小説「ジブンのみち」 part2

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637辻っ子のお豆さん ◆No.NoSexe.
第24話「頂上が見えた日」

「これが……あのアニキだってのか……」

生命の中枢である脳幹のみ活動し、それ以外の脳機能が死滅している状態。
動くことや食べることなどの動物的機能が消失している為、これを「植物状態」と呼ぶ。
そんな植物状態の吉澤ひとみを前にして、見舞いに来た小川麻琴は泣いた。

(へーそっかぁ。ピーマコもちゃんと柔道やってんのか。そりゃ良かった)
(ピーマコ!いつまでそんなのにてこずってる!)
(ピーピーうっせーぞ!ピーマコ!)
数々の思い出が蘇ってくる。

「ア、アニキィ…」
「う、嘘だ、嘘だって言ってくれよぉ……」

吉澤ひとみの生命は奇跡的に死を免れた。
しかしそれだけであった。ただ死んでいないだけのモノ。
いつも元気に暴れ輝いていた「吉澤ひとみ」は、なくなっていた。

「アニキィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」

静かな病室に麻琴の叫びが響くが、それが吉澤に届くことはない。
機械的な呼吸ポンプ音だけがいつまでも鳴り続けていた。
638辻っ子のお豆さん ◆No.NoSexe. :04/05/03 13:01 ID:PDkVWBfF
(強すぎる。次元が違う。背負っているものが違う?)
(本当に同じ人間なのだろうか?)

パパパパパパパパァパパァン!!

マシンガンのような打撃が身を打ち砕く。
結局避けることができたのは最初の一発だけ。
後藤真希はそれからさらに速度を上げ、フェイントをかけ、連携を織り交ぜる。
なにもかもが違いすぎていた。
(勝てなくても…せめて一撃!この正拳突きを一撃)
(せめてそれだけは…じゃないと、館長に合わせる顔がない!)
気力をふりしぼり紺野は前に突進した。
マシンガンの打撃の中、すべてをかけた最強の正拳突き。
最強にあこがれていた幼き日より一日も欠かすことなく打ち続けた自慢の……

ガシッ!

なんだろう?
突きを放った右腕に彼女の左足が絡みついている。そんなことが可能なのか?
左足で右腕を捻りながら、もう一方の足で回し蹴り。そんなことが可能なのか?
防御と間接と打撃を、ワンモーションで。そんなことが……

後藤真希の長い手足がバラバラの思考を持つ生物の様に動く!

スクランブル(混合技)!
639辻っ子のお豆さん ◆No.NoSexe. :04/05/03 13:02 ID:PDkVWBfF
ドサッと紺野は崩れ落ちた。何もできずに…倒された。
国内最大の格闘技団体、夏美会館空手の上位集団が戦慄に固まっていた。
「犬ぞり重戦車」の異名をとるトップファイター木村あさみを一瞬で…
「秘密兵器」紺野あさ美を一方的な実力差でねじ伏せてしまったのだ。

「弟子がこの程度じゃ、安倍なつみってのもあんまし期待できないね」
「……」
「それじゃあ失礼」

後藤真希は傍若無人に言い放つ。なのに誰も言い返すことができない。
それほどにこの女の強さはケタ外れであった。
この世界にこれほどの者が存在したのかと、その場の全員が凍りつく。

「もう、止めないでくらはい」

たったひとり。たったひとりだけが熱を帯びた。
ケガをしていようが、敵がケタ外れの強さだろうが、
仲間を倒されて、安倍なつみをバカにされて、黙っていられる訳がない!
辻希美が立ち上がる。
誰が止められるか、と斉藤みうなは思った。

(熱を帯びた辻希美を誰が止められるものか!!)
640辻っ子のお豆さん ◆No.NoSexe. :04/05/03 13:03 ID:PDkVWBfF
後藤は近づいてくる辻を見て、呆れた。

「ちょっと〜、私って子供を痛ぶるほど、非道じゃないからさ〜」
「子供らない!」
「舌足らずで言われても説得力0」
「もう許さな……あっ!」

辻の表情からたちまち熱が消えた。また、道場内に残る全員にも一様の変化が起きる。
後藤真希もその変化に気付く。振り返るとそこに一人の女が立っていた。

「お取り込み中みたいね」
「なちみ!!」「館長!!」
「合同練習に参加したくて、予定繰り上げてもらったんだけどさ。お客さん?」

安倍なつみの視線が後藤真希を捕えた。
その足元に転がる紺野あさ美と、奥で倒れている木村あさみも含めて。

「…じゃあ、なさそうね」
「お前が安倍なつみか」
「そういう貴女は何処のどなたかしら?」
「なちみ!気をつけて!そいつが木村さんと紺ちゃんを!!」

辻の声に、安倍なつみの表情が変わる。

「……お前を殺しに来た者だ」
641辻っ子のお豆さん ◆No.NoSexe. :04/05/03 13:04 ID:PDkVWBfF
ブン!と後藤が動いた。
スーツ姿のなっちは、瞬時に腰を落とす。

パパパパパパパァパパパパッパパァパッ!!!!!!!!!

