えた手を下ろした。
「唐手?」
「うん」
紺野の得意とする、琉球より伝わる組み打ちの術である。

新垣は近くの大きな石に腰を降ろして言った。
「偉いなあ、あさ美ちゃんは」
「……? 何が?」
紺野が不思議そうな顔をする。
51名無し募集中。。。:04/03/03 21:05 ID:cZhwF5yU
「いつもがんばってるからさ」
「えー!! 里沙ちゃんのほうががんばってるよ」
か細い声が裏返りそうな勢い。
「そんなことないよ。今だってちゃんと体鍛えてたじゃん」
自分はただうつむいているだけだ。

「ううん。……こんなんじゃ足りないよ」
紺野は口を真一文字に結んでいる。真剣な時に見せる顔。
「こんなんじゃぜんぜん敵わない」
「敵わないって……誰に?」
そこで紺野はまた口をつぐむ。しばらく固まった後、口を開く。
「……吉澤さんとか」
「とか?」
「うん」

吉澤ひとみ。さくら組二番隊組長であり、壬生娘。組全体の柔術師範も務めている。
流派は違えど同じ組み打ち術を使う者として、紺野は常に吉澤を意識している。
52名無し募集中。。。:04/03/03 21:05 ID:cZhwF5yU
「まあ、あの人はまた、特別だから」
新垣が苦笑いする。しかし紺野は真剣そのものの顔で言う。
「ううん。でもね。……殻が堅いんだよね」
「……?」
「うん。殻がね」
紺野はそこに何かがあるかのように、虚空を見つめる。

「殻、ねえ」
もしかしたら、紺野も自分と似たような悩みを抱えているのかもしれないと思った。
そういえば何故か彼女も最近、落ち込み気味のように思う。
読瓜藩の駕籠襲撃の時以来か。

「里沙ちゃんこそ、どうかしたの?」
「いや私もさあ……」
そう言いかけて、新垣は言葉を止めた。
「……いいや」
「?」
「ちょっと表に出てくる」
そう言って新垣は庭から出ていった。
後に残された紺野は去りゆく新垣の後ろ姿を見つめながら、首をかしげた。
53名無し募集中。。。:04/03/03 21:07 ID:cZhwF5yU
「はい」
目の前に黒い羽織が差し出された。
見ると吉澤が横に立ち、にっこりと笑っている。
隊士たちが配っていた壬生娘。組の新しい隊服だった。
石川との逢瀬はもう終わったらしい。

「ったく。これから夏って時に真っ黒って。
なんかうちって、衣装の趣味悪いんだよなあ。
ま、俺も人のこと言えないけど」

藤本は手渡された黒い隊服を見つめる。
確かに前の浅葱色の羽織は、実はあまり隊士に評判が良くなかったと聞く。
急でしつらえたために着物としての出来が良くなかったこともあるし、また、
芝居の忠臣蔵を手本にしたというその意匠は町中で着て歩くにはあまりにも派手で、
実のところ恥ずかしがる隊士も少なくはなかったという話もある。

そんな隊服の変化は、田舎から出てきた者が最初は目立つために派手なものを好み、
安定した地位を手に入れたところで、
落ち着きを求めはじめる心理にも通じるところがあったかもしれない。

「トォオオオオオオ!!」
道場から声が漏れ聞こえる。

「おおー、勇ましいね〜」
吉澤は楽しそうに道場のほうをちらっと見、そして藤本を見る。
「ちょっと出ないか?」
そう言って、屯所の外を指差した。
54名無し募集中。。。:04/03/03 21:08 ID:cZhwF5yU
新垣は黒い隊服を羽織って、一人で表に出た。
まだ初夏だし、日が陰って風が出てきているので、そう暑くはない。
新しい隊服には浅葱色のそれのような袖のダンダラ模様はついておらず、
前のものにくらべるとかなり地味である。

新垣は、同じ隊士の前ではあまり弱音を吐かない。
それは自分が弱者であってはならないとの思いからだ。

不動堂村を出て西本願寺の横を通り、烏丸通りを抜けて五条通りのほうへ向かう。
なじみの店へと足は向いていた。

通りの近くに来ると、ちょっとした人だかりが出来ていた。
「か、勘弁しておくんなせえ」
「ふざけるな! 貴様、我らのことを浪人者呼ばわりしたろう!」

野次馬をかき分けて騒ぎの中心を覗き見る。
どうやら、浪人者と店の主人が揉めているようである。
腰に二本の刀を差した男が四人。いかにも浪人といった感じで、身なりは汚く、顔も汚い。
その前で店の主人らしき男が膝をついて平謝りしている。
55名無し募集中。。。:04/03/03 21:09 ID:cZhwF5yU
「そんな、それはただの勢いで……決して貴方様方を悪く言うつもりじゃ」
「うるさいっ! そんな言い訳が通じるか!」
「ひええ」

珍しくもない。大方、自らを志士と偽って飯をたかり、
それを卑しく思った主人が思わず口をすべらせて、みじめな浪人の怒りを買った。
そんなところだ。

「我らはこの世を天子様の世たらんとする勤王の志士なるぞ!
喜んで飯を差し出すのが貴様ら卑しい身分の務めであろう!
それを貴様……腕の一本や二本で済むと思うなっ!」
「ひええええ」
「お父ちゃん!」

子供がいる。
新垣は人だかりの中心に歩を進めた。
勤務外とは言え、これも壬生娘。組に籍を置く者の務めだ。
「まーまーまー」
双方の間に入り、両手を広げる。

「なんだ! 貴様!」
さっきから口上をぶっている浪人は口から泡を飛ばしながら叫ぶ。汚い。
新垣はやれやれ、とため息をつき、顔を引き締めた。
「壬生娘。さくら組五番隊組長、新垣里沙だ」
「み、壬生娘。!」
周りに緊張が走る。
56名無し募集中。。。:04/03/03 21:13 ID:cZhwF5yU
しかし一瞬畏れの表情を見せたはずの男は、すぐに元の汚い顔に戻った。
「はあ? お前があ?」
(……ん?)
何かいつもと調子が違うな。と新垣は思った。

「嘘つくんじゃねえ。お前みたいなちっこいのが壬生娘。なわけねえだろ」
「そりゃそうだ」
残りの三人も合わせるように笑った。
(……あれ?)

「嘘ではない。私は壬生娘。さくら組五番隊組長、新垣里沙だ」
「ふざけるのも大概にしといたほうがいいなあ、お嬢ちゃん」
「へへへっ」

(……?)
いつもの感じと相手の反応が違う。
普段なら壬生娘。の名前を出すだけで、浪人どもは慌てふためき逃げていくのに。

顎に手を当て、小首をかしげた視界に、自分の黒い着物が入った。
それを見て新垣は重大なことに気がついた。
「あーーー!!」
「な、なんだ」
浪人たちがその大声に驚く。

いつもの浅葱色の隊服ではない。
新垣は、新しくしつらえたばかりの黒い隊服が、
壬生狼の恐怖の象徴として全く浸透していないことに気がついた。
57ねえ、名乗って:04/03/04 10:03 ID:y/k9AzGC
よっ! 待ってました!!
ニィニィうっかり杉。
58名無し募集中。。。:04/03/04 18:17 ID:kqw4EPfl

从*・∀.・从<…アーヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャ…。

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59名無し募集中。。。:04/03/05 12:33 ID:SsXvD5sh
↑あんた、他の小説でも見たぞw
60名無し募集中。。。:04/03/05 16:34 ID:SsXvD5sh
親切なんだな。
61名無し募集中。。。:04/03/08 18:27 ID:kQMARwzJ
保守
62名無し募集中。。。:04/03/10 16:26 ID:CYZP2t8k
保全
63名無し募集中。。。:04/03/10 22:12 ID:2cqp3uKB
「ェヤァアアアアア!!」
「痛っ!」
からん。と竹刀が床に落ちる音が道場内に響き渡ったあと、しんと静まりかえる。
亀井が床に腰をついている。

「えり、大丈夫か?」
なかなか立ち上がろうとしないのを見て、田中が駆け寄る。
亀井はうつむき、手首を押さえたまま動かないでいる。

駄目だ。全然敵わない。
面の防具の中で激しく呼吸を繰り返しながら亀井はそう思う。

旅籠の一件で何の役にも立てなかったことを自分なりに反省し、
休む間も無く田中の稽古にすすんで付き合った。
しかし、同じ時期に壬生娘。に入り、同じ経験を重ねてきたはずのこの娘に全く歯が立たない。

「よそ見なんかしてるからだ」
田中に言われてまた亀井はうつむく。

目を離すな。
ふいに、新垣に言われたことを思い出す。
64名無し募集中。。。:04/03/10 22:14 ID:2cqp3uKB
「うまい茶店見つけたんだよ」
どこへ行くのかと問いかけた藤本に対して吉澤はそう答えた。

不動堂村屯所を出て、西本願寺の横の通りを歩いていた。
二人とも新しい黒の隊服は着ていない。暑いからいいよ。とは吉澤の弁である。
じゃあ何故、隊服を渡しに来たのだ。とは藤本も聞かなかった。

「そこの干菓子がおいしくてねえ。なんかすごいんだよ。
口に入れた途端、こうしゅっと、なんとも言えない甘さが口いっぱいにさあ。
京菓子ってのはすごいねえ」
顔が本当に嬉しそうだ。

「それでそこのオヤジがさあ――」
藤本が聞きもしない話を一人で勝手に喋り続ける。
なるほど。と藤本は感じていた。
多少馴れ馴れしくされても、不思議と嫌悪感を覚えない。
確かにこの娘には、何か引き寄せられる魅力があるのかもしれない。
とにかくこの娘は隊士の間で妙に人気があるのだ。衆道の疑いを持たれてしまうほどに。
65名無し募集中。。。:04/03/10 22:15 ID:2cqp3uKB
しかし藤本は回りくどいことが好きではない。
他愛も無い雑談が途切れたところで、早々に切り出した。
「それで、どういうつもりだ」
「……何が?」
「私に用があるのだろう」
「だからあ、うまい茶店が」
黙って吉澤を見つめる。

吉澤はつまらなそうに口を「へ」の字に曲げる。
「別にぃ〜。親交を深めようと思っただけだよ。
だってさあ、あんたいっつもぶすっとしてるじゃん? ほら、こんな風に」
わざと口の「へ」の字を強調して顔を近づける。
しかし藤本にはちっともおかしくない。

「やっぱ先輩としては心配じゃん? まだ入ってきたばっかりだしぃ〜。
もしかして藤本ちゃん、おとめ組でいじめにでもあってるのかなあ、なんて」
藤本の表情は全く変わらない。
吉澤はそれを見てため息を一つつく。
つんくといい、藤本を相手にするとこういう態度になってしまう人間が多い。

吉澤は仕切りなおすように、西のほうが橙色に染まり始めた空を見上げながら言った。
「読瓜駕籠襲撃の時にいたの、あんただよね」
66名無し募集中。。。:04/03/10 22:18 ID:2cqp3uKB
「な」
「……な?」
浪人が新垣の発した言葉を繰り返す。

「なーんてこった! ……みたいな」
笑顔でおどけてみせる。目尻のあたりがひくひくと引きつっているのを感じつつ。
「ぁあ? なんだぁ?」
余裕が出てきたのか、壬生娘。の名前に一度は怯んだ浪人たちは、
触れ合わんばかりのところまで顔を近づけて凄んでくる。
やっぱり汚い。それに臭い。

「本当に壬生娘。組なんですけどねえ……」
新垣は眉をしかめて浪人の顔を避けながら言う。
「信じてくれません?」

「ぁあ?」
また後ろの「あ」の声を一段上げて凄む。あまり語彙は無い人たちらしい。
せっかく避けたのにまた顔を近づけてくる。

「逃げて、くれませんかねえ?」
「何言ってんだあ?」
「やっぱり、駄目ですか」
「……お嬢ちゃん」
後ろから別の浪人が出てくる。
67名無し募集中。。。:04/03/10 22:19 ID:2cqp3uKB
「大事なところを邪魔してくれたんだ。それなりの覚悟はあるんだよなあ?」
「だ、大事なところ?」
「そうだぁ。われら天朝さまの世を作らんとする勤王の志士が腹をすかしておるんだ。
逆らうような佐幕の犬は懲らしめてやらんとなぁ」
「……はぁ」
(なんだかなあ……)

浪人がいやらしい視線を新垣の体中にまとわりつかせる。
(うわあああ。気持ち悪い)

「見たところ身なりはご立派なようだぁ。さすが壬生娘。の隊長さんだぁ」
後ろの三人がげひげひと笑う。
(これは、信じてくれてないんだよなあ)

「おまけによく見りゃ、腰にも立派なもんをちゃんと二本差してるぁ。
どうよ? そのご立派な刀と、着物をここに置いていったら、見逃してやらんでもないぁ」
「いえいえいえいえいえ。それは、駄目です」
両の掌を物凄い勢いで振る。それは駄目だ。本当に。
「見逃してやるって言ってるんだやぁ」
「いえいえ、いいです。ていうか見逃すのはこっちですし。
いや見逃さないですし、できれば」

「ぁあ? じゃしょうがねえなあ」
急に声が大きくなる。
「かわいそうだが、お嬢ちゃんには見せしめになってもらうかなあ」
「いえいえいえ、それも困ります」
68名無し募集中。。。:04/03/10 22:20 ID:2cqp3uKB
「なんだそれは」
藤本は言った。表情は全く変わらない。
「ふ〜ん」
吉澤は藤本の顔をまじまじと見つめながら言う。どんな変化も見逃さないという顔。
しかし藤本がこういうことで“ぼろ”を出すことはない。

読瓜駕籠襲撃の時、藤本と直接対峙した壬生娘。は飯田、紺野、辻の三人のみである。
本人たちには固く口止めされ、他の隊士には能面の襲撃だけが伝えられている。
他に知っているのは事情を聞いた石川だけだ。
たとえあの場に吉澤がいたとしても、
あの暗闇では対峙するほど近くまで来なければ藤本の顔は見えない。

そもそもあの時点では誰も藤本の顔など知らないのだ。
顔見知りがあの場いたならば気づくこともあるかもしれないが、
あの場にいた者と後に別の場所で出会ったところで、そう簡単に気づくはずはない。

「いや、いいのいいの、どういう反応するかちょっと見てみたかっただけ。
俺そういうのは興味ないから」
吉澤は視線を外す。
「興味あるのは、どちらかと言えば生身のあんたのほうだし」

藤本は瞬時に吉澤が石川と一緒にいるところを思い出し、身を少し引いた。
「いや、そういう意味じゃなくて。……面白いな、あんた」
吉澤は妙に嬉しそうににやりとする。

「まあ、それは置いておくとして。いい感じだから。あんた」
「?」
「刺激になるよ。いい意味で」
吉澤の言わんとするところが分からない。
69名無し募集中。。。:04/03/10 22:21 ID:2cqp3uKB
歩きながら吉澤は、うん、と背伸びをする。
「今の壬生娘。はさ、ほら、色々言われてるじゃん。知ってるだろ?」
藤本は何も言わない。しかし吉澤はそれを同意と受けたように続ける。
「腑抜けたとか、餓鬼の集団とか、壬生の犬っころ、とか」

変化するということ。
特に、何か形のあったものが少しずつ崩れていくといったとき。
そこには抗いようの無い、時の圧力のようなものがある。

たとえばこの二百五十余年の泰平の世と引き換えに、失ったものが多くある。
武士のありようなども随分と変わった。

戦乱がなくなっても尚、特権階級でありつづけた武士という存在は、
長い平安の年月を経て、やがてその存在自体に自己の価値を見出すしかなくなり、
兵士という本質を少しずつ変容させていった。

礼儀、作法、精神性、様式。
戦の存在しない世で自己の存在を保持しようとする中、武士たちは自然と、
実戦と何ら関わりのない細かな部分により価値を見出すようになり、
結果として、実戦力を少しずつ失っていった。

江戸の時代は、茶道、華道といった『求道』の文化が爛熟した時代でもある。
鎖国により海外文化の流入が皆無であったという背景もあり、その様式の独自性は粋を極めた。
士道もそれに似た。

茶道、華道は泰平の世で文化としての様式の美を極めた。
しかし士道は本来、戦いの具である。
70名無し募集中。。。:04/03/10 22:22 ID:2cqp3uKB
そもそも黒船の来航に始まったこの混乱の時代に、
幕府が壬生娘。組という浪人集団の力に頼らざるを得なかったのは、
泰平の世を経て、幕府の戦力の多くが役に立たない無用の長物と化していた実情からきている。
数だけならば旗本八万騎とも言われる膨大な兵を抱えていたにも関わらず、である。

無理からぬ面もある。
実質的な存在意義を失い、その名誉ある身分にすがるしかなかった末端の下士は、
その日の食い物のために裕福な商人に媚びへつらい、
城に登る上士は、己の地位を維持するために剣より政治力を磨くしかなかった。

そんな中、田舎から現れた壬生娘。という浪人による実戦集団が、
士道というものに妙に拘ったのは、なにかの皮肉のようでもある。

そして今、その泰平の世に武士を蝕んだ時の圧力が、
今度は壬生娘。という組織を侵そうとしている。

「何かの刺激が必要だったのかもしれない」
吉澤が言った。
自分のことを言っているのか? いや、自分にそんな力はない。と藤本は思った。
「そうでもないさ」
藤本の心を見透かしたように吉澤が言う。
「もう、変わり始めてる奴もいるみたいだしね」
71名無し募集中。。。:04/03/10 22:22 ID:2cqp3uKB
「……大丈夫」
心配する田中に向かってそう言い、亀井は立ち上がった。
竹刀を拾い、構える

旅籠への突入は、結局一度も刀を誰に触れることすら無く終わった。
亀井が斬るべき相手は藤本によって斬られてしまった。
あれ以来、亀井はなぜか藤本を見かけると、ついなんとなく、
姿を盗み見てしまうようになった。

田中の稽古に付き合う気になったのも、藤本の剣を見たことと無縁ではない。
あのとき、藤本の剣に見とれた。
きらめく陽光の下に現れた野生の獣は、美しい舞いのようにしなやかに刀を振るった。

決して、人を斬りたいと思っているわけではない。
だが壬生娘。としてやっていく以上、斬らなければとも思っている。
たとえそれが他人の生を一方的に、完全に奪い去ることだとしても。
それでも亀井は、京の治安を守る壬生娘。に入りたいと思ったのだ。
72名無し募集中。。。:04/03/10 22:23 ID:2cqp3uKB
「ヤァ!」
自分を奮い立たせるように声を出す。

目を離すな。と新垣に言われたとき、どきりとした。
町人の冷たい視線に耐え切れず、思わず目を伏せてしまった心を見透かされたと思った。
自分に自信が持てない。
胸を張って、私は壬生娘。だ。と言えない。

「ヤァァァァ!」
目の前に立つ田中は、きっとそんなことは超越している。
自分が壬生娘。かどうかなんてことより、きっともっと先のことを見つめている。
焦ってしまう。
うまくいかないとすぐに自分で思い込み、すぐにうつむいてしまう。

胸を張れ。と以前、新垣に言われたことがある。
あれもきっと、そういう意味なのだ。
73名無し募集中。。。:04/03/10 22:27 ID:2cqp3uKB
自分の存在が周りを変える。
悪い意味でならともかく、良い意味でそんなことがあった経験が藤本にはない。
それは常に藤本が独りでいたことが大きな要因なのだが、経験の無い藤本には分からない。

藤本には正直なところ、吉澤の言いたいことがよくわからないでいる。
吉澤の狙いが何なのか。この娘は何を知り、何の目的で自分に近づいてきているのか。

僧侶の行列と行き違う。
大きい笠を被り、皆一様に顔を伏せて静かに歩いている。
特に寺社の多い京都では、このような光景も珍しくない。

人の流れが増えてきている。
商店の建ち並ぶ場所に近づいているせいだ。
吉澤の言う茶店はその中にあるらしい。

気がつくと、藤本は無意識にあやの姿を人ごみの中に探している。
こんな場所にあやがいるはずは無い。
しかし、もしかしたら。その可能性をぬぐいきれない。
いや、冷静に考えればそんなことは徒労でしかないことはわかっている。
しかし、もしかしたら。
町に出るたびに、そんな思いを繰り返している。
74名無し募集中。。。:04/03/10 22:28 ID:2cqp3uKB
「おー。よっちゃん、休みかい、どうよ、食ってかないかい」
「あははー、またねー」
「よっちゃーん。活きのいいのが入ったんだよ。帰りに寄ってってなー」
「おっちゃんいつもありがとー」
「よっすぃ〜」
「はーい」
大きい通りに出ると、吉澤に声をかける人間の多さに驚く。
老若男女、年齢性別を問わず吉澤を見つけるとみな気軽に声を掛けてくる。
吉澤はそれにまんべんなく笑顔で応える。

「この辺は馴染みなんだよ」
吉澤が言う。
飯田並みに背が高く。肌の透けるような色の白さに、朗らかな笑顔。
男ではないが、いわゆる美丈夫。といったところだろうか。

泣く子も黙る壬生娘。さくら組二番隊組長ではなく、
ここでは隊服を纏わない吉澤ひとみのほうが顔が知れているように見える。
もしかしたら隊服を着てこなかったのも、あえてだったのかもしれない。

それを聞くと、
「俺らって、京都の治安守るのが仕事だからね」
と吉澤は答えた。
75名無し募集中。。。:04/03/10 22:28 ID:2cqp3uKB
「おおい、ひとみちゃん」
一人の老人が近づいてきた。
「おー。石松のじいちゃん、元気?」
「あっちのほうで、なんか騒いどるがの」
老人が通りの先を指さす。
確かに人だかりができている。
「あれ、お前さんところの子じゃないかい」
「へえ?」

「ちょいとごめんよ」
老人の言った人だかりの中に入った。
間を抜けながら、人々の会話が耳に聞こえてくる。

「また、あいつらや」
「最近ここら荒らしとるらしいで」
「伏見の同心もやられちまって手を焼いてるって聞くが」
「くわばらくわばら」
「あのおチビちゃん危ないんやないかね」
「誰か助け呼んで来なはれ」

「およ?」
人だかりを抜け、吉澤と藤本が顔を覗かせると、
その中心に四人の浪人風の男と、新垣が立っていた。
76名無し募集中。。。:04/03/11 16:36 ID:ptZg0QvH
  ⊂ヽ
   ノノノハヽ
    从‘ 。‘ 从 <マギマギ先生〜
    / つ |
77名無し募集中。。。:04/03/12 21:03 ID:aZntrtya
新垣はどうなるんでしょうかー。楽しみであります。
78名無し募集中。。。:04/03/14 19:36 ID:K0qh4EEO
「回りくどいのは終わりにしようか、お嬢ちゃん」
中心にいる髭を生やした浪人が腰の刀に手を添え、脅すように鯉口を切った。

「ちょ、ちょっと待ったあ!」
新垣が手を伸ばす。
「なんだ?」
「抜くんですか?」

「……どういう意味だ?」
「いいんですか?」
「はぁ?」
「抜いちゃうんですか」
そう言って新垣は右足を前に出し、すっと腰の刀に手を沿える。

ざわめきが人だかりの中から湧き上がる。
「ひゃっはっは! 脅してんのかい? お嬢ちゃん」
後ろの浪人が楽しそうに笑い出した。つられて他の浪人も笑い出す。
「いいぜえ、こっちも居合で勝負してやる」

新垣は黙って浪人たちを見据えたまま、鯉口を切り、心の中で思った。
(槍持ってくれば良かった……)
79名無し募集中。。。:04/03/14 19:37 ID:K0qh4EEO
「あははは。固まっちゃってるよ」
吉澤が本当に楽しそうに笑った。

人の輪の中心で、新垣と四人の浪人風の男が睨みあっていた。
横で、どうやら近くの店の主人らしい親父が地面に膝を尽き、
庇うように子供を抱えている。

見たところ諍いは行くところまで行ってしまったらしく、
既に互いに刀の鯉口を切り、睨み合っている。

しかし吉澤はその光景をにこにこと見守るだけで、
争いを止めようとか、そういうつもりが見られない。
むしろ野次馬と一緒になって楽しんでいる様子だ。

「娘相手に男四人とは、大人気ない」
近くの町人が囁く。それを聞いて吉澤は、
「ふふん」
とまた笑う。

対峙した五人は、じっと睨み合ったまま動かないでいる。
「……あれ?」
すると吉澤が、何かに気がついたように藤本に向かって不思議そうに言った。
「助けに行かないの?」

それはどちらかと言えばこちらの言葉だろう。と藤本は思いながら、
「必要なのか?」
と答えた。

「ちぇー」
吉澤はあからさまに不満げに口を尖らせた。
「可愛くないの」
80名無し募集中。。。:04/03/14 19:38 ID:K0qh4EEO
新垣には多少の抜刀術の心得はあったが、槍のほうが得意としている。
それに槍の間合いの長さがあれば、往来で複数の相手にもやりやすかっただろう。
とは言え、非番に槍を持って町中を歩くというわけにもいかないが。

ごくりと喉が鳴る。
唾が居心地悪そうにゆっくりと喉の中を通っていくのを感じて、
新垣は初めて喉がからからに渇いていることに気がついた。

(……暑い)
日が傾いて涼しくなってきたと思ったので羽織ってきた新しい隊服だが、
今ではそれが重く、暑い。
なんでこんなものを着てきてしまったのだろう、と少し後悔をする。

新垣が鯉口を切ったことで、後ろの三人も既に鯉口を切っている。
一対四。数的には圧倒的不利。

立ち回ろうと思って立ち回れない数ではない。
しかし。
周りには大勢の人だかりができている。
できれば抜きたくない。一人であの視線に晒されてしまう。
人斬りと畏れ、蔑む視線に。

「なんだ、ビビッてんのかい、お嬢ちゃん?」
浪人が楽しそうにぺろりと舌なめずりをした。
「へへ、勤王の志士に逆らったらどうなるか、教えてやるぁ」
81名無し募集中。。。:04/03/14 19:39 ID:K0qh4EEO
「…………だ」
新垣はぼそりとつぶやいた。
「ぁあ?」
「……なにが、勤王の志士だ」
店の主人は地面に膝をつき、小さな子供を抱えて怯えるように、がたがたと震えている。
子供は、顔は涙でぐしゃぐしゃになり、引きつけを起こしかけている。
恐怖で大声も出せずにいる。

「口ばっかりで自分をかえりみない」
声を張る。
「お前らなんかに、いい世が作れるはずない」
そうだ。だから自分はあの人に憧れ、壬生娘。に憧れ、入ったんだ。

「てめえ!」
浪人が叫ぶ。
(とにかく、まず一人。なんとしても先に斬る)
新垣は腰を落とし、臍に力を入れ、目に気持ちを込めた。

――(新垣、抜き打ちというものはね。鞘の中で勝負が決まる)
心の中で、かつてあの人に言われた言葉を反芻する。
(抜いた瞬間に、勝負は決まっているんだよ)
82名無し募集中。。。:04/03/14 19:40 ID:K0qh4EEO
ぴくりと浪人の手が動く。
新垣も反応してぴくりと手を動かす。
浪人の手が止まる。
新垣も手を止める。

(一太刀で決めろ。抜く時は克つ時だ)
胸が高鳴る。
構える目の前の男の姿に、新垣はまた地の底に堕ちていく感覚に襲われそうになる。
死の恐怖。

(やる気のない餓鬼を前に立たせるな)
突然、藤本に言われた言葉を思い出す。
まだ自分はそんなものに囚われているのか。
腹が立った。

(くっそー)
あの藤本の仏頂面と共に、悔しさがふつふつとよみがえる。
やる気がないわけないじゃないか。
奥歯をぎりぎりと噛み、堕ちようとする意識を繋ぎとめるように目の前の浪人を睨む。
やる。やってみせてやる。
左手で鞘をやや外向きに傾ける。
83名無し募集中。。。:04/03/14 19:40 ID:K0qh4EEO
(……ん?)
しかし、しばらくして新垣は浪人たちの仕種に違和感を覚える。
すっと、右足を指先一個分、進めると、
浪人の足が指先一個分、下がるのだ。

右足を更に進める。
やはり浪人たちは同じ分だけ引く。
(……?)

おかしい。連中が引いているように見える。
さっきまであんなに強い態度だったのに。

相手が引き腰では間合いが詰まらない。
このままでは埒があかない。
それとも、何かを狙っているのか。

(……試す、か?)
新垣は、右足をどんと踏み鳴らした。
「抜くか! 抜かないか!」

それでも浪人たちは刀を抜こうとしない。
むしろそれどころか新垣の挑発を受け、もっとはっきりと、恐れの表情をあらわにしたのだ。
(……あれ?)
84名無し募集中。。。:04/03/14 19:44 ID:K0qh4EEO
すうっと鼻の穴を大きくして、息を吸った。
「なんだ貴様ら! はっきり、しろ!」
大きい声で叫んだ。実は細かい駆け引きは苦手である。
すると先頭の浪人があからさまに後ずさり、
ついには後ろの浪人が押され、その勢いで、どん、と尻餅をついた。

野次馬から失笑が漏れた。
「お、おい」
周りをちらちらと見ていた別の浪人が、後ろから囁く。
「くっ」
先頭の浪人がまた半歩後ろに下がった。
「どうした!」

「今日は見逃してやる!」
四人が新垣に背を向ける。
「え?」
「どけっ!」
浪人たちが、自分の後ろの人垣を押す。
「あれ、ちょっと――」
しかし新垣の声を無視して、四人は足早に人ごみを掻き分けて消えていった。

(ええーーーーー??)
ここまで覚悟を決めていたのに、なんと拍子抜けな。
なにか損をしたような気分。
「……なんだあ?」
新垣は呆然とその場に立ち尽くした。
85名無し募集中。。。:04/03/14 19:45 ID:K0qh4EEO
「修業が足りんのう、ガキさん」
吉澤がつぶやく。顔は変わらずにこにこと笑っている。
もちろん吉澤と藤本の二人は何もせず、ただ成り行きを見ていた。

見た瞬間から分かっている。
あんな浪人など、たとえ四人がかりであろうと新垣の敵ではない。
そうでなければ壬生娘。の隊長など務まるわけがない。

本気で対峙してみてはじめて、やっと浪人たちには見えたのだろう。
新垣の中に棲む獣が。
新垣が覚悟を決めた瞬間に勝負は決していた。

剣の未熟な者は、見ただけでは相手の技量を測ることができない。
もっとも、新垣自身も相手の弱さに気がつかなかったようだが。

「壬生娘。の組頭としちゃあ、まだまだ」
吉澤が言った。
86名無し募集中。。。:04/03/14 19:46 ID:K0qh4EEO
「ふう」
新垣は深く息を吐いた。肩の力が抜ける。
何が起きたのかよく分からないが、とにかく危機は去った。

「お豆ちゃん、大丈夫?」
「だいじょうぶ〜?」
人の群れの中から、二人連れの子供が近づいてきた。
近所の、新垣が行こうとしていた馴染みの店の姉弟だった。

「あはは〜、緊張しちゃったよ」
それを見て新垣の顔に安堵の表情が戻る。

(ま……いいか)
傍の店の子供を見る。顔の涙と、地面の土でぐちゃぐちゃだ。
この子らを救えただけでも、良しとしよう。

「お侍様、本当にありがとうございます」
救われた店の主人が横に立っていた。膝から、肘から、地面の土で汚れている。

「いいえ。ええっと、ああいう人たちの扱いは気をつけてくださいね」
「はい、本当に、ありがとうございます」
主人は深々と頭を下げる。

人の群れが、新垣をじっと見つめていた。
畏れと、蔑みの視線の記憶が蘇る。
87名無し募集中。。。:04/03/14 19:48 ID:K0qh4EEO
(新垣、つらいときこそ胸を張れ)
昔、あの人に言われた言葉を思い出す。
いじけて猫背にならないように、自分でもおかしいくらいに胸を張った。

すると、新垣を囲む人の群れ中から、ぱらぱらと音が聞こえてきた。
拍手だった。
「ええぞ! お嬢ちゃん」
「かっこよかったでー」
「ようやったー」
「あんた見かけによらず強いんやねー」

「あ、あれ? あは。あはは〜」
それは新垣にとって、思いもよらないことだった。
あの畏れと蔑みの視線を送っていた町人たちが、自分に。
「いやあ」
照れながら頭を掻いた。

ふいに、熱いものがこみ上げてくる。
新垣はそれに耐えるように、強く胸を張る。
張った胸で拍手を受け止める。

「好きだあ、壬生娘。」
小さくつぶやいた。
88名無し募集中。。。:04/03/14 19:48 ID:K0qh4EEO
野次馬が徐々に散っていく。
新垣はぐしゃぐしゃになった子供の顔を羽織の袖でぬぐってやる。
新しい黒い隊服は、思うように涙を吸ってくれない。

「あ、かわいい」
馴染みの店の姉弟の弟のほうが言った。

子供らしい、小さな赤いかんざしが、髪から外れかかっている。
「あれー、本当だ。かわいいね」
そう言いながら、新垣は子供のかんざしを挿しなおしてやる。

「今はね〜、こう挿すのがお洒落なんだよ〜」
新垣の育った横浜は、異国と貿易を交わし、
流行の最先端を行く大きな商業都市になりつつある。
横浜育ちの多分に漏れず新垣もお洒落にはうるさい。

新垣がにこりと笑顔を見せると、子供もにこりと笑って返す。
「さすがだね〜、お豆ちゃん。羽織の着こなしもかっこいいよ」
姉弟の姉が言う。
89名無し募集中。。。:04/03/14 19:49 ID:K0qh4EEO
「羽織……」
またもやもやとした感情が戻ってくる。
隊服を着て出かけたのは、
壬生娘。の名前が通ればみな畏怖するだろうという甘えが、心のどこかにあったからだ。
「壬生娘。って名乗っても信じてくれなかったんだよね……」
がっくりと頭を垂れる。
「お豆ちゃんどうしたの〜?」

「その上、なんか知らないうちに勝手に逃げちゃうしさ」
「おかしいよ〜?」
「なんだかよくわかんないよ」
膝に顎を乗せ、眉をしかめる新垣に、
姉弟の姉が小さな手をそっとのばし、頭を撫でる。
「しっかりしなよ〜」
「娘内じゃ弱音吐けないしさー」

(あの人が今の自分を見たら、なんと声を掛けてくれただろう。あの人なら……)
うつむいたまま、いじけていると、
新垣の目の前にひとつの人の影が現れ、新垣に重なり、止まった。
新垣は影の主を見上げた。
太陽を背にした、その人影の主は……。
90名無し募集中。。。:04/03/14 19:56 ID:0A5uNcOP
「……なんだ、矢口さんか」
新垣はあからさまに肩を落とした。
(よく考えたら、今ここにいるわけ無いんだよね)

「悪いか」
矢口がむっとした表情で見下ろしている。
数人の、そろいの新しい隊服を羽織った隊士を引き連れている。
どうやら市中の巡察中らしい。

「いいえ、矢口さんも、かっこいいですよ」
新垣は矢口を見上げながら言う。まだどこかいじけている。
「なんだその言い方」
「本当ですって」
「ふん」

「そんなことより、お前こんなところで何してるんだ」
と、矢口は傍の子供を見つける。
「む」
さっきまで涙でぐしゃぐしゃになっていた子供だ。
「なんだよこのかんざしの挿しかたは〜」
そう言って、せっかく新垣が挿してやったかんざしを無造作に抜いた。
「えっ!」
91名無し募集中。。。:04/03/14 19:57 ID:0A5uNcOP
「野暮だな〜、誰だ? これ挿したの。
今の京都はこうやって、斜め気味に挿して、
尾の飾りを強調してやるのがお洒落なの!」
「かわいい!」
「さっすが矢口さん。羽織の着こなしもかっこいい!」
姉弟が言う。
(ええ〜!?)

「どうした新垣、しゃっきりしろしゃっきり」
と言って矢口は、へなへなになっている新垣の背中をどんと叩く。
「おぐっ」
矢口はふっと笑う。
「じゃあ、おいらは巡察に戻るからな」

「はあ」
去っていく矢口の後ろ姿を見ながらため息をつく。
(やっぱり駄目なのかなあ、自分)

「お豆ちゃん、しゃっきりしなよ」
「あしたがあるさ、おまめちゃん」
(……とほほ)
92名無し募集中。。。:04/03/14 20:00 ID:0A5uNcOP
「イヤァァァアアアアア」
田中の竹刀を受け止める。
手首がまだ痺れている。痛い。

(亀井、つらいときこそ胸を張れ)
新垣の言っていることは分かる。でも、
言われたとおりすぐに出来るなら、なんでも苦労はしない。

「キェエエエエエエエエエ!!」
また倒される。
倒されすぎて、倒れるのが癖になってしまっているのが自分でもわかる。
受けて耐えようとしない。どうしようもない。もう、自分は駄目だ。
打たれ続けて倒れ続けていれば、きっとそのまま時が過ぎてくれる。
「どうした! えり! そんなものか!」

倒れたまま息を切らせながら、ちらりと外を見る。
日の傾きかけた道場の外に、藤本の姿はもうない。

藤本はもうそこにはいない。
亀井は外をじっと見つめ、何度か小さく頷いた。

「何?」
「ううん。大丈夫」
立ち上がる。

「……押忍」
亀井は胸をいつもより大きめに、張ってみた。
93名無し募集中。。。:04/03/14 23:16 ID:9k5+X2cv
ガキさんの憧れ人はやっぱりあの人?
94名無し募集中。。。:04/03/15 10:57 ID:gqJN3qGw
誰?
95ねぇ、名乗って:04/03/15 14:44 ID:8PTdre+5
なっち
96名無し募集中。。。:04/03/16 20:32 ID:x5RrGTaI
なっちであってほしい
97ねぇ、名乗って:04/03/18 14:22 ID:Id+cJtyL
保全
98ねぇ、名乗って:04/03/19 16:57 ID:82W5JpF6
人斬り美貴介の映画化まだー?
99名無し募集中。。。:04/03/21 21:13 ID:LwdZVlNP
西の空が、茜色に変わっていた。
行き交う人々の姿が暗く、ぼやける時刻である。

「くそっ、このままじゃ終われねえ」
足早に歩きながら言う。
先程の四人連れの浪人である。

「仲間を集めろ。あの小娘、恥じかかせやがって目にもの見せてやる」
中心に立っていた髭の浪人が言う。
「だけどよお。あいつ本物の壬生娘。なんじゃねえか」
「ああ、あの殺気はマジでただもんじゃねえ」
「そんなことねえ。ちょっと驚いただけだ。あんな餓鬼に舐められたままで黙ってられるか」

と。通りすがりの人間が、髭の浪人の肩にぶつかる。
「てめぇ、どこ見てやがるんだっ」

すれ違いざまに振り返ると、相手は笠を深く被った三人の武士。
着物を汚く着くずした浪人たちとは違い、
身なりはきちんとしていて、いかにもそれなりの武家に関わりのある者といった風である。
しかし髭の浪人は怯まず言い放つ。
「勤王の志士様にぶつかっておいて何の挨拶も無しかっ」

「勤王……志士?」
武士の一人が立ち止まり、振り返る。
「やんのかあ? こちとら気が立ってんだぁ、ただじゃ済まねぇぜ」
髭の浪人が刀に手をかける。
100名無し募集中。。。:04/03/21 21:14 ID:LwdZVlNP
「おい」
しかし、残りの二人の武士が、振り返った武士を諌めるように声を掛けた。
すると諌められた武士は右手を笠の端にかけ、
「軽々しく勤王を叫ぶな……屑が」
と言い捨て、再び向かっていた方向に足早に歩き出した。

「何だと、おい待てっ」
浪人が叫ぶが、武士たちの足は早くそのまま消えていく。

わざわざ追っていく気力は起きなかった。
「ちっ」
道端に唾を吐く。
再び歩き出す。

「なぁ、もう勤王の志士なんて流行らねえんじゃねえか」
「京都も潮時かもしれねえなあ」
「ああ、壬生狼に睨まれたらもう……」
「急にしけたこと言い出してんじゃねえ! おめぇら。
冗談じゃねえ、何が壬生狼だ。
人集めて一度に襲いかかりゃ、あんな小娘の一人や二人……へっ、やってやる」
髭の浪人がいやらしい顔を浮かべる。

「小娘の一人や二人に、穏やかじゃないねえ」
と。今度は別の通りすがりの人間に、いきなり手首を掴まれた。
「なんだてめえ」
101名無し募集中。。。:04/03/21 21:15 ID:LwdZVlNP
髭の浪人が凄むと、その相手は面倒臭そうに、独り言のように呟いた。
「しゃあねえなあ。後始末くらいはしてやるか」
「て、てめえは」
別の浪人がその相手の顔を見て言った。
「お、おい、見たことあるぞ。こいつ壬生狼だ!」

「何!?」
「ご名答〜」
吉澤だった。

「て、てめえ、離せ」
髭の浪人は吉澤に掴まれた手首を力づくでほどこうとする。
しかし強い力で掴まれているわけでもないのに、何故かほどくことができない。
髭の浪人が手を外そうともがいていると、吉澤はそれを難なく引き寄せ、耳元に顔を近づけた。

「冗談でやれるほど、壬生娘。は甘かねえんだよ」
飄々とした外見からは想像のつかない、ドスの効いた低い声だった。

「俺らに遊んで欲しかったら、郷里(さと)に帰って、軍隊でもつれてきな」
浪人の体でも臭ったのか、一瞬嫌そうに顔をしかめる。
「郷里ごと潰してやるよ」

体が硬直する。
表情をこわばらせた髭の浪人の頬を、汗がつたっていった。
102名無し募集中。。。:04/03/21 21:16 ID:LwdZVlNP
「ま、昔は色々あったからね……」
懐かしい友人を思い出すかのように吉澤が話を続けた。

藤本と吉澤の二人は、再び吉澤お薦めの茶店へ向かって歩いていた。
後始末をしたい。と吉澤が言ったので、少し遠回りをした。

吉澤は、あれくらい脅しておけばもう大丈夫だろうと言った。
笑いながら楽しそうに新垣の様子を眺めていた時は、
割とそういったことに気を回さない性格なのかとも思っていたが、
何だかんだ言って最後まで見守ったあげくに後始末までしてやるのだから、
この娘なりに心配はするのだろう。

「ガキさんとかさ。がんばってるから許してやれなんてことは言わないさ。
なんだかんだカッケーこと言っても、俺ら人斬りだからね。
一人の腑抜けが隊の生死に関わる。それは分かってるよ。ただ……」
吉澤は空を見上げる。
「道はひとつじゃないと思うんだよね」

「特に後から入った娘たちはね……。ま、俺が言うのも何なんだけど」
しかし、だからと言って。
「甘いかい?」
103名無し募集中。。。:04/03/21 21:16 ID:LwdZVlNP
「死ぬぞ」
あの程度の浪人相手ならばどうとでもなるが、
このまま戦いに身を置き続ければ、いずれ新垣のような娘は死に、それは組の死につながる。

「ははっ、そうかもね。やっぱ面白いなあ、あんた」
吉澤は笑った。その意味が藤本にはわからない。
「面白い?」
「心配してるんだろ?」

「いや――」
そんなことはないが、と言おうとしとして、止まった。
(……心配?)

新垣の、
地面に尻をつき、襲い掛かる浪人の恐怖に引きつった顔。
お前らなんかにいい世が作れるはずないと、浪人に向かって言ったときの顔。
何か心に引っかかるものがある。
しかしその引っかかりの正体も、藤本にはわからない。

「――そうかもしれない」
「あはははは、やっぱ面白い」
おかしな娘だ、と藤本は、笑う吉澤を見て思った。おかしな連中だ。
104名無し募集中。。。:04/03/21 21:17 ID:LwdZVlNP
「あいつらは、宝に気がつかなきゃいけない」
吉澤が歩く藤本の邪魔をするように前に回りこんだ。
藤本は足を止める。

吉澤は腰を低くして、いたずらをする子供のように藤本を上目づかいで見る。
「そう、ここにあるね」
藤本の胸の中心を指で突いた。
「うわ! ぺったんこ」

吉澤の指先を目で追っていた藤本の動きが、自分の胸を見て止まる。
「いや。武士たるもの、胸はそんなもんでいい。そんなもんでいいんだ。
デカ過ぎても斬り合いには邪魔だしな。うんうん」
そう言いながら吉澤はとても楽しそうにしている。

「睨むなって、ジョークだよジョーク」
「じょーく?」
「洒落のことだよ、黒船の言葉」
105名無し募集中。。。:04/03/21 21:18 ID:LwdZVlNP
別に吉澤の行動に怒ったわけではなかった。
それについては何も感じることはなかった。
藤本はそんな人間だ。

ただ、胸を突かれて、
それと全く同じことを自分にした、少女のことを思い出していた。
自らを人形と言っていた少女。

通りの向こうから歩いてくる人々の影が長い。
西の山に日が落ちようとしている。
町が刻々と色を変えていく時刻。鐘の音が、透きとおった空気に響く。

三人連れの武士とすれ違う。
笠を深く被り、その小奇麗な身なりと歩く仕種は、
いかにもそれなりの武家の者たちといった風情である。
各藩邸が多く存在し、政事の中心となっていた京都では珍しくない。

しかしすれ違いざま耳に入ってきたその武士たちの密話が、藤本の意識を捉えた。
「……見つけ……か」
「読……の勅旨…………会……」

「まあなんだ、胸のことは置いておいてもさ」
吉澤は歩きながら話を続けている。
「もうちょっと長い目で……って、あれ?」
隣にいたはずの藤本の姿がない。
「って、あれ? おい!」
106名無し募集中。。。:04/03/21 21:19 ID:LwdZVlNP
「ちょ、ちょ待――」
「覚悟しろ貴様!」
「わかっているだろうな?」

大通りから外れた人気のない袋小路で、小さな諍いが起きていた。
笠を被った三人の武士が小路の奥の、
どこかの店の積み上げられた荷に向かって、罵声を吐いていた。
武士たちは口々に罵声を浴びせながら、脅すように周りの積荷を蹴る。

「待て」
不意に後ろから掛けられたその声に、三人は振り返る。
袋小路の出口に、藤本が立っていた。

「なんだ……貴様は」
武士たちは自然と腰の刀に手をかける。
それを受けて藤本も、腰の『独り舞台』に手をかけようとした、と。

藤本の目の前にすっと、後ろから手が伸びた。
吉澤だった。
「往来だ、ここは俺に」
吉澤は藤本より一歩前に出る。

「我らは壬生娘。組だ。貴様らも名乗れ」
「壬生……」
明らかに動揺が走る。
しかし武士たちはそのまま笠の奥で黙って顔を見合わせるのみで、名乗ろうとしない。
107名無し募集中。。。:04/03/21 21:19 ID:LwdZVlNP
吉澤は武士の容姿をつぶさに見つめ、笠の奥を覗き込みながら言った。
「……阿佐(あさ)者か。ただの浪人どもとは違うようだな」

阿佐藩。
藤州、読瓜に次ぐ西国の外様雄藩である。
藩の方針は穏健な公武合体的であったが、内部では過激な勤王派の動きも活発で、
多くの藩がそうであったように、ここも倒幕と佐幕の間を絶えず揺れ動く藩であった。

阿佐藩士は月代の形に特徴があり、また、「阿佐の長刀(なががたな)」と言われるように、
長刀を好んで腰に差すため、見分けがつきやすい。

この時代。志士の多く、特に雄藩の出の者はあえて出身を隠すようなことはしなかった。
藩に誇りを持ち、自らも常に誇りを持って行動しているという自負があったためである。
108名無し募集中。。。:04/03/21 21:20 ID:LwdZVlNP
顔を見合わせていた武士たちは、何かをぼそぼそとつぶやきあった後、
おもむろに刀を抜いた。
迷いのない抜き方だった。
腰が据わっており、そこらの浪人どもとは明らかに格が違う。
人を斬り慣れている。

「あー、抜いちゃ駄目だって」
吉澤が重い空気に似合わない気楽な声で言う。

「そんな物騒なもん見せたら、ここのこわ〜いお人にすぱっと斬られちゃうよ?
そういうの大好きなんだから、この娘」
藤本は黙っている。
「俺、蛇の次に血が嫌いなんだよ」
しかし武士たちは聞く耳を持たず、じりじりと間合いを詰める。

吉澤はしょうがない、というふうに首を振り、腰を落とし、鯉口を切った。
「壬生娘。さくら組副長助勤、吉澤ひとみ」
笑みを含んだ涼しい瞳。

「月光の吉澤!?」
武士の一人が叫んだ。

「……その名前であんまり呼ばないでくれるかな。なんか恥ずかしいから」
吉澤は嫌そうに言った。
109名無し募集中。。。:04/03/21 21:21 ID:LwdZVlNP
「壬生娘。の師範だ。気をつけろ!」
武士が叫ぶ。

「いいや、こいつは柔術の使い手だ。剣の腕はそれ程でもないと聞く」
「剣の間合いで懐に入れなければ怖るるに足らん」
他の武士がまた間合いを詰める。隙あらばすかさず斬りかかるという体勢。

「……ったく。どいつもこいつも」
吉澤は首の後ろを掻きながら言った。
「舐められたもんだなあ」
絶妙の間合いですらりと刀を抜く。
抜く瞬間の飛びかかる隙を相手にあたえない。

「いいものを見せてやるよ」
ちらりと横の藤本を見て、にぃと笑ってみせた。

それは今まで藤本に見せていたもののどれとも違う、獣の笑みだった。
110名無し募集中。。。:04/03/21 22:27 ID:dLlDqQio
かっけーな、よしこ。
111名無し募集中。。。:04/03/22 22:04 ID:l3Are9pb
どんなものをみせてくれるの?
楽しみーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
112ねぇ、名乗って:04/03/25 15:11 ID:DYudo11X
保守
113ねぇ、名乗って:04/03/28 17:27 ID:EXeW48wX
香取ご一行様ももうすぐ合流します
114ねぇ、名乗って:04/03/29 14:00 ID:yDYE6UPV
星湯
115名無し募集中。。。:04/03/29 21:32 ID:TovsRMOO
「居ね、壬生狼(みぶろ)。おとなしく去れば、見逃してやる」

「はっ」
吉澤は鼻で笑う。
袋小路の奥の、乱れた荷の山を見る。

「どんな理由かは知らないが、この都で刀を抜いた以上、
見過ごしてやるわけにはいかないねえ。これもお勤めなんでね。
それにな――」
じいと阿佐藩士たちを見る。
「ちょいと腹が立っている」

もはや斬り合うより他にない。と、阿佐藩士たちは押し黙り、刀を構える。
三人が三人とも、全く同じように中段に構え、
切っ先を吉澤に真っ直ぐ向ける。

「……芸がないね」
吉澤の目から笑いが消える。

阿佐藩士らの構える刀は、藤本たちの側から見ると異様に長く、
反りの浅い刀身はまるで、巨大な鱶(フカ)のような迫力がある。
116名無し募集中。。。:04/03/29 21:33 ID:TovsRMOO
長刀。
これもまた、時代を象徴するものである。

尊皇攘夷が叫ばれる混乱の時代に入ると、
一部の武士たちは好んで長い刀を差すようになった。

中でも勤王を叫ぶ志士たちが多く求めたことから『勤王刀』とも呼ばれるそれは、
長いもので刃渡りが三尺を超えるものもあるという。
一般に定寸(じょうすん)が二尺三寸とされているのだから、その長さは尋常ではない。

刀身の長さは一対一での間合いの優勢を保ち、さらに、
巻き藁を並べて「切る」演武のようなものではなく、
より実戦的に人を鎧ごと「断つ」ような意識をもって作刀されていたために、
反りは無と言っていいほどに浅く、折れないために分厚く、重くなっていった。

長い泰平の世の中で、日本刀は武士の象徴としての美術的な美しさ、
また日常生活で取り回しのよい長さのものが多く求められ、
中には刃紋の姿に彫刻のような技巧を施すものが流行するなど、
装身具的な意味合いが濃いものに変容していた。

そこに現れた勤王刀は、まさしく勤王志士たちの心を象徴するものでもあった。

様式の美に向かい、兵士としての本質を失いかけていた武士を象徴するものを、
それら美術品的、装身具的な刀群とするならば、
剛直で実戦的な印象のある勤王刀は、数百年前の乱世の再来の如く、
失われし兵士の本質への回帰を渇望する若き志士たちの心の顕れでもあったのである。
117名無し募集中。。。:04/03/29 21:34 ID:TovsRMOO
藤本は吉澤より一歩後ろで、黙って戦況を見つめていた。
もちろん、何かあればすぐに刀を抜ける体勢ではいる。

吉澤の腕を信用していないわけではない。
実際に剣を見たことはないが、その立ち振る舞いからも、並の腕でないことは分かる。

しかし相手の阿佐藩士も相当に鍛錬を重ねている。しかも三人。
どう立ち合うつもりか。

藤本なら間髪入れず、相手が体勢を整える暇も与えず、抜いた瞬間に三人を斬り去っていただろう。
暗殺を生業にしてきた藤本は躊躇せず、ただ人を斬るために剣を抜き、剣を抜いたら人を斬る。
そこには武士同士特有の駆け引きのようなものはない。
だが吉澤は藤本を止めた。

小路。端から端まで二間ほどしかない。
そこに阿佐藩士三人が横に並び、同じように中段に構えている。
正面で吉澤と対峙している一人はやや後ろに引き、両端の二人がやや前めで、
吉澤を囲むようにしている。
刀の間合いを考えれば、まったく余分な空間がない状態と言っていい。

それぞれが全く同じ構えで、
長い刀をさらに長く持ち、剣先で牽制する。
先ほどの言葉どおり吉澤の柔術を警戒し、懐に入れさえしなければ、
三人がかりで一気に斬り伏せることができる。といったところか。
118名無し募集中。。。:04/03/29 21:34 ID:TovsRMOO
ふっ、と吉澤が息を吐く。
そしておもむろに、上段に構え、そこからゆるりと剣を横に回した。
「!」
「!」
「!」

(……月?)
藤本の位置からは、それがまるで夜空に浮かぶ満月のように見えた。
相手を幻惑するようにゆるりと左から円月の軌跡を描いた剣先はやがて、
吉澤の斜め下、右足の前で止まった。

下段。受けの型である。
上半身に明らかな隙を見せ、
相手に攻めさせておいて後の先(ごのせん)をとる、誘いの構えである。
「三人いっぺんでもいいぜ、阿佐者」
吉澤の口の端がつりあがる。

「……ぐう」
「貴様……」
「……」
明らかに挑発している。

「……行くぞ。三人同時だ」
一人が残りの二人にささやく。
119名無し募集中。。。:04/03/29 21:35 ID:TovsRMOO
しばらく。沈黙の刻が過ぎた後、真ん中の一人が動いた。
「きはぁぁあああああ」
吉澤の胸に突きを繰り出す。
それを追って残りの二人も頭、腰に向かってそれぞれ突きを繰り出した。

吉澤は体をわずかに後ろに引き、
下段に構えていた刀で、やや先行していた真ん中の一人の突きを下から受け、
腰を落としながら突きをせり上げるようにして刀の棟の上を滑らせる。
鉄と鉄が擦れる甲高い音が響く。

吉澤は体を引きながら、さらに腰を低く落とす。
涼しげな瞳が藤本の目に映る。その刹那。

藩士の足元が、ふわりと浮き上がった。

「うおっ!?」
しゃりん。と、
吉澤が剣を擦り上げながら上に振りぬくと、狭い小路で浮き上がった藩士の体は、
残りの二人のわずかに遅れた突きの体勢を妨害しながら、
剣と剣の触れ合った一点を中心にして風車のように回り、
地面に頭を向けてどさりと下に落ちた。
「ぐはっ」
倒れた藩士が息を漏らす。

(なんだ……これは?)

「秘伝、一徹膳返し。なんちって」
足元に舞い上がった土煙の中で、吉澤がにやりと笑った。
120名無し募集中。。。:04/03/29 21:36 ID:TovsRMOO
「く、貴様あっ」
「何をしたっ」
「だから一徹……」

「きはぁあああああ」
「きぇええええい」
目の前で起きた出来事に一瞬怯んだ残りの二人だったが、
気を取り直して再び吉澤に斬りかかる。

が、その二人も同じように吉澤と剣が触れ合った瞬間、
何か不思議な力に天から釣り上げられたかのように、ふわりと足元が浮き上がらせ、
もんどりうって地面に叩きつけられた。

(これは、柔術か?)
それは確かに柔術の投げのようでもあった。
両者の触れ合う点が互いの刀のみという異様さを除けば。

刀が触れた瞬間に相手が異様なほど浮き上がる。
そしてまるで、自分の意志でそうしているかのようにくるりと回転する。

奇妙な光景だった。
阿佐藩士たちは吉澤に投げられては立ち上がり、狂ったように斬りかかる。
しかし吉澤と剣が触れ合うたび、また足元が浮き上がり、回転して地面に叩きつけられる。
吉澤という点を中心に、藩士が次々に円弧を描く。
121名無し募集中。。。:04/03/29 21:40 ID:TovsRMOO
柔術の投げは基本として、相手の体の部位をとり、関節を極めて技を打つ。
何はどうあっても、どんなに一瞬であろうとも、
まず相手の体か衣服を取らねば投げは打ちようもない。

相手に全く触れずして投げ飛ばす技があるとすれば、
それは人知を超えた力でしかありえないのではないか。

確かに剣同士の仕合であっても、余程の力量の差がある相手ならば、
体(たい)の流れを見極め、いい拍子で相手を投げ飛ばせることもある。
しかしそれは相手が余程の未熟者で、体をかわすか少し足でもかけてやるだけで、
勝手に転んでしまうような状態の場合のみである。

だが吉澤はそれを技として使っている。それも剣先のみで。
柔術とひとことで言ってしまうには、それはあまりにも。

「合気(あいき)だよ。藤本」
吉澤は涼しげな瞳を藤本に向けた。
122名無し募集中。。。:04/03/29 21:41 ID:TovsRMOO
合気とは技術的に言うならば崩しの技法のひとつである。

崩しとは、投げにおける連続した動きの中の一段階で、
相手の重心の均衡を変化させることである。

たとえば歩いている人間が石につまずいて転ぶ。
これは人が移動するという、重心が不安定な状態の時に、
目標としていた位置より手前でその移動を妨げられることから起こる。

止まっている人間をまずこの状態にする。簡潔に言うならばこれが崩しである。

通常は相手の重心移動を誘うために、自らも相手を捕らえて押す、引くなどの動きをする。
これが崩しの基本としてある。

相手も生きている人間なのだから、そう簡単にこちらの思い通りには動いてくれない。
投げの過程における見かけ上の運動量を線であらわすならば、
相手の動線を引き出すために、自らも同じ量の動線を引かなければならない。

しかし達人であればあるほど、崩しに要する当人の動線は短くなってゆき、
やがてそれは、相手の動線の延長に相反して限りなく点に近くなる。
つまり自らは全く動かず、相手だけが動くようになる。
そしてその点はやがて術者自身をも離れ……。

そのさらに高みに、合気の境地はあると言われる。

(刀から……相手の関節を極めているのか?)
123名無し募集中。。。:04/03/29 21:42 ID:TovsRMOO
阿佐藩士たちは肩で息をしながら、長刀を杖のようにして立ち上がる。
「長い刀がもったいないぜ」
「ば、化け物」
「失礼な」
吉澤は少しむっとした表情を見せる。

「どうだい阿佐者、あんたら何か面白いことを知っていそうだ。
このままおとなしくついてくれば、これ以上痛い思いをしなくて済むよ」
「痛みなど恐れるかっ」
「ちええええい」
阿佐藩士は怯まず斬りかかる。

吉澤はふうと息を吐き、剣を触れずにかわす。
もはや体力を消耗し、長く重い刀に振り回されてしまっている。
かわすのはたやすい。

「壬生狼がっ」
「……やれやれ」

すると吉澤は、自分の刀を地面に突き立て、手を離した。
「さあ」
挑発するように、阿佐藩士に向かって両手を大きく開いた。
124名無し募集中。。。:04/03/29 21:43 ID:TovsRMOO
「くっ」
「舐めるなっ」
三人は刀を構えなおす。

「断ったのはあんたらだからな。覚悟しろよ」
吉澤の足元に土煙が上がる。
三人は同時に斬りかかった。すると吉澤の姿が、
「……消えた?」

「間合いに入れないんじゃなかったのか?」
そう言った吉澤の体は、三人の間に割り込んでいた。
消えたのではなく、一瞬のうちに正面から視界を突き抜けていたのだ。

三人の斬りかかった瞬間、同時に吉澤も前へ突っ込んでいた。
無手の人間がわずか数歩の踏み込みで三人の剣を無力化した。
常人の見切りではない。
125名無し募集中。。。:04/03/29 21:44 ID:TovsRMOO
「しっ」
吉澤は鋭く息を吐くと、一人の長刀の手元の指をとり、躊躇なく逆向きに折る。
ぼきりと鈍い音がする。
「ぎゃああああああ」
手首をとり、関節を極めて投げる。
相手は吉澤の体を中心にぐるりと回転して、背中から地面に叩きつけられる。
「ぐふっ」

そしてすかさず、距離をとろうと後ろ足に下がる藩士の膝を低い体勢で前に蹴り押し、折る。
藩士の膝が逆に曲がる。
「うごおおおおおお」

残った一人に対し、擦り寄るほどの間合いで体を密着させ、
自分の腰の脇差しを鞘ごと抜き出し、その柄を思い切り相手の脇腹にぶつける。
ごきり、と腹の近くで音がする。
「うぎゃあああああ」
126名無し募集中。。。:04/03/29 21:45 ID:TovsRMOO
刹那であった。
土煙の中。吉澤と、少し離れた場所で戦況を見守る藤本だけが立っていた。

「なめんなよ」
吉澤は、倒れた阿佐藩士たちに向かい、涼しげな瞳を向けた。
「壬生娘。は伊達じゃぁないんだよ」
ぞくりとさせる視線だった。

「ぐ……なぜ斬らぬ」
指を折られた藩士が膝立ちで言う。
三人の中ではもっとも怪我が軽い。

「言ったじゃん、俺は蛇の次に血が嫌いなんだよ。それに――」
吉澤はいたずらをする子供のように、にぃと笑う。
「怪我人二人なら、一人で運べるだろ」
127名無し募集中。。。:04/03/29 21:46 ID:TovsRMOO
「おっと、丁寧に動かせよ。肋骨が折れている。下手に触ると臓腑に刺さるぞ」
指を折られた阿佐藩士が、ふらふらとしながら二人を抱え上げる。

一人は肋骨が折れているが、他のところに怪我はないし、
もう一人は片膝を折られたが、一人に支えてもらえば片足で何とか移動できる。
そこまで考えて怪我を負わせたということか。

江戸の時代は、柔術が隆盛を極めた時代でもある。
これは泰平の時代と無縁ではない。

組み打ちの術とは本来、剣を失った時のための剣術の裏技的な技法であった。
それが戦乱の収まりから、剣に関する規制が増え、
剣術が心身鍛錬などの求道的方向に走っていく中で、柔術として内に組み込まれ、
新たな、剣を使わない時代の、剣を使わない護身の術として、脈々と技を編んでいった。

後の時代の柔道、合気道へとつながる萌芽が、この時代に力を蓄えたのである。

武芸が様式の美を備え、精神性を極めていく中、柔の術は剣のない時代に合気の境地に達した。
これはあるいは、江戸という長い泰平の世を経なければ生まれ出なかったものなのかもしれない。
128名無し募集中。。。:04/03/29 21:47 ID:TovsRMOO
「これが、道はひとつではないということか」
藤本は、新垣が浪士とやりあったときに吉澤が言っていた言葉を繰り返した。
時が流れれば世は変わるのは必定である。
ならばその世にふさわしいものも、また変わってくるということか。

吉澤はふっと笑う。
「変わるのも悪いことばかりじゃないさ。隊服みたいにね」

「だが――」
そこで藤本は言葉を止める。

もし新しい芽が伸びてこなければ。
柔術が発展したのは、剣を使う場が失われつつも、
武士の精神と戦いの術は尚、必要とされていたからだろう。
その武士の振るう武芸の一部として、たまたま柔術が伸びてきたに過ぎない。

果たして壬生娘。は、武芸のように普遍と必要とされるものなのか。
合気の技が育まれる中、その影で消えていった、
数多くの流派の一つに過ぎないということはないのか。
129名無し募集中。。。:04/03/29 21:50 ID:TovsRMOO
藤本の心の内を読んだかのように、吉澤が言った。
「だったら、滅びるのもまた道さ」

西の空の色が赤い。
町は刻々と色を変え、辺りの店屋は明かりを灯しはじめている。
行き交う人々の姿がすでに暗く、遠くの人間がどんな顔をしているのか、
もはやよくは分からない。

――たそがれ、という言葉は、
「誰そ彼」という言葉から来ているという話がある。
昼と夜という全く別の世の境目にあるこの刻は、人の姿を正しく捉えにくくさせる。
刻々と変化していく世の色に、目が対応しきれないためだ。

吉澤は指先で宙にくるりと円を描く。
「円だよ。昼があるならば、夜もまた、必ずくるものだよ」
「お前……」
たそがれの薄明かりの中、吉澤の表情は霞んでよく見えなかった。
130名無し募集中。。。:04/03/29 21:52 ID:TovsRMOO
と突然。袋小路の突き当たりの積荷が、がたがたと音をたてた。
二人の視線がすばやく動く。

「……いてててて」
崩れた積荷の中に、その姿はあった。
「酷い目におうてもうた」
頭を押さえながら上半身を起こす。
そういえば、阿佐藩士たちはこの人物を追い込んでいたのか。

その姿を見て、吉澤が呟いた。
「……岡村先生」
大きく目を見開いている。吉澤は明らかに驚きの表情を見せている。

「ん? 誰や?」
その、猿のような顔をした小男が、立ち上がって首をきょろきょろと振った。
131ねえ、名乗って:04/03/29 23:52 ID:4u1vMdgw
更新乙です。
>一徹膳返し
カッケ杉&ワロタ

そして…




岡村センセ キタ―――――!!!
132名無し募集中。。。:04/03/30 21:32 ID:LlUi9ihB
せんzせ
133ねぇ、名乗って:04/04/02 22:28 ID:ZIDF3j2h
先生もさぞや凄まじい使い手にちまいない
134ねぇ、名乗って:04/04/06 06:34 ID:JzhaiT8V
>98禿同
さくらのPVみたらマジ思った。
がなりとか金出してくんねかな。
135名無し募集中。。。:04/04/06 22:08 ID:WYLPZZUv
四、夜四ツ

「先生、なぜ京都に……」
「お? おー! 吉澤か」
男は吉澤の顔をまじまじと見つめた後、嬉しそうに声を上げた。

変わった風貌の男だった。
乱れた総髪。背が低く、猿のような顔。
腰に二本の刀を差してはいるが、何より変わっていたのは、
よれよれの白袴から伸びる足を覆う黒い履物。
鈍い光沢を放つそれは、男のくるぶしの上まで覆い隠している。
「なんですかその格好は」
「おーこれか、ブーツやブーツ。かっこええやろ」
そう言って履物をこんこん、と指で叩いた。

(阿佐の岡村隆史か!)
藤本は二人の様子を眺めながら、一人の人物に思い当たった。
驚くべき人物である。
136名無し募集中。。。:04/04/06 22:10 ID:WYLPZZUv
――岡村隆史。
阿佐藩の脱藩浪人である。
今や、流転する政局の渦中の人物で、
倒幕の鍵を握る重要人物の一人と目されることも少なくない。

昨年成立した読瓜・藤州同盟の仲介に奔走した中心的人物であり、
それまで仇敵として牽制しあってきた二雄藩が足並みをそろえたことは、
結果的に、幕府による第二次藤州征伐を失敗に終わらせた。

幕府にとって岡村はいわば大罪人であり、
是が非でも身柄を押さえたいはずの人物である。
壬生娘。組にとっても当然、敵。
あらゆる幕吏が理由をつけて岡村を捕えようとしようとしている。
もはや気軽に一人で町中をうろつけるような人物ではない。

吉澤が焦るようにちらりと藤本のほうを盗み見て、唇を噛む。
「先生……うかつな」
(……先生?)

