汗の匂いに染み入った部屋だった。
昭和初期、講道館にて天才の名を欲しいがままにした男、小川五郎がその扉をくぐる。
軽量級から重量級まで、柔道に人生を捧げた猛者たちが会していた。
彼らは小川五郎の姿を見ると姿勢をただし、頭を下げた。
男も女も混じって頭を下げている。
講道館の者にとり、小川五郎は伝説に近い存在なのである。
その伝説に「自分より強い」と云わしめた女がいる。
「第三試合が終わった。7秒じゃと」
小川五郎が声をかけた。部屋の中央で黙々と動き続ける女――矢口真里に。
よく見ると、周りの柔道家たちは誰もがクタクタにへばっている。
これまでずっと矢口真里のスパーに付き合っていたのだ。
彼女は辻の第一試合も、高橋の第二試合も、藤本の第三試合も見ていない。
開会式からこれまでずっと体を動かし続けていたのだ。
声をかけられてようやく矢口は小川五郎の方を見る。心地よい汗をかいていた。
日常のおちゃらけた矢口真里とは違う顔になっていた。
「いい顔じゃ。さぁ、行って来い」
バッと柔道着を振りかざし、矢口真里が控え室を出る。
それから小川五郎は廊下で自分の孫娘、小川麻琴を見つける。
吉澤ひとみの不戦敗から麻琴は落ち込んでいた。その背中を小川五郎が叩きつける。
「麻琴。お前がセコンドじゃ。矢口真里という柔道家を、よぅく見ておけ」
一回戦第四試合
田中れいな(八極拳)16歳
対
矢口真里(講道館柔道)23歳
なんだかんだ言っても今大会出場選手のなか、もっとも知名度が高いのはこの人だ。
オリンピック柔道金メダリスト、矢口真里の入場に観客は沸く。
彼女は強いだけでなく、マスコットのような可愛さも兼ね揃え、CM出演などもこなす。
だが今はそんな愛くるしい笑顔は影を潜めていた。闘士の顔になっている。
早くも「ヤグ嵐」コールが舞き起こっていた。
「うわぁ、子憎たらしいね♪」
道重さゆみは満面の笑みで、表情に合わぬ言葉を吐いて捨てた。
そんな彼女を相手にせず、田中れいなはスタコラ階段を下りる。
「あ〜れいなぁ!待ってよぉ!」
「来なくてよか」
「なぁに言ってんの。さゆがちゃ〜んとセコンドしたげるから」
「必要なかたい」
田中は道重をおいて、通路からヒョイっと入場ゲートに飛び降りる。
5mもの高さを、壁などの障害物を使い見事に着地してみせた。
ものすごい身のこなしであった。
「その格好でやるのかね」
リングへと向かう田中れいなを、数人の審判たちが止める。
Tシャツに短パン、格闘家としてまるでなめきった様な服装だったからだ。
しかし田中は少しも悪びれない。うざったそうな眼付きで睨み返す。
「これしか着替え持ってこんかったばい」
審判の林をススッとかいくぐり、田中は無愛想にリングへ上がってしまった。
それを矢口真里が待ち受ける。
ついに、この二人を一つのリングに解き放ってしまった。
「矢口さん!そんな生意気な奴、ぶっとばしちまえ!」
矢口のサイドで、セコンドの小川麻琴が叫ぶ。
「八つ裂きだよ、れいな〜」
田中のサイドで、いつのまにか追いついたセコンドの道重が可愛く暴言を吐く。
選手が選手なら、セコンドもセコンドだ。
道重さゆみの服装はデートにでも来たかのような可愛らしいワンピース姿であった。
ところがこの田中の傍若無人ぶりが観客のヒートアップぶりにより拍車をかけた。
互いに無言で睨みあう矢口と田中。
一回戦最終試合は嫌が応にも白熱してきた。
こうなっては、審判たちも止めるに止められない。
何より安倍なつみがおもしろそうに笑っていた。それでもう審判たちはあきらめた。
柔道着に黒帯の矢口真里。145cm。
Tシャツに短パンの田中れいな。150cm。
もっとも小柄な組み合わせとなった。
この試合の勝者が準決勝で藤本美貴と闘うことになる。
ベスト4、最後の一人はどちらか!?
「なっちさんよぉ」
第四試合がまさに始まろうとする時、横から急に声を掛けられてなっちは驚いた。
見ると、相変わらず不機嫌そうな藤本が前方に視線を向けたままでいた。
「なぁに美貴」
「考えたんだけどよ、俺ぁやっぱ降りるわ」
「え?」
「あとは辻のガキに任せた」
すると藤本は無造作に空手着を脱ぎ捨てた。
『夏美会館』と書かれた空手着を。
「またまたぁ。冗談ばっかり言っちゃって、もう美貴ったら…」
安倍なつみは笑って応じる。
しかしシャツ姿になった美貴はそのまま席を立ち、行ってしまった。
安倍なつみの眼の色が変わった。
「何処へ行く気?」
藤本は振り返らず、言葉で返した。
「不戦敗にしといてくれ」
そのまま藤本は会場出口へと続く通路に出た。
なっちはイスに残った藤本の空手着を拾うと、後を追う。
「美貴っ!!」
なっちが叫んだ。藤本は思わず歩みを止める。
そのままなっちは藤本の前に立つと、グイッと彼女の空手着を押し付けた。
「着な」
「悪ぃけど、今日はやる気が失せたんだ」
少しも動じることなく藤本は答えた。
「吉澤ひとみが来なかったからか」
「いや、ああ…そうだな」
「…」
「残ってるのはもうガキばっかだ。私がいなくても辻で十分だろ」
「本気で言ってんのか、それ」
なっちの声色が変わった。普段の優しい口調ではない、低く押し殺したような声。
常人なら、それだけで小便を漏らすかもしれぬ程の威圧力であった。
もちろんこの藤本美貴という女がそれで屈服するはずがない。
ギラつく瞳で「ああ」と答えた。
付近で見守る人々はもう試合どころではない。
息を殺し、その行方を見守る。
「どけよ」
藤本美貴が言った。
安倍なつみに向けてだ。
それを受けて、なっちは少し身を下げた。そして全身から溢れんばかりの闘気を発する。
まるで底の見えない気圧がその場に満ちた。
「ここを通りてぇなら、なっち倒して通れよ」
重く、低い声で、なっちがそう言った。
体の奥の方から、物凄い勢いでマグマがせり上がって来る感覚を藤本は感じた。
今の台詞は、本当に安倍なつみが吐いたものか?
いいんだな?
いつしか、藤本の顔に笑みが浮かんでいた。
「好都合だぜ」
そのとき、どこからかゴングが鳴った。
第四試合開始のゴングだ。
それが、こっちも始めていいんだぜ、と言っている様に藤本には聞こえた。
乙です、というか初めましてですが
面白いのでここまで一気に読みました。修羅の門やバキを好きな自分にはツボにはいりまくりです
個人的に、亀井絵里ちゃんの登場に期待してます
頑張ってください
うおーーーーーーーーーー!なっちキターーーーーーーーーー
藤本を殺してくれ!!!!!!!!!!!!!!!!!ってなわけないか・・・
ブレーメンスレに辻豆さんキテタ━━!!
辻豆さんも泣きましたか…
辻豆さん乙です
こっちもバトル開始ですか
安倍が簡単に負けるとは思わないですが
藤本も強いですからねえ
楽しみに待ってます