幾重もの閃光がなっちに降り注ぐ。信じられないスピード。
高橋愛の速さがやわらかく流れる風の様だと表現するならば、
後藤真希の速さは一切の無駄を省いた直線的な光の線。
(人間じゃない……)
戸田りんねは思った。
しかしなんと、なっちはその閃光の一つ一つを正確にさばいているのである!
(…どっちも)

パパァン!!

通じないと判断した後藤が一旦、下がる。
それに上手くタイミングを合わせてなっちが前に踏み出す。
絶妙の呼吸であった。大概の相手なら完全に虚を突くその間合いでの正拳突き。
(決まっ…!)
夏美館の者たちは誰しもそう思った。
ところがここで、後藤真希の手足がそれぞれ4つの意思をもつ様に動きだす。
左足を支点に、左手が正拳突きを受け、右手がその間接を狙い、右足が閃光のハイキック!
紺野を倒した絶技!スクランブル!

「なちみぃーーーーーーーーーー!!!」
642辻っ子のお豆さん ◆No.NoSexe. :04/05/03 13:05 ID:PDkVWBfF
恐ろしい光景が浮かび、辻希美は叫んでいた。

「でかい声出すなよ、のの。びっくりするべさ」
「なちみ!」

膝をついた状態で、なっちは笑みを浮かべていた。
さらに方言も出ている。安倍なつみは興奮すると方言が出てしまう。
つまり本気に近いということだ。

「誰だか知らんけど、とんでもない奴だべ」

一方の後藤真希は少し離れた所に下がっていた。
なっちの正拳突きが予想以上に強かったため、決めきれず下がったのだ。
それでも安倍なつみの膝を地に付けたのである。
はっきり言って、安倍なつみに膝をつかせた奴などかつて存在しない。

「どうしてなっちを狙うのかも知らないけど」
「……」
「お前はなっちの大事な門下生に手をかけた」
「フッ」
「殺すのはこっちだべさ」

かつてないほど恐ろしい表情の安倍なつみがそこにいた。
643辻っ子のお豆さん ◆No.NoSexe. :04/05/03 13:15 ID:PDkVWBfF
辻は倒れている紺野を安全な場所にまで運び、揺り動かす。

「紺ちゃん、紺ちゃん、大丈夫?」
「うぅ、あ、あ…辻さん?あれ、私……負けた」
「今、なちみが闘っている」
「えっ!館長が!」

そんな若い二人に、昔からのなっちを知る戸田が語る。

「滅多に見れんから、よぅく見ておけ、お前たち」
「え?」
「頂上(てっぺん)の景色を」

辻と紺野は顔を見合わせて、そしてジブン達の目指す先を見つめた。
全格闘技界の頂上。
安倍なつみの本気の闘いが、今これから始まろうとしている。
対するはブラジルで最強を極めた狂気の天才、後藤真希。

「いくべさ」

今度は安倍なつみが前に出た。
閃光のミドルキックで返り討ちを狙う後藤。
すると、なっちの手足四本がまるで別々の生き物の様に動き出した。
左手で閃光を止め、右足と左足でアキレス腱を絞め、右手が裏拳を放つ!
(これって…!)
644辻っ子のお豆さん ◆No.NoSexe. :04/05/03 13:16 ID:PDkVWBfF
天性の勘と身のこなしで避ける後藤。
いや後藤真希でなければ、勝負はついていた。
(この女…)
無表情のまま、安倍なつみを睨みつける。安倍はニヤニヤと笑っていた。

「こんな感じでいいんだよね。次はちゃんと決めるべさ」

後藤真希の絶技スクランブルを、たった一度見ただけで再現してしまった。
そんな生易しい技ではない。
達人クラスの使い手を百人集めて、その中で一人習得できるかどうかの絶技だ。
どんなに才があっても見様見真似でできるものではない。
それをたった一度で……

「パーフェクト・ピッチ」

なっちがニィと笑った。本当に太陽みたいな笑顔を秘めた女である。

「どんな技でも一度見たらできちゃうんだよねぇ、なっち」

サラリと恐ろしいことを言ってのけた。
修行者が何年も掛けて会得する奥義を、この怪物は数秒でマスターするということ。
強ければ強い相手と戦う程、安倍なつみという女はさらに強くなっていくこと。
驚愕の事実に、辻も紺野も言葉をなくしていた。
自分が追い求める道の先は、さらに凄いスピードで遠ざかっていたのだ。
これが最強!