「知らねえって言ってんだろ!!」
控え室に戻る途中、医務室から大きな怒鳴り声が聞こえ、愛は立ち止まった。何事かと覗
き込むとそこにはメロンの4人と小川麻琴、そして市井紗耶香がいた。なぜかピリピリし
たムードに包まれている。お節介にも愛はその渦中に飛び込んだ。
「どうしたのマコっちゃん?」
「おぉ愛!お前も止めてくれよ」
一回戦で負傷した柴田あゆみがベットで横になっている。その両脇に村田と大谷が立ち、
斉藤と市井が部屋の中央で睨み合っていた。
「言えよ。吉澤は何処だ?」
「だーかーら、何べん言わせんだ!俺たちゃ関係ねえって!」
どうやら吉澤ひとみの件で揉めているらしい。それでようやく愛も思い出した。以前メロ
ンの連中が吉澤の友人の女性をさらい、共に助けに行ったことを。おそらく小川にそれを
聞いて、市井がくってかかっているのだろう。だけど流石に、怪我人のそばで喧嘩するの
を見過ごしてはおけない。愛は間に入って止めることにした。
「二人とも落ち着いて。冷静にお話した方が……」
「力ずくで口割らせてやろうか」
「上等だ!来いやコラ!!メロンなめんなよ!」
ちっとも聞いてくれない。
「姉さん、やめて。私が説明するから」
市井と斉藤の動きが止まる。柴田が起き上がっていたのだ。
(ちょっとなんで私じゃ止まらんのに、あゆみちゃんで止まる訳?)
愛はやや不満を覚える。
「説明、してもらえるんだな」
「ええ。私たちが石川梨華をさらったのは、そういう依頼があったから。
個人的な理由とかではないわ」
「その依頼主ってのは誰だ?」
「それはわからない。全部代理人との交渉だったから」
市井は柴田の目を見る。嘘をついているか否か、判断する為だ。
「相手もわからない仕事を引き受けるのか?」
「裏社会てなそんなもんだ。報酬さえ頂ければ、余計な詮索はしねえさ」
これは大谷が答えた。通常モードでは無口な村田も同意し頷いた。
「依頼を失敗してからは何の連絡もねえよ。報酬もパアになったしよ。
そこの二人と吉澤ひとみのせいでな。いや……あともう一人いたか」
ボス斉藤の台詞に、市井を除く全員が首を傾ける。
もう一人?
「もう一人って?あのときは、うちら三人しかえんかったよ」
「騙されるか。とんでもねえ怪物を隠してやがったくせに。
いきなりで顔は見えなかったけど、この俺を一撃で倒しやがったんだぜ」
「え?ボスって吉澤にやられたんじゃなかったんですか?」
大谷の質問に、斉藤は首を振る。それに小川が続いた。
「俺とアニキが上ったときにはそいつ倒れていてよ。泣いてる石川さん以外他に誰も
いなかったぜ。てっきりコケテ自滅したんだと思ってた」
「じゃあその化物。ボスを倒してすぐ、どっかに消え去ったんですかね?」
「誰やそれ?」
メロンのボス斉藤を倒して消え去った謎の人物。
一同は眉をしかめて考え込む。柴田だけが冷静な表情を続けていた。
一方の市井紗耶香は嫌な胸騒ぎを覚える。
(まさか……。いや、そんな……だが…)
黙りこくった市井に小川が声をかける。
「どうしたんだよ。震えてるぜ、あんた」
「いや、何でもない。メロンさん、すまなかったな。失礼する」
すると市井は踵を返し足早に立ち去ってしまった。
「どうしたんやろ、市井さん」
「さぁ?」
このとき、柴田あゆみだけは嘘をついていたのである。依頼主を知らないと言ったが、
おおよその見当はついていた。彼女が生まれ育ったあの……。だがそれを口にする気は
ない。例え姉たちにさえも。話した所でどうにかなる相手でないことも知っていたから。
彼女はそっと話をすりかえることにした。
「それより、もうすぐ試合だろ。いいのか、こんな所で道草食ってて」
「あー!そやった!」
柴田あゆみに言われて愛は本気で驚いて見せた。
「気をつけろ。辻希美は違うぞ」
違う?「強い」でも「凄い」でもなく、柴田は「違う」と評した。
実際に拳を交えた柴田あゆみが、辻希美をそう表現してみせたのだ。
今までの相手とは何かが違うということか?
