「なるほど、ね」
そんな脅威的事実を聞いても、後藤真希は淡々としていた。
なっちがどれだけ強くなろうが、負けない自信があるのかもしれない。
「そうやって、ヨッスィーのボクシングも盗んだのか?」
「ハ?なんのこと?」
「とぼけるなよ。ヨッスィーを殺せたのはお前しかいないんだよ!安倍なつみ!」
再び高速の速さで襲い掛かる後藤真希。
なっちといえど、一瞬でも気を抜いたらやられかねない。
ギリギリで避けながら、誤解を解く。
「待って!待ちなさい!ヨッスィーって?吉澤ひとみのこと?」
「そうだよ!お前が殺した吉澤ひとみだ!!」
「知らない知らない!あなた、誤解よ!」
ピタっと後藤の拳が鼻先で止まった。安倍はニコ〜と苦笑いを浮かべている。
「誤解?」
「そうよ。ていうか、どうしてなっちなの?」
後藤は悩んだ挙句、渋々返答する。吉澤に勝てる程強い奴をアチコチで聞きまわった所、
帰ってくる答えはだいたい二つ。「安倍なつみ」か「飯田圭織」。その内の一人、飯田圭織
は当時、都内の病院で療養していた為、犯人は一人に絞られた。
「それで殺人犯にされちゃ、たまったもんじゃないわね」
「……」
「その日は一日中トーナメントの主催で大忙しだったのよ。なっちな訳ないでしょ!」
「先に言え」
「あんたが言う前に襲ってきたんでしょ!」
「そっちだって、殺すとか言ってたじゃん」
「それは…うちの木村と紺野に手を出したからよ」
「正当防衛じゃん」
なっちは言葉を濁らす。何を言ってもこの娘は素直に聞きそうにない。
まわりの門下生は珍しいものを見る目で、二人の会話を見守っていた。
あの「最強」安倍なつみが、たとえ口でも言い負かされているのが何となく面白いのだ。
「とにかく、日本中の強い格闘家はだいたいその日トーナメント会場にいたの」
「じゃあ、誰だよ」
「だから知らないって。知ってたらなっちが叩き潰してるわ」
なっちは吉澤と藤本の試合を本気で楽しみにしていたし、バカみたいに一本気の吉澤を、
夏美会館に敵対する存在ながら気に入っていたのだ。だから吉澤をあんな目にした奴に
本気でムカついていた。
「ヨッスィーの仇をうつのは私。勝手に手ぇだしたら殺すよ」
「わかってる。なんなら犯人探し協力しようか。こう見えてもなっち結構顔広いのよ」
「余計なお世話だ」
「あーそう。だけど格闘家じゃないとすると一体……?」
スッと後藤は立ち上がると、出口へと歩き出した。
「あら、続きはしないの?」
「ヨッスィーの仇が最優先。違うとわかった今お前と遊んでいる暇は無い」
「まって。名前くらい聞かせてよ」
「後藤真希」
名乗ると、後藤はあっという間に走り去ってしまった。
夏美会館一同が声をかける暇すら与えなかった。
やがて、起き上がった大阪支部長と木村と紺野になっちが声をかける。
「あいつを黙って逃がしたこと、恨んでいる?」
「恨むなんてとんでもありません。一対一で卑怯なことは何もされていない。
完全な実力で負けたのに、恨むなどというのはお門違いです」
「必ず追いついて、追い越してみせます。あの後藤さんも、館長も」
木村と紺野の言葉になっちは頷いてみせた。
その横で辻は体を震わせていた。
安倍と後藤の闘いを見ていたら自分も早く闘いたくてウズウズしてきたのだ。
(あいぼん、地上最強はやっぱり高いよ。でも、ようやく見えた)
そんな辻に、なっちが本当に楽しそうな笑みで声を掛ける。
「後藤真希。吉澤を倒した奴。どうやら知らない所で色々動き出しているみたいだね」
「へい」
「何だかおもしろくなってきたじゃない、ねぇ」
それから、三ヶ月後。
季節は秋となっていた。
トーナメント以後、格闘議界は特に大きな話題も事件もなく平穏に過ぎる。
語っておくべきこととしては、精力的に活動を続けたハロープロレスのニュースくらいだ。
ジョンソン飯田が復帰戦で、あらためて最強神話の健在を証明したこと。
ヒールレスラーのデビルお豆こと新垣里沙が、初勝利を収めたこと。
それからデビルお豆は連勝街道をまっしぐら一躍ニューヒーローとなったこと。
もっともこれらは全て用意された筋書きによることではあるが。
一番話題にあがったのは、長きにわたりハロープロレスとジョンソン飯田を支え続けた
パートナー、クロエ石黒の引退試合である。引退の理由は表向き上、トーナメント敗北の
責任を取るということ。しかし本当の所は体内に新しい命が宿ったから。そう、石黒彩は
結婚することになったのだ。旦那は巨漢レスラーしんや。さぞや強い子が生まれるであろ
うと今から評判である。
クロエ石黒の引退試合は、プロレス史に燦然と輝く最強タッグ飯田石黒の最後のお披露目
ということもあって、空前の超満員となった。その相手をつとめたのは、対立をし続けた
他団体T&Cの生き残り、稲葉・小湊タッグである。思えばもう何年も前のこと、飯田と
石黒がブレイクするきっかけとなったのもこのT&C戦の乱入からである。実に粋な計ら
いといえた。往年のプロレスファンは感涙物のこのカードは、実にプロレスらしい見ごた
えある試合を演じ、最後はクロエ石黒の必殺技ノーズフックで決着がついた。
以後、石黒は裏方に徹してこれからもハロープロレスを支えていくことを名言。
ひとつの時代が終わったのである。
舞台を去る者があれば、新たに舞台へ上がる者もいる。
トーナメントから三ヶ月。
選手のケガもほぼ治り、皆が新たな道へ走り出した頃だ。
まるでそれを待っていたかの様に動き出す影。
まず、小さな事件が起きた。
故郷のアメリカへ戻り、ボクシングに専念することを明言したミカ=トッド。
彼女が帰国予定の前日に何者かに襲われて全治1ヶ月の重症を負ったのである。
当人のイメージ問題もあり、このニュースは報道されることはなかった。
一部裏事情に詳しい者だけにそれは流れた。
ただの傷害事件。
まだ誰も不審に思うことはなかった。
三日後、次の事件が起きるまでは。
次の事件の現場は「日本のスラム街」と呼ばれ、近づく者も少ないミダラ摩天楼。
そこに怪しい二人組が降り立った。
二人組の狙いは、そう―――――――――――柴田あゆみ。