トーナメントから二週間が過ぎた。
ここは東京の都心部にある夏美会館道場本部。
今日は四半期に一度の合同練習の日であり、全国から支部長クラスが集っている。
「全員、構え!」
前に立ち指揮するのは本部の戸田と北海道支部の木村である。
ともに全国大会で毎年ベスト4か8に食い込む強豪であり、門下生で知らぬ者はいない。
突き、蹴り、受け、型など一通りの基礎練習を終えて休憩に入る。
めいめい久しぶりに会う同胞やライバルと声をかけあっている。
そんな中、道場の壁に珍妙な三人組がいた。
静岡支部の斉藤みうなと北海道支部の紺野あさ美、そして東京本部の辻希美であった。
「あ〜つかれた〜」
「このくらいでへたれるなんて練習が足りませんわよ。辻さん」
みうなが辻をたしなめる。
この二人は大会で選手とセコンドの関係をもち親しくなったのだ。
紺野は無言で手製のドリンクを飲んでいる。
「なにを飲んでらっしゃるの、紺野さん?」
「青汁豆乳。斉藤さんも飲みます?」
「ウッ!遠慮しときますわ」
「おいしいのに……」
この合同練習には通常、支部長や全国大会常連クラスの者しか参加できない。
そんな中この若手三人はその実力にて異例で参加を認められた。
十台の娘はこの三人しかいないため、一緒に休憩しているのである。
「紺ちゃんって変わってるね〜」
「辻さんの方がおかしいですよ。もう右手はいいんですか?」
「ううんまだ。なちみに一ヶ月は安静にしてなって言われた」
「あの怪我が一ヶ月で直るってのが、私からすればそもそも間違っていますわ」
「禿同」
「ウズウズしてしょうがないんだから。早く闘いたいなぁ〜」
「あなた、こないだあんな激しい試合したばかりでしょう。あきれた」
「ヘヘ…ところで紺ちゃん。高橋さんはどうしてる?」
ここで辻は紺野に高橋愛の話題を切り出した。やはり少し気になっていたのだ。
紺野が高橋のセコンドについていたことはもちろん知っている。
お咎めは覚悟の上だったが、安倍は何の文句も紺野に言わなかった。
むしろ好敵手をあそこまで鍛えたことを、褒めかねない勢いすらあった。
「まだ入院中ですよ。かなり哀ちゃんになってますけど」
「哀ちゃん?何それ?」
「落ち込んでいるってことです」
「フ〜ン。もう一回闘いたいなぁって思ったんだけど」
「辻さん。ケガが完治したら、私の挑戦受けてもらえますか?」
「え!いいの、紺ちゃん!」
「……まったく。あなたたちの病気にはついていけませんわ」
休憩が終わり、試合形式の組手練習が始まった。
順番に前に出て向かい合った相手と拳を交える。
紺野は全国大会常連の猛者を相手に一方的な組手を演じてみせた。
ベテランの空手家たちが、噂の紺野あさ美を生で見て感嘆の声をあげる。
ケガのため組手は見学の辻も驚いた。
「ふぇ〜紺ちゃんって、めちゃくちゃ強いんれすね〜」
「あなた、知りませんでしたの?あの里田さんに勝ったこともあるのよ、彼女」
「人は見かけによらないもんだ」
「そういうあなたが一番、見かけによりませんけど」
斉藤がつっこむ。そこへ紺野が緊張感の抜けた顔で戻ってきた。
(こんな顔して、あの強さ。まったく夏見館は本当にバケモノの集りですわね)
組手は進み、「犬ぞり重戦車」の異名をとる北海道支部の木村あさみが立つ。
彼女の闘い方は単純で、岩石のような体を丸めまっすぐ直進してくる。
一度走らせたら誰も止められない為、こんな異名が付いたのだ。
対して、東京本部の戸田りんねは演舞のような流れる空手の使い手である。