しかし岡村はそんな吉澤の仕種など気にせず、楽しげに続ける。
「吉澤かあ、なつかしいなあ。元気そうやな」
「そちらこそ……お変わりないようで」
「紗里奈とは仲直りしたんか?」
「いや……」
137名無し募集中。。。:04/04/06 22:11 ID:WYLPZZUv
阿佐藩士の一人が叫んだ。
「岡村ぁっ、貴様っ」
するとすかさず吉澤が、一瞬で藩士との間合いを詰め、腹に肘鉄を入れる。
「ぐっ」
「お前らの話は後でじっくり聞いてやるから、ちょっとあっち行っててくれるかな」
吉澤は三人で団子のようになって支えあう阿佐藩士を、袋小路の奥へと押しやる。

阿佐と言えば岡村の出身、つまり彼らにとって岡村は同郷人のはずである。
岡村は同郷人にも狙われているのか。

岡村はかつて、盟友の矢部浩之と共に、
『無否々党(ないないなとう)』という集団を阿佐藩内で組織し、
過激な勤王活動を行なっていた。

しかし無否々党が様々な曲折を経て瓦解した後、
岡村は阿佐藩を脱藩し、『滅茶勤王党(めちゃきんのうとう)』を経て、
読瓜藩の支援を受け『狂内社中(ぐるないしゃちゅう)』という商業団体を設立した。

最近では読瓜・藤州同盟を成立させた後、
脱藩の罪を前藩主、田森一義(たもりかずよし)より赦され、
再び阿佐藩と組んで新組織再編を模索しているとの噂も漏れ聞こえる。
138名無し募集中。。。:04/04/06 22:12 ID:WYLPZZUv
田森と言えば、阿佐藩内の勤王派を徹底的に弾圧し、
岡村の同胞の命をも多く奪った人物である。
その田森と今さら手を組むとなれば、当然、勤王派の阿佐藩士からは反発もあろう。

岡村のそういった過去の因縁の枠を越えたあまりにも奔放な行動力が、
同郷の過激派を刺激し、標的にさせているのだろうか。

実際、藤本自身も岡村の噂を聞くたびに、それが幕府の敵たる倒幕派としての振る舞いなのか、
それとも倒幕の動きを邪魔する振る舞いなのか、わからなくなることがたびたびあった。
風貌だけでなく、行動も奇妙な男。というのが藤本の印象である。

そこでふと、岡村が自分を襲った阿佐藩士を見て、声を沈ませた。
「お前、まだ人斬ってんのか」
吉澤は黙る。岡村は履き捨てるように言った。
「幕府はもう終わりやで。いつまでもそんなところにいたら、お前も死や」

「徳光のオッサンもそんなんに巻き込まれて死んでもうたし。
徳さんええ人やったのに。いまさら何が降嫁や――」
その言葉を聞いた瞬間。藤本が岡村の胸倉をつかんでいた。
「何か知っているのか!」

そういった状況に慣れているのか。つかみ上げられ、つま先立ちになりながらも、
岡村は落ち着いた様子で吉澤のほうを見る。
「吉澤……なんやこいつ」
「ちょ、ちょっと待てよ藤本」
139名無し募集中。。。:04/04/06 22:13 ID:WYLPZZUv
「おー! お前が藤本かー!」
岡村はつま先立ちのまま、嬉しそうに藤本の肩を叩いた。
「話は聞いとるでー。お前が藤本かー、ほうかほうかー」

しかし藤本の表情は変わらない。
「あやは……姫のことは知ってるか」
「……はあ? 何や?」
「藤本、ちょっと落ち着け」
「女だ。その時一緒にいた女のことだ」
「? ……何言うとんのや」
「降嫁だ。徳光が斬られた時、駕籠に乗せられていた姫だ。亜弥々姫と呼ばれていた」

「お前……そこにおったんか?」
岡村はしばらく藤本を見つめた。藤本も岡村を黙って見つめる。

「……今は読瓜にゴチになっとるんやから、俺も少しは知っとる。
そやけどな。降嫁なんてただのはったりや
公武合体派の持ち上げた苦し紛れの嘘っぱちやで」
「嘘をつくな」
「ほんまやて」
「本当か」
「ほんとうや」
「違う」
「ほんまや言うとるやろ! 降嫁なんてありません! キダムも来ません!」
「きだむ?」
「こっちの話や」
140名無し募集中。。。:04/04/06 22:13 ID:WYLPZZUv
藤本が手の力を抜くと、つま先立ちだった岡村の体がすっと沈む。

こいつは知らないのだと悟った。
徳光の駕籠が降嫁の一団であったことも、その中にあやがいたことも。
読瓜がそうそう亜弥々姫の存在を明かせるはずはない。

「そいじゃ、俺はそろそろ行かしてもらうで」
岡村が着物の埃をはたきながら言った。
「待て」
藤本が刀に手をかける。
たとえあやの手がかりがつかめなくても、
組にとって大きな獲物であることは変わりがない。
壬生娘。に義理はなくとも、つんくとの契約のために職務は忠実にこなす。

「……何や。斬るんか」
「藤本! ここは待ってくれ」
「斬りたいんなら斬ってもええけどな。俺ごとき斬っても、なんも変わらへんで」
「頼む」
吉澤が何故か悲痛な表情を見せる。

「幕府が倒れるのはもう刻の問題や。
お前らもさっさと壬生娘。なんてやめて、郷里にでも帰ることやな」
たそがれに、岡村の姿がにじむ。
「武士の時代は終わりやで。刀振り回す時代はもう終わるんや」

岡村の小さな背中が、町に消えていく。
「……すまない。藤本」
吉澤の顔は、さっきまでの自信に満ち溢れた表情とは全く異なっていた。
「この借りはいつかきっと返す」

遠くで、時刻を知らせる鐘が鳴っていた。
141名無し募集中。。。:04/04/06 22:15 ID:WYLPZZUv

――虫が、鳴いている。
黒い空に月が昇ろうとしている。

昼の熱をようやく開放しはじめた石畳の上を、
さくら組副長の矢口真里がずんずんと歩いていた。
おとめ組屯営へ向かう通路である。

相変わらず高い下駄を履いている。
屯所内でまばらに行き違う平隊士たちが、
月夜に浮かぶ矢口の形相に恐れおののき、慌てて次々に道を開けていく。

数歩遅れて、矢口と同じくらいの背の娘が小走りについてきている。
さくら組一番隊組長、加護亜依である。

「矢口さん、そないに急がなくても」
「うるさい! ついて来れないなら置いてくよ!」
今夜も矢口は機嫌が悪い。

今は実質、副長の矢口が一人でさくら組を切り盛りしているようなものだから、
気が張ってしまうのも仕方がないのだけれど、
もう少し気楽にやれないものだろうか、などと、
加護は自分が副長助勤であることを棚に上げて思う。

もっとも、今回いらだっている理由ははっきりしている。
先日さくら組が捕えた濱口、有野の両名が、
こちらの知らぬうちに別の場所に引き渡されるという話を聞いたからである。
142名無し募集中。。。:04/04/06 22:16 ID:WYLPZZUv
不動堂村屯営内の留置所は既に捕えた不逞浪士で溢れ返っている。
さくら組の最初の取調べを終えた濱口と有野は、身柄は壬生娘。組のまま、
壬生娘。組の管轄から少し離れた、京都奉行所と共同で使っている牢に留置されていた。
そのときから、どこかおかしいとは思っていた。

二人はその勢いのまま屯所の一番大きな建物の中に入り、
矢口は高い下駄を脱ぎ捨てると、
少しでも風を通すようにと戸の開け放たれた廊下をずんずんと進み、
奥の広間の襖を開けるなり叫んだ。
「局長!」

「なんだ、矢口」
「矢口さん」

広間には、上座に局長の飯田、その横に、副長の石川、
続いて下座におとめ組一番隊組長の辻、四番隊組長の小川、
そして、一番下(しも)の縁側に、監察方の藤本が座っていた。

矢口の後ろで加護が、矢口の真剣さをからかうようにおちゃらけた顔をして見せると、
辻が笑いを堪えきれなくなって下を向く。

「……藤本」
矢口はその姿を見つけて苦々しく呟いた。
143名無し募集中。。。:04/04/06 22:19 ID:WYLPZZUv
「有野と濱口を所司代(しょしだい)に引き渡すというのは本当か」
矢口は飯田の正面に座った。その後ろに加護が座る。
「……そうだ」
飯田が答える。

「何故だ! こちらになんの断りも無く」
「事後承諾になったのは謝る。しかし、もう聞き出せることは聞き出したのだろう」
「そんなことはない。確かに、はじめは大したことは吐かなかったが、
うちの吉澤と……そこの藤本が捕えてきた阿佐脱藩浪士の話によれば、
滅茶勤王党の残党の動きがあるというじゃないか」
「連中も残党だったのか」
「それはまだ分からん。だから、もしかしたら再決起の危険もあるかもしれない。
ならば、よゐこの二人を尋問する価値はまだある」

――『滅茶勤王党(めちゃきんのうとう)』。
岡村隆史もかつて所属していた、勤王過激派集団である。

阿佐藩で『無否々党(ないないなとう)』として活動していた岡村隆史と矢部浩之は、
それより以前に、既に倒幕の方針を打ち出し始めていた藤州藩からの支援を受けて、
『飛薬(とぶくすり)組』として密かな活動をしていた。

その後、無否々党が瓦解し阿佐藩を脱藩した岡村と矢部は、
よゐこら、他藩からも志を同じくする者を集い、
樹音(じゅのん)藩脱藩浪士、武田真治を党首として、
飛薬組を滅茶勤王党として再結党する。
144名無し募集中。。。:04/04/06 22:21 ID:WYLPZZUv
武田真治と滅茶勤王党の活動はすさまじく、
それは特に京の町で、佐幕派公卿、幕臣の暗殺という形であらわれ、
阿佐藩公武合体派の指導的立場であった、下平さやかの暗殺にまで至った。
(下平暗殺の犯人には諸説あり、笑犬隊の内村光良という説もある)

これらは文久二年(1861)から文久三年(1862)の間のことであるから、
まだ壬生娘。組結成以前のことである。
滅茶勤王党が京で猛威を振るった頃、壬生娘。組はまだそこに居なかった。

しかし間も無く、滅茶勤王党の勢いは止まる。
幕府の権力闘争に敗れ、それまで隠居を余儀なくされていた前阿佐藩主、
田森一義が幕政に復帰したのである。

公武合体論を掲げる田森は滅茶勤王党を徹底的に弾圧し、
ついには首魁の武田真治に対し下平暗殺の罪を問い、切腹を命じる。
これで事実上、滅茶勤王党は瓦解した。

武田の切腹は、腹を三文字にかき切る、それは見事なものであったという。
145名無し募集中。。。:04/04/06 22:22 ID:WYLPZZUv
「その通りだ」
飯田が言う。
「二人を尋問する価値がある。だから引き渡すのだ」
「何故だ!」

「うん。そこからは私が話そう」
突然、隣の部屋から男の声がした。
飯田が黙って石川を見る。
石川は立ち上がり、隣の部屋との間の襖を開いた。

男が一人、座っていた。
肌が黒く光り、やや猫背ではあるが眼光鋭く、口もとには不敵な笑みを浮かべている。
「……あんたか」
矢口が言った。

男の名は和田薫。幕臣である。
壬生娘。組の結成に大きく関わった人物であり、
その後も何かと壬生娘。の面倒を見てくれ、また、仕事の依頼もしてくる。

ただし壬生娘。との直接的な上下関係はなく、
また、壬生娘。自身、そもそも浪士の集まりで結成された独立的な組織であり、
彼女らも自らを国の危機に立ち上がった草莽の志士であるとする思いが強かったため、
幕臣に盲目的に従属するような意識は強くなかった。
そのため、縦と言うよりは横の、同僚のような関係がこの和田との間にはあった。
146名無し募集中。。。:04/04/06 22:24 ID:WYLPZZUv
「うん。最近、阿佐藩と滅茶勤王党の残党の動きが活発というのは本当らしい。
そうだったよな、飯田」
「はい」

藤本はあの後、数日間に渡って密かに岡村を張り込み続けた。
やくざ者を何人か雇って見張らせもしたが、
岡村は毎日仲間を集めては酒を飲むばかりで、
あやの降嫁等に関しては何も有用な話がつかめずにいた。

ただし、確かに周辺の阿佐藩浪士の動きは活発で、
岡村を追っているうちにそういった話は多く入ってきた。

吉澤の頼まれたとおり、岡村の存在は隠していたが、
阿佐藩浪士らの動きは適当に飯田に報告していた。

「うん。これには幕府も頭を悩ませてね。わかるだろ、今、幕府はぎりぎりのところなんだ。
読瓜と藤州が同盟を組んで、これに阿佐が積極的に関わってくるようなことになると非常に困る。
幸い、今のところ阿佐の一義公は倒幕に懐疑的で、勤王には弾圧的だという。
そのために、阿佐の勤王派はこちらの方でも徹底的に消し去っておきたい。わかるな?
だから、阿佐浪士の取り締まりは京都所司代の方で包括的に組織することになった。
今後、阿佐藩士に関する取調べは所司代が一括して行なう。うん」
「なんだって……」

京都所司代とは、不逞浪士らによる混乱を受けて京都守護職という役職が新設されるまで、
京都の政事と治安維持を一手に引き受けてきた、老中に次ぐ要職である。
つまり、有事に緊急で設けられた壬生娘。組などとは異なり、
京都の包括的な治安維持活動は、本来なら所司代が行なっていたのは事実である。
147名無し募集中。。。:04/04/06 22:25 ID:WYLPZZUv
「ウチらでやればいいじゃないか。
よゐこも、阿佐浪士も捕まえたのはウチらだ。ウチらに分がある」
「うん……。これは、決定だ」
「つまり、ウチらを幕府は信用できないってことか」
「矢口さん……」
加護が後ろで矢口の袖をつかまえる。

それはつまり、単純なことだった。
壬生娘。が捕え、聞き出し、狙いを固めてきたものを、
幕府が上から取り上げ、お抱えの所司代に与えようとしている。

「何をやってるんだ幕府は! 今は身内で手柄を争っている場合じゃないだろう!」
「矢口さん!」
和田に掴みかからんばかりの勢いで前へ出ようとする矢口を、加護が後ろから押さえる。

広間がしん。と静まり返る。
「……その通りだ、矢口。だから手を引け」
飯田が言った。
身内で争っている場合ではない。だから壬生娘。は手を引く、と。

「うん。これは京都守護職、つまり寺田殿も認めたことだ」
和田が言った。
148名無し募集中。。。:04/04/06 22:28 ID:WYLPZZUv
「濱口、有野両名、そして阿佐浪士の所司代引き渡しは明後日の夜、
引き渡しの後、和田さんも尋問に立ち会うそうだ。一応その時に、
うちに引き渡すよう、再度交渉もしてくれるという」
和田が黙って頷く。

「こちらから和田さんに護衛を出す。おとめ組からは藤本をつける。
さくら組のほうからも一人出してくれ」
しかし矢口は黙っている。
「矢口!」
「……わかった」
「よゐこは所司代に引き渡せ、いいな」

「わかったよ」
うるさいと言わんばかりに矢口は一字一字を強く言う。
「さがっていいぞ、矢口」
飯田が冷たく言い放つ。
「圭織……」
149名無し募集中。。。:04/04/06 22:29 ID:WYLPZZUv
矢口はそのまま顔を上げることなく、加護を引き連れて出て行った。

「いいんですか、飯田さん」
二人の足音が聞こえなくなると、石川が口を開いた。
「矢口さん、顔真っ赤だったよ」
辻が心配そうに矢口の出て行った方を見ている。

「いい。お前たちには、まだこれから話がある」
飯田が和田を見た。
やはり矢口の後ろ姿を見て、どこか気まずそうにしていた和田もそれを見て頷き、
さっきまで自分がいた部屋から一人の娘を呼んだ。

見た目はそのあたりの町娘と変わらない。
強いて言うならば、肩幅が広く体格ががっちりとしているくらいか。

女は目を伏せ、黙ったまま、和田の隣に座った。

「うん。この娘は、名をソニンという」
150名無し募集中。。。:04/04/06 22:30 ID:WYLPZZUv
矢口は、もと来た石畳の上をずんずんと歩いていた。
歩く速さは来た時と変わらない。

「矢口さん……」
小走りでその後を追いながら、加護が心配そうに言う。

「紺野を出そう」
矢口が突然言った。飯田に言われた和田の護衛のことである。
「紺野ちゃん? ……大丈夫でしょうか」
加護は正直にそう思った。
紺野で務まるだろうか。

「違う。わからんか?」
矢口は立ち止まった。
加護は首を傾げ、しばらく黙った後、
「わかりません」
と言った。矢口がため息をついた。
151名無し募集中。。。:04/04/06 22:31 ID:WYLPZZUv
「……そにん?」
首を傾げる辻に、和田が続ける。
「うん。朝鮮での名でね。向こうの血が混じっている」

黒船の来航により日米間に条約が締結されるまで、
日本は鎖国を保っていたが、それでも僅かながら外国とのやりとりはあった。
オランダ、中国、朝鮮などがそれで、
中でも朝鮮は、オランダと中国が「通商」と言われる貿易のみの関係だったのに対し、
「通信」と言われる正式な国交を持っていた。
もっとも、それは双方の経済的理由などにより、文化八年(1811)以降、絶えてしまっている。

しかし同時に、その裏で行なわれていた密輸などで局地的な関係は続き、
交流の中でごく僅かながらも混血児は存在した。
「うん。身寄りが無くてね。私が預かっているんだが」

話によると、ソニンは和田の下で密偵のような活動をしているという。
今は島原の遊女をしながら、体を張って得た情報を和田に伝えている。

中でもよゐこの濱口はソニンに相当入れ込み、濱口の行動は和田に筒抜けだったという。
「ああ、それで」
小川が言った。
そもそも和田には、
自分がさくらに濱口、有野を捕える仕事を流してやったという意識もあるのか。
152名無し募集中。。。:04/04/06 22:32 ID:WYLPZZUv
「このソニンによると、よゐこの移送を待って、
所司代屋敷に滅茶勤王党残党が襲撃するという話があるらしい」
飯田が言う
「えっ?」と小川。
「じゃあ所司代に知らせてあげないと」

「その必要ないでしょ」
辻が言う。
「なんで!」
「だって、勝手によゐこが欲しいって向こうが言ったんじゃん。
当然、それにともなう危険だって持ってってもらわないと」
「でも、このまま指をくわえて見てるわけにも」

「そこでだ」
飯田が言う。
「横からかっさらおうかと思います」
石川が続けた。
153名無し募集中。。。:04/04/06 22:33 ID:WYLPZZUv
「……まあいいよ」
矢口は再び歩き始める。加護は慌てて小走りでついていく。

どういうことだろうか、と加護は思う。
和田もああ見えて一応、幕府の要人である。
紺野はまだ経験も少なく、どこかぼうっとして用心に欠けるようなところがある。
あの性格は、警護に向いているのだろうか。
まあ、あの藤本が一緒なら大丈夫だとは思うが。

「逆」
「はい?」
「局長は……圭織は、ああ見えて、藤本を信用しちゃいない。おいらと同じくらいね。
その藤本を和田さんの警護につけるということは」
「言うことは」
「和田さんのところは重要じゃないということだ」
「はあ?」
「まあ、それでも藤本の腕ならいざって時は大丈夫って意味もあるのだろうけど。
あいつは集団行動には向かない。だから“外した”」
「……はあ」
154名無し募集中。。。:04/04/06 22:36 ID:WYLPZZUv
「ええーっ」と再び小川。
「和田さんの交渉が決裂した場合、
残党の襲撃に便乗して、よゐこの身柄をこちらで確保させていただきます。
そうなれば、所司代も文句は言えないでしょう」

確かに、残党に屋敷を襲われる不備を露呈した後、
壬生娘。組に救われたとなっては所司代も声を強くはできまい。
しかしなんと。悪どいとでも言うか。とても正義とか誠の下に出る発想ではない。

「わくわくするね! こういうの」
辻が嬉しそうに言った。
「でも〜、そこまでする必要があるんですか」
小川が言う。
つまり、そこまでしてよゐこの身柄に壬生娘。がこだわる必要があるのかということだ。
ただの名誉欲であれば、それこそ身内の手柄争いでしかない。

「ああ。阿佐藩の田森一義公が近々上洛(京都入り)との噂がある」
読瓜と藤州が手を組んだ今、田森一義は数少ない有力な公武合体論者である。
読・藤のみならず、阿佐藩内部の勤王派も穏やかではあるまい。

もしも田森が暗殺されるようなことがあって阿佐藩が急速に読・藤に擦り寄れば、
一気に情勢が倒幕に傾く恐れがある。
逆に田森が強弁に公武合体を唱えつづければ、幕府は首の皮一枚でつながる。
155名無し募集中。。。:04/04/06 22:38 ID:WYLPZZUv
(岡村はその工作のための上洛か)
藤本は岡村の周りを見張っていた数日間を思い出す。
矢口も言っていたとおり、何か起こる可能性もある。
(岡村はどちらだ)

「うん。本音を言えば、一義公のことも考えれば、
俺も所司代より、お前らに動いて欲しいんだよね。
所司代も悪いわけじゃないんだが、力の差を考えるとやはり」
和田が顔をしかめる。
「向こうが強引なやり方をして来るんだ、こちらも少々強引にやらんとな」
飯田がどこか嬉しげにうなずく。

「でも、おおごとにならない?」
辻が言う。

どう言いつくろっても、結局のところ、これは強奪である。
表面上は罪に問われずとも、これが壬生娘。の仕掛けたものだと気づく人間も少なくあるまい。
つまり、余計な恨みを更に買うことになる。
彼らにしてみれば、手柄が奪われるとしか感じないだろう。
まして、これが失敗に終わろうものならば――。
156名無し募集中。。。:04/04/06 22:42 ID:WYLPZZUv
「だからこそ矢口さんには帰ってもらったのよ」
石川が言った。
「うむ。この件は我々おとめだけでやる。いいんですね。和田さん」
飯田が念を押す。
「うん。すまないが」

「たとえ片翼が死んでも、片翼が生き残れば何とか生きていけるだろう」
「飯田さん……」
飯田がこともなげにさらっと言いのけた。
それはつまり、命を賭けるということだ。
自らが死ぬかどうか、壬生娘。が潰れるかどうかの判断を、今ここでしている。

「常に死線なのだよ。小川。
壬生娘。が特別な存在であり続けられるのは、特別なことをしつづけているからだ」

「気の毒だが、今回さくらは蚊帳の外に居てもらう」
飯田は決意を強くするように、目に力を込める。
「泥はおとめが被る。いいな」

「いいよ」
辻が言った。
「はい」
小川が続いた。
157名無し募集中。。。:04/04/06 22:43 ID:WYLPZZUv
「紺野には悪いが、今回は貧乏くじだ」
月の光の下で矢口は決意を強くするように、口を強く結び、何度も頷いた。

「さくらはさくらで好きにやらせてもらう。
うちの局長がいない間、おとめの好きにやらせはしないよ。圭織」
加護はまだよく分からずに、首を傾げた。
158ねえ、名乗って:04/04/07 09:26 ID:2y5DiSFN
更新乙です。
本当に映像化して欲しい。
テレ東かどこかで年末特番として企画が進行中…

…だと良いな。

ところで今回の空き巣の件は藤本の差し金?
159名無し募集中。。。:04/04/07 20:28 ID:T79ZwZ1b
なっち局長ぅぅぅ============
160名無し募集中。。。:04/04/14 22:01 ID:vKy26PFe
す、と襖が開くのを飯田がちらりと横目で見る。
田中が両膝をついている。
「三番隊。市中巡察より戻りました」
「うむ」
田中は膝を上げ、敷居をまたぐと、そのまま広間の奥に進んで行く。

「これで組頭は全員集まりましたね」
石川が飯田を見る。

不動堂村壬生娘。おとめ組屯営。
広間には既に飯田、石川、田中を含め、辻、小川、道重。
和田の護衛についている藤本を除き、おとめ組の幹部が揃っている。

庭に面した障子の色が、徐々に赤みを失っていく。
遠くから鐘の音が聞こえる。日の暮れたことを知らせる暮六ツの鐘。

これから鐘が鳴るごとに、宵五ツ、夜四ツと時を刻んでいく。
夜四ツの次が夜九ツ。いわゆる子(ね)の刻。零時である。
そこから今度は夜八ツ、暁七ツ、明六ツ(日の出)、と数えていく。
161名無し募集中。。。:04/04/14 22:02 ID:vKy26PFe
田中は腰を降ろすと、額の汗を拭いながら、小さく息をつく。
「ふう」
「暑かった?」
道重が小声で聞く。
「うん。……この様子だと、夜になっても暑さは残ると思います」
最後の方は飯田のほうに向けて言っていた。

「うむ」
「濱口、有野の両名、及び先日の阿佐浪士三名の身柄は滞りなく、
六角牢より所司代の屋敷に移されました。
それと、この二日間、矢口副長のほうから直接何度か、
西町奉行所牢屋敷番に濱口らとの面会を求める要望が出されましたが、
受け付けられなかったようです。
その件に関して、さくら組と牢屋敷番の間に多少のいざこざがあったようですが、
目立った被害は出ていません」
「そうか。ご苦労だった」
162名無し募集中。。。:04/04/14 22:03 ID:vKy26PFe
「勤王党の残党は、なぜ所司代への移送を待ったんでしょうね」
小川が前に乗り出す。
「ふむ」
確かにどこか引っかかりを感じる話ではある。

単純に、自分らより所司代の方がくみしやすいのだろうということは理解できる。
奉行所の牢屋敷(六角牢)の表の警備には、
牢を共用していることもあって、壬生娘。組も加わっている。
そこを襲うより、所司代屋敷牢を狙うというのは不自然というほどのことでもない。
驕りでなく、壬生娘。組のほうが所司代より武力に優るのは紛れもない事実である。

しかしどちらにせよ、そもそもよゐこの両名に、
わざわざ所司代屋敷を襲う危険を負うほどの価値があるのだろうか。

いや、あるのだろう。だからこそ所司代は身柄を欲し、
幕府は強引な手段を用いてまで壬生娘。組から、お膝元の所司代へと身柄を移した。

所司代への移管を申し渡されてから二日間。
六角牢に身柄を置く二人がまだ壬生娘。の管理下であったに関わらず、
その間も所司代が壬生娘。の介入を拒んだのがその証でもあろう。
163名無し募集中。。。:04/04/14 22:04 ID:vKy26PFe
「襲うんなら運ぶ途中が一番いいんじゃないの」と辻が言う。
「相当厳重な警備体制でしたよ」と田中。
「まあ、白昼堂々と襲いかかるよりは夜を選んだのかも知れぬ」
「そういえば。御所の警備に変更があったらしいから、そのせいもあるのかも」
石川が思い出したように言った。

「それはどういうことだ」
「御所の警備がここ数日、強化されているそうです」
「何かあったのか」
「さあ……。藤州の朝廷工作になにか動きがあったという噂は聞きますが、そこから先は」
石川が首を振る。
「ふむ」

御所とは、天皇の座する禁裏周辺の公家屋敷が集中する一帯のことを指している。
いわゆる朝廷の動きは、大抵この中で行なわれる。
京都における幕府の中枢である二条城からは北東の方向に位置する。

京都所司代は、京都の治安維持と共に、御所周辺の警備を任じられている。
これは幕府が朝廷の動きを常に監視し、公家工作をするためでもある。

御所の警備に変更があったということは、
朝廷の中に何か動きがあるのかもしれない。
滅茶勤王党の残党もそれに連動している可能性がある。

「その分、屋敷内の警備が手薄になっている、ということもありうるか」
飯田は小さく呟く。
壬生娘。組は朝廷に対して政治的な関わりを持っていないため、
正式な経路を通してしか、その辺りの事情を知ることができない。
164名無し募集中。。。:04/04/14 22:05 ID:vKy26PFe
所司代と壬生娘。は、現場でかち合う平隊士同士の仲こそ、それほど良くはないが、
組織上部では互いに協力関係が保たれている。決して対立してはいない。
しかしそれが重要な事案に関する話ともなれば、
情報を隠し、権利を主張するのもまた当然のことである。
たとえば飯田も同様に、和田から得た滅茶勤王党残党による所司代襲撃の密告を隠している。
恐らく所司代、或いは幕府も、壬生娘。の掴んでいない何かを掴んでいるのだろう。

(攻め方を違(たが)えたか……)
飯田は心の中で悔いる。
何を聞き出すのかこちらが分かっていなければ、
いくらこちらがよゐこの身柄を押さえていても、聞き出せたはずもない。

過去は過激な拷問でそれを補ってきた面もあるが、
近頃は幕府の沙汰もあって控える傾向にある。
それも壬生娘内にどこか緩い空気が蔓延してきてからのことだろうか、とも思う。
すべてが後手に回っている予感がする。

そのまま以前の壬生娘。を懐かしんでしてしまいそうになる自分を振り切るように、
小さく首を横に振る。
「勤王党の動きは?」
小川を見る。
「はい。見張りの報告によれば、残党の主な潜伏先と思われる寿司屋では、
今のところ大きな動きはありません。
その他、ここ二日間でさくらおとめ合わせて阿佐浪士による小競り合いが二件。
藤州浪士によるものが一件。
その他藩士、及び浪人によるものが四件」
「確かに阿佐浪士の動きが目立ってきてはいるな」
165名無し募集中。。。:04/04/14 22:06 ID:vKy26PFe
「勤王党はどう来ますかね?」
小川の問い掛けに、飯田は石川を見る。
「はい」
石川が畳の上に大きな紙を広げる。
日が暮れ、暗くなってきた座敷の中に、蝋燭の火が灯される。

紙の上には、四つの建物の大まかな見取り図が細筆で描かれている。
「濱口、有野らを収監した牢は、所司代組屋敷内の北西に位置すると思われます」
石川が、飯田から見て一番左の建物を指さす。

『京都所司代』とは正確には役職の名のことを言い、
京都守護職が寺田光男であるように、京都所司代という役職を持つ者がいる。
無事勤め上げた後は、江戸老中に召し上げられるのが慣例となっているほどの要職である。

京都所司代は二条城北一帯に広大な敷地を持ち、
例えば京都守護職の手足として会府藩兵や壬生娘。組というものがあるように、
所司代も手足となる『所司代組』というものを持っている。
その所司代組の屯所が所司代組屋敷である。
所司代関連の建物の中では、一番西の外れにある。
166名無し募集中。。。:04/04/14 22:08 ID:vKy26PFe
「東側の、飯田さんから見て右側に隣接する建物が所司代下屋敷(しもやしき)です」
石川の指が紙の上を動く。
「所司代組屋敷の門は五つ。東西南北と、北東に設けられた御用門。
このうち東門と北東門は所司代下屋敷に通じる門で隣接してますから、警備は万全のはずです。
とすると、残るは西か南北か。
牢からの近さで言えば、北門ですね。一門に集中するか、正反対から陽動するか――」

「我らの目的は、濱口らを“勤王党の襲撃から奪還すること”だ。
出てくるところを待ち伏せられればいい」
「ならば北側で張りますか? 見廻組(みまわりぐみ)の巡察とかち合う可能性もありますが」
「……いや、西にしよう。ここで見廻組と事を構えると面倒だ」

京都守護職配下には壬生娘。組や所司代の他にも、いくつか治安のための組があり、
守護職の指示によって警備担当区域が分担されている。
たとえば壬生娘。組は西本願寺周辺と祇園周辺が主な担当区域であり、
所司代は東本願寺周辺と御所周辺を担当している。

その中で京都見廻組は二条城周辺南北の警備を任されている。
旗本の子弟を中心に組織された見廻組は、幕府に対してもそれなりの発言力を持っており、
ここで介入を許すと後々面倒なことになる。
襲撃が発覚すれば駆けつけてくることは間違いないが、できれば事前に顔を合わせたくはない。
167名無し募集中。。。:04/04/14 22:09 ID:vKy26PFe
「……さくら組のほうは?」
「特に目立った動きはありません。いつものとおりのようです」
道重が答える。
「ふむ……」
「和田さんの警護には紺野さんを出してきました」
「紺野、か」
飯田は顎に手を当ててしばし思案をする。
矢口はどういう思惑で紺野をよこしただろうか。

よゐこの身柄引き渡しに憤る矢口の気持ちは、飯田にも痛いほどよくわかる。

飛び抜けた剣力を誇る壬生娘。組ではあるが、
その反面、政治的な話に関わることはほとんど無い。
組織自体に政治的な性格は皆無と言っていい。
壬生娘。はあくまで、京都の治安を維持するための武力的な側面しか持ちあわせていない。

稀に政治的な意見書を幕府に具申することもあるが、
政治的なことに関して壬生娘。組はほとんど蚊帳の外であり、
その点では政事要職でもある所司代や、旗本の子弟で編成される見廻組らに、
一歩も二歩も遅れている感がある。
しょせん浪人の寄せ集めという、幕府の蔑んだ見方もそこにある。

そのことが、壬生娘。組の活動にも影響を及ぼしている。
例えば先ほどの朝廷の動きなど、
対処しようにも所司代や守護職を通してしか、情報を知りえないことは多いのである。
168名無し募集中。。。:04/04/14 22:10 ID:vKy26PFe
壬生娘。の直接の上役である京都守護職、
寺田光男が幕府内部の政事にあまり熱心でないのも影響していた。

その結果、壬生娘。組はただの漠然とした「力」に甘んじ、
政事も絡めた大きな事変に対し、壬生娘。単独では、
包括的な対応ができないというもどかしい状態が続いている。
今、この幕府の危機に際してもである。

「所司代のほうは大丈夫でしょうか」
石川が心配そうな顔をする。
「被害が少ないにこしたことはないが。
だが、逆に勤王党の残党に簡単にやられてしまうようでは、
それが阿佐藩の動きに所司代が対応できないことの証でもある」
「……そうですね」
石川は自分を納得させるように何度かうなずいた。

飯田は政事に介入する力を欲している。壬生娘。のために。
ならば、組の存廃を賭けてでもやらねばならない。
もし仮にこれでおとめ組が消滅したとしても、さくら組は残る。
それが飯田にとって救いでもある。
そのためにも矢口には、耐えてもらわねばならない。
169名無し募集中。。。:04/04/14 22:11 ID:vKy26PFe
「……よし」
飯田は決心を確かめるように口を強く結んだ。
「和田さんが所司代組屋敷に向かうより前に、こちらも行動を開始する」

「じゃあ、夜の巡察に行って来ます」
道重が立ち上がった。
「うむ」
「みんな。今夜からおとめ組は警戒態勢に入るが、
勤王党がいつ仕掛けてくるかはわからない。気を抜かず慎重に行動するように」

「ぶった斬ればいいんでしょ。ようするに」
難しい話には加わろうとしない辻が、大雑把なことを言う。

「また、たくさんの血が流れますね」
石川が言う。
「我らの行くところに血が流れぬことなどあったか」
飯田が静かに答えた。
170名無し募集中。。。:04/04/14 22:13 ID:vKy26PFe
鐘が三つ鳴らされた後、続けて五つ鳴る。
宵五ツの知らせである。

あたりは完全に闇に包まれ、人の通りはなくなっている。
紺野は藤本と共に和田とソニンの警護に就き、所司代組屋敷へ向かっていた。
駕籠を使うことをすすめたが、
和田が「たまには歩いていこう」と言い出し、歩くこととなった。

歩きながら和田を見る。
紺野の持つ提灯の明かりでうっすらと浮かび上がった横顔は、
いつもと同じく、にこにこと笑っている。

昨日、副長の矢口に突然この任を言い渡された。
藤本と共に和田の警護をするのだという。

尋問の立ち会いは、幕府に悪評の立つような過酷な拷問を控えるという、
幕府側の政治的意図により施行されている形だけの制度らしい。
今回の場合更に、あまり勝手なことをされては困るという、
京都守護職による所司代に対する柔らかな圧力も言外に含まれているのだという。

どちらにせよ、恐らくは屋敷に入り、よゐこの顔を見て、
お茶でもいただいて帰ってくることになるのだろう。
171名無し募集中。。。:04/04/14 22:16 ID:vKy26PFe
しかし紺野は矢口に、さらに別の任務も言い渡されていた。
藤本を監視しろとのことだった。

具体的なことはあまり説明してもらえなかったが、
とにかく藤本が任務外の不審な行動を見せたら、それを止めるか、あるいは妨害しろと言われた。
仲間の隊士に向かって穏やかではないように思えたが、
相手がこの藤本であるならば、それもあまり違和感はなかった。

紺野が藤本と初めて顔を合わせたのは、あの読瓜駕籠襲撃の時である。
敵として、刀を交えた。
刀の感触を今でも覚えている。
自分は成すすべもなく一瞬で弾き飛ばされた。
その時の、藤本の顔を思い出す。
表情は全く無かったが、鬼のように感じられた。

それが今、隣に並んで歩き、同じ人間を守っている。
不思議なものだ。と思う。

止めるにしろ、妨害するにしろ、できれば刀を抜かずに何とかしたい、と切に思う。
172名無し募集中。。。:04/04/14 22:17 ID:vKy26PFe
(気まずい……)
海中から顔を出した魚のように口を尖らせて、ふう、と息を吐く。
藤本と、出発してから一度も言葉を交わしていない。

藤本に変な様子がないか、時折盗み見ては目が合い、
思わずわざとらしく目をそらす。ということを繰り返している。

和田は一人で楽しそうに、あちこちの建物を指さしてはソニンに向かって、
「あれが有名な呉服屋だ」「これが強欲な金貸しだ」と言っている。
ソニンは「はあ……」「はあ……」と適当に相槌を打っている。

(ああ、なんでこんな任務に就かされちゃったんだろう)
紺野は空を見上げる。月が昇る前の天には、美しい星空が広がっている。
(これがもし、あの人とだったら……)

と、突然、藤本の声が紺野の耳に飛び込んできた。
「お前――」
紺野は思わず顔を伏せた。
「思ってません思ってません。辻さんとなら良かったなんて思ってません」
「は?」
「……い、いや、なんでもないです。すいません」
顔を真っ赤にしても、薄明かりの下ではわからない。
173名無し募集中。。。:04/04/14 22:18 ID:vKy26PFe
「新しい刀か」
藤本が紺野の腰を指して言う。
「え? あ、あ? はい、そうです」

確かに新しい刀である。
前に使っていた刀は刃がかなり落ちてしまっていたので、
壬生娘。組新編成で隊長に昇格するのに伴い、
思い切って新しい物を手に入れた。

刀に興味があるのかな、とも思ったが、
藤本はそのまま黙ってしばらく紺野の刀を見つめた後、
ふうん、と視線を前に戻し、
自分の腰の刀の柄を、ぽんぽんと二、三度軽く叩いた。

紺野は首をかしげて、これも奇妙な行動だけど、矢口さんの言うこととは違うよな、
と思いながら、再び息を吐く。
(気まずい……)

紺野は、そんな自分との最初の立ち合いが、藤本が刀を折る原因を作り、
その結果、藤本を危機に陥らせたことなどは知る由もない。
174名無し募集中。。。:04/04/14 22:20 ID:vKy26PFe
屋敷に近づいてくると農村のような臭いが周囲に漂ってくる。
中で馬を飼っているせいだ。
話によると、所司代組屋敷では他にも犬や鶏を飼っているのだという。
これはそういった獣の体や糞の臭いなのだろう。

白く長い外壁を回りこみ、南の門の前に来ると、番兵に呼び止められる。
「待たれい」
後ろで数頭もの犬がうるさく吠え、威嚇する。
今にも襲い掛からんという勢いだ。

和田が番兵に名乗ると、しばらく待たされた後、門の中に通された。
案内に従って石畳の上を行くと、
屋敷の玄関をくぐったところで三人の娘に迎えられた。

「和田様、お勤めご苦労様でございます」
一段高い場所で平伏する三人の真中の、一番小柄な娘が半歩前に出て頭を上げる。
「京都所司代組を預かる、監鳥居組(かんとりいぐみ)組頭、木村麻美と申します」
175名無し募集中。。。:04/04/14 22:24 ID:vKy26PFe
三人の娘はそれぞれ、木村麻美、里田舞、斉藤美海と名乗った。
それぞれ所司代組を取りまとめる監鳥居組の組頭を勤めているという。

京都所司代という役職には歴代、譜代大名の中でも強力な藩が就くこととなっている。
現在の所司代は、寺田との親交も深い花畑藩藩主、田中義剛である。

治安の悪化を受けて京都守護職が設置され、
所司代がその下部組織として取り込まれるのに伴い、
配下の兵、与力、同心などを取りまとめる者として、
監鳥居組が新たに所司代組の中に設けられた。
その権限は強く、所司代内部だけでなく、寺社に対する調査の権限も有している。

「石川どのはお元気ですか」
屋敷の奥の広間に通されると、里田がにっこりと笑って言った。
「は、はい。元気ですよ」
何も答えようとしない藤本に代わって、紺野が慌てて答える。
「そうですか。良かった」
「石川さんはここに勤められていたこともあるんですよね」
斉藤が言う。
「そうなのよ。でも石川さん、屋敷で飼っている鳥が苦手で」

「で、早速だけど濱口、有野、それと阿佐浪士たちの尋問はどうなっているのかな」
和田が遮るように話を切り出す。
すると、木村が笑みを絶やさないまま言った。

「ここまで足をお運びいただいて申し訳ございませんが、
立ち会っていただく必要はありません」
176名無し募集中。。。:04/04/14 22:25 ID:vKy26PFe
「それは……なぜですかね?」
和田もそういった解答を覚悟をしていたように、笑みを崩さずに切り返す。

「みうな」
木村がそう言うと、斉藤が周りの番兵を人払いし、広間の障子と襖を全部閉める。
辺りがしんとする。離れたところから、犬の吠え声が聞こえる。

再び、監鳥居組の三人と、和田が座して向き合う。
ソニンはそこから半歩下がり、
紺野と藤本は護衛として、さらに後ろに下がって見守っている。

「実は、よゐこ及び阿佐浪士らに対し、所司代組は尋問する予定がございません」
「……それは?」
「言葉のままです。前阿佐藩主、田森一義様の入洛に伴う勤王派の阿佐浪士の動きは、
我らは既に、さる筋から捉えております」

和田は首をひねる。
「では、そのことは壬生娘。組に?」
「いいえ。阿佐浪士の大きな動きに対する包括的な取り締まりは、
お達しのとおり所司代が仕切りますので、情報の流出はある程度抑えさせています」

「ならば、よゐこらの移管は、単に情報漏洩を封じるためと?」
「それもあります。が、他に――」
木村がそこで一度言葉を切る。
「命を狙っている者がいます」
177名無し募集中。。。:04/04/14 22:25 ID:vKy26PFe
和田が眉をひそめる。
「口封じか」

「実はよゐこらの身柄引き渡しを急いだのは、尋問のためと言うより、
まず重要人の身の安全を守るための意味が強かったのです。
そのために、少々強引な運びとなってしまいましたが」
「命を守るため……かあ」
「はい」
和田が腕を組み、思案するようにうつむく。

命を守るために、あえて牢に囲うということは確かにある。
それはその者が自らの身を守る手段に乏しく、
かつ、ある事象に関して重要な鍵を握るという場合に稀に使われる。
どこで凶刃に見舞われるか分からない町中よりは、
警備の整った牢の中のほうが安全ということはあるのだ。

しかしそこで、紺野は木村の言い分に違和感を持った。
よゐこらの命を守るため?
ならば何故、わざわざ六角牢から所司代に身柄を移す必要があったのだろう。
壬生娘。の守る六角牢のほうが、安全で言えば所司代より上ではないのか。

あるいは六角牢に、内通する者でもいるということだろうか。
だがそれより、木村はよゐこが重要人だから命を守る必要があると言った。
しかし、尋問の必要はもう無いとも言ったのではないか。
だとすれば、もはや命を狙う必要も、守る必要もないはず。
178名無し募集中。。。:04/04/14 22:27 ID:vKy26PFe
「狙っているのは何者か、わかっているのかい」
和田が困ったように、ため息混じりに言う。
「は……」
そこで木村がソニンと、そして紺野と藤本を見る。

「ああ、彼女たちなら大丈夫。信用できる人間だし、聞いたことを漏らすこともない」
「はあ……」
木村は少しためらった後、意を決したように口を開いた。
「所司代が得た情報によれば、よゐこらの命を狙っている者は――」
ごくりと唾を飲み込む。

「壬生娘。さくら組副長、矢口真里」
179名無し募集中。。。:04/04/14 22:29 ID:vKy26PFe
蝋燭が灯された薄暗い広間の、襖がすっと開く。
顔を覗かせたのは壬生娘。さくら組五番隊伍長、亀井絵里。
音を立てずそのまま中に入り、襖を閉める。
「おとめ組屯営内、確かにひとけが無くなっています」

「そうか……」
目を瞑ったまま木像のように固まっていた矢口が、
意を決したように目を開き、立ち上がる。

「どこ行くんですか?」
加護が口をぽかんと開けている。

「所司代屋敷だ」
矢口は恐ろしいほどの真顔で言った。
小さな炎の下で、小さな影が揺れた。
180名無し募集中。。。:04/04/15 02:42 ID:rAaOhP0L
まってました!!!なっちはいつ?
181名無し募集中。。。:04/04/20 07:00 ID:CwCGNjOY
やっとおいついた
182名無し募集中。。。:04/04/21 14:17 ID:jeWtf4K5
名作のヨカーン
183名無し募集中。。。:04/04/22 21:33 ID:DaBvF+Tu
鐘の音が夜の空に鳴り響く。

「戌(いぬ。宵五ツ)、か」
暗闇の中、飯田はひとり呟く。
あたりに人の気配はなく、野良犬の足音一つしない。

田中の予想したとおり、日が暮れても京の盆地から暑さが抜けることはなかった。
粘りけのある汗がじっとりと飯田の体中にまとわりつく。
ぬるい風が時折、所司代屋敷の家畜の臭いを飯田の鼻腔まで運んでくる。

所司代組屋敷の西側に位置する町人屋敷の軒下に、腰を降ろして腕を組んでいた。
阿佐勤王党残党による所司代組屋敷襲撃を監視するためである。

壬生娘。組は日頃から、京都内にこのような場所を数箇所確保している。
今回のような場合や、戦時における緊急の潜伏場所として家主を買収しているのである。
もちろんこれは正規ではなく、秘密裏に隠れ家として確保しているもので、
壬生娘。以外にこの場所を知るものは、たとえ京都守護職であってもいない。

ふ、と飯田の頭上にかぶさるように、人影が音もなく現れる。
「どうだ」
飯田は影に目もやらず言う。

「動きはまだありませんねえ」
緊張感に欠ける気の抜けた声は小川である。
小川は屋根の上で細い筒状の遠眼鏡を片目に当て、
所司代組屋敷を監視していた。
184名無し募集中。。。:04/04/22 21:34 ID:DaBvF+Tu
「そろそろ和田さん達が来る頃だと思いますけど……あ、来た」
数頭の犬の吠える声が遠く所司代屋敷の方角から聞こえてくる。

「前から順に藤本さん、あさ……紺野、和田さん、ソニンさん。四人ですね。
やあっぱり紺野ちゃん、気まずそうだなあ」
小川は筒を覗き込みながら、どこか楽しそうに続ける。
「……あ、今、南の門から中に入りました」

飯田は腕組みのまま小声で会話する。
「警備はどうだ」

「南、西、北、と。東はちょっとここからだと見えにくいですけど、
各通り沿いにきれいに配置してますね。内側には犬もいますし、
さすがに今晩は警戒しているみたいです」
「ふん。“京ざる”の所司代も本拠ならそれくらいはするか」

飯田らが上洛して間もない頃、はじめて見た京都の“ざる”は、
それまで慣れ親しんでいたものに比べ目が粗く、
「豆腐も通す京のざる」と内輪ではよく言われていた。
それを揶揄して、飯田ら壬生娘。組の幹部は所司代の警備を皮肉交じりでそう呼ぶことがある。

元より、所司代の警備強化も想定してこの先半月は毎晩見張るつもりであったが、
初日は警備が浮き足立つことも多く、勤王党も狙う可能性が高い、と密かに思っていたが。
185名無し募集中。。。:04/04/22 21:35 ID:DaBvF+Tu
「あ〜、でも」
屋根上の小川が筒を覗き込みながら言う。
「ちょっと変ですね」
「変とは」
「う〜ん。外側を巡回してる人たちなんですけど。
顔が変わらないんですよねえ」
「うん?」
「いえ、あの〜。所司代組の警備って、こう、二人組でぐるぐると、
屋敷の周りを回る方式だったと思うんですよね」
筒に目をつけたまま、指先をぐるぐると回す。

「でも今晩は同じ顔がいつも同じところにいるから、
たぶん回ってるんじゃなくて、それぞれの組が角で反転して往復してるんじゃないかと」
「……ふむ」
飯田は腕を組んだまましばらく考え込む。
つまり同じ面だけを一面ずつ、同じ人間で受け持っているということか。

「臭うな」
「馬だけじゃなくて、犬やら鶏やらいろいろ飼ってるらしいですからねえ」
「麻琴、そうじゃない」
186名無し募集中。。。:04/04/22 21:36 ID:DaBvF+Tu
「どう?」
飯田の背後からもう一つ人影が現れる。
辻である。
辻の後ろには道重の姿もある。
二人とも黒の羽織の上に襷掛けをし、額に鉢金をつけ、両腕には篭手をつけている。
戦(いくさ)の装いである。

務めの性格上、大人数で動いて所司代に悟られないようにするため、
ここには幹部の他は平隊士を数人連れてきているのみである。
飯田ら先陣の後方で、辻が道重と共にその平隊士を従えて待機している。
何かあれば飯田がまず斬り込み、辻、道重と平隊士がその後に続く。

辻が軽く咳をする。
「風邪か?」
「うん? うん、ちょっと」
辻は自分でもよく分からないのか、首をひねって答える。

「だから寝冷えには気をつけろと、あれほど言ったろう。京の夏風邪は長引くぞ」
飯田は鼻から大きく息を吐く。
辻がけほんと咳き込む。
「つらければ屯所に帰れ。他の者に任せる」
「大丈夫」
「無理をして皆に迷惑をかけるくらいなら――」
「大丈夫だってば」
辻が声を荒げる。
187名無し募集中。。。:04/04/22 21:38 ID:DaBvF+Tu
「しーーーーー!」
上の小川が目を剥いて口の前に人差し指を当てる。
「わたしだって壬生娘。の組頭だよ」
睨む辻をしばらく見つめた後、飯田はふっと口元をゆるめて上を見上げる。

いつの間にか、いっぱしの口をきくようになったものだ。
おとなしかったあの辻が。
体の大きさこそ入隊の頃と変わらないが、顔つきは随分と変わった。
今は後方の指揮を任せられるほどに成長してきている。
はじめて出会った頃の頼りなさから考えれば、大した成長ぶりだ。
少々寂しく、複雑な想いもあるが。

飯田は目を細める。
辻だけではない。
みんな、人によっては少しずつの者もいるが、
確実に成長している。

大丈夫かな。と思う。
もう大丈夫だ。安心して背中を任せることができる。
もう自分は常に、迷わず先陣を切っていける。
いつ命を失ってもいいかもしれない。
188名無し募集中。。。:04/04/22 21:39 ID:DaBvF+Tu
「局長?」
辻が飯田を見て眉間に皺を寄せる。
「また飛んでっちゃってるんですかねえ?」
道重が飯田の視線の先を見つめる。
見上げた空は、薄い雲が月を覆い隠している。

これは賭けだ。飯田は思う。
うまく行けば壬生娘。組は阿佐の重要な参考人を取り戻し、
同時に、京都守護における主導権を握ることができる。

しかし失敗すれば。
重要な参考人を手に入れられないだけでなく、
おとめ組をも失うかもしれない。

だが壬生娘。組はこれからも京都を、そして幕府を、天子を守っていく。
そのための戦いだ。

ただ剣の力のみでここまでやってきた。
しかしこれからは、政事における力も壬生娘。には必要になる。
所司代を失墜させるためではない。あくまで京都の治安を思えばこそである。
今のように、現場も知らないような老人達に根幹を握られているような状況では、
足りないのだ。
だから政事の力を、剣で奪う。
189名無し募集中。。。:04/04/22 21:40 ID:DaBvF+Tu
たとえおとめ組を失っても、さくら組があれば壬生娘。は生き長らえる。
そのためにあえてさくら組を騙すようなことをした。

「飯田さん?」
辻が飯田の目の前で手のひらを振ってみせる。

「いや……」
彫像のように固まっていた飯田がいきなり口を開き、三人はびくりとする。

「我々はまさしく梟のようだな、と思ってな」
その言葉に、三人は首をかしげる。
「飯田さんどうしちゃったの?」
「大丈夫ですか?」
「さあ? まあ〜、いつものことじゃ」

「梟には夜が似合う」
飯田は薄曇りの空を見上げ、ひとり微笑んだ。

「ふくろう?」
三人は声を合わせて、さらに首をかしげた。

もしこれが失敗したとしても、この辻たちの命までは奪わせまい。
そのために自分が先陣を切る。
190名無し募集中。。。:04/04/22 21:44 ID:DaBvF+Tu
「そんなわけありません!」
紺野は思わず叫んでいた。
額にじわりと汗がにじむ。

矢口が濱口、有野の命を狙っている?
そんなことあるはずがない。
両名は壬生娘。組にとっても重要な参考人だ。

木村は紺野をちらりと見た後、和田に向かって静かに言った。
「もちろん、我々も確実にそうだと思っているわけではありません。
仮にも壬生娘。組の副長たるお方。我々とてにわかには信じがたい。ですが」
再び紺野と藤本を見る。
「そういった話がある以上、用心にこしたことはありませんので」

「その話の出所は教えてもらえないのかね」
和田が言う。
「さる筋、としか申し上げることはできません」
「ふむ……」
「それだけでは全く、矢口さんを疑うには足りないでしょう」
紺野は木村を睨んだ。

「壬生娘。さくら組四番隊組頭、紺野あさ美殿。でしたか。
我々もこれで、様々な“つて”を持っております。
その中で、矢口殿に関するお話を色々と耳にすることもあります。
たとえば……里田」
「はい」
里田と呼ばれた娘が前に出た。
191名無し募集中。。。:04/04/22 21:45 ID:DaBvF+Tu
「壬生娘。組が有野、濱口両名――つまりよゐこ捕縛のために出陣したとき、
副長の矢口殿自らが先頭に立って指揮をお取りになった。御本人の希望だったそうですね」
里田が言う。

「それは……再編成で最初の大きい捕り物だったから、副長自らが責任を持ってやりたいと。
それに目的は捕縛であって、暗殺では」
「しかし、実際には有野は旅籠の一階ですぐに捕まり、濱口は屋根から逃走。
その後、そちらにおられる――おとめ組の藤本美貴殿により逃走経路を断たれる。
矢口殿はあとからその場に駆けつけた」
「それが?」
紺野が不満げに頬を膨らませる。

「つまり、旅籠突入のどさくさで斬ることができなかった」
「な!」
紺野はそのあまりに無礼な物言いに、日頃は小さな声を荒げた。
「ただの仮定じゃないですか!」

里田は紺野の叫びも意に介さず続ける。
「その後、二人の収容先を奉行所も管理する六角牢ではなく、
壬生娘。の屯所内に置くと強く主張したのも矢口殿です」
「それは身柄を確保したのが私たち壬生娘。組だからです。
あなた方のように、横槍を入れる方々がいるから」
192名無し募集中。。。:04/04/22 21:46 ID:DaBvF+Tu
「横槍ではない」
木村が横から口を挟む。
「勘違いされては困る。これは幕府による正式な通達だ。
そこら名もない不逞の輩ならいざ知らず、元滅茶勤王党の幹部ともなれば、
見廻組か、長らく幕府の信任を得てきた田中義剛様配下の我らに回されるのが当然でしょう」
「それを横槍と言うんじゃないですか」

里田は構わず続ける。
「幕府の方から移管が通達された時、激しく食い下がったのも矢口殿と聞いております。
我々に事実上の身柄が引き渡された後も、しつこく面会を求めてきた」
「あの二日間、身柄は壬生娘。の方にあった。
むしろあなた方が会わせないようにしたのではないですか」
「暗殺の恐れがあったのだ。守るのは当然だ」
「すべて憶測でしょう」

卑怯だ。と思う。
悪意があれば、物事など、どうとでも悪く取ることなどできるのだ。
だから物事を推測する時には悪意なき洞察と、万人が認める証拠が必要になる。
そう紺野は思っている。
しかし彼女らは「さる筋」の名のもとに、悪意に満ちた仮定を積み重ねている。
敵と味方の区別さえあれば、真実などどうでもいいと言わんばかりに。

学者肌の紺野には、監鳥居組が矢口を疑っていることだけでなく、それが許せない。
客観無き憶測の先に真実など見えてくるはずがない。
193名無し募集中。。。:04/04/22 21:48 ID:DaBvF+Tu
「まあ、可能性はあるのかもしれないね」
しばらく黙って聞いていた和田が口を開いた。
「和田さん!」

「しかし木村さん。矢口がそこまでよゐこを暗殺したがる理由はなんだろう」
そうだ。いくら状況から悪意に満ちた仮定を組み立てられても、
矢口さんにはよゐこを斬る理由が無い。

すると木村は少しも表情を変えず、続けた。
「第二次藤州征伐が完全な失敗に終わった背景に、
内部からの密告があったという話はご存知でしょうか」
「うん。まあそういうこともあったんじゃないかという話は聞いているが」

幕府による第二次藤州征伐が失敗した最も大きな原因は、
長年の仇敵であった読瓜藩と藤州藩の間に軍事同盟が結ばれたためとされている。
しかしそれ以外にも、求心力を失った幕府に対する諸藩の従属の意識の低下や、
それにともなう情報の漏洩も確かにあったと聞く。

「矢口殿は以前、藤州と関係を持っていたそうですね」
紺野は、はっと息を呑んだ。
ちょっと待て。この人はもしかして、矢口さんのことを。
194名無し募集中。。。:04/04/22 21:50 ID:DaBvF+Tu
「藤州の数ある諸隊の中でも奇兵兵兵隊(きへいへいへいたい)に並ぶと言われた笑犬隊。
そこに取り入っていたとか」
「それは藤州の軍備状況を探るために」
「どうでしょう。状況を探るために潜り込んだ者が、
逆に相手に取り込まれてしまうことも珍しいことではない」
やはりそうだ。監鳥居組は矢口さんを内通者として疑っているのだ。

「まあ、笑犬隊は隊長格の南原と内村が読瓜の手の者に斬られて壊滅しました。
ところでご存知の通り、滅茶勤王党は藤州藩に支援基盤がありましたが、
阿佐藩に対する勤王活動の多い集団でした。
それはひとえに、阿佐藩出身の浪士が多く所属していたからです。
そして中でも大きい影響力を持ったのが、阿佐藩浪士岡村隆史。
聞くところによると、矢口殿はこの者とただならぬ関係にあったとも」

――岡村隆史。
しばらく忘れていたその名を聞いて、紺野はある種の衝撃を受けた。
確かにその名を、壬生娘。は知っている。
ほぼ、互いに敵対するような立場になってからも尚、未だ先生と呼ぶ者もいる。
或いは矢口も。
195名無し募集中。。。:04/04/22 21:53 ID:DaBvF+Tu
「いや、そんなことは……」
紺野は瞳を宙にさまよわせながら尚も食い下がる。
「その筋によれば、有野と濱口は、矢口殿と藤州の関係について重大な証拠を握っていたとも」
「そんなわけありません」

「果たしてそうでしょうか。
いや、もしかしたら、そちらの方ならご存知かもしれない」
そう言うと、木村は和田からも紺野からも視線を外し、一人の娘を見た。

「どうでしょう? ソニンさん」
「え?」
意外な指名に驚く。
さくら組の紺野はソニンのことを知らない。
紺野は、ソニンのことをただの和田の付き人程度としか思っておらず、
しばしその存在を忘れていた。

「元笑犬隊隊士ソン・ソニン。あなたは笑犬隊初期より前線部隊に所属している。
しかしその正体は、どうやら和田様ご配下の者であったらしい。
とすれば、矢口殿がご存知だったかは分かりませんが、
同じく笑犬隊の内部事情を探っておられた。
笑犬隊壊滅後、島原にて滅茶勤王党幹部、濱口優とも深いかかわりを持ったあなたならば、
もっと詳しいことをご存知ではないのですか」
196名無し募集中。。。:04/04/22 21:54 ID:DaBvF+Tu
遠くの鐘の音が、さくら組の屯営に響く。
刻を知らせるため、まず三度。その後、五度打ち鳴らされる。
宵五ツを知らせる鐘。

「なんですって?」
蝋燭の小さな炎のもと、加護がぽかんと口を開けたまま言う。

「なんでもなにも、そのままだ」
立ち上がった矢口が、腰に刀を差しなおしながら加護を見下ろす。
「所司代屋敷へ行く。恐らくおとめ組もそこにいる」
「は?」

口をぽかんと開ける加護を無視して、矢口は亀井を見る。
「亀井」
「はい」
「新垣を呼べ」
「はい」
197名無し募集中。。。:04/04/22 21:56 ID:DaBvF+Tu
矢口は襖を開け、座敷を出る。
慌てて加護も立ち上がり、腰に刀を差しながらついていく。
「吉澤はいるか!」
矢口が廊下で大声で叫ぶと、すっと目の前に大きな影が現れる。
「ここに」
早足で歩きながら言う。
「留守を頼む」
「……は」

屋敷を出ると、平隊士に蔵を開けさせて防具を運び出させる。
矢口はそれらを受け取り、手早く体に纏いながら言う。
「少人数で動く。加護、新垣は各隊精鋭を三名ずつ選び、
出動の準備をさせろ。亀井もだ。吉澤と残りの隊士は屯所で待機。
忍びだ。灯りは最小限で」

「あの……なにを」
加護が恐る恐る聞くと、それまでこまごまと動いていた矢口は、
立ち止まって答えた。
「さくら組はこれより、
濱口、有野両名、及び阿佐浪士三名を取り返しに、所司代屋敷へ向かう」
198名無し募集中。。。:04/04/22 21:57 ID:DaBvF+Tu
「……ん?」
小川が屋根の上で小さく呟く。
「動きがあったか?」
飯田が言う。
「いえ……笛の音だ」
「笛?」

飯田は耳を澄ます。
確かに、遠くの山合からかすかに笛の音が聞こえてくる。
「……祇園囃子か」
それは京都の祇園祭特有の、祇園囃子と言われるもののようだった。
山鉾と呼ばれる祇園祭最大の見物である山車を取り回すときに演奏される。

恐らくは一人で演奏されているその笛の音は、
俗に「コンチキチン」と言い表される独特の鉦や太鼓の音が伴っていないためか、
どこか寂しく感じられた。
199名無し募集中。。。:04/04/22 21:59 ID:DaBvF+Tu
「ああ、そういえば本当なら今頃は、祇園祭の最中だったんですよね」
「小川はまだ見たことなかったか」
「ええ」

飯田も京都に生まれ育ったわけではないから、
祇園の祭りにかける京洛人の気持ちまでは分からないが、
はじめて祇園の祭りを見たときの、あの大きな通りを占拠し立ち並ぶ山鉾の荘厳なつくり、
溢れかえる人々の喧騒、そして夜のどこまでも続く無数の提灯の灯りは、今でも覚えている。

飯田のふるさとである蝦夷はもちろん、江戸でもあんな思いをしたことはなかった。
それはまるでこの世ならぬ、夢幻の迷宮に迷い込んだかのような、
まさしく一月かぎりの祭りの街であり、宴の都であり、暗闇に浮かぶ一塊の灯火であった。

京都に来てまだ二年程度の小川はそれを見たことがない。

何故なら京都で毎年この時期、一月に渡って行なわれていた祇園の祭りは、
三年前の幕府と藤州の激突によって生じた大火で多くの山鉾を焼失して以来、
僅かな神事がひっそりと行なわれているのみだったからである。

祭りが催されないことを残念がる声も少なくなかったが、
幾多の山鉾を作り直す余裕も、活力も、今の京都にはなかった。
200名無し募集中。。。:04/04/22 22:00 ID:DaBvF+Tu
「動き無いですね……」
小川が呟く。
「どこから来ると思います?」

石川との話によれば、牢から一番近い北門。
しかし滅茶勤王党の残存勢力をまだ見極めきっていない。
首領の武田真治は失ったものの、まだ強力な幹部は息をひそめ、
京都のあちこちに潜っているという話もある。

正面から来るか、それとも壁を越えてくるか。
もし残党の規模がこちらの予想を上回るものであれば、
もっと思い切った行動に出てくるかもしれない。

とその時、祇園囃子の笛の音がやんだ。
「あ、動きました!」
遠眼鏡を覗いていた小川が言った。
目に見えない緊張が、飯田らの潜む屋敷の中を走る。

「どこの門だ」
飯田はその場から所司代組屋敷に向かって目を凝らす。
大きい動きがあるようには見えない。
大人数で門を突破するようなことがあれば、声にしろ人の動きにしろ、
必ずこちらから見て分かるなにかがあるはずだ。
201名無し募集中。。。:04/04/22 22:02 ID:DaBvF+Tu
「北か?」
「いえ……」
「南か?」
「東……です」
「何?」
東側と言えば、隣の所司代下屋敷に接する通りであり、一番監視の目が多い場所のはずである。
事前の話し合いでも可能性は最も低いとしていた。
だから西側のこの屋敷に監視の拠点を構えた。
(東?)

