◇
その少し後、ジャングラーを駆ったケイが鬼天狗岳に到着した。
辺りはすっかり暗くなっている。夜目の利くケイでも全てを見通すことは出来ない。
「良く来たな、アマゾンよ」
ぼうっとケイを中心に鬼火が燃えた。円形にその場が照らし出される。
円の中心、その上空には十面鬼が巨体を浮かべていた。
「約束通り、決着を付けようか」
「望むところよ。……アァァマァァゾォォォォーン!」
アマゾンに変身したケイは、背びれを逆立てて身構える。
「死ね!」
十面鬼の巨大な口から火球が打ち出された。
素早い動きでその攻撃をかわす。アマゾンの周りで、次々に火球が弾けた。
「どうしたアマゾン! お前の力はそんなものか!」
休む間もなく繰り出される攻撃。
ついにアマゾンの目の前に火球が落ちた。爆煙が巻き起こる。
「どうだ!」
「ケケェェ!」
「なに!?」
爆煙に紛れ、アマゾンは十面鬼の背後を取った。
腕のアームカッターがぎらりと光る。
「ぬぉお!」
闇を引き裂く一閃。
だが、アマゾンの攻撃は十面鬼を捉えきれなかった。
十面鬼はぎりぎりのところで斬撃を避けていた。
邪悪なる九つの顔。その視線に死角はなかった。
「ふはは! 無駄だ無駄だ!」
十面鬼はアマゾンを振り落とすと、そのまま勢いを付けて押しつぶした。
「うわあ! ……ぐぅぅ」
アマゾンの体がみしみしと音を立てる。
どうにか抜け出そうとあがいてみても、不安定な体勢ではパンチもキックも効果がない。
ずんと音を立てて、さらに体が地面にめり込んだ。
内臓が傷ついたのか、アマゾンの口から血が噴き出す。
「これで終わりだ。一息に踏みつぶしてくれる」
ぐったりしたアマゾンを見て、十面鬼は勢いを付けるため浮かび上がった。
宿敵にとどめを刺すべく、再び地面に向かう。
だが、アマゾンはその攻撃をすんでの所でかわしていた。
そのまま、岩に埋め込まれた顔をアームカッターで切りつける。
「大切断!」
「うぐわぁぁぁぁぁぁぁぁ」
斬りつけられた顔が、断末魔の悲鳴を上げる。
生前、悪の限りを尽くした男の顔は、みるみる岩そのものへと変わっていった。
「うおおお! 俺の、俺の顔がぁ!」
十面鬼が叫ぶ。
そして怒りに満ちた目で、よろよろと立ち上がったアマゾンを見据えた。
「おのれ……おのれ許さんぞ!
もう貴様はただでは殺さん、地獄の苦しみを与えてくれる。
いでよ、獣人ども!」
十面鬼が呼びかけると、闇の中から異形の影がいくつも現われた。
闇の力が作り出したおぞましき化け物達。
敵意のこもった複数の目がアマゾンに向けられる。
「くっ! 卑怯な!」
「言っただろう。俺にはもう後がないんだ。
どんな手を使ってでも貴様を殺し、その腕輪を奪い取る!」
満身創痍のアマゾンに獣人達が襲いかかる。
先ほどのダメージは深刻だった。体が思うように動かない。
それでもアマゾンは必死で戦った。
祖父より預かった大事な腕輪を守るために。
「ええい! そんな死に損ないに何を手間どっている!
腕輪だ! 腕輪を狙え!」
十面鬼が叫び、カタツムリ獣人がアマゾンの右手に飛びついた。
腕輪を求めてむしゃぶりつく。
「くっ! このぉ」
「今だ! 食らえ!!」
十面鬼は、ガガの腕輪をはめたアマゾンの右手に向かって、火球を吐き出した。
食らいついてくる獣人を、アマゾンはふりほどくことが出来ない。
爆発が起こり、アマゾンは吹き飛ばされた。
カラン、と乾いた音がして、ガガの腕輪が地面に落ちる。
「ぐぅ! があぁ!」
アマゾンはのたうち回った。
ちぎれてしまった腕を抱えて。
火球は、獣人もろともアマゾンの左手を吹き飛ばしていた。
「くくく、どうだアマゾン」
「うう……仲間を犠牲にしてまで……。なんて奴なの……」
失った腕からはどくどくと赤い血が流れていた。
だが、それほどの攻撃を受けても、腕輪は無傷で残っていた。
十面鬼が手を振ると、地面に落ちた腕輪が宙へ浮かび、その手元へ飛んでいく。
「これでようやく、ガガの腕輪が俺の元へ帰ってきたか。
良いことを教えてやろう。アマゾン。
これはな、もともと俺が受け取るはずのものだったんだ」
「な、なんですって」
「俺はもともと神官『バゴー』の弟子だったのだ。
奴の元でインカの秘術を学んだ。そして知ったのだ、この腕輪の伝説を」
勝利を確信したのか、十面鬼は得意げに語り始めた。
「二つの石を持つ者同士がそれを奪い合い、両方を手にした者が全てを統べる。
その石を封じ込めたのがこの腕輪だ。
石を奪い合う二人の候補者。その一人が俺だった。
だが、バゴーは石の力を恐れた。だから俺の元から腕輪を奪い取り一人の男に渡した」
「それが……おじいちゃん……なの……」
「だがここにガガの腕輪は手に入った。