その技のキレは鋭く、なっちも信頼する生粋の空手家だ。
しかしそんな二人でも全国優勝の経験はない。
「怪物」里田まいと「天才」藤本美貴がいたからである。
さらに館長の安倍なつみはその上の実力を持つといわれる。もはや雲の上だ。
この層の厚さが夏美会館を最強と云わしめる。
(私の同世代には辻希美と紺野あさ美というバケモノがいるし…)
(不足はないですわね。それでもいつか必ず私が全国王者になってみせますわ)
斉藤みうなはひそかに誓った。
合同練習は進む。そして、それは組手が二順目に入りかけたときであった。
ストレートの茶髪に、柄のTシャツ、ももの付け根まで切り込まれたジーパン。
空手道場にどう見ても不釣合いな女が、道場の扉を開いて入ってきた。
そしてこう言った。
「安倍なつみってどいつ?」
場の空気が変わる。すべての人間の注目が、この不思議な空気を持つ女にうつった。
「館長は今、留守です」
入り口付近にいたベテランの女が答える。
口調は丁寧だが、明らかに威圧のこもった声色である。
しかしその不釣合いな女は平然と返す。
「じゃあ、安倍なつみが戻って来るまで待つよ」
「誰を呼び捨てにしとんのやコラ」
気性の荒い大阪支部長がグイッと女の肩を引っ張った。
次の瞬間、パァンという音がして大阪支部長は床に崩れ落ちる。
「触んなよ」
不釣合いな女―――――後藤真希が冷たくこぼした。
「貴様!何をする!」
「ここがどこかわかっているのか!」
たちまち夏美会館本部道場に騒然とした空気が流れる。
これだけ名が売れていれば、腕試しの道場やぶりみたいな者も来たことはある。
最近ではあの吉澤ひとみが乗り込んできたのが記憶に新しい。
しかし、この女は他の誰とも違う。道場やぶりなんて生やさしい感じがしない。
「よせ、お前たち」
師範役の戸田が、吼える同門をさえぎり後藤の前に立った。
「先に手を出したのはこちらだ。だが、館長は留守と言ったはずだ」
「いつ帰ってくんの?」
「なんなら、用件を聞いておこうか?」
「ザコに言う必要ないし」
戸田は冷静を保ってはいるが、まわりの者は明らかに殺気立っていた。
そこでもう一人の師範役木村も前に出てきた。
「戸田さん。彼女は明らかに喧嘩を売りにきています。任せてください」
「おい、木村。しかし館長の留守に」
「このまま放っておく方が、夏美館の名折れですよ」
夏美会館の誇る「犬ぞり重戦車」が牙をむく。
「ふえ〜。のの、道場やぶりって初めて見たのれす」
「完全にギャルですね。なんか道場やぶりのイメージ狂いますよ」
「あなた達ってこんなときでも本当にのんきね」
「大丈夫ですよ。木村先輩に任せておけば」
紺野は北海道支部長の木村あさみという空手家に絶大な信頼を寄せていた。
彼女がここまで成長したのも、この偉大な先輩の指導が大きい割合を占める。
その木村あさみが後藤真希と向かい合った。
「誤るなら、今のうちだよ」
「だ〜か〜ら〜、ザコに用無いって言ってんじゃん」
「ならば遠慮はしない」
ドドドッと木村あさみが後藤真希に向かって突進した。
勢いをつけたら誰にも止められないと言われる重戦車の破壊力が…!!
パァン!
重戦車の顔が後藤の手前で跳ね上がった。続いて…
パパパァン!
閃光。表現するならばその単語が適切かもしれない。
後藤と木村の間に複数の閃光が走ったのだ。
重戦車がまたたくまに崩れ落ちる。後藤真希は優雅に立ち尽くしていた。
(何が起きた!)
