小説「ジブンのみち」 part2

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286辻っ子のお豆さん ◆nono/jetwo
「何故、自分なんでしょうか?」

石黒を問い詰めているのは、ハロープロレスのデビルお豆こと新垣里沙。
ヒールレスラーだ。
傍若無人に暴れ周ったあげく、スター選手にやられることで場を盛り上げる役回りだ。
ただの一度も、勝利したことのないプロレスラーだ。
そんな彼女が数ヶ月前、社長推薦で入団してきた辻希美の教育係に任命された。
その辻と組んで、ハロープロレスのエースコンビ、ソニン・松浦と試合った。
結果は、当たり前だが負けた。
新垣はそこで松浦に足の骨を折られ、辻は社長に逆らい退団になった。
その後、辻は夏美会館に移籍した。
しかし新垣は辻に、とても大事なことを教わった。
『勝利への意思』である。
その意思を受け、たった一度ではあるが、あの松浦亜弥からダウンを奪ったのである。
勝ちたい、と新垣は思うようになった。
その想いでこの数ヶ月リハビリに励んだ。右足にはまだ痛々しいギブスが付いている。

「社長命令だ。セコンドは新垣ってな」

石黒彩からの返事はそれだけだった。
リハビリ中に突然呼び出され、セコンドをしろと言われたのだ。
しかもこんな大事な大会でだ。

「ソニンさんとか、松浦とか、他にも私よりイイ選手はいっぱいいるじゃないですか!」
「つべこべ言うな!行くぞ」
287辻っ子のお豆さん ◆nono/jetwo :04/03/14 14:10 ID:JBwm9xwC
問答無用で石黒は立ち上がり、歩き出す。
新垣は慌てて後に続く。片足のギブスを引きずりながら。

「私なんかがセコンドやったら…縁起悪いのに…」

小声でぼやく。
通路の向こうからは、大観衆の声援が地鳴りのように響いてくる。
(私は一生かかっても、こんなステージには立てねえだろうな)
気が付くと石黒は立ち止まり、顔だけこちらに向けていた。

「よぅく見ておけよ。ハロープロレスの戦いぶりを」
「は、はい!そりゃ、もちろん」

前をゆく石黒の背中が、ひどく大きく頼もしいものに映った。
新垣はまだ理解できていなかった。
社長や副社長が、こんな大事な場にどうして自分を来させたのか。何を見せたいのか。
(1回戦はあんまり聞いたことねえ奴だったな…)
(でもそれに勝ったら、次はアイツ…)
新垣はかつての教え子のことを思った。
あの奇跡を垣間見て、もう自分とは違う世界に行ったのかと寂しくなった。
ウズッ…
まだ気づいていなかった。
辻希美のことを思うと、胸が妙にくすぶられること。
あんな風に輝けるはずがないという固定観念が、新垣にその想いを気付かせずにいた。
闘いたい…という本能。
288辻っ子のお豆さん ◆nono/jetwo :04/03/14 14:11 ID:JBwm9xwC
「拳にヒビが入ってるって、あの子」
「…」

医務室から主催者特別席に戻ると、なっちは隣に座る藤本にそう言った。
藤本は無言でなっちを睨むと、何も言わず顔を戻した。

「でも、あの子は出る気マンマン」
「いいんじゃねえの。好きにさせりゃ」
「ん〜」
「それで戦えなくなるなら、そこまでの奴ってこった」
「冷たいのね」
「悪かったな」
「まだ機嫌悪いんだ。吉澤ひとみが来ないから?」
「別に。気にしてねえよ」

と言う藤本の足元には、捻り潰された空き缶がいくつも転がっていた。
(…相当、気にしてるみたいだべ)
会場が沸いた。派手なレスリングコスチュームを纏った石黒が入場してきたのだ。