後は貴様からギギの腕輪を手に入れれば全てが終わる。
そうなったらゼティマなんぞ関係ない。
俺が……この俺が世界の王となってやる!」
「……そんなことはさせない。お前にだけは腕輪は渡さない!」
「ふん、その体で何が出来る。
さあ、ひと思いにとどめを刺してやろう。
それでギギの腕輪も俺のものとなるのだ!」
取り巻いていた獣人達がその輪を縮める。
アマゾンはずるずると後ずさった。だが、とても逃げ切れるはずがない。
獣人達は目の前まで迫っていた。
カマキリ獣人の刃がアマゾンに伸びる。絶体絶命。死の予感がアマゾンを襲った。
とん、這いずるアマゾンの背中が何かに当たった。
慌てて後ろを見上げる。
そこには不思議な衣装を着た男が、のっそりと立っていた。
男は目の前に立つカマキリ獣人を見据え、口を開く。
「ゴラゲグ ビベングデビ パパンビンレザ」
男はケイが目に入っていないかのように前に進み、丸太のように太い腕でカマキリ獣人を掴んだ。
その手の先から、男の体がどす黒い色に変わっていく。
「ウォォォォォォ!」
男が叫んだとき、その体は異形の怪人へと変わっていた。
怪人は、顔の真ん中に生えたサイのようなツノで、カマキリ獣人を貫く。
ぶしゅっと獣人の体から黄色い体液が吹き出した。
動かなくなった獣人を確認し、怪人は腕にはめた腕輪の勾玉をかちりと動かした。
「な、何故ここにグロンギが!
ええい、面倒だ! まとめて殺してしまえ!」
獣人吸血コウモリ、獣人ヤマアラシ、ヘビ獣人、黒ネコ獣人、トゲアリ獣人、獣人ヘビトンボ。
突然現われた邪魔者を倒すべく、全ての獣人が怪人に向かう。
「ザボゾロザ!」
だが、群がる獣人をものともせず、サイ怪人──ズ・ザイン・ダは暴れ回る。
何が起こったのかは分からないが、とりあえずの危機は去った。
アマゾンは傷ついた体を無理矢理引きずり起こす。
しかし、このぼろぼろの体で一体何が出来るというのか。
憎むべき敵を前にして、ただ手をこまねいているしかない。
無力な自分が悔しかった。
(……汝、戦う力を欲するか……)
不意に頭の中に声が響いた。
(この……この声は!?)
それは初めて日本に来たときに聞いたものと同じ。
戦士としてケイに戦う道を示した声だった。
(この声……腕輪? ギギの腕輪がしゃべってるの?)
(汝……今まで以上の力を欲するか……。
全てを滅ぼすやも知れぬ、強大な力を……)
(力……欲しい。あたしは力が欲しい。アイツを、敵を倒すための力が!)
(強大すぎる力は全てを滅ぼす。汝の体すらも。……それでも汝は力を欲するか)
(……例えこの身がどうなってもかまわない。
前にも言った。これ以上、アイツラのために命が奪われるのは許せない。
それに、そんな強大な力があるのなら、アイツラに渡すわけにはいかない!)
(……よかろう。
では我と我の片割れを合わせよ。さすれば我らはお前に大いなる力を与えん)
声はそう告げると二度と聞こえなくなった。
(片割れ……ギギの腕輪とガガの腕輪を合わせろってこと?)
「ドゾレザ!」
アマゾンが顔を上げると、死闘はもう終わりを告げていた。
辺りに獣人達のバラバラになった体が散らばり、毒々しい色の体液がぶちまけられている。
吐き気を催す光景の中、無事でいるのは空中に浮かぶ十面鬼と、それを見上げるザインだけだった。
「おのれ、良くも我が獣人達を」
ザインを押しつぶそうと十面鬼は勢いを付けて降下した。
だが、その突進をザインはがっしりと受け止める。
「なにぃ!」
恐るべきパワー。ザインはそのまま十面鬼を投げ飛ばす。
そして鋭いツノを突き立てるべく、一気に飛びかかった。
「ギベ!」
どしゅ、と硬いものが肉に突き刺さる鈍い音がした。
にやりと笑ったザインの口。
……そこから真っ赤な血が噴き出す。
「グゴァァ!」
「馬鹿め。貴様のような奴が、このゴルゴスに敵うとでも思っていたのか!」
笑う十面鬼の顔にも、噴出した血が降り注ぐ。
ザインの背中に十面鬼の右腕が突き抜けていた。
心臓をつぶされたザインはびくびくと痙攣を繰り返す。
「次はお前だ! アマゾン」
ザインの死体を振り捨てた十面鬼が叫ぶ。
しかし、瀕死のアマゾンはどこへとも無くその姿を消していた。
「ど、どこへ行った!?」
9対の目が宿敵を捜して彷徨う。
「ケケーーーー!」
十面鬼の右後ろからアマゾンが飛び出した。
それは先ほど失った顔の部分。唯一の死角からの攻撃であった。
最後の力を振り絞った素早い動き。
まるでろうそくの火が消える寸前の輝き。
「おのれアマゾン! だが無駄だ!」
アマゾンの爪が空を切った。
必死のその動きも十面鬼を捉えることは出来なかった。
遂に力を使い果たしたアマゾンに、ガガの腕輪をつけた十面鬼の右腕が伸びる。
──ドシュ!