「犬は」
「わかりません。薬で眠らされているのかも」
「人数は」
「三……四人。あ、いや、どこだ? 増えてます!」

「行く?」
辻が後ろから姿をあらわす。
「まだだ、待て」
壬生娘。組の狙いはあくまで“脱走した罪人の奪還”である。
よゐこ及び阿佐浪士が所司代組屋敷から脱走か、
あるいはそのそぶりを見せるまで待たねばならない。
“通りすがりの部外者”が屋敷のそばに踏み込めるだけの条件が必要なのである。
その見極めは慎重にしなければならない。

しかし何故、奴らは東から現れることができたのか。
202名無し募集中。。。:04/04/22 22:03 ID:DaBvF+Tu
「知っている顔はあるか?」
「灯りを持っていないので、ここからでは分かりません」
屋敷の内の階段を上り屋根に出る。
「貸せ」
小川から遠眼鏡を奪い取るようにして覗く。

確かに、五つ六つの影が静かに、屋敷の中を窺いながらうろついているように見える。
所司代の警備の姿はない。
近くに灯りが一つも無いため、見えるのは空からの僅かな光りに浮かび上がる影だけであり、
顔など判別しようがない。

滅茶勤王党の幹部が出てきているのか、そもそも滅茶勤王党なのか、
それすらまだ分からない。
「飯田さん!」
下から辻が急かす。

「……北西の牢に到達したら教えろ」
飯田は自分の心を落ち着かせるようにゆっくりと息を吐くと、
遠眼鏡を小川に返した。
勤王党がよゐこを救い出さなければ、無意味なのだ。

たとえば今、所司代組屋敷に侵入している者が、
“よゐこ脱走のためにやってきた滅茶勤王党の残党”でなかったら。
誤って突入して、間違いでしたでは済まない。
203名無し募集中。。。:04/04/22 22:04 ID:DaBvF+Tu
飯田は、北側を占める広大な所司代の“領地”を含めた二条城の一帯に目を凝らす。
(敵はどこにいる)

階段を下りる。

滅茶勤王党の残党を、壬生娘。組は正確に把握しきれていない。
聞いた噂は有象無象のものばかりだった。

(どうする圭織……)
今、どれくらいの武力を持ち、財源を保持し、組織としての体裁を保っているのか。
もしその中でも最悪のものが真実だとしたら。
もし。
その規模が今この人数では抑えきれないほどのものだったら……。
所司代の被害も見過ごすわけには行かない。
(紺野。藤本……)

「侵入者、北西の牢に到達しました! 見張りが倒れているようです!」
小川が屋根の上で叫んだ。
(牢に取り付きさえすれば、言い訳は立つ。か)

「よし、出るぞ!」
言うや否や、飯田は自ら先陣を切って所司代組屋敷に向かい駆け出していた。
204ねえ、名乗って:04/04/22 23:13 ID:GZb3pMTk
更新乙です。
読んでてすっげえ緊張しますよ
205名無し募集中。。。:04/04/29 10:31 ID:eXnVYEjd
今一番更新が楽しみなのはここだな
206名無し募集中。。。:04/04/30 22:07 ID:KjWIOiOV
「木戸番閉まっちゃいますよ」
「構わない。緊急時だ」

――さくら組屯所。
武具類を収めた蔵の前で加護と矢口が向き合っている。

扉の横に置かれた二つの大きな篝(かがり)に焚かれる炎が、
白い壁に映りこむ二人の影を揺らす。
くべられた木片が炎に弾け、火の粉を巻き上げる。

加護はまだ、矢口の判断に迷っているところがある。
性急すぎる気がする。

矢口がおとめ組――というか、局長の飯田に対して、
常々不信にも似た感情を抱いていることは知っている。
二人の対立ははっきり表面化することこそなかったが、
以前からうっすらと、半紙の上にぽたりと落ちた薄墨のように、
じわりと、知らず知らずのうちに広がっていたように感じていた。

それは藤本の加入によって少しずつ形を成し、
今回のよゐこ所司代引き渡しでより明確なものになったように思う。
207名無し募集中。。。:04/04/30 22:08 ID:KjWIOiOV
(おとめの好きにやらせはしない)

おとめ組屯所からの帰り道、矢口ははっきりとそう口にした。
もちろんそれまでも組同士の対抗意識のようなものはあったし、
互いに負けん気を口にすることはあったが、
加護を前にして、飯田を名指しにそこまではっきりと言ったのは、初めてであったように思う。

そして今回の性急な動き。
とぼけたふりをしてその都度はぐらかしては来たが、
加護の中には、矢口に対する拭いきれない違和感のようなものがある。
矢口は何かに焦っていないか。

「副長。取り返すって、どういうことですか?」
そう、二人の間に割り込んできたのは新垣だった。
矢口は威圧するような目で新垣を見る。

留守番を言い渡された吉澤は、少し離れた場所で何も言わず成り行きを見守っている。
亀井は蔵から運び出される防具を逐一確認しながら、
彼女なりにこの異様な雰囲気を感じ取っているのか、
ちらちらと不安げに視線をさまよわせている。
208名無し募集中。。。:04/04/30 22:10 ID:KjWIOiOV
「取り返すのは、おとめ組になるだろう」
「?」
新垣は首をひねる。
「それって、おとめが所司代屋敷にいるってことですか?」
「……そんなところだ」

新垣はさらに反対方向に首をひねる。
「どういうことですか?」
「詳しいことは加護に聞け」
矢口は冷たくそう言い放つと、
新垣から視線を離して篭手を手に取り、左腕に巻き、固定するための紐の片端を口にくわえる。
言われて新垣は加護を見るが、
加護は困ったように、黙ったまま矢口を見つめつづける。

「やっぱやばいっすよ。局長に断りもなく」
「やはり拷問でも何ででも、無理矢理吐かせればよかったんだ」
矢口は新垣の言葉を無視して独り言のように、呟く。
篝火にあてられて加護の額にじっとりと汗が滲み出る。

「……新垣ちゃん」
加護はゆっくりと口を開いた。
「たぶん、おとめ組は何か掴んでるんだよ」
209名無し募集中。。。:04/04/30 22:10 ID:KjWIOiOV
「ん?」
不満そうにしていた新垣がさらに眉間に皺を寄せる。
「新垣ちゃんも、飯田さんが素直によゐこを所司代に渡したの、
ちょっとおかしいと思たでしょ」
新垣は腕を組み、首を傾けてしばらく考えてから答える。
「うん」

「この二日、うちらは六角牢に近寄ることもさしてもらえなかったけど、
その間にうちも矢口さんに言われて色々と探ってたんよ」
「うん」
「そしたらここ数日、所司代の御所警備が強化されてるって話があった」
「うん」
「だからその間、所司代屋敷の警備が手薄になるんじゃないかって」

「……うん? じゃあ、おとめ組が代わりに屋敷の警備をするってこと?」
「そこまで飯田さんもお人よしやないよ。矢口さんの受け売りやけど」
ちらりと矢口を見る。

「飯田さんも、実はよゐこの身柄引き渡しを認めてないんじゃないかって」
「え? それってもしかして……」
新垣の眉毛が八の字になる。
「所司代の警備薄くなったの狙って、飯田さんが所司代屋敷襲うってこと!?」
「ちゃうわ、あほか」
210名無し募集中。。。:04/04/30 22:11 ID:KjWIOiOV
「襲うとしたら、滅茶勤王党ですよね」
亀井が口を挟む。

「あ、そっか。まだ残党がいるもんね。よゐこは元幹部だし、
屋敷の警備が薄くなることを知っていれば、当然救い出すことも考えるよね。
……ん? じゃあ、おとめ組は何をしに? 警備じゃないんだよね」
「そやから、飯田さんは横取りを狙ってるんやないかと」

「あ、なるほど〜、だから“取り返す”か。……って、ええ!!」
新垣は大袈裟に手を打った後、大きく目を見開く。
「それやばいじゃないですかー!」

新垣は一人で焦っている。
亀井は何故か満足げに微笑んでいる。

そうだ。危ない。と加護は思う。
勤王党残党と対峙する。それだけでも決して楽なことではない。
しかしそこから更に、飯田は“勤王党残党が救い出したよゐこ”を、
更に奪還しようとしていると言うのだ。
襲う勤王党、守る所司代組。そこに横から加わってよゐこを手中に入れようと言う。

矢口からその推測を聞かされたとき、加護はにわかには信じられなかった。
今、数々の功を認められ、ここに大きな屋敷を構えるまでに至ったこの時期に、
壬生娘。がそこまでやる必要があるのか。

少なくとも京都守護においては、壬生娘。組は磐石の地位を築きつつある。
ここであえて、自らその地位を手放す危険を冒す理由があるのか。
211名無し募集中。。。:04/04/30 22:12 ID:KjWIOiOV
その時、そう言うと矢口は答えた。
(昔の壬生娘。はそれくらいのことやってきたんだ。圭織なら、やるさ)

まだ足りないというのか。
この地位に安住することを、飯田は望んでいないということなのか。

加護は新垣に、よゐこ引き渡しに素直に応じた飯田がおかしかったと言った。
しかし心の内では、飯田の行動にどこか納得している自分もあった。
だが今、矢口の推測を証明するようにおとめ組が屯所を空けている。

「圭織は和田さんと共謀しているということだ」
それまで黙って聞いていた矢口が口を開いた。
「和田さんも?」
「それならすっきりするだろ。あの人なら持ちかけかねん」
確かに。
和田と結託しているのならば、その信頼性も狡猾な策略も格段に説得力を持つ。
しかしならば、さくらは余計に――

「前阿佐藩藩主、田森一義公も上洛されるという話もある。
だとすれば、それは断然、滅茶勤王党の残党だ」
矢口が続ける中、加護は思う。

ならば余計に、さくら組は動くべきではないのではないか。
和田と飯田が詳細な策略を持っているのであれば、
そこにさくら組が無闇に顔を突っ込むのはかえって危険なことではないのか。
212名無し募集中。。。:04/04/30 22:13 ID:KjWIOiOV
事はよゐこの身柄だけでなく、壬生娘。の存続にさえ関わる。
これは同じ幕府指揮下の組織同士の内紛のようなものである。
しかもよゐこは幕命で壬生娘。組から所司代組に引き渡されたばかりだ。
壬生娘。の不利に転ぶ可能性のほうが高い。

確かに戦力は多いほうがいいというのはあるだろう。
しかしそれでも飯田はさくらに隠した。

飯田は戦功を争って隠しごとをするような人間ではない。
ならば理由は一つではないのか。
さくら組を巻き添えにしたくないのだ。
その意図を矢口は分かっているはずだ。

それでも尚、矢口が出撃に拘るのは何故だろう。
ただのおとめ組――飯田への対抗意識とも思えない。

「滅茶勤王党は――」
そこで矢口は言葉を一旦切る。
矢口は加護を見ていた。

「圭織が危ない」
213名無し募集中。。。:04/04/30 22:13 ID:KjWIOiOV
(少し遅れているか)
飯田は暗闇を駆け抜けながら後ろを振り返った。
陣を構えていた屋敷から距離にして約三町ほど。
後発で平隊士を引き連れた道重らの出足が遅れている。

狭い路地を抜け、見通しのきく大通りに差し掛かる。
暗い大通りには人一人歩いていない。

(まだ気づいていない?)
壁越しに見える所司代組屋敷西門には、警備の者が二人いる。
何事も起きていないように平然と、いつものように直立している。
東側の侵入者にまだ気づいていないのか。

飯田が後ろの闇に向かって手のひらを見せる。
追ってきた辻、小川の二人が足を止める。

「東側に回りこむ。門番に悟られるな」
そう小声で囁くと、再び走り出した。
214名無し募集中。。。:04/04/30 22:15 ID:KjWIOiOV
二人も飯田の後に続く。
来た道を一度引き返し、
所司代組屋敷の外塀から一本外側の路地を西から北、北から東へと大きく回りこむ。
後ろを見る。道重はまだ来ていない。

すると辻が小さく咳き込む。
「大丈夫か」
「大丈夫だってば」
辻がうるさそうに返す。

飯田は一瞬考えた後、辻に言った。
「辻、戻れ」
「やだよ」
「そうじゃない。道重のところまで戻って、隊を誘導しろ。門番に悟られぬようにな。
東側から突入する」

辻は不満げに飯田をじっと見つめる。
「行け」
「……わかった」
辻は頬を膨らませたまま、もと来た道を走って戻っていった。
215名無し募集中。。。:04/04/30 22:15 ID:KjWIOiOV
所司代組屋敷の北東――
飯田は小川と共に、ちょうど隣接する所司代下屋敷との間の路地の角まで音も無く辿り付くと、
影に隠れ、呼吸を整えながら様子を窺う。

飯田は塀の陰から見たその光景に、驚きを隠せなかった。
屋敷の門が隣接するという、最も警備が多いはずの場所に、
人が一人もいない。

(どういうことだ?)
倒された死体すらない。誰も、いないのだ。

見張りを立てていた西の屋敷からは完全に死角になっていた。
(所司代は、ここに警備がないことに気づいていない?)

上から監視していた小川の言葉を思い出す。
今夜の警備は何故か、屋敷の外周をぐるりと回るのではなく、
どうやら角できびすを返して往復していると。
だとすれば、他の方面を警備する者はこの事態にまだ気づいていないかもしれない。
216名無し募集中。。。:04/04/30 22:16 ID:KjWIOiOV
(裏をかかれているのか)
何者かは分からない。が、この襲撃の主謀者は、
飯田が想像していたような“襲撃”ではなく、
もっと綿密に、所司代内部の動きまで鑑みて、
詳細な計画を立て、静かに行動を謀るとししているように思える。

飯田はしばし様子を窺う。
しかし、動くものはどこにも見えない。
(……罠か?)

しかしその時。
所司代組屋敷の北東門の内側より二つの影が現れた。
影は明らかに周りを警戒し、抜き身の刀を持って辺りを見回している。
(滅茶勤王党か?)
217名無し募集中。。。:04/04/30 22:17 ID:KjWIOiOV
所司代組屋敷の中からは相変わらず、騒ぎは聞こえてこない。

二つの影は見張りだろうか。
少なくとも所司代ではない。

飯田の心臓が静かに脈を打つ。

これが滅茶勤王党の残党だとして、
飯田らが駆けつけた時刻の差から言って、よゐこはまだ外に運び出されていない。
このまま運び出されるのを待ち受けるべきか。

よゐこが出て来る前に突入すれば、
滅茶勤王党の襲撃は所司代組屋敷内部で完結し、
二人の身柄はこのまま所司代に固定されたままになる可能性が高い。

だがこの妙な静けさは何だ。
本当に滅茶勤王党によるよゐこ救出は進行しているのか。
そもそも何故、所司代の警備がいない。
滅茶勤王党の策略はこちらが思うより綿密で、想像以上に大規模なものなのか。

(それとも……滅茶勤王党ではない?)
218名無し募集中。。。:04/04/30 22:18 ID:KjWIOiOV
もしそうであるならば、このままただ待ち続けることは、
或いは所司代、そしてよゐこの命、
さらには中にいる和田の命まで危険に晒すことになりかねない。

背後を見る。道重の隊はまだ来る気配がない。

(ここが分かれ目か……)
飯田はぎりりと奥歯を噛み締めた。

「麻琴、壁を越えろ。
中の様子を窺って報告。まず北東門を破る。私は正面から行く。
顔をよく見ろ。滅茶勤王党の幹部ならば斬らずに極力捕える」

「行け」
「ほ〜い」
言い終わるや否や、小川はひらりと軽やかに細身の体を宙に舞わせ、
音も立てずに所司代組屋敷の外塀の上に取り付いた。
訓練された乱波の動きである。

飯田は、小川の動きに同期して北東門に踊り出る。
慎重に腰の長刀(ちょうとう)を抜き、
まだ気づいていない二つの影に音も立てず近寄った。
219名無し募集中。。。:04/04/30 22:19 ID:KjWIOiOV
――所司代組屋敷内。
八畳ほどの座敷の中の視線が一人の娘に集中していた。
ソニン。

「どうなの、ソニン」
いつの間にか前のほうに進み出ていた紺野がソニンを見ている。
ソニンは黙ったまま、木村の視線を受けとめていた。

しばしの刻が過ぎた後、やがて意を決したようにソニンが口を開こうとすると、
横から手が伸びてそれを制止した。
「いや、いい」
和田だった。

「うん。所司代組の考えは分かった。義剛公の考えも同じということでよろしいな?」
和田は落ち着いた調子で言う。
「ならば、今日のところはこれで良しとしておきましょうか」

木村はソニンから和田に視線を移し、またもやしばらく見つめた後、
「……なるほど。あるいは矢口殿だけとは限りませんな」
と言った。

「和田様は岡村を買っていなさる」
「不用意な発言はよしてください」
紺野が言った。
220名無し募集中。。。:04/04/30 22:20 ID:KjWIOiOV
木村は矢口さんを疑い、そしてその真偽を聞き出そうとしたソニンの口を止める和田さんを、
矢口さんの同類(すなわち藤州の内通者か?)と牽制し、
そして岡村の名前まで引き合いに出した。

これはつまり、和田さんの行動を内通者とばかりに皮肉ったのである。
紺野はそれを咎めた。
なんと無礼な振る舞いか。

しかし和田は笑顔を絶やさない。
木村は紺野の咎めも意に介さず、ふっと鼻で笑い、続けた。
「まあいいでしょう。いずれ取り調べが進めばわかることです」
「けっきょく取り調べはするんじゃない」
紺野が小さな声で不満げに呟く。
「なにか?」
「いいえ」

「では、また後日――」
きりのいいところと思ったのか、そう言って和田が立ち上がろうとすると、
何故か監鳥居組の三人も急くように立ち上がった。
「お待ちください」
「は?」

と同時に座敷の四方の襖が開いた。
開いた先には、四方とも数人ずつの槍を手にした所司代組隊士が立っていた。
221名無し募集中。。。:04/04/30 22:21 ID:KjWIOiOV
「なに?」
紺野は慌てて手元の刀を持ち、立ち上がった。

「どういう、ことですかな?」
和田が落ち着いた調子で言う。

「できれば手荒なことはしたくない」
そう言う木村の横で、里田、斉藤、そして周りの所司代組隊士らは、
鋭い目で紺野たちを警戒している。

「先に申し上げましたとおり、今お話しましたのは我々所司代の重要な機密です。
まして壬生娘。組の副長が内通者などという話を、
同じ組の方に素直に持って帰らせるほど我らも間抜けではない。
陰で我らを“ざる”呼ばわりする輩もいるらしいが」
木村は目を細める。

「もちろん、捕縛などという失礼なことはこちらとしてもいたしたくございません。
阿佐藩士らの一通りの事情聴取、そして“矢口真里壬生娘。組副長の疑いが晴れるまで”、
みなさまにはしばらく“滞在”していただく」

「無茶な!」
紺野が叫ぶ。
「何を言っているのか分かってるんですか。和田さんは幕府の重臣ですよ。
それに私たちだって、互いに身内で争っている場合ではないでしょう。
今だって、いつ滅茶勤王党の残党が動き出すか分からないんですよ?」

すると木村はけげんな顔をして言った。
「は? 滅茶勤王党など、とうに壊滅しているでしょう」
222名無し募集中。。。:04/04/30 22:22 ID:KjWIOiOV
「飯田さんが?」
新垣が目を丸くする。
「滅茶勤王党はあれだけじゃないんだ」

矢口が一人で、もどかしげにうつむく。
「あいつらの狙いは違う」
「あいつら?」
「今は言えない」
新垣は黙る。
加護も何も言うことができない。
矢口は一体、何を知っているというのか。
何故言えないと言うのか。

矢口は構わず、鉢巻に鉄板を仕込んだ陣鉢を額に巻いた。
額の鉄板の中心には「娘。」の文字。

そして全員に向かって言った。
「とにかく圭織が危ないんだ。おいらは行く。
おいらが信じられなければ。ついてこなくてもいい」

しん、と場が静まり返る。
223名無し募集中。。。:04/04/30 22:22 ID:KjWIOiOV
と。どこからともなく、笛の音が流れてきた。

「……祇園囃子?」
亀井が言った。
「ああ! そういえば、ちょうど今頃だったんですよね」
新垣が人差し指を立てる。

鉦や太鼓の音を伴っていないのでどこか寂しく感じられるが、
この笛の音は「コンチキチン」と言い表される、祇園囃子の笛だ。

「なつかしいなあ」
加護は目を細めた。
こちらの地方の生まれなので、加護は祇園祭には何度か来たことがある。
飯田や安倍ら大幹部が新入りに自慢げに話して聞かせる祇園の祭りの美しさを、
自分がそれよりも早く知っていることは密かな自慢でもあった。

三年前の事変以来、その祭りが京都で大きく開かれたことはない。
それも、長く続くこの混乱のためだ。

特別な意味も無く、全員が黙ってしばらく、その音に耳を傾けた。
この音を、雑踏の笑顔の中で聞ける日は、いつのことか。
224名無し募集中。。。:04/04/30 22:25 ID:KjWIOiOV
やがてその音が途絶える。

加護は思う。
今までも自分は必死で矢口らを追ってきた。
その、矢口の額にある「娘。」の一文字の下に。

「いきましょか。矢口さん」
最初に口を開いたのは加護だった。

「そうですね」
新垣が長槍を手にし、続く。
「はい」
と亀井。
後ろで密かに、吉澤が顔に笑みをたたえている。

矢口は何故か、顔を伏せたまま言う。
「……よし。いくぞ」
「はい!」
三人は声を揃えて答える。

「いってらっしゃ〜い」
吉澤が後ろで呑気に手を振っていた。
225名無し募集中。。。:04/04/30 22:26 ID:KjWIOiOV
(え……?)
この人たち何を言っているのだ。と紺野は思う。
この、腹の底から湧きあがる気持ちの悪いものはなんだ。
顔が青ざめてくる。

「滅茶勤王党は、まだ力を持っているよ」
和田が言う。

「……なるほど。
そうやって危険を煽ることで幕政を引っ掻き回すのがあなたの政事ですか。
滅茶勤王党がほぼ壊滅状態にあるのは周知の事実。
なにやら壬生娘。組が不穏な動きを見せると思えば何のことはない。
滅茶勤王党ですか。
なるほど、和田殿と矢口殿に、いいように踊らされているわけだ」
木村の顔がひきつる。

「そうは行かない。よしんば、滅茶勤王党の残党がまだ力を温存していたとしても、
それは我ら所司代組がきちんと引き受けますゆえ。ご安心ください。
さあ」
そう言うと、木村は回りの隊士に目で合図する。
周りを囲んでいた所司代組隊士らが、じわりを輪を縮める。

矢口さんの言っていた通りだ。
今や幕府の根幹が揺らいでいるというのに、この人たちは何を言っているのだ。
紺野は絶望にも似た感覚に襲われる。
226名無し募集中。。。:04/04/30 22:27 ID:KjWIOiOV
視界が揺らぐ。
目の前が暗くなり、倒れそうになる。

すると。紺野の横から、す、と前へ出る者があった。
それは何も言わず紺野の横を抜け、座敷の庭側に向けて歩み出る。
庭側を囲んでいた所司代組隊士が慌てて槍を傾け、行く手を阻む。

藤本だった。
紺野は自らの興奮のあまり、長らく藤本の存在を忘れていた。

「みうな!」
「む、無駄な抵抗はおよしなさい」
監鳥居組の斉藤が庭側に立ち、藤本を睨みつける。

すると藤本は、この場の張り詰めた空気を一人に無視するかのように、
無表情のまま、ぼそりと呟いた。
「気がつかないのか」
「何?」

「血の匂いだ」

ちょうどその時、遠くで、刻を告げる鐘の音がした。
227名無し募集中。。。:04/04/30 22:29 ID:KjWIOiOV
夜の京都の町を黒い一団が行く。

がむしゃらに走るわけでもなく、しかし確実に、早い足取りで、
矢口ら十人ほどの壬生娘。さくら組の一団は、
不動堂村壬生娘。さくら組屯所より、所司代屋敷への道を急いでいた。

西本願寺の横を抜け、醒井通りを抜け、五条通りに出る。
と、そこに黒い人影が現れる。
三……四……。

六、七人ほどのその集団は、矢口らの行く手を遮るように立ちはだかる。
矢口らは足を止めた。

その集団は、手にした提灯を、矢口らの顔を確かめるように向ける。
「矢口さん。どちらへお出かけですか」
集団の先頭の人影が言った。
その提灯には、「娘。」の一文字。

「石川……」
矢口が苦々しげにその名を呼ぶ。
矢口らの前に立ちはだかったその集団の先頭は、
壬生娘。おとめ組、石川、そして田中。
228名無し募集中。。。:04/04/30 22:30 ID:KjWIOiOV
「ここから先、通すわけにはいきません」
石川が言う。

「……この件。圭織が思っているより根が深いぞ」
矢口が言う。

「それでも、飯田さんの命令です」
「壬生娘。が壊れるぞ」
「壬生娘。が壊れるからです」

「力づくでも通る」
矢口が腰の刀に手をかける。
「力づくで止めます」
すかさず石川も刀に手をかける。

ざわ、と。場に緊張が走る。
石川、田中。矢口、加護、新垣、亀井。
まだ剣の間合いではない。
対峙する二つの集団はそれぞれ石川、矢口を中心にして横に開き、
平隊士らは相手の不穏な動きを少しでも見逃すまいと腰をかがめ、
それぞれの武器を持つ手に力を込める。

「退け」
「退けません」

夜の京都の町で、二つの黒い集団が対峙する。
ちょうどその時、遠くで、刻を告げる鐘の音がした。
229名無し募集中。。。:04/04/30 22:32 ID:KjWIOiOV
飯田は影に無音で近づく。
やがてその、顔が判別できる距離まで来た。
一人は太った大柄の男。もう一人は背が高く、いかにもしっかりとした体つきをしている。

その瞬間、影は飯田の気配に気がつき、さっと後ろへ飛んだ。
「誰だ!」

飯田はまだ声を上げない。
よゐこの動向、そして道重の隊が追いつくまで、
変に騒ぎ立てて所司代の警備を呼び込むのは得策ではないと判断したためだ。

「元滅茶勤王党幹部、加藤浩次と山本圭壱だな」
飯田は長刀の剣先を向けてその名を呼ぶ。

「お、お前こそ何者だ」
太った方の男――山本圭壱が顔をくしゃくしゃにして指さす。

「壬生娘。おとめ組局長、飯田圭織」
「み、壬生娘。!」

ちょうどその時、遠くで、刻を告げる鐘の音がした。
刻を知らせる合図である三つの打鐘の後に、四つ。

その時刻、夜四ツ。
230名無し募集中。。。:04/05/01 11:57 ID:tf7b4hpu
鳥肌が立ちますた。
231名無し募集中。。。:04/05/01 21:08 ID:mDPMTRzf
石川を殺してください
232ねぇ、名乗って:04/05/05 22:46 ID:m5T8+Oog
日本刀で銃弾を真っ二つにできるんだって
233名無し募集中。。。:04/05/09 12:50 ID:XLyG3RHB
あれ?
234名無し募集中。。。:04/05/09 16:27 ID:oFmgL3DQ
てst
235名無し募集中。。。:04/05/11 21:08 ID:vNtCtCZv
http://blanch-web.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/data/IMG_000061.jpg
この小説好きなんで、勝手に藤本のイメージを描いてしまいましたスマソ
236名無し募集中。。。:04/05/11 21:09 ID:vNtCtCZv
sage忘れたゴメンチャイ
237名無し募集中。。。:04/05/13 05:55 ID:Ng1PHWUX
>>235
うわさっぶ
238名無し募集中。。。:04/05/14 22:03 ID:l3+xEc/e
刻を告げる鐘の余韻が残る中、飯田の黒い影から伸びた長い刀が、
ぎらりと白い刀身を輝かせる。

剣の間合いから五、六歩は離れている。
加藤は門を背にして黙ったまま睨んでいる。
山本はせわしなく門の内と外を交互に見ている。

おそらくこの状況では、滅茶勤王党側もまだよゐこを救い出すには至っていない。
だから存在を所司代に知られるわけに行かず、大声を上げて仲間を呼ぶことができない。

人影はまだ、加藤と山本の二つしかない。
飯田は刀の先を向けたまま、暗闇の北東門を凝視する。
門の上に座する、猿の彫り物が黙ってこちらを見つめている。
「うしとら(北東)から災いを呼び込もうとは。鬼にでも倣ったつもりか」

北東の方角は陰陽道で鬼門(きもん)と呼ばれ、
鬼が出入りし災いを呼びこむ方角として忌み嫌われる。

京都の屋敷ではそれを嫌い、北東の角を落とし『鬼門封じ』をしているところが多い。
この所司代組屋敷も多分に漏れず、北東の方向には地形的な“切り込み”を入れている。

だから北東門とは言っても、所司代のそれは正確に北東の位置にあるわけではない。

屋敷東壁の北寄りに設けられた、
東隣にある所司代下屋敷との間を行き来するための小さな通用門である。
少し大柄の人間であるならば身を屈めるくらいでないと通りにくいほどの大きさ。
東門がやや南寄りにあるため、下屋敷との利便性で建築後に改めて設置されたものらしい。
239名無し募集中。。。:04/05/14 22:04 ID:l3+xEc/e
ここに勤める者も皆、ここが(ほくとうもん)と呼ばれることを嫌い、
あえて(きた、ひがしもん)と呼ぶ。

所司代としても本来ならばこんなところに門など作りたくはなかっただろう。
門の上には御所の北東――猿が辻と呼ばれる場所に挿げられた鬼除けの猿の彫り物に倣ったのか、
似た猿の彫り物を挿げている。

飯田のすぐ右横で壁の中の影がじわりと動く。
北東の“切り込み”の内で刺客の一人が息を潜め、隙を狙っていた。
眼前の飯田は門前の山本と加藤に刀を向けたまま、じっと動かずにいる。
影は無言で脇差を腰の位置に構え、側面から飯田に向かって思い切って踏み出す。

しかしそこから先、刺客の足は一歩も進まなかった。
どさり、とその足元にかたまりが落ちる。
一言も発さぬまま打ち落とされた、刺客の首であった。

門に視線を向けたままの飯田の、刀を手にした右手だけが横一線に薙ぎ払われていた。
山本が息を呑む。

「お猿に代わり、壬生の梟が鬼を退治つかまつろう」
飯田は北東門から視線を外さぬまま、言った。
240名無し募集中。。。:04/05/14 22:04 ID:l3+xEc/e
風。と言うよりは、血臭の混じったぬるい空気のうごきが、
緊張する両者の間をゆったりと通り過ぎていく。
紐で後ろに束ねられた飯田の長い髪が、ゆらりと揺れる。

首と、首のない体が地面に横たわっている。

すると何を思ったか、加藤がいきなり山本を肘で小突きはじめた。
「何だよお前」
「ええ?」
山本は何をいきなり、という顔をする。

「壬生娘って、来ちゃってるじゃんか」
「……だから、なに」
「お前。何してたんだよ、こんな所まで来て」
「……見張りだよ」
「じゃあ何だよこいつは、こんな所まで来ちゃってるじゃんか。何見てたんだよお前」
両手で山本を強く突き押す。山本はよろけて数歩あとずさる。

「それは……」
「ふざけんじゃねえよ。お前が見張りやるって言ったから任せたんだろうがよ」
「わかってるよ俺だって」
「わかってねえじゃねえか、なんでこんなところにこんな奴がいるんだよ」
どうやら飯田を無視して仲間割れをはじめてしまったらしい。

「だからそれは」
「だからじゃねえよ!」
加藤が強く押すと、山本がその場に倒れてしまった。
241名無し募集中。。。:04/05/14 22:06 ID:l3+xEc/e
体中が砂まみれになると、今度は山本が怒り出した。
「わかってるって言ってるだろ! 俺だってな、
言われなくたってがんばってるんだよ!」
「がんばってねえじゃんか、見ろよこれ」
「ああああああ」
二人は飯田の目の前で、とうとう掴み合いの喧嘩を始めてしまった。

さてどうしたものか。
蚊帳の外に置かれてしまった飯田は長刀を中段に構えたまま、二人ににじりよる。

「お前はいっつもいっつもいっつも」
「うるさいんだよっ!」
「てめえ、いいかげんにしろよっ――」
間合いに近づいた瞬間、飯田は殺気を感じ、刀を横に寝かせた。
加藤の右手から不意に伸びた小刀が、高い音を立てて飯田の目の前で跳ね上がる。
「――っと」

飯田は後ろにとび、再び間合いを開ける。
「ちっ」
加藤が舌打ちする。

喧嘩するふりをして、油断を誘っていたのか。
(妙な芸を使うな)
242名無し募集中。。。:04/05/14 22:07 ID:l3+xEc/e
それを合図に、喧嘩などまるで無かったかのように、
二人がじりじりと飯田に向かって間合いを詰めはじめた。

奇妙な構えだ。
加藤は脇差ほどの長さもない小刀を二本、両手に持ち、
大きく覆い被さるように腕を広げて剣先を飯田に向けている。

山本は得物を持ってすらいない。
腰を低く落とし、ただ何も持たない手のひらを向け、すり足で飯田ににじり寄ってくる。

先程の事から考えても、二人がどんなことを仕掛けてくるのか分からない。
飯田には、滅茶勤王党によるよゐこ救出を待たねばならないという弱みもある。
心の中で、勝負に出てしまったことが果たして正しい判断だったのか、
わずかに迷いが生じる。
(早すぎたかもしれない)

「一人か。お前、所司代とは別もんだな?」
じりりと迫る加藤が、かすれ気味の声で言う。
「……なぜそう思う」
「知らねえよ」
加藤は答える代わりに飛び掛ってきた。
243名無し募集中。。。:04/05/14 22:07 ID:l3+xEc/e
人並みはずれた跳躍で間合いが一気に縮まる。
速い。
飯田の剣先を躱し、長刀の間合いを抜ける。

襲い来る加藤の左手――飯田から見て右外下からの小刀を飯田は長刀の棟で受け止める。
そしてすかさず返す刀で加藤の首を薙ごうとする。
が、長刀がそこにとどまったまま動かない。

加藤が受けられた左手を素早く逆手に返し、
小刀で鎌のように飯田の長刀を押さえこんでいた。

加藤は、飯田の切り返しとまったく同じ速さで小刀を切り返して見せたのだ。
いかに長刀と小刀の違いがあるとはいえ、
飯田の切り返しと同じ速さは並ではない。

間髪入れずに加藤の右小刀が頭上から襲い掛かる。
飯田は後ろ左足を右足に交差させるように大きく引き、
体が後ろに崩れる勢いで、あとずさりながらそれを躱す。
体勢は崩れたまま右膝立ちになる。
左手を後ろ手に地面につける。

しかし視線と長刀の剣先は加藤の顔面への狙いを保ち、三撃目に備える。
それを予見して加藤の追い足が止まる。
244名無し募集中。。。:04/05/14 22:09 ID:l3+xEc/e
長髪を後ろで結んでいた紐が、はらりと解ける。
(……なるほど。そういう技か)

左手小刀で相手の出足を誘い、押さえ込み、右手でとどめを刺す。
いわゆる二刀流の変形のようなものか。
両手とも小刀である分、二刀流より動きが速く、体術の系統が色濃くなっている。
刀の短さからくる間合いの狭さは大柄な体躯と瞬発力で補っているのだろう。
相手の切り返しを予測できる目がなければ、こんな芸当はできまい。

この男、できる。
伊達に滅茶勤王党の幹部を務めていたわけではないということか。

二人の攻勢は止まらない。
飯田の後ずさりにあわせて、山本が懐に鋭く間合いを詰めてくる。

飯田は膝を上げ、再び正眼に構える。
巨大な肉槐そのままの山本の体が迫る。

「どすこーい!」
(力士?)
245名無し募集中。。。:04/05/14 22:09 ID:l3+xEc/e
聞いたことがある。
滅茶勤王党には『騎馬力士』の異名を持つ力士あがりの刺客がいるということを。
いわく“動ける巨体”。相棒は『滅茶の狂犬』。

滅茶勤王党きっての無頼者で、二人合わせて『極楽とんぼ』を名乗っているという。
加藤、山本。この二人がそうだったか。

飯田の腹に向けて右の手のひらが伸びてくる。
相撲の突きである。
すんでのところで横に捌く。
ごう、と飯田の横をぬるい風が突き抜けていく。

すると、その巨体の後ろから新たな気配が現れた。
(三人目!?)
加藤ではない。

山本の巨体は躱された勢いのまま飯田の右に逸れていく。
新たな気配はその逆の左。
飯田は慌てず左に視線を走らせ、刀を振りかぶる。

が、飯田がその刀を振り下ろすまでもなく、
左側に回りこんだ気配は、ぐうと小さな息を漏らし、その場に倒れた。
246名無し募集中。。。:04/05/14 22:10 ID:l3+xEc/e
突進の勢いのまま行き過ぎた山本は振り返り、あっという顔をした。

倒れた影の首に“くない”が二本突き立っている。
それを見た加藤がすかさず、自分の背後に目を向ける。

門横の壁の上にしゃがむ影があった。
小川であった。

「くそ」
加藤が懐の小柄を壁の上に投げつける。
しかしすでに小川の姿は無い。
小柄が虚しく壁上の瓦に当たり、乾いた音をたてる。

小柄を躱し、ひらりと宙に飛んでいた小川は、
とんぼをきって地面に降り立ち、飯田の傍に寄った。

「局長。ちょっとおかしいです」
小声で囁く。
「説明しろ」
「中庭に所司代が一人もいないです」
「斬られたんじゃないの」
「そうかもしれませんけど、それでも多くはないです。
死体がごろごろ転がってたわけじゃないし。滅茶勤王党と思しき者も少ないし」
「何人?」
「確認できただけで三人です。もう少しいそうな感じもしますけど」

三人。とすれば、ここにいるのと飯田、小川がそれぞれ倒したのを入れても七人。
京都守護の要である所司代の屋敷を襲うにはいかにも数が足りない。
これでは襲撃というより奇襲。
247名無し募集中。。。:04/05/14 22:12 ID:l3+xEc/e
加藤と山本が両翼から同時に襲いかかってくる。
飯田が加藤の小刀を長刀で受け、小川が山本の張り手をかわし、再び背中を合わせる。

「……詰め所の中はどうだ」
「人の気配はします。でもそれ以上は遠くて、暗くて」
「動きは無いのか」
「はい、目立った動きは」

和田らがいるはずの所司代組詰め所は所司代組屋敷敷地内の南側にある。
いわゆる正門となる南門をくぐってすぐにそれがあり、
中庭を挟んで北西から北によゐこの入れられている牢を含む蔵群、
そして東から東南にかけて厩など、家畜を飼うための小屋が並ぶという配置になっている。

理由は分からない。が、小川の報告から言っても、
どうやらこれは飯田の想定していたような大規模な襲撃ではない。
所司代が北東方面に不在なことを前提とした、空き巣狙いのような奇襲だ。
滅茶勤王党は所司代に知られぬまま、ひっそりと計画を実行している。

「……麻琴。予定を変更する。
お前はすぐに戻って辻と道重に合流。二手に分かれて西門と北門前に張らせろ。
私の合図と同時に各門より突入。全員まずは牢を目指せ。よゐこだけは逃がすな。
所司代は無視しろ。斬るな」
248名無し募集中。。。:04/05/14 22:13 ID:l3+xEc/e
北西にある、よゐこらの囚われた牢から一番近いのが北門。その次が西門。
侵入してきた北東門が抑えられれば、そちら側に逃げる可能性が高い。
南正門は牢から離れており、所司代組の詰所があるため、
空き巣狙いという観点からすればもはや考えにくい。

北東からの侵入が予想外ではあったものの、
元々、二条城の北側一帯を占める所司代敷地内で西の外れに位置する所司代組屋敷は、
北か西がもっとも出入りしやすいことに変わりはない。

ここまで所司代に動きが無いのはもはや異常だろう。
あるいは所司代が敵側に回っている可能性も考えるべきかもしれない。
すべて、ということは無いだろうが、内部で手引きしている者がいることが考えられる。
滅茶勤王党によゐこを救出させる手引きをする者が。
場合によっては“所司代に”よゐこを逃がされてしまう。

嫌な予感がしている。
田森一義公上洛にさきがけた阿佐藩勤王派及び、滅茶勤王党残党による決起。
その前哨としてのよゐこの奪い合い。

しかしその渦中にある所司代と滅茶勤王党残党の関わりがどこかおかしい。
飯田の中にあった、この事象を捉える枠組みが少しずつ崩れ始めている。
これはもしかしたら、もっと大きな別の枠組みの中の、完全なる一部であるのかもしれない。
このままでは……。
249名無し募集中。。。:04/05/14 22:14 ID:l3+xEc/e
飯田は焦る心を抑え、自答する。
(いや。ここに突入を決めたときから何も変わってはいないんだ。圭織)

「所司代組屋敷を一気に突破し、我々が有野、濱口及び阿佐浪士三名の身柄を保護する」
体裁は後でどうとでもなる。多少強引であろうとも、壬生娘。が“駒”を確保する。
飯田の心は最初から変わっていない。
壬生娘。がその強大な力を幕府のため、自由に振るうために、政事の力を手に入れるのだ。

「ここ(北東門)は?」
そう聞く小川に飯田は迷わず答える。
「私が斬りこむ」

「そ、それは無茶ですよぉ」
小川の言い分は当然である。
滅茶勤王党がここ北東門から侵入している以上、この場所に最も人数が集中している可能性が高い。
そこに飯田が一人で残ると言うのだ。

だが、これからどの方面で何が起こるか分からない。
ならば現時点で戦力がある程度わかっているところに自分が残れば計算は立つ。
最も危険と思われる場所に自ら残る。
これは飯田の局長としての考え方でもあった。

「いいから急げ」
「……あんまり無茶しないでくださいよ」
小川がしぶしぶと、来た道に消えていく。

それを横目で見送ると、飯田は再び加藤、山本と対峙する。
(頼むぞ……石川)
250名無し募集中。。。:04/05/14 22:15 ID:l3+xEc/e
――(所司代組屋敷には辻、小川、道重で行く。指揮は私が執る)
そう飯田が言った時、石川は当然のように反対した。

(私が行きます)
(いや、石川にはやってもらうことがある)

石川に指揮を任せて自分が屯所に留まることもできた。
隊の体裁を考えれば、そのほうが収まりがいいのは確かだった。
局長の自分とおとめ組の半数、そしてさくら組が屯所に残っていれば、
傍から見れば本隊はほぼ動いていないということが、後々幕府に対して弁明できるからだ。
つまり石川の独断で所司代屋敷に向かったと。

だが飯田が出動してしまえば、それは事実上おとめ組全体が動いた印象を与え、
おとめ組全体に責任が及ぶ可能性がある。

ある種、わがままであることは分かっている。
しかし飯田は、そこを冷徹に判断し、石川を犠牲にする計算ができるような人間ではなかった。
どちらにせよ罪を問われれば最終的には自分が腹を切るつもりでいる。
ならば最初から、自分が最も危険な場所に向かうのもいい。
飯田はそう思っている。

もとより、自分がさほど統率力に優れた局長でないことは十分承知している。
だからせめて、危険な場所には自分が進んで立つ。

若い芽たちも少しずつではあるが、育ってきている。
あるいはここで自分が命を落とすようなことがあっても。
そう思っている。
251名無し募集中。。。:04/05/14 22:18 ID:l3+xEc/e
「……よし!」
そう言うと。
飯田は大きな瞳をさらに大きく開き、微笑んだ。
背後の山本を無視し、門前の加藤に向かって進む。

空気が変わった。

「な、なんだ!?」
迷いのない飯田の正面からの歩みに加藤が怯む。
微笑みながら颯爽と進む飯田の迫力に圧され、後ずさる。

「させるかっ」
後ろから山本が突っ込んでくる。
しかし飯田はまるで後ろに目がついているかのようにそれひらりとかわし、
そのまま一回転して正面の加藤の胴を逆袈裟に斬り上げる。

山本は勢い壁に体ごとぶつかり、上の瓦を揺らす。
加藤は飯田のそのあまりにも無駄の無い動きに不意を突かれ、
横に転がりながらそれを躱すのが精一杯だった。
252名無し募集中。。。:04/05/14 22:18 ID:l3+xEc/e
加藤が立ち上がって飯田を見る。

闇夜にすらりと立つ長身の影。
後ろ髪を束ねていた紐が解けており、長く、広がった黒い髪がゆれる。
長刀を大上段に構えている。

頭上に掲げられ、闇夜に白く浮かび上がるそれは、
同じ長刀であっても無骨な勤王刀には見られない優美さがあった。

飯田の愛刀――備前長振知常(びぜんおさぶり ともつね)。
剣先からゆるやかに波打つ美しい刃文は、異人に遠く故郷の海を連想させるという。

「壬生娘。おとめ……。
壬生娘。組局長、飯田圭織。北東門を通らせていただく」
穏やかな微笑を湛えたまま、飯田が言った。

長い刀を自己満足のためのようにしか持たない有象無象の志士たちとは異なり、
飯田は備前長振の長大さを持て余すことなく、その長く美しい黒髪の如くきめ細やかに、
ふわりと風にたなびくように軽やかに振るう。

もはや奇技を弄する加藤も、その大上段から振り下ろされる無心の一撃を、
ただ漫然と、十字にした小刀で真正面から受け止めることしかできなかった。

「ぎ……」
上からの物凄い圧力に加藤は膝を徐々に折っていく。
加藤の顔に汗が浮かび、表情は苦痛にゆがむ。
253名無し募集中。。。:04/05/14 22:19 ID:l3+xEc/e
飯田は微笑を絶やさぬまま、もはや自分の胸の位置より低くなった加藤の頭から視線を外し、
左足を上げて北東門の木製の扉を勢いよく蹴飛ばした。
大きな音を立てて北東門が開け放たれる。

「何事だ」
それを合図に、わらわらと人影が集まってくる。

小川の言ったとおり、人影は三つ。
見張りの屋敷から遠眼鏡で確認できたのが六人だから、
斬った二人と加藤、山本を合わせて既に超えている。

まだ牢の方面と、闇に潜んでいる可能性も高いにしても、
十人前後か。

飯田は加藤を押さえていた刀を離し、牢へ向かって中庭へと歩みはじめる。
物凄い圧力から解き放たれた加藤はその場に腰をつき、ふうと息を漏らす。

勤王党浪士たちは何が起きているのか把握しきれていない。
この剣客は見たところ所司代ではないが、加藤と山本の様子を見るに、味方ではない。

「ま、待て」
飯田の悠然とした歩みの圧力にひるみつつも、三人は刀を抜き、
遠目の間合いから飯田を取り囲もうとする。

飯田の歩みが止まる。
背後から、山本と加藤がふらふらと寄ってくる。
254名無し募集中。。。:04/05/14 22:20 ID:l3+xEc/e
五対一。
飯田の顔から微笑みが消える。
闇に向かってじっと目を凝らす。

「お前ら、これで全員か」
「何者だ貴様っ」
「全員かと聞いている」
京都所司代という、京都守護の総本山とも言うべきこの屋敷に襲い掛かるにはあまりに寂しい。
本当にあと五人しかいないというのか。

「ああ、こんなもんだ」
口を開いたのは背後の加藤だった。
「俺たちの滅茶勤王党はな」
飯田一人を前に敗北を覚悟したのか、すでに気力を感じない。
「加藤……」
山本の声。

よく見れば、全員がまるで百姓のような貧相な身なりをしている。
これがあの、京都に天誅の嵐を巻き起こした滅茶勤王党の末路だというのか。
255名無し募集中。。。:04/05/14 22:21 ID:l3+xEc/e
「岡村さんさえ……岡村さんさえ戻ってくれば、滅茶勤王党はよみがえる」
党員の一人が言う。

「岡村……?」
飯田の眉がぴくりと動く。
「そのためにはまず、有野さんと濱口さんを――」

党員たちを見る飯田の瞳が、いつからか、どこか、哀しみの色を含んでいる。
俺たちの滅茶勤王党。そう言った加藤の言葉が自分に重なる。

「俺らはまだ終わっちゃいねえ。やっと倒幕の時代が来てるんだ。
俺たちはこれからだ」
山本が言う。

俺たちの滅茶勤王党。
我らの壬生娘。組。
この者たちもまた、自分の志に従い、熱く、この時代を生き抜いてきたのだろうか。

「無常よな」
飯田が小さく呟く。

「だが……。貴様らも組織を束ねるものなら、わかろう。
情けはかけぬ。我らの志の礎(いしずえ)となれ」
再び大上段に構えた。
256名無し募集中。。。:04/05/14 22:22 ID:l3+xEc/e
小川は所司代組屋敷、西門正面向かいの塀の影に、
道重と平隊士三名と共に潜んでいた。

飯田の命令に従い、来た道を戻って、
所司代屋敷外周よりさらに外で近づきつつあった辻、道重の隊と合流。
事情を説明して、辻は北門、小川、道重は西門に別れた。

辻は飯田が一人北東門に残ることを不満そうにしていたが、
飯田には飯田なりの思惑があると説明してなんとか納得してもらった。
実際、中のあの様子であるならば、
飯田の自信ありげな風からしても問題ないのかもと思っている。

西門に警備は二人。槍を縦に持って両脇に立っている。
熱いからなのか、門から少し遠目の真ん中に篝火が置かれてあるので周辺は明るい。
時折、外周を警備する所司代隊士が行き交う。
彼らはまだ北東の異常に気がついていないのだろうか。

「……飯田さん、大丈夫でしょうか」
道重が後ろで言う。
「うん……」
振り返らずに答える。
257名無し募集中。。。:04/05/14 22:22 ID:l3+xEc/e
その時。所司代組屋敷の中から、ぴりりりり、と高い音が鳴り響いた。
飯田の呼子だ。

「なんだ!?」
門の警備が顔を見合わせ、一人が慌てて門を開き、中を覗き込む。

「今!」
小川が叫ぶと同時に西門前の通りに飛び出す。
道重、平隊士も後に続く。

先頭を切って通りを走って横切る。
風に煽られ篝から飛び出した火の粉が通り過ぎる耳たぶに触れ、
小さな痛みを一瞬だけ残す。

「何だお前らっ!?」
所司代の残った一人が叫ぶ。

小川は素早く所司代の懐に飛び込むと、腹に拳を一発。
「ぐぅっ!」
所司代は悶絶して倒れる。

そのまま倒れた所司代を捨て置いて、開いた扉に突っ込む。
道重、平隊士らも続いて所司代組屋敷の中に突入していった。
258名無し募集中。。。:04/05/14 22:23 ID:l3+xEc/e
西門を抜けてすぐは、南の詰め所から北の蔵に向けて外廊が続いているため、
一定の間隔で灯がともしてあり、明るい。

そこを抜けると視界が一気に暗くなる。
小川は何度も瞬きをして、目を暗闇に慣れさせる。
しばらくして、黒一色だった目の前が像を結び始める。

右手の指に“くない”を挟み、身構える。

飯田の呼子を合図に、所司代組屋敷ないもにわかに騒がしくなってきている。
火を持った警備の者たちで溢れ返るのも時間の問題だろう。

目を細め、遠めに飯田の姿を確認する。
刀を構えて立っている。無事のようだ。
地面に数名、倒れているのも見える。
北東門からまっすぐ進み、ちょうど北門を過ぎた辺りの位置か。
あの位置ならば、北門から突入した辻の隊のほうが先に追いつく。

「よし」
小川は頷く。
259名無し募集中。。。:04/05/14 22:24 ID:l3+xEc/e
飯田の無事が確認できたので、よゐこの身柄確認を優先させる。
後ろの道重と平隊士らを手招きで誘導する。

「道重ちゃんと、あんたとあんた。この辺りにとどまって、
西門と、南門方面から勤王党が逃げないようにしててね。
所司代連中とは……うまくやって」
「はい」
「あんたは私についてきてね」
残った平隊士に言う。
「はっ」

音もなく、走り出す。
石川の説明によれば、よゐこと阿佐隊士らが拘束されている蔵は最北並びの西から四番目。
普通なら警備がついている。

だが、北東のことを考えればどうなっているかわからない。
まずは近くの蔵の壁に取り付き、陰から目的の蔵の様子を覗き込む。
飯田の姿を確認するため、やや東よりに進んだため、目的の蔵より東寄りの、
北から二列目、西から五番目の蔵。

「鍵は?」
「あった」
蔵の前で小声で囁きあう影が三つ。

(勤王党だ)
やはりまだ他にもいたか。
260名無し募集中。。。:04/05/14 22:25 ID:l3+xEc/e
がちゃがちゃと蔵の扉につけられた錠前をいじる音。
一人は少し離れて見張りをしている。

小川は少し様子をうかがう。
ここで勤王党がよゐこを逃がせられれば、壬生娘。組として当初の思惑通りの展開になる。
飯田は状況を見てこちらから積極的によゐこを奪う可能性も示唆したが、
当初の予定通りになるならばそれに越したことはない。

できれば門外に逃げてから壬生娘。が捕えたい。
門外まで行かなくとも、ぎりぎりで捕えられればそれだけ壬生娘。に有利になる。

そこで小川はふと思う。
勤王党は、よゐこを救い出した後、どのように逃げるつもりだったのだろう。
確かに北東門には人がいなかったが、
蔵を破った時点で所司代に知られる可能性は高い。
蔵が牢であるということは、そこにはそれなり見張りがいるということだ。

たとえその場の見張りをやり過ごせたとしても、屋敷中の所司代がやってくる。
その時、遠い北東門から逃げるというのはいかにもうまくない。
逃げるならば近い北門か西門だろう。
だが、あの貧相な人数で門を抜けられるのだろうか。
刻が経てば経つほど、警備は堅くなるのだ。

それとも牢内にすら警備はおらず、
逃走路まで所司代が用意してくれているとでもいうのだろうか。
261名無し募集中。。。:04/05/14 22:26 ID:l3+xEc/e
「ん?」
なにげなくすっと踏み出した足先に違和感を覚える。
地面に小さな窪みができている。溝になっている。

よく見ると、指三本分ほどの細さの溝が、北東門の方向に向かってずうっと伸びている。
(……なんだ? これ)
手で触れようとする。すると、牢のほうでがちゃり。という音がした。
小川は再び牢に目を向ける。

錠前が外されていた。
ぎいいと鉄の扉が開く。中のかすかな灯りが、隙間から漏れ出る。
二人が刀を構え、静かに中に入っていく。
見張りの一人はまだ外で様子をうかがっている。

しかし。
(……影?)
扉の辺りで、影がもう一つ。動いたような気がした。

「駄目だ! 違う! 逃げろ!」
突然、蔵の中で叫び声が上がった。
同時に中の灯りが消える。
(何!?)
262名無し募集中。。。:04/05/14 22:28 ID:l3+xEc/e
「違う! 加藤さんに知らせろ! 逃げろ!」
その場から逃げるように影が一つ、牢から飛び出した。
もう一人はまだ出てこない。

(何だ!?)
小川も同時に牢に向かって駆け出す。
牢の扉の前に立ち、中を覗き込む。
暗い。真っ暗で何も見えない。

しかし……。
むせるような生臭い……血臭。

「麻琴!」
後ろに声を聞き、振り返る。遠くから飯田が走ってきていた。
前を行く加藤を追っている。

反射的に加藤に向けて“くない”を投げる。
しかし加藤は小刀でそれをはじく。
加藤はそのまま牢の前を通り抜け、党員たちの逃げた方向の影に消える。
小川も加藤を追う。

「お前ら大丈夫か!」
「加藤さん!」
走りながらの会話が聞こえてくる。
「北東門は!」
「駄目だ! 逃げよう!」
「中が」
「駄目だ押さえられてる!」
「濱口さんが!」
「北は!?」
かなり混乱しているようで、言葉があちこちで錯綜している。
263名無し募集中。。。:04/05/14 22:31 ID:l3+xEc/e
加藤らは蔵の角を折れ曲がる。中庭の方向だ。
(逃げるんじゃないのか?)
逃げるつもりなら中に向かうのはおかしい。所司代に囲まれてしまうのは明白だ。

迷いながらも、白壁に囲まれた蔵一帯の路を追う。
「麻琴!」
飯田が叫び声が後方から聞こえる。
ちょうど角を曲がり、小川らの走る路に来たところだった。

「駄目だ門からは逃げられねえ!」
勤王党の声が聞こえる。
「穴を開けろ」
「用意は!?」
「できているはずだ!」

(……穴?)
その時、南向きのぬるい風がゆらりと動いた。
と同時に、覚えのある刺激臭が走る小川の鼻腔をくすぐる。
それまでの行動で早打ちしていた小川の心臓が、更に大きくばくんと鳴る。

(火薬の臭い!)
264名無し募集中。。。:04/05/14 22:32 ID:l3+xEc/e
小川が蔵の一帯を抜ける。視界が開ける。
中庭に人影が数人。“それ”を囲んでいた。
加藤もいた。

“それ”は、虚空のごとき真黒い、
まわりのすべてを飲み込むかのようなその丸い口をあんぐりと開け、
小川の方向を睨んでいた。

(野砲!!)
蔵の近くについていた不審な溝の記憶が瞬時によみがえる。
これの車輪を引いた跡だったのか。

「やれ!」
「射線上に人がいる!」
「構わねえ! もろとも撃っちまえ!」
加藤の口元が笑っている。
小川は咄嗟に振り返る。
飯田がこちらに向かって走っていた。
大砲はその方向に、脱出の穴を穿つべく、狙いを定められている。

「飯田さんっ!!」
小川は叫んだ。

轟音が暗闇を引き裂いた。
265名無し募集中。。。:04/05/14 22:33 ID:l3+xEc/e
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きれいな絵まで描いていただきありがとうございます。
いつも感想を書いてくださる皆さんも本当にありがとうございます。
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266ねぇ、名乗って:04/05/14 22:36 ID:9qEZxRmx
今日はここまでかな?リアルタイムで更新を追っ掛けてました
一体どうなるんだ!
267ねぇ、名乗って:04/05/16 00:58 ID:PYDBxOhn
乙です。
今回の更新までの間に最初から読み返してました。
個人的には

「刀をくれないか」

という台詞に美貴介のあやに対する思いが
全て込められているような気がしてすごく好きです。
268名無し募集中。。。:04/05/16 12:04 ID:FYGOmz5G
飯田がー
269名無し募集中。。。:04/05/21 20:43 ID:LVtCSZQR
なんだなんだ
270名無し募集中。。。:04/05/23 19:47 ID:5HjCLtmr
ho
271ねぇ、名乗って:04/05/24 22:16 ID:0QXQwI8c
保全
272ねぇ、名乗って:04/05/26 20:30 ID:GVN4+MtF
現実があれで、なんだか意味深な展開になっちゃいましたね。
続きを楽しみにしてます。
273名無し募集中。。。:04/05/28 21:14 ID:s3lkjtXH
祇園近く、鴨川にかかる三条大橋よりしばらく東に行った先に小さな茶屋が開いている。

三条大橋はちょうど東海道、中山道といった大街道の終点になっているということもあって、
日のとうに暮れたこの時刻になっても人の通りはまばらにある。

京にある大抵の茶屋は日が暮れてしまえば早々に店をたたむのだが、
ここの主人は毎晩四ツどきほどまでは店先に灯りをともし、軒を開けている。
それくらいの時刻までならまだ、夜に急ぎ京入りする旅の客や、
祇園の遊郭から流れてくる客がいくらか見込めるからだ。

もっとも、ここ数年はどうも世相が不安定で、どんな客が来るかも分からないので、
昔に比べればいくらか遠慮がちに店を開いている。
まずそうな客が来たときには、
もう閉めるところだとか適当な理由をつけて早々にお帰りいただくためだ。

キンノーだかなんだか知らないが、物騒な輩ばかりが増えたなと思う。
連中はどうも地に足のつかない話ばかりをして、言うことはやたらと大きいのだが、
実際に町で良い行いをしているのを主人は見たことがない。
若いもんは若いもんらしく、ギロンなんぞで一日を潰している暇があったら、
額に汗水流して少しは家に金でも入れてやったらどうなのかと思う。
274名無し募集中。。。:04/05/28 22:37 ID:+XKWheMi
とは言え、周りの店の他の主人連中はどうやらそうとばかり思っているわけでもないようで、
いやご立派だ。どうか世直しお願いしますと、お代を戴かないだけじゃなく、
逆に金を渡す者までいる。
どちらかと言えば主人のような考えのほうが、ここでは変わり者のようだ。

まあ正直なところ、学のない主人には難しいことはよく分からない。
確かに、お上のやることは何だかおかしなことが多いし、
キンノーの中にも気の良さそうな連中はいる。

主人としては兎にも角にも平穏と客足さえ戻ってくれればいいのだが、
そのキンノーの輩を取り締まりに来たのがまたどうしようもない連中で、
壬生の娘だか姑だか知らないが、お代は平気で踏み倒すわ、物を壊すわ暴れるわ、
どちらが不逞の輩かわかったもんじゃなかった。
それでも上のほうの人間はまだましなほうだとは聞いたこともあるが、どうだか。

その連中も最近はキンノーの勢いに負けて落ち目らしい。
キンノーがこれ以上増えるのはお断りしたいところだが、
正直、ざまあみろという気持ちのほうが強い。

上を見上げる。
薄雲のかかった夜の空は、月も出ていなければ、星もない。

世も末だ。と思う。
275名無し募集中。。。:04/05/28 22:38 ID:+XKWheMi
さて、今日はどうやら平穏無事に終わりそうだ。と、
そろそろ店を閉める準備でもしようかというときに、店先に人が現れた。
主人はその足元を見ながら身をこわばらせる。

一人だが、武士の風体のようである。
キンノーか、もしや、押し入りの類ではあるまいか。

「お団子まだあるかい」
武士が言った。
「……へえ」
それが思いのほか可愛らしい声だったので、
主人は気の抜けた返事で顔を上げる。

背の小さい、なんとも可愛らしい童顔の娘だった。
格好は武士そのままなのだから、武士ではあるのだろうが、
どう見てもまだ子供だ。

「おや、こないな時刻に珍しい。お一人さんですか」
「はい。少々遠い旅でして。早く帰りたくて焦ってしまいました」
「ほなら、こちらのお方で?」
「ええ、今は」
武士はにっこりと笑う。
この笑顔がまた、屈託ないと言うにふさわしい見事な笑顔で、
主人はしばし見惚れててしまう。
276名無し募集中。。。:04/05/28 22:39 ID:+XKWheMi
「ほんなら久し振りの我が家や。ご家族も心配しとりますやろ」
主人の顔も自然とほころぶ。
「ええ、もう。残してきた子達がやんちゃしていないか、もう心配で心配で」
武士が嬉しそうに言う。

ああ、このお人は家族をとても好きでいらっしゃるんだろうと、この表情を見て思う。
優しそうなお人柄だ。きっと家族のほうも帰りが待ち遠しいに違いない。

「はいお待っとさん」
と団子を乗せた皿と茶を持ってくると、武士の足元に小さな仔犬がいることに気づく。

「……お連れさんで?」
「ええ、なんだか途中で」
これまた嬉しそうに笑う。

そこでふと、主人は武士の違和感に気づく。
慈しむように仔犬を見下ろすその目が、正しく仔犬を捉えていないように思える。
顔は確かにその方を向いているのだが、落ち着きなく辺りを動き回る仔犬を、
目が全然追っていない。

そうっと、団子の乗った皿を武士のほうに差し出す。
しかし武士はそれに気づくそぶりも見せない。
「失礼ですがお侍様? ひょっとしてお目が……」

主人が遠慮がちに訊くと、やはり武士はにっこりと笑って答えた。
「ええ」
なんと……。主人は言葉に詰まる。

「ばちでも当たったのでしょうか。今では夜になると、ほとんどものを見ることができません」
277名無し募集中。。。:04/05/28 22:40 ID:+XKWheMi
ばちなどと。
この可愛らしいお侍が、どれほどの悪行を犯したわけでもあるまい。
すべてを悟りきったような顔をしていなさる。
そこに至れるまで、どれだけの葛藤があったことか。
簡単に割り切れるものではないだろうに。

そう思い、主人が武士に憐れみの目を向けると、
どこからともなく、お囃子の笛の音が聞こえてきた。
「あらあ、祇園囃子だねえ」
武士が見えない目を細める。
「そういえば。祇園会(ぎおんえ)は今年はどうだったんですか?」

「いいええ。いくつかの町では山鉾(やまぼこ)を立てようとしたみたいやけどねえ」
主人は顔をしかめて首を振る。
毎年皆が楽しみにしていた祇園の祭りは、ここ数年まともに行われていない。
直接の原因は三年前の大火によって鉾が焼け落ちてしまったからだが、
この世情の不安もあって、皆もやる気を失い、町ごとがなかなかまとまらない。

キンノーだジョーイだと、それぞれ思いの違いはあれど、
共に祭りを楽しみたい気持ちは誰しも同じだろうに、と主人は残念に思う。
祭りを捨て置いて政事など、京洛人の心意気ではない。

「そうですか」
武士は茶を一口飲み、ふうと息を吐く。
「宵山はきれいだったよねえ」
真夏の夜に光溢るる、昔日への郷愁に思い馳せるように遠くの黒山を見つめる。

「そうどすなあ」
しばし二人は、笛のみの寂しい祇園囃子に聞き入る。
278名無し募集中。。。:04/05/28 22:41 ID:+XKWheMi
「あれ? でもなんだかちょっと違うかねえ」
笛の音を聞きながら武士がつぶやく。

「へえ、ようお分かりで。ありゃあ、祭りの囃し方とは違いますなあ」
ここ数日、まるで祇園会がまともに開かれないことを哀しむかのように吹かれる夜毎の笛は、
なんと言うか、歯切れのいい本職の祇園囃子に比べて、
この笛は「コンチキチン」を奏でる鉦と太鼓がないせいもあるのかもしれないが、
どこか音に潤いがあり、“品”のようなものを感じさせる音色だった。

「なんでも噂では、御所のさる高貴なお方が吹いておられるなんてえ話も」
「へえ〜……」
たしかに笛はちょうど御所の方向から聞こえてきている。
そのこともあってか、この付近ではちょっとした噂になっている。
こんなご時世。何の力も持たない町人たちは、
ちょっとしたことにも気持ちのいい夢を見ずにいられないのだ。

「目が見えていないぶん、耳のほうはよくなるようです」
武士が静かに言う。
くうん。と足元で仔犬が鳴く。
主人はそうだ、と店の奥に引っ込む。

そのとき。外からのぬるい風に乗ってきた臭いに武士の表情が一瞬鋭く変わるのを、
主人は見なかった。
279名無し募集中。。。:04/05/28 22:42 ID:+XKWheMi
余り物の餡子がある。これをあの仔犬に舐めさせてやろう。
使い古しの小皿を棚から取り出す。

しかしあのお侍さんは、どこのお方なのだろうか。
きちんとした身なりからしてもキンノーの輩ではなさそうだ。
だとすれば勤番のほうか。
北のほうの訛りが言葉に混じっているようだから、
守護職寺田光男様の会府藩の方だろうか。

こんな時刻に外から帰ってくるのだ。
きっといいようにこき使われているに違いない。

何を考えているのかさっぱりわからないお上の命でキンノーとやりあいながら、
寺田様のもとで働くのはさぞかし大変なことだろう。
その上、身内にはあの壬生の連中のような無頼者どもがいるのだから。
あんなか弱そうなお人まで駆り出されないといけないとは、なんと哀しい世の中だ。

