格闘技界に大きな波が動き出そうとしている。
安倍なつみを中心に光を浴び続けてきた表の格闘家達と、
闇の中で最強の娘を生み出すことに賭けたつんく一派の抗争。
(もう最強になれない私には…関係ないことやわ)
高橋愛は無言で、紅葉の並木道を歩いていた。
トーナメント準決勝、辻希美との対戦。
最強を志す格闘家として致命的な敗北を喫したあの戦いが、未だ尾を引いている。
一ヶ月以上もの入院生活を余儀なくされ、ベッドの中で悩み苦しんだ。
この先どんなに修行をつんでも超えることはできない。そんな敗北だった。
(格闘家なんて辞めて、普通の女の子になった方がいいのかも)
夏美館を出てからずっと考え込んでいる。
愛の足は自然と、知り合いのいる病院へと向かっていた。
呼び出されて上京したのも、彼女に会いたいというのが一つの理由でもあったから。
「石黒さん…」
「愛ちゃんか」
石黒彩。横になっているその姿は、三ヶ月前のトーナメント時より幾分衰えて見える。
何者かに襲われて入院したとの話を聞いたとき、愛は是非会いたいと思ったのだ。
「赤ちゃん、大丈夫ですか?」
「ああ。そこだけは死ぬ気でガードしたよ。本当に死ぬかと思ったけど」
「…こんな酷いこと」
「仕方ない。この世界に足を踏み入れたときから覚悟してたさ。いつか、こうなるって」
覚悟。
愛は思った。自分に覚悟はあるのか?
人生のすべてを闘いに注ぐ覚悟。
「私だって今まで何人も病院送りにしてきた。今度がたまたま自分の番だっただけだ」
たった一度の敗北で全てを失う。
それでも自分の信じた道を歩む覚悟があるのか?
「愛ちゃん?」
「あ!ごめんなさい。ちょっと考え事してもて」
「迷っているの?」
「…はい。私、辻さんに負けてから、わからなくなって」
「最強を目指すこと?」
「はい」
「悪いけどそれは愛ちゃんが決めることだから、私は口出しできないよ」
「……」
「一つだけ言えるのは、半端な気持ちで進める道じゃないってこと。
少なくとも私の知っている女たちはみんな、ジブンの道に命を賭けているよ」
安倍なつみ、飯田圭織、辻希美、他にも数多くの最強を目指す娘たち。
そこに迷っている者など誰もいない。
あいつはどうしているだろう?
高校時代、共に同じ夢を語り合った親友…
消息を絶ったという彼女は、今も何処か遠い空の下で夢を追っているのだろうか?
それから愛は石黒と小一時間ほど談笑し、帰路の旨を告げた。
部屋を出るとき、石黒が真面目な顔で言った。
「愛ちゃん。私を襲った奴の名前は亀井絵里。社長命令で公表はされていない」
「カメイエリ…ですか」
「闘いを続けるにしても、辞めるにしても、いいか。こいつにだけは手を出すな!」
「え?」
「あれは格闘技ではない」
「何ですか?」
「遊びだ。愛ちゃんが悩む夢も志もない、ただの遊びだ」
「…遊び」
亀井絵里。
怖いもの知らずの石黒が、これほど真面目に脅威を語る。
愛の心にその名が刻まれる。
「わかりました。それじゃ…」
「ああ。わざわざ見舞いすまなかったな」
石黒の病室を出た。
それでも結局、愛の悩みが晴れることはない。
トボトボと病院の廊下を歩いていたとき、愛はハッとあることを思い出す。
(そう言えばマコっちゃんが言ってたっけ。吉澤さんもここの病院だって)
せっかくだから、と愛は向きを変えた。
重病の患者専用の棟へ向かう。
『204号室 吉澤ひとみ』
一人用の静かな個室に、彼女は横になっていた。
今は付き添いの人は誰もいないようだ。
呼吸用マスクと点滴のパイプに繋がれ、身動き一つしない。
植物人間。
噂には聞いていたが、直接見るとその衝撃は生半可なものではない。
「吉澤さん…」
公園で彼女と拳を交えた思い出が蘇る。
メチャクチャに強かった。とにかくそれだけは覚えている。
彼女ならば、本当に地上最強となることも夢ではなかったであろう。
(私と違って…)
きっと吉澤ひとみには覚悟はあったのだろう。
地上最強に命を賭けられる覚悟だ。
その結果がこれである。
高橋愛もそういう世界に踏み込む覚悟があるのか?
