第13話「抽選会」
「アテになんないランキングだねぇ」と言って、市井は読んでいた雑誌を放り投げた。
床に落ちたそれを拾い上げてパラパラとめくる。
冒頭の『1位 吉澤ひとみ』の欄で石川の視線は止まった。
「どうしてぇ?よっすぃーが1位だよ?」
「バァカ。そんなもん吉澤を世界チャンプとしか、見てない奴の評価だ」
「じゃあ実際は違うの?」
「大違いだね」
市井の言葉に石川はコロコロ表情を変化させる。
今は眉間にしわを寄せて唇を持ち上げている。たいそうな不満顔だ。
「わかってねえなぁ。本当の吉澤を知ったらそんなランキング成り立たねえんだよ」
「ちゃんと説明して下さい」
「本当の吉澤を知れば、その全員が間違いなく吉澤の優勝に票を入れるってことさ」
不満顔がたちまち甘い微笑みに変わった。
「2〜8位が成り立ってる時点で、アテにならないランキングなんだよ」
「じゃあ今日の抽選もよっしーにはあんまり意味ないんですね」
「そういうこと。あいつには通過点でしかない…」
市井の言葉の先にあるもの―――そう、その先であの娘が待っているのだ。
大会二週間前。
東京の某ホールにてトーナメント組み合わせ抽選会が開かれる。
出場選手は全員参加。いよいよ選び抜かれた7名が揃い踏むことになる。
(ぬ、脱ぎてぇ〜)
選手控え室の中、着慣れない正装姿に吉澤は早くもダウンしかけていた。
石川に無理矢理仕立てられたスーツがどうにも体を締め付けて、居心地が好ましくない。
「似合ってるじゃないか。どこのイケメンかと思ったぞ」
「ん?あー、あのときの」
ネクタイを緩めながら、吉澤は声のした方に顔を向ける。
数ヶ月前、攫われた石川を救うために戦った敵チームの一人がそこにいた。
大人びたジャケットを纏った柴田あゆみが、相変わらず表情の薄い顔で立っていた。
「意外だったぜ。お前らがこういうのに出てくるなんて」
「メロンは関係ない。私個人の意思だ。あいつと…約束したからな」
「…あいつか」
吉澤と柴田の脳裏に一人の娘が思い浮かぶ。
ここに来るはずの彼女は、未だ姿を見せてはいない。
「それより、石川梨華とはまだ一緒にいるのか?」
「何?あんだけヤラレテまだ懲りねえ?次梨華ちゃんに手ぇ出したらマジ殺すよ」
「無事ならいいさ。こっちももう関わりあう気は無い」
吉澤は少しムッとした。
もう数ヶ月近く一緒に暮らしているというのに、まだ吉澤は石川の素性を知らない。
詮索する気はないし、トレーニングでそれどころじゃなかったのも事実だ。
そういう関係でいいと思っていたが…
「お前、梨華ちゃんのこと、何か知ってんのか?」
「話せない。そういう決まりになっている。本人から直接聞け」
「あっそ」
何故か吉澤は自分に腹が立った。気にしていないつもりだったのに。
自分以外の誰かが自分の知らない石川梨華を知っている。
そんなことでこんなにもイライラするなんて思ってもいなかった。
「アニキィーーーーーーーー!!!」
「っぬお!」
場違いな大声に、吉澤の考え事は彼方へ吹き飛ばされてしまった。
アニキなんて呼び方するのはあのヤロウしかいない。
「ピーピーうっせーぞ!ピーマコ!」
「な〜に言ってんすか。アニキに会わせたい人がいるんですよ!」
「あん?会わせたい人?」
次の瞬間。吉澤は実に久しぶりに寒気というのを感じた。
「講道館の先輩で矢口真里さんっス。知ってますよねオリンピックの…」
「バカ、知らねえ訳ねえだろ!」
CMにも出演している国民的女柔道家、通称ヤグチ。
子供からお年寄りに至るまで、彼女の名を知らない国民なんているのだろうか?
だが吉澤が驚いたのはそんな所では無い。
150cmにも満たぬ小さな体から発せられる圧倒的威圧感だ。
(おいおい、安倍・飯田級じゃあねえか?)
「矢口さん。中学の先輩だった吉澤ひとみさんっス。ボクシングのチャンピオンの…」
「あぁ聞いたことあるなぁ」
小川の紹介を聞いた矢口から発せられた台詞はそれだった。
(聞いたことがある?その程度?この吉澤ひとみの名を、聞いたことがある程度?)
(おもしれえ!矢口真里!完全に自分の方が格上だと思ってやがる!おもしれえぞ!)
「よろしくね」
矢口真里は握手を求める手を差し出した。
だが吉澤はその求めに応じようとはしない。
「ごめん。ワクワクしちゃったから。握手はしないよ」
「?」
「あんたの手に触れちまったら、もう我慢できなくなりそうだ。だから…しない」
「お前の先輩、なかなかおもしろいこと言うじゃん」
「エッヘッヘ〜」
目的を失った右手を下げて矢口が言うと、
小川は自分が褒められた訳でも無いのに何故か照れてみせた。
吉澤はさらに続ける。
「安心したよ。本気出しても良さそうな相手がいて」
「そいつはどうも」
二人のやり取りを脇で聞いていた柴田も、体温の上昇を感じていた。
(強い奴はいっぱいいる。あいつの言った通りだ。確かにおもしろい)
裏世界にいた頃は感じたことのない興奮。本物たちの世界に柴田は震えた。
ここにもまた、新たな修羅が生れ落ちたのであった。
「騒がしいな」
視線が入り口に集まる。
ハロープロレス副社長、石黒彩の登場であった。
流石に他の選手達と比べても風格が段違いである。
彼女は誰とも口を聞こうとせず、一人奥のベンチに腰掛けた。
それを機に、吉澤と矢口も会話を止めそれぞれ壁際に離れていった。
抽選会開始の時間はもうすぐだ。
選手集合時刻も過ぎているというのに、まだ半数しか控え室にはいない。
そのとき、ドタドタドタッと大きな足音を立てて彼女は現れた。
「ハァハァハァ…間に合ったぁ〜!」
「遅え!お前、いっつも遅刻だよなー!」
「いやぁ〜渋滞でタクシー止まってもたで走ってきたんやって」
小川の突っ込みにこれまたノーテンキに方言丸出しで答える娘、高橋愛である。
しかもその格好はあまりに酷い。まるで地下街に住まう浮浪者の様だ。
「…ったく、バッチリ決めてきたこっちが恥ずかしくなる」
「ああ!吉澤さんじゃねえですか。どっかのホストみたいでわからんかったわ」
「くく…」
「おおー!あゆみちゃんもいるわ!やっぱり来たんやの〜良かった良かった!」
「てゆうか愛!あんた、着替えは?」
小川がもう一度つっこむ。愛はきょとんした顔で答えた。
「山から直接来たで何ももっとえん。だって抽選会の話も今朝知ったんやし」
「TVに映るんだぞ!あーもういい!私の貸してやるからとっとと着替えろ!」
小川が強引に愛の背中を押した。その際、愛の視界にまた懐かしい顔が映った。
「おお!石黒さんも出るんや!知らんかったわ!亜弥は元気か?」
が、目を伏せたままの石黒から返事はない。
そのまま小川に押し切られ、愛は已む無く趣味の悪いドレスに袖を通すこととなった。