しかもその上、目を病んでいるというのだ。
うちの子供ともそう変わらない年だろうに。

なんだってあんなに良い笑顔をなさるお方が、
そんな目に合わなければならないのだろう。
280名無し募集中。。。:04/05/28 22:43 ID:+XKWheMi
「おっと。いかん、いかん」
手が止まっていたことに気づき、自らの頭を小突く。

いくら憐れもうと、何が変わるわけでもない。
相手は通りすがりの一人の客、こちらはせこい小さな茶屋の主人に過ぎないのだ。
あちらにもあちらの、こちらにははかり知れない事情もあるだろう。
過ぎた同情は、いらぬお世話だ。

だからせめて今だけは、この店でいっときでもいい気分を味わってもらおう。
それが店屋の心意気というものだ。
そう主人は思い直し、皿に餡子を盛る。

外の笛の音が止まった。

「お囃子、終わったみたいですねえ」
小皿を持って暖簾をくぐり、表に出る。

しかしそこには誰もいない。
「あれ?」

店の外に出された長い腰掛けの座布団の上には、
団子の乗っていた皿と、お代の小銭だけが残されていた。
281名無し募集中。。。:04/05/28 22:43 ID:+XKWheMi
五条通り。
黒い装束に身を包んだ二つの集団が向かい合っている。
それぞれの得物に手を添えたまま、少しの隙も逃がさぬよう、
互いに睨み合ったまま、膠着している。

加護は迷いを胸に抱きつつ、相手の集団の先頭に立つ石川を見つめていた。

「石川……」
最後の鐘が鳴り終わる前に、加護の属する集団の先頭に立つ矢口が口を開いた。
「ここで待っていた理由は」

石川が答える。
「屯所から所司代へ一番無駄のない道だからです。
この時刻、五条通りから堀川通りへ抜ければ見廻り組ともかちあわない。
おとめ組屯所を避けて一番早く所司代屋敷へ向かうならば、矢口さんなら必ずここを通る」

「……」
矢口は黙って石川の目を見つづけている。石川も決して目をそらさない。

「屯所前で待ち伏せなかった理由は」
「屯所前ならば、さくらは全兵力を扱うことができる。人員を出しているおとめにはできない。
矢口さんなら、逆に屯所に残留する兵力で私たちを押さえさせ、その隙に所司代屋敷に向かう。
表に出た後ならばさくらも残留組と兵力が分散するし、
別の出口から知れずに抜け出すということもできない」
282名無し募集中。。。:04/05/28 22:44 ID:+XKWheMi
屯所近隣に身内のごたごたを知られたくない、という思惑もある。
それに留守を守る兵力を石川らが殺いでしまえば、最悪、屯所への夜襲にも対処できない。

これはあくまで、壬生娘。組を守るための戦いだという前提がある。
身内の争いに焦って壬生娘。そのものを蔑ろにしてしまうほど、
石川も矢口も愚かではない。

「ところで、おいらは所司代に行くとは言ってないぜ。
夜の見回りに出ただけだ。所司代に何かあるのかい?」
矢口が挑発的に言う。
少しでも揺さぶろうという思惑からだろう。しかし石川は動じない。
「そんなものは折り込み済みです。だからここで待っていたんですから。
私の使命はここで矢口さんを止める。それだけです」

どんなはったりを受けようと、ただ与えられた使命一点のみを至上とする。
他のことには耳を貸さない。
そうすることで、迷いがちな自分の心を任務に集中させる。
なるほど石川らしいと加護は思った。

「なるほど。懸命な判断だ石川。でも……ひとつ間違いがある」
矢口は一旦、言葉を止める。

「お前らじゃ、おいらは止められないんだよ」
刀を抜いた。
283名無し募集中。。。:04/05/28 22:45 ID:+XKWheMi
ざざと、地面の砂がいくつもの足に踏まれ、鳴る。
矢口の抜刀を受け、両者の間に緊張が走る。
刀を携える者は即座に抜刀し、そうでない者はそれぞれ手にした長物を低く構える。

矢口が刀を抜いた。
それは同じさくら組である加護にとっても小さな驚きだった。
身内を相手に斬り合いをも辞さないということである。

正直に言うならば、矢口がここまで踏み込んだことをするとは思っていなかった。
石川たちを見て素直に引くと思っていたわけではないが、
少々甘く見ていた。
矢口とて壬生娘。同士の身内の争いは望んでいないはずだ。おそらく。

確かに矢口について行くと決めた。
しかし。
再び加護の中に迷いが生じる。
それほどまでに、所司代に向かった飯田たちを待ち受けるものは危険なのか。

その刹那。石川の背後から低い体勢で矢口に向かい、飛び出す者があった。
おとめ組三番隊組長、田中れいなだった。
284名無し募集中。。。:04/05/28 22:46 ID:+XKWheMi
目の前に小さな武士が立っている。
刀を抜いて立っている。
その武士に対して心の底から湧きあがってくる、
苛立ちのようなものが隠せない。

田中の心にささくれ立つものがあった。

根は一本気な性格である。
役分を越えた言動。過度の慣れ合いを避けたがる性質が目立つために誤解されることも多いが、
それもひとえに、自らの士道に正直すぎるゆえである。

正直すぎるがゆえに、
内輪での礼儀――それまで長い刻をかけて培ってきた内部独特の手続きなどを一切無視して、
“正しいこと”をぽつりと言ってしまうことがある。
それが古株の神経を逆なでし、余計な軋轢を生む。

それは疲弊しつつある組織としての壬生娘。の直面する問題でもあり、
田中の若さゆえでもあった。

別に武士ごっこをしたくて壬生娘。組に志願したわけではない。
仲間が欲しかったわけでもない。
自らの士道を貫くために、壬生娘。組の志に感じ、壬生娘。に入ったのだ。

田中にはそういった思いがあり、
壬生娘。組を長年支えてきた者たちが持つ、支えてきたがゆえの矜持にまでは、
その若さゆえに、思い至ることができない。

自己中心的であると言われる。
間違いではない。
285名無し募集中。。。:04/05/28 22:47 ID:+XKWheMi
だから、田中には矢口の行動が理解できない。

何のために飯田がさくら組には知らせず、おとめ組のみで行動しようとしたのか。
それが分からぬ矢口ではあるまい。
今、ここで矢口が所司代屋敷に現れれば、それまでの飯田の苦労が全て水の泡になる。
承知で所司代屋敷に向かっているのか。

皆が皆、田中に「組のため」と言った。
そのために田中個人の意志が押さえ込まれることもしばしばあった。
しかしどうだ。
同じことを口にする者同士がこうして今、刀を抜いて向き合っている。
これも組のためだと言うのか。田中を圧する組のためなのか。

ばからしい。
この矛盾が田中には納得がいかない。
矢口も結局は、飯田に対しての何か個人的な感情によって動いているだけなのではないか。

だがこれはいい機会だとも思っている。
実力がそれなりに認められ組頭にはなったが、満足はしていない。
外で手柄を立てるのもいいが、身内相手ならばなお好都合だ。
ここで組内での自分の実力も測っておくのも悪くない。
286名無し募集中。。。:04/05/28 22:48 ID:+XKWheMi
相手は矢口、加護、新垣、亀井。そして六人の平隊士。
対しこちらは石川、自分。それに五人の平隊士。
所司代に人数を割いている分、こちらのほうが不利だ。

しかし矢口の背後を見れば、まだ隊士たちにも逡巡のあることが窺い知れる。
仲間に向かって刃を向けることにまだ迷いがあるのだ。

矢口の背後にいる亀井と目が合う。
亀井は戸惑いが表に現れてしまうのも隠さぬまま、こちらを見ている。
無理はない。と思う。
そして同時に、だからこそ、そこに隙があると見る。

斬る、決心をする。
斬り合う以外にこの場を治める方法もなかろう。

命までは奪わない。
だが頭の矢口を押さえ込むことで、さくら組の勢いは止まるはず。
矢口の喉元を抑える。

それが任務のためなのか、
ただ単にやり場のない自分の感情の落としどころだったのか、
田中には区別がつかなかった。
287名無し募集中。。。:04/05/28 22:48 ID:+XKWheMi
低く、低く、潜り込む。
ぬるい空気を体が突き抜けていく。
暗闇の中、石川と言葉を交わし、刀を抜いた刹那の矢口にはまだ隙がある。
いける。

太腿に体を前に押しやる重みがかかり、熱を持つ。
目の前に小さな武士が立っている。迫る。

「……!」
田中は急激に足を止めた。
そこから先に進むことを心より体が拒否した。
顔色が変わる。

でかい。
そう思った。
見えない圧力が田中の全身に襲い掛かる。
強大な剣気。

次の瞬間。ぴう、と空気を裂いて田中の左肩が弾ける。
縦に斬られた肩口から血が吹き出した。
あつい。

「れいなっ!」
誰かが叫ぶのが聞こえた。後ろか前か、わからない。

「甘いんだよ田中」
腰を地面に落とした田中の目の前に、矢口の刀があった。

「本気なら命を賭けな」
288名無し募集中。。。:04/05/28 22:50 ID:+XKWheMi
田中が斬られたのをきっかけに、膠着が崩れようとする。
矢口の先導で数で優るさくら組が動き、
おとめの包囲を突破しようと群れを広げる。
――しかし。

さくら組が、田中を失ったおとめ組を一気に制するかと思われたその時、
だん、と石川が地面を踏み鳴らした。
矢口がおとめ組の一角である田中を斬りつけた瞬間に石川は動いていた。
矢口の懐に斬り込む。

当然、守りとして見れば、田中を斬った矢口には隙がある。
おとめの隙が、逆に矢口の隙となった。

「ふしゅっ」
石川はその高い身体能力を生かし、唸るように刀をしならせる。
足先から、腰から、胸から、全身をばねのように躍動させた突きが矢口を襲う。

矢口が横に捌きながら後ろに引く。
石川は田中を肩口からまたぎ、後ろにかばうように立ちはだかる。
後ろの平隊士が、傷を負った田中を引きずって自陣に引き戻す。

(うまい)
加護は思った。

田中が斬られた瞬間に守りに入らず、
逆に要である矢口に攻撃を仕掛けることで、
乱戦になだれ込みそうだった情勢を、矢口との一対一の形に押しとどめる。
石川の瞬時の判断によって、一気にさくら組に傾きかけた流れが止められた。
289名無し募集中。。。:04/05/28 22:50 ID:+XKWheMi
壬生娘。組が分けられ、おとめ組の副長になってから、石川は一段と強くなった。
同時期に加入した加護が置いていかれてしまうほどに。

石川の剣が躍動する。
それは辻のような、天性の身体能力と勘によって磨かれた剣とは違い、
飯田のような、精緻な技術と豪放な力を併せ持つ剣とも違い、
正確な拍子に裏打ちされた、舞踊のような、
それも能のようなものではなく、異国の舞踏を思わせる動的な剣だった。

突きをかわされても、ものともせず、
石川はそのまま大きく足を踏み込み、全身を使い刀をわざと大きく振るう。
足の先から手の先まで目一杯に大きく円が描かれる。

動き出そうとした他の隊士達が、石川の作り出した大きなうねりに引き込まれる。
矢口と石川の激しい打ち込みあいに、再び隊士たちの足が止まる。

天秤は揺らがない。
乱戦になれば単純な数でさくら組が有利。
しかし、矢口と石川の睨み合いに引き戻すことでまた五分。
矢口も田中を斬ることで一瞬の隙が生じた。その隙を石川が逃さなかった。

場は再び、二つの集団の睨み合いに戻った。

「私は本気ですよ」
石川が息を弾ませながら言った。
290名無し募集中。。。:04/05/28 22:51 ID:+XKWheMi
なまぬるい空気がゆっくりと、二つの集団の隙間を移動していく。

加護は、石川が五条通りに現れた時点で、これは終わりだと思った。
壬生娘。組を守るという観点では、石川と矢口が対峙した時点で終わりなのだ。
矢口の動きを予想し、石川に待ち伏せを命じた飯田の読み勝ちである。

なのに矢口が引かない。
矢口もこの状況は理解しているはずだ。
飯田は矢口の行動を予想し、その上でさらに「来るな」と言っている。
これはそういう意味だ。
それでもなお、飯田を救いに行かなければならない理由を矢口は持っているというのか。
あるいはただの、飯田に対する意地なのか。

加護の心が揺らぐ。
元々、優柔不断がちな性格である。
他人の顔色を窺って、ころころと他人に合わせてしまう癖がある。
それは加護の生い立ちによる。生きていくための習性だった。

石川が現れて正直ほっとしたのは事実だ。
ここで矢口が引けば事は済む。
引かずとも時さえ稼げればおとめ組――飯田の勝ちだ。
後は飯田たちの帰りを待てば……。
少なくとも自分たちが斬り合う必要はない。

だが矢口は引かない。
そしてだからこそ、矢口はここで時間稼ぎなどさせず、攻めるはず。
291名無し募集中。。。:04/05/28 22:53 ID:+XKWheMi
矢口と石川。
この二人がやりあってはいけない。
二人ほどの人間が本気でやりあったならば、どちらかが確実に死ぬ。
それは今の一瞬の斬り合いを見ても分かる。
残ったほうも無傷ではいられまい。
そんなこと、誰も望んではいない。

しかしこの二人はこの場の誰であっても止められない。
今までの一連の動きがそれを証明している。

二人の戦いに全体が飲み込まれ、誰一人として自分の動きをとることが出来なかった。
せいぜい先に動いた田中くらいのものだ。
今も場が、二人の剣気に飲み込まれている。

飯田でさえ止められるかどうか。

せめて、吉澤がこの場にいてくれればと思う。
せめて辻が隣にいれば、二人でなんとかできたかもしれない。

日頃は加護自身も矢口、石川らと対等にやりあえているつもりではある。
しかしそれは壬生娘。組という基盤がしっかりしている中で、
気楽にちょっかいを出している立場に過ぎない。

それは一見、対等にも思えるが、
その実、加護自身が基盤を作り、支えているわけではない。
ものを壊すのはある程度の力があればできる。
しかし、ものを作り、保ち続けるのは並大抵の力ではできない。
加護にもそれくらいの自覚はある。
292名無し募集中。。。:04/05/28 22:54 ID:+XKWheMi
いいや、違う。
加護は思い直す。

ここは自分が何とかしなければならないのだ。
飯田も吉澤も辻も、ここにはいない。
矢口と石川を止められるのは自分しかいないのだ。
なんとしても。

どんな理由があろうとも、仲間が斬り合って良いことなど一つもあるはずがない。

ふと、加護の視界に田中が映る。
矢口に肩口を斬られた田中は、
膝をつき、肩を手で押さえ全身で息をしている。
苦しそうではあるが致命傷ではなさそうだ。
まっすぐに、こちらを睨んでいる。

驚いた。
矢口に出端を挫かれ気持ちを萎えさせていると思い込んでいた。
目がまだ生きていた。この子はまだやる気だ。
しかし――。

(田中ちゃん。おかしい……?)
293名無し募集中。。。:04/05/28 22:55 ID:+XKWheMi
あつい。
あつい。
肩があつい。

斬られたところが大きく脈をうっている。
頭の中を激しい呼吸音だけが支配している。
だが、まだ倒れない。

――強大な剣気への戦慄。
田中は自分を戒めるように、あつい肩に当てた手にぐっと力を込める。
「くぅ……」

矢口の言うとおりだ。
自分はまだ、本気になりきれていなかった。
余計な感情を入れすぎていた。

気持ちが高ぶる。

だが同時に、矢口もあまい。
傷は浅い。
こんなものかすり傷だ。
つまり矢口も、本気で自分を斬っていない。

「組のため」という言葉が嫌いだ。
そこにうその匂いを感じる。
個人のための組だろうに。それが、個人を振り回している。

自分は今なんのためにここにいるのか。

今度こそは、斬る。
294名無し募集中。。。:04/05/28 22:56 ID:+XKWheMi
加護は田中の瞳の中に宿る怪しい光を見て取っていた。
(斬られて、混乱している……?)

田中の刀がわずかな灯に反射してぎらりと光る。
刀が動いている。
田中はまだやる気か。
(まさか……)

それを見て加護の頭に一つの考えがよぎる。
しかしその、あまりに哀しい考えに胸がどきりと大きく脈打つ。

あるかもしれない。ひとつだけ、この場を治める方法が。

天秤を揺るがせてはいけない。
特に田中が斬られている今、さくらが圧倒的優勢になれば矢口は迷わず、
おとめの包囲を突破して所司代に向かう。

矢口と石川をこの場で止められる者はいない。
加護が口で説得しても、矢口の意志は変わらないだろう。

あるいは矢口が斬られれば、この場は治まるかもしれない。
しかし、加護はそれを望まない。

じゃあ。

自分が斬られたら、どうだろう。
自分がこの場で斬られれば、矢口と石川はどういう反応を示すだろう。

少なくとも、みんなにそれなりに、大切にされているという自負はある。
295名無し募集中。。。:04/05/28 22:57 ID:+XKWheMi
加護を斬れる者など、普段なら実力的にも、目的としてもいない。
しかし今、この場には、いる。

田中を見る。
それをまるで合図としたかのように田中が動く。

最初と同じく、低く、低く。
目が虚ろになっている。心が混乱している。
その剣先だけは正確に、ただ漠然と、矢口に向けて。

二度も同じ事をされれば、たとえ矢口とてただでは済ますまい。
迷わず田中を斬るはず。

その選択が正しいのか、正しくないのか。この状況では自分でもよく分からない。
でももう考える余地はない。
たとえ避けられないとあっても、田中を斬れば矢口は絶対に後悔する。
田中のためにも、矢口のためにも、壬生娘。組のためにも。
とにかく自分が止めに入らなければ。

(――いや)
一瞬の迷いが、ふと加護の足を止める。
(うちが死んでも、矢口さんは止まってくれるだろうか)
その瞬間も時は流れを止めない。

「田中!」
石川が後ろから現れた田中の動きに気づき、追う。
次は矢口も容赦なく斬るであろうことを石川も分かっている。
しかし、石川の出足は田中に追いつかない。
296名無し募集中。。。:04/05/28 22:57 ID:+XKWheMi
次の瞬間。加護は自分が一瞬でも迷ったことを後悔した。

後ろから人影が、加護を追い越していった。
「田中ぁ〜!」

手にした長い槍をやや上に向けて、
矢口が田中を迎え撃つのを邪魔するように田中との間に立ちふさがり、
田中の突きを受けるふりをして。

「新垣ちゃんっ!!」
加護は人影に向かって叫んだ。
恐らく自分と同じ結論に至ったのであろう。と、
瞬時に理解した、その人影に向かって。

「矢口さん!」
「れいな!」
幾多の叫び声が交錯する。
297名無し募集中。。。:04/05/28 22:58 ID:+XKWheMi
――閃光。

暗闇に火花が散った。
鉄と鉄がぶつかり、こすれる音。
近くにいた加護はそれを直視してしまい、目の前が真っ白になる。

目に映った直前の映像。
新垣はなるべく矢口を邪魔するように体を入れていた。
田中が矢口に斬られないように。
あるいは間違って、矢口が新垣を斬ってしまってもいいくらいに。
新垣は田中を邪魔するように体を入れていた。
田中を傷つけないように、その槍の刃を天に向けて。

加護は目をしばたかせる。
まだ目の前は真っ白で見えない。

激しい息づかいが聞こえる。これは田中の息だ。
見えない目で前を凝視する。
うっすらと二本の刀が、自分を中心に交錯しているのが分かる。
そして天を突くように上を向く新垣の槍。

後悔が、絶望が加護を襲う。
躊躇した自分を無視するかのように、
新垣はそのひたむきさで、加護を押しのけて田中の前に立ちふさがったのだ。
298名無し募集中。。。:04/05/28 22:59 ID:+XKWheMi
新垣は恐らく、自分がしようとしたことと同じ事をしたのだ。

「何で……」
何故気がつかなかったのだ。

新垣だって壬生娘。のことを思っている。
(自分だけと思うとったんか!)
加護は自らを責める。

だがもう遅い。

誰よりも先に、自分が二人を止めるべきだったのに。
自分が少しでも早く決断してさえいれば、新垣は。
299名無し募集中。。。:04/05/28 23:02 ID:+XKWheMi
やがて、目の前の重なる影が像を結びはじめる。

ぬるい風が、加護の頬を撫でる。
(……ん? ……ん?)

それは少し、加護の想像とは違う光景だった。
確認するように、何度も目をこする。
重なっている人影が多く見える。

もう一度、目をこする。

中心に立つ影は、田中でも、矢口でも、新垣でもない。
四人目の影は、三人の中心で全ての刀、槍を見事に受け、
その場の時の流れを止めていた。
たった一人で。

その少し先で、石川が驚きの表情を、その中心に向けている。
矢口。石川。
この二人を止められる者など、この場にはいないはずだった。

「早まるんじゃないよ」
時の流れの静止した中で、まだ加護の目に白く映る残像に向かって、
どこから現れたのか、仔犬が、くうんと鼻を鳴らしながら近づいていく。

その閃光の残像の中に立つ者は、
加護も聞き覚えのある蝦夷訛りの残る口調で、穏やかに言った。

「平和にいくべさ」
300名無し募集中。。。:04/05/29 01:31 ID:k/Ii6Vu6
鳥肌が立つくらいの緊迫感だな
301名無し募集中。。。:04/05/29 02:45 ID:WsZ9yyUE
ついにあの方の登場ですか!!
302名無し募集中。。:04/05/29 14:46 ID:HX5KmzXM
それぞれのキャラの組織内での位置関係がリアルで素敵。
303名無し募集中。。。:04/05/29 21:35 ID:uTkSDs/0
おお!!!!!まってました!
真打ち登場ですね!
304名無し募集中。。。:04/05/29 21:36 ID:uTkSDs/0
あげちゃってすいません
305ねぇ、名乗って:04/05/30 07:12 ID:A7L5HPRt
え?ありえないくらい面白いんだけど?
306名無し募集中。。。:04/05/30 21:36 ID:qOTicmE1
すごすぎる。面白すぎる。
307ねぇ、名乗って:04/05/31 05:41 ID:6cnCRhmc
そろそろ誰かが死ぬのかと思ってドキドキしたよ
いや、まだわからないかな
308名無し募集中。。。:04/06/02 00:01 ID:iDmMLb9F
はやくののたんが死ぬとこみたい
309ねぇ、名乗って:04/06/03 23:45 ID:DDS3cTH1
Σ( ;´D`)<ショ、ションナ!
310ねぇ、名乗って:04/06/04 16:36 ID:hW3imb3i
鳥肌たちますた。そしてなんか哀盆に感情移入して泣きそうに…
ところでなっちは二刀流ですか。
311名無し募集中。。。:04/06/05 21:50 ID:iduNCzOB
なっちは手裏剣つかいですか?
312名無し募集中。。。:04/06/07 23:47 ID:wjvqck/1
なっちは座頭市
313名無し募集中。。。:04/06/08 15:27 ID:6h1dg3Gh
そうなのか!
314ねぇ、名乗って:04/06/11 18:41 ID:7wsNzWYT
ホゼン
315名無し募集中。。。:04/06/12 22:07 ID:2poxThlN
>>297
修正
×うっすらと二本の刀が、自分を中心に交錯しているのが分かる。
○うっすらと二本の刀が、新垣を挟んで交錯しているのが分かる。
316名無し募集中。。。:04/06/12 22:08 ID:2poxThlN
「血の匂いだ」

刻を告げる鐘の音が止むと同時に、静寂があたりを包む。

「血の匂い?」
所司代監鳥居組の木村麻美が鼻で笑う。
「世迷言を――」

この目の前に立つ、あまりにも愚かな思考に支配された者たちへの、
腹の底から湧きあがる気持ちの悪いものに我を失いかけた紺野だったが、
藤本の突然の行動に、やや落ち着きを取り戻す。

(――いや)
一瞬は木村と同様に藤本のはったりかとも思った紺野だったが、違う。
確かに何かがおかしい。

静かすぎる。
馬も、犬も、鳴き声から息づかいまで、何一つ物音が感じられない。
虫の声一つない。

庭側に立つ、斉藤美海という娘と所司代組隊士たちの隙間の向こうに、
屋敷の庭の暗闇がある。

所司代組屋敷には庭と呼ばれるものが二つあり、
一つは現在紺野たちのいる詰め所も兼ねたこの建物の北側に位置する中庭と呼ばれるもので、
もう一つが建物の南側にある、この目の前の庭である。
317名無し募集中。。。:04/06/12 22:10 ID:2poxThlN
わずかに、ぬるい空気が歩み寄ってくる。
辺りに充満する農村のような家畜独特の匂いの中から、
藤本の言うような血の匂いを紺野は感じることは出来なかったが、
屋敷全体を覆う、何かしらの異様さは感じてとれる。

紺野も刀を手にしたまま、す、と藤本の後ろに歩を進める。
「う、動くな!」
斉藤に槍を向けられ、紺野は動きを止める。

腰の根付に刀の鍔が当たり、ちゃりと小さな音を立てる。
その音に、紺野は不意に不穏な考えを連想する。
(……斬る?)

目の前の連中を一人二人斬ってでも、この場の主導権を握るべきなのかもしれない。
もしこの屋敷全体を包む異様な空気が自分の気のせいでないならば、
権力への妄執にとりつかれたこの人たちより、
賢明な和田に指示を仰いだほうが正しいのではないか。
318名無し募集中。。。:04/06/12 22:11 ID:2poxThlN
いや。
(藤本さんじゃないんだから)
おかしなことはするなと矢口に言われている。
ここで所司代と斬りあってしまえば後々問題にもなる。

そもそも、紺野はそういった思い切った行動によって事態が急変するのを好まない。
それでも「斬る」という発想が思わず出てしまうのは、
曲がりなりにも壬生娘。組という中で過ごして身についてしまった、独特の価値観でもある。
だが、このままこの所司代に任せておくのが心配というのも正直なところである。

しかしそんな紺野の思いが杞憂であったかのように、
斉藤らとは明らかに違う反応を示す者があった。
里田舞。木村、斉藤らと同じく、所司代に属する監鳥居組の組頭格であると名乗っていた。
はじめは他の者たちと同じように嘲笑うかのような表情を見せていた里田だったが、
開かれた戸より入ってくる、わずかなぬるい風に顔をこわばらせていた。

「おい」
里田は身近の隊士を傍に呼ぶと、小声で囁く。
「……は」
命を受けた隊士は、そのまま屋敷の奥へと消えていった。
319名無し募集中。。。:04/06/12 22:12 ID:2poxThlN
「滅茶勤王党の動きは、所司代は追っていないのかい」
この状況にもかかわらず、和田が相変わらずの飄々とした口調で言った。

「はっ。勤王党がここを襲うとでも?」
木村は逆に威嚇のためなのか、大袈裟なほどに口の両端を吊り上げてみせた。

「もちろん追っていますとも。
それについては、あなた方より我々のほうがよっぽど正しい実態を掴んでおります。
なにせ、我々所司代は京都守護職より前から滅茶勤王党と対峙しているのですから」

確かに滅茶勤王党が京都で隆盛を誇った文久二年頃には、
まだ壬生娘。組どころか京都守護職すら設置されていない。
京都の治安維持には、各奉行所と、その上役である京都所司代が対応していた。
所司代配下である監鳥居組の設置自体はむしろ壬生娘。組よりも後なのだが、
組織としての滅茶勤王党に関する年季は所司代のほうが上と言っても間違いではない。

「ですが連中は、もはや幕府を脅かすような存在ではない」
「彼らを甘く見ないほうがいい」
「くどい。我らまで惑わされるおつもりか」
木村は現在直面している事態への思考以外に気持ちを割かれたくないのか、
鬱陶しそうに言う。

「少なくとも彼らが単独で我が所司代を襲えるような兵力など、有しているはずがない。
前阿佐藩主、田森一義公の藩政復帰により党首の武田真治は切腹。
京都を震撼させた人斬り共も我ら所司代が捕え、田森一義公に引き渡し、処刑された。
岡村隆史、矢部浩之両名は既に奴等と袂を分かち、よゐこは我らの手にある。
幹部と呼べるような人間はもはや、せいぜい山本圭壱と加藤浩次くらいのものだ。
確かに残党に多少の動きはあるが、奴らに党を再興する力など無い」
320名無し募集中。。。:04/06/12 22:13 ID:2poxThlN
「お前らは――」
すると。緊迫する空気をまた一人無視するかのように、呟く声があった。
藤本だった。

目の前で槍を構える斉藤らをまるで存在しないもののように、
ぼうっと一人で庭を眺めていた藤本は、ゆっくりと振り返り、ふっと呟く。
「――滅茶勤王党とつながっているのか」

「……はあ? そんなわけがなかろう」
あまりに突飛な問いに、
何をわけのわからぬことをという風に木村が答える。
紺野にも藤本の言葉の意図はわからない。

「ならば、内輪の揉めごとか」
また、ぼそりと呟く。
「なんだと」
しかし今度は一瞬、木村の表情が変わったように紺野には見えた。そのとき。

「隊長!」
庭から一人の隊士が駆け込んできた。
先程、里田の命により屋敷の奥に消えた隊士である。

「どうした」
里田が答える。
「う、馬が……厩舎が」
隊士は息を切らせながら北東の方向を指さした。
321名無し募集中。。。:04/06/12 22:14 ID:2poxThlN
――五条通り。

「安倍……さん」
石川が最初に口を開いた。

「局長!」
「安倍さん!」
「局長っ!」
続けて隊士たちが口々にその者を呼ぶ。

「妙な匂いがすると思ったら。あんたらはあんたらで、何してんの」
穏やかな口調のまま、その者は答える。
加護の視界から、白い残像が徐々に消えていく。

壬生娘。さくら組局長。安倍なつみ。

左逆手で半身に抜いた刀で矢口の刀を受けている。
右手には団子の竹串。
細い竹串の先で田中の刀の鍔をただ一点で押さえ、
その田中の刀の鎬(しのぎ)で新垣の槍を受けている。

目は暗闇の中であるはずなのに、
その型は正確無比。

どういった力が働いているのか、
安倍を中心に、三人は誰一人として動くことができない。
322名無し募集中。。。:04/06/12 22:14 ID:2poxThlN
田中が、がたがたと震えている。
肩の傷から血が抜けていく寒さからなのか、
自らの行いに対する今さらながらの恐怖からなのか、
安倍に抑えられた竹串の一点から、手もとの刀はぴくりとも動かず、
ただ、体だけががたがたと震えている。

安倍は矢口を一瞥すると、かしんと左逆手に持った刀を鞘に収め、
その手をそのまま、そっと田中の肩に置いた。
「もう大丈夫だよ」
すると肩からふっと力が抜け、田中はその場にへたり込んだ。
からん、と手から刀がこぼれ、地面に転がる。

「局長ぉぉぉぉおお」
他の隊士たちにだいぶ遅れて、新垣が情けない声で叫ぶ。
あまりの出来事に事態の把握が遅れていたらしい。
濃い眉毛を思い切り「八」の字にして、目には涙を浮かべている。

「お豆ちゃん」
安倍は困ったような嬉しいような顔で新垣に微笑み、
背中に手を回し、ぽん、ぽん、と抱きしめるように数回叩いた後、
未だ呆然としている矢口のほうに向き直った。

「なっ……。局長……」
矢口も驚きの顔で安倍を見ている。

矢口を見る安倍の顔は既に笑っていなかった。
「矢口。説明してもらうよ」
323名無し募集中。。。:04/06/12 22:16 ID:2poxThlN
――所司代組屋敷内。

一人の隊士の飛び込みに、
ようやく他の者たちも屋敷全体を包む事態の異様さを感じ始めていた。
周囲がざわめく。
監鳥居組の三人が顔を突き合わせ、平隊士を外に走らせる。

(何が起きているのだろう)
紺野らは、所司代組隊士の交差する槍によって行く手を阻まれ、
彼女らの会話を聞き取ることができない。

そんな中、所司代組隊士たちの注意が散漫になるのを見計らったように、
藤本がすうと、木村らと反対の方向に動き出す。
目の前の組隊士は木村らの動向に目を奪われている。

(あっ)
それに気づいた紺野は、
藤本がおかしな行動をしたら止めるよう矢口に言われていたことを思い出し、
呼び止めようとする。
「待っ――」

しかしそれより先に、ソニンが口を開いた。
「待て、和田様をここに放っていく気か。護衛があんた達の仕事だろう」
藤本は一旦動きを止める。
そして振り返り、ソニンを見た。

「できるのだろう」
ソニンの手に視線を移した。
324名無し募集中。。。:04/06/12 22:17 ID:2poxThlN
藤本の言葉を追って紺野がソニンの手に視線を移すと、
その手のひらの中には、黒い金属製の何かが握りこまれていた。
(……暗器?)

そういえば、監鳥居組の木村の話によれば、
ソニンは一時期、藤州の笑犬隊に間者として潜り込んでいたという。
ならば相当使える手か。

紺野は遊女をしていたというソニンの経歴にとらわれるあまり、
兵士としてのソニンの能力を考えていなかった。
和田の下で間者として動き、側に仕えているならば、それ相応のものがあって当然か。
藤本はそこまで分かっていたということだろうか。

ソニンがそれでもなお睨み続けるのを無視し、
藤本はやにわに木村たちとは反対の方向に走り出した。

「あっ」
紺野は慌てて追おうとして、和田の顔を振り返る。
和田は諦めたように口を「へ」の字に曲げ、細かく何度も頷いていた。
紺野は和田に軽く会釈をすると、藤本の背中を追って走り出した。

背中に、いつまでもソニンの刺すような視線がこびりついているような気がした。
325名無し募集中。。。:04/06/12 22:18 ID:2poxThlN
藤本は西に向かっていた。
何を目指しているのかは分からないが、
おそらく建物を外から回りこんで中庭のほうに向かう気なのだろう。

しかし、先には当然、何人もの所司代組隊士が待ち構えている。
隊士たちは迫る藤本に気がつき、槍を水平に構えた。
「おい! 逃げるぞ!」
すかさず藤本が腰の刀の鯉口を切る。

「藤本さんいけない!」
紺野は思わず叫んだ。

先刻、自分の心の中に浮かんだ不穏な思考と藤本の行動が被る。
しかし藤本は紺野とは違う。邪魔する者はすべて迷わず斬り捨てる気だ。
だがいくら緊急時とはいえ、一時の都合で本来なら味方である所司代を斬るなど、
迂闊なことをしてしまえば後々壬生娘。組の存続に関わる話にすら発展しかねない。
それだけ今は不安定な関係なのだ。
矢口が紺野に言っていたのはそういうことだ。

けれども。紺野は走りながら思う。
(矢口さん、やっぱりこの人止めるのなんて無理です)

「ち」
だが紺野の想像とは裏腹に、
藤本は走りながら小さく口元で舌打ちをすると、
浮いた柄を、かん、と右手で押し戻した。

(え?)
間も無く。紺野は遠目に、不可思議な光景を見た。
326名無し募集中。。。:04/06/12 22:18 ID:2poxThlN
藤本が刀を鞘に戻し、素手で所司代組隊士の集団に突っ込む。
先頭の一人目の突きをかわし、藤本の右手が槍の柄にそっと触れたその瞬間。

槍を持つ隊士の両足が、ふわりと浮き上がった。

(これは……!)
紺野は大きく目を見開いた。
隊士の体はそのまま、藤本を中心にぐるりと円を描き、背中から地面に落ちる。
「ぐうっ」
うめき声が漏れる。

「合気!?」
それは正しくは、合気ではなく柔術の基本的な技のひとつに過ぎなかった。
しかしその正確な足運び。流れるような体の動き、無駄の無い間(ま)。
藤本を中心に宙に描かれた美しい円弧は、
かつて柔術師範の吉澤が紺野に、悪戯に一度だけ見せた『合気』の技を容易に連想させた。

(いつの間に……?)
藤本の腰のあたりを中心に、幾人もの隊士が次々と地面に転がっていく。

剣と剣で人を投げるというような吉澤の極技には遠かったが、
それでも洗練されて見える藤本の柔術の技は、能の舞いのように美しく、
あまりの流麗さに紺野は足を止め、目を奪われた。
柔術を知る前に藤本自身が独りで積み上げてきたものがいかほどであったか、
紺野は驚愕せざるを得なかった。

隊士の八割方が地面に突っ伏し、うめき、立ち上がることができなくなった頃、
藤本は、息も切らせず紺野に言った。
「これでいいか」
327名無し募集中。。。:04/06/12 22:19 ID:2poxThlN
「え……あ、は、はい」
紺野の答えを待たずに藤本は再び走り出していた。
慌てて背中を追う。

屋敷の南西の角で右に折れ曲がり、南正門を背にして北へ向かう。
石畳の上を音も立てず走り抜ける。
北側の蔵群に続くこの外廊には、一定の間隔で灯りがともしてあり、常に明るい。

所司代の追っ手はもはや無い。
あたりの様子を見るに、危急の知らせはまだ屋敷全体には届いていないようだった。
どこにも動きが見られず、遠目に見える隊士も紺野たちの存在にすら気づいていない。

やがて紺野が追いつき、横に並ぶと、
藤本は走りながら、目も合わせずに言った。

「二手に分かれる」
「……はい?」
「説明している暇はない。勤王党が屋敷に潜入している。
それをおとめ組が追っている。目的はよゐこの救出だ」
「はい?」

藤本は紺野の困惑を無視して続ける。
「先に行け。目標は最北並び、西から四番目の蔵だ」
「え?」
「そこによゐこが捕えられている。状況を把握したら最善の行動を取れ」

そう言うと藤本は蔵の手前、
石畳の途切れたところで急に右に折れ曲がり、そのまま暗闇に消えていった。
328名無し募集中。。。:04/06/12 22:20 ID:2poxThlN
「……あの? え?」
紺野は慌てて足を止める。
しかし藤本の姿はすでに無く、足音も聞こえない。

(ああ、もう!)
自分の愚鈍さに腹が立つ。

足を止めた途端、体中から汗が滝のように吹き出てきていた。
額の汗をぬぐいながら、暗闇の中を一人で歩く。
(最北並びの、西から四番目の蔵に……よゐこ?)
しかし――。

(滅茶、勤王党?)
滅茶勤王党残党の動きが活発になっているという話は紺野も知っている。
だからこそ所司代の楽観ぶりに腹も立ったのだ。
だが、それが現実に所司代組屋敷を襲いうる程のものなのか。
木村が言っていたとおり、滅茶勤王党がそこまでの兵力を有しているかは正直疑わしい。
襲撃の信憑性がどれほどのものであるか、さくら組である紺野には知らされていない。

だが自身も今は所司代に追われる身である。闇雲に藤本を探しまわるわけにもいかない。
仕方なく、紺野はとりあえずその蔵に向かうことにする。

不思議と人の気配はどこにもない。
藤本の話が確かなら、滅茶勤王党か、藤本か、
あるいはおとめ組の誰かにいずれ出くわすはず。
いつでも刀を抜けるように、腰に手を添え、慎重に、慎重に、一歩ずつ歩を進める。
329名無し募集中。。。:04/06/12 22:22 ID:2poxThlN
まったく同じ形、色をした蔵群の白壁の横を抜け、北の塀に達し、
あたりに注意を配りながら右に折れたところで、紺野は奇妙な物体に気がついた。

黒い、小さな影が落ちている。
ちょうど藤本の言っていた四番目の蔵の近くだ。
紺野は息を潜め、北の塀に背中を預けながらゆっくりと進む。

それに近づくにつれて、生臭い刺激が鼻をつく。
血の匂い。

死体だった。
犬の死体。
紺野は決して慌てることなく、用心してそれに近づく。

異常だった。
明らかに異常な殺され方。
胴体の上に幾重にも刀傷が交差している。
恐らくは最初の一太刀で絶命しているだろうに、
その上から何度も、何度も、斬りつけられている。

周囲を引きずりまわしたのか、あちこちに黒い血の跡がべったりとついている。
紺野はその、もはや死体ですらない、本来の犬の半分ほどの大きさの槐に、
言い知れぬ狂気を感じた。

この異様な空気の中で、
犬の吠え声も、馬の嘶きも全く聞こえてこないのは、もしや。
330名無し募集中。。。:04/06/12 22:23 ID:2poxThlN
蔵を見る。
藤本の言っていた目標の蔵。

北の塀との間につづらなどの荷箱が集められ、無造作に積み上げられていた。
上を見ると、蔵の上部に穿たれた小窓の格子が破られている。
(ここから中に?)

念のため、注意をしながら蔵の表側に回る。
しかしやはり、表の鉄扉は大きい錠がかけられ、開けることができない。
耳をそっと鉄扉に当てる。
物音はしない。

再び裏に戻る。
状況から見て、ここから何者かが中に侵入したと見るのが妥当だろう。

あたりに人の気配は無い。
何故だか分からないが、藤本のやってくる様子も無い。
(状況を把握したら、最善の行動を取れ?)
藤本に言われたことを思い出す。
そもそも藤本自身は、ここに来るつもりがなかった?

だが、ここで迷っても仕方が無い。
藤本の言ったことは正論ではある。
紺野は上を見上げ、意を決して、積荷に足をかけた。
足に踏まれた積荷がぎしりと苦しそうに音を立てた。

その無造作に積み上げられた荷の中に、
“荷ではない、やわらかいもの”が含まれていたことに、紺野は気がつかなかった。
331名無し募集中。。。:04/06/12 22:24 ID:2poxThlN
小窓は人一人がじゅうぶんに通れる大きさだった。
紺野は格子の残っていた部分に手をかけ、自分の体を持ち上げる。

蔵の中には灯りがともっている。

頭だけを小窓の中に入れると、まず猛烈な異臭が紺野の鼻をつく。
紺野は思わず手を外から引き込んで鼻をつまむ。
この暑い中、蔵に篭っていたのだから、臭いの酷さは尚更である。

なるべく音を立てないように、体を中に入れる。
体が小窓を通りきると、膝立ちになってすかさず脇差を抜く。
狭い屋内では扱いにくい大刀より、短い脇差のほうが向いている。

空気が篭っている。
異様に静かだ。

蔵の中は十畳ほどの広さ。
紺野のいる場所は、蔵の二層構造の上段で、
上段の床は蔵全体の広さの半分ほどで途切れており、
そこから下段に移動する小さな梯子がかけられている。

紺野は低い体勢で梯子の傍に寄り、そっと下を覗き見る。
下は意外に明るい。

台の上に乗せられた太い蝋燭の炎が揺れている。
死角になっているところが多くて様子が完全にはわからない。
炎の揺れにあわせて、死角の影がちらちらといそがしく左右に揺れる。

人の気配が感じられない。
(……? 人の気配が……無い?)
332名無し募集中。。。:04/06/12 22:24 ID:2poxThlN
紺野は慎重に脇差を片手に持ったまま、
もう片方の手で梯子を握り、ゆっくりと下に降りる。

猛烈な臭いで鼻が既に効かなくなっている。
扉を開け放ちたいところだが、鉄の扉は外から錠をかけられていて開かない。
蝋燭の炎がゆらりと揺れる。

(人が……いない?)
まさか、よゐこは既に脱出した後か、あの小窓から。
紺野は自分のいた上段を見上げる。

そこでふと、奥にまだ何かあることに気がついた。
上段の床の下。ちょうど紺野が侵入してきた足元のあたりになる。
荷の死角になっているが、まだ、それなりの広さがありそうだ。

(隠し部屋?)
紺野はごくりと唾を飲み込む。汗がつつ、と頬を流れていく。
脇差を前に構えて進む。

ぴちゃり。
その死角を覗き込む前に、
紺野は足先に触れる生暖かいものに反応し、歩みを止めた。
反射的に足元を見る。

血だまり。
333名無し募集中。。。:04/06/12 22:25 ID:2poxThlN
(……!)
紺野は瞬時に足を引き、
そして少し遅れて気がついたように正面を向き、
血だまりを避けるようにして左右の荷を横に押し、前に進んだ。

息をのんだ。

一つ、二つ。……三つ。四つ……
五つの体が、その狭い空間に詰め込まれていた。
濱口優。有野晋哉。そして三名の阿佐藩士。

「酷い……」
紺野は思わず声を出した。

五つの塊から大量の黒い血が滲み出、床に大きな血だまりを作っている。
猛烈な異臭は、その周辺から発していた。
334名無し募集中。。。:04/06/12 22:26 ID:2poxThlN
たしかに尋常な光景ではなかった。

が、紺野とて壬生娘。組の組頭であり、死体などは日頃から見慣れている。
紺野はわずかな時間で平静を取り戻し、状況を確認しはじめる。

蝋燭の位置から死角になっているために暗く、死体の状況が正しく確認できない。
炎が揺れるたびに、光と影が死体の上を交錯する。
紺野は口に手を当て一瞬考えた後、
五人の顔を確かめるように、まじまじと顔をよせた。

「う……」
すると、その中の一人から声が漏れた。
紺野は反射的に身を引く。

(まだ息がある)
「大丈夫ですか!?」
紺野は遠慮がちに体を触る。

苦しそうに、血だらけの顔面からゆっくりと目を開いたのは、濱口だった。
「う、うし……」

「うし?」
何かを訴えかけるように濱口が手を伸ばす。
手は、紺野のうしろを指さしていた。
335名無し募集中。。。:04/06/12 22:27 ID:2poxThlN
途端に紺野の背後で盛り上がる強烈な殺気。

紺野は振り向いた瞬間に後ろに跳び、脇差を両手で構える。
そしてその強烈な殺気の渦に誘い込まれるように、
間を置かず上段を、積荷の影に打ち込んだ。

「やあああああああ」
鉄と鉄の弾けあう音が空気の篭った蔵の中でこだまする。

渾身の打ち込みは“それ”にあえなく受け止められ、
伸びてきた強烈な前蹴りに紺野は吹き飛ばされる。
「ぐふっ」
体ごと血だまりに飛び込み、黒いしぶきがあたりに散り、斑点を作る。

紺野は立ち上がりながら視線を走らせる。
積荷の影から、それは姿をあらわした。

血走った目が、紺野の視線を捕えて離さなかった。

それは紺野の第二の打ち込みを動物的な動きでかわし、
ぼろぼろの刀を手に狂ったように紺野に襲い掛かる。
刀を横にして両手で受ける。

「あぅぁげぁごごうっー」
それは人とも獣ともつかぬ叫び声を発して紺野を威嚇した。
336名無し募集中。。。:04/06/12 22:28 ID:2poxThlN
紺野は受ける刀に力を込めながら、ゆっくりと呼吸する。
蹴られた腹がずきりと痛む。
しかし、今の紺野に耐えられない痛さではなかった。

以前、似た体験をしたことがある。
やはり同じように、渾身の上段の打ち込みを難なく受け止められ、
腹を蹴られ、弾き飛ばされた。
紺野はその時、己の力の無さを実感した。
以来、紺野は前よりもずっと体を鍛えてきた。

当時はまだ組長ではなかったが、
仮にも壬生娘。に名を連ねる紺野を、いとも簡単に、赤子のようにあしらった獣。
その名を藤本と言った。

しかしこれは、その獣とも違う。
返り血を浴びて血だらけの上半身は何も身にまとっていない。
下半身は腰から下が全て真黒い股引(ももひき)で覆われている。

(狂っている)
紺野はその血走る目を見て、直感的にそう感じていた。
藤本をどこか理知的なたたずまいを持つ、抑制されたしなやかな獣(けもの)とするならば、
これはまるで手負いの、血に飢えた本能のままの、けだもの。

「う……うしみつ……」

濱口が息も絶え絶えに、言葉を発した。
その名を聞き、滅茶勤王党と目の前のけものが、紺野の中で一本の線によって繋がれる。

「人斬り丑三(うしみつ)!?」
紺野は叫んだ。
337名無し募集中。。。:04/06/12 22:29 ID:2poxThlN
加護は独りで、その光景を眺めていた。

目の前で石川と矢口が、安倍を挟んで話をしている。
地面にへたり込んだ田中が、亀井と他の隊士に肩の手当てを受けている。
新垣は少し離れた場所で槍を支えに立ち、ぼうっと安倍たちのほうを眺めている。

「――わかった」
二人が一通りの説明を終えると、安倍が言った。
全員の注目が安倍に集まる。
安倍の次の言葉を待っている。

「亀井」
「はい?」
「ちょっと荷物とってきてくれる? 茶店に置いてきちゃったんだよね。場所は――」
「わかりましたあ」
亀井は平隊士を一人連れて、すぐに鴨川の方へ消えていく。

「安倍さん」
石川が言うと、安倍は全員に向かって言った。
「屯所に戻る」

「なっ……」
矢口だけが不満そうに声を上げた。
338名無し募集中。。。:04/06/12 22:30 ID:2poxThlN
目の前の、数人の壬生娘。たちのやりとりが、
加護にはどこか、自分とは別の世界のように見えた。

加護は、引くという安倍の判断は結果として正しいと思った。
矢口が何を思っているのかは結局のところ分からなかったが、
それが妥当な判断だろう。

しかしなんだろう。このもやもやした気持ちは。
新垣を見る。精魂尽き果てたような顔をしている。

自分は一体、何をしていたのだろう。

矢口の考えは分からない。
何を知り、何を背後に背負い、何を自分たちにさせようとしていたのか。
安倍はそれを知っているのだろうか。
或いは、それを知らずとも、周囲の状況から冷静に判断を下せるのが、
この、おとめ組局長たる安倍の力量なのだろうか。

「局長!」
矢口はなおも不満げに安倍に食い下がる。
「おいらの離しを聞いていたのかい?
ここは組全体で所司代に向かうべきだ。圭織の考えも分かるけれども……。
でも信じてくれ、おいらは――」
「矢口」
安倍が矢口の言葉をさえぎった。

「圭織のことは信じてやらないのかい」
339名無し募集中。。。:04/06/12 22:32 ID:2poxThlN
矢口が目を剥き、口をつぐんだ。

「仲間を信じるのだって、私たちの仕事だよ」
安倍は石川を見る。
「ね? 石川」

石川は妙に気まずそうにうつむいている。
「石川は圭織を信じてるべさ」

「ああ、そこか……」
加護は誰に対してでもなく、独り小さく、そう呟いていた。
肩の力が抜けていくのが自分でもわかる。
安倍の口から当たり前のように発せられた言葉に、
自分に何が足りなかったのかを思い知る。

「……加護さん?」
気がつくと新垣が、不思議そうに首を傾げ、加護の顔を覗き込んでいた。
「どうかしました?」
「ううん、なんでもない」
加護は顔をそらす。
自分がどんな顔をしているのか分からない。見られたくない。
「お豆ちゃんはすごいなあ」
「……はあ?」

すると突然、轟音が鳴り響いた。
何かが爆発したような、暗闇を引き裂く巨大な音。

全員が一斉に、その方向を見た。
「なんだ!?」
「二条城の方向だ」
340名無し募集中。。。:04/06/12 22:33 ID:2poxThlN
血走るけだものの目が紺野をとらえて離さない。

――姓を江頭、名を丑三。
名のほうは通り名であり、本当の名は知られていない。

文久の時代、京の都を震撼させた滅茶勤王党による殺戮。天誅の数々。
その影に必ずその姿が見られたという。

党首武田真治の下で、思想も何もなく、
ただ武田を崇拝し、武田に仇なす者を端からすべて斬っていった。
学は無いに等しく、粗野で荒々しい性質ではあったが、
実戦における剣法の腕前だけは並び立つ者が無く、
当時の奉行、所司代は手を焼くに焼いた。

その、あまりに無思慮な、まるで人を斬るためだけに生まれ、
人を斬ることだけが無上の悦びであるかのようなその男を、
京の人間のみならず、同じ勤王の浪士や勤王党の身内の者まで、
「人斬り丑三」と呼び、畏れ、蔑んだ。

(まさかこれが、あの人斬り丑三?)
紺野は驚きを隠せない。

(死んだはずじゃなかったの?)
この男は盟主、武田真治と運命を共にしたと伝えられている。
341名無し募集中。。。:04/06/12 22:35 ID:2poxThlN
その時、蔵の外でぴりりりと呼子が鳴り響いた。
紺野もよく知る壬生娘。組の呼子。

丑三の力が緩む。
紺野はすかさず脇差を離し、素早く横に薙ぐ。
しかし当たらない。

距離を置いて睨みあう。
丑三は荒く肩で息をしている。

(おとめ組?)
藤本の言った通り、おとめ組が来ているのか。
だとしたら、外には滅茶勤王党も?

丑三は血走った目で紺野を睨みつづけている。
しかし先程より殺気は弱く感じる。
丑三も呼子を受け、迷っているのか。
彼にとってもここに留まることは得策ではないはず。

すると。
がたがたと鉄の扉が鳴った。
外に誰か来ている。

隙を突いて再び丑三が斬りかかってくる。
342名無し募集中。。。:04/06/12 22:36 ID:2poxThlN
速い。
気の狂ったような無軌道な斬撃を紺野は脇差で必死に受け止める。
脇差が木の枝のように削られていくのが分かる。
細かな破片が飛び、紺野の頬や腕の表面に浅い傷をつける。
「くっ」

丑三の狂気は、その攻撃の志向性にあった。
無駄なく、きれいに斬ろうという、人として当然の感性が感じられない。
ただ目の前のものを、手にしたものを使って破壊しようという純粋な攻撃性。
その中に、人を斬るということへの畏れ、
自らと同種のものを切り刻むということへの想いが少しもない。

がちゃん。という音が聞こえる。
鉄扉の錠が外れた音だ。

間も無く。ぎいいと鉄の扉が開く。
覗き込む顔と一瞬目が合う。
(おとめ組じゃない)

風貌から言って、おそらく所司代でもない。
だとすれば滅茶勤王党。
紺野は追い詰められる。

しかし、覗き込んだその顔の反応は、紺野の想像と違っていた。
「駄目だ! 違う! 逃げろ!」
男は丑三を見るなり、顔色を変えて叫んだ。
343名無し募集中。。。:04/06/12 22:36 ID:2poxThlN
次の瞬間、蔵の中の灯りが消える。
丑三が消したのだ。

(あ……)
突然の暗闇に紺野は視界を失う。
全身に鳥肌が立つ。
今、丑三に襲い掛かられたら確実に斬られる。

「違う! 加藤さんに知らせろ! 逃げろ!」
男の叫び声が続く。
紺野は目を瞑り、脇差を受けに構える。

だが。
丑三の気配は既に無くなっていた。

(逃げ……た?)
ゆっくりと目を開き、再びどきりとする。
まだ、鉄の扉から中を覗き込んでいる影がいた。

(勤王党?)
紺野は咄嗟に息を潜める。
しかしその影は、紺野の存在に気がつかなかったのか、そのまま姿を消した。

「麻琴!」
続いて外から叫び声がする。
(飯田さん? 麻琴?)
344名無し募集中。。。:04/06/12 22:37 ID:2poxThlN
聞き覚えのある声だった。
おとめ組局長、飯田圭織の声。
とすれば、先に覗き込んでいたのは同じくおとめ組の小川か?

紺野は声を追って慌てて表に出る。しかし既に人の姿はない。
すると離れたところに、人影を見つけた。

(飯田さん)
その長身の影は見覚えのある飯田の姿。
飯田は何かを追っているらしく、蔵群の中を走り抜け、
途中で角を左に曲がり、中庭の方に向かって蔵の陰に消える。

紺野は飯田を追う。
とにかくこの状況を把握しなければならない。
そして飯田に知らせなければならない。

(あの人斬り丑三が生きている)
今もこの、所司代組屋敷の中にいる。

しかし飯田の消えた角にやっと辿り着こうというとき、
思いもかけない事態が紺野の身を襲った。

「飯田さんっ!!」
切迫した叫び声。
「うわぁぁあああああああああああ」
(麻琴?)

紺野にとってはあまりにも唐突に、何の前触れも無く。
そのとき、天地を揺るがすような轟音が闇を引き裂いた。
345名無し募集中。。。:04/06/12 22:38 ID:2poxThlN
>>338
修正
×この、おとめ組局長たる安倍の力量なのだろうか。
○この、さくら組局長たる安倍の力量なのだろうか。
346名無し募集中。。。:04/06/13 00:02 ID:6oeKs7so
やっぱり面白すぎるぞこの野郎、2:50→丑三の転換には笑った。
347名無し募集中。。。:04/06/14 20:26 ID:ZhNnt24/
続きが楽しみすぎて生きていくのがつらい
348名無し募集中。。。:04/06/17 10:40 ID:qWrAaN7q
なっちぃ
349名無し募集中。。。:04/06/17 10:41 ID:qWrAaN7q
すいません。ageてしまいました。ごめんなさい
350ねぇ、名乗って:04/06/21 07:03 ID:yVLuS9DG
ホゼン
351ねぇ、名乗って:04/06/24 23:54 ID:FaGm4SKG
保全
352名無し募集中。。。:04/06/26 19:18 ID:tpnA5JM4
「無常よな」
飯田は呟く。

血臭の混じるぬるい空気が、
所司代組屋敷北東門をくぐった先に溜まっている。

飯田一人に対し、滅茶勤王党の残党は加藤、山本を含めて五人。
皆、まるで貧窮に喘ぐ農民たちのようにみすぼらしい身なりをしている。
京都における勤王運動のさきがけとなり、
天誅の嵐を吹き荒れさせた、あの滅茶勤王党の今の姿がこれか。

確かに天誅のように、局地的な暴力によって世論を動かす時代は終わっている。
もはや一人二人の生き死にで政事が動くような状況ではない。
しかし、役割の終えた者たちは、
時代の波に飲まれただ消え去っていくしかないということなのか。
その残酷さに飯田は無常の意味をかみ締める。
時代はむしろ勤王の方向に風が吹いているというのに。

政事、そのための先兵であり、やがては捨てられる運命にある“暴力”。
飯田は心の中で壬生娘。組が重なりそうになるのを意識的に避ける。

「だが……。貴様らも組織を束ねるものなら、わかろう」
そう、感傷などいらない。
これは生存競争なのだ。
力あるものは残り、力なきものは食われ消えていく。
ただそれだけのことなのだ。
時代など関係ない。

「情けはかけぬ。我らの志の礎となれ」
飯田は愛刀、備前長振(びぜん おさぶり)を再び上段に構えた。
353名無し募集中。。。:04/06/26 19:19 ID:tpnA5JM4
「なんだ……てめえ」
飯田を見て加藤が動揺する。

「……泣いていやがる」
後ろの滅茶勤王党党員が続いた。

飯田の大きな瞳から、つう、と一筋の涙が流れていた。
飯田の顔も、言葉も、泣いてはいなかった。
ただそのつぶらな瞳だけが、自らの発する言葉とは裏腹に、哭いていた。

「ふざけるな!」
山本が顔をくしゃくしゃにして飛び出した。
「勤王党はまだ終わっちゃいねえ!」

屋敷の庭の、黒土の上にうっすらと乗った砂を後方に蹴り上げて山本が迫る。
巨大な肉塊から放たれる暴風のごとき豪速の張り手。
時代が違えば、この男もさぞや名のある力士になっていたに違いない。
その巨体からは想像もつかぬ、舞いの名手であるとも伝え聞く。

しかし、この男の背景にどんな人生があるのか、飯田が知る必要は無い。
山本の巨大な掌が、眼前に迫る。
飯田はそれを、何の前動作もなく躱す。
かすりもしない。
ごう、という音だけが、虚しく飯田の横を通り過ぎていく。

「滅茶勤王党は今宵、ここで滅びる」
そして壬生娘。組は、この時代を生き残る。

飯田は懐から呼子を取り出し、吹いた。
354名無し募集中。。。:04/06/26 19:20 ID:tpnA5JM4
ぴりりりり、と。
高い音があたりに響き渡る。

飯田は冷静に辻、小川らの隊が門の配置につくまでの時間と、
滅茶勤王党残党の全戦力の把握を意識していた。
そして門への配置が済んだ頃を見計らって、呼子を吹いたのである。

まず、ここからそう離れていない北門から一団が飛び込んできた。
一様に黒い装束を身に纏っている。
一番隊組長の辻を先頭に平隊士を四名引き連れた壬生娘。おとめ組の一団だった。

「ちっ」
加藤が舌打ちする。
党員たちも動揺を隠さず、あわただしく辺りを見回す。

「大丈夫?」
辻は周囲に目もくれず、先頭を切ってまず飯田に近寄るとそう言った。
他の隊士たちは抜刀し、滅茶勤王党と対峙する。

「なぜここに来るっ!」
しかし辻を見るなり、飯田は一喝した。
辻はきょとんとする。
355名無し募集中。。。:04/06/26 19:21 ID:tpnA5JM4
「麻琴に言われなかったのか!」
飯田は小川に、突入したらまずよゐこを確保せよと言った。
辻にもそう伝えるよう言ったはずである。
それなのに、屋敷に突入した後、よゐこの牢となっている蔵に向かわずに、
まず自分のところに駆け寄ってきた辻の行動に怒りを隠せなかった。

次代を率いるべき娘が、こんな感情優先の行動で良いはずが無い。
組織の上に立つ者はそれではいけないのだ。
こんなことでは、まだ壬生娘。組を任せるわけにもいかぬ。
辻の性格から半ば予想していた行動だっただけに、余計に腹が立った。

「わかってるよ!」
辻は頬を膨らませ、怒りで応える。
「でも麻琴だってそうしたはずだよ」
まっすぐな瞳で飯田を見る。

そして飯田の瞳の下に残るわずかな跡に気づき、一瞬怪訝な顔をする。
しかしそれも、飯田の次の言葉にすぐに忘れる。
「これだからお前はいつまでたっても子供なんだ」
「うるさいよ! 言われなくたってこれからすぐに行く!」

「いや……待て」
だが飯田がそこで言葉を止める。声は既に落ち着いている。

「お前ら半分は北門の警備だ。呼子を聞いて見廻組が来る。それを押さえろ」
356名無し募集中。。。:04/06/26 19:22 ID:tpnA5JM4
「なんで!?」
辻の疑問は当然である。
言っていることが違う。

まず牢に向かわなかったことを怒ったのは飯田自身なのだ。
それともこれが、命令違反に対する罰則のつもりなのかと、不満な顔を飯田に向ける。

飯田は牢の方向を見ていた。
「……。残りは屋敷内に残る勤王党を掃討しろ」
反射的に、飯田はその方向に辻たちが行くのを畏れた。
その方向から漂う、異様な空気を感じていた。
いやな臭いがする。

「じゃあ、私もここで闘う」
「ここは大丈夫だ」
「闘う」
「駄目だ」
「嫌だ」
「いいから行け」
「残る」
「駄目だ。これは局長命令だ。辻」

辻の目を見る。
「呼子を聞いて所司代もやってくる。大丈夫だ」
飯田は微笑んだ。
357名無し募集中。。。:04/06/26 19:23 ID:tpnA5JM4
この屋敷にはまだ何かある。
幾多の死線を乗り越えてきた飯田の武士としての勘である。
この大きな暗闇の中に、まだ何かが隠されている。

おとめ組は突入に多くの人員を割いていない。
それは矢口率いるさくら組の乱入を防ぐために、
石川の隊に多くの人員を割いたという事情もあるが、
そもそもの目的が“滅茶勤王党に奪われたよゐこを奪い返す”というものだったからである。

つまり本来はおとめ組が滅茶勤王党を奇襲する側であった。
しかし、所司代北東側警備の不在、
勤王党側の予想外の規模の小ささ、等の思惑の違いにより、
現状はおとめ組が所司代組屋敷を守護するというような構図になってしまっている。

守護にはどうしても人数が足りていない。
だから今は、少人数でより多くの役割をこなさなければならない。

この屋敷にまだ何かあるとすれば、出来るだけ他の隊士には余裕を持たせておきたい。
そのために、この場は自分一人で抑えておく。
実際のところ、辻らを向かわせる先にすら、何が待ち受けているかまだ分からないのだ。
敵戦力の把握できているぶんは、なるべく自分一人が請け負っておきたい。
358名無し募集中。。。:04/06/26 19:29 ID:tpnA5JM4
「いやああああああ」
勤王党が声を上げて飛び掛ってくる。
飯田は、両手で振り下ろされるその刀を片手にした刀で軽く受け止める。

「行け」
辻に言う。
「命令だ。辻」
再度言う。

辻は飯田をひと睨みし、何も言わず背を向ける。
飯田は勤王党の刀を難なく受け払いながら、
去り行く背中に向かって思い出したように、更に言葉をかけた。
「ああ、そうだ。辻」
「……なに?」
辻は足を止める。

「前から言おうと思っていたんだが、指の爪を噛む癖はやめておけ」
「はああ?」
辻は思わず振り返り、怪訝な顔をする。
「もういい大人なんだから、汚いぞ」
「知らないよ、そんなの」
辻は言い捨てると、数人の隊士とともにその場を去っていった。

自分でも、いきなりおかしなことを言ったなと思う。
しかし、今それを言うのもきっと間違いではないと、飯田はなんとなく思っていた。
359名無し募集中。。。:04/06/26 19:30 ID:tpnA5JM4
走り去る辻の小さな背中を見送りながら、ふうとため息をつく。
いつも、どうもうまくいかない。
顔を合わせるたびに言い争いをしているような気がする。

無意識に辻を危険から遠ざける選択をしたことは否定できない。
その甘さが、組織の上に立つ者としての自分の欠点だと言うことも知っている。
しかしそれでも、飯田には、自分が間違っていないという確信のようなものがあった。

飯田は気を取り直して、再び勤王党に向き直る。
勤王党は飯田に対し、じりじりと間を詰めてきている。

(常に死線なのだよ)
ふと以前、自分が言った言葉を思い出す。
あれは小川に言った言葉だったか。

我々は常に死と隣り合わせにいる。
(壬生娘。が特別な存在であり続けられるのは、特別なことをしつづけているからだ)
同じ事をしていれば、いずれは時代の波間に消える。
なぜなら時代が絶えず変わりつづけているからだ。
同じ事だけをしつづけていれば同じ場所にいつづけられるなどという考えは傲慢に他ならない。

藤州内村光良の笑犬隊も、そうして消えた。
特別なことをしつづけられる者だけが、特別な存在であり続けられる。

「壬生娘。組は特別でありつづける」
極限まで到達した飯田の精神性が、
あたかも神仏をその身に降ろしたかのように菩薩の微笑みを飯田の顔にたたえる。

飯田は、対峙する勤王党を真っ二つに斬った。
360名無し募集中。。。:04/06/26 19:30 ID:tpnA5JM4
「貴様ら! 何者だ!」
突然、叫び声がした。
飯田の後方、北東門の方向である。

(……所司代か)
飯田の呼子を聞きつけて、所司代組の警備がようやくやってきたか。

先頭の一人が叫ぶ。
「侵入者だ! であえ!」

所司代組が刀を抜き、飯田、滅茶勤王党とそれぞれ距離をとって取り囲む。

「壬生娘。組局長、飯田圭織だ」
飯田は勤王党の攻撃を意識したまま、所司代組隊士に言う。

「貴様……壬生娘。の飯田か! 何故ここに!」
「説明している暇は無い。貴様らこそ、なぜここにいなかった」

しかし隊士は飯田の問いを無視して続ける。
「濱口と有野は!?」
「…………。ここにはいない」

「どういうことだ!」
隊士は仲間に向かって言う。
(どういうこと……だと?)
361名無し募集中。。。:04/06/26 19:35 ID:tpnA5JM4
「壬生娘。はどれほど屋敷に入っている!?」
隊士が高圧的な態度で訊く。
飯田は答えない。

「…………」
「おい! 蔵へ向かえ!」
その中の頭格らしき男が他の隊士に言う。

「では局長殿、この連中は我らに任せて――」
頭格が滅茶勤王党の加藤と山本を見る。
二人は黙ったまま、こちらを睨んでいる。
しかし、その表情には何故かそれまでのような焦りが無い。
むしろどこか、余裕のようなものさえ見て取れる。

「待て」
その場を離れ、蔵に向かおうとしていた所司代組隊士を飯田が呼び止めようとした瞬間、
隣の頭格の男が飯田に斬りかかった。

「ぐはあああああああああ」
飯田は瞬時に長振を切り返し、刀を肩越しに受ける。
「そのまま押さえろ!」
同時に加藤が叫び、小刀で斬りかかってくる。

飯田は身を引きながら頭格の刀を肩越しで受け流し、
そのまま加藤に向かって袈裟がけに刀を振り下ろす。

頭格は力を流され、自らの刀に振り回されるようにその場でぐるりと横に一回転し、
飯田の袈裟がけは空を斬り、
走り抜けた加藤の小刀は飯田の二の腕をわずかにかすめた。
362名無し募集中。。。:04/06/26 19:35 ID:tpnA5JM4
「ふん。共謀か」
飯田はこともなげに呟くと、
長振を上段に構え、辺りを圧するようにぐるりと見渡す。

上段は、俗に炎の構えと言われる。
刀を上に大きく振りかぶる分、腕から下は隙だらけの構えである。
それを相手を炎のごとき気力で圧することで、隙を隙でなくするのだ。
並の肝ではできない。
最も勇気の必要な構えであるとも言われる。

北東門からやってきた所司代組隊士は、当然のように勤王党の横に並び、
飯田を囲むようにして刀を構える。
十……十一……。
対峙する敵の数が一気に増す。

しかし飯田は怯まない。辻を呼び戻そうともしない。
むしろ、その所司代組隊士と滅茶勤王党の共謀が当然の帰結であったかのように、
落ち着いて一人一人を見据える。
「五も十も、大した違いではない」

「虚勢張ってるんじゃねえよ」
加藤が叫ぶ。
「……無駄だ」
飯田が静かに言う。

「いやぁあああああ」
所司代組が口火を切った。
同時に、何人もの隊士、勤王党が重なるように中心の飯田に向かって襲い掛かかる。
363名無し募集中。。。:04/06/26 19:37 ID:tpnA5JM4
――颶風(ぐふう)。

それは母なる碧い海に吹く穏やかな潮風のようでもあり、吹き荒ぶ嵐のようでもあった。
それまで屋敷の中に溜まっていた血臭のする、ぬるい風とは明らかに質の違う風。

飯田の長身、流れるように黒く輝く長髪、暗闇にきらめく長刀――備前長振。
飯田を中心に風がおこる。

この風はやさしくない。
腕の破片が宙に舞い、血飛沫が飛び、胸腔に穴が穿たれる。
男達の断末魔、叫び声が漏れる。

それでも自身の周りはまるで穏やかな風に包み込まれているかのように、
飯田は音も無く正確に空間をひとつひとつ長刀で斬り裂いていく。
刀と刀の触れ合う音すら、ほとんどしない。
自身と備前長振の間が開いた先にだけ、強烈な暴風が巻き起こっていた。

淵は激しい暴雨に打たれ灼かれるが如く凄惨で激しくありながら、
その中心はどこか優雅で、静寂な刻が流れている。
飯田ひとりの心象の中で完結しているかのような、深遠なる海へいざなうかのごとき舞。
それが飯田の剣であった。

風はびたびたと血と肉を地面に撒き散らし、
やがて人の群れに路を開け、滅茶勤王党の加藤、山本の前に迫った。
364名無し募集中。。。:04/06/26 19:40 ID:tpnA5JM4
「ちぃっ」
加藤は小刀を投げつける。
甲高い音とともに、風が高く上空に小刀を巻き上げる。

「うおおおお」
山本が左右に体を振り、風の中心にするどく踏み込む。
しかし中から突き出た剣先に手甲を突かれ、
驚くほどの力で後ろに弾き返される。

波風の勢いのまま突き進んでくる刀を、
加藤はさらに腰から抜いた二本の小刀をもって両手で交差し、受け止める。
しかし刀を押し進める力は止まらない。
圧されて加藤の体が沈む。
「ぐうっ」
弾力のある黒土の上に膝が埋まっていく。

風が止まる。
ちゃきり、と。膝をつく加藤の頭上に刃先が置かれる。
「無駄だと言った」

このとき、周囲で息をする者は、加藤、山本を含めごく僅かしか残っていなかった。
365名無し募集中。。。:04/06/26 19:41 ID:tpnA5JM4
恐るべき力により加藤の体が沈んでいく。
交差した小刀の刃は飯田の長刀によって欠け、
驚くべきことに、その切り込みは剣圧によって徐々に深くなっている。
加藤の頭の上に乗った飯田の長刀が少しずつ、進んでいく。
「ぐ……ぎ……」

と、加藤が半ば諦め、力を失いかけたその時、
乱れた加藤のみすぼらしい着物の懐から、
乾いた音と共にある物がこぼれ落ち、地面を打った。

「……?」
飯田はそれを注視する。
(……かざ……車?)