「わかった!あゆみちゃんのリベンジしたるわ!」
しかし、ちっとも分かってなさそうな笑顔で愛は駆け出していった。
その背中を柴田はおもしろそうに見つめる。
(リベンジなんかいるか。お前も辻も、いつか私が倒してみせる)
(それと、いい加減その呼び方はやめろ)
バナナ、アロエヨーグルト、アイス、ケーキ、豆腐、etc……
見てるだけで吐き気がもよおす程の食材を、辻希美はその胃袋に放り込んでいた。
みうなとあさみが離れて、その後ろ姿に圧倒されている。
「試合前だってのに、よくもまぁあんなに食せますこと」
「こっちが気持ち悪くなってきた」
そこへ安倍なつみがやってくる。
「のの、お医者さん連れてきたから、もう一回診てもらえ」
「みふぁうへほふぁいぼうぶなのれふ」
「食ってからしゃべれよ」
口にあった食べ物をゴックンと飲み込むと、辻は渋々手を出した。検査をしていく内に、医師の顔色が徐々に変わっていく。
「信じられません。治ってきています!」
「え?」「え?」「え?」
安倍とみうなとあさみが同時に声をあげた。辻は平然と応える。
「ね、言ったでしょ。食べたら治るって」
「バカ。言ってないし、そんなはずあるか!」
「ですが事実、右手のヒビも小さくなっています。左腕に至っては全く完治している」
「嘘でしょ……」
「昔からそうなんだ、小さい怪我ならたいていダイジョブ♪」
「わかった。だけど右拳は使うなよ。使っても一発だけ、とどめの一発だ」
「うん。一回で十分れす」
「安倍館長。この子は何者でしょうか?医学的にも大変興味が……」
「こっちが聞きたいよ。おい、のの!」
「もう検査はいいよ。いってきま〜す!」
辻は立ち上がると、自慢の脚力で逃げ去ってしまった。セコンドのみうなが慌てて後を
追いかける。なっちも笑みをこぼして後に続いた。
「なんなんだあいつは、本当に。フフ……」
特異体質。天文学的確立で存在するのである。常人とは異なる体質を持って生まれし種。
だが辻希美のそれは生まれ持った体質では無かった。彼女はごく普通の家庭でごく普通の
女の子として生を授かった。限界をはるかに超え死の淵にまで陥ったあの凄惨なる過去が、
彼女に奇跡の体質をもたらしたのである。もちろん周りの人々はそれを知らないし、本人
すら自覚していない。
「あんな変な子、世界に一人でしょうね」
「二人もいたら大変だ」
あさみの言葉に、なっちは冗談交じりに返す。
もちろん知るはずは無い。
あの絶望的飛行機事故より生還せしめた少女は二人いたという事実。
――――――――果たして、夢を失いしもう一人は、今何を見ているのだろうか?
準決勝第一試合
辻希美(夏美会館空手)18歳
対
高橋愛(高橋流柔術)19歳
『ただ今より、準決勝第一試合を行います!!!』
入場口前通路に高橋愛は立ち尽くしていた。待ちわびた観客の歓声はここまで響いている。
セコンドの紺野あさ美が耳元まで近づき声をかける。
「隠しても無駄ですよ。石黒さんにやられた脇腹、かなり重症ですね」
「別に隠してえんよ。怪我ならあっちもしてるやろ」
「言っておきます。もし辻さんの正拳を同じ箇所に受けた場合、私はタオルを投入します」
「紺ちゃん」
「ただ…おそらく彼女は拳を痛めているはず。そこが勝機ですね」
「アドバイスありがと。でもごめん。私はやりたい様に闘うから―――」
「愛……」
「闇の武術の真髄、見せてあげる」
『辻希美選手のぉ入場ですっ!!!』
観客の声援がワアッっと大きくなった。その振動がここにまで伝わる。これから全てをぶ
つけあう相手が、その場所に降り立ったのだ。「時間です」と係員の合図で扉が開かれる。
途端に物凄い光と音の世界が眼前に現れた。もはや行く手を遮るものは無い。愛は静かに
その一歩を踏み出した。
『高橋愛選手のぉ入場ですっ!!!』
第19話「夢失いし娘の見た光景」終わり
次回予告
そのとき起きたのは奇跡か?それとも―――――――――
To be continued