「皆さん、紹介します。私の娘、美貴です」
大きなバースデーケーキに立てられた19本のろうそく。
一息に吹き消すとたくさんの歓声と祝福の拍手が湧いた。
ぽんぽんと抜かれるシャンパンの音。
テーブルに溢れんばかりに並べられた料理。
ざわざわとあちこちで歓談の輪が広がる。
「なんか……すごいね」
「うん。美貴もこんなにすごいとは思わなかった」
ようやく人の輪から離れた二人は、目の前に広がる豪奢な光景を見て、
あらためて何度目かの吐息を漏らした。
船上パーティだと聞かされてはいたが、その規模は予想以上だった。
豪華な客船の貸し切り、船内に造られたきらびやかな会場、見たこともない高そうな料理。
そして何十人もの招待客、それも美貴や亜弥でさえ知っているような著名人ばかりだ。
「父さん、こんなに顔が広かったっけ?」
「知らない。今まで聞いたこと無かった」
藤本総一郎──大学で遺伝子工学を教えている美貴の父。
比較的裕福ではあったが、ここまで人脈があるなど二人は知らないでいた。
「美貴、こっちにおいで」
その父が美貴を手招いた。
どうやらまた招待客に紹介するのだろう。
誇らしげな父の様子に、二人は嬉しいような照れくさいような複雑な感情を抱いていた。
「ほお、これはかわいらしいお嬢さん達だ」
父の横に立った男がそう言って目を細めた。
30代だろうか、まだ若いと言っても良い見かけなのに、
仕立ての良い上品なタキシードがしっくりと良く似合っていた。
もちろん、美貴も亜弥もここぞとばかりに着飾っていた。
美貴の格好はホルターネックの白いブラウスに、
ほっそりとした腰回りをぴったりと包む黒のロングタイト。
首には真珠のチョーカーをあしらっている。
亜弥は腰のところできゅっと絞った、マーメイドスタイルのピンクのドレス。
髪に薔薇のコサージュを付け、むき出しの肩にはふわりとショールを羽織っていた。
「いや、本当に素晴らしい。まさに上の上だ」
「こちらはスマートブレインの社長、村上さんだ」
「スマートブレインって、あの?」
「すごい! 大企業じゃないですか」
「ははは、私はただの雇われ社長ですから」
「いやいや、君の辣腕ぶりは私の耳にも入っているよ」
「からかわないでくださいよ、藤本教授」
温厚そうに笑う村上。つられて二人も微笑んだ。
「ああ、失礼。主賓をいつまでも引き留めてはいけませんね。
それでは、またお会いしましょう。いずれ……ね」
村上の目が亜弥に向けられた。
その瞬間、視線を受けた亜弥の体がぴくんと跳ねた。
まるでネコに睨まれたネズミのように。
村上と別れ、二人でシャンパンをちびちびなめる。
「しっかし、スマートブレインの社長ってまだ若いんだね。
それになかなか格好良かったし。
ね、あの人、亜弥ちゃんのこと見てたよ。どう、玉の輿狙ってみたら?
……って、どうしたの?」
ぼんやりと何かを考え込んでいる亜弥を、美貴は不思議そうに覗き込んだ。
亜弥は先ほどの村上の視線を思い出していた。
何かを探るような、全てを見通されるかのような、強い視線。
「あの人……なんか……怖い」
「え?」
「あ、ううん。なんでもない。なんでもないよ。
それにぃ、あたしはぁミキたん一筋だから」
「なにそれ、ヘンなの」
おかしそうに笑う美貴を見て、亜弥も元気よく顔を上げた。
心に突き刺さった小さなとげを振り払うように。
「ね、ちょっとデッキに出てみない。なんか外の風に当たりたくなっちゃった」
「酔っちゃったんじゃないの? 飲み慣れないシャンパンなんか飲むから」
「なによー、たんだってまだ未成年でしょ」
「ま、そこは固いこと言いっこなしで」
ふざけあいながら、二人はパーティ会場を抜け出し、デッキへと出た。
天気も良く、太陽がさんさんと照っているとはいえ、さすがに外の風は寒かった。
火照っていた体が、一気に引き締まる。
「うー、さすがに寒いね」
「うん、でもこうやってくっつけば大丈夫」
「あー、ホントだ。やっぱ亜弥ちゃんあったかいわ」
「そりゃ、あたしは太陽ですから」
「ふふふ」
二人はぴたりと寄り添い、海を見つめた。
先ほどの喧噪が嘘のように、デッキの上は静かだった。
冷たい海風が、時折二人の髪を通り過ぎていく。