「なっちさんよぉ。どっちが勝つと思う?」
「この試合?石黒」
「バカに即答じゃねえか」
「Aブロックでは彼女が頭一つ抜けてるもん」
289辻っ子のお豆さん ◆nono/jetwo :04/03/14 14:11 ID:JBwm9xwC
Aブロック。辻、柴田、石黒、高橋のブロックのことである。
この4人の中では石黒の実力が群を抜いていると安倍なつみは言うのだ。

「なんだ?こっちからは辻が上がるって言ってなかったけ?」
「それは奇跡が起きたらって話よ」
「順当にいけば石黒か。まぁそうだろうな」
「ジョンソン飯田の影に隠れがちで、いまいち注目されてないけど
その実力は間違いなくトップクラス。強いよ」
「へぇ」

また、会場が沸いた。反対側から高橋愛が飛び出してきたのだ。
安倍なつみの表情が変わる。普段の笑みとは似つかぬ、冷たい刺すような視線だ。
それを藤本が横目に見る。
(他にいねーよな。安倍なつみがここまで敵意むける奴はよ)
(前の大会で紺野を負かして、自分の計画を潰した張本人だからか知らねえけどよ…)
(もし万が一、高橋が石黒を負かすようなことになったら、おもしれえかもしれねえな)

リング上で高橋愛と石黒彩が顔を見合わせる。
石黒の身長が約160cm。高橋の身長が約150cm。そこに10cm近い差がある。
体重も、放たれる威圧感も、石黒がはるかに大きい。

「石黒さん。手加減抜きでお願いしますね」

屈託のない笑みで話しかける愛に、石黒はまるで反応を示さない。
いつも優しいお姉さんだったことが、まるで嘘のようだ。
290辻っ子のお豆さん ◆nono/jetwo :04/03/14 14:12 ID:JBwm9xwC
「お前では、私には勝てない」

ふいに、石黒が口を開き、そう言い放った。
愛は目を丸くする。過去の思い出が頭をよぎる。
「愛ちゃん、いいねぇ。高校出たらうちに来ないか?」
「愛ちゃんはどうなん?亜弥と闘る気はあるか?あるなら私が立ち会ってもいいぜぃ」
道場で一緒に稽古したり、時には悩み相談に乗ってくれたり、お姉さん的存在だった。
だけど今は「愛ちゃん」ではなく「お前」である。
道場のお姉さんではなく、石黒彩というプロレスラー、一人の対戦相手なのだ。

「それを証明してやる」

スッと石黒が腰を落とした。
愛はニコッと微笑み、高橋流の構えをとった。
(嬉しいの。石黒さんが私を敵として認めてくれたんやわ)

「今日、あなたを越えます」

愛が言う。
石黒は一瞬だけ表情を崩し、また元の仏頂面に戻った。
静寂が流れた。
石黒のセコンド、新垣は胸に手を当ててその戦いを凝視する。
高橋のセコンド、紺野はじっと黙って見守る。
そして試合開始の鐘が鳴った。
291辻っ子のお豆さん ◆nono/jetwo :04/03/14 14:22 ID:JBwm9xwC
石黒が前に出て、左右のジャブを放つ。
ボクサーとして十分通用するほど見事なコンビネーションであった。
愛はそれを首だけで避ける。彼女にはこんなもの通用しない。
今度は愛が足を出した。石黒は咄嗟にガードを固める。

パパパン!

石黒の大きな体が、後ろにのめった。
観客席から思わずため息が漏れる。
風が流れる様な見事な三連蹴りだったのだ。
柴田の蹴りも速かったが、愛のスピードはその上をいっていた。
正月に行われた18歳以下トーナメント時の高橋愛とは比べ物にならない。

「速えな」

藤本は素直に呟いた。
隣で安倍なつみが僅かに眉をしかめる。
そんな安倍を見ながら、藤本は思った。
(石黒や矢口の様に、その強さが完成されている奴は確かに脅威だ)
(だけど、それ以上に恐ろしいのは、まだ完成されていない成長し続ける存在)
安倍なつみがもっとも恐れる者…
(もしかするとあの…高橋愛ってガキかもしれねえな)

第16話「もっとも恐れる者」終わり