問われても答えることができない。いや、本当はわかっている。
本当は闘いたい。地上最強になりたい。
だけど…怖い。勝てないから。自分が弱いから。だから迷う。
堂々巡りである。
(帰ろう)
誰かに答えを求める問題ではない。
物も言わず眠り続ける吉澤ひとみを見て、愛は回れ右をした。
「ん?」
「!」
愛が部屋を出ようとしたとき、ちょうど入口に別の人影が現れた。
スタイルが良くて服装もかっこいい美人。後藤真希であった。
まったくの他人同士である二人は、互いに会釈だけを交わしすれ違った。
互いはまだ互いを知らぬ。
―――――――――――日本に生を受けし天才柔術家二人のすれ違い。
高橋が去った後、後藤真希は吉澤ひとみの横に腰を下ろす。
「今の子も、かわいかった」
「……」
「あんたのお見舞い来る人って、かわいい女の子率高くない?どーゆーこと?」
「……」
「まったく、ごとーがブラジル行ってる間なぁ〜にしてたんだか」
「……」
「そんなんだからヤラれちゃうんだよ。なぁ〜んて」
後藤真希は帰国してから毎日、こうして吉澤に語りかけに来ていた。
それ以外の時間は犯人探しに没頭している。
トーナメント戦士が次々と襲われているという事件に、彼女も興味を示していた。
「そろそろ…見つかるかもよ。ヨッスィー」
この翌日、安倍なつみの元へつんくからの招待状を携えたアヤカが現れる。
安倍なつみはこれを丁重に招き入れる。辻もこれに同席する。
アヤカは事件の経緯と保田圭について語った。
「地下コロシアム。噂には聞いたことあるよ」
「通常は1対1ですが、今回は5対5マッチで開催するとのことです」
「向こうはなっちへの復讐に燃える保田圭とその弟子チームって訳ね」
「そうです。お受けして頂けますか」
「エヘヘ、こんなおもしろいこと断る訳ないべさ。なぁ、のの」
「あったりまえれす!」
「成立ですね。試合は一週間後です。それまでに5人を選んでください」
「OK」
「そうそう。その5人の身辺整理は済ませておいた方が懸命ですわ。
可哀想ですけど、生きて帰れる保障はございませんので」
「エヘヘ、そっちの5人にも同じ台詞返しとけ」
微笑を浮かべたままアヤカは席を立った。
夏美館を出ると同時に滝の様な汗が全身から溢れ出す。
(あれが安倍なつみ!表の世界にあんな化け物がいるとは…)
想像を絶する気圧を受けていた。
実はアヤカは叫びたいのを必死に堪えていたのだ。
(勝算はあるんでしょうね、保田圭!!)
同時刻、保田一派の住処。
「一週間後だって。ようやく本気で暴れられるたい」
れいなの言葉に、えりとさゆはニコニコしながら頷く。
師匠の保田圭が何処かに出かけている間、3人で修行しているのだ。
「おやつ持っていっていいのかなぁ?」
「えりは、お茶とみかんを持っていくよ」
相変わらずこの調子である。まるで緊張感がない。
しかしこの3人こそが保田圭の勝算なのである。
八極拳の天才児、田中れいな。
特殊な気の持ち主、道重さゆみ。
そして……
(闘いを続けるにしても、辞めるにしても、いいか。こいつにだけは手を出すな!)
(遊びだ。愛ちゃんが悩む夢も志もない、ただの遊びだ)
善も悪もない少女。
亀井絵里は、ただ笑っていた。
第25話「エリの遊び」終わり
次回予告
戦いに迷う高橋愛の元へも、コロシアムへの参戦がもちかけられる。
一方で、それぞれに動き出す怪物たち。藤本美貴。後藤真希。飯田圭織。
そして選ばれし5人と5人。
いざ、決戦の時!!
To be continued