それは細い竹の棒と、赤い千代紙で作られた、
子供の掌ほどの大きさの玩具の風車であった。
地面に落ちた小さな赤い花のようなそれは、
ぬるい風にあおられて、からからと乾いた音を立てて回る。
殺伐としたこの光景には、明らかに場違いだった。

「ぐ……」
それを見て加藤の表情が変わる。

「やめてくれ!」
加藤の後方で声がした。
山本だった。
「そいつには今度、子供が生まれるんだ! 見逃してやってくれ」
366名無し募集中。。。:04/06/26 19:42 ID:tpnA5JM4
普段ならこんな命乞いに揺れる飯田ではない。
だが、このときは違っていた。
長刀に込められた力が明らかに緩む。
飯田の脳裏に、小さな辻の背中がよぎる。

その瞬間を山本は見逃さなかった。

「うおおおおおおお」
物凄い速さのすり足で飯田に迫る。
「どすこーい」

飯田は加藤から長刀を離し、後ろ飛びに跳ぶ。
山本の豪速の張り手が飯田の小手に迫る。

「くっ」
飯田は刀を横に振って避ける。
しかし山本はそれを見透かしたように体を沈み込ませる。
「しまっ……」

深く沈みこんだ山本の双手が、飯田の足を刈りにいっていた。
山本は始めから張り手ではなく、これを狙っていたのであった。
367名無し募集中。。。:04/06/26 19:43 ID:tpnA5JM4
すんでのところで飯田の左足は後ろに逃れえたが、
残された右足は見事に山本の双手に刈り取られていた。

「おおおおおお」
「くっ」
長身が重心の安定を失い、後ろに傾く。
飯田はかろうじて左膝を地面につけ踏みとどまり、
完全に倒れるのを防ぐ。
均衡を失い、手を地面についた。

「けひいやぁあ」
わずかに息を残していた党員が、ここぞとばかりに声を上げ斬りかかる。
しかし飯田は、右脛を山本に捕えられたまま、かろうじて長刀で切り返し、
横薙ぎにそれ真っ二つに斬り裂く。

「ああああああ」
党員は絶命し、天を仰ぎ叫び声を上げながらその場に倒れる。

「やめろ構うな! 逃げろ!」
山本が腹這いで必死に飯田の右脛にしがみつきながら叫ぶ。
「山本ぉ!」
加藤が叫ぶ。
368名無し募集中。。。:04/06/26 19:45 ID:tpnA5JM4
「逃げろおおおお!」

加藤は、山本に向かって一瞬哀しみの表情を浮かべた後、
立ち上がって暗闇を駆け出した。

西――よゐこの捕えられた蔵の方向へ。

飯田は膝立ちのまま、
目の前の、自らの重石になっている巨大な肉の塊に、
備前長振を突き立てる。

「ああああああああああああああああああ」

滅茶勤王党幹部、山本圭壱、最後の叫びであった。

飯田は立ち上がると無造作に備前長振を抜き、
加藤の去った西の方向を向く。
「……麻琴!」
369名無し募集中。。。:04/06/26 19:46 ID:tpnA5JM4
長振の緩やかに波打つ刃文の上に乗った血糊を振り、暗闇に加藤の背中を追う。

山本に右足を刈られたせいか、思うように走れない。
それでも必死で追う。

(麻琴……)
加藤の行く先には小川がいる。
辻と違って飯田と顔を合わせていない小川は、
呼子の合図から突入と同時に、蔵に向かっているはずだ。

右足を引きずり、必死に加藤の背中を追いながら飯田は自分を責める。
なぜあの一瞬、躊躇したのか。
あの男に子が産まれるからといって、それが何だというのだ。

あの瞬間、自分に降りてきていた、何かが解けた。
「くっ」
相手の子供に、一瞬、辻の姿を重ねてしまった。
壬生娘。組のために。
何ものであろうと、全てを踏み越えていく決心をしたというのに。

やがて、北西の蔵群が近づく。
蔵の前に一つの影。

「麻琴!」
飯田はその影に向かって叫んだ。
370名無し募集中。。。:04/06/26 19:47 ID:tpnA5JM4
小川が振り返る。
加藤が迫っている。

小川が“くない”を投げつけ、加藤に弾かれるのが遠目に見える。
加藤はそのまま蔵の前を通り過ぎていく。小川が後を追う。

(追うな!)
しかしそれは、右足を引きずって必死に加藤の後を追っていた飯田の喉からは、
声になって出なかった。

「お前ら大丈夫か!」
「加藤さん!」
既に姿の見えなくなった加藤の叫び声が遠間に聞こえてくる。
別の生き残った党員と合流したらしい。

「北東門は!」
「駄目だ! 逃げよう!」
「中が」
「駄目だ押さえられてる!」
「濱口さんが!」
「北は!?」
371名無し募集中。。。:04/06/26 19:50 ID:tpnA5JM4
飯田は小川の後を追う。
蔵群の中を抜け、加藤らの消えた角を曲がる。

「麻琴!」
曲がった先に見つけた影に向かって必死に声をしぼり出す。

遠く、小川の先は暗闇に包まれて、加藤らの姿は既に見えない。
走りながら暗闇に目を凝らす。

その先は中庭だ。逃げ込む先は無いはず。
加藤らはどこへ向かったのか。

南正門は無い。
距離が遠く、最も警備の集中している所だからだ。
西門は小川の隊――小川がここにいるので、恐らくは道重――が守備を固めている。
どこにも逃げ道は無い。

それに、よゐこはどうしたのか。
連中は蔵からよゐこを連れ出していない。
他の党員が叫んでいた「逃げよう」とは?

「飯田さんっ!!」
突然、小川の叫び声が飯田に向けられた。

そして間も無く。
轟音が飯田の目の前の、何もかもを、引き裂いた。
372名無し募集中。。。:04/06/26 19:51 ID:tpnA5JM4
“それ”は、虚空のごとき真黒い、
まわりのすべてを飲み込むかのようなその丸い口をあんぐりと開け、
小川と飯田の方向を睨んでいる。

「やれ!」
「射線上に人がいる!」
「構わねえ! もろとも撃っちまえ!」
加藤の口元が笑っている。
小川は咄嗟に振り返る。
飯田がこちらに向かって走っていた。
大砲はその方向に、脱出の穴を穿つべく、狙いを定められている。

「飯田さんっ!!」
小川は叫んだ。

飯田にはこの大砲が見えていない。

暗がりでよくは分からないが、
野戦で使用する野砲並の大きさを有している。
野戦用の野砲とは、城を攻めるために城壁に穴を穿ったり、
敵陣を遠距離から局部的に吹き飛ばすためのものである。

つまり、本来ならこのような狭い場所で使うものではない。
もしこんなところでこんなものを撃ち放てば、
直撃しなくても、近くにいる者にはすべて、甚大な被害が及ぶ。
373名無し募集中。。。:04/06/26 19:52 ID:tpnA5JM4
なぜ息も絶え絶えのはずの滅茶勤王党がこんな兵器を有しているのか。
なぜこんなものを誰にも知れず中庭に運び込むことが出来たのか。
しかし、そんなことを考えている暇は無い。

小川は反射的に走り出していた。
その大砲に向かって。
「うおおおおおおおおおおおお」

両手で“くない”を発射者たちに投げると同時に、
それに負けない速さで野砲に向かって走る。
加藤が小刀で“くない”を弾くのが見える。

――(常に死線なのだよ。小川)

おとめ組屯所にて。
所司代屋敷襲撃の作戦を聞いて動揺する自分に向かって言った飯田の言葉が、
小川の心に鮮明に残っている。

(壬生娘。が特別な存在であり続けられるのは、特別なことをしつづけているからだ)
ならば壬生娘。が特別でありつづけるためには、
その言葉を躊躇なく発せられる飯田の存在こそが必要なのではないのかと、
それ以来、小川は思いつづけていた。

特別でありつづけようとする者にこそ、特別になる資格があるのではないのかと。
374名無し募集中。。。:04/06/26 19:52 ID:tpnA5JM4
暗闇に飯田の顔を確認し、その名を叫んだとき、小川の足は自然に前に出ていた。

火薬のつんとした臭いが小川の鼻をつく。
小川の投げた“くない”を、そこにいる誰かが投げ返してくる。
“くない”は小川の頬をわずかにかすり、後ろに飛んでいく。

大砲が目の前に迫る。
大きな、まわりのすべてを飲み込むかのような真黒い口をあんぐりと開けている。
小川は足の速度をゆるめない。
飯田の名前を叫んだ瞬間、心の中に一瞬だけ生まれた何かが、
弱気な小川の心を後押ししていた。

野砲の重さに負けないよう、
小川はその細い身体を屈めて足に力を込める。

「うおおおおおおおおおおおお」
あっけにとられる加藤らの間抜けな顔を視野に入れながら、
小川は野砲を乗せた荷車に、身体ごと思い切りぶつかった。

真黒い巨大な虚空がはじけ、轟音があたりに鳴り響いたのは、その直後だった。
375名無し募集中。。。:04/06/26 19:54 ID:tpnA5JM4
飯田は瞬時に理解した。
(――野砲!)
すぐ横の白壁が、紙のようにはじけ飛ぶ。

弾丸は飯田には当たらなかった。
小川の体当たりにより僅かに角度を変えられた野砲は狙いを外し、
正面の塀も大きく外れ、飯田の横の蔵に弾丸を直撃させた。

地響きを立て大地が揺れる。
あまりの轟音に周りの音がかき消され、飯田を静寂の世界が包む。
視界が揺らぐ。
自身も気がつかないうちに、膝を地面についていた。

白壁の蔵が、飯田に向けて倒壊しはじめていた。
このままでは下敷きになる。
しかし、大砲のあまりの衝撃に身体が言うことを聞かない。
ただ、目の前でゆっくりと変化していく光景だけが、飯田の目に焼き付けられる。

(受け止めきれる……か?)
いや、無理だ。
衝撃で体勢が崩れ、地面に踏んばることが出来ない。
自身らの身体も傾いていっているのが意識できる。

白い壁と、
蔵を支える柱が、飯田の上にゆっくりと覆い被さっていった。
376名無し募集中。。。:04/06/26 19:55 ID:tpnA5JM4
加護は夜中の京都の路を、所司代屋敷へと走っていた。

後ろには安倍、矢口、そして数人の平隊士がついてきている。
闇夜に鳴り響いた轟音を受け、さくら組も所司代屋敷に向かった。
これだけの音に何も行動しないのであれば、かえって不自然である。
むしろ、大手を振って所司代屋敷に出動する口実ができたと言える。

轟音が鳴り響いたのは二条城の方角であったが、その先の北側には所司代の屋敷群がある。
おそらく所司代組屋敷で起きている滅茶勤王党襲撃の絡みであろうということで、
場の意見は一致した。

局長の安倍は所司代屋敷へ向かうことを即座に決め、
自分の“目”として加護を指名した。

怪我を負った田中、疲労した新垣は屯所へ返し、
石川もおとめ組屯所の防衛として返すことにした。

おそらくもう、人手は必要としない。
これだけの騒ぎになれば見廻組も出動するし、所司代自体が動くからだ。
二条城の警備をする御定番組も現れるだろう。

だから自分たちは状況の把握と、もし飯田らに何かあった場合の後始末として、
判断の出来る安倍と加護が向かうことになった。
377名無し募集中。。。:04/06/26 19:58 ID:tpnA5JM4
そこで問題となったのは、矢口である。

当初安倍は矢口にも、石川と共に屯所へ戻るよう言った。
矢口の所司代へのこだわりが尋常ではなかったし、
冷静ではないと判断したためである。

しかし矢口は引かなかった。
あまりにも強く志願する矢口に、安倍はついに、
絶対に自分に従うことを強く言い含めて、同行を許した。

加護自身も、矢口のあまりの拘りの中に何かの確信を感じ、安倍の許可を支持した。
何よりこの状況では、一旦矢口を屯所に帰したとしてもまた独断でやってくるに違いない。
ならば同じことを繰り返すより、目の届く場所に置いておいたほうがいい。

西堀川を北にのぼり、二条城の東側を抜けて所司代の一帯に入る。
先程の轟音を受け、辺りは既に騒ぎになっている。
その間をすり抜けるようにして、加護たちは最西の所司代組屋敷へ向かった。

所司代組屋敷の東門には警備が一人だけいた。
小さな門ではないが、恐らく人手は内部に向かっているのであろう。

加護たちは警備の者が余所見をしている間に適当なことを言って屋敷の中に入り込む。
警備の者もあまりの騒ぎに浮き足立っていて、うつろげな対応をするばかりである。
正直、これは怠慢だろうと加護は思う。
こんなときにこそ、警備に目を光らせなければいけないのだろうに。

場合によっては壁を越えて中に入ると言っていただけに、
その辺りは拍子抜けだった。
378名無し募集中。。。:04/06/26 20:02 ID:tpnA5JM4
門を抜けたとたんに、血臭がたちこめる。

異様な雰囲気だった。
灯りは少ない。
左手の先の所司代詰所は、どたばたとしているようだが、
距離の離れたこの辺りにひとけは無い。

三人は警戒しながらゆっくりと歩を進める。
目の前には、木の柵がずっと並んでいる。
話によれば、このあたりで所司代組は家畜を飼育しているはず。
その通り、家畜をつないでおく木の柵と、小屋がいくつも並んでいる。
しかし何故か、物の動く気配がまったく無い。

(……!)
暗闇に目を凝らしていた加護は、
自分の見ていた木の柵の向こうに何があるかに気づき、息を詰まらせた。
「安倍さん!」

死体だった。
馬、犬、鶏。
屋敷内で飼われているありとあらゆるものの死体が、累々と地面に横たわっていた。

刃物なのか、ただの棒切れなのか、
ぱっと見では区別がつかないほど無残に、
むやみやたらに殴打され、切り刻まれた死体が、いたるところに横たわっている。
加護は一目見て、これをした人間の尋常ならざる精神性を感じとり、身を震わせた。
379名無し募集中。。。:04/06/26 20:04 ID:tpnA5JM4
「死体……だね?」
安倍は加護の雰囲気を察して言った。
矢口は黙ってその死体の数々を見つめている。

と、そのとき。
加護は暗闇の中に急速に膨れ上がるものを感じた。
殺気。

加護は反射的に刀を抜いた。
安倍と矢口も既にそれを察知し、構えていた。

(……人!?)
加護は本能的にそれを感じていた。
これは加護の知るような、人という生き物の持つものではない。
例えるならそれは“けだもの”の殺気だ。

けだものが来る。
そう思った瞬間、暗闇の中からそれはあらわれた。

「うあばぁぁぁぁあああああああ」
人のものとも獣のものともつかぬ雄叫びを上げながら、
それは、折れ曲がった刀を気が狂ったように振り回し、飛び込んできた。
380名無し募集中。。。:04/06/26 20:05 ID:tpnA5JM4
すばやく三人は散開する。
「ぎゃあ!」
避け損ねた後ろの平隊士が悲鳴を上げる。

加護がけだものの剣を受け止める。
ものすごい力。
人のものとはどこか本質的に違う、得体の知れない剛力。
加護の体が異質の力に押され、ずずずと後ずさる。

「丑三っ!」
矢口がけだものに向かって斬り込んだ。
(丑三? ……人斬り、丑三?)
覚えのある一つの名前が加護の脳裏をよぎる。

けだものは、しかし、平隊士一人に傷を負わせると、
剣を受け止めた加護、斬り込む矢口を無視し、
折れ曲がった刀を片手にうめき声を漏らしながら東門に駆け出した。

「くそっ」
矢口が後を追おうとする。
「深追いするな!」
安倍の叫びに矢口の足が止まる。

それでもまだ追う構えを崩さない矢口に安倍が再び一喝する。
「矢口! 今は中の状況把握のほうが先だ」

矢口がけだものの消えた方向を睨み、血の滲むほどに下唇を噛んでいる。
「矢口……さん?」
加護はその表情に驚き、呟いた。
381名無し募集中。。。:04/06/26 20:07 ID:tpnA5JM4
自分の頬をひたりひたりと叩くものに、飯田は意識を取り戻した。

ゆっくりと目を開く。
辻の顔が目の前にある。

それは、見慣れた飯田だからこそすぐにわかったが、
とても人の顔と思えるものではなかった。

辻の顔は、自らの涙と、鼻水でぐしゃぐしゃに崩れていた。
覆い被さるように上から顔を覗き込ませ、
だらしなく流れる涙と鼻水をそのままに、飯田の頬の上に垂らしている。

意識が飛んでいたらしい。
状況がよくわからない。

背中に人の体温を感じる。
肩が、小さな手に力強く支えられているのがわかる。
どうやら自分は、辻に抱きかかえられて地面に横たわっている。

辻の後ろに、割られた白壁と、柱の瓦礫の山がある。

「辻……か」
飯田は独り言のように口を開いた。
白壁が覆い被さってきたのは覚えているが、それに圧し潰された記憶がない。
382名無し募集中。。。:04/06/26 20:08 ID:tpnA5JM4
飯田が声を発したことに気づき、辻が目を大きく開く。

しかしとりあえず、ここでこうしていると言うことは、
大体のことは飯田の思惑通り、うまく行ったということなのだろう。

結果的に壬生娘。組がどれだけの被害を受けたかはわからない。
しかし辻も今、こうして無事に、ここにいる。

(麻琴は無事だろうか)
小川のいた方向を見る。
幾人か、地面に倒れているのが見える。
蛍のように集まった、いくつもの灯りに照らされた大砲の周りには、
壬生娘。の隊士たちも検分に立っている。
身内から重大な怪我人が出ている様子はない。

とりあえずは、良かった。
そう思うと、飯田は目の前の、
その見慣れた顔に、そっと手を伸ばそうとする。
「……っつ」

右手が痺れて動かない。感覚が無い。
仕方なく、左手を伸ばす。
髪が涙に濡れてべっとりと辻の顔に貼りついている。
きたないなあ、と飯田は心の中で苦笑する。
383名無し募集中。。。:04/06/26 20:09 ID:tpnA5JM4
「ばかやろう!!」
いきなりの怒号に驚き、飯田はびくっと手を止めた。
辻の目が睨んでいた。
飯田は瞳を丸くする。

「あんた、なに一人で勝手なことしてるんだ!」
涙と、鼻水と唾が顔に飛ぶ。

辻が息を止まらせている。
咳き込む。
いけない。落ち着かないと。
飯田は身体を横たえたまま、少し困る。

「ん……組のことを、思って……るのは、あんただけじゃないんだ」
肩を握る辻の手に力がこもり、少し痛い。

飯田の顔色が変わる。
ある、記憶が呼び覚まされつつあったからだ。

横になったまま、辻の背中越しに、倒壊した白壁の残骸を見る。
384名無し募集中。。。:04/06/26 20:11 ID:tpnA5JM4
少しずつ、そのときの記憶を取り戻しつつあった。

自分の身に白壁が覆い被さろうとしたとき、
なにものかの力強い腕に支えられ、その場から強引に引き離された。

一瞬の出来事であった。
自分は、白壁に圧し潰される難を逃れた。
その手は、壬生娘。組局長たる飯田にさえ有無を言わせぬ力強さで、
まるで飯田を一人のいたいけな少女のように、一瞬でも蹂躙した。

「あんた私たちの頭だろ! あんたが一人で勝手なことしてどうするんだ!
小さな体が、泣きじゃくって小刻みに震えている。

自分の背中に、肩に触れるその小さな手は、
しかし、あの力強い手と同じものだということに気がついた。

ふっ、と。飯田の口から息が漏れる。
「そうだな」

一人で勝手に思いつめ、周りが見えなくなっていたのは、
確かに、自分のほうであったのかもしれない。
辻を、仲間の力を信頼もせずに。
小さな手の力を、肩に感じながら思う。

「すまなかった」
飯田は言った。
肩を握る辻の指の爪から、血が滲んでいる。

「不器用だな。……我々は」
385名無し募集中。。。:04/06/26 20:15 ID:tpnA5JM4
(よか……った)
遠目に飯田の無事を見て、地面に横たわった小川は安心する。

暗闇から影が小川に走り寄り、抱き上げられ、揺さぶられる。
(…………!!)
声も上げられないほどの激痛が腰のあたりに走る。

「……! ……!」
揺さぶる影は小川に向かって何かを叫んでいる様子なのだが、
小川の耳には聴こえない。

あたりに音は全く無く、一定の小さな高音だけが頭の中を支配している。
たぶん、大砲の音を近くで聞いてしまったせいだと、
妙に冷静に思う。

(あさ美……ちゃん?)
おぼろげに見えてきた、その影の正体を心の中で呼ぶ。

「……! ……! …………!」
何度も、何度も揺さぶられる。
(痛いっ……て)
386名無し募集中。。。:04/06/26 20:18 ID:tpnA5JM4
激痛に耐えながら、また、遠目に飯田の姿が映る。

抱きかかえる辻に罵倒されているのが見える。
(あはは……)
何故か自然と、顔がほころんでいるのが自分でもわかる。

(飯田さん……)
たいして距離も離れていないその光景を、
まるで夢の中の光景であるかのように、
まぶしそうに小川は見つめる。
本当に、良かった。

(……あれ? 安倍……さん?)
安倍の姿を見たような気がした。

さくら組局長、安倍なつみ。
飯田に並ぶ、自分たちの頭だ。
飯田と並び立つ、壬生娘。の特別な存在。
今、こんなところにいるはず無いのに。
幻でも見たのだろうか。
(わたしもこれで、少しは特別なこと、できただろうか)

(飯田さん……)
腰に、息をするのも苦しいくらいの激痛が走っている。
痛みから逃れるように、小川はそのまま気を失った。
387ねぇ、名乗って:04/06/27 00:26 ID:YQ4tBAgE
涙が止まりません
388名無し募集中。。:04/06/27 08:59 ID:e9qKlipm
そっか、マコはまだ初期バージョンだったか。
いやしかし、娘。と新撰組の重ねあわせが相変わらずお見事。
いい仕事してるねえ。
389名無し募集中。。。:04/06/27 10:53 ID:i/0/BER2
なんかあれだな
作者の人はこういう言い方されるのは
好きじゃないだろうけど、ののかおっていいよな
390名無し募集中。。。:04/06/27 13:26 ID:kY6/jGTX
たまらんなー
391ねぇ、名乗って:04/07/04 23:22 ID:1nz7Ew53
保全
392名無し募集中。。。:04/07/10 19:27 ID:pSZ6xF9T
五、洗車雨

厚い雲が空全体を覆っている。
薄い日差しの下、湿気を含んだ重い空気が、
草木の湿った匂いとともに屋敷の周囲に沈み込んでいる。

不動堂村壬生娘。さくら組屯営。
もうすぐ雨が降り出しそうな雲行きだ。
そういえばこのところ、しばらくお天道さんの日を浴びていないな、
と、畳の上に座して、さくら組局長、安倍なつみは思う。

今年は空梅雨(からつゆ)だったせいもあるのか、
このところ急に思い出したように雨の日が多い。
いつもの年ならそろそろ梅雨明けか、というこの時期になって、
ようやく雨がぽつりぽつりと降るようになった。

暑さはこれからが盛りだが、
ほどなくして暦の上では秋になる。

開け放たれた障子の先の軒下には、
どこから切り出してきたのか、人の背丈ほどの笹竹が立てかけられている。
光を失いつつある安倍の目に、色とりどりの飾りがぼやけて映る。
七夕の飾り付け。
聞くところによれば、近所の子供たちと隊士が一緒になって作ったものであるらしい。
仔犬がその下で、うろうろ行ったり来たりしている。

六月(陰暦。陽暦でほぼ七月)のひと月にわたった祇園祭が終われば、
京都には七夕の季節がやってくる(陽暦では八月)。
五節句の一つであり、式日(祝日)である。
各家では笹竹に色紙の短冊を飾り、皆で素麺を食し、
宮廷では行事が執り行われる。
393名無し募集中。。。:04/07/10 19:28 ID:pSZ6xF9T
「これじゃあ、今夜は星も見えないですかねえ」
黙って座敷の外を眺めていた安倍に、新垣が残念そうに言った。
一緒にいる紺野も膝を庭に向け、追うように首を伸ばして外の空を見上げる。

滅茶勤王党残党による所司代組屋敷襲撃の一件から、数日が経過していた。
安倍を始め、壬生娘。組の面々は、その後数日間、雑務に追われていた。
そしてやっと、あらかたのことに見通しがつき、今こうして一息ついているのである。

屋敷内で野砲が炸裂した後、
他に先んじた壬生娘。組がその場を取り仕切り、事態の収拾に努めた。
野砲の音を聞きつけた時点で既に行動を開始していた壬生娘。組に対し、見廻組の出足は遅れ、
また、甚大な被害をこうむり浮き足立つ所司代組も迅速な行動をとることが出来なかった。

各組の微妙な力関係の中で壬生娘。組が主導権を握ることが出来たのも、
飯田の思惑通りだったのだろうかと安倍は思う。
(昔はそんな計算できる子じゃなかったのにね)

飯田が無理をして殆ど一人で戦っていたという話を聞いて、
呆れ顔を向けた安倍に、横になったままの飯田は、
「そろそろ帰ってくる頃だと思ってたから」と言った。
そんなこと分かるはずも無いだろうに。

そのとき飯田がどんな顔をしていたのか安倍にはわからなかったが、
昔よりは作り笑顔もうまくなったのだろうか。
少なくともその場の誤魔化しかたは、昔とは比べ物にならないくらいうまくなった。
394名無し募集中。。。:04/07/10 19:28 ID:pSZ6xF9T
「雨、か」
ぼんやりとした鉛色を見上げてぽつりと呟く。
視界の中に軒と空とが映っているのはわかるが、二つを分ける境界線は無い。

天に溜まった水気は、今にも落ちてきそうな雰囲気を漂わせている。
そのせいなのか、仔犬も今日は軒下を離れようとしない。

「洗車雨(せんしゃう)ですね」
紺野が言う。
陰暦で、七月六日に降る雨を洗車雨と歌に詠む。
牽牛と織女の七夕伝説にちなんだ言葉で、
逢瀬を待ち焦がれる牽牛が、
楽しみに浮かれつつ牛車を洗う水がこぼれ落ちてきているのだという。

「星が見えないのは残念ですけど、そういうのもなんだか、いいですよねえ」
「ははあん」
うっとりと空を見上げる紺野を見て、新垣がにやりとする。

「なに?」
「あさ美ちゃん。色気づいちゃってえ」
紺野は本気で驚いてみせる。
「え、違うって」
しかし新垣は譲らない。
「またまたあ」
「違うって」
「またまたまたあ」
395名無し募集中。。。:04/07/10 19:30 ID:pSZ6xF9T
件の死傷者は滅茶勤王党残党、所司代組合わせて三十を越えた。
その半数近くは飯田の斬ったものだったが、
壬生娘。組が取り仕切った中、公にそのことには触れられていない。

屋敷に侵入した勤王党残党は、
大砲の傍で乱闘の末捕縛された加藤浩次、他数名のみが生き残り、
山本圭壱、有野晋哉は死亡。
濱口優は蔵の中で発見された時点では息を残していたが、間も無くしてそれも絶えた。
「今どき、ひと月一分銀ぽっちで生活できるわけないやろ。阿佐藩め」
という愚痴とも呪詛ともつかぬ呟きが最期の言葉となった。
他、有野、濱口と共に監禁されていた阿佐藩士三名も死亡していた。

所司代組では、蔵の見張り二名の死体が、
蔵の裏に無造作に積み上げられた荷の中に発見された。
恐らくは“蔵の小窓から侵入を試みた者”に殺され、
そのまま他の積荷と同じように“踏み台として利用された”のだろうと推測された。

他、北東門の警備にあたっていた所司代組の殆どが死体となって、
北東門をくぐった先に、勤王党の死体と共に発見されている。

壬生娘。組に死者は出なかったが、負傷者が数名。
幹部では田中れいなが肩部創傷。
飯田圭織が右腕骨折、右肩脱臼の他、全身に多数の創傷と打撲の重傷。
そして症状としては小川麻琴がもっとも重く、
重度の腰痛により床での生活を強いられている。
またその後、辻希美も体調を崩し、床に伏せた。

結果、おとめ組は半数以上の隊が実質的な休止状態となり、
その影響はさくら組にも及んでいる。
396名無し募集中。。。:04/07/10 19:31 ID:pSZ6xF9T
「それでですねー。私がこう、不逞の浪人どもを相手にこう、
一人でですよ。一人でですよ? こう、ぴんときたわけですよ。
ははあん、こいつら大したこと無いなーって。
それでですね、こう、私がひと睨みしてやるとですねー」
「里沙ちゃん、そんなところまで聞いてないよ」

二人の会話はいつの間にか、安倍が留守にしていた間の壬生娘。組の話に移り変わり、
そしていつの間にか、新垣の話に変わっていた。

そもそも安倍は、所司代組屋敷襲撃にまつわる諸々の事後処理をまとめるために、
紺野を部屋に呼んでいたのだが、何故か新垣まで一緒についてきていたのだった。

新垣は、安倍が帰ってきて以来、いつも何かというと顔を出してくる。
しかしだからといって、べったりとくっついてくるわけでもない。
まるでお寺の御本尊にでも接するかのように、近づきすぎず、かといって離れすぎず、
そしてこうやって、安倍を訪ねてくる人間を相手にしては、
安倍がいなかったときのことを話しはじめるのだ。

「そういえば安倍さん。あれは何だったんですか?」
少し話を変えようと、紺野が部屋の隅に置いてある大きい荷物を指す。
安倍が帰りに亀井に茶屋から運ばせてきたものだ。

「ああ、あれね。芋さ」
「いも?」
二人が声をそろえて安倍の顔を見る。
「何?」
「いえいえ、何でもないです」
二人は慌てて首を振る。
397名無し募集中。。。:04/07/10 19:32 ID:pSZ6xF9T
「なーんかね。あそこの名産らしいわ。帰りに一杯持たされちゃってさ」
安倍は困ったように笑ってみせる。
「へえーえ」
新垣は素直に感心した顔をする。
「あちらも気を使ったんですかね」
と紺野。
「どうだろうね」

「気を使って当たり前ですよ。無駄な仕事やらされたんですから」
新垣が鼻息を荒くする。
「あんなの断ればよかったのに」
「そうも行かぬさ」
あれも壬生娘。の将来を見据えた仕事だ。無駄ではなかったと安倍は思っている。
安倍が組をしばらく留守にすることになった仕事のことである。

今年の春。壬生娘。組は京都守護職寺田光男の命を受けて、
腕の立つ隊士を一人、信州蓬莱(ほうらい)藩へと向かわせることとなった。
最近評判の壬生娘。組に是非、剣術指南をして欲しいとの藩からの依頼であった。

公式には寺田からの命だが、
背後に長年蓬莱藩との繋がりがある幕府の意向があるのは明らかだった。
そして寺田は、その仕事に安倍を指名した。

「この大事な時期に、なんだって局長自ら行かなくちゃいけないんですか」
「そう言うな。いい経験にはなったさ」
398名無し募集中。。。:04/07/10 19:33 ID:pSZ6xF9T
蓬莱藩十万石。藩主は小室等。
戦国時代を生き抜いた真田家の流れをくむ、信州最大の藩である。
外様藩でありながら、過去には江戸老中として幕閣に参画するなど幕府との縁は深い。

過去には泉谷しげる、井上陽水、吉田拓郎など、錚々たる面々が名を連ねたが、
全国的な財政難もあいまって、藩としての勢力は衰え気味である。
近年では、時代の先覚者であった碩学の英傑、
坂本龍一が身を寄せたことでも知られる。

藩主の小室が安倍に引き合わせたのは、四角佳子という人物だった。
もはや伝説の類といえる剣客集団、『六文銭』の一人であるといった。
真田家の家紋から名をとったその剣客集団は、小室自身が作り出したもので、
次々と人員を入れ替えては復活する様は、今の壬生娘。組の姿にも通じるという。

「おけいさん」の名で親しまれた四角と安倍は母と娘ほども年が離れていたが、
数日間の遠征を共に過ごした安倍は、
既に老練の域に達しつつあった四角に剣の手ほどきをし、また、手ほどきを受けた。

そのことに、蓬莱藩と幕府のどのような思惑が絡んでいたのかはわからない。
本当に良かれと思ったことだったのか、それともただの老人の酔狂であったのか。
しかしただ、それも壬生娘。組にとって必要な仕事ではあった。と安倍は思っている。

世に裏表があることを、この場に身を置いて長い安倍は知っている。
いや、学んできたと言うほうが正しいかもしれない。
399名無し募集中。。。:04/07/10 19:34 ID:pSZ6xF9T
「芋かあ〜」
紺野が顔をほころばせる。
「みんなで食べていいよ」
「本当ですか」
驚くくらい大きな声を上げる。

「みんな喜びますよー」と新垣。
「わたしもお芋大好きですし」と紺野。
「長芋だよ?」
「とろろ蕎麦もおいしいですよねー」
紺野の恍惚とした表情は変わらない。

芋を収めた大きな荷物を見ながら、ふと、
しかしあの茶店の主人には、たぶん自分は子供に見えたのだろうな。と安倍は思う。

「さ。じゃあ、みんなに配っておいで」
所司代の一件以来、壬生娘。組全体をどこか沈んだ空気が覆っている。
怪我人が多いせいもあるだろう。
大した土産ではないが、これで少しは皆に精がつき、元気が戻るといい。
芋だけではない、土産を皆に配るという行い自体にも意味はある。

「えーでも」
新垣が口をつぐむ。安倍の傍を離れることに躊躇があるらしい。
「紺野も、ここはもういいから」
「あ、はい」
「雨が降り始める前に配っておいで」
「はい」
安倍が子供を諭すように言うと、
新垣は戸惑いながらも、紺野と共に大きい荷物を抱えて出て行った。
400名無し募集中。。。:04/07/10 19:35 ID:pSZ6xF9T
二人がいなくなって、あたりは急に静かになった。
と思えば、軒下で仔犬がくうんと鳴く。
安倍は微笑む。
「そうだね。お前がいたね」

ふうと息をつく。そして顔つきが変わる。
「高橋。いるかい」
するとすかさず、新垣らが出て行ったのとは逆の襖が開いた。
「――ここに」
敷居の向こうで両膝をつき、控えていたのは、さくら組諸士取扱役兼監察、高橋愛。
新垣や紺野らと同期の隊士募集で加入した高橋は、
その高い潜在能力を認められ、さくら組で監察役を任せられている。

「どうした?」
安倍の感じる高橋の気配が、何故かほっとしている様子だった。
「いやー。なんか私このまま忘れられてるのかなーと思ってえ」
もの凄く訛った早口が返ってくる。
「なんかこのまま誰にも声かけられないで、
ずっと一人なのかなーってちょっと思ってたんですよね」
安倍は訛っているよ、と言おうと思ったが、
そう言えば余計に訛った喋りで弁明されるのを知っていたのでやめた。

「で、どうだった?」
安倍がそこで打ち切って聞くと、高橋も神妙になり、簡潔に答えた。
「間違いありませんでした」
「そう」
返事をする声が沈んでいるのが自分でもわかる。
401名無し募集中。。。:04/07/10 19:37 ID:pSZ6xF9T
結局のところ、壬生娘。組はよゐこ二人の身柄を確保できなかった。
それどころか、
阿佐藩を中心する勤王派の動向の鍵を握っていたはずの二人は死亡してしまった。
いくつかの誤算があったとは言え、
これからの壬生娘。組に必要な駒を手の内に出来なかったことは事実である。

つまりそこで、飯田の目論みは崩れてしまったのである。
ただ滅茶勤王党は壊滅し、ただ所司代組は多大な被害にあい、
ただ、おとめ組は多くの負傷者を出した。
誰も、何も得るものは無かったはずであった。

しかしそこに、藤本がある物を持って現れた。
あの晩、壬生娘。組の仕切りで所司代組屋敷の現場を検分している最中に藤本は現れた。

藤本はまず、横たわったまま介抱を受ける飯田に近づき、
いくつかの言葉を交わすと、
安倍と矢口のいるところにやって来て、
今までどこにいたのかという問い詰めも無視して、
無言のままぽんと、それを手渡した。

何冊かの冊子状にまとめられ、丁寧に縛られたそれは、
所司代の帳簿であった。
402名無し募集中。。。:04/07/10 19:38 ID:pSZ6xF9T
所司代には以前も、監鳥居組というものがあった。
名前は同じだが、今ある監鳥居組とは違うものである。

やはり今の監鳥居組と同じく、花畑藩の頂点に立ち、
所司代組を束ねるものとして作り上げられた。
花畑藩を活動の中心とし、北部遠征のための犬ぞりの訓練なども積極的に行われていた。

しかしそれは、身内の不幸や、上層部との方針の食い違いにより、間も無く瓦解した。
そしてその中で唯一残った木村麻美が中心となって、今の監鳥居組が作られた。
壬生娘。おとめ組副長、石川梨華が関わったのは、ちょうどその過渡期である。

組織の常として、木村を中心とする新体制に反感を覚える者が少なからずいた。
前体制を支えた者たちの末路が不幸すぎたこともある。
反感を持つ者たちは所司代組内部で新体制に対する批判を繰り返し、
強権を有する木村らに対抗するべく、仲間内の繋がりを強固にすることに努めた。
所司代組内部は、表に現れない形で二つに分かれた。

実質的な指揮権力をなんら持たない彼らは、その力のよりどころを金に求めた。
もとより京都守護職が設置されるまで、京都において強力な権限を有した所司代である。
彼らは「無尽講」という民間金融の一種を悪用し、余剰金を着服していた。

藤本が持ってきたのは、そのことについての詳細な証拠になりうる帳簿であった。
あらかじめ混乱が生じたら、その隙に乗じて所司代組屋敷内部を捜索せよと、
飯田に言い付けられていたのだと、藤本は言った。
403名無し募集中。。。:04/07/10 19:38 ID:pSZ6xF9T
実は飯田はあらかじめ藤本からの情報により、その帳簿の存在を知っていたのだという。
藤本はその情報を、所司代組の末端の隊士から仕入れた。
隊士自身は足並み揃わぬ所司代の現状を憂い、
内部を分裂させるその者たちへの怒りから、思わずそれを漏らしたのだという。
飯田はそれを利用し、所司代そのものを掌握することを考えた。

安倍は手に入れた帳簿を紺野に詳細に検証させ、
のち、高橋にはそれにまつわる真偽を調べさせた。
そして今、それが間違いなく所司代組の所業であったという報告を高橋から受けたのである。

安倍は調査の目処がついたところで、
あらかじめ京都守護職、寺田光男に報告をしていた。
京都守護職配下の者も内密に動き、その真偽が確定した時点で、
壬生娘。組から提案された事案が施行される手はずとなっていた。

提案とは、幕府による壬生娘。組の召し抱えであった。

これまでの壬生娘。組の身分は、寺田が藩主を務める会府藩の預かりであった。
つまり藩に金で雇われた浪士集団でしかなかった。
それが幕府によって召し抱えらえる。
これは、壬生娘。組が正式な幕臣になることを意味していた。

壬生娘。組筆頭局長である飯田には、見廻組与頭格が与えられる。
これは旗本直参で構成される見廻組の頭と同格であることを意味し、
御目見以上。つまり将軍謁見を許される身分であることを意味している。
以下の幹部にも、その職務に準じた地位が与えられる。
ただの浪人集団からすれば破格の出世である。
404名無し募集中。。。:04/07/10 19:40 ID:pSZ6xF9T
これには幕府の重臣であった和田も奔走した。
自らも件の時点で所司代組屋敷に滞在していた和田は、
その時の壬生娘。組の行動の正当性を保証し、幕府に無理を通してくれた。

あらかじめ飯田に告げていた通り、和田にとっても今後の京都治安を考える上で、
所司代より壬生娘。組が実権を有していたほうが、より良いとの判断からだった。
寺田も快く承諾した。
このことには、安倍の蓬莱藩遠征も少なからず影響しているのだろう。

かくして、壬生娘。組は幕臣に召し上げられることとなった。
所司代組屋敷襲撃の件における壬生娘。組の介入をより自然なものであったとするため、
正式には今より一月遡って辞令が下って“いた”ということになった。
よって幕府召抱えの御達しは公式のものでなく、内密に行われるということになる。
こうして、壬生娘。組はよゐこを手に入れられなかった代わりに、
飯田の思惑通り、政事における発言力を得ることとなったのである。

飯田によれば、帳簿のほうに関しては賭けであったという。
あくまで本命は、よゐこの身柄確保であった。
情報の信憑性がどこまであるか分からなかったし、
現実にその証拠を掴むのも困難と見たからである。
しかし藤本の持ってきた物は、紛れもなくその物であった。

一応は二段構えの目論見ではあったということか。
行き当たりばったりにも程があると安倍は思わなくもなかったが、
今さらそんなことを言っても仕方あるまい。
きっと、自分の留守も見越しての振る舞いだったに違いない。
飯田のことだ、うまくいかなければ自ら腹でも切るつもりだったのだろう。
そのあたりがどうも、自己完結的というか、周りが見えていないというか。
405名無し募集中。。。:04/07/10 19:41 ID:pSZ6xF9T
結果、所司代は戦力的にも、政事的にも大打撃をこうむることとなった。

もちろん、所司代は猛反発した。
彼らは壬生娘。組が幕臣として所司代組に介入した訳が無いことを知っていたし、
今後、壬生娘。組が幕臣の身分ともなれば、
京都における既得権益がことごとく奪われていくのは火を見るより明らかだったからである。

しかし内部汚職の完璧な証拠と、
現実に滅茶勤王党の侵入を許した戦力的な甘さを盾に、幕府に押し切られた。
京都における幕府の根幹である所司代の醜聞は、
傾きかけた幕府が必死で隠し通すのに十分な危険性を孕んでいたのである。

ただ、この一件で壬生娘。組の力があらためて内外に示され、
所司代組の力が足りていないことが露わになったのも紛れもない事実である。
表向きには何も変わらず、ただ“既に幕府召抱えとなっていた”壬生娘。組に、
今後も所司代が“より協力的になる”。という形で決着がつくこととなった。

壬生娘。組が結成される遥か以前から、
連綿と京都と幕府を守り続けてきた京都所司代。花畑藩、藩主田中義剛。
今まで自らが体を張って幕府を支えてきたという誇りもあろう。
それがぽっと出の京都守護職寺田と壬生娘。組に仕事を奪われて面白くないのも分かる。

所司代が壬生狼に喰われたと陰口も叩かれた。
事実その通りだったので誰も気にしなかったが。

あの日、所司代組屋敷内部で起こったことを正確に書き記されたものは、一切残らない。
そういった行為を汚いと熱く罵れるほど、安倍自身も若くはなくなっていた。
406名無し募集中。。。:04/07/10 19:42 ID:pSZ6xF9T
「すべては圭織の思惑通りか」
高橋を前に、安倍はひとり呟く。

野心のまま突き進んだ飯田。それを止めようとした矢口。
どちらの判断が正しかったのかは分からない。
結局のところ、その為におとめも大打撃を被ったのだ。飯田自身も重傷を負った。
幸い命を落とすものは無かったが、一歩間違えればどうなっていたか分からない。
どちらも正しかった。どちらも正しくなくは無かった。
そうするのが、自分の役割なのだろうと思っている。

「吉澤さんはちょっと、納得いかなそうでしたけど」
高橋が言う。
幕臣召し上げに関しては、確かに隊士によって反応の違いがある。
それはそもそも、
壬生娘。組が尊皇攘夷の思想のもとに集った集団であったということに起因する。
飯田をはじめ多くの隊士は、幕府に尽くすことが尊皇攘夷に繋がると信じているが、
幕府と天皇をまったく別のものと捉え、そこに違和感を覚える者もいる。

事実、文久三年(1863)。壬生娘。組は幕府からの禄位給付を、
そういった事情から一度拒否している。

「大丈夫さ、あの子も」
しかしあの頃とは人も事情も違う。
今は、まとまらなくてはならない。安倍は自分に言い聞かせる。

所司代監鳥居組のことを思う。
結局のところ、組織内部の争いはどこにでもあるものだ。
叩けばどこもほこりは出る。
大事なのは、叩く箇所と時機なのであろう。
407名無し募集中。。。:04/07/10 19:43 ID:pSZ6xF9T
(ここまでは思惑通りだろうが)

飯田にとって想定外だったことが二つあった。
一つは滅茶勤王党の野砲。
残された野砲の検分の結果、仏式四斤野砲を模倣製造したものであることがわかった。
現在、製造元を調べさせている。

仏式四斤野砲。フランス製の前装式施条砲である。
四斤の尖頭形砲弾を放ち、飛距離は一里にも及ぶ。
幕府、倒幕派雄藩共に所有する野戦の主力兵器で、
所司代組屋敷内において使用された砲弾は実質弾と呼ばれる、
炸裂も発火もしない鉛の塊であった。

小川の体当たりで狙いを外した砲弾は、
所司代組屋敷の蔵を突き抜け、主柱を破壊し、そこから三町先の民家の庭に着弾した。
幸いにも、それによる死傷者は出なかった。

まったく無茶をしたものだ。と安倍は思う。
小川の発見した地面の溝は、野砲を運ぶ車の補助輪のもので、
それは屋敷中庭から西門へと続き、表の小堀で途絶えていた。
昼にその西門を警備担当していた組は、夜に北東門を担当していた組でもあり、
該当するのは、件の反監鳥居組派に属する一組のみだった。

野砲は、少なくとも壊滅寸前の浪人の集まりが持てるものでは無かった。
そもそも、闇に乗じて奇襲するのがせいぜいの夜盗まがいの者たちに必要なものではない。
恐らく背後に、それを与えた何ものかの存在があるのは間違いない。
408名無し募集中。。。:04/07/10 19:44 ID:pSZ6xF9T
そして――人斬り丑三。
飯田の二つ目の誤算である。

安倍も感じた。あの尋常ならざる、人ならぬ気配。
滅茶勤王党党首、武田真治をひたすら狂信し、
壬生娘。組のまだいなかった京都の町を震撼させた人斬り。
主を既に失った男が、何故あの場にいたのか。
そもそも、まだ生きていたのか。

(生きているのか)
丑三のことを問いただしたとき、
「狂犬」と呼ばれた滅茶勤王党の加藤は、そう言って震え出した。
勤王党残党は、誰も丑三の存在を関知していなかった。

何の目的があったとも思えぬ、おびただしい数の動物の死体。
そして、丑三は何故、盟友であるはずのよゐこを、あんなにも無残な形で殺したのか。

「矢口……」
あの時、丑三の名を矢口は確かに叫んだ。
「なんですか?」
安倍が思わず発した言葉に高橋が反応する。

「矢口は、どうしてる」
ごまかすように訊く。
「矢口さんは今は、常勤を回すのに追われてて忙しいみたいですね。
今はおとめ組の分もさくら組が見回らないといけないですし。矢口さんが、なにか?」

「いや。いい」
安倍はそう言ったきり黙った。
409名無し募集中。。。:04/07/10 19:48 ID:pSZ6xF9T
「これで壬生娘。の発言力も大きくなりますよね」

安倍が黙りがちなのが気になるのか、高橋が努めて明るく言う。
「幕府にもやっと認められたんです。きっと倒幕派の一掃もうまくいきますよ」
「そう思う?」
「ちがうんですか?」
「どうだろうね」
「幕府のお墨付きですから。大丈夫ですよ」
「そうだね」

安倍は自分の胸にわだかまるものが、
ただの杞憂であればいいと思った。
(覚悟が必要か)
まだ、迷いがある。
共に戦い、死んでいった昔の仲間たちは、
今のこんな壬生娘。組を望んでいただろうか。

「二日後には、正式な通達が京都守護職のほうから下るそうです」
高橋が言う。
「どうしますか」

「行って来るさ。矢口と石川連れて」
安倍は鉛色の空を見上げる。
410名無し募集中。。。:04/07/10 19:49 ID:pSZ6xF9T
七月六日に降る雨を洗車雨と言うように、
七月七日に降る雨を、酒涙雨(さいるいう)と言う。

再会を果たした牽牛と織女の、別れを惜しむ涙なのだという。
前日には喜びに牛車を洗っていた者が、次の日にはもう、別れの涙を流している。
ほほえましくもあるが、それが一年にたった一度のことであるならば仕方もあるまいか。
一年もの間つのらせた想いが、たった一日で悲しみに変わる。
その心の内は、いかほどであるだろう。

壬生娘。組は所司代を取り込み、念願の政事の力を得る。

所司代組は内部分裂をしていた。
飯田はそれを利用したが、他にもそれを利用した者がいる。
滅茶勤王党。仏式四斤野砲。そして人斬り丑三。
これらの背後を知り、挑んでいくためには、
表と裏を使い分けることも必要になっていくのだろう。

かつて、蓬莱藩に身を寄せた坂本龍一。
先見の明があり、早くから海外に目を向けていたかの大人物は、
大局的な観点から開国論を唱え、藩を渡り歩き公武合体と開国を説いていたため、
攘夷論者には洋夷かぶれと叩かれることが多かった。
そして元治元年(1864)七月十一日。京都にて、ついに攘夷派の凶刃に倒れた。
ちょうど今から三年前のことである。

しかし生前より傲慢無礼で他人を見下しがちであった坂本には敵も多く、
死後は周囲の同情も薄く、坂本の家はその後、断絶に処されたのだという。
411名無し募集中。。。:04/07/10 19:52 ID:pSZ6xF9T
「藤本さんは既に単独で動き始めているようです」
空を眺める横で、高橋が言う。

「いいさ。あの娘は使えそうだ」
所司代組屋敷では、飯田の期待以上の働きをした。
しばらくは好きにさせておいたほうが、いい結果をもたらすかもしれない。

「まあ、もしこれから先、邪魔になるようなことがあったらさ。その時は」
「はい」
「斬ればいいさ」

「え……?」
高橋が笑顔をひきつらせる。
「どうした?」
「……いえ」

「ん? 雨かな」
笑顔のまま、見えぬ目で外を眺める。
ぽつ、ぽつ、と。庭先の砂地に、黒い斑点が広がっていく。
安倍には気配でそれがわかる。
「あ、はい」
「雨だね」

「明日も雨かね」
くうんと、軒下で子犬が鳴く。
色紙に飾られた笹竹が、屋根を回りこんだ雨に打たれ、揺れる。
子供のつたない字が書き込まれた短冊が、雨ににじんだ。
412名無し募集中。。。:04/07/10 19:53 ID:pSZ6xF9T
壬生娘。組編成

筆頭局長:飯田圭織
組副長:矢口真里

壬生娘。さくら組
局長:安倍なつみ
副長:矢口真里
一番隊組長:加護亜依
二番隊組長:吉澤ひとみ
三番隊組長:矢口真里
四番隊組長:紺野あさ美
五番隊組長:新垣里沙
五番隊付伍長:亀井絵里
諸士取扱役兼監察:高橋愛

壬生娘。おとめ組
局長:飯田圭織
副長:石川梨華
一番隊組長:辻希美
二番隊組長:石川梨華
三番隊組長:田中れいな
四番隊組長:小川麻琴
ニ番隊付伍長:道重さゆみ
諸士取扱役兼監察:藤本美貴

勘定役:紺野あさ美、道重さゆみ
413名無し募集中。。。:04/07/10 19:54 ID:pSZ6xF9T

飯田は壬生娘。組筆頭局長とおとめ組局長を兼任。
矢口は壬生娘。組副長、さくら組副長、さくら組三番隊組長を兼任。
石川はおとめ組副長とおとめ組二番隊組長を兼任。
紺野はさくら組四番隊組長と勘定役を兼任。
道重はおとめ組二番隊付伍長と勘定役を兼任。


上の者ら、幕臣取り立てにより、
筆頭局長飯田圭織は見廻組与頭格(御目見以上)。
さくら組局長安倍なつみ、壬生娘。組副長矢口真里は肝煎格。
おとめ組副長石川以下、副長助勤(組頭)七名及び、監察役二名は見廻組格。
隊付伍長、亀井絵里、道重さゆみ両二名は見廻組並。
以下の隊士は見廻組御抱御雇入をそれぞれ給付。

慶応三年六月十日付(陰暦)。
414名無し募集中。。。:04/07/10 19:55 ID:pSZ6xF9T
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これで第二部終了です。
第三部に続きます。
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415名無し募集中。。。:04/07/10 21:24 ID:F9kXrxMV
更新乙です。
相変わらずいいっす!
416名無し募集中。。。:04/07/12 17:26 ID:y6jA4rEU
なっちがいい味だしてますねー
417名無し募集中。。。:04/07/12 23:10 ID:VG0Nzm7H
高橋登場
418名無し募集中。。。:04/07/13 19:01 ID:ZVsJVVbN
いい!!なっち
419名無し募集中。。。:04/07/13 19:43 ID:aw/duQbP
第三部を楽しみに待ってますよ
420名無し募集中。。。:04/07/13 19:51 ID:ULpwLPPc
まじでオモシロイ・・・
421ねぇ、名乗って:04/07/15 23:15 ID:I+kOB6t8
高橋忘れてた
422:04/07/20 06:38 ID:obeBMxk0
高橋の戦型が気になる…。超面白い。藤本が亜弥姫に辿り付くまであと何回泣かされるんだろう。
423名無し募集中。。。:04/07/25 19:24 ID:zAj7UuCS
一、水の底

ぽたり。ぽたり。と、
暗い天井のどこからか、滴が落ちてきては床を打っている。

男はただ一人、薄明かりの中で膝を抱え座っている。
ぼろぼろの板壁の隙間から、幾重もの光がうっすらと中に差し込んでいる。
外では小雨の音がするが、灯りが一つも無い屋内よりは遥かに明るい。

壁は、いかにも無計画に貼り足され補修された板の端々が割れ、腐食し、
既に壁という形容することすらおこがましいほどに隙間だらけで、
もはや壁の部分より隙間のほうが大きいくらいである。
これじゃあまるで牢屋の格子のようだな、と、
いつも食事を運んでくる者が、蔑むようにせせら笑っていた。

薄明かりの中、男の目は開いている。
しかし何も見てはいない。
黙ってただ、虚空に視線を置き、息をしている。

男は死んでも、生きてもいなかった。
ただ、そこにいるだけだった。
424名無し募集中。。。:04/07/25 19:25 ID:zAj7UuCS
男にはかつて、主(あるじ)がいた。とても偉い人だった。
とても偉い人で、とても頭が良くて、とても強い人だったから、
男はただひたすら主に付き従っているだけでよかった。
誰よりも進んで主の命令を聞き、誰よりも喜んでおこなった。

しかしその主も、今はもういない。
主を失った男には、もはや生きている理由など無かったが、
だからといって、わざわざ死ぬ理由も持たなかった。
だからこうしてただ、膝を抱え、息をし、虚空に視線を置いている。

「それで、始末はできたのか」
あばら屋の外で声がする。
小雨の中、屋根の下に二つの影が立っていた。
「ああ。昨日、所司代のほうに確認が取れた」
もう一人の声が答える。
「間違いないのか」
「間違いない」

男に食事を運んでくる者と、同じ人間たちだった。
少なくとも、男の中ではそう認識されている。
「事が知れる前でよかった」
「まったくだ」
425名無し募集中。。。:04/07/25 19:26 ID:zAj7UuCS
二つの影は、会話があばら屋の中の男に筒抜けなのも気にせず話を続ける。
男がこの会話の意味すら理解できないことを承知しているからだ。

二人は退屈そうに地面をざ、ざ、と足でいじりながら会話を続ける。
「壬生の浪人どもは堅いからな。一時はどうなることかと思ったが、
手を回した甲斐もあったというものだ」
「それも結構危ない橋を渡ったと言うじゃないか」
「なあに。これでひとつ安心を買えると思えば、安いものだっただろうさ」

「それにしてもいくら手を回しておいたとはいえ、よくやれたものだ。こいつも」
影の一つが、中を覗き込むように壁に顔を寄せる。
「おい、やめておけ」
あばら屋の中の男は膝を抱えたまま微動だにしない。
「ふむ」
影は男に全く反応が無いのがつまらないのか、鼻から息を吐き、また離れる。
「所司代の屋敷は、そりゃあ酷いことになっていたらしい」
「どんなありさまだったんだい」
「俺は見ちゃあいないが、いや、壬生浪と勤王党のほうもすごかったらしいがね……」

二つの影が近寄り、ぼそぼそとまだ会話を続けている。
時折、「へえ」だの「はあ」だの声が上がる。
男は、このぼろぼろの壁一枚隔てた影たちの会話に、何の興味も無い。
もし内容が理解できたとしても、何も変わらなかっただろう。

ぽたり。ぽたり。と、
暗い天井のどこからか、滴が落ちてきては床を打っている。
「次はあるのか」
「もちろんだ。次は――」

男は黙ってただ、虚空に視線を置き、息をしている。
男は死んでも、生きてもいなかった。
426名無し募集中。。。:04/07/25 19:28 ID:zAj7UuCS
紺野はぼうっと、薄暗い空を見上げていた。
細かい水滴が顔を打ち、こまめに目をぱちくりとさせている。

雨が小降りになるのを待って出てきたが、
この様子では残念ながら完全に雨が止むことは無さそうだ。
今年は空梅雨だったせいなのか、
例年ならとっくに梅雨明けというこの時期になって、急に雨の量が増えた。

このちょっと変わった天候を受けて、天変地異の前触れだと恐れる者もいる。
毎年まったく同じ天候など有り得ないのだから、
すぐにそうやって騒ぐのもどうかと紺野は思うが、
そう思いたくなる気持ちもわからなくはない。
地上がこれだけおかしいのだから、天に何かがあると思いたくもなるのだろう。
得てして人はそうやって、理解の難しいものを人知の外に求めがちである。
少なくとも地上は、天がちょっとおかしいくらいで騒ぐ程度には、おかしい。

「組長。そろそろ」
平隊士の一人が寄ってくる。
「あ、はい。じゃあお願いします」
紺野は丁寧に答える。

小屋の周りを、既に紺野が組頭を務める壬生娘。さくら組四番隊が取り囲んでいる。
頭に笠を被った隊士たちが、腰の刀に手を掛けて、中の様子を窺っている。
427名無し募集中。。。:04/07/25 19:28 ID:zAj7UuCS
通りすがりの町民が尋常ならざる雰囲気に足を止めては、
はっとそれが悪名高い壬生娘。組と気づき、
何も見ていない聞いていないとばかりに、そそくさと去っていく。
またある者は、物陰からそっと好奇の目を向けている。
そういった町民の様々な反応にも、紺野はもう慣れた。

紺野は、小屋の取り囲みに問題がないか自らの目で確認すると、
正面入り口前に立つ隊士の後ろにそっと立ち、自分を落ち着かせるように大きく呼吸をする。
それを合図に、隊全体に緊張感がみなぎる。

「はい。行きます」
紺野が静かにそう言うと同時に隊士たちは一斉に刀を抜き、正面の隊士が戸を蹴破る。
追って裏手に周っていた隊士も裏口を蹴破り、中に突入した。
正面を蹴破った隊士たちの後に続き、紺野も中に入る。

暗い小屋の中は、しん、としている。灯りは一つも無く、
蹴破られた戸からの薄明かりが舞い上がった埃に反射し、
光の筋となって中に差し込んでいる。

先に突入した隊士たちは、ばたばたと小屋の中の物を蹴って転がし、
無造作に手で押しやり、辺りを探る。
どうやらどこにも隊士以外の人の気配は無い。もはや完全な廃墟である。
しばらくして、蝋燭の灯りを手にした隊士の一人が紺野に近寄って言った。
「組長。いません」
紺野はそれに小さく頷くと、ふうと息を吐いた。

いつになっても突入の時は緊張する。
組頭となり、先陣を切ることが少なくなった今でもそれは変わらない。
むしろ負担は増したくらいかもしれない。
428名無し募集中。。。:04/07/25 19:29 ID:zAj7UuCS
壬生娘。組の隊には、死番というものがある。
死ぬ番。読んで字の如しである。突入の先頭に立つ係のことを言う。
今回で言えば、紺野の前に立っていた隊士がそれである。

突入の際、どんな危険があるか分からない。
敵の罠かもしれない。待ち伏せをされているかもしれない。
そういった時のために、最初に斬られる危険を負う役として先頭に立つ。
死番は持ち回り制で、その日に番の回ってきた者は、
朝のうちから死の覚悟を決めて任務に向かう。

分割新編成で組頭になり、通常の任務で紺野が死番に立つことは少なくなった。
しかしだからと言って、決して紺野が楽になったわけではない。
壬生娘。組の隊規の中に、こういった項目がある。

一、組頭討死に及び候時、その組衆その場に於いて戦死を遂ぐべし。

任務上において組頭が死んだ場合、残りの隊士もその場で戦って死ねということである。
組頭が死んだら、その部下たちも生きて帰ってはならない。
大将が死ねばその場から放免されるのが暗黙の了解であった戦国の時代ですら、
有り得なかった厳格さである。
浪人者の寄せ集めでしかなかった壬生娘。組が、
幕府最強の治安維持部隊として今や幕臣にまで昇り詰めた背景には、
この狂気にも似た厳格さが隊全体を引き締めていたということもある。