「あれからもう……十年経ったんだね」
美貴がぽつりと呟いた。
「亜弥ちゃんが、美貴のうちに初めて来たとき。
あれは美貴の9歳の誕生日だった」
「あたしね、あの日のこと一生忘れないと思う。
ミキたんが……あたしに言ってくれたこと」
亜弥が3歳の時、亜弥は突然ひとりぼっちになった。
事故だった。両親を乗せた飛行機が、原因不明の墜落をしたのだ。
亜弥はその後、親戚の家に引き取られた。母方の遠い親戚だったという。
それから4年が経ち、亜弥は美貴のところへやってきた。
美貴の父が何故、親友の娘を急に引き取ろうとしたのかは分からない。
見知らぬ家に連れてこられたその日、亜弥はにこにこ笑っていた。
幼い顔に、愛想の良い満面の笑みを浮かべて。
美貴の父はとても喜んだ。『かわいい娘が出来た』と。
そんな亜弥を、美貴はずっと見ていた。静かにずっと。
二人っきりになるとすぐ、美貴は亜弥の前に立った。
とまどったように見返す亜弥を、美貴はそっと、
まるで繊細なガラス細工を扱うように優しく抱きしめた。
そして、亜弥の耳元でこう呟いた。
「無理して笑わなくても良いんだよ」
亜弥の目が大きく見開いた。
突然ぽろぽろと涙がこぼれる。固まったような笑顔のまま。
美貴はずっと亜弥を抱きしめていた。亜弥の涙が止まるまでずっと。
引き取られた先で、亜弥はひどく辛くあたられていたらしい。
亜弥が泣き出すと、余計に仕打ちは辛くなった。
だから亜弥は笑った。常に笑顔のままでいた。
笑みという仮面をその心にかぶったのだ。
それがあっけないほど簡単に外された。
一人の少女によって。
「だからあたしにとって、ミキたんはすごく大切な人。
かけがえのない大事な人。
あたしが本当の顔を見せることができるのはミキたんの前だけ。
あたしはミキたんのためならどんなことだってできる。
ずっと、ずっと一緒だよ。これからも」
「亜弥ちゃん……」
「ね、ミキたんは……ミキたんはあたしのことどう思ってるの?」
「あたしは……あたしは亜弥ちゃんのこと……」
手すりを掴んでいた美貴の手に、ぴたりと何かが止まった。
「きゃあ!」
驚いた美貴は慌てて手を振る。デッキにぽとりと落ちたそれは、一匹のバッタだった。
「何でこんなところに」
「み、ミキたん……」
亜弥の震える声に顔を上げた美貴は目を見開いた。
目に映るバッタの大群。どこから現われたのか、無数のバッタが辺りを覆い隠していた。
「いやあ、何これ!?」
身を寄せ合った二人はデッキにしゃがみ込む。
「ついにこのときが来た。約束の刻が」
恐怖におののく二人に、不気味なしゃがれ声が届いた。
おそるおそる顔を上げる。そのまま息を呑んだ。
これまで以上に想像もつかない光景に、二人はもう声も出ない。
寄せては返す波の上、空中に漂う3つの白いローブ。
不気味な顔をあらわにし、三神官の一人ダロムが重々しく呟く。
「さあ、ご一緒に。我が御子よ」
差し出された手から逃げるように、美貴はぶんぶんと首を振る。
「恐れることはない。あなたは選ばれし者なのだ」
「そう、あなたは運命の娘なのよ」
そう言ったビシュヌは亜弥にも目を向ける。
その目が微かに細まった。
「間違いない。もう一人はこの娘だわ」
「そうか、やはり」
「ええい、松浦め。こざかしい真似を」
「まあ良い。これで二人の娘が揃った。儀式は滞りなく行われるだろう」
「何なの? 何なのよ一体!? もうヤだよ、こんなの……訳分かんないよ……」
感情のままに叫び、力無くうなだれる美貴。
その体を抱きしめるようにして、きっと三神官を睨んでいた亜弥の顔がすぅっと翳る。
亜弥の顔だけではない。周囲が闇に落ちようとしていた。
「太陽が……消える。なにこれ、日食……なの?」
巨大な生き物に食われたかのように、太陽はその姿を消そうとしていた。
運命の日。
約束の刻。
5万年に一度の日食の日。
「全ての準備は整った。
我らの王たる存在、世紀王様を迎える準備が」
亜弥と美貴を取り囲んだ三神官は、そのまま上空をゆっくり回る。
「さあ、藤本美貴。そして……松浦亜弥よ。
我らとともに約束の地へ」
亜弥は美貴を抱きしめる手に、ぎゅっと力を込めた。