深夜の公園。
閑静な住宅街な所為か、人通りは全くない。
耳が痛くなるほど静まりかえった空間。
ただ街灯の明かりがわずかに辺りを照らしているだけだった。
亜弥は暗がりの中、茂みに身を潜めていた。
油断無く辺りをうかがう。しかし、敵が追ってくる様子はなかった。
あの後、亜弥は何かに導かれるようにバトルホッパーにまたがった。
その途端、バイクはものすごい勢いで走り出した。
もともと亜弥はバイクの免許など持ってもいない。
しかし、まるで意志を持っているかのようにバトルホッパーは走り続けた。
迷路のような通路も、答えが分かっているかのようにあっさりクリアした。
そのおかげで亜弥はあそこから逃げ出すことが出来たのだ。
(これから、どうしよう……)
警察は当てにならない。なんとなくそんな予感がした。
第一、どう説明すればいいのだろう。あんな不可思議な体験。
かといって家に帰るわけにもいかない。
父親が関わっていた以上、何者かが待ち受けている可能性は高い。
(なによりも、こんな格好じゃあ……)
亜弥はしゃがみこんだまま、むき出しの両肩をぎゅっと抱えた。
こんなところに身を隠しているのも訳がある。
逃げ出すだけで精一杯だった。途中で見つけたのはバトルホッパーだけ。
他には何も手にしていない。つまり……。
そう、亜弥は今ぼろぼろのシーツ一枚を身に纏っているだけなのだった。
(ううう、恥ずかしいよお)
冷たい夜風が、身に染みる。
亜弥も年頃の娘。こんな格好では人前に出て行くことも出来ない。
と言って、夜が明けてしまったらそれこそどうしようもない。
絶体絶命、亜弥は頭を抱えるしかなかった。
「どないしたん?」
「ひぃぃ!」
後ろから声を掛けられ、亜弥は思わず仰け反った。
考えに浸りすぎていたのか、人の気配を全く感じていなかった。
不幸中の幸いだったのは、掛けられた声が女性のものだったことだろうか。
ごくりと唾を飲み込み、おそるおそる振り返る。
目の前に立っていたのは、縮れた髪を明るい色で染めた細身の女だった。
亜弥よりも年上、二十台半ばぐらいだろうか。
シンプルな白のTシャツ、デニムのジャンバー、洗いざらしのジーンズ。
手にはコンビニの袋を下げている。
「いや……それが……その……」
「なんやの、その格好? なんかのプレイ?」
「プ、プレッ! ち、違いますよぉ! これは……ちょっと……」
「あっそ」
真っ赤になって首を振る亜弥の横を、女は興味なさそうに通り過ぎる。
そして背中越しに亜弥に話し掛けた。
「ふん、なんか訳ありみたいやね。
ええよ、おいで。服くらい貸したげるわ」
「へぇ!?」
「へぇ、じゃないやろ。
あんた、いつまでその格好でおる気やのん?
朝になったら、ここも人通りが多くなるで。
あんたみたいのんがおったら、通勤中のサラリーマンさんの目の毒やわ」
「あ、あの……でも……あたし……」
「心配せんでエエよ。別にとって食うたりはせぇへんから」
と、こちらを振り返る。
一見ぶっきらぼうな口調だが、その言葉はなぜだか信頼できる気がした。
戸惑う亜弥に、女は自分の着ていたジャンバーを投げてよこす。
「あんた、名前は?」
「あ、あの、ま、松浦、亜弥でぇす」
「へえ、かわいい名前やないの。
あたしは平家みちよ。んじゃ、ついといで。すぐそこやから」
平家はそう言ってすたすたと歩き去る。
亜弥は意を決したように頷くと、その背中に小走りでついていった。
「どや? 気に入った服はあったかいな」
「あ、はい」
亜弥が連れてこられたのはえらく高級なマンションだった。
見上げるほどに大きな建物。ピカピカと磨き上げられたフロア。
広く明るい入り口を、着のみ着のままの亜弥は、急いで通り抜けなければならなかった。
「サイズは? 大丈夫やった?」
「あ、あの、ムネがちょっと……キツイです」
「やかまし! ……ったく、最近の若い子は体ばっかり大きなってからに」
身長はそんなに変わらないんだけどな、と心の中で突っ込む。
結局、シンプルなジーンズとトレーナーを借りることにした。
着替えの前に、熱いシャワーも借りていた。人心地ついた亜弥はほっとため息をつく。
──それにしても……と、亜弥は改めて部屋を見渡した。
吹き抜けの広いリビング。豪華なソファー。メゾネットタイプの2階。
「すごいお部屋ですね。
平家さん、一人で住んでるんですか?」
「いや、同居人が一人おるよ。今は出かけとるみたいやけど。
あ、断っとくけど男や無いよ。お・ん・な、やからね」
「でも二人でこんな大きな部屋……」
「まあ、うちらが金出したわけでもないしな」
「ええ? どういうことですか?」
「人にはいろいろ事情があるっちゅーことやね。
今のあんたみたいにな」
「あ……」
思わず言葉に詰まった亜弥に、平家は声を掛けた。
立ったままの少女を見つめる目は、意外に優しい。
「もし行くとこあれへんやったら、しばらくここにおってもエエで。
どうせ、部屋も余っとるんやし。もう一人おるんも悪い子やないから」
「……ありがとうございます。でも……」
亜弥は手の中のメモを握り締めた。
それは、父親があのとき渡してくれたもの。
亜弥が駆け寄ったとき、手の中に押し込んできたもの。
そこにはこう書かれていた。
『キャンプディアブロ跡地に来い。必ず一人で』
総一郎があの後どうなったかは分からない。
それでも行ってみなくてはならない。真実を知るためにも。
それに、亜弥を狙っている集団は恐ろしい相手だ。
これ以上、平家に迷惑を掛けるわけにはいかない。
関係ない人間を巻き込むことは出来ない。
亜弥はもう決心していた。
「あたし行かなきゃいけないところがあるんです」
「行かなきゃいけないところ? こんな時間にかいな」
「本当にありがとうございました。あたしこのことは絶対忘れません」
まっすぐこちらを見詰める亜弥の目。
それを見た平家は、ため息をつくとがしがしと頭をかいた。
「そのトレーナー」
「え?」
「そのトレーナー、あたしのお気に入りやねん」
「え!? あ、あの、だったら別のに着替えて──」
「いや、ええよ。その代わり絶対返してな、トレーナー。……約束やで」
「平家さん……」
今までとは違い、真剣な目で見詰められた亜弥は、唇を引き結んで頷いた。
「分かりました。絶対お返しします。ここに返しに来ます」
「ん。ほな気ィつけて行っといで」
「はい!」
元気に出て行った亜弥を見送り、平家はソファーにどさりと寄りかかった。
「はー、なんでまた厄介な子と関わりになるかな。あたしは」
やれやれと首を振る。かちゃり、とドアの開く音がした。
「平家さん、今この部屋から誰か出てったみたいだけど」
「あ、お帰り明日香。いや、まあ話せば長いねんけどな」
だが帰ってきたばかりの少女は、平家の言葉が聞こえていないかのように目を細めた。
「今の子……。なんだろう、すごく気になる。
平家さん、悪いけどまた留守番お願い」
「あれ? どっか出かけるんかいな。せっかく弁当買うてきたのに。
おい、明日香、明日香ぁ!」
平家の声を背に受けながら、福田明日香は亜弥の後を追いかけ再び夜の街へと飛び出した。