この厳格さは、何事にも命がけで立ち向かえという、
壬生娘。の士道を説く精神論の意味合いも強いものではあったが、
少なくとも紺野の死が直接部下たちの死に繋がることは事実ではあった。
紺野はもはや、うかつに一人で死ぬことの出来ない立場にあった。
429名無し募集中。。。:04/07/25 19:30 ID:zAj7UuCS
数人の隊士が安心して刀を鞘に納める。
と。表に出ようと数歩、床を踏み鳴らしたところで、
紺野は足元に積み上げられた藁の束に素早く刀を向けた。
「そこっ!」

隊に緊張が走る。
「何者だ!」
気配を察し、ある者は瞬時に藁束から飛び退き、ある者は刀を抜き直し構える。
隊士が刀の先で勢いよく手前の藁束を打ち上げる。
細かい藁の屑が宙に舞い、差し込む光の筋の中で踊る。

一人のみすぼらしい男が、藁束に囲まれ、身を縮めてがたがたと震えていた。
「……乞食(こじき)、か?」
他の隊士が暗闇に目を凝らして言う。

ぼろを身に纏った、乱れた髪のその男は、ただの乞食のようであった。
身を寄せる場所も雨をしのぐ場所も無く、
数日前よりひとけの無くなっていたこの小屋に忍び込み、
じっと身を潜めていたのだと言う。

紺野はほっと胸を撫で下ろす。
男の証言により、少なくとも数日前よりここに人がいなかったという確証も取れた。
「ここももぬけの殻ですね」
隊士の一人が言った。
430名無し募集中。。。:04/07/25 19:31 ID:zAj7UuCS
ここ数日。紺野たちのさくら組四番隊は、
滅茶勤王党の残党が潜んでいたと思われる隠れ家を片端から強制捜索していた。
所司代組屋敷襲撃前後の勤王派の動向を探るためである。

しかし今のところ、滅茶勤王党の動きを知ることのできる物証はこれといって上がっていない。
人どころか何一つ、食物ですらほとんど、どの隠れ家にも残っていなかったのだ。
それはまるで本当に、
所司代組襲撃が滅茶勤王党の最後の力であったことを証明するかのようだった。

あれが正真正銘、滅茶勤王党の最期だったのではないかと紺野個人は思っている。
それは恐らく、安倍も矢口も同じだろう。
今睨むべきは滅茶勤王党そのものではない。
その背後にある何者かに繋がる何かを、皆欲している。

「ひいい」
暗い小屋の中から表に出ると、怯えたような叫び声が上がる。見ると先程の乞食である。
「どうしたんです? もう放免していいですよ」
乞食を囲む隊士たちに言う。
「はあ、それが」
事情を聞くと、どうやら乞食がこの小屋から追い出されるのを嫌がっているらしい。
何とかしてこの小屋に居続けようとしているというのだ。

無理もないか、と紺野は思う。
毎年の不作に、政局の混乱も治まる気配が無い。
米に代わって商品の流通が盛んになることで貨幣の価値観も上がり、
経済の仕組み自体が組み変わり始めている。
また異国との貿易や治安悪化により、物価の変動も激しい。
町の外に出れば、いや、中でさえ、職にあぶれ、飢餓によって死に至る者がいくらでもいた。
431名無し募集中。。。:04/07/25 19:32 ID:zAj7UuCS
「たのむよぉ、おさむらいさん」
歯もぼろぼろの乞食が、よれよれと隊士にしがみつく。
しかし滅茶勤王党の隠れ家であったものをそのまま自由にさせるわけにもいかない。
ここは幕府が没収し、幕吏の管理下に入る。

「なんだよぉちきしょう。お上は血も涙もねえなあ。おれぁどうすりゃいいんだよ。
六角牢(ろっかくろう)にももう帰れねえし」
「六角牢?」
紺野はその言葉に反応した。
六角牢とは二条城からやや南にある、京都奉行所直轄の牢屋敷の別称である。
壬生娘。組が捕えたよゐこの二人を監禁していた場所でもある。

「六角牢に住んでいたのか?」
牢屋敷では人手確保のために、非公式ではあるが人足を雇い入れていることもある。
牢に入っている軽微の罪人を雇うことが多いが、
現場の裁量次第で、近くの無宿者を雇うことも現実にはある。

「追い出されたんだよぉ。なんでもお偉いさんが代わったから、
おれを使ってくれてたお役人がくびになっちまったとか言って。
あそこは飯は臭かったけど、たくさん回してくれるからありがたかったんだ。
そうだ。聞けばあんたら壬生の連中があそこを牛耳るようになったっていうじゃないか」
「上が代わった?」

はて。
六角牢屋敷の上役に入れ替えがあったという話は紺野も聞いていない。
432名無し募集中。。。:04/07/25 19:33 ID:zAj7UuCS
京都奉行所直轄ということは、すなわち京都所司代の管理下である。
ということは先の壬生娘。組幕臣召し上げによって、
確かに上役は壬生娘。組に代わったと言えなくも無い。
しかし、幕府は組織再編によって壬生娘。組が急速に力を持つことを嫌がり、
壬生娘。組もまた、過激な再編をすることによって幕府内に敵を増やすことを好まなかった。

よって、壬生娘。組の幕臣召し上げに伴う組織再編は、
実質的な支配下に置かれることになった所司代組を含めた各組織の主要部署に、
幾人かの連絡役を密かに設置する程度に留まり、
上役の差し替えは目立って行われなかった。

「どうかしました?」
首を傾げたまま固まっている紺野に隊士が声を掛ける。
「いえ……。その人は、さくらの屯所の近くででも雇ってあげてください。
何か仕事はあるでしょう。我々も一度、屯所に戻ります」

紺野の号令で、
さくら組四番隊は自然とばらばらに、各々静かに屯所へ向かい帰り始めた。

紺野らの代あたりから、壬生娘。組各隊は、
先代らのように隊列を組み、隊旗を掲げ、威張って町を練り歩くことが少なくなった。
それは壬生娘。の名が世間に浸透し、あえて存在を誇示する必要がなくなったことや、
壬生娘。組自身に、肩肘張る必要の無い余裕のようなものが生まれてきたこともあったが、
紺野らの代の、性格的なものに依存する部分も大きかった。

隊に締まりがなくなると懸念する者もいたが、
その自由さ、気楽さに敢えて反対する者は少なくなっていた。
433名無し募集中。。。:04/07/25 19:34 ID:zAj7UuCS
「ご苦労さん」
唇を尖らせ、片手を挙げ、
ふんぞり返ってわざと威張るように言ってみせる姿が嫌味にならないのは、
加護生来の愛嬌ゆえである。

それでも、声をかけられた所司代組屋敷東門の門番は、深々と頭を垂れた後、
通り過ぎていく加護らの後ろ姿に舌打ちをする。
その音は加護の耳にも入ったが、慣れているので気にしない。

小雨の降る中、さくら組一番隊組長の加護は、
数人の隊士を引き連れて所司代組屋敷を訪れていた。
滅茶勤王党襲撃の後日検分のためである。
このところ雨が多く、あまり長く続くと現場を保持できないので、
まめに足を運ぶようにしている。

東門は、当日に加護が入った門でもある。
抜けてすぐ右に折れ曲がると、左手の先に座敷、
右手に家畜を囲っておくための木柵が、正面――北のほうへと続いている。
あの時に見た夥しい数の動物の死体は、
さすがにこの熱さの中、臭いを放ったままにしておけなかったらしく、
跡形も無く始末されていた。

今にしてみればあれは本当に悪夢のような一夜で、
死体の一つも無いこの状況では、現実の出来事ではなかったのではないかと思いたくもなる。

加護はそのまま木柵に沿って北に向かうと、
北東門の手前で西に折れ、北側一帯を占める蔵群に向かった。
行き先はよゐこらの捕えられていた、あの蔵牢である。
434名無し募集中。。。:04/07/25 19:35 ID:zAj7UuCS
蔵の前では、まだ他の検分の人間も出入りしている。
加護はその中に知った顔を見つけて声を掛ける。
「道重ちゃん」
「加護さん」
加護の姿を見つけて、道重の顔の緊張がぱあと解かれる。
「ひさしぶり〜」
「本当、ひさしぶりですね〜」
道重は本来、おとめ組二番隊組長でもある石川の下で伍長を務めているが、
おとめ組の人手不足により忙しくなった石川の代わりに、今は二番隊を指揮している。

「最近どう、おとめのほうは」
「うん……」
瞬時に顔を曇らせる道重を見て加護はしまったと思い、努めて明るく笑ってみせる。
「あ、あ、大丈夫だよう。田中ちゃんの傷も浅かったみたいだしさ、
またすぐにみんな復帰するよ」
「……そうですよね」
いくらか暗さの取れた道重の顔を確認して、
加護が笑顔を絶やさぬまま蔵の中に入ろうとすると、道重が口を大きく開いた。
「あ、待っ」
しかし道重の制止は間に合わず、加護は蔵の中に入る。

「うっ」
加護は咄嗟に口を押さえる。血の臭いが消えていない。
むしろこの季節に屋内ということもあって、さらに猛烈な腐敗臭が漂いはじめている。
「熱がこもってるから、ひどい臭いですよ〜」
鉄扉の外から、背中越しに道重が遠慮がちに言う。
暗い室内で板張りの床には、黒い血の跡がまだ一面に残っていた。
「うん。そうだね」
435名無し募集中。。。:04/07/25 19:38 ID:zAj7UuCS
加護は込み上げる吐き気を抑えながら、さらに奥に進む。
さすがにこの程度で怯んでしまうほど、やわな鍛え方はされていない。
というかいい加減、自分より年下の人間の前で格好の悪いところも見せられなかった。

猛烈な腐臭にむせて一度は外に逃げ出した隊士が、再び戻ってきて明かりに灯をともす。
(うわあ……)
灯りに照らされた大量の血の跡は、蔵の奥に設けられた、
ちょっとした長物を入れておくようなほんの小さな部屋の中にまで続いている。
大体、紺野の話から聞いた通りである。
紺野の話では、そこにまるで、
押入れの中に収納しきらない布団を無理矢理押し込んだかのように、
無造作に、五人分の死体(正確には濱口はまだ息を残していたが)が詰め込まれていたという。

牢の中を見渡す。
牢とは言っても尋問や監禁のために急遽、蔵を改造したような牢である。
普通の蔵と基本的な構造は全く変わらない。

この、床に続く血の跡と、柱、荷物、壁のいたるところにつけられた、
まるで秩序の感じられない刀傷からも、ここで起こった事の異常さがうかがえる。
「人斬り丑三……」

紺野、矢口らの証言から、
これは元滅茶勤王党の江頭丑三の犯行であったということで組内の見解は一致している。

なぜ丑三がここをちょうどあの時に襲ったのか。そしてなぜ、丑三がまだ生きているのか。
そもそも他の滅茶勤王党残党は丑三が生きていることすら知らなかった。
それらを探るために、加護はここに来ている。
436名無し募集中。。。:04/07/25 19:40 ID:zAj7UuCS
「丑三の、ここに来る前の足取りは分かったのかな」
後ろの道重に尋ねる。
道重は袖で口元を押さえて顔をしかめながら、なんとか加護の後ろについて入ってきていた。
「……はい」
本当に辛そうな道重を見て、逆に加護の中には先輩としての余裕のようなものが出てくる。
「あ、一回ちょっと外に出よっか。ここ臭いしさ」
「……はい」

雨を避けるため、二人とも蔵の軒下に入る。
あらためて道重と向き合う。
背の小さい加護からすると、顔のまだ幼い道重を見上げるような形になる。
「ええとですねー」
臭いから開放されたのがそんなに良かったのか、
腕を組んで思い出しながら説明を始める道重は、既にいつもの自分の調子に戻っている。
色々とわかりにくい子だけど、そういうところはわかりやすい子だなあと加護は思う。

「丑三を捕まえたのは京都奉行所の同心だったんですよ。
捕まえた時は既に滅茶勤王党も瓦解していて、丑三も乞食のような逃亡暮らしで、
同心も分かっていなくて、ただの無宿者として捕まえたんですね。
それでなんと、身柄はここ、所司代のほうに回されてるんですよ」
「へえー」
「そのあと、丑三はそのまま無宿者として入墨刑のあと、
洛外(京都の外)へ放逐されているんですけど、それはただの方便で、
実は阿佐藩に引き渡すための手打ちだったようです」
437名無し募集中。。。:04/07/25 19:42 ID:zAj7UuCS
この時代、藩による自治権は強い。
藩の重犯罪人は、藩に送還され、藩の法によって裁かれることが多かった。
ただし幕府と藩の力関係は常に微妙で、
幕吏が捕えた重犯罪人が、藩と幕府の政治的駆け引きの道具にされることも多かった。
その中では、洛外追放という名目で、洛外に待ち受ける藩の藩吏に引き渡される形もあった。

京都を天誅の嵐で震撼させた滅茶勤王党の重要人物、人斬り丑三である。
しかも丑三は党首の武田真治に非常に近しい人間で、
当時、武田らによる下平さやか暗殺の証拠を掴めずにいた阿佐藩は、
その身柄を喉から手が出るほど欲していたに違いない。

現在、阿佐藩の実権を握る田森一義は基本的に公武合体を論じる身だが、
藩論全体は必ずしも一致していない。
特に藤州、読瓜が着々と力をつけ、倒幕の意志を露わにしていく中で、
阿佐藩も幕府との関係に慎重であっただろう。
滅茶勤王党の実質的な支援者であった藤州、そして阿佐、幕府の間で、
丑三について何らかの裏取り引きがあっても全く不思議ではない。

「その後は?」
「それが、調べでは丑三はそのまま阿佐藩に送還されて、
獄中で拷問を受けた上に、斬首ということになっているんですよね。
慶応元年(1865)潤五月です」

(ううん……)
加護は腕を組み顎に手を当てる。やはり死んでいるか。
これは一度、阿佐藩の人間にきちんと照会しなければならないかと思う。
しかしこの政治の情勢で、上手く事を運ぶことができるだろうか。

いや、こういった話を通し易くする為にも、飯田は政事の力を手に入れたのだ、
帰って安倍に相談してみよう。と加護は思い直す。
438名無し募集中。。。:04/07/25 19:43 ID:zAj7UuCS
「じゃあ、私たちは所司代にちょっと顔出してから屯所に戻るわ。
道重ちゃん、後はよろしくね」
「あ、そうですか。はあい」
道重に見送られながら、加護は南側の所司代の座敷に向かう。
西の回廊を通ったほうが、雨が避けられて楽か。

すると、回廊のすぐ近くの蔵の屋根の下に人だかりがあり、
その中にまた見知った顔を見つけた。
「よっちゃん」
声をかけると、これまた背の高い壬生娘。が、振り返ってにやりと笑う。
「よう」
さくら組二番隊組長、吉澤ひとみである。
同時期の加入ということもあり、
年長で男っぽい性格の吉澤は、加護にとって兄のような存在だった。

「何してるの?」
「ああこれ」
吉澤の後ろには、数人の隊士に囲まれて大きな木製の車輪があった。
仏式四斤野砲。滅茶勤王党残党による所司代組屋敷襲撃の際に使われたものである。
「ちょっとね、うちの連中じゃあ分からないから、
専門の人呼んで検分してもらってたところ」

見ると、その野砲の周りをぐるぐると興味深げに見ながら回る、
やけに背の高い、剃髪の男がいる。
(お坊さん?)
439名無し募集中。。。:04/07/25 19:44 ID:zAj7UuCS
壬生娘。組でも、砲術の訓練は定期的に行われているので、
砲について知識を持つ者もいなくは無い。
しかし現実の京都において大砲を使う機会など滅多にあるわけがなく、
それは有事における備え、あるいは組の士気昂揚、勤王派への威嚇など、
実務的な意味合いからは遠い、形式的な面が大きかった。

剣の力を信じる武士である壬生娘。たちにとって、
大砲という存在が異質であったこともある。
よって、組の中に砲術に真剣に取り組み、進んで知識を蓄える者は少なかった。
唯一、小川がその方面にやや明るかったが、
小川は現在、重度の腰痛で動くこともままならない。

「ふむう」
剃髪の男が息を漏らす。
よく見ると、目が妙に離れていて鱶のようなちょっと変わった顔をしている。
「どうですか? たいせーさん」
吉澤が訊く。男の名らしい

「こりゃ結構、新しいねえ。ここ一年くらいか」
「へえ?」
「なんで分かるんですか?」
加護が訊く。
「ほれ、ここ覗いてみ」
大砲の大きな口を指さす。恐る恐る加護が中を覗くと、
暗い筒の中に細い筋が六本、奥のほうから手前に向かって螺旋状に伸びている。
「これが前装式施条砲って言ってな、砲身の中に溝が彫ってある」
440名無し募集中。。。:04/07/25 19:45 ID:zAj7UuCS
前装式とは、元込め方式ではなく砲身の前方から砲弾と火薬を込める装填方式のことで、
施条砲とは砲弾を無回転で打ち出す滑空砲に対し、
打ち出される砲弾に、砲身の内側に掘られた螺旋状の溝で横回転を加え、
命中精度を高めたもののことであるという。

「ほれ、これでな」
男が地面に置かれた砲弾を指さす。
加護の拳よりも遥かに大きい、先の尖った釣鐘のような形をした砲弾には、
表面に全部で十二個もの“いぼ”状の鋲が打たれている。
これが発射の際に砲身内側の溝に食い込み、回転を与えられるのだと言う。

「それでな、この溝はやっすいやつだと大抵三本なんだけど、これは六本あるだろ。
本数が多いほど、砲弾には正確に回転を付けられる。
そのかわり、砲弾と砲身の摩擦は大きくなって、暴発の危険も高まる。ということは」
「ということは?」
「それだけ作りに自信があるって事だな。つまり、鋳造技術の精度が高い」
「むむむ」
吉澤が難しい顔をして、野砲を睨む。
あまり難しいことを考えるのを得意としていないことは加護も知っているから、
まあたぶん何も考えてないだろうなと思う。

「それと砲身も少し短くなっとるね、たぶん」
「それは?」
「取り回しがきくってこと。重量も軽くなる。これも技術に自信がある証拠だよな。
これだけ丁寧なつくりだともはや模倣品とは言えないね。立派な改良型や」
441名無し募集中。。。:04/07/25 19:46 ID:zAj7UuCS
たいせーという男の話によって、発射の手間を考えれば当日は一発だけすぐに打てるよう、
あらかじめ弾が込められていただろうことや、
新式ではあるが、全体の疲労度から言って、
せいぜいあと二、三発撃つのが限度の代物であったこと、
製造時に打たれるのが通例となっている藩の紋や、
製造場所を示す類の刻印は削られていることなどが分かった。

「じゃあやっぱり、読瓜ですかねえ」
一通りの説明が終わると吉澤が言った。
今これだけの技術力と、大砲を秘密裏に回せるほどの軍事力を持ったところと言えば、
普通はまず読瓜藩が浮かぶ。

「うん。まあ」
たいせーという男が自分の長い顎をさする。
「じゃあ無ければ」
「無ければ?」
「うーん。わからんなあ」
「はあ」

ただ、仮に出所が読瓜藩だったとしても、
滅茶勤王党の支援関係は元々藤州や阿佐のほうが濃い。
そう考えると、読瓜から滅茶勤王党に野砲が渡るまで何段階か踏むことになる。
それだけのつてが、壊滅寸前の彼らに残っていただろうか。
あるいは雄藩の側にとって、彼らにそれだけのことをしてやるほどの、
利用価値が残っていただろうか。
442名無し募集中。。。:04/07/25 19:50 ID:zAj7UuCS
紺野はひとり小雨の振る中、傘をさして京の町を歩いていた。
京都奉行所牢屋敷に向かっている。先程、乞食の口から名前の出た六角牢である。
自分の隊とは途中で別れ、乞食ともども屯所に帰していた。

一人で勝手に行動して、また矢口に怒られるかと思ったが、
気になって確かめずにはいられなかった。
そもそも、矢口自身のことも紺野にはまだ引っかかっている。

(壬生娘。さくら組副長、矢口真里)
あの夜、所司代組屋敷を和田らと訪ねた時、
頑なによゐこの引き渡しを拒む監鳥居組の木村の口から出たのが矢口の名前だった。
矢口が、よゐこの命を狙っていたのだと言う。

もちろんそんなことは信じていない。
言い逃れにも節度というものがあるだろうと紺野は思った。
しかし、どこか否定しきれないものが矢口の行動にあるのも確かだった。
聞けばあの夜も、矢口は独断で所司代組屋敷に乗り込もうとしたという。
ある意味で監鳥居組木村の言い分を自ら証明してしまっている。

あの時以来、紺野は素直に矢口を信用することができなくなってしまっている。
疑っているわけではない。
しかし矢口に対し、思ったことを素直に言う。言われたことに素直に従う。
そのことに一瞬の躊躇がある。

このままではいけない、とも思っている。
或いは自分のほうに原因があるのではないか、とも。
443名無し募集中。。。:04/07/25 19:52 ID:zAj7UuCS
壬生の方向から御院通りを越えた、三条通りの手前に六角牢はある。

京都奉行所直轄の、京都の罪人収容をほぼ一手に担う牢屋敷で、
六角通りに面していることから、いつしか六角牢、六角獄舎などと呼ばれるようになった。
所司代、見廻組のみならず、
事実上、京都奉行所の上に位置していた壬生娘。組も大いに利用し、
ついこの前、所司代組屋敷に移されるまでよゐこを収容していたのもここである。

祇園祭の山鉾の多くを焼いた元治元年(1864)の大火の際、
罪人の逃亡を恐れた幕吏が、騒ぎのどさくさに紛れ大量惨殺を行い、
世間の幕府に対する悪評、そして倒幕派雄藩による批判をさらに高めるきっかけともなった。
また、多くの罪人解剖がおこなわれ、医術の発展に寄与したことでも知られている。

四条通りに出る。
小雨が降っているとはいえ、大通りに出ればさすがに人は多い。
商人、武士、坊主と、あらゆる生業の人間が雑多に行き交っている。
安倍らと同じく蝦夷の出の紺野にとっては、
この人の多さをはじめて見たとき、近くで祭りか何かがあるのかと驚くほどであった。

「ん?」
その中に、紺野は見覚えのある顔を見た。
(藤本さん?)
遠目ではっきりとはわからなかったが、
それは紺野のよく知る、いつも無愛想な藤本の顔に見えた。
444名無し募集中。。。:04/07/25 19:54 ID:zAj7UuCS
反射的にその顔の主の後ろ姿を追いはじめる。
藤本の足も六角牢の方向に向かっているように見えた。
(藤本さん? 何の用だろう)

(あれ?)
人ごみに入り、藤本らしき人間の足が急に早まる。
(気づかれた?)

慌てて紺野も歩を早める。しかし、早い。
紺野がいちいち通行人と肩をぶつけ、
向かいから来る人々と間が悪く妙な駆け引きなどをしているうちに、
藤本は、まるで人ごみなど無いかのように、するすると前へすり抜けていく。
距離はどんどん引き離されていく。

人ごみを抜けきったとき、藤本の姿は既に見失われていた。
(ああ、もう)
紺野は自分のふがいなさを嘆く。
これで藤本に撒かれたのは二度目だ。
一度目の所司代組屋敷のときは、藤本は紺野の向かった蔵には向かわず、
何やらその間に重大な仕事を成し遂げたのだという。
そのことを矢口はあえて責めなかったが、
少なくとも自分への評価が上がることがなかったのは間違いだろう。

紺野は仕方なく、元の通り六角牢に向かった。
すると、六角牢の門が視界に入った辺りで、また別の、知った顔を見つけた。
矢口だった。
445名無し募集中。。。:04/07/25 19:56 ID:zAj7UuCS
あいかわらずの高い下駄を履いた矢口は六角牢の門の前に来ると、
門番の男と親しげに話した後、何かの包みを男に渡し、笑顔で別れていった。

(矢口さん)
紺野は声を掛けることをとどまっていた。
矢口の姿にどこか奇妙な感覚をおぼえいた。
思えば、六角牢の門番と親しげに話す矢口の姿など見た記憶が無い。
前に所司代引き渡しが決まったよゐことの面会を求めに行ったときも当然、
終始不機嫌な顔だった。

迷った挙句、紺野は黙って矢口の後をつけることにする。
(壬生娘。さくら組副長、矢口真里)
監鳥居組木村の言葉が、まだ心に引っ掛かっていた。

矢口は一人で六角通りを東に抜け、堀川を過ぎて繁華街の方へ向かっていた。
今度は藤本のように撒かれまいと、紺野は必死で気づかれないように追う。
しかし矢口は繁華街をそのまま素通りすると、やがてひとけのない方向に進み、
二十段ほどの石段を登った、小さな神社に入っていった。
紺野は万が一矢口に尾行がばれていることを考え、
側面の違う坂のに回り込み、草木に隠れながらそっと神社の境内を覗いた。

また撒かれてしまうかもしれない一種賭けではあったが、
矢口はまだそこにいた。
446名無し募集中。。。:04/07/25 19:57 ID:zAj7UuCS
境内に向かって手を合わせていた矢口はしばらくして手を解くと、
振り返らず、明らかに独り言ではなく、言った。
「そろそろいいだろ。出てこいよ」

心の臓が飛び出そうになる。
やはり気づかれていたのだ。

どうするか。紺野は躊躇する。
汗がじわりと、額から頬を伝って首へ流れていく。
いや、今なら問題はあるまいと冷静に思い直す。
別に何をしたわけでもない。ただ内緒で後をつけていただけである。
特にやましいことは無い。
新垣ばりに「あはは、ばれちゃいましたあ?」とか、笑いながら出て行けばいいのだ。
そもそも紺野自身、なんとなくの勘で矢口の後をつけていただけで、
本気で疑っていたわけではない。

すごい勢いで弁明を含めた思考が紺野の頭の中で回転する。
その間、まだ僅かにしか刻は経っていない。

そして。意を決して紺野は草木の陰から前に出ることにする。
もし半端に隠れるようなことがあれば、あの鬼副長と呼ばれる矢口である。
どんなことになるか。

と。思い切って一歩を前に踏み出そうとしたとき、
突然、後ろから紺野の口が塞がれた。
447名無し募集中。。。:04/07/25 19:58 ID:zAj7UuCS
たいせーという男はこういった機械類がたまらなく好きであるらしく、
いつまでも鼻息荒く、一人で野砲の周りをぐるぐると回っていた。
野砲が好きな心情など加護には到底理解できないが、
好きなものにこうして無我夢中になっている姿は、
壬生娘。の他の仲間たちの姿にも重なって微笑ましくもある。

「するってえと、どこなんでしょうかねえ……」
吉澤は独り言のように呟く。
一応吉澤なりに、色々と考えを巡らせているようだった。
「西南のほうなのは間違いないだろうけどねえ」
たいせーが答える。

こと西洋の銃器に関して、四国、九州、西国など西南の藩に優るところはない。
それは西南の港の多くが、幕府に隠れ異国から武器を輸入していたことが大きい。
特に、異国と既に一戦を交え、実質的な敗北を喫していた読瓜藩などは、
逆にその国と武器調達の契約を結び、初期の攘夷思想などどこへ行ったかのように、
積極的に武器を買い入れ、最新技術の吸収に努めていた。

「いっそ、京内の各藩邸に照会してみるって手もあるけど」
地面に這いつくばり、野砲を下から覗き込んでいるたいせーが言った。
「そんなの無理ですよ」
加護が口を挟む。この微妙な時期に、犯罪に使われた大砲の出所など、
正面から聞いて向こうが答えてくれるはずがない
「でもあんたら、壬生娘。組ってやつだろ。
だったら、素直に聞いてみてもいいかもしれんよ。幕府のお偉いさんになったんだろ」
「何で知ってるんですか」
「上のほうとは、知らない仲じゃないからね」
448名無し募集中。。。:04/07/25 20:00 ID:zAj7UuCS
「ああそうだ」
たいせーの言葉に、加護は思い出す。
「そういえば私たちもう、幕臣なんだよね。だったら他にも、つてがあるかも」

今までは何の権利も持たず、幕府から回されてくる僅かな情報と、
自らの機知と暴力的な行動で無理を通してきた壬生娘。組だが、
幕臣となったこれからは、京都全体での包括的な活動が可能になる。
所司代や奉行所の持つ正式な連絡網を使い、
目的に応じたもっと緻密な情報を集めることができるはず。

「いざとなれば、力づくじゃなくて圧力かけることもできるんだよねえ」
加護はうっとりとした調子で言う。今までの立場からは考えられないことだ。
「せっかく幕臣になったんだし。ねえ、よっちゃん。」
「よせよ」
加護は吉澤の声が変わったことに気づく。
「よせよ、そういうの」
吉澤が今回の幕臣召し上げに不満を持つ者の一人だったことを思い出す。
加護は、調子に乗って適当なことをべらべらと言ってしまったことを少し後悔する。
日頃は政事的な話にあまり興味を示さない吉澤だったが、
壬生娘。が佐幕色を強めることにだけはいつも静かに、どこか批判的だった。

「でもさ、仕方ないよ。私たちが今のままで、倒幕派とやりあっていけるわけ無かったし」
しかし、加護はむきになって言い返す。
咎められたままで引っ込むほど、加護は吉澤に対して大人ではなかった。
「元から似たようなことはやってきてるんだからさ、今さら嫌がることでもないでしょ」
「違うよ」
「じゃあ、よっちゃんはどうしたいの」

「お前は、いつもそうやって周りに流されていくんだな」
吉澤がぼそりと呟く。加護は吉澤を睨んだまま黙った。
449名無し募集中。。。:04/07/25 20:03 ID:zAj7UuCS
「じゃあ、行くね」
しばらくの沈黙の後、加護は吉澤に言った。
吉澤はまだ機嫌が悪そうに、顔を別の方に向けていた。

むっとしている時の吉澤は、正直、長年の付き合いがある加護にとっても恐い。
だが加護もそういった状況にある程度は慣れていたし、
向こうが怒ったからといってすぐに態度を変えられるほど、素直にはなれない。
「まだ所司代組に聞かなきゃいけないことがあるから」

加護がそう言ってその場を去ろうとすると、
それまで黙って成り行きを見守っていたたいせーが口を開いた。
「屋敷に行くの? 監鳥居とかいう人たちなら、今いないよ」
「え? そうなんですか?」
拍子抜けする。
「なんでも所司代組が再編成するんで、
謹慎してるんだってさ。なんだかよく分からないけど」
「はあ、謹慎なんだ」
じゃあ、今所司代に顔を出してもあまり良い事はないかな、と加護は思う。

「あちらさんも色々、大変なんじゃね」
別の方を向いたままの吉澤が、嫌味っぽく言った。
加護は小雨の振る中、つらそうに、その背中をじっと見つめた。
450名無し募集中。。。:04/07/25 20:07 ID:zAj7UuCS
紺野は心底驚き、目をむいてその、自分の口を塞ぐ手の主を見た。
(藤本さん!?)
塞ぐ手の下でふがふがと言う。

それは、先程、町中で見失ったはずの藤本だった。
視界の隅に映る藤本の袖の柄は紺野が見かけたのと同じ柄。やはりあれは藤本だったのだ。
じゃあ、自分が見失った後、藤本に逆に自分の後をつけていたのか?

藤本は紺野と共に身をかがめ、草木に身を隠したまま、
完璧に紺野の口と体を後ろから押さえ、身動きを取れなくしていた。

「しっ」
藤本が小声で鋭く耳元に囁く。
その一言で、蛇に睨まれた蛙の如く、紺野は完全に動きを止めた。
そうせざるを得ないくらいの雰囲気が、藤本にはあった。

しゃがんだまま、後ろから紺野を抱きしめるような形になっている藤本の視線は、
境内――矢口の方に向かっていた。紺野もそれを追って境内を見る。

すると、矢口の登ってきた石段の方向から、二つの人影が現れた。
矢口もその二人に対して声を掛けていたらしく、二人を見つめている。

監鳥居組の木村麻美と、斉藤美海だった。
451名無し募集中。。。:04/07/27 03:22 ID:qLeJjfDh
おお・・・・
452名無し募集中。。。:04/07/27 16:29 ID:BrSOUMaD
どうなるんだどうなるんだ
453名無し募集中。。。:04/07/28 14:24 ID:gaXykg6H
気になる気になる
454ねぇ、名乗って:04/07/29 01:22 ID:vTIqlWL1

455名無し募集中。。。:04/07/29 07:10 ID:P/q3xj+5
456ねぇ、名乗って:04/07/29 19:00 ID:vTIqlWL1
457ねぇ、名乗って:04/07/30 16:56 ID:lKtos95d
映画化まだー?この小説の知名度を上げればもしかしたら…
あずみも出来たんだから可能なはずだーミキティの殺陣シーン見てぇー
45824人のビリ-G:04/08/05 18:57 ID:eJlP25tY
459ねぇ、名乗って:04/08/07 10:10 ID:c7b/LN7q
阿佐藩ってテレ朝のことだったのかああああ!
全然気付かんかった_| ̄|○
460名無し募集中。。。:04/08/08 21:03 ID:2leFbPtX
不意に大粒の水滴が、ばらばらと頭上の枝葉から降りかかってくる。
強い風が吹いた。

身を潜めているために、既に閉じてしまっている傘を差し直すことも出来ず、
紺野はただ身を固くして水滴に打たれる。
藤本に口を押さえられたまま。

藤本は同じ水滴に打たれながらも、身動き一つしない。
紺野は背中の濡れた薄い生地の向こうに藤本を感じる。
何故か頬が赤らむ。

雨脚が強まっていた。
視線の先の、神社の境内の前に立つ矢口と監鳥居組の木村と斉藤の姿さえ、
正しく把握することが出来ない。

矢口と二人は対峙し、何か言葉を交わしているように見える。
しかしその内容は雨音にかき消されて聞き取ることはままならない。
それでも紺野は、降りかかる雨に目を曇らさせぬよう何度もまばたきを繰り返し、
必死に耳を傾ける。

「…………」
「……。……」
「……」
「…………」
461名無し募集中。。。:04/08/08 21:03 ID:2leFbPtX
三人は直立したまま、ほとんど動かないでいる。
微妙な距離感を保っている。
激しく言い合っているようにも、親しく歓談しているようにも、
ここから見るかぎりでは思えない。
ただ、何らかの張り詰めた空気が両者の間に漂っていることだけは感じ取れる。

(あ……)
突然、木村より半歩後ろにいた斎藤が膝を折った。
そのまま身を沈め、雨に濡れて泥の浮く地面に、無造作に手をついた。

様子がおかしい。
(え?)
紺野には何が起きたのかわからなかった。
向き合う矢口が何か、特別な動きをしたようには見えなかった。
どちらも刀など抜くそぶりは見せていない。柄に手を触れてさえいない。
斉藤が、ただ一人で、勝手に膝をついたように見えた。

全てが雨の強い音にかき消されている。
「…………」
背中の藤本も、黙って成り行きをうかがっている。

そしてやがて、木村も斉藤に続いて矢口の前に膝をついた。
頭(こうべ)を垂れ、両手を濡れた地面についていた。
高下駄を履いた小さな矢口の前に、まるで自らひれ伏すかのように。

不思議な光景だった。
紺野には矢口が一体何をしたのか、まったくわからなかった。
462名無し募集中。。。:04/08/08 21:04 ID:2leFbPtX
さああ、という音と共に雨脚が急速に弱まっていく。
それはまるで、今の出来事の瞬間だけを覆い隠していた豪雨の幕が、
その終演と同時に勢いよく開かれていくかのようだった。

「…………」
何事かを二人に告げると、
膝を地面につき、どこか苦しそうにしている二人をそのままに、
矢口は一人で、元来た石段のほうへと消えていった。

紺野はぼうっとその光景を見つめていたが、
やがてはっと気づき、後を追おうと立ち上がろうとする。
しかし、それは後ろからの強い力に押さえつけられた。
「お前はもう帰れ」
紺野の口元から手を離し、藤本は一人だけゆっくりと立ち上がった。

たしかに、丑三探索の任を負う紺野に矢口の動向を探る理由はない。
それは監察方である藤本にこそふさわしい役割なのだろう。
しかし、これだけあからさまに怪しい光景を目の当たりにして黙っていられる筈もない。
相手はあの、所司代組屋敷での会見において矢口を内通者として名指しした監鳥居組と、
その矢口本人なのだ。
自分も関わりがないわけではない。

紺野はなんとか抗弁しようと口をぱくぱくとさせる。
が、次の藤本の言葉ははっきりとそれを拒否していた。
「あんなものは尾行とは言わない」

その言葉に、紺野は何も言い返すことが出来なかった。
463名無し募集中。。。:04/08/08 21:05 ID:2leFbPtX
烏丸通りを南へ下っている。
先ほどの豪雨で皆家に入ってしまったのか、
あの後、一時は晴れ間も見えそうなくらいになったのだが、人の通りは少なかった。

路の端を、紺野は一人で歩いていた。
足はそのまま壬生娘。組の屯所へと向かっている。
藤本に言われた通り、素直に帰りの途についているのであった。

あの後、すぐに藤本の姿は紺野の背後から消え去っていた。
紺野はそのまま、神社の境内を振り返ることもなく、屯所へ足を向けた。
矢口を追えないならせめてもう一度、六角牢に立ち寄ろうかという考えも浮かんだが、
先程までとは違い、何の根拠もないことに労力を割けるほどの気力はもう沸かなかった。

藤本の言葉は、紺野が藤本の後をつけていた事に対してのものだった。
当然、藤本は紺野の尾行に気がつき、意識的に撒いていたのであろう。
恐らくあの状況から言って、尾行を撒いた藤本は、逆に自分の尾行についたのだろうか。
いや、もしかしたら。
(藤本さんも矢口さんを追っていたのかもしれない)

意図的に自分に矢口の後を追わせ、さらにその後を藤本はつけたのか。
もし自分が矢口に気づかれたとしても、藤本の存在までは矢口には知れない。
仮に想像は出来たとしても確証までは持てまい。
藤本の尾行に自分は利用されたのか。

しかし、利用されたと知っても紺野の内に怒りは湧かなかった。
怒る理由もないと言ったほうが正しいか。
力の足りない自分が力のあるものに利用されただけと、妙に納得してしまう。

元々、感情が薄いとは人によく言われる。
464名無し募集中。。。:04/08/08 21:05 ID:2leFbPtX
また雨脚が強くなり始めたので、紺野は携えていた傘を差し直す。
天候は未だ安定しない。

五条の大通りに出ると、さすがに人も増える。
延々と連なる店先の軒下には、雨宿りをする町人もまばらに見かける。
雨が降るなどとうにわかっていたことだろうに。と、何となく思う。
そういった人々の浅慮さが、紺野には今一つ理解できない。
このところ雨が多い。だから傘を持ち歩く。
そんな当たり前のことしか紺野には思い浮かばない。

すると、そんな中に一人の少女の姿を見つけた。
困ったように、しきりに軒下から空を見上げている。
姿からは、それが壬生娘。組の組長であることなど想像もできない。
新垣だった。
片手になにやら荷物を持っている。
傘は持っていないようだった。

「里沙ちゃん」
「あさ美ちゃ〜ん!」
声をかけてみると、新垣の顔が面白いくらいわかりやすくぱあと明るくなった。
渡りに船とは正(まさ)しくこういうことなんだろうと、紺野は思った。

「何してるの?」
「麻琴のところにお見舞い買って行こうと思ってさあ」
手にした荷物を目の前に上げる。
どうやら仕事の合間を縫って、わざわざ小川の見舞いを買いに来たらしい。
「そうだ、あさ美ちゃんも一緒に行く?」
465名無し募集中。。。:04/08/08 21:06 ID:2leFbPtX
「局長のところは、もういいの?」
「うん……。出かけちゃったんだよねえ……」
新垣は、置いていかれた小犬のようにしょんぼりとする。

半分は、このところいつも安倍の傍にくっついていることへの嫌味のつもりだったのだが、
どうも新垣には通じていないような気がする。
新垣の「八」の字になった濃い眉を見て思う。

紺野はこのように、言葉にひそかに毒を仕込んだりすることがよくある。
もちろん相手は選ぶが。
特に意味はない。悪意もそれほどない。性格のようなものだ。
そして大抵の人は、この毒に気がつかない。
紺野も、気がつかれたいとは特に思っていない。

「傘は持ってこなかったの?」
「うん」
「なんで?」
「いや、何とかなると思って」
「何とかならなかったらどうするの?」
「でもほら。なんとかなったし」

「……いいの? それで」
顎に人差し指を当て、一旦考えるふりをする。
一応、真剣に考えはするのだ。この娘は。
「ん。いいんじゃないの?」
「いいよね。里沙ちゃんは気楽で」
「ええ!? そんなことないよ!」
新垣は紺野の言葉を予想もしていなかったとばかりに、大きく眉を吊り上げた。
466名無し募集中。。。:04/08/08 21:09 ID:2leFbPtX
「宇多藩(うたはん)じゃないのか」
僅かな思索の後、矢口の口から出されたその藩の名に、
加護はむしろ驚かされた。

「宇多藩ですか?」
隣の吉澤が聞き返す。
「調べたか?」
「いえ」
「ならば当たってみろ」

正午も過ぎた頃。
三人は不動堂村壬生娘。さくら組屯所の座敷で向かい合い、座っていた。

加護と吉澤が所司代組屋敷での検分を終え帰ってきたところ、
反対側から同じように帰ってきていた矢口に鉢合わせし、共に座敷に上がった。
(ちょうどいい。報告を聞こう)
そう言った矢口に、吉澤共々、加護はついてきたのである。

「今、大砲技術と言えば宇多藩だ」
「そうなんですか。そう聞くことはありますが」
「おいらも最近知った。やっぱり、おいらたちには知らなかったことが多すぎたらしい」
矢口の表情は変わらないが、逆にその変わらなさに、矢口の悔しさが滲み出ている。

「異国の精錬技術を取り入れた宇多の武器鋳造能力は、今、相当なものだそうだ。
たいせーには聞かなかったか?」
あの、野砲を楽しそうに眺めていた坊主のことである。
「いえ、特に」
吉澤が答える。

「あの野郎、日和見しやがったな」
矢口が鼻に皺を寄せた。
467名無し募集中。。。:04/08/08 21:10 ID:2leFbPtX
宇多藩。
藤州、読瓜、阿佐などに比べるとあまり目立たないが、
いわゆる西南雄藩の一つに数えられる。

幕府が慢性的な財政難に陥る中、
他雄藩の例に漏れず大規模な藩政改革に成功し、着実に力を蓄えてきた。

宇多藩の特徴は筆頭家老の秋元康に代表されるように、
後追いもありながら貪欲に他藩の成功例を取り込み実直に技術力を積み上げてきた、
豊富な発想力と、その粘り強い藩気質にあると言われる。

藩主の鈴木慎治は中央の幕政に関心を持たなかったため、
他藩主に比べ全国的に名こそあまり知られていないが、
正しく藩気質の体現であるような、その飽くなき探究心と粘り強さから、
宇多藩独自の技術力、理化学向上に多大な功績をもたらし、
名君「化学君」と藩内では称えられる。

この動乱の中、それだけの近代的軍備を有しながら、
未だ倒幕、佐幕いずれにつくか態度をはっきりさせようとせず、
しかし尚、新たな人材を貪欲に取り入れ、再び大規模な改革の方向を探っているとの話もあり、
この腰の重さと、大胆な開明性を併せ持つところは、
やはり藩気質に由来すると言えよう。

「じゃあ、お前ら二人はこのまま野砲の事に当たれ」
「あの、丑三のほうは」
加護が口を挟む。
「そっちはいいや。こっちで回す」
468名無し募集中。。。:04/08/08 21:12 ID:2leFbPtX
矢口はいつも以上にてきぱきと話を進めていく。
その回転の速さに、加護はある種尊敬の念を抱かずにはいられない。
そして、矢口はあのことはもう引きずってはいないんだなとも思った。
飯田と、安倍との、あの所司代組屋敷に関するやり取りのことである。
上層部の余計な諍い事など無いに越したことは無い。

「あと、所司代組も使ってやれ、せっかく配下に入れたんだ。
監鳥居の木村麻美には話を通しておく」
「……あれ? 監鳥居組は謹慎ってことになっているんじゃあ」
「明日で解ける手筈になっている」
加護はその対応の早さに、さすが手回しがいいと思った。
よすぎるのではないかと不安を抱くほどだ。

「それと、問題は藤州のほうだな」
「藤州がどうかしたんですか?」
「報告によれば、領内の軍備増強が急速に進んでいるらしい。
せめて連中の武器調達経路をいくつかは見つけておきたい」
元々、独自の貿易経路がそれほど太くなかった藤州は、軍の近代化に遅れていた。
それがここ一年ほどで急速に近代兵器の配備がはじまり、一気に増強が進んだという。
昨年の幕府による藤州征伐が、いい結果をもたらすことが出来なかった背景には、
そういった原因もあったと言われる。

「軍備……ですか」
「そうだ」
「読瓜との、同盟が影響しているんでしょうか」
「だろうな。表向き武器の流通は幕府が監視しているが、
やつらもう、裏ではやりたい放題だろう。できればその根元を見つけ出したいんだが」
「京都じゃ限界がありませんか」
「もちろん、それは本来のおいらたちの仕事じゃないが、
滅茶勤王党の持っていた例の野砲が宇多藩と関係あるなら、
京都から探れるものもあるかもしれない。それはおいらたちでもできる」
469名無し募集中。。。:04/08/08 21:13 ID:2leFbPtX
「わかりました。では、そのあたりも含めて捜索を続けます」
黙って聞いていた吉澤が口を開いた。
「頼む。阿佐も既に読瓜と手を結んでいるという噂もある。気をつけておけ」
「はい」

屋敷の外は、また雨が降っていた。

加護には正直、まだわからないところがある。
知らないうちに大きな渦の中に足を踏み入れていた。そんな感覚だ。
話はわかる。が、実感はない。
自分たちが既に渦の端に足を踏み入れていることは知っているが、
その渦の大きさも、強さも未だ感じることができない。

あんな情報すらも、
幕臣となる以前の壬生娘。組では知ることもままならなかった。
矢口は既にそれを当たり前のように取り入れ、当たり前のように政事の話をしている。
きっと、それまでも内通者として藤州の笑犬隊などに潜入していた矢口には、
違和感のないことなのだろう。

しかしそれまで京の治安を守ることで精一杯の、
たかが一組長にすぎなかった加護には、
話が大きすぎてまだよく分からない。
ついこの間まで不逞浪士だ所司代だと言っていたのが、
そのまま同じ口調で、今は藤州だ軍備だと言っているのだ。
まるで規模が違う。
470名無し募集中。。。:04/08/08 21:13 ID:2leFbPtX
宇多藩という存在などはそれをよく表していて、
藩士の出入りに厳しく、「鎖国の中の鎖国」とも称され、
また、政治的態度もはっきりとしない宇多藩に身を置く藩士は、
京都の町で見かけられることがそう多くない。

確かに名の知れた雄藩の一つには違いなかったが、その割に、
京都で不逞浪士を取り締まることだけが目の前にあった加護には、
取り締まりの対象として、あまり縁の感じられない藩であった。
だからその名が矢口の口から自然に発せられた時、
加護は漠然とした違和感をおぼえずにはいられなかった。

藩、軍備、貿易。そんなことを平然と語り合うようなところにまで、
自分らは知らず足を踏み入れていたのだろうか。
時代を生き残っていくということは、
こうした違和感を何度も繰り返し経験していかなければいけないということなのだろうか。
ずっといつまでも、同じ場所にいつづけることなど、無理なことなのだろうか。

吉澤を見る。
隣で、降る雨を軒下から見上げている。
その涼しい横顔が実はまだ機嫌が直っていないことを、
付き合いの長い加護は知っている。

監鳥居組不在の流れで、所司代組屋敷からまだ行動を共にしていたものの、
二人の間には未だ気まずい空気が流れていた。

ぽたり、ぽたり、と。雨水を溜めた軒先から滴が垂れ、落ちている。
加護の心の底にじくじくとした、暗い、泥のような感情が溜まっている。
471名無し募集中。。。:04/08/08 21:15 ID:2leFbPtX
いつも穏やかな吉澤が、不機嫌であり続けるのは珍しい。
その不機嫌さが、自分の感じた政事の大きさに対する吉澤の気持ちから繋がるものなのか、
加護は理解する努力をできなくもなかったが、
それを理解することは吉澤の自分に対する不機嫌さも理解することになるのではないかと思い、
今の加護には、それを認めることはできなかった。

「よっちゃん……」
しかし、それとはまた別に吉澤を求める心も同時に加護の中にある。
「何」
顔を外に向けたまま、吉澤はぶっきらぼうに答える。
「これからどうする?」
「お前はこれから巡察だろ。自分の隊で好きにすればいいよ」
加護は泣きそうになる気持ちを、ぐっとこらえる。

「ちょっと出かけてくる」
その空気に耐えられなくなったのか、ぶっきらぼうなまま吉澤が言う。
「また東山に行くの?」
しぼり出すような加護の言葉に、吉澤の動きが一瞬止まる。

東山には高台寺、月真院という寺がある。
そしてそこには、壬生娘。を出て行った、あの人がいる。
吉澤が最近、頻繁にそこに出入りしていることを加護は知っていた。
壬生娘。組の規律に照らせば、それはあまり許されることではない。

「あんまり行きすぎると。梨華ちゃんも心配してるよ」
「……。今後の方針は夜に話し合おう」
吉澤は加護と目を合わせぬまま、軒下を出た。

加護はまた、こらえる。
472名無し募集中。。。:04/08/08 21:16 ID:2leFbPtX
「酷いなあ。それって、あたしは安倍さんが居ない間の暇つぶしってこと?」
少しふくよかになった顔を、言葉とは裏腹に嬉しそうにほころばせる。
寝床から上半身だけを起こして話す小川は、腰以外は順調に回復してきているようだった。

「そうだよ?」新垣が答える。
「ひゃー」
「嘘だよ嘘嘘」

二人の会話をにこやかに紺野は見つめる。
小川は、新垣の持ってきたお見舞いの山ほどの羊羹を次々と平らげる。
新垣は小川をからかいながら、笑い、会話を続ける。
小川も長く退屈していたらしく、新垣の話に楽しそうに耳を傾けている。

「さて……と」
そう言いながら、紺野は立ち上がり、横に置いておいた刀を腰に差し直す。
「あれ? もう行くの?」と小川。
「うん。ごめんね。これから午後の巡察とか、色々とやらなくちゃいけない事あるから」
「……ごめんね。あたしとか動けないから」
「あーいいのいいの。麻琴は名誉の負傷なんだから、いいんだよ」
「まあね〜!」何故か新垣が元気よく答える。
「あんたが言うなよ」

「私はもうちょっと麻琴の相手してあげてるよ、暇だから」
「あたしが相手してあげるんでしょ、豆」
「うっわ」
「なんだこのやろう」
473名無し募集中。。。:04/08/08 21:16 ID:2leFbPtX
紺野は二人に見送られながら、そっと部屋を出る。
せっかく来たおとめ組屯所である。
ならばついでにと、紺野には尋ねようと思っていた場所があった。

紺野には、密かに好意を寄せている人間がいた。
とは言え男女の恋愛のような、露骨なものとは違う。
かといって、ただの好きとも少し違う。
うまく言えないが、あえて言うならば、それは憧れに近かった。
新垣が安倍に対して抱いているようなものに近いかとも思う。
その人は今、小川と同じように所司代の一件以来体調を崩し、床に伏せている。

その人は、自分とはまったく違う人だった。
似ているところはたくさんあった。
よく食べる。よく泣く。よく倒れる。
同時期加入した隊士の中で、味噌っかすのような存在であったところも似ている。
しかしその人は、自分とはまったく違う人だった。

「おさむらいさん!」
と、軒伝いに屋敷の中を移動する途中で、紺野は男の声に呼び止められた。
目的の相手が部屋にいなかったので、少し心配になって辺りを探していた最中である。

見るとそれは、紺野が今朝がた突入した小屋に潜んでいた無宿者だった。
以前は六角牢で、わずかな仕事を貰っていたという男である。
後ろに仲間なのか、似たような汚い格好の男をもう一人連れている。
「ああ」

「おかげさんで、ほんとうに助かりました」
部下に言いつけておいた通りに、屯所で雇ってもらうことができたのか。
474名無し募集中。。。:04/08/08 21:20 ID:2leFbPtX
「どうですか、お仕事のほうは」
「ええもう、ほんとうにおかげさんで」
涙を流さんばかりの顔で男は手を握ってくる。
正直、身なりは汚く、臭く、触られて嬉しいものではなかったが、
拒否するわけにもいかず、戸惑いつつもただ男に手を握られるに任せる。

「それで、何か御用ですか?」
あまりに男が長く手を握っているので、紺野はまた言葉に毒を含ませる。
「ええ、ああ! こりゃ、こりゃすいません」
男が手を離し頭を掻くと、大量のふけがぱらぱらと地面に落ちる。

「じつはこいつが」
そう言うと、後ろの似たような男に目を向けた。
「いえ、わたしに仕事をくれたおさむらいさんが、
ほかにも仲間をつれてきていいとおっしゃるんで、
同じところではたらいていたこいつをつれてきてやったんですが。
こいつがぜひ、お礼におさむらいさんのお耳に入れておきたいことがあると。ほれ」
そう言って仲間の尻を叩く。

「へえ」
叩かれたもう一人が、前に出て、おずおずと口を開いた。
紺野は何なのかと、首を傾げてその顔を覗き込む。
「何です?」
「へえ。お侍さん。なんでも最近、六角牢を出て行った連中のことを調べているとか」
「……。はい」
475名無し募集中。。。:04/08/08 21:21 ID:2leFbPtX
大方、屯所の中で早くも聞きつけたのか、
それとも六角牢で働いているうちから噂を聞いていたのか、
恐らくは、よゐこらのことを言っているのだろう。

こういった、町の隅々で暮らす人々の口に戸を立てることはできない。
むしろ、仔細な捜査を必要とする壬生娘。組の職務上においては、
そういったものが貴重な情報源になることも多い。
六角牢の上役が変わったという情報も、先の男から得たものだ。
逆に根も葉もない無意味な噂話に踊らされてしまうこともあるが。

「それであたし、食い物をね。
持っていったり始末したりする仕事を手伝わせていただいてましてね。
牢のお役人さんからね。その余り物を恵んでいただいていたんですよ」
もう一人のほうよりは、言葉も流暢でいくらかの知性も感じられる。
無宿者になる以前は、そういった仕事にでも就いていたのだろうか。

「まあ囚人用の余り物なんですがね、
食いっぱぐれがないなんて、こんなありがたいことは無い。
いや、けっこう豪勢なものも中にはあるんです。
特にお偉いさんが中に入ってると豪勢なものが出る」

はっきり言ってしまえば、
牢屋敷のような末端の役所では、細かな程度の買収は日常茶飯事である。
さすがに裏金のみで釈放といったようなことは滅多にないが、
金のある者ならば、牢役人にいくらか握らせて食事を豪勢なものにしたり、
何か特別な物品を支給してもらうことは日常的にある。

牢の外に有力な支援者がいれば、
その支援者の使いが持ってきた物をそのまま牢の中に通すこともある。
それ自体は、罪状や収監に直接関わるものでない限り、そう珍しいことではない。
476名無し募集中。。。:04/08/08 21:22 ID:2leFbPtX
「えええ、それは珍しいことじゃあないんです。
おこぼれにあずかれるこちらとしちゃあ嬉しいくらいで。
いつもお役人さんが残り物を持ってきて、ほれ、これを始末しておくれと、
あたしたちに渡して、そのまま消えていってくれるんです。
ところがね。その日はお役人さんが、
そのまま触らずに、ごみに始末してしまえ、絶対に食うなと言うんです。
それなりに良い食い物でしたから、
ははあ、これは新しく入ってきた噂の連中のだなと思ってはいたんですが、
しかもこれがまったく手をつけられてない。
さすがにおかしいんで、何でですかい? と、聞いてみたわけです。
そうしたら、そのお役人さんが。これがなんと」

そう言って男は紺野の耳元に近づき、声を潜めた。
「毒が入ってるって言うんですよ」
「……毒?」
「へえ。お役人さんは、ここだけの話だから誰にも言うなよと。
この良い食い物を持ってきた奴は、実は牢の中の連中を殺してやりたいんだぜと。
ただ、中の連中も当然それをわかってて、
どんなに豪勢なもんだろうと、決して口をつけないんだと」

(毒……)
よゐこを六角牢から所司代組屋敷へと強引に移動させた監鳥居組が、
その理由の一つに、命を狙われているということを挙げていた。
それが今、紺野の中で繋がる。あれは本当のことだったのか。
「しかしじゃあ一体、誰が有野と濱口を殺そうと」
まさか。また、紺野の脳裏にあの名前が浮かぶ。

「いえ違いますよ」
しかし男は言った。
「毒を入れられていたのは別の……ええと、阿佐のお侍さんたちのほうですよ。三人の」
「阿佐……の?」
477名無し募集中。。。:04/08/08 21:23 ID:2leFbPtX
藤本は笠を頭に深く被り、雨の中に立っていた。
人もまばらな大通りを、誰にもその存在を際立って感じられることなく、
周りの景色に溶け込んでいる。

しばらくすると、宿屋の中から二人の娘が出てくる。
監鳥居組の二人。
矢口が既に、さくら組の屯所に戻ったことは見届けた後のことだった。

二人はどこかおぼつかない足取りながらも、
傘を差し、ゆっくりと雨の中、歩を進めていく。
藤本は笠の奥でそれを確認すると、すっと動き出した。

二人の後を、そうと気取られぬように追う。
気配を消した藤本は雨の中、景色となり、影となり、
誰にもその存在を気にかけられることすらない。
目には見えても、人々の意識には上らず、記憶に残ることもない。
それは人斬りとして長く生きてきた藤本が自然と身につけた、
言わば野生のようなものである。

大きな通りから、横の細い路地に入る。
二人は周囲のことをあまり気にせず、ただ黙々と先へ進んでいく。

数人の人とすれ違う。
細い路地を抜けると、再びまばらな人が行き交う大きな通りに出る。
また通りを横切って、細い路地に入る。
478名無し募集中。。。:04/08/08 21:24 ID:2leFbPtX
少し行ったところ、別の細い路地と交差するところで、
先を行く二人と藤本の間に、横の路地からすうと人が入った。
傘は差さず、藤本と似たような笠を深く被っている。
腰から伸びる、二本の鞘。

藤本は気にもせず、その士(さむらい)の後ろ側を抜け、
やり過ごそうとする。しかし。
ちょうど、藤本とその姿が重なった時。
ちき、と微かに金属質の音が鳴る。“はばき”と鯉口が擦れた音。

藤本はすばやくその士の背中側から、左足で地面を横に蹴り、右に半歩飛ぶ。
左手は既に腰の『独り舞台』の鯉口を切り、右手は続いて白い刀身を抜きさっている。
がきん、と高い金属音が藤本の目の前で響いた。

士が振り向きざまに薙いだ刀を、藤本が刀の棟で受け止めていた。
笠の奥の口元がにやりと笑った。

「残りの一人か」
少し鼻のつまった、抑揚のない声で藤本が言う。

「あんた、立ち姿いいねえ」
わずかに上げた笠の下から覗いた顔は監鳥居組、里田舞。
「いいよ。気配を消してもすぐ見つかる。臭いで分かるんだよ。人斬りの臭いが」
479名無し募集中。。。:04/08/08 21:25 ID:2leFbPtX
吉澤が雨の中に一歩足を踏み出したとき、
加護はその先の縁側に、
白い着物を纏った一人の少女がたたずんでいるのを見つけた。
少女はつまらなそうに縁側で両足をぶらぶらとさせ、
口をとがらせて恨むように空を見上げている。

「のの……」
加護は少女に呟いた。

「おー! 辻ぃー!」
吉澤もその少女に気がつき、嬉しそうに叫ぶ。
少女も吉澤に気がつき、満面の笑みを浮かべる。
「よっすぃー!」
「もう大丈夫なのかよー!」
「大丈夫だよー! 退屈すぎてさくら組に遊びに来ちゃった」

二人は楽しそうに思いきり抱きつき合い、じゃれあう。
その様子を加護は、少し離れたところで眺めていた。

目の前にするとよく分かる。
このじくじくとする、暗い、泥のような感情の正体が。
その本質は、得体の知れぬ政事の巨大さにも、吉澤の不機嫌さにもなかった。

加護には大嫌いな人間がいた。
その人間が今、加護の目の前にいた。
480名無し募集中。。。:04/08/08 21:29 ID:2leFbPtX
未の刻。
小雨の降る、京都の町中にその男は立っていた。

髪の伸びるに任せた頭には月代などもちろん剃られていないが、
額の上が薄くなってきているために、まるで髷を落とされた落ち武者のように見える。
ぼろと言うほどではないが、とてもきちんとしているとは言えない薄い着物に、
なんとか身を包まれている。
一振りの、鞘に収められた刀を、腰にも差さず手にしている。

男は大通りの中心に立っている。
通りを行くまばらな人々は、やがてその荒い呼吸を繰り返す男の、
目の輝きの普通でなさに気がつき、
なるべく関わりのないよう、避けるようにして端を急ぎ足で行き交っていた。

近くの店の軒下にいた子供が、好奇心に駆られたのか、
なにげなく男に近づいていく。つぶらな瞳で、男を見上げる。

じゃまだ、と男は思った。

近くの店から慌てて女が飛び出してきた。
びしゃりびしゃりと、女の足元で水しぶきが上がる。
女は子供を男のそばから引き離し、抱え込むようにして、
水の溜まっているその場にしゃがんでしまう。
混乱した女は、どうかおゆるしください、おゆるしくださいと男に叫びはじめた。
特に理由もなく。

じゃまだ、と男はまた思う。

女は徐々に声を細め、子供を抱え込むようにしたまま、がたがたと震え出した。
男はぼんやりと、その女を見下ろす。

と。子供を庇うその女の手が、肩のところからぼとりと、水溜りの上に落ちた。
481ねぇ、名乗って:04/08/09 00:51 ID:92EiDwEP
おもしろい!
482ねぇ、名乗って:04/08/10 19:34 ID:AjsGykSx
483名無し募集中。。。:04/08/15 02:12 ID:bh17oplX
484ねぇ、名乗って:04/08/15 22:12 ID:PELX7C+t
こんな小説があったなんて・・・一気読みさせてもらいました
物語の世界にグイグイ引き摺りこまれてしまいました
出来れば最初から読みたかったです・・・
485名無し募集中。。。:04/08/15 23:36 ID:hy8dQlfV
486名無し募集中。。。:04/08/18 23:23 ID:QoGZegal
あいかわらずおもろしいねぇ
487名無し募集中。。。:04/08/18 23:25 ID:QoGZegal
まちがうぇた!!!おもろしい→おもしろい
488名無し募集中。。。:04/08/19 11:03 ID:SjXzSjV4
あややだせこのやろー
489名無し募集中。。。:04/08/19 21:28 ID:XiVQj2O5
>>488
あげるな
490ねぇ、名乗って:04/08/20 12:20 ID:xSdgagAD
作者さん、この小説おいどんのHPで紹介してもよかですか?
いやいや決して怪しかサイトじゃなかとよ。
491名無し募集中。。。:04/08/21 00:15 ID:tVMElbtc
>>490
どっかでこのレス見たことあるなぁ…
492ねぇ、名乗って:04/08/21 05:55 ID:WsEBbVbv
そう言えばあやや姫は放置プレー中だね
493ねぇ、名乗って:04/08/23 12:04 ID:idU5XjJj
最初のころ、黙々と更新する作者に恐怖を覚えたものですw
494ねぇ、名乗って:04/08/23 15:59 ID:idU5XjJj
  _@==@==@==@==@==@==@==@==@==@==@==@==@==@ノ
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             |il |  l└┘| |;;;l;;;|::.. .:. ..          | | : |il l:: |営
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                    〃ノ从ヾヽ,>   
                    ノiVvV从    (ゝ、 
      〃ノハヾヽr         / y/ ヽ     ★ノノヾヽ
      (´▽` ∬」        <_>∞=L__>    ノノ*^ー^)
       /y〃 ヽ         // l ヽヽ      / y/ ヽ 
      <_>∞=Lw_>      .<,_,ノ(⌒))_,)     く_!∞={0ニニ⊃
      // l ヽヽ      。,,,,。     T T     // l ヽヽ
     ( /,_, l_,ヽヽ>     (ё )    〃ノハヾヽ  く_,/_,!_,_U_> 
                 ー+叭冫  @川o・‐・)   〃ノ=ヾヽ 
495ねぇ、名乗って:04/08/23 16:00 ID:idU5XjJj
乙女の看板は脳内で消してくだされ
496ねえ、名乗って:04/08/26 23:19 ID:CvTJuYqU
ホゼン
497名無し募集中。。。:04/08/28 21:00 ID:4RC11nj3
霧のように細かい雨粒を一閃する、横からの鋭い薙ぎ打ちだった。
打ち込みの速さはあの石川を凌ぐ、と藤本は感じた。

目の前に立つ里田に、あの色の黒い女――おとめ組副長の姿が重なったのは偶然ではない。
同門か、或いは共通する体術を基幹としているのか、剣筋がよく似ている。
以前、監鳥居組と石川には関わりがあったというから、
或いはそこに由来するのか。

石川のように躍動的な、体全体を使った鞭のごときしなりこそ少ないが、
長い手足から繰り出される剣撃の間合いは広く、鋭い。
単純な身体能力だけならば、恐らく石川を上回るだろう。

藤本は雨にぬかるんでゆるくなった土の上を、意識的に大きく歩幅をとる。
「そうだ。あたしには気をつけたほうがいい」
里田は嬉しそうに言う。

思えば、所司代組屋敷において藤本が嗅ぎ取った血の臭いにいち早く呼応したのも里田である。
木村、斉藤が動くより前に、一人だけが迅速に動き出した。

里田の肩口の先、雨の向こう、
小路の奥にその監鳥居組の二人が姿を消していく。
「気になるかい?」
「仲間を逃がすか」
「はっ」
里田は笑った。
「関係ないね。あんな連中」
498名無し募集中。。。:04/08/28 21:00 ID:4RC11nj3
「あんたらのせいで、することがなくなっちまったから、
気まぐれにあいつらでも斬ってやろうかと思ってたんだけどさ」
藤本は瞬時に意味を理解した。
「お前も旧監鳥居側だったか」
「元に戻っただけよ」

里田が鋭く上段を打ち込む。藤本は体捌きで横に躱す。
着物の裾からすらりと長い里田の足が覗く。
一見すると鳥のように細いが、
それが鍛えぬかれた強靭な筋の束であることが藤本の目にはわかる。

「でも、もうどうでもよくなっちまった。あんたみたいなのと斬り合えるならね」
里田はまた嬉しそうに目を剥き、口を開け笑う。
所司代組屋敷において、木村の下で淡々と報告をしていた時とは明らかに様子が違う。
瞳に恍惚の色が浮かんでいた。

里田は藤本の右の腕にめがけて上から振り下ろす。
藤本は摺り足で半歩左に体を躱し、刀で受ける。
金属と金属が弾きあう音も消えぬうちに里田は刀を切り返し、
反対の左腕から左胸にめがけて再び振り下ろす。
藤本も再び摺り足で半歩右に体を躱し、刀で弾く。
すかさずそのまま藤本の頭上に切っ先が伸びる。それをまた刀で受ける。