鋭い爪がアマゾンの心臓を貫いた。
「くくく、やったぞ! アマゾンはこの俺が倒した!」
「……ゥゥウ……ガアアアア!」
「ぬお!」
自分の体を貫いた腕に、アマゾンは噛み付いた。
そのまま腕輪ごとその腕を喰い千切る。
「ぐあああああ!
ぐ、ぅ……おのれ! この死に損ないが!」
食いちぎった腕を咥え、フーフーと荒く息を継ぐアマゾンを、十面鬼は睨んだ。
怒りの中に、わずかな怯えをにじませて。
どう考えても限界はとうに超えているはずだった。
おそらく意識も定かではないだろう。
それなのに、何が一体この体を駆り立てるのか。
──おじいちゃん……。あたしに……あたしに力をちょうだい。
残った最後の力を振り絞り、アマゾンは祈りを捧げた。
その途端、二つの腕輪が光を放った。
食いちぎられた十面鬼の腕がぼろぼろと崩れ、ガガの腕輪が空中に浮かぶ。
ふわふわと漂った腕輪は、自分の半身を求め、ギギの腕輪と重なった。
次の瞬間、辺りが真っ白い閃光に包まれた。
「な、何だ。何が起こったのだ!」
目を焼くほどの光の中に十面鬼は見た。
ぼろぼろだったアマゾンの体の傷が再生していくのを。
そして、自分が心臓に開けた穴がみるみる修復していく様子を。
「ケェェェェェェェェ!」
アマゾンが叫んだ。
ずりゅっ、と音を立てて、失ったはずの右腕が肩から新しく『生えた』。
「馬鹿な! 腕輪の力とはこれほどの──」
「ケケェッ!!」
アマゾンが飛んだ。驚くべき跳躍力。月を背にシルエットが浮かび上がる。
それを見た十面鬼の背にぞくりと怖気が走った。
「ええい! 死ねぇ!」
十面鬼は火球を打ち出した。直径2メートルもある巨大な火球。
だがそれは、アマゾンにぶつかる寸前、真っ二つに割れた。
まるでチーズを切ったときのような、鮮やかな断面を見せて。
「ば、馬鹿なぁぁぁぁぁぁ!」
「スーパー! 大・切・ダァァァァァン!!」
すたりとアマゾンは地面に着地した。
一瞬の静寂。
立ち上がるアマゾンの背後で、十面鬼の体がずるりと斜めにずれる。
爆発の炎に照らされ、アマゾンはよろよろと歩いた。
(やった……ついに十面鬼を……。でも……体が……)
目の前が霞んだ。変身を保っていられずアマゾンはケイへと戻る。
(汝……強大な力を使いこなすに至らず。やはり……まだ足りぬ……)
(何? 何のこと……)
やっとのことでそう疑問を浮かべる。
だがそれだけだった。
すっかり力を使い果たしていた。
急速に意識が薄れていく。
(約束の刻は近い……今度こそ『黒き太陽』と『影なる月』が……)
それが最後だった。
意識を失ったケイは、その場にばたりと倒れた。
「なるほど、これが腕輪の力」
死屍累々の惨状。そこに現れた一人の男。
銀の鎧を纏い、炎のような装飾の冠をかぶった仮面の男。
パルチア王朝の末裔、「ゼロ大帝」は鎧を鳴らしつつケイに近づく。
「だが、やはり石の力は不完全だったか。まあ、それも仕方あるまい。
『運命の者』その片方が十面鬼では、さすがに役者が不足だろう。
ふふ、所詮こやつらは試作品に過ぎんのだからな」
そう言うとケイの横にひざまずき、腕輪に手を伸ばした。
かちりと音がして、ゼロ大帝の手に光が落ちる。
手のひらで輝くもの。それは小さく透明な石だった。
「これが『太陽の石』と『月の石』か。これで世紀王様をお迎えすることができる」
満足げに微笑むとゼロ大帝は立ち上がった。
足元のケイを見下ろす。その目が、すぅっと細まった。
おもむろに腰に下げた剣を抜き、その切っ先をケイに向ける。
「俺の思惑通り、十面鬼は死に、腕輪の中の石は二つとも手に入った。
お前のおかげだ、アマゾンよ。
だから今日のところはお前の命預けておいてやろう。
だが次こそは、お前の首このゼロ大帝が頂く。
楽しみにしているが良い。くくく、ふはははははは」
剣を手に下げたまま、ゼロ大帝は歩み去った。
後に残されたのは数多くの死体と傷ついた戦士だけ。
無情なまでの荒れ果てた地に、冷たく乾いた風がいつまで吹いていた。
第53話 「死闘! 十面鬼」 ─終─