全国に名を轟かす一流の空手家たちが、顔をそろえて驚嘆した。
余裕を浮かべて様子を伺っていた斉藤・紺野・辻の三人も思わず目を見張る。
何が起きたのかもわからぬ間に、木村あさみが倒されてしまったのだ。
「辻さん、今の見えましたか?」
紺野の質問に辻は首を振った。
全日本トーナメントの優勝者が首を振ったのである。
「うざいよ」
後藤真希はあくまで淡々と呟く。本当に煩わしそうにしている。
数十人の一流空手家たちが、あっという間に押し黙ってしまった。
木村あさみはこの中でも間違いなくトップクラスの実力者であった。
この女はそれを秒殺したのである。
館長の留守を預かるもう一人の師範役、戸田りんねの顔色も変わっていた。
(なんてことだ…くそっ。よりによって藤本も里田もいない……こんな時に)
藤本美貴はトーナメント以来、道場に顔を出していない。
里田まいは海外支部の遠征に出かけていた。
「で、安倍なつみはいつ来るの?」
「……夕方まで戻らん」
なっちは多忙である。今日は格闘技番組のゲスト出演依頼があったのだ。
「あぁそう。じゃあ夕方頃また来るよ」
あくまで淡々と。後藤真希はクルリと背を向ける。
それを誰も止めることができない。
全国クラスの猛者が集って。これだけのことをされて。誰も止められない。
逆に実力があるからわかってしまうのである。
この不適な女の力がどれほど凄まじいものかを。どう足掻いても勝ち目がないこと。
(情けないですわ)
みうなは思った。最強を語る夏美会館がたった一人の女にこのザマ。
(100%負けるのが分かっていても、立ち向かうべきなのです)
「待て!!」
……と。みうなが叫ぼうと立ち上がる先に、立ち上がる影があった。
道場中の注目がその声の主に向かう。
後藤真希も振り返り、不適なまなざしでその声の主を見た。
「そのまま返すわけにはいかねーのれす!!」
そうだ。
なっちが留守でも、藤本がいなくても、里田がいなくても……
今の夏美会館にはまだこの娘がいるのである!
総合格闘技トーナメント優勝者!辻希美!
「ののが相手だ!!」
ところが、そんなことは知らない後藤はため息をこぼす。
「なぁに?ここってお子様もいるわけ?勘弁してよね」
「あー!待てー!お子様じゃないやい!」
追いかけようとした辻をみうなが止める。
「待ちなさい!辻さん、あなたまだケガがしているでしょう」
「でも、だからってこのままあいつを…!」
そのときであった。いつのまにか紺野の姿が見えないことに辻が気付いたのは。
なっちが留守でも、藤本がいなくても、里田がいなくても……。
辻が戦えなくても―――そう、夏美会館にはまだバケモノがいるのである。
「ん?」
出口の扉にかけた後藤の手が止まった。
その先に、一人の娘が立ちはだかっていたのである。
「だから〜ウザイって」
後藤が顔をしかめる。そして例の閃光を放つ。
ところが、今度は小気味よいパァンという音の変わりに空を切る音が響く。
「んあ?」
「閃光の正体は高速のハイキックですね。あまりにも速すぎるせいで、音だけが後で聞こえてしまうのです。正体がわかれば回避は不可能ではありません」
説明どおり、避けてみせた。
「私の友人にも、スピード自慢の子がいまして」
「…」
「こないだまでその子と山篭りしてましたから、早さには慣れてるんです」
支部長や全国常連の者たちが「おおっ」とどよめきをあげる。
淡々としていた後藤真希の声色が変わる。
「あんた、名前は?」
「夏美会館空手3段。紺野あさ美」
「へぇ、ここにはザコや子供しかいないのかと思ったよ」
後ろで「子供じゃなぁ〜い」と叫ぶ声が聞こえたが後藤は無視した。
怒りを込めた表情で紺野が猛る。
「夏美館を見下す人は私が許しません!」
「あ〜そぅ」
深い深い狂気を潜め、後藤真希は無表情のまま呟いた。
第23話「終わりの始まり」終わり
次回予告
後藤真希vs紺野あさ美
夏美会館に吹き荒れる暴風!!そしてさらに……
『狂気の天才』は『全格闘技界の頂上』を動かす!!
「……お前を殺しに来た者だ」
「殺すのはこっちだべさ」
To be continued