速さに圧される。
藤本の摺り足に押し出された足元の水が左右に散り立ち上がり、
両脇の家屋の湿った壁を更に濡らす。

「足りないんだよ。あいつらじゃあね」
499名無し募集中。。。:04/08/28 21:01 ID:4RC11nj3
四度の打ち込みで、主導権は完全に里田に握られていた。

一撃目、すれ違いざま振り返った勢いの横薙ぎに藤本は瞬時の抜刀で応えた。
二撃目の上段、藤本は里田の長い手足から繰り出される思った以上の切っ先の伸びに、
下がる歩幅の修正を余儀なくされ、返しの一撃を放つ体勢を保つことが出来なかった。

三撃目、間合いを見切った藤本は、
自分の右腕にめがけて振り下ろされてきたそれを半歩横に躱し、
そのまま横向きで、空振りした眼下の里田の、
布製の手甲に覆われた小手を両共々斬り落とす心づもりだった。

だが、横に躱したはずの切っ先が傍でさらに伸びてくる。
里田の間合いを一度は見切り、歩幅を大きめに修正していたにも関わらずである。
軌道を変え、腕から胸にめがけて里田の剣が切り込んでくる。
藤本は咄嗟に、反撃を窺って前めに構えていた柄頭をぐっと懐に引き寄せ、手元で受けた。
その瞬間、藤本の反撃の機会は失われた。

里田は瞬く間に刀を切り返し、
反対の藤本の左腕から左胸にめがけて再び振り下ろす。四撃目。
藤本は成す術なく摺り足で後退し、刀で受ける。

手元から更に伸びてくる切先と、反撃の隙を与えない切り返し。
恐るべき身体能力である。
里田は、にかりと口を開けて言った。
「さて、あんたはどうかな」
500名無し募集中。。。:04/08/28 21:02 ID:4RC11nj3
「ホラ! ソラ!」
子供が鞠を弄ぶように、里田は藤本の体を右へ左へと振り続ける。
主導権を握られた藤本は後手後手に回り、
その長い手足から繰り出される連撃をただ受け続けるしかない。

しかし、藤本に焦りは無かった。
いいように体を振られながらも感じていたのである。
この女の剣は速い。だが、体を斬り裂こうとしてこない。
間合いの伸びに比して、思ったほど剣が内に斬り込んでこない。

まるで、斬ることを目的とせず、
ただ刀が相手の体に触れさえすれば勝ちと言わんばかりの軽い打ち込み。
それに近いものを藤本は知っていた。
――竹刀による打ち込み。
藤本にとっては壬生娘。に入り、仕合の剣を交じあわせることでよく知ることになった剣である。
泰平の世の中で様式化し、実戦性を失いつつあった剣の、もう一つの道であった。

泰平の世は剣術にとって革命の時代であった。
実戦の場を失いつつも武士のたしなみ、
有様としてその存在意義を求められ続けてきた剣術は、
自ずと実戦とはかけ離れた部分での様式化が進み、
見た目の華麗さ、あるいは形式、精神論などが大きく幅をきかせるようになった。

当然、そういった傾向に反発する声、考え方も剣術家の中には多くあり、
それらは頑なに実戦を意識した厳しい鍛錬を是とし、
刃を潰した真剣や木刀による激しい打ち込みによる鍛錬を続けた。

しかし自然、そのような鍛錬には大きな怪我や死人が絶えず、
それはいかにも泰平の世に人々が求めるものにはそぐわない。

様式か実戦か。
そのせめぎあいが続く中、竹刀は剣術の歴史に登場した。
501名無し募集中。。。:04/08/28 21:03 ID:4RC11nj3
四つ割りと呼ばれた。
その竹の切り出し四本を筒状に束ねた刀は軽く、危険も低く、
専用の防具と共に、瞬く間に剣術道場に広がっていった。
実戦性を重んじる欲求と、怪我を避けたい心情を、
竹刀の登場は同時に満たしたのである。

だが竹刀と防具の登場は、怪我、死人を大幅に減らしたが、
同時に「斬る」よりも「打つ」という、斬り込みの軽さという弊害をもたらした。
剣術の潜在的な競技化である。遊戯化と揶揄されることもあった。

無論、見た目の華麗な技ばかりに囚われ、
型の修得にばかり傾いていた時の鍛錬法が、
竹刀の導入によって再び実戦的な方向へ揺り戻したことであるとか、
誰も常日頃から真剣での斬り合いと変わることなく打ち込むことを各々心がけるとか、
竹刀と防具の使用による功罪について議論はあったが、
何は無くとも当てる技術の優れた者が優勢となる仕組みと、
しょせん死と隣り合わせではないという抗いがたい根底の心持ちは、
自ずと「斬るべし」といった作為的な精神論を駆逐し、
町道場の隆盛と共に広がる剣術の指南は、実戦の斬り合いとは確かに質を変えていった。
実戦でも形式でもない、第三の剣である。

里田の打ち込みは、そういったものを連想させた。
「ハアッ! ハアーッ!」
それを自ら証明するかのように、里田はまるで遊戯のように、嬉しそうに、
軽い剣で藤本をつつきまわし、楽しんでいるように見えた。
502名無し募集中。。。:04/08/28 21:03 ID:4RC11nj3
雨粒は霧のように細かくなっていた。
さああと音無き音がおとめ組屯所全体を包み込む。
ぽたり、と、軒から滴が垂れた。

「阿佐……の?」
「へえ」
紺野の呟きに男が答える。

(……阿佐?)
紺野の思考が混乱する。
命を狙われていたのはよゐこのほうではなく、阿佐藩士だったというのか。
よく分からない。あの阿佐藩士たちが一体何を。

「あさ美ちゃん」
とその時、後ろから声を掛けられる。
振り向くとそこに、傘を差した新垣が立っていた。
「巡察まだいいの?」
「あ、……うん」
もう、小川のところから帰るところらしい。
用事があると言って出て行ったはずの紺野が、
まだここにいるのが不思議といった様子だった。

「あっ」
紺野は横目で、まだ男たちがいることに気がつく。
「じゃあ、大方のことは分かりました。後はこちらで何とかしておきますから。
また聞くことがあるかもしれませんけど、ありがとう」
「は、へえ……」
紺野が微妙な笑顔で微笑みかけると、
男たちは不審ながらも場の空気を察したのか、そのまま仕事場に戻っていった。
503名無し募集中。。。:04/08/28 21:05 ID:4RC11nj3
「どうしたの?」
新垣が首を傾げる。
「ううん。ちょっとね、あの人たちに仕事を頼んでいたんだけど、
屯所の建てつけが悪いところがあるって、わざわざ教えに来てくれたの」
「……ふうん」
新垣は分かったような分からなかったような顔で、男たちが去っていった方向を見つめる。

咄嗟に隠してしまった。
まだ何の確証も得られたことではないから、新垣に話すには早いと思ったからだ。
それに、矢口のことがまだ引っ掛かる。
たとえ些細なことであれ、仲間内でいたづらに疑心を広めたくはない。
「どうかした?」
「ううん?」

細かい雨粒の降る、暗い空を眺めたままの紺野を心配したのか、新垣が言う。
「……そういえばさ。カラはまだあるの?」
「何?」
「カラだよカラ〜。前に言ってたじゃん。こう、さ」
新垣は空に向かって、そこに目には見えない何かがあるように、その表面を手で触る。
「ああ……」
そう言えば以前、新垣には話したことがあった。
普段とぼけている割に、妙なことはよく覚えているのだ。この子は。
目の前にある、ぼやけた膜のように漠然と、自分と外を隔てているもの。
それは殻のように堅い。

「里沙ちゃんはどうなの?」
たしかその話をしたとき、新垣も何かに悩んでいたはずだ。
よゐこの捕り物にしくじった時だったか。
「うん、まあ。ぼちぼち」
「そう」
暗い空を見上げる。紺野の目の前に、それはまだある。
504名無し募集中。。。:04/08/28 21:06 ID:4RC11nj3
里田の剣は軽い。
打ち込みは確かに速く、反撃の隙こそ見つけることはできないが、
死を感じさせる殺気のこもった剣はない。
竹刀のように軽く、稽古のように単調な里田の剣は、
ただ受け続けるだけならば藤本にとって、そう難しいことではなかった。

しかしそれとは別にまた、藤本は少しずつ、
得体の知れない予感に自分が包まれていくのを感じていた。
何かが辺りを覆っていく。真綿で首を絞めていくかのように、徐々に。
正体は分からないが確かに何かがある。そんな予感がしていた。

「わかるかい? この世に人より強い生きものはない」
里田が脈絡の無い問いかけをする。
突き。
速い。
軽い分、剣の引きも速い。
避ける藤本の足元で、ぬかるんだ地面からしぶきが上がる。
里田が恍惚とした表情でにかりと口を開ける。
「あたしだ」

藤本は少しずつ、着物の裾がしぶきに濡れて、足運びが重くなっていくのを感じていた。
(わざとか?)
疑いが生じる。
もしや、わざと避けられるぎりぎりの間合いを取らせている?
里田の剣が右に振られる。藤本は左に避ける。

再びしぶきが上がり、金属と金属が弾けあう音が響く。
左に振られる。右に避ける。
藤本の胸の鼓動が速くなっていく。
505名無し募集中。。。:04/08/28 21:07 ID:4RC11nj3
気がつけば里田の足元はほとんど乱れていなかった。
いつの間にか、里田はその位置のままに、藤本だけが左右に激しく動かされている。
徐々に、呼吸が大きくなっていく。
藤本は鋭い眼光を里田に向ける。

「恐い。恐いねえ〜。野生の獣は恐い。
けどね、どんなに狂暴な獣だろうと、最後には人に狩られる。何故だか分かる?」
また、里田が脈絡の無い問いかけをする。

揺さぶられている。
自分の動きは最小限に、相手だけを大きく振り回す。
そういった技術的思想は吉澤の操る柔術にも通ずる。

胸が早打つ藤本をいらつかせるように、
里田の剣先が小刻みにゆらゆらと揺れている。
「獣には爪と牙がある。けどね……ハァー!」

不用意な一撃だった。
里田の切っ先が右の小手を狙う。
藤本は手を引く。
踏み込んだ里田の裾から覗くすらりとした足に、筋が浮かび上がる。
空振りした刀を強引に上に切り返してくる。
藤本は半歩下がりそれを刀で受け、腰から体ごと押し返す。
体勢の悪い里田の体が上向きに後ろに下がり、僅かに泳ぐ。
強引すぎた。
はじめて里田が見せた隙らしい隙だった。

藤本は迷わず前に出、里田の泳いだ上体に突きを構えようとする。しかし。
よろけた里田の目の前にある水溜りに踏み出した瞬間、左足を激痛が襲った。
506名無し募集中。。。:04/08/28 21:11 ID:4RC11nj3
それまで里田の足元にあったそれは、
ずっとそこにあったがゆえに、藤本に警戒を怠らせた。
思えば里田は、その水溜りに一度たりとも足を踏み入れていなかったかもしれない。

しかし気づいた時には既に遅かった。
五寸釘ほどの太さの棘を縦横に突き出した拳にも満たない大きさのそれは、
藤本の足の裏から甲を貫き、凶悪な刃(やいば)を天に向け、水面から覗かせていた。

(菱(ひし)か)
激痛に痺れる自分の左足が、
踏みとどまる力を持てず横に滑っていくのを感じながら藤本は思った。
里田はあらかじめ、自らの足元の水溜りの中に、
その凶悪な刃をひそませていたのである。

「人には技と、知恵がある」
霧のように細かい雨粒の降りしきる中。
既に返しの突きを構えた里田が、にかりと口を開いた。

里田は、あらかじめ足元に仕込んでいた菱を完璧な足捌きで隠し通し、
完璧な状況で藤本に踏み込ませたのである。

水溜りはくるぶしも埋まらない程度の深さだった。
しかし、里田にさんざ振り回され、足に疲労を蓄積させ、息を乱し、
更にはしぶきに裾を濡らし重く鈍らせた藤本の体勢を崩すには、
十分すぎるほどのぬかるみと、そして痛みだった。

崩れる体勢を戻せない。
足の痛みと疲労だけではない。
単調な横への揺さぶりに体が慣らされ、一種の「酔い」をも生み出していたのである。

一瞬解かれた警戒、意に反して流される体。
二重三重に掛けられた、戦術の罠だった。
507名無し募集中。。。:04/08/28 21:13 ID:4RC11nj3
それは、藤本の斬り合ってきた幾多の剣とは、全く異質の剣だった。

防具と竹刀の導入は、
怪我と死人を大幅に減らすかわりに斬撃の軽さを確かにもたらしはしたが、
同時に、打ち合いの多様な変化を剣術にもたらした。
それはそれまでの実戦第一主義に多く見られた、
命を賭けた一撃必殺のような斬り合いとは全く異質の、
より精緻な、詰め将棋の如く論理的な技術体系だった。

一見何のかかわりも持たないような初期の一手が、最終局面で重要な役割を果たす。
兵法においては古代から普遍的に存在する価値観ではあったが、
現実の一対一の斬り合いの中では一撃の強力さが何よりも優位であり、
数回の斬り合いによって負傷、或いは生き死にが決定するような状況では、
精密な戦略性などは絵に描いた餅であることが殆どであった。

だが、竹刀の導入により死の危険から遠ざけられ、
剣術の鍛錬が打ち合いの技術向上に特化されていく過程で、
その技術体系はより精緻さを高め、幅を広げ、
実戦に帰納されるまでに洗練されていった。

無論、そもそも里田の並外れた打ち込みの技術と、
実戦への応用力が無ければ成せぬ技ではあった。

あたかも優れた職人の拵(こしらえ)が、
髪の毛の一本も入る隙間無く、かちり、とはまるように。

揺さぶりに慣らされた体、引く間合いの長さ。
藤本の足運びの癖、疲労、警戒の解かれる瞬間。
全てが計算し尽くされていた。
508名無し募集中。。。:04/08/28 21:14 ID:4RC11nj3
それは恐らくはじめての、殺気のこもった剣だった。
「ケヤァー!」
藤本の眼前に重い突きが迫る。
痛みの走る左足はぬかるみに取られるまま横に滑り、
藤本の上体は里田の切っ先に向かって傾くことを止めない。
足の甲から血が噴き出し、泥に濁った水溜りの中に混じっていく。

ふっ。
しかし。藤本は鋭い呼気を放つとともに足を止めることを放棄し、
そこから逆に上体を、迫り来る剣に向かって更に突き出した。
意外な行動に里田の動きが一瞬鈍る。

鈍った刀が藤本の顔面を突ききる直前、
藤本は自らの顎にかかった笠の紐に手を触れ、紙一重で頭を下げる。
切っ先が額の髪の生え際をかすり、ちっと微かな音を立てる。
だが藤本は全く表情を変えず、そのままぬかるんだ地面に片手をつき、
躊躇することなく自らの体を前に転がした。
剣の常識では考えられない行動だった。
里田の突きが、主を失った藤本の笠を貫く。

逆さに背を向ける藤本の全体重はそのまま里田の足元を巻き込み、引き倒した。
二人の体がぬかるんだ地面の水を勢いよく跳ね上げ、二人は泥にまみれる。
「くあっ!」
動転する里田をそのままに、藤本は転がった勢いですぐさま一人立ち上がり、
下段から里田の顎に向かって切っ先をすくい上げる。
「ひっ!」
里田は腰を落としたまま、すんでのところで上体を引き、躱す。

里田の笠が刀にすくい上げられ、雨の空に飛ぶ。

藤本は力を入れた勢いで血の流れ出る左足に少しも表情を変えることなく、
間髪入れず眼下の里田にめがけて刀を上段から振り下ろした。
509名無し募集中。。。:04/08/28 21:15 ID:4RC11nj3
きいん。と、硬質の金属同士が弾きあう音が響く。
「人斬り……」
低い体勢のまま里田は呟く。
地面につかっていた腰は既に浮き上がり、
素早くたたみ込まれた長い足はいつでも立ち上がれる体勢に戻っている。
ふ、ふ、ふ、と笑い声が漏れる。
堪えようにも堪えきれない。そんな笑いだった。

地面に転がる里田の刀が、貫いた笠と共に雨に打たれている。
「……いい」
里田の額から、つうと一筋の血が流れ落ちた。
藤本の上段からの振り下ろしは、額を割りきる寸前で里田の右手甲によって止められていた。

からん、と手甲が割れ、地面に落ちると同時に里田の右手首から血が噴出す。
「くっ」
顔を苦痛にゆがめ、後ずさる。だが、
「いいよあんた! 考えられない! やっぱり聞いていた通り、生まれながらの人斬りだ!」
まるで斬られたことが喜ばしいことであるかのように里田が叫ぶ。

しかし興奮する里田とは対象的に、藤本の瞳は驚愕に大きく開かれていた。
柄に残る、この、手甲の感触。そして藤本の上段を受けきった瞬時の踏み込み。

たとえどんなに堅い手甲であろうと、渾身の上段を正面から簡単に受けきれるものではない。
止めるには、斬るための最高の点を外し、力を受け流すための前への踏み込みが必要なのだ。
この動きに、覚えがあった。

おぼろげな意識の中でも、藤本の心に深く刻み込まれたあの時の。
“あれ”と似ていた。
全身が雷に打たれたように痺れる。

「貴様……能面か!」
藤本は叫んだ。
510名無し募集中。。。:04/08/28 21:15 ID:4RC11nj3
「おじさ〜ん」
明るい声と共に、ばしゃばしゃと雨の中を走る音がする。
「あ、紺野さ〜ん。塾長〜」
その声は紺野と新垣の姿を見つけると、笑顔で近づいてきた。
田中れいなだった。

「あ……」
新垣が気まずそうに黙り込む。
「傷はもういいの?」
遠慮がちに紺野が訊く。
詳しい状況は聞いていないが、
田中の怪我が矢口によって斬られたものだということは伝え聞いている。

「はい! もう大丈夫です!
それよりお二人揃ってどうしたんですか? おとめの屯所で」
「うん、麻琴の見舞いにね。田中ちゃんこそ、どうしたの?」
「おじさんにちょっと用事あったんですよ〜」
「おじさんたちなら、あっちに行ったよ」
「あ、ありがとうございま〜す!」

「……なんか。変わったね、あの子」
裾を持ち上げ、ばしゃばしゃとしぶきを上げながら走り去っていく田中を見て、
紺野が呟く。
あの日以来の田中は、確かに以前の田中とは違っていた。
「うん……」
511名無し募集中。。。:04/08/28 21:17 ID:4RC11nj3
「どうかした?」
田中を見つめる新垣の横顔が、どこか不安げに見えた。
「ううん」
新垣は首を振り、ぽそりと呟く。
「みんな少しずつ、変わっていくんだね」
「うん? まあ、麻琴もなんか、変わったしねえ」
「あれは、ねえ……」

「……里沙。どうかした?」
「ううん」

とその時、屯所の門から一人の平隊士が飛び込んできた。
「大変だ!」
全力で走ってきたらしい。傘も差さず、全身が雨に濡れて乱れている。

「どうしました?」
「あ! 紺野先生、新垣先生! ひ、人斬りです!」
「どこ!」
新垣が鋭く反応した。

「鴨川のほう、御池通りの近くです!」
「浪人同士のいざこざですか?」
「いえそれが! と、とにかく来てください!」
「わかった! 案内しろ!」
新垣が叫ぶ。
「こっちです!」

紺野と新垣の二人は、平隊士の後を追って雨の中を走り出した。
512名無し募集中。。。:04/08/28 21:17 ID:4RC11nj3
「へえ……」
膝を地面についたまま、里田が驚いた顔を見せる。
それまで少しも表情を変えなかった藤本が、突然感情を露わにしたのが意外だったらしい。
二人共に、ぬかるんだ地面を転げまわったために全身が濡れ、泥にまみれている。

「答えろ!」
「さあな。あたしを斬ったら答えてやるよ。もっとも――」
里田はよろけ、後ずさりながらにかりと口を開く。
「斬ったら答えられないけどね。あーっはっはっはっは!」
額と、右の手首から流れ出る血は止まっていない。

「すごいよあんた。……美しい!
人を殺すためだけの技。人を殺すためだけの人間。聞いていた通りだ!」
恍惚とした表情で里田が叫ぶ。
端から泡を飛ばさんばかりに口を開く。

もはや、口で訊いても答えはしまい。
そう思った藤本は、素手の里田に向かってすうと『独り舞台』を平正眼に構えた。
無論、このまま殺すつもりは無い。
しかし本気の殺気を込めた、脅しの突きの構えである。
あれだけの奇策を弄してきた相手である。まだ何か隠し持っていないとも限らない。

「いい刀だ。まさかあたしの手甲を割るとはね。
一度くらい、あたしも振ってみたいもんだよ」
そんな藤本の心中を見透かしているのか否か、
里田はまるで命を諦めているかのように、余裕の笑みでそれを見つめる。

手甲を割っても刃こぼれひとつしていない『独り舞台』の切っ先が、
まっすぐと里田の眉間に向く。
二人の視線が合う。里田の顔から、表情が消える。

「ああ、あんた。いつかその刀に喰われるかもね」
513名無し募集中。。。:04/08/28 21:18 ID:4RC11nj3
里田がそう言った矢先である。
近くで叫び声が上がった。

一人や二人ではない。
何軒かの家を挟んだ先で、怒号の如く多くの叫び声が上がった。
「逃げろぉー!」
「た、助けて!」
「誰かー!!」
「何だ!?」
「いいから逃げろ! 殺されるぞ!」

それから間も無く。泣き叫び、走る人の群れが藤本たちのすぐ横の小路に現れた。
女、男、子供、老人。みな、わき目も振らず、背後の何かに恐怖し、逃げていた。
地面の水が勢いよく跳ね上がる。足をとられて転ぶ者もいる。

様子から見ても藤本たちのことではない。
彼らはもっと、何らかの巨大な恐怖から逃げている。
それは大火に逃げ惑う人々の姿にも似ていた。

その隙をついて里田が素早く、藤本の笠を貫いたまま地面に落ちていた自らの刀を取り、
躊躇わず投げつけてきた。
そのあまりに無造作な攻撃を藤本は刀で弾き返す。
霧雨に打たれた笠が、一瞬奇妙な動きで藤本の視界を遮る。

笠が地面に落ちたとき、里田の姿はその場から消えていた。
「ちぃ!」
藤本は消えた後を追い、小路の交わるところに出る。
しかし、大通りの方向から逃げ来る人の群れが、完全に里田の気配を消していた。
514名無し募集中。。。:04/08/28 21:19 ID:4RC11nj3
立ち止まった左足に、忘れていた痛みが蘇る。
どく、どくと脈を打ち、足の甲から泥水の中に赤い血を溢れ出さしている。
鋭い刃が、足の甲から頭を覗かせていた。

「く……」
突き刺さった菱をそのままに、藤本は足を引きずりながら里田の姿を群れの中に探す。
群れの流れに逆らって人影を追う。
足がもつれ、迫る人の群れにことごとくぶつかる。

体を反転させ、群れの流れに合わせて姿のいい女の影を探す。しかし、いない。
足に蓄積した疲労と、雨を含んだ着物の重みと、痛みが、藤本をよろけさせる。

「祭りの日は近い」
不意に、群れの中から低い声が響く。
はっと辺りを見回す。だが里田の姿は無い。
群れのどこから発せられたか分からない。
逃げ惑う人々の叫びに反して、藤本の耳にだけその声は響く。
「また会おう。人斬り」
そう言って声は途絶えた。
(……祭り?)

人々の声が遠くに聞こえる。
彼らが叫び逃げ惑う中、藤本はただ一人、里田と斬り合った場所に戻り、その場に立っていた。
一本の刀と、二つの笠と、割られた手甲の欠片が、ぬかるんだ土の上で雨に打たれていた。
藤本の手にある『独り舞台』から、つうと雨の滴が流れ、
切っ先からぽたりと落ちる。

――人斬り。
そう呼ばれたのは、いつの日以来か。
霧のように細かい雨粒が降りしきる中、藤本は独り、その場に立ち尽くしていた。
515名無し募集中。。。:04/08/28 21:26 ID:4RC11nj3
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紹介に関してですが、ご自由にどうぞ。
一応、名称等の権利的なこととか、本文中の誤った知識による被害等にはお気をつけください。
他の方々も、AAなんかまで作っていただいてありがとうございます。
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516ねぇ、名乗って:04/08/29 00:52 ID:AntZRnJM
更新キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!

胸が苦しくなるような展開・・・さすがです
517ねぇ、名乗って:04/08/29 00:52 ID:+W/5eslv
更新お疲れ様
やっぱかっけー
518名無し募集中。。。:04/08/29 15:50 ID:zvJgxo9k
すばらしい!
519ねぇ、名乗って:04/08/30 01:40 ID:Unp4FbI6
里田の嬉々とした表情が目に浮かびます
520マンガ化マダ-?:04/08/30 02:42 ID:mYqu20zP
「祭り」ってベルセルクの触みたいなものかな…(((゚Д゚;)))
人斬りvs人斬り対決は果たして実現するのか!?
高橋の出番は第三部内にあるのか!?
作者はいったい何歳で職業は何なのか!?
気になって眠れないぜ(*´ー`)y━・~~
521ねぇ、名乗って:04/09/02 14:01 ID:zZXEh9kQ
寝ろ
522ねぇ、名乗って:04/09/03 12:31 ID:rofrS7ob
>>497
打ち込みの速さはあの石川を凌ぐ、と藤本は感じた。
とあるけれども、藤本は石川の剣術を見たことがないのでは?
実は道場で稽古している石川をコソーリ覗いてたとか |゚д゚)…
523ねぇ、名乗って:04/09/06 02:07 ID:9LAD0P9z
>>522
確かに文中には無いけど、さくら組の吉澤はともかく同じ乙女組なんだから
こっそりでなくても亀井と田中の時みたいに稽古を観かける事はあるだろうし、
これまでの任務の中で一緒に戦った事があるんじゃないかと思うよ
勝手な想像だけどね
524ねぇ、名乗って:04/09/06 02:21 ID:9LAD0P9z
>>523
改めて読み返してたら吉澤だけじゃなくてガキさんもだった…
525ねぇ、名乗って:04/09/09 02:51 ID:c8gTShnL
タダヒタスラニホゼン
526名無し募集中。。。 :04/09/10 00:45 ID:e2j9ID/o
お、お、面白ーい
527名無し募集中。。。:04/09/12 21:01:46 ID:FUSzwJmp
その凶行が何者によるものであるか。紺野には一目でわかった。

隊士に案内された紺野と新垣の二人は、鴨川のほとりに立っていた。
雨で水かさを増した川の流れから離れた堤防の脇に次々と遺体が運び込まれている。
その数は十を超えようとしていた。

「これ……は」
隣の新垣が呆然とその光景を眺めている。
遺体が整然と、一定の隙間を保って並べられていく。
横たえられた半数以上には“むしろ”が足らず、雨にさらされたままになっている。
男、女、老人、子供。無差別である。
「一体何があったんだ? 賊は何人いたんだ?」
「それが」
近くで借りてきたのであろう傘を二人の上に差していた隊士が、戸惑いながら答えた。
「傍にいた町人たちの話によると、……斬ったのは一人の浪人者だそうで」
「ひとり!?」
「巡察中だった道重さんのおとめ組二番隊が後を追っているようですが」

紺野は焦点の定まらぬ視線を地面に落とし、
誰にも聞こえないほどの小さな声を口から漏らした。
「人斬り、丑三」
これは紛うかたなく、あの夜のけだもののものだ。

虐殺であった。
そこには、目的や意志など一切が感じられなかった。
どれもが一太刀で終わっていない。遺体は狂った刃に何度も切り刻まれている。
まるで素人が慣れない刀をもてあまし、
人の命の絶ち方も知らずにただ振り回した後のようにも見えた。

元がなにであったかもよく分からない血に固められた肉塊が、
石ころのように転がっている。
主の分からぬ手や脚が一ヶ所にまとめられ、積み上げられていた。
528名無し募集中。。。:04/09/12 21:02:47 ID:FUSzwJmp
紺野は雨ざらしの遺体の一つに近寄った。
恐らくは母なのであろう。女の遺体が小さい子を庇うように抱きかかえていた。
「むごい」と新垣がこぼした。

女は片方の腕を肩口から切り落とされていた。
その他にも顔と、首と、肩と、脚と、いたるところに叩いたような無残な斬り傷がある。
正直、並の人間ならば正視に耐えられる状態ではない。
やはり、と紺野は思う。
斬り口から見ても、腕は決して悪くないのだ。
にもかかわらず、何度も何度も体に刀を叩きつけるように斬っている。
なるべく無駄なく斬ろうという意志がない。
命というものに対する、畏怖のようなものが感じられない。
女には、背中にも斬り傷が無数にあった。恐らく逃げる背中を何度も斬りつけられたのだ。

まだ固まっていない血が雨に流され、鴨川へ向かう小さな水の流れに混じっていく。
この雨と、広い河原のおかげで辺りに血の臭いがこもることは無かった。
幸いにも、と言うべきか。庇うように抱かれた子供のほうは、一太刀で息絶えていた。

新垣がおもむろに隊の黒い羽織を脱ぐと、母子の遺体の上に被せた。
まだ遺体を検分していた紺野は視界を遮られて「あ」と口を開ける。
すると突然、後ろから新垣を勢いよく押す者があった。新垣がよろめき手をつく。

「さわるんやない」
見ると、それはいくらか年を重ねた男だった。
男は濡れるのも構わずその場に膝をつき、新垣の掛けた羽織を剥がして投げ捨てると、
二人の亡骸に覆い被さるようにして嗚咽を漏らしはじめた。

おそらくは身内なのであろう。
男は肉に指が食い込むほどに遺体を強く抱きしめ、
頬に血と泥がつくのも構わず地面に伏せ、泣き叫んだ。
「なんだ貴様」と、無礼に怒った平隊士が男に掴みかかろうとしたが、
新垣はそれを制し、苦しげに首を横に振った。
529名無し募集中。。。:04/09/12 21:03:24 ID:FUSzwJmp
凶行は、ここからすぐ先に見える御池橋から西側に一本入った、
南北に走る通りで起こったという。
紺野と新垣は男をそのままに、その場所へと向かった。
新垣は、拾いなおした羽織を着なかった。

途中、同じく走ってやってきた安倍、矢口、吉澤、加護、辻と出会い、合流した。
「こりゃ……ひでえ」と吉澤が真顔で言った。
「みんな、なんの関係もない人達だったんですよね」信じられないという風に加護が尋ねた。
「許せない……」辻が下唇を噛んだ。
辻の黒い羽織の下が白い着物のままだったので、
もう大丈夫なのかと紺野は尋ねたが、辻は大丈夫、とだけ、下唇を噛んだまま答えた。

通りは紺野もよく見知った、両側に店屋の立ち並ぶ賑やかな場所であった。
橋の近くということもあって普段の晴れた日には人の通りの多いところだが、
今は突然の凶行に騒然とし、あちこちに傷の手当てを受ける者や、
それを見る野次馬の人だかりができている。

紺野たちが通りに入ると、一人の若い、眼鏡をかけた女が通りの中心に立っていた。
「村田か」
矢口が名を呼ぶと、女は作ったような笑顔をこちらに向けた。

見廻組の村田めぐみだった。
他にも傍に、与頭の斉藤瞳、そして大谷雅恵、柴田あゆみ。
幕府直参の優秀な娘だけで結成された、
『京都見廻女崙(めろん)組』の幹部がそこに揃っていた。

――京都見廻女崙組。
壬生娘。組と同様、洛中の混乱を受けて結成された、京都治安維持のための組織である。
結成は壬生娘。組より遅い。

ただし壬生娘。組と異なるのは、それが浪人の集まりではなく、
あらかじめ身分のある旗本の子弟で構成されているという点にあった。
530名無し募集中。。。:04/09/12 21:04:08 ID:FUSzwJmp
壬生娘。組が当初、一介の浪人集団を会府藩が雇い入れた形であったのに対し、
見廻組は幕府みずから旗本や御家人より隊士を募り、身内で人員を固めた、
いわば幕府による幕府のための、幕府直属の壬生娘。組を意図するものであった。
そのため、与えられた身分は壬生娘。組より高く、幕府の扱いも実績に比べ格段に違う。
また、京都所司代と同様に任務が壬生娘。組と同質であるため、
平隊士同士の縄張り争い的な衝突は絶えることが無く、
特に身分のある見廻組隊士は浪士出身の壬生娘。組隊士を見下す傾向が強かったが、
上の幹部同士の交流はそこそこ厚く、幸いにもこれまで深刻な対立に至ったことは無い。

「やあやあ、幕府直参になられた壬生娘。の方々」
村田は歌舞伎役者のような大仰な言い回しで言う。
不思議とこの娘の語り口は、それが嫌味なのか、他意の無い言葉なのか測りかねる。
「邪魔だったかな」と斉藤瞳。
「いや。遅れて悪かった」
安倍が言うと、矢口が平静に続けた。
「悪いが、ここからはうちが取り仕切る。もう結構だ」
「貴様、召し上げられたからといって図に乗るな」
鋭い目をした大谷が、怒りを露わにずいと前に出る。
「やめろ」
斉藤が手を横に出し制止する。
「いやいいの。ここは我らの管轄ではないからお譲りする。
所司代の事件を仕切ったお手並み、拝見させてもらいましょう」

これもまた言葉だけ取れば、件を利用して所司代と幕臣の身分を手に入れた、
壬生娘。組への皮肉にしか取れないのだが、
村田の口から発せられるとあまりいやらしく聞こえてこない。
本音がどこにあるか掴みがたいからだろうか。

「与頭」
見廻組の隊士が、群衆の中から一人の男を斉藤の前に連れてきた。
「この者が、事の一部始終を見ていたそうです」
丸眼鏡をかけた恰幅のいいその男は、めざまし屋の軽兵衛(かるべえ)と名乗った。
531名無し募集中。。。:04/09/12 21:07:09 ID:FUSzwJmp
雨の中立ち話もどうかということで、
紺野たちは女崙組と共に、そのまま軽兵衛の案内で近くの茶屋の軒先を借りた。

「私、そこのめざまし屋で番頭をさせてもらっております。
ええ、流行の御品から芸妓の噂話まで幅広く取り揃えているよろず屋でございまして、
明日のお天道様の具合なんかも予想させてもらっています。
会府藩の皆様にも、いろいろとご贔屓にしていただいているんですよ」

「めざまし屋? そう言えば最近、会府の客には冷たいと噂のあのめざまし屋か」
矢口が言う。
「いえいえ、冷たいなんてとんでもない! まったくそんなことありませんよ」
軽兵衛が額の汗をぬぐう。
「そうか? なんか最近、扱いが悪いという話をよく聞くが」
「会府藩様にはいつもご贔屓にしてもらってますから。
冷たいなんてとんでもございませんよ」

「……そう! そうそう。近いうち、そちらの女崙組様もご一緒に、
皆様で町の親睦もかねて、蹴鞠大会でも開こうかなんて話も、
主人とさせてもらっているんですよ」
「まじ? それ面白そうじゃん」
吉澤が目を輝かす。
「いつ?」と辻。
紺野も少しやってみたいと思った。

「まじです、まじ。できれば来年あたりには」
「え〜? 来年〜?」
「でもですよ。それに主人は、いずれは会府様御用達の支店を近くに開いて、
そう! 壬生娘。組局長の安倍様のお名前で、町のあらゆる現場に突撃する、
名付けて、あっちこっちなっ――」
「まあそれはさておき」
矢口が途中で話を遮った。
532名無し募集中。。。:04/09/12 21:08:14 ID:FUSzwJmp
いかにも番頭らしく慣れている風に穏やかに語る軽兵衛の話では、
賊はやはり、たったの一人であったという。
雨の中、突然現れ、手当たり次第に周辺の人々を斬り、雨の中に消えたのだという。

まだそこら中の壁に血糊がべっとりと残り、町人たちは未だ騒然としている。
「その賊と誰かに諍いがあったとか、誰かを追っていたとか、
そういう風ではなかったのか」
「ええ、私も慌てて店の中に引っ込んだもので、
はっきりとは申し上げられませんが、何か狙いがあったようには……その」
軽兵衛はそこで口篭もる。
「なんだ?」

軽兵衛の顔が見る見る青ざめていく。
「私の仕事柄、なんとも憚られる言葉でなんですが、
その……まるで……狂……人、のようで」

「何か目的があったようではないと?」
「……はい。なにかこう、まるでわからず、とても恐ろしい有り様でした」
軽兵衛は目を伏せ、ぶるると小さく震える。

「あの、矢口さん、その賊ですけど」
紺野が遠慮がちに口を挟む。
既に太刀筋から、それが丑三の仕業であるという確信があったからである。
しかし矢口は何も聞く前から、「わかっている」と答えた。
533名無し募集中。。。:04/09/12 21:12:06 ID:FUSzwJmp
「読瓜ですよ」
すると、近くから紺野たちに向かって言う声があった。
その方向を見ると、娘たちよりはやや年上の女が立っていた。
「彩……」
軽兵衛が言った。
女はめざまし屋の使用人で、名を彩といった。

「彩?」
安倍をはじめ、数人がその名前に反応した。
かつて、そういう名の娘が組にもいたのを紺野も知っている。
まだ京都が天誅の嵐に混沌とし、
壬生娘。もまた、熱く荒かった時代である。

しかしこの女は古着木綿商の高島屋ゆかりの者で、
名は同じでもその彩とは全くの別人であった。
「これは読瓜の連中が仕組んだに違いないですよ。
あの芋侍ども、組んだと思わせておいて、また藤州を裏切るに違いありません」
彩という名の女はいかにも悔しそうに顔を歪ませる。
「読瓜がここを狙っていると」
矢口が言った。

「彩、やめなさい。また旦那様にしかられますよ」
軽兵衛が困った顔で制する。しかし彩の恨言は止まらない。
「あの人たち、いつも帳簿をごまかしたり、巨人軍の力を傘に着て汚い手使って――」
「やめなさいってば。こっちだってそんなに大きい声では言えないようなことあるんだから」
と慌てて軽兵衛も自分の口を手で塞ぐ。

「ふむ。藤州をか」
と安倍が応える。
534名無し募集中。。。:04/09/12 21:12:58 ID:FUSzwJmp
元々、京都に藤州びいきは多い。
それは安定した財政を背景にした落とす金の多さもさることながら、
開国による物価高騰で苦しんでいた民衆には、
当初真っ向から開国政策を批判していた先鋭の攘夷論者たちが、
まこと正当に見えていたからである。

政情が揺らげば、政権批判側に支持が集まるのは世の常でもある。
実は、裏では既に藤州も開国へと藩論を翻していたのだが、
表向きには声高に開国を叫ばなかったため、たとえ熱の変化に気づくことはあっても、
一度固定された民衆の意識はそう簡単に変わるものではない。
少なくとも、あくまで開国政策を押し続ける幕府の態度は、
民衆にとって藤州を抜きにしても喜ばしい存在ではなかった。

さらに京都の中でも、この地域には特に色濃い藤州びいきの気風がある。
この通りは、古くは鴨川の流れの中にあった。
以前の鴨川は、今の倍以上の広さがあったのである。
幕府が寛文十年(1670)、度重なる氾濫から市街地を守るため両岸に堤防を築き、
その護岸工事により中洲などが埋め立てられ、
やがてそこに町家ができ、今の賑やかな通りとなった。

当時、開府直後でまだ政情が不安定だったため、
諸国大名への威嚇に、東の守りとして鴨川に向け大砲台場が設置されたことから、
未だにここを「お台場さん」「台場横丁」などの愛称で呼ぶ地元民も多い。
埋立地であるために比較的新しい住人気質であることと、
近くに藤州の藩邸があることなどから、藤州と深く繋がる店が多く、
いつしか藤州のお膝元とも呼ばれるほどに、「台場」には色濃い藤州びいきの町風ができた。

そんな町風から、これを藤州に対する襲撃と受け止める彩の考えも不自然ではない。
また、今でこそ両者に同盟が結ばれているものの、
かつての政変で一度は京都を追われた藤州の、読瓜の裏切りに対する恨みは凄まじく、
特に政事に関わりのない町人にとって一度固定された読瓜憎しの観念は変わりにくい。
藤州に何かが起これば、まず幕府と読瓜を疑うのも自然のことではあった。
535名無し募集中。。。:04/09/12 21:13:54 ID:FUSzwJmp
しかし仮に読瓜ならば、なぜここを襲うのか、
それを両者の確執の一言で片付けるには安直にすぎる。
藤州のお膝元である台場に賊が現れたことと、読瓜側の動機は、
関連があるようで全くの別物である。
むしろ彩のほうが、読瓜への恨みによって冷静な判断ができていない。と紺野は思った。

「彩、こちら会府藩の方々なんだから」
会府も当然、藤州が憎むべき幕府側である。
客であるどの藩に対しても波風を立てまいと気を使う軽兵衛の行動は、
誰にでも愛想のいい店屋の番頭らしくもある。

と、通りからの路地の一つがざわつき、そこから黒い一団が姿を現した。
賊の後を追っていた道重率いるおとめ組二番隊だった。
「安倍さん」
その声を発した石川が、黒い一団の先頭で肩に道重を抱え、引きずるように連れていた。
「石川か」
「道重!」
「しげちゃん!」
「やられたのか!」
そこにいた皆が口々に叫ぶ。
他にも傷を追い、他の隊士に抱えられた隊士が数人いる。

「すい……ません。……逃げられちゃいました」
道重が苦しそうに言葉を繋ぐ。
「いいから喋らないで」
「傷は」
矢口が冷静に石川を見る。
「腕と、肩と腰を数ヶ所斬られています。でも深くはありません。賊はやはり……」
「うん」
536名無し募集中。。。:04/09/12 21:15:01 ID:FUSzwJmp
「……ええ気味や」
どこからか、声が聞こえたような気がした。
紺野はふっと反応し、その方向に目を配る。
しかし群衆はそれぞれに、向けられた紺野の視線から目を反らし、
或いは数人は漠然と光景を眺めており、その声がどこから発せられたか分からない。
気のせいかと思った。

と、群衆の中の一人の老女に目がとまる。
鋭く、昏い目でこちらを睨んでいる。
脇腹を手で押さえている。
彼女もまた、凶行によって刀傷を負ったらしい。
簡単に手当てしたらしい、布切れの上に血が滲んでいる。

「おばあさん、大丈夫ですか? こちらに隊の者がいますから、よければ手当てを――」
紺野が近寄る。すると、
「触るんやない!」
老女は突然大声で叫び、紺野の手を勢いよく振り払った。
深い皺を刻んだ老女の顔が、苦痛に歪む。
「え?」
思いもしなかった反応に紺野は困惑する。
「どうしたの?」
気がついた新垣が近くに寄ってきた。

「あ……」
紺野は、老女の後ろに小さな子供が隠れているのを見つけた。
老女の裾を強く握っている怯えた目は、紺野の腰に差された二本の刀を凝視していた。

「あんさん方がとっとと京都から出て行ってくれてれば、
こんな騒ぎにはならへんかったのや!」
老女が叫んだ。
「あんさん方がおへんかったら、糞幕府なんやさっさと潰れて、
天子様の下でええお国が作れたんや! こんなことも起こらへんかったんや!」
537名無し募集中。。。:04/09/12 21:16:04 ID:FUSzwJmp
「……え?」
「なにっ!」
近くの平隊士が老女を睨み、腰の刀に手を掛ける。
「斬りや! 斬ればええやないか!
嫁も息子も殺されて、もう生きる意味なんやあらへんのや!」

「やめてください」
紺野は今にも無礼討ちをしようとする隊士を制止する。
「おばあさん、それは違います。この町で起きたことと、幕府や私たちは直接関係が無い。
たとえ私たちがいなくても、こういった事は起きるでしょう。
むしろ私たちは、町でこうした悲惨な出来事が起こらないように」

紺野は、老女は身内を殺された怒りで冷静な判断が出来なくなっているのだと思った。
筋が違う。恨むべきは自分たちではなく、実際にこれを行った賊であろうに。
しかし賊はこの場にいない。
だからやり場の無い怒りを、理屈ではなく、
ただ目の前にいる自分たちにぶつけようとしているのだ。

先程の彩にしてもそうだ。
現実に起きたことと彼女らが導き出した結論に、
直接的な因果関係をすぐに見つけることはできないはずだ。

それが人というものだ。と分かってはいても、感情で事実から目を背け、
恨みで人を傷つけあっていては何も解決しないと紺野は思っている。しかし、
「あんたら壬生狼(みぶろう)が勝手にやってただけやないか!」
あんたらが来てからやないか! この町がおかしなったんは!」
「違います。だから――」
「そうや!」
紺野の言葉を遮って、周りから声が上がった。

「そうや! ばあさんの言う通りや!」
「さっさと幕府が潰れないからこんなことになるんや!」
538名無し募集中。。。:04/09/12 21:17:47 ID:FUSzwJmp
「そんな……」
新垣が戸惑いの表情を見せる。
「出て行け! 壬生狼!」
「こんなんなったんはお前らのせいや!」
声は瞬く間に群集に広がり、やがて紺野たちを囲むようにして怒りの渦を形成しはじめる。
「あんたらが京都に来てからろくな事がないやないか!」

「違う。ちょっと待って」
すると何かが、紺野の頭をかすめる。
(!?)
それは小さな石だった。群衆の中から誰かが投げ込んだのだ。
(いけない……このままでは)
暴動に発展する恐れがある。紺野は刀に手を触れた。

「やめろ。紺野」
落ち着いた声に振り返ると、安倍が立っていた。
「局長!」
新垣が安倍の姿を見て驚きの声を上げる。

安倍の額がかすかに切れ、血が滲んでいる。紺野と同じく、群衆から石をぶつけられたのだ。
「誰だ! 局長に石を投げたのは!」
「いいんだ新垣」
「局長の目が見えないのをいいことに! 貴様ら出て来い!」
激情にかられた新垣が刀に手を掛ける。

「待て! ガキさん」
「出て行け! 壬生狼!」
吉澤の鋭い声が響くとほぼ同時に、
群衆の中からさらに、一つの石が投げ込まれた。
「あ!」
限りなく直線に近い曲線を上空に描いたそれは、新垣と紺野の頭を一瞬で越え、
安倍に向かって鋭く飛んでいく。
539名無し募集中。。。:04/09/12 21:18:51 ID:FUSzwJmp
「あぶない!」
しかし安倍は微動だにせず、そこから一歩も動くことなく、
投げ込まれた小石にそのまま頭を打たれた。
かす、と小さな音をたてて、小石が地面に落ちる。
(わざと、よけなかった?)
「局長!」

紺野はすかさず群衆に目線を走らせる。石の投げられた方向。
「誰だ!」
新垣が刀の鯉口を切り一歩前へ踏み出す。
しかし群衆の中で石を投げ入れた者など見つかるはずもない。
「待って! 里沙」紺野は叫んだ。

小さな子供が新垣を凝視している。
老女の裾を強く握り締めたその子供は、新垣の抜きかけた腰の白い刃を直視して、
明らかに怯えの表情を浮かべている。
「あ……」
我を忘れ、怒りに緊張していた新垣の顔が変わる。

この町は、つい先ほどまで人斬りの狂った刃に晒され、いくつもの命を失ったばかりなのだ。
そして子供はその小さな瞳に、その一部始終をただ刻み続けていたに違いない。
「出ていきなはれ!」
老女が子供を抱き寄せ、新垣と紺野を睨んだ。
「いいんだ」
背中越しにもう一度、安倍が言った。その声は最初と変わらず、落ち着いている。

石をよけない安倍の行動に群衆は、熱を高めるのと逆にかえって静まり返っていた。
「矢口。場所を変えよう。道重の手当てもそっちでやる」
安倍は淡々と告げ、背を向け歩き出す。

「これは、我々の責任だ」
誰にも聞こえぬほどの小さな声と、一瞬の安倍の横顔が、紺野の目に映った。
540名無し募集中。。。:04/09/12 21:19:39 ID:FUSzwJmp
その時。一人の若い女が通りの向こうから走ってきた。
「軽兵衛さん大変です!」
「どうしました、美奈子さん」
軽兵衛が応える。

「店の……離れの蔵が!」
「蔵!?……ちょ、ちょっと」
軽兵衛は慌てて口の前に指を立て、女を黙らせようとする。
しかし矢口がそれを聞き逃さなかった。
「蔵……? 蔵がどうした」

美奈子と呼ばれた女が、しまったという表情を見せる。
軽兵衛が体の前で両手を振る。
「い、いえ何でもありません。店の話でございます」
「この女の慌てぶり、何でもない事はないだろう」
「いえ本当に何でもないですから」
「何かあったのだろう? 探索の手がかりになるかもしれん」
「いえ、お店の話ですから、賊とは何も」
「しかし何かはあったのだろう? 我らに手伝えることもあるかもしれん。遠慮するな」
「い、いえ……」
「どうした? 何かやましい物でも隠しているのか」
「とんでもございません」
「めざまし屋」
「……は、はあ」
「案内しろ」
「……かしこまりました」
541名無し募集中。。。:04/09/12 21:20:30 ID:FUSzwJmp
めざまし屋の蔵は、
店から三町ほど南へ下った五条通りにほど近い、やはり鴨川の傍にあった。
大店だけあって、同じような所有の蔵が五戸ほど小さな路地に続いている。

途中、道重の治療のために近くの店を借りて数人の隊士が残り、
その他、周囲の警戒と探索のため組頭も数人に別れ、
蔵には矢口、吉澤、紺野と数人の平隊士、そして数人の見廻組が向かった。

「ここがどうかしたのか」
案内された一つの蔵の前で、辺りを見回しながら矢口が言った。
北の「台場」側から来て一つ目の蔵である。
紺野も見たところ、特におかしなところはない。

「いえ、その……ねずみが」
美奈子が口篭もる
「ねずみ?」
「いえ……」
「まあいい。鍵を開けてくれ」
「はあ……」
軽兵衛がいかにも困った風にのろのろと、鍵を取り出して扉に近づく。すると、

「副長!」
隊士の叫び声が聞こえた。蔵の周囲を窺っていた隊士の声である。
北の「台場」側から五番目――最奥の蔵からだった。
542名無し募集中。。。:04/09/12 21:21:15 ID:FUSzwJmp
その蔵の扉のところから、いくつもの車輪を引いた跡が残っていた。
轍(わだち)が幾重にもなっているため、雨が溜まってぬかるみになっている。
雨の中で短時間に大量のものを運ばなければ、こんなにはならない。

無口になった軽兵衛の顔が青ざめていた。
本人にとっても、これが恐らく初めて知らされた事実なのだから、仕方もない。
扉は一応閉まっているが、
鍵のあった部分が強引にこじ開けられた跡が明らかに残っている。
「開けろ」
矢口が言った。
もはや抵抗しても無駄と思ったのか、軽兵衛が呆然と五番目の蔵の扉を開ける。

湿気で黴の臭いが漂う蔵の中は、一見、何もおかしなところが無いように思えた。
中の品が最近急に大量に運び込まれた様子も、運び出された様子も無い。
「副長」
一人の隊士が言った。隊士は床にしゃがんで何かを見ている。
「灯りを」
矢口に言われて他の隊士が灯りを照らすと、
いかにも硬い物を慌ててぶつけたために出来たような新しい傷が、
その床の周辺にだけ大量についている。

「せーのっ」
吉澤の掛け声により、数人の隊士に持ち上げられた床板の下には、
蔵の底の更に下へと続く階段があった。
「地下か」
矢口が軽兵衛を見た。
青ざめたままの軽兵衛は、何も答えなかった。
543名無し募集中。。。:04/09/12 21:23:20 ID:FUSzwJmp
蔵の下に隠されていた部屋には、
壁に備えつけられたいくつかの灯りと、
どうでもいいような空箱や木屑を残して何も無かった。

しかし、壬生娘。組や見廻組のような組織に在籍するような人間には、
一歩足を踏み入れただけで、それが何の部屋であったかすぐに分かった。
鉄の臭いがする。
先程まではここに存在していたであろうそれの、鼻をつんと突く刺激臭が充満している。
「これは……」
斉藤が呟いた。紺野にも分かった。
(火薬……)

「てめえ! 武器を隠してやがったな!」
小さい矢口が大きい軽兵衛の胸倉を掴み上げた。
壁と床に染みつき、滲み出る臭いと、辺りに残る跡からすれば、並の量ではない。
「戦争でもおっぱじめる気か」
普段は余裕のある吉澤もさすがに顔色を変える。
もちろん、これほどの量の武器所有は幕府に認められていない。

「どこに隠した!」
「し、知りません」
「しらばっくれるか!」
「ほ、本当です。私にもこれは寝耳に水で」
「てめえ!」
「矢口さん」
紺野が口を挟む。
恐らく軽兵衛も本当に、ここにあったはずの武器がどこに消えたのか分からないのだ。
恐らく、隠し持っていためざまし屋も意図しない形で、騒ぎに乗じて武器が盗まれた。

「……ふん。囮かよ」
矢口が吐き捨てるように言った。
「めざまし屋の番頭と主人を拘束! 局長を呼べ! 近くにいる組頭連中もだ!」
544ねぇ、名乗って:04/09/13 16:33:57 ID:WA7/uCXp
松浦ダセモルアアアアアアアアア
545名無し募集中。。。:04/09/13 19:34:16 ID:u/0NlmfH
>>544
あげるな
546名無し募集中。。。:04/09/13 21:34:08 ID:m5cQ6JBj
軽部兄さん登場ですな
高橋が活躍する日はくるのか?w
547ねぇ、名乗って:04/09/14 07:36:56 ID:RPaFz/K2
いやぁおもしろい。作者スゴいね。
548名無し募集中。。。:04/09/18 16:02:02 ID:qrEhiuUB
age
549名無し募集中。。。:04/09/19 00:02:51 ID:Sm7Hpqeq
>>548
>>547
だからあげるなって
550ねぇ、名乗って:04/09/19 00:41:59 ID:La3HkFdR
小説スレでは感想や保全はE-mailを入力する所に
sageと入れてから書き込むのがお約束ですよ。
551ねぇ、名乗って:04/09/21 14:53:52 ID:7X6RTdwy
ただ保全するだけじゃ味気ないので、好きな人物を一人書きやがれ。
552名無し募集中。。。:04/09/23 03:07:06 ID:zdIz0qww
ガキさん
553名無し募集中。。。:04/09/23 21:08:02 ID:Tzpo2Nnd
何でお前はすぐ嘘を吐くんだ
554ねぇ、名乗って:04/09/24 01:57:29 ID:5/DjaEwl
美貴介。
小説の影響でリアル藤本の方も好きになってもうた。どうしてくれる作者。
あと関係ないけどエスパー伊東とか出てきそう。
555ナゲ:04/09/24 22:09:14 ID:ZEBreOwl
高橋愛。
最近ヤンタンにハマっているせいか美貴愛コンビをどうしても妄想がち。愛ちゃんのキレのある動きと雄弁な体がどのように描写されるか楽しみだけど、出番の少なさからすると作者さまはさほど好きではないのかな?という恐怖。紺ちゃん推しぽいし。
556名無し募集中。。。:04/09/26 02:28:53 ID:Y8bGUDYg
557名無し募集中。。。:04/09/26 21:06:21 ID:qn4ducFt
飯田さんかっこよすぎですね
558名無し募集中。。。:04/09/26 21:08:59 ID:qn4ducFt
跳ね上がるしぶきに裾を濡らし、慌ただしく隊士たちが通りを行き交う。
黒く堅い木材で組まれた蔵の前、
壬生娘。組の幹部が集まる中で、紺野は黙って成り行きを眺めている。

めざまし屋の蔵に武器が隠されていたことが発覚してから、事態は急変した。
あの地下蔵の広さ、残された跡から言っても、大量の武器がそこにあったことが推測された。
一つ二つの夜盗の類で使いこなせる量ではない。
自然、不穏な言葉が誰の頭にも浮かんだ。

「車輪の跡は高瀬川で途絶えていました」
矢口のもとに走ってきた隊士の一人が言った。
「舟か」
「おそらく」
高瀬川は、上流の加茂川より分岐し、鴨川のすぐ西側を平行に流れる小さな川である。
舟で物資を運ぶため慶長一六年(1611)に開削が始まった運河で、
北は加茂川から南は伏見の宇治川まで続き、京都から大坂までの舟運をほぼ直結させた。

離れたところで、簡単な検分を終えためざまし屋の番頭軽兵衛と、
色黒の小太りの男――たぶんめざまし屋の主人であろう。が、
隊士らに囲まれて連れられていくのが紺野の目に映る。

あれだけの量の武器が一度に消え去ったのだ。
初期段階の探索で何をつかめるかが、より重要になる。
よゐこや阿佐藩士の時のように、ぬるい訊問を悠長に繰り返している暇は無い。
矢口副長も、もはや幕府の体裁などを構ってはいられまい。

きっと、死よりも恐ろしい苦痛が彼らを待ち受けている。
559名無し募集中。。。:04/09/26 21:09:54 ID:qn4ducFt
「矢口さん! 藤州藩邸に乗り込もう」
辻が声を上げた。
めざまし屋となれば、その背後に藤州藩があると考えるのが自然である。
幕府に隠れて大量の武器を保有していたということは、それだけで大罪に値する。
まずこのことに関して、藤州の周辺を探るという考え自体は間違いではない。しかし。
「いや。藩邸は辺りを見張らせる。今は賊と武器強奪の足取りを掴むのが先だ」
矢口が冷静に答える。

その判断は正しい。と紺野も思う。
誰もがこの事態に藤州が絡んでいることは分かっている。
しかし今は、政事的に非常に緊迫した時期である。
藤州と読瓜が手を結び、幕府による第二次藤州征伐は幕軍の完全な敗北に終わった。

幕府と朝廷を繋ぐ重石となっていた織明天皇は崩御し、幕府の求心力は下がる一方で、
もはやいかな緊急時であれ、
幕府の威光を笠に強制的に他藩の領域に立ち入ることは難しい。
まして壬生娘。組は今や幕臣である。仮に何かの失態を犯せば、
壬生娘。組が罪を被るだけでは済まない。
それがそのまま幕府の失態となり、倒幕という大きな炎の火種になりかねないのである。

先日の滅茶勤王党壊滅により、洛内の勤王派は一応の落ち着きを見せてはいるものの、
他の倒幕派藩と幕府の実質的な戦力、政治力、そして思想的正当性は、
既にそこまで拮抗しつつある。
今、誰もが両者の動向を見守り、より有利な方の傘下に属すべしと様子を窺っている。
もはや幕府は絶対ではないのだ。

「これだけの武器が持ち出されて、これだけの人が斬られてるんだよ!? 矢口さん!」
「辻さん、落ち着いて」
紺野は辻を抑えようとする。
興奮しすぎると、また体調を崩してしまうかもしれない。
560名無し募集中。。。:04/09/26 21:10:35 ID:qn4ducFt
「会府藩に応援を要請したらいいんじゃないですか?」
加護が口を挟んだ。
これまで壬生娘。組が多くとってきた実地的な行動ではなく、
京都守護職を後ろ盾に、政事的な道筋から藤州藩に話を通してみればどうかという意味だろう。

「壬生娘。はもう幕臣なんですし、会府藩も兵をきちんと動かしてくれるんじゃないですか。
これからの検分には、どうしたってもっと人手が必要になりますし」
確かにこれは京都守護職、幕府にとっても看過できる問題ではない。
政事に慣れた会府藩から正当な手続きを踏めば、何らかの情報を引き出せる可能性はある。
もちろん、時が経てばいずれ必然的にそういった話も進むだろうが、
幕臣としてより能動的に、会府藩の兵も動かしていくべきということだろう。
しかしそれでもやはり、と紺野は思う。
(今の会府藩は……)
恐らく紺野と同じ事を考えたのであろう。矢口は黙り込む。

「いいよ矢口、私が黒谷に行ってこよう」
しばしの沈黙の後、そう切り出したのは安倍だった。
「局長……」
矢口は安倍を見つめる。
あれから簡単な手当てを受け、頭の傷から流れた血は既に止まっている。
「わかっている」
「いいのか」
「うん。加護、警護についてくれ」
安倍は加護に微笑む。
「わかった。じゃあ、吉澤も一緒に局長についてくれ」
矢口が言うと、吉澤は無言で小さく頷く。
「この件はさくらおとめ合同でやる。残りの者は探索を続行。
現場の指揮は石川が取れ。屯所を手薄にするな」
「はい」
加護が答える。
「絶対に逃がさない」
辻が下唇を噛んだ。
561名無し募集中。。。:04/09/26 21:11:26 ID:qn4ducFt
「矢口さんは?」
石川が言った。
「おいらは所司代に行ってくる」
「所司代? わかりました」
おそらく探索の範囲などを話し合いに行くと、石川は受け止めたのだろう。
しかし紺野は少し違う受け止め方をした。
(所司代……)
あの時の矢口は、一体なんだったのだろう。

「引き上げるぞ!」
成り行きを見守っていた見廻組与頭の斉藤が、辺りの見廻組隊士たちに叫んだ。
近くで作業を続けていた大谷は、
壬生娘。組の隊士を睨みつつも、黙って斉藤の傍に寄った。
「矢口」
斉藤は矢口を見る。
「事は重大だ。我々のほうも動く」
その瞳には、先程までとは違った深刻さが浮かんでいる。
「わかった」
「協力は、する」
「……ありがたい」
矢口は表情を変えず答えた。
「ごきげんよう」
村田が去り際に含み笑いを見せる。
柴田が黙ってその後についた。

「とりあえず賊が丑三だとして。丑三が囮だったとすると……」
現場の指示が一通り終わると、
紺野は石川の後について、河原の遺体が置かれた場所に戻っていた。
石川は紺野の横で顎に手を当て、高い声で独り呟き続けている。
「同胞のよゐこを殺した丑三は……滅茶を裏切った?
内紛? ……すると阿佐? じゃあ武器を奪ったのは?
やっぱり、よゐこに死なれてしまったのが……一体、彼らは何を握っていたんだろう」
562名無し募集中。。。:04/09/26 21:12:13 ID:qn4ducFt
そう。各藩の思惑が複雑に入り組み、未だ分からない部分が多すぎる。けれど。
(毒を入れられていたのは別の……ええと、阿佐のお侍さんたちのほうですよ。三人の)
(阿佐……の?)
他の皆には、まだ知られていないことがある。
心の隅に、引っ掛かっているものがある。

「紺野、おい紺野、どうした?」
「え? あ、は、はい?」
突然の声に慌てて視線を上げると、背の高い吉澤が上から顔を覗き込んでいた。
「さっきから呼んでるのに、なんだまたぼうっとしちゃって」
「すいません」
「どうかした?」
「あ、いえ、別に……」
「ふうん。ならいいんだけど。お前のところの隊士たちが探してたぞ」
「あ、はい。……あれ? 吉澤さん、安倍さんたちと黒谷の本陣へいったんじゃあ……」
「ああ、ちょっとね」
吉澤は薄く微笑む。

「う〜ん」
石川はまだ腕を組んで難しい顔をしている。
「今は難しいこと考えたってしょうがない。とりあえず目の前のことから片付けていこう」
吉澤が石川の肩に手を置いている。
「あの……」
紺野は意を決して石川に近寄った。
「なに?」
「私の隊を、しばらくの間、石川さんに預かってもらえませんか」
「……いいけど? どうかしたの?」
「ちょっと個人的に当たってみたいところがあるんですが、
今はまだちょっと確信が持てないので」

「わかった。紺野なら、いいよ」
石川は少し考えた後、にこりと笑顔で言った。
563名無し募集中。。。:04/09/26 21:13:21 ID:qn4ducFt
加護は安倍と駕籠に乗り、黒谷へと向かっていた。
「台場」より四条橋を渡り、祇園を北へ抜けて行った先の、
黒谷の金戒光明寺に会府藩の本陣はある。
位置的には二条城、御所のほぼ真東。鴨川を渡った先になる。

道が雨にぬかるんでいるせいかもしれないが、駕籠が上下に大きく揺れる。
あまり乗り心地の良くない駕籠を捕まえてしまった、
前の駕籠に乗った安倍さんも今頃苦労しているだろうな、と揺られながら、
加護は先程のことを思い出していた。

(ああっと)
矢口らと別れ、これから黒谷の本陣へ向かおうかという時、吉澤が声を上げた。
(すんません安倍さん。用事思い出しました。いいすか?)
(……そう?)
元々、会府藩に今回の件の要請と相談に行くというだけのことである。
事務的な能力と、本陣をいきなり尋ねるだけの「顔」としては、
局長の安倍と加護だけで十分に足りている。
それでも矢口が吉澤に同行を指示したのは護衛の意味と、
幕臣たる壬生娘。組の頭である局長が本陣に上がる上で、
形式的な格を保つための「家臣」を安倍に少しでもつけてやりたいという思いからだろう。
しかし実質的には元よりさしたる意味はないので、無理に同行させる理由もなかった。
(わかった。いいよ)
安倍は少しも疑うことなく、吉澤の申し出を受け入れた。

だが加護にはわかっている。
どうせ大した用事なんてない。
吉澤は、自分が幕臣として本陣に上がることを避けたのだ。
幕臣になることに反抗し続けた自分の、体面を少しでも保ちたいのだろう。
子供っぽい。と加護は思う。

じくじくと、加護の心の底に溜まった泥のようなものが、またとぐろを巻きはじめる。
564名無し募集中。。。:04/09/26 21:17:10 ID:qn4ducFt
西の通りで駕籠を降り、門番に許可を得て高麗門をくぐる。
来るのは初めてではないが、城門のような趣の高麗門には、
何度訪ねても気圧されるものがある。

ただ今までと違うのは、自分が幕臣の身分であるということだった。
やはり雇われ浪人として、どこか卑屈さと共に門をくぐるのと、
会府藩と同等の幕臣の身分としてくぐるのとでは心持ちが違う。
飯田や矢口などには、自分たちに武士としての誇りがあれば、
何も卑屈になることは無いと幾度となく言われたが、それでもやはり加護には違って思えた。

ゆるい坂の先の石段を上る。濡れた石肌に安倍が足をとられないかと心配したが、
安倍は半眼のまま少しも迷うことなく、そよぐ風のように登っていく。
やはり、あの投石はわざと避けなかったのだと、あのとき後ろで見ていた加護は思った。

石段を一歩一歩踏みながら、新垣のことを思う。
あのときも見せた彼女の純粋さは、
壬生娘。組が、そして自分がかつて持っていたものであり、恐らく大切にすべきものだ。
あの夜、五条通りでさくら組とおとめ組が対峙した時もそうだった。
だが――。
じくじくと、心の底で泥がとぐろを巻きはじめる。
加護はそれをかき消すように首を振る。

紺野は。一緒にいたあの子は新垣とは逆に冷静だった。
台場での老女との会話を思い出す。
理路整然とした弁舌に、ときおり冷静さを通り越した冷たささえ感じた。
それは普段のぼんやりとした紺野の印象と、
繰り出される隙の無い論理との落差が過剰にそう思わせているのかもしれなかったが、
ぼんやりとした印象の奥に、どこか底知れない恐さを加護は感じることがある。

所司代組屋敷襲撃の件以来、特に思わされることが多い。
話によれば、あの人斬り丑三と暗闇の中、たった一人で斬り合ったと聞くが。
565名無し募集中。。。:04/09/26 21:18:18 ID:qn4ducFt
大きな三門をくぐり、更に急な石段を上ると、
そこにまた、長槍を持った会府藩の兵が待ち構えている。
「先に伝えが行っていると思いますが、今回の台場の件に関して、
早急にお話したいこがあって参りました」
加護がそう告げると、若い会府兵は表情を変えぬまま、目の前の屋敷の奥に消えた。

加護は安倍と共に屋敷の中の小さな会見の場に通された。
そこに現れたのは、会府藩公用方、稲葉貴子。
加護も見知った人物である。今は京都本陣で事務方を務めることが多いが、
元は会府軍の高官でもあるれっきとした武士(もののふ)である。
現在は京都本陣の剣術指南も務めており、その腕は確かなものだという。

「話は聞きました」
稲葉がゆっくりと口を開く。滞在が長いせいか、京の訛りが混じっている。
「結論から申し上げますと、今、会府の兵を動かすことはできません」
「……はい?」
加護がぽかんと口を開ける。横にいる安倍は、身じろぎ一つしない。
「もちろん、藤州藩のほうには上を通して事情を聞くことにはなるでしょうが」
「話はお聞きになったんでしょう?
賊のことはともかく、大量の武器が消えてるんですよ?」
「はい」
「じゃあどうして。もしかしたら、どこかの藩が謀反を、
それどころか戦(いくさ)でも始めるんじゃないかってくらいの量なんですよ?」
「はい」
「どうして」

稲葉は一拍置くと、落ち着いて言った。
「確かに。我が藩ではこれを倒幕派藩による戦の準備の一環と捉えています。
ですから、現在、抗戦の準備を整えている我が藩は、兵をお貸しすることは出来ないのです」

「え……?」
あまりのことに把握しきれない加護の横で、安倍がゆっくりと、目を閉じた。
566名無し募集中。。。:04/09/26 21:19:07 ID:qn4ducFt
「禄(ろく)を、頂けるご身分になられたんでしたな」
稲葉が言うと、加護は口を開けたまま小さく頷く。
「めでたい」
ぽそりと呟く。

「では。あなた方にもお伝えしておきしょう。
現在、会府藩では来たる戦のために国元で早急に軍備を増強しております。
それらは近日中に、上洛への準備が整う手筈になっている」
「……?」
加護はただ口をぽかりと開けているだけである。
また覚える、新たな違和感。話の大きさに自分の感覚がついていけていない。
(……戦?)
軽い脅しのつもりで放った言葉がそのまま受け入れられてしまう、この違和感。
「もちろん、こちらも出来うる限りの協力はいたしましょう。
武器の流れを押さえることができるならば、相手の機先を制せられるかもわからない」

「京で、戦がはじまるん、です……か?」
「だからあれほどおやめになられよと……」
稲葉が口元で小さく呟いた言葉は聞き取れない。
「はい?」
「我らとて……。我らとてっ! 本意ではないのだ!」
突然の叫びに、加護はびくりとする。安倍はその叫びにも動じない。
稲葉の拳が強く握られている。
「だからあれほど、守護職など受けるべきではないと我々は申し上げた!」

稲葉は突然湧き上がった怒りをただぶつけるように、
目は加護と安倍ではなく空(くう)をみつめ、たたみかけた。
「我ら会府藩とて、好きで京都守護職の任を受けたわけではない。
望んで覇牢幕府守護の矢面に立ったわけではないのだ!
我々家臣は何度も殿をお止めした! 薪を背負って火を防ぐようなものだと!
誰にでもわかっていたのだ!
ここで立てば、ただ民衆の幕府への恨みを我らが肩代わりさせられるだけだと!」
567名無し募集中。。。:04/09/26 21:20:05 ID:qn4ducFt
「……しかし殿は。あのお方は、お受けになってしまった。
それも岩や、転げる岩みたいなもんでかっこええと。……わけわからん」
稲葉は肩を落とす。
「……貴君らも、幕府に召し上げられて浮かれているようだが、
その意味をよく考えておいたほうがいい」
「は?」
「貴君らが幕臣に召し上げられたのは、貴君らの功績が認められたわけではない。
幕府は幕臣を欲していたのだ。いざという時に責任を取れるだけの身分を持った者をな。
意味を、ようく考えておいたほうがいい」

「もう、止まらへん」
それが別れ際の、稲葉の言葉だった。
(戦? 望んで? ……功績が認められたわけではない?)
濡れた石段を一つ一つ降りながら加護は思う。何を言われているのか、よく分からなかった。
(幕臣を、欲していた?)
「加護、危ないよ」
後ろで安倍の声がする。体がふらつき、濡れた石段に足が取られそうになった。

安倍は、屋敷の中でほとんど言葉を発することがなかった。あの落ち着き。
全てわかっていたということなのだろうか。幕臣召し上げの意味さえも。
「しっかりと足元を見な」
安倍が言った。

「かご……加護……」
高麗門をくぐり、しばらくして通りに出ると、ふいに小さな囁き声が加護の耳に入った。
加護はきょろきょろとあたりを見回す。
「ここや、ここ!」
物陰に、一人の男が隠れるようにして立っていた。
姿を見つけ、驚きに目を見開くと、男は慌てて自分の唇の前に人差し指を立てた。

「つんくさん」
加護は慌てて声をひそめ、小さくその男の名を呼んだ。
568名無し募集中。。。:04/09/26 21:21:06 ID:qn4ducFt
紺野は石川の許可を得ると、一人で西に向かった。
雨降る道の上を早足で進む。
行き先は六角牢である。
そこに行けば、何らかの答えが見つかるような気がした。

人斬り丑三――江頭丑三。滅茶勤王党残党の一人。
これといった思想は無く、党首武田真治をただ崇拝し、言われるがままに人を斬った。
今でもはっきりと思い出すことのできる、あの殺気。
その剣に心は無く、ただ人を斬るために人を斬る。

前藩主田森一義の復権により阿佐藩内の公武合体派が力を盛り返し、
阿佐藩に仕官していた武田真治が国元に召還させられた頃、
丑三は京の町で無宿者として、つまらない罪によって捕縛された。
それが丑三と分かったのは、少ししてからのことである。
記録では、丑三はそのまま阿佐藩と幕府との取り引きによって京から放逐、
京の外で身柄を引き受けた阿佐藩が本国に送還し、慶応元年(1865)打首。となっている。

しかし死んだはずの丑三が今、この京都に現れている。
京都で捕まっている間の丑三の身柄は、六角牢と所司代屋敷の間を何度か行き来している。
その間に何かあったのか。

京に再び現れてからの丑三の犯罪は、
所司代組屋敷における、よゐこ、阿佐藩士および所司代隊士の斬殺。
「台場」における町人の大量虐殺。
台場の虐殺が官吏の目を引きつけるための囮だったとするならば、
どちらも丑三単独の意志による殺戮ではなく、
何者かと共謀していると考えるのが自然である。
そして所司代組屋敷におけるその目的が、よゐこではなく阿佐藩士だったとしたら。

それらを解く鍵が、六角牢に見つかるかもしれない。
そして、矢口のことも――
569名無し募集中。。。:04/09/26 21:22:05 ID:qn4ducFt
「よっ」
突然、後ろから声を掛けられ、紺野は心臓が飛び出るほど驚いた。
「吉澤さん!」
「よっ」
紺野が驚いたのがよほど嬉しかったのか、吉澤は満面の笑みで片手を上げてみせる。
「どうしたんですかこんなところで!」
「いや、まあ、なんつーか。暇でさ」
「暇って……」
「紺野こそどーしたのよ。一人で思いつめた顔しちゃって、隙だらけだったぞ」
「隙って……」
「まーいいさ、どっかあてがあるんだろ? 俺も付き合うよ」

どうしたものかと迷う。
事が事なだけに、なるべくなら一人で済ませたかったのだが、
この調子だと、むげに断ったり誤魔化したりすれば、余計に怪しまれてしまいそうだ。
こう見えて、この人は意外に鋭い。
吉澤は、組の幕臣召し上げの話に関して、最後まで反対していた人間の一人でもある。
組の和を乱すまで反抗しきらないところは、いつもの吉澤らしくはあったが、
このところ奇妙な行動も続いている。
どこまで話していいものか。

「吉澤さんは。台場のこと、どう思いました?」
「うん?」
「あの人たち、台場が襲われたのは私達のせいだって」
「あー、あれかあ。う〜ん」
吉澤は腕を組み、首をひねる。

「がんばるしか無いんじゃないの」
紺野は吉澤の言葉に軽い失望を覚えた。
別に吉澤に特別な解答を望んでいたわけではないが、
やはりそういうことしかないのか。そうとしか言えないか、という、
吉澤に対してというよりは、事象に対しての失望があった。
570名無し募集中。。。:04/09/26 21:22:56 ID:qn4ducFt
「昔の壬生娘。組は強烈な人がいっぱいいたからなあ」
紺野をよそに吉澤は何故か嬉しそうに微笑む。
「結局さ、俺らは先代先々代から壬生娘。の名前を預かってるわけで、
壬生娘。を引き継ぐって事は、昔の悪名も引き継ぐって事なんだよねえ」

とかく京の町で壬生娘。組は忌み嫌われることが多い。
その原因は主に、壬生娘。組結成当初の隊士たちが、
京の治安を守る立場であるにもかかわらず、
時に町人たちの安息の場を乱し、横暴の限りを尽くしてきたことにある。
紺野はそういった古い隊士たちの遺した悪評に自分たちが振り回されるたび、
先代の壬生娘。たちの後始末をさせられているような嫌な気分になる。
「辛かったか?」
「いえ」
くだらない。と思う自分がある。

人からは感情が薄いと言われがちだが、
紺野には、そのことになるとついむきになってしまうというものがあった。
筋、道理などという、感情を抜きにした物事の筋道のようなものである。

例えば台場の人々。憎むべきは町を襲った賊であるはずなのに、
積年の恨みを持つ読瓜に、目の前の壬生娘。組にその矛先を向ける。
例えば壬生娘。組の悪評。悪評を負うべきは「過去の」壬生娘。組の隊士たちだろうに、
「現在の」自分たちまでもが、いつまでも悪評を負わされる。

所司代の屋敷でもそうだった。
あの夜。憤って見せたのは、何も無闇に矢口をかばおうとしたからではない。
ただ、矢口が内通者だという前提で、
自分たちの都合のいいように推論を積み重ねていく木村あさ美たちに腹が立ったのだ。

譲れない何かがあるわけでもない。ただ自然と、心がささくれ立つのだ。
571名無し募集中。。。:04/09/26 21:24:58 ID:qn4ducFt
紺野には、物事の道筋というものが人より見えてしまうところがある。
しかしそれを人に話しても、話が飛びすぎてきちんと理解されることが少ない。
うまく説明するのも難しい。だから、あまり言わない。だから感情が薄いとも言われる。

ただ、自分には見えるその道筋を、
感情というものによって都合よく捻じ曲げられることが、ときおり許せなくなる。
何でこんなにも、人は感情のために盲目に慣れてしまうのだろうと思う。
都合のいい証拠のみを集めていけば、都合のいい結論に至るのは当然のことなのだ。
なのにそれが平然と、正しく冷静な思弁の結果のように語られる。
その愚かさが紺野をいらつかせる。

ぽたり。と、道行く紺野たちの横で、雨水が垂れる。
だが同時に、それすらくだらないと思う自分がある。
感情に支配される人間にいくら理を説こうと無駄であることが、
道筋の見える紺野にはわかってしまっているからである。
くだらない。と、どこかで、自分のことすらそう思う。

「だってあの人たちって、自分たちが正しいってことを言いたいだけでしょう?
あの人たちだってただ、自分たちのしたいことをしているだけなのに。
それはきっと、自分のしていることに自信が無いからなのに」
驚く吉澤の表情を見て、しまったと思う。
まただ、と思う。また、どうでもいい自分の感情で、他人を困惑させる。

「きちっとしてるんだなあ。紺野は」
しかし吉澤は、ゆったりと微笑む。
「俺みたいな馬鹿にはそこまで考えられない」
「……すごいですね。吉澤さんは。
隊士たちにもてるのもわかります」
「は?」
「だって、かっこいいじゃないですか」
「いや?」
572名無し募集中。。。:04/09/26 21:25:45 ID:qn4ducFt
「吉澤さんは、殻を感じたことはあります?」
「なにいきなり」
「殻です。殻。こう、ここに、薄くて、色の無い、堅い殻があるんです」
宙に手をかざす。
傘からはみ出した腕が、雨に濡れる。

紺野には、自分の周りに殻が見える。薄くて、色の無くて、堅い。
漠然と、何事に対しても薄い欲求と、瑣末なことに拘ってしまう心。
小心で、すぐに緊張してしまう自分と、どこかいつも冷めている自分。
その相反する二つが、自分の中に同時に存在している。
自分でも自分が良くわからない。
きっと、これはそれらを隔てている境界なのだと思う。

「……無いけど」
宙に手を振りながら吉澤が答える。
「ですよね」
「はあ」
「吉澤さんはかっこいいですよね」
「うえ?」

困惑する吉澤をよそに紺野は黙り込む。
本心である。
吉澤はいつも穏やかに話を聞いてくれる。全てを受け入れてくれるように思う。
優しい。生き方に迷いが無いのだろうと思う。
できるならば、自分もそんなふうになれたらと思うこともある。

「吉澤さん」
「はい?」
紺野は、吉澤になら事情を話してもいいと思った。
少なくともこの人は、話した自分の都合を簡単に踏みにじるような人ではないと思う。
それに、どうなってもくだらないし、どうでもいい。
という気持ちも、同時にあった。
573名無し募集中。。。:04/09/26 21:27:04 ID:qn4ducFt
「茶でも飲もか?」
そうした寺田の誘いで、加護と安倍は町はずれの茶屋に来ていた。
馴染みだというその何の変哲も無いその茶屋は、寺田がやってくると、
「よぉ、つんちゃん久し振り」
と、気さくに三人を中に迎え入れた。

花街で遊び惚ける放蕩者そのままの外見の寺田は、
とても京都守護における最高権力者には見えない。
「さっきはよう大声出さんでくれたな。
稲葉にでも見つかると、うるさくてかなわんのや」
本当に困った様子で、苦い笑いを二人に向ける。
おそらく、本当に困っているのは稲葉のほうだろう。

「どうや、目のほうは」
お茶を出されて一息つくと、寺田は優しい顔を安倍に向けた。
「悪くありません」
「そうか。……知り合いにいい医者がおるから、今度紹介したるよ」
「は……」
しばしの沈黙が三人を包む。
加護も、先程の稲葉の話を聞いたばかりなので、寺田を前にしてどこか気まずい。

「そや、義剛にいさんがお前らによろしく言うとったで」
寺田が沈黙を嫌ったのか口を開くと、安倍が神妙な面持ちで小さく頷く。

花畑藩藩主、そして京都所司代の田中義剛公のことである。
本来なら、あれだけ所司代をかき回したはずの壬生娘。組を恨んでいてもおかしくない。
それをよろしくとは、さほど所司代組に興味が無かったのか、諦めているのか、
あるいは内部の膿が取り除かれたことに本当に感謝しているのか。
574名無し募集中。。。:04/09/26 21:29:47 ID:qn4ducFt
「おにいさんって、ご兄弟なんですか?」
「血は繋がってへんけどな」
加護が頭に浮かんだ疑問をそのまま言うと、寺田が楽しそうに苦笑いを浮かべた。
「まあ、同じ気持ちで京都にやってきた、兄弟みたいなもんかもな」
「同じ気持ちで……」
先程の稲葉の言葉を思い出す。
寺田は、家臣たちに強く止められていたにもかかわらず、京都守護職の任を受けたと。

「そや、オレらは幕府に大恩があるからな」
寺田は何かに思いを馳せるように目を閉じる。
「それにな。オレは……京都におられる織明帝を、お守りしたかった」
今はもう、この世にはいない織明天皇。
「まあ、あのお方はもう、おられなくなってもうたけどな。
それでもあの方の魂は、オレはまだ京都に残ってると思う。
オレは、それをお守りしたいんや」
寺田は何度も小さく頷く。

「それが岩、ってことなんですか」
稲葉が言っていた、よく意味の分からなかった言葉を発してみる。
「そや! よう知っとるな加護」
寺田は驚いた顔をして加護を見る。
「それが岩や。転がる岩ってもんや。かっこええやろ?」
「……はあ」
加護は首をひねりながら頷く。
「岩や」
「はあ」

(あかん。この人頭おかしいかもしれん)
と加護は思ったが、それを言ってもしょうがないので口には出さなかった。
きっとこの人にはこの人なりの、何かがあるのだろうと思うことにした。
575名無し募集中。。。:04/09/26 21:30:39 ID:qn4ducFt
「まあ、そやから。今は踏ん張りどころや。
今年一年。降りずにどれだけ踏ん張れるかで、この先決まってくるんや」
黒谷本陣で会話した稲葉とこの寺田とでは、危機意識にかなりの開きがあるように感じる。
本人の持つ雰囲気のせいかも知れないが、寺田の口調はどこか楽天的に思えた。

「会府藩が、軍の準備を整えていると聞きましたが」
安倍が声を低くして言うと、寺田の表情がややひきしまる。
「そや」
「稲葉様は戦が始まると」
「半分は備えや。けど、国元では十中八九、
いずれ倒幕派藩との戦になると読んどるみたいやな」
「そこまで……危ないんですか?」
「どうやろな……」
加護が訊くと、寺田は手元の茶をすすって、ふうと息を吐いた。

「どうなるかは、オレにもわからん。
けど、そんなら稲葉からも聞かされたと思うけど、
今の会府藩はそんなわけであっぷあっぷなんや。
そやからその分、京都の治安はお前らにはがんばってもらわんとあかん。
幕臣への召し上げも、そのためと思ってくれて構わん。
会府が動かせない間、その分お前らが少しでも自由に周りを動かせるようにと思ってな
オレも、個人的にできることがあったら何でも協力するで」

稲葉は幕臣召し上げに関して、そういう言い方はしていなかった。
また稲葉と寺田の認識の開きを感じる。
「あの……」
「今回のお台場の件なんですが」
しかし安倍の言葉が加護を遮る。
「ああ、少しは話を聞いとる。なんや?」
「武器に関してですが」
576名無し募集中。。。:04/09/26 21:32:36 ID:qn4ducFt
「……なに?」
吉澤の顔色が変わった。

「ですから、たまたま雇うことになった無宿者の言うことですから、
どれほど当てになるかわかりませんけど――」
紺野は吉澤の表情の変わり方に驚き、慌てて言い繕おうとする。

「違う、その先」
「ええ……。毒が盛られていた相手が違っていたって話ですか?」
「そう」
「ええと……つまり、その無宿者が言うには、
毒を盛られていたのはよゐこの二人ではなく、阿佐藩の三人のほうだったと」
吉澤の足が止まる。
「でもそれが本当だとして。
よゐこではなく、あえてあの三人をそこまでして殺す必要があったとして、
じゃあ一体、彼らが何者だったのかということになりますよね」

吉澤の様子を不思議に思いながらも紺野は続ける。
「屯所の尋問では、特に重要視されていなかったということもありますけど、
彼らが阿佐藩の勤王派ということ以上のことまではわからなかった。
仮に何者かに彼らを殺す必要があったとするならば、一体、彼らは何者だったのか。
彼ら阿佐藩士が、何をしに京都に来たのかってことですよね。
それには、彼らが京都に来てからどこで誰と接触したのかとか、
足跡も調べてみないと……吉澤さん?」
吉澤は大きく目を見開き、紺野を見ていた。

「紺野、一度戻るぞ」
「え?」
そう言うなり、吉澤は雨の中を走り出した。
577名無し募集中。。。:04/09/26 21:34:32 ID:qn4ducFt
「なるほどなあ……。めざまし屋に、武器か」
寺田はまたお茶を一口すすり、息を吐く。
「そもそも藤州に、それほどの武器の余裕は無かったはずや」

「ああ……」
矢口も言っていた。
それまで軍備の近代化に遅れていたはずの藤州は、
読瓜との同盟の締結以来、急速に軍備を増強したと。
矢口はその流通経路も、できるならば突き止めたいと言っていた。
しかし、もしめざまし屋の武器が読瓜からのものだとすると、
台場の町人が言っていたように、
虐殺の犯人を読瓜の仕業とするのは難しいのではないか。

「宇多藩は、どうやろうなあ」
寺田は一人、思案するように独り言を繰り返し、黙る。
「あのな」
そして何か一つの決心に至ったように、ゆっくりと語り出した。

「昔……もう何年前やろうなあ。オレも読瓜とちょっとな、付き合いがあったんや。
まあ、読瓜もどちらか言うと佐幕のほうで、会府ともうまくやってた頃や。
向こうもオレのこと『つんくちゃん』言うてな、まあこれはオレが言わせてたんやけど、
お忍び用の宿まで用意してくれてな」
寺田は懐かしそうに目を細める。

「伏見の宇治川近くの船宿でな、寺田屋言うんやけど、
名前が同じなのは偶然や言うとったけどね、これも洒落や言うてな。
まあ、色んな芸人呼んで遊んでみたり、新しい芸者育ててみよう思ったり、
忍びで色々と遊ばせてもらってたんや」
578名無し募集中。。。:04/09/26 21:37:38 ID:qn4ducFt
「ほんまはもっと楽な、旗本の三男坊にでも生まれたかったんやね。オレ。
そんでな、その頃、同じ宿でちょっと面白い男と知り合ってな。
まあ面白い男で、背はちっちゃいんやけど、言うことがやたらとでかい。
ちっぽけな地方の郷士の癖に、その口から国は、とか世界がとか語りよるんやな。
なんていうか竜みたいにな、天から日本を見下ろしているような視野の広い男やった」
懐かしい友を思い出すように宙を見つめ、茶を一口すする。

「オレらは酒の席ですっかり意気投合してな、
そいつはその頃、なんかの党に属してて、
まあ、そろそろ抜けて新しいことやるって言ってたんやけど、
一緒にやりませんか、って誘われたこともあった。
もちろん向こうはオレの身分なんか知らんし、
オレもそんなわけにいかんから、すまん、と断ったけどな」
そこで寺田は、ふうと息を吐く。

「もちろん無理やけど。あの時、断ってなかったらと思うこともある。
そうしたら、あいつも少しは違った道に行ってたんやないか、ってな。
……そいつ、武器商人を始めよったんや」
「武器商人?」
「そや。武器を運ぶ死の商人や。
人を殺す道具を人を殺したがってる連中のところに運んで金を稼ぐ、卑しい仕事や。
なんで、そんな奴になっちまったんだか……」
寺田の顔を見て。こわい、と加護は思った。

「お前らも知っとるやろ、岡村や」
「え……?」
その名を、加護も知っている。
「阿佐脱藩浪士、岡村隆史や。
こいつが、藤州への武器横流しに噛んどるかもしれへん」
579名無し募集中。。。:04/09/26 21:39:46 ID:qn4ducFt
日も傾きはじめ、分厚い雲に覆われた空は、早くも闇を宿しはじめる。
藤本は雨降る町の中を彷徨っていた。
あてもなく、ただ、消えた能面の手がかり――里田の姿を追って。
傘も差さず、雨に濡れた体がふらついている。
足に深く突き刺さっていた菱は既に抜いた。
痛みはもはや、痺れていて何も感じない。

あの手甲の感触。上段を受けたときの動き。
今は確信になっている。
あれは間違いなく、あの能面たちの体術の動き。
全身の毛が逆立つのを感じる。
あの夜を思い出すたび、焦りと、己の未熟さへの怒りで身がよじれそうになる。

里田が姿を消した後、しばらくして後を追ったが、
こうしていても無駄なことは既に分かっていた。
里田があの能面の一味であるならば、当てもなくただ町を彷徨って見つかるはずが無い。
自分でもおかしいと思っている。
ただ、雨に打たれていたかった。

小さな路地を抜け、大きな通りに出ようというところで、
足元の水溜まりに足を取られ、体がよろけ、角の家屋の壁に肩を当てる。
水が跳ね上がり、通りを行く人々の裾をわずかに濡らす。
ふらふらと家屋沿いに、足を引きずるようにして歩く。
人々はずぶ濡れになった藤本を汚らしい溝鼠を見るかのような目で蔑み、
あるいは何をするかわからない浪人者として恐れ、避けて通った。

すると、一人の男が藤本の前で立ち止まった。
小柄なその男は、驚いた様子でゆっくりと頭の笠を持ち上げ、
丸い目で確認するように藤本の顔を覗き込んだ。
「……藤本か?」

それは藤本も見知った猿顔の男――岡村隆史だった。
580ねぇ、名乗って:04/09/26 22:00:14 ID:Cq5X6wxj
581ねぇ、名乗って:04/09/27 02:28:02 ID:QdoYVPxy
物語が大きく動き出してますねえ・・・ドキドキ

それはそうと岩はいいですね岩は
582ねぇ、名乗って:04/09/27 23:54:48 ID:QGs0xwl+
しびれるねぇ
583ねぇ、名乗って:04/09/30 17:30:55 ID:jxD2j7XR
高橋愛
584ねぇ、名乗って:04/10/03 20:21:14 ID:zd0i/Mop
いいね。
585名無し募集中。。。:04/10/04 17:53:04 ID:v+BgQvhS
586ねぇ、名乗って:04/10/04 18:16:43 ID:BvvHFP5R
高橋愛出せこのやろー
587名無し募集中。。。:04/10/04 21:22:48 ID:lSvmMD97
高橋は出さなくてイイヨ・・永遠に
588名無し募集中。。。:04/10/05 13:43:27 ID:g8bnMlxm
出てたじゃん
589ねぇ、名乗って:04/10/06 22:44:06 ID:u61Tg8Eu
高橋だけ戦ってない…
武器も必殺技も不明…
祭りのときに活躍すると信じてみる…

あと最近美貴介よりも紺野が目立ちまくり。作者様が紺野に乗り換えた気がして超不安。
590ねえ、名乗って:04/10/07 07:24:58 ID:6aJWkbiG
簡単な感想ならともかく
内容に関する余計な詮索や要望は
止めといた方が良いと思う。

誰が好きとか嫌いとかも要らない。

続きが書き難くなるかもしれないから
591ねぇ、名乗って:04/10/08 16:33:48 ID:iuUmNY53
さまぁ〜ず出てきそう。
592名無し募集中。。。:04/10/11 10:03:41 ID:jC7faKPt
po
593ねぇ、名乗って:04/10/11 17:07:36 ID:j/NTdmpM
今日あたり更新かな?
化け物とか出てきますか?
594名無し募集中。。。:04/10/11 22:15:46 ID:B9yb40rW
---------------------------------------------------------------------------------------
あちらで明かしましたので、こちらにも報告します。
娘。小説を取り扱う『musume-seek』(飼育)というサイトで、
『第十六回オムニバス短編集』という企画にかまけておりました。
45番の『イヤな女。』というタイトルで参加してます。
というわけでこちらの進行が遅れてます。ごめんなさい。
---------------------------------------------------------------------------------------
595ねぇ、名乗って:04/10/11 23:21:44 ID:XvewYRTv
イヤな女。読ませてもらいました

美貴介とはまた違う表現方法で
登場人物の内面を上手く表現していて面白かったです
蛇足になるけど最後の3レスも個人的に妙にツボだったんですが
アレも作者さんの書き込みなのかな
596ねえ、名乗って:04/10/12 22:33:39 ID:pEdtO/kX
>>594
>>595
もう読めないんですか?
ぐぐってみたけど見つからないんです
597名無し募集中。。。:04/10/12 23:05:09 ID:jNyNyce1
>>596
俺も小一時間探したよ。
「過去の企画」ってとこ。
598ねぇ、名乗って:04/10/13 01:51:21 ID:PpVqB7CL
>>597
やっと見つかりました。ありがとうございます
ハロモニの「読むの?!」「後でシメられる」を観た後だったから余計に笑ってしまいました
599名無し募集中。。。:04/10/16 02:29:23 ID:/yiGgJT5
600名無し募集中。。。:04/10/18 23:31:37 ID:FROFDPhN
600
601名無し募集中。。。:04/10/20 01:27:12 ID:dGL7UOrE
601
602名無し募集中@上映中:04/10/20 06:10:05 ID:Zb0zpijT
宝島も「娘。バイブル3」
出してくれ
603名無し募集中。。。:04/10/20 08:12:57 ID:GxX8QIP0
マダー?
604名無し募集中。。。:04/10/20 22:22:36 ID:hTSNPMMP
>>601
>>602
>>603
だからsageろって
605名無し募集中。。。:04/10/23 03:14:18 ID:11K3jRsH
ho
606名無し募集中。。。:04/10/23 21:11:40 ID:V66Ni0dP
二、人斬り

「岡村先生が京都にいるの!?」
不意に発せられた大きな声に、吉澤が慌てて石川の口を手で塞ぎ、あたりを見回す。

紺野は急ぎ駆ける吉澤の後について、さくら組屯所に戻っていた。
現場を任せられた石川が、そこで指揮を執っていた。
(岡村……岡村隆史?)
吉澤らが岡村先生と呼ぶような人物は、あの阿佐脱藩浪士、岡村隆史ただ一人である。
以前、壬生娘。組とも深く交流のあった人物だ。
しかし何故その名前が突然、吉澤の口から出されたのか紺野にはよくわからない。

思い立って吉澤に、阿佐藩士三人に対して毒が盛られていた話をしていた最中である。
その阿佐藩士らが一体何をしに京都に来ていたのかと言及した時だった。
吉澤が突如、屯所に向かい駆け出した。
途中、そういえばあの阿佐藩士を捕えてきたのは、
他ならぬ吉澤自身であったということを紺野は思い出していた。

「すぐに居場所を探すべきだ」
「なんで?」
首をかしげる石川に吉澤は苛つきを隠さない。
「なんでもだよ。他の隊士も回してくれ。うちの八番隊だけじゃ足りない」
「そんなんじゃわからないよ」
「俺だってちゃんとわかってる訳じゃない。
でも早いとこ、岡村先生を見つけないとまずい。嫌な予感がするんだよ」
「なんなのよ、それ。あなたの思いつきだけで勝手に貴重な人員を割くわけにはいかないわ。
あなた何か知ってるんじゃないの? 言いなさいよ」
吉澤が押し黙ると、にわかに屯所の入り口付近がざわついた。

「何してるの?」
現れたのは加護だった。
その後ろには、安倍がいた。
607名無し募集中。。。:04/10/23 21:12:09 ID:V66Ni0dP
安倍と加護はちょうど黒谷の本陣から帰ってきたところだと言った。
「――そうか」
紺野と吉澤が交互に一通りの説明を終えると、安倍は腕を組んでしばらく黙る。

厚い雲に覆われ、日の位置ははっきりとわからないが、
晴れている時よりも早くに辺りは暗くなりつつある。
新しい報せを求め、外に出ていた隊士たちが屯所に戻りはじめていたので、
紺野らはあらためて雨を避け、屋敷の中に座していた。

上座の安倍を前に石川、吉澤、加護、紺野。
他に、市内を一巡り探索して一度戻ってきた新垣と、
おとめ組屯所からやってきた田中が新たに顔を揃えている。

「安倍さん……」
加護が促すと、安倍は小さく頷いた。
「私と加護が黒谷で聞いた話とも合致する」
「その話とは?」
身を前に乗り出す吉澤を流して、安倍は石川に目を向ける。
「矢口は?」
「恐らくまだ所司代のほうに」
「辻さんと亀井は市中で聞き回りを続けています」と新垣。
「めざまし屋からは何か聞き出せたか」
「まだです。番頭のほうは大丈夫ですが、主人のほうは歳であまり体力が無いので、
様子を見ながら“訊問”を続けています」
と石川。

めざまし屋は、蔵に武器を隠し持っていたことは認めた。
しかし、それは盗賊相手に横流ししていた物だと言い張り、
藩の関与については未だ認めようとしない。
二人を拘禁した蔵牢の近くでは今も、喘ぎ、呻き、叫ぶ声が漏れ聞こえてくる。
608名無し募集中。。。:04/10/23 21:12:42 ID:V66Ni0dP
「道重の容態は」
「傷は浅いですが、医者によればひと月は自由に体を動かさないほうがいいと」
田中がうつむき口を強く結ぶのが紺野の視界の端に映る。
組で言う「浅い」とは、命を失うには至らないという意味でしかない。

「斬ったのは丑三か」
「本人によれば。太刀筋から見ても恐らく、間違いないと」
「……そうか」
安倍は一拍置き、続ける。
「光男公は、読瓜藤州同盟締結以後の両藩間における武器流通に関して、
阿佐脱藩浪士岡村隆史の設立した結社が深く関わっているのではないかと見ておられる」
「なんですって?」
石川が目を見開き、声を漏らす。

「所司代屋敷における阿佐藩士惨殺と、
六角牢においてあったとされるその三人の暗殺未遂も鑑みれば、
お台場めざまし屋における大量武器の消失と江頭丑三による町人虐殺に関連して、
岡村隆史が何らかの重要な鍵を握っている可能性は高い。
この話はまだ他の組には伝わっていない。
よって、丑三探索と武器運搬経路探索については所司代と見廻組に任せ、
壬生娘。組はこれより極秘に、岡村隆史の発見拘束を最優先に市中捜索を開始する」

「なにか捜索の手がかりになるようなものは?」
紺野が訊くと、安倍に促された加護が答えた。
「監察の高橋ちゃんによれば、
岡村は昨年、船宿寺田屋で伏見奉行所の囲みを抜け潜伏して以後も、
頻繁に京都に出入りしていたと思われますが、
最近になって、大坂の越前藩邸でそれらしき人物の姿があったという話がありました」
609名無し募集中。。。:04/10/23 21:13:19 ID:V66Ni0dP
「越前藩邸ですか?」
「はい。これは所司代筋からの情報ですが、
最近、長崎のほうで英国海軍の水兵が惨殺されるという事件がおきました」
「それもしかして、ゐかるす号の水兵、ですか?」
不意に田中が声を上げると、加護が驚いた顔をする。
「そうそれ。よく知ってるね田中ちゃん」
「郷の知り合いから、それとなく伝え聞いたことがあったので」
「田中は九州の出身だったか」と吉澤。
「はい。筑前です」

加護が続ける。
「それで今、その殺人の嫌疑が岡村の部下にかけられているらしく、
激怒した英国大使が阿佐に軍艦で攻め入ると脅しをかけてきているそうです」
「ああ、それで最近一義公とか阿佐藩の周りが慌ただしいんだ」
新垣が言うと、安倍が後に続く。
「幕府のほうにも英国から隊士についての照会要求が来ているらしい。
その辺りは高橋に和田さんのつてで情報を収集させている」

「それでですね。阿佐の一義公はあくまで嫌疑を突っぱねているご様子なんですが、
もし何かがあった場合でも、こんな時期ですから、
あくまで穏便に事を運ぶよう一義公に対して進言していただこうと、
親交のある越前藩主、五木ひろし公に岡村が働きかけているのではないかと」
「福井のひろし公か」と吉澤。
「ここで英国との問題が大きくなってしまうと、
倒幕の勢いに乗る他藩に阿佐が遅れるから焦っているんですね」と新垣。

越前福井藩主、五木ひろし。ひろしは雅号である。本当の名は数夫という。
五木ひろしと言えば、政事総裁職も務めた幕府の実力者である。
歌と催事を好み、何かと行事を催しては人寄せのために壬生娘。を利用したりもする。
京の治安維持を本分とする壬生娘。組にとって決して有り難い事ではなかったが、
そうして幕府の実力者に貢献する事が幕府内の壬生娘。組に対する批判を和らげ、
壬生娘。組の立場を保たせていた面も否定できない。
610名無し募集中。。。:04/10/23 21:13:57 ID:V66Ni0dP
また、開明的な賢候としてもその名は広く知られ、
現将軍の擁立や三佳宮降嫁など初期の公武合体政策に尽力しただけでなく、
開国による技術革新と海運の活性化を見越した海軍操練所創設のために、
多大な支援を図るなど、常に時代の先端を見つめる人物でもあった。

しかしその反面、幕府の重臣でありながら、当時操練所の塾頭となった岡村隆史など、
いわゆる勤王、倒幕派寄りの人物とも個人的に交流を持つことがあり、
幕府の守旧派に疎まれる行動も多く、
治安維持を旨とする京都守護職とぶつかる事もたびたびあった。

「では岡村さんは大坂に?」と紺野。
「今のところ越前大坂藩邸に監察方を向かわせて、
他にも京都周辺の阿佐藩関係各所を手分けして見張らせてはいますけど、
何せ人手も足りず、今のところ行方は全くわかってません。
幕府側のゐかるす号事件に関する対応の進行具合から言って、
まだ岡村さんはその件から離れていないと見るのが妥当とは思われますけど……」
「どこか他の藩邸に篭もられると追えなくないですか。
岡村先生は色んな藩につてありますから」
「事件の性質と本人の性格から言っても、ずっと藩邸に引き篭もることは考えにくい」
「じゃあ、まだ大坂か京都に潜伏して活動している可能性が高いか」
「たぶん」

「あとの細かい指示は石川に任せる」安倍が言う。
「はい」
「隊服は着るな。武器捜索の形をとり、見廻組には悟られないようにしろ」
「局長……」
吉澤が目を安倍に向けると、安倍は吉澤を見ないまま小さく頷く。
「それと、岡村の所在を把握したら、まずここに知らせ、判断を仰ぐように。
許可があるまで隊士は本人に接触するな。
これは厳命だ。あくまで岡村は無傷で拘束する事を最優先とする」
「は」
紺野たちがそれぞれ返事をする中、横で、吉澤が一人ふっと息を吐いた。
611名無し募集中。。。:04/10/23 21:14:27 ID:V66Ni0dP
「夜になるね」
紺野がぽそりと呟いた。
「うん」
石川による指示が一通り終わり、
紺野と新垣は部屋の中で、再び外に出る準備を整えていた。

新垣がすらりと刀を抜き、灯りに当てながら片目で刃こぼれがないか確かめる。
時折、反射してぎらりと光る白い刃を、紺野はぼうっと眺める。
「里沙は、どこ受け持つの?」
「……うん? 吉澤さんの隊と手分けして、
市内の店屋から探索する事になったよ。あさ美ちゃんは?」
「私は田中ちゃんの隊と、伏見から大坂にむけて探索する事になった」
「ふうん」
「なんか吉澤さんが『俺と行くか?』って言ってくれたけど断った」
「……へえ」
「なんでだろうね」
「なにが?」
「なんか、吉澤さんとか妙に私に構うから」

新垣は手を止め、紺野を一瞥する。
「心配されてるんじゃないの。危なっかしいから」
「里沙がそういうこと言う?」
「……言うよ?」

腑に落ちず首をかしげる紺野を横目で見ながら、新垣はまた作業に戻る。
「はぁ〜。鈍いんだねえ、あさ美ちゃんは」
「里沙に言われたくない」
「そうね」
612名無し募集中。。。:04/10/23 21:15:57 ID:V66Ni0dP
「たまには大声で叫んでみたりすればいいんじゃないかね。あさ美ちゃんも。
わぁぁぁぁぁぁ〜っとかさ」
「……なんで?」
「いや、別に」
「今夜、安倍さんは大雨になるかもしれないって言ってた」
「ふうん」
「岡村先生、何がどうなってるんだろうね」
「大丈夫だよ。会えばわかる」
「そうだね」

「最近、私おかしい?」
「最近? ……いや、別に」
新垣が言うように、本当に危なっかしいのだろうか、と思う。
周りから変に気にされるほど、本当に自分がおかしかったりするのだろうか。
「そういえば。里沙は大丈夫なの?」
「なにが?」
「昼のこと」
昼の台場の町で起こった、町人たちとの諍いのことである。

新垣は手を止めしばしきょとんとした後、「ああ〜」と言ってまた作業に戻る。
「もうやめた」
「?」
「もうそういうの、いちいち気にするのやめた」
そう言って新垣は少しだけ背筋を伸ばす。
「信じることにしたから」
新垣の横顔を見て、紺野は少しだけ胸がどきりとする。

「へえ。大人になったんだね」
胸の鼓動を悟られないよう、平静を装ってそう呟くと、
新垣は一瞬口もとをほころばせた後に慌てて真顔に戻り、
「なにそれ?」
と、いかにもむっとした風に言った。
613名無し募集中。。。:04/10/23 21:16:39 ID:V66Ni0dP
はるか上空。厚い雲の奥のほうで時折、明滅が繰り返される。

紺野が新垣より先に支度を終え、表に出ると、
すぐ目の前に傘を差した一人の隊士が立っていた。
田中だった。
「どうしたの?」
声を掛けてみるが返事はない。様子がおかしい。
昼間におとめ組の屯所で出会った時とは明らかに雰囲気が違う。

「田中ちゃん?」
「おとめ組三番隊は、さくら組四番隊とは別行動をとらせてもらいます。
それだけ言いに来ました。じゃあ」
「ちょ、ちょっと」
本当にそうとだけ言って、身を翻し去ろうとする田中を慌てて止めようと、
紺野が肩に手を触れると、田中は腕を振ってそれを拒絶した。
あまりの激しい動きに、紺野は驚く。

「触らんでください」
激しく振られた傘の奥から、田中の鋭い目が覗いていた。
「田中……?」
「道重の……さゆの斬られた現場は、
本来なら、おとめ組二番隊の巡察担当区域じゃなかった」
急に、一方的に話しはじめた田中の言うことが紺野には理解できない。
「さゆは今日、所司代組屋敷での検分の後、所司代の者に頼まれたんだそうです。
どうもお台場の近くで壬生娘。組の隊服を着た者たちが不逞を働いている。
町人たちがどうにも困っているらしいので、幹部に注意して欲しいとことづかったと。
それを聞いたさゆは、帰るついでだからと素直に請け負い、お台場に向かった」

田中の目は紺野の目を捉え続ける。
「その頃、お台場に隊士がいたとすれば、
それはさくら組四番隊だったんじゃないんですか」
614名無し募集中。。。:04/10/23 21:19:21 ID:V66Ni0dP
「え……?」
突然のことに一瞬、紺野は言葉を失った。
そしてしばらくの後に、田中の言うことを理解した。

丑三の行方を捜索していた紺野は、予定していた家屋捜索の任務を一通り終えると、
その場でさくら組四番隊を解散させ、自分は一人で六角牢に向かった。
その後、紺野は藤本と矢口に出会っていたのだが、
隊士たちがばらばらのまま周辺をうろついていたとすれば、
確かにその時刻、その場所にいたのは紺野のさくら組四番隊であった可能性が高い。
少なくとも、非番か他の任務についていた他組の隊士が、
隊服を着てその場にいた可能性は高くない。

「元よりまだ、そんなに力のある子じゃない。
それでも人手の不足しているおとめ組の事情をあの子なりに感じていて、
慣れない組頭代理として、無理をしておとめ組二番隊を引っ張っていた。
だから丑三が現れたときも、誰にも助けを求めずに深追いした」
紺野は何も言わずにいる。田中の言わんとしている事がわかってしまったからだ。
二人の間に、雨がただ降りそそぐ。

「別に紺野さんを責める気はありません。
きっとあなたのことだから、決められた任務は果たしていたんでしょう。
私のこの気持ちがほとんど逆恨みってこともわかってます。でも……。
さゆが必死で丑三を追っていたとき、あんたがたはここで、お仲間とじゃれあっていた」

傘の奥の田中の瞳は、睨むと言うよりはむしろ、蔑みのように紺野には見えた。
「それを私は許せない。そんな人たちに私の部下の命を預ける事は出来ない」
紺野は何も言い返すことが出来なかった。
「もちろん私も自分を許さない。だから、丑三は私が捕まえます。
それだけ言いに来ました。じゃあ」

そう言うと、田中は背を向け雨の中に消えていく。
空がぐるる、ぐるると低く、獣のように唸った。
615名無し募集中。。。:04/10/23 21:19:57 ID:V66Ni0dP
「けっこう降りそうやな」
岡村は窓から暗い空を見上げた。

洛中より南――伏見に程近い旅籠の二階の一室である。
「岡村さんやばいよやばいですよ〜」
傍で、蛙を連想させる平べったい口をした男が、
がらがらのしわがれた声で何度も同じ言葉を繰り返している。

「うっさい出川。お前そればっかりやな」
岡村は鬱陶しげに手を振る。
「でもやばいっすよ〜、この雨じゃ馬も走りそうもないしもう間に合わないっすよ」
「大丈夫や、もうすぐ日も暮れるし向こうもまだ動けんやろ」
「でもやっぱやばいっすよ〜、周りにはあいつらがうようよいるみたいだし、それに」
出川は部屋の隅を見る。
「俺たち狙われてるんすよ? こんな時に何やってるんすか」

おどおどとする出川の視線の先、
部屋の隅、室内に灯された火のちょうど影になるあたりに、藤本はいた。
刀を傍らに置き、壁を背にして片膝を立て、背を丸め、
見ているわけでもいないわけでもなく、虚ろな視線を岡村たちの方に向けている。
まだ残暑の季節だというのに、
寒気があるのは雨に濡れすぎたのと、血が抜けたせいだ。

「どや、血は止まったか」
岡村が藤本に目を向ける。
足の甲に丁寧に巻かれた白い布に滲んだ血は既に止まっている。
体の冷えと痺れで、痛みは殆ど感じない。
616名無し募集中。。。:04/10/23 21:20:27 ID:V66Ni0dP
「なんだってまたこんないかにも厄介そうな」
出川は明らかに迷惑そうな顔をする。
「他人のことなんて構ってる暇ないでしょうに」

「まあ、こいつとはちょっとばかし縁があってな」
岡村が言うと同時に、部屋の襖の向こうから女の声がした。
「お客さん。簡単ですけど、言われたお食事持って来ましたよ」
「ああご苦労さん」

女が消えると、岡村は女の持ってきた大きめの椀の一つを部屋の隅に差し出した。
「食いや」
藤本は動かない。
「ほれ」
岡村が一歩踏み出すと、
藤本は流れるような動作で傍らにあった刀を、
鞘に収めたまま音も無く目の前に立てる。

「まてまてまて。そんな時とちゃうやろ」
岡村は慌てて腰を引き、一歩戻って藤本が持つ手を緩めるのを確認すると、
ふうと溜息をついた。

「まったく。お前ら壬生の連中ときたらなにかってえとすぐに刀を抜きやがる。
ばか女丸出しやで。
あん時お前がいたら、辻よりお前がばか女や多分、ばか女」
吐き捨てるように言った。
617名無し募集中。。。:04/10/23 21:21:09 ID:V66Ni0dP
「なんですかそれ」
「ああ昔ちょっとな、あいつらんとこに教えに行とったことあんねん。
そんでたまにな、誰が一番頭悪いか決めてたんや、ばか女」
「え! 壬生娘。でしょ!? 佐幕中の佐幕ですよ! あの連中に?」
「頼まれたんやからしゃあないやろ。昔の話や」
「誰に頼まれたんですか」
「それは誰でもええやん」
「いいけど、岡村さんが何を教えれるんですか」
「そら色々や。人の道とか男の道とか、女の道とか」
「女の道ぃ? 岡村さんが?」

「うっさいわお前、そんなんええねん。絡みにくいなお前は」
そう言って再び、今度は椀だけをできるだけ前に出して置いた。
「食いや。毒なんて入っとらんて。お前も体力つけなあかんやろ」

藤本はしばらく岡村を見つめた後、
刀を右手に持ち替え、湯気の立つその椀を左手で引き寄せると、
岡村と出川から視線を離さぬまま、一口すすった。
ごくりという音とともに熱い汁が喉をすうと通り、
腹に落ちて、熱を体中に広げていく。
冷えた足の痺れが少しずつ、痛みに戻っていく。

「まるで捨て犬だな。いや捨て狼か」
遠巻きに眺めながら出川が呟く。
「ま、傷は大したこと無さそうやな」
岡村が言った。
618名無し募集中。。。:04/10/23 21:22:03 ID:V66Ni0dP
辺りが闇に包まれてくると、雨が一段強くなる。
「この大雨じゃ今夜は出ませんかね」
「だから言うたやろ。まだ大丈夫やて」

長い沈黙の中に、ぽつり、ぽつりと会話があった。
からの椀が三つ畳の上に転がっている。
部屋の隅に灯された、小さな灯りだけがせわしなく動き続けている。

「もう武士なんて、おらん世の中になるで」
岡村が言った。顔は藤本のほうを向かず、火を見つづけている。
「藤州、読瓜だけやない。阿佐も、もう裏では連中と手組むこと考えとる」
「藤州と読瓜を組ませたのはお前じゃないのか」
藤本が口を開くと、出川は驚いた顔を見せる。
「しゃべった……」
「そうや。けど、ほっといても連中、勝手に手組んでたで。
俺が間に入ったのは商売になるからや」

「商売」
「そうや、銭や。藤州戦争では、たーんと儲けさせてもらったで」
岡村は表情を変えず、揺れる火を見つめる。
「だからこそわかるんやけどな。もう刀の時代は終わる。
あのでっかい海の外じゃあな。
武士が力で世の中を動かす時代なんぞとっくに終わっとるんや。
これからはな――」

岡村は右手の親指と人差し指で小さな円を作った。
「銭や。銭が世の中を動かす時代が来る」
619名無し募集中。。。:04/10/23 21:22:41 ID:V66Ni0dP
「今の幕府を守ろうなんて人間は、ただの阿呆やで。
あんなん。すぐにでも潰してもうたほうがええ」
視線を藤本の『独り舞台』に向ける。
「それにな、もし戦が起こっても、そんな刀なんてもう使わんようになる」

岡村は懐に手を入れると、中から何かを取り出し、ごとりと下に置いた。
暗くてよくわからないが、横長の、細かい飾りのついた鉄の塊のように見える。
「拳銃や。スミス・アンド・ウェッソン言うてな」

それは、これまでの武士文化の中に存在してきたものとは、
あまりにも異質な意匠であった。
藤本が知るどのものとも似ていない。
「ちっちゃい鉄砲や。こっから、目にも見えん速さで鉛の玉が飛び出す。
剣の腕なんていらん。昨日今日これを持った素人でも刀なんかより強い。
こういうのがどんどん増えていったら、剣の強さなんていらん。これが最強や」

鏡のように磨かれたそれの表面が、灯を反射して時折光る。
「……どうする? 藤本」
岡村が挑発的に藤本の顔を覗き込む。しかし藤本は表情を変えない。

すると岡村は、あらためて拳銃を手に持った。
「やってみるか? 人斬り」

「ちょ、ちょっと岡村さん」
出川が慌てて手を伸ばすが、岡村は構わず続ける。
「お前ら人斬りなんかもう、これからの世の中にはいらん。
これを持った素人が最強や。どや? 試してみるか?」
620名無し募集中。。。:04/10/23 21:25:33 ID:V66Ni0dP
「岡村さん! 拳銃なんて撃ったら奴らに居所がばれますよ!」
出川が小声で叫ぶ。
「ま、素人いうてもな、これでも江戸の道場では塾頭やったんや、
そんじょそこらの腕じゃ負けるわけないで」
そう言って岡村がその鉄の塊から細く伸びる筒の先端を藤本に向けようとした、
瞬間だった。
岡村の鼻先に、光るものがあった。

『独り舞台』の切っ先だった。
一瞬で腰を浮かせた藤本の抜いた刀の切っ先が、
岡村に銃口を向けられるより早く、鼻先にあった。

岡村は驚きに口を開き、寄り目になって切っ先を凝視し、体を固まらせる。
「ちょちょちょ、ちょっと待った」

両手をゆっくりと上げ、広げた岡村の手のひらから、ごとりと鉄の塊が落ちる。
「待った! わかった。わかった。負け、負けや。
免許皆伝とか本当は嘘やねん。師範に適当なこと言って書いてもらっただけなんや。
素人なんて全然たいした事ありません。人斬り最強です。藤本最強」
「岡村さん……」

藤本が表情を変えぬまま刀を鞘に戻すと、
岡村は肩の力を抜いてふうと息を吐く。
「しゃれんならんわほんま。冗談の通じんやっちゃで」
「冗談だったんですか」
「当たり前やろ出川! 大体こういう役回りはお前やないか、お前がやれよ」
「無茶言わないでくださいよ。やるなって言ったら本当にやるなってことですから、
やれって意味じゃないですから」
621名無し募集中。。。:04/10/23 21:28:28 ID:V66Ni0dP
「まいった、まいった。大したもんや。
……まあお前ら、こうやって今まで生きてきたんやもんな」
岡村がもう一つ、息を吐く。
「けどな、それでも、武士の時代は終わる」
「説得力ないよね」
「お前は黙っとけ」

鬱陶しそうに手を振ると、岡村はゆっくりと語り始めた。
「ええか藤本。
これまでは、何もわかっとらん連中が好きに暴れとったような京都の町には、
お前ら壬生娘。みたいな、ぶっちゃけ、ばかの力が必要やったかもしれんよ。
あの頃は何も考えずに突っ走っとけば良かったやろうけど。
けど、今はどうなんや? 今の幕府はどうや? お前らにとってまだ守るべきもんなんか?
みんな言うとるで、佐幕の走狗、壬生娘。は狼ですらない狗(いぬ)や、山狗や。
ぶっちゃけ。……俺の知り合いもお前らにたくさん斬られたしな」

岡村の目に怒りが宿る。
「真面目に本気でこれからの国を考えて、
国のためを思って死ぬ気でがんばってた連中もお前らに斬られたんやぞ。
まあ多くは言わんよ。それぞれに立場っちゅうもんがあるし、
恨みは恨みを呼ぶだけや。ここで多くは言わん。
けど盲目はな。罪や。正しく使われているうちはおっそろしく役に立つけど、
目的が曲がり始めれば、おっそろしく邪魔になる。どうなんや? 結局のところどうや?
お前の周りに今、敵はおるんかいな? 本当に斬るべき敵を斬っとるんか?
お前らの正義はどこにある? 幕府もお前らが邪魔になってきとるんと違うか?」

藤本は黙っている。
実際、岡村の言っている事はある程度理解は出来たが、
それで何を伝えたいのか、藤本には分からなかった。
そもそも藤本に政事に関する興味は無い。正義などに関心はない。あるのはただ――
すると岡村は、藤本の顔をまっすぐに見つめて言った。
「お前、俺のもんにならんか」
622名無し募集中。。。:04/10/23 21:29:00 ID:V66Ni0dP
「ええー!」
藤本より先に出川が叫んだ。
「岡村さん、こういうのが好みなんですか!」
藤本を指差す。
「ばか! そんな意味ちゃう!
大体俺はおっぱいでかいねえちゃんが好みやし……って、そんなんええねん」

岡村は呼吸を整える。
「どや、俺んとこで働いてみんか?
こちとら武器商人やからな。人斬りも扱うで」
「な、何言ってるんですか岡村さん」
「こう見えて俺、敵多いねん。あっちこっちに狙われとる」
「適当な事ばっかりやってるからでしょうが」
「ちょうど腕の立つ護衛が欲しかったところなんや」
「岡村さんなんてことを」

「どや藤本。俺んとこに来んか? 世界を見せちゃるで」
「……世界?」
「そうや。藩や日本なんてちっぽけなもんやない。
でっかい海の向こうにある、世界や。ものすごいで〜」
岡村の目が途端に輝く。

藤本の心は少しも揺れることがなかった。
しかし、例えばこの男がたった一人で藩を、幕府を翻弄し、
あの吉澤をして先生と呼びせしませるのも、どこかわかる気がした。

「まあええよ」
岡村は白い布の巻かれた藤本の足を見る。
「だいぶ血流しとんのやろ。今晩一晩、ゆっくり考えたらええ」
窓の外を見る。
「表、どしゃ降りやで」
623名無し募集中。。。:04/10/23 21:29:51 ID:V66Ni0dP
「あれ? 田中?」
田中と入れ違いに、吉澤が姿を現す。
「どうかしたのか?」
「いえ」
と紺野は答える。

「あら? あさ美ちゃんまだいるの?」
今度は後ろから新垣の声がした。
「ううん。なんでもない」
「……なにが?」
見なくても新垣がとぼけた顔をしているのが分かる。
「どうしたの?」
「何かあったのか?」
「なにもないです」
「あさ美ちゃん? なんかおかしいよ?」
「そんなことないよ」
「おかしいって」

「……なんで何も言わないの?」
「しょうがないと思う。答えもわかってるし」
すると、新垣はひどく悲しそうな顔をした。
「何で、そういうこと言うの?」
「おかしい?」
「……いいよ」
なぜ新垣がそんな顔をするのか、紺野にはよくわからない。
きっと自分を心配してのことなのだろうけれど、
考えても仕方のないことは世の中にはあるし、それが何なのか紺野にはわかる。
だから、こんな事を言ってもしょうがないし、答えのわかっていることは聞くだけ無駄だ。

「何でもないです。早く岡村隆史を探しに行きましょう」
今は目の前にある、正しい事を一つ一つしていくしかない。
あ、まただ。と紺野は思った。見えない殻が自分の周りを包んでいる。
624名無し募集中。。。:04/10/23 21:30:24 ID:V66Ni0dP
「どこへ行く」
夜も更け、雨足がやや弱まったと思われた頃である。
長く沈黙が続き、静まりかえっていた部屋の中に藤本の声が響いた。
「なんや、起きとったんかいな」
もぞもぞと、ひっそりと外に出ようとしていた二つの影が止まり、声を発する。

藤本のほうに、ここで眠る理由はない。
岡村がどういうつもりだったかは知らないが、
もとより屯所に帰らずここに居続けたのは他でもない。
岡村隆史という存在が、
監察方の藤本にとって重要なものであるという判断があっただけのことである。

「しゃあないなあ」
岡村は頭を掻く。
「お前も来るか?」
「どこへ」
「夜のうちに他の仲間と合流して、目的のところに向かう」
「どうやって」
「読瓜藩邸で馬を借りる。俺とこいつが今ゴチになっとるところでな。
なんとかなるはずや」
「藩邸は壬生娘。と一緒じゃやばいっすよ」
出川が藤本を見る。
「そこは何とかする。この雨や。向こうも一々下っ端の顔なんて見いひんよ。
どや、まあこれも何かの縁や。付き合うか? そのまま、俺の下で働いてもええで」

藤本は黙って答えない。
「……亜弥々姫。いうたか」
無表情だった藤本の顔が変わるのを見て、岡村はにやりとする。
「なんなら俺のつてで行方探してもええで。会府藩よりはよっぽど使える」
「目的地はどこだ」
「兵庫や」
625名無し募集中。。。:04/10/23 21:31:00 ID:V66Ni0dP
一時弱まっているとは言え、いつまた激しく雨が降りはじめるかわからない。
それまでくぐもっていた天上の唸り声は、
いつか地上を打ち鳴らす割れんばかりの轟雷に変わりつつある。
やがてまた、激しく雨が降ってくるのは間違いない。

人の通りは全く無い。
三人は笠を深く被り、宿の外に出た。

出川を先頭に岡村、藤本と続き、しばらく道を急ぎ行く。
雨の中に三人の跳ね上げる水の音が混じる。
と、藤本が言った。
「待て」

先を行く二人が止まる。
「お前の仲間たちは、お前らがここにいる事を知っているか」
「いや」
岡村が答える。
「ていうか、たちって言うほどおらんよ」
「ならばそこから先には進まないほうがいい」

藤本が三軒ほど先の暗い路地に視線を送る。
多数の近づく足音が藤本には聞こえた。
何かを探しているらしく、時折足を止めては、再び移動を繰り返している。
626名無し募集中。。。:04/10/23 21:33:43 ID:V66Ni0dP
「ち」
岡村が路地を見て舌打ちする。
「出川、道変えるぞ」
「はい」

しかし道を変えた途端、再び藤本が言った。
「待て」
「またか」
「下がれ」
藤本は咄嗟に前に出る。
その気配は、先程の近づく人間たちとは明らかに違っていた。
それは、確かな意思を持って藤本たちを認識し、
その前に立ちはだかろうとしている。
避けられない。

――男は、何の違和感もなく雨に紛れ、幽鬼のごとくそこに立っていた。
笠も被らず、一本の黒鞘を片手に体を雨に濡れるにまかせている。

出川の持っている灯りが男を照らす。
野武士のように垂れ下がった少ない髪が男の額に貼り付いている。
骸骨のように深くくぼみ、影となった眼窩の奥に、昏い光が宿っている。

藤本は男から視線を外さず、
水浸しの地面をじわりと踏み慣らした。

「……よう。丑三」
藤本の背後で、岡村がその男に向かって呟いた。
627名無し募集中。。。:04/10/23 21:35:08 ID:V66Ni0dP
---------------------------------------------------------------------------------------
イヤな女。の感想ありがとうございます。
最後の三行ですが、それも私のレスです。
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628名無し募集中。。。 :04/10/23 23:23:25 ID:WqEbsab3
あやや、久しぶりーーーーー
人切り時代に戻りそうですな
629名無し募集中。。。:04/10/23 23:45:53 ID:sQtREkod
めちゃイケにエガちゃんが登場したと思ったら
こっちにも登場か
田中が怒ってた時 道重が死んだのかと思ってハラハラした
630ねぇ、名乗って:04/10/25 23:51:31 ID:au/5jG4O
緊張感が伝わってきますね・・・

>>627
あれも作者さんのものでしたか!
わざわざレスありがとうございます
631名無し募集中。。。:04/10/30 18:15:06 ID:EgK61cNb
続きがたのしみすぎる
632名無し募集中。。。:04/11/01 16:16:11 ID:ocHkV5H+
次いつごろ?
633ねぇ、名乗って:04/11/02 14:11:38 ID:ftKRwr0W
だいたい二週間に一回のペースだから次は11月6日辺りじゃね?
634名無し募集中。。。:04/11/04 02:20:18 ID:riRwnB7W
.    ∋o、
    ノハヽ
    (*・e・)
.   ノ^ yヽ、
   ヽ,,ノ==l ノ
    /  l |
"""~""""""~"""~"""~"
635名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
---------------------------------------------------------------------------------------
スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
---------------------------------------------------------------------------------------
636ねぇ、名乗って:04/11/08 18:56:16 ID:DgPyr7oI
よーし黒い模造刀買って部屋に飾ってパパ独り舞台とか妄想しちゃうぞ〜
637ねぇ、名乗って:04/11/09 17:51:23 ID:aznokA7i
模造刀かよ!
638名無し募集中。。。:04/11/10 23:14:26 ID:Heas+gLw
欲しいな
639ねぇ、名乗って:04/11/12 02:41:25 ID:Blevm9Nh
面白い
640ねぇ、名乗って:04/11/12 18:59:33 ID:A2C9kFFv
イヤな女 読んでにやりと する秋の夜長かな(字余り)
641名無し募集中。。。:04/12/01 17:01:52 ID:ciYqb9kj
( ^▽^)<この程度のスレにはこの程度の保全がお似合いだ ハッハッハ
642名無し募集中。。。:04/12/07 18:27:14 ID:C+OJyi3G
( ^▽^)<ハッハッハ
643名無し募集中。。。:04/12/24 00:06:09 ID:BKXmAzO9
( ^▽^)<この程度のスレにはこの程度の保全がお似合いだ ハッハッハ
644ねぇ、名乗って:05/01/09 04:33:28 ID:MWORWWz3
.
645名無し募集中。。。:05/01/15 23:04:27 ID:8f5nV1bX
川*’ー’)ノ<中大兄皇子が大化の改新やよ〜
646ねぇ、名乗って:05/01/27 21:37:06 ID:WzA8rJiZ
てす

も  ク
ち ノ ̄ ̄ 。 ノ Д
647ねぇ、名乗って:05/01/27 21:43:52 ID:WzA8rJiZ
も  ク
・ ノ ̄ ̄
ち ノ Д
648名無し募集中。。。:05/01/29 22:03:57 ID:tl9186Qa
649名無し募集中。。。:05/02/09 08:23:29 ID:7nYU9ykQ
( ` ・ゝ´) 川‘〜‘)|| (〜^◇^) 川σ_σ|| ( ^▽^) 川o・-・) ( ‘д‘) ( ・e・)
650名無し募集中。。。:05/02/14 16:50:00 ID:JIMZZiPW
(((川#;‘〜‘)||)));o・o・)=3
651名無し募集中。。。:05/03/02 00:28:44 ID:ov/ASrXJ
hozen
652ねぇ、名乗って:05/03/02 06:41:59 ID:TsKG6Z/a
>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
---------------------------------------------------------------------------------------
スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
---------------------------------------------------------------------------------------
>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
---------------------------------------------------------------------------------------
スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
---------------------------------------------------------------------------------------
>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
---------------------------------------------------------------------------------------
>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
---------------------------------------------------------------------------------------
スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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653ねぇ、名乗って:05/03/02 06:43:07 ID:TsKG6Z/a
>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
---------------------------------------------------------------------------------------
>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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654ねぇ、名乗って:05/03/02 06:44:15 ID:TsKG6Z/a
>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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655ねぇ、名乗って:05/03/02 06:45:58 ID:TsKG6Z/a
>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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656名無し募集中。。。:05/03/03 23:30:14 ID:ufrImTFG
657ねぇ、名乗って:05/03/04 07:29:35 ID:L62iDftd
>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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658ねぇ、名乗って:05/03/04 07:30:37 ID:L62iDftd
>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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659ねぇ、名乗って:05/03/04 07:31:21 ID:L62iDftd
>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
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モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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660ねぇ、名乗って:05/03/04 07:32:25 ID:L62iDftd
>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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661ねぇ、名乗って:05/03/04 07:33:00 ID:L62iDftd
>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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662名無し募集中。。。:05/03/04 22:19:17 ID:LF0zGmsb
>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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663名無し募集中。。。:05/03/04 22:21:27 ID:LF0zGmsb
>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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664名無し募集中。。。:05/03/04 22:22:33 ID:LF0zGmsb
>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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>>635 :名無し募集中。。。:04/11/07 21:33:24 ID:mS2WPDSC
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スレの容量が心配だったので移動しました。
以下のスレです。

モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/
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665名無し募集中。。。:05/03/04 22:24:05 ID:LF0zGmsb
666名無し募集中。。。

次スレ
モー娘。メンバーの個々の価値はいくらか?
http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1094031392/

( ´D`)ノ<ののの666!( ´D`)ノ<ののの666!( ´D`)ノ<ののの666!( ´D`)ノ<ののの666!( ´D`)ノ<ののの666!
( ´D`)ノ<ののの666!( ´D`)ノ<ののの666!( ´D`)ノ<ののの666!( ´D`)ノ<ののの666!( ´D`)ノ<ののの666!
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