小説「ジブンのみち」 part2

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222辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU
入場口に辻希美は立っている。
周りには誰もいない。安倍なつみは主催者で、藤本美貴は選手だ。
思えば、夏美会館に入ってからこの二人以外との交流はほとんどなかった。
自分が夏美会館代表として選ばれたことに不満を持つ者も、少なからずいるであろう。
もうすぐ名前が呼ばれる。
足が震えていた。
さっきからずっとだ。
試合というならばハロープロレス在籍時に幾度かの経験がある。
だが、今日のそれは今までのどれとも違った。
負けたら終わり。
やり直しはきかない。その人間に敗北の烙印が下されるのだ。
地上最強…その道が閉ざされるのだ。

「くふぅ」

息を吐いた。同時に声が漏れた。
柄にもなく緊張している。こんなにも怖いものだとは思わなかった。
そう、敗北の洗礼を受けるのは自分だけではない。
自分が所属する夏美会館の敗北、自分を選んだ安倍なつみの敗北に繋がる。
それが怖い。
館長推薦者がみっともない負け方をする。安倍なつみは見る目が無いと人々に罵られる。
それが怖かった。
足の震えが、どうしても止まらなかった。逃げ出したくなった。
(そうだよね。ミキティがいるんだし…ののなんかいなくても…)
辻希美は回れ右をしかけた。その振り向いた先に、空手着の女性が数人立っていた。
223辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/03/05 03:10 ID:yemCz5A/
「なんて声を出している」

先頭の女が言った。辻は振り向きかけたまま固まった。
里田。一昨年の夏美会館全国王者である。
その横にも知っている顔が二つ。本部の戸田と北海道支部の木村。
いずれも全国大会では毎年ベスト4かベスト8には食い込む強豪である。
さらにその後方には若い顔が見える。
この所メキメキ腕をあげていると評判高い静岡支部の斉藤だ。

「み、皆さん。どうしたんれすか…?」
「お前に言いたいことがあってな」

木村が言った。続いて戸田が口を開く。

「お前の出場は館長が決めたこと、我々が口を挟むことではない」
「だがな、私達は認めないぞ」
「…里田さん」
「もしここで負けたら、私達はお前を絶対に認めない」

…認めない。里田の言葉が辻の胸を強烈にえぐった。
そして、里田の拳がきつく握り締められていることに、辻は気付く。
(あぁそっか。出場したかったのは自分だけじゃない。みんな、みんな…
最強を目指して夏美館にいるのれす。なのに…ののは…選ばれたくせに…逃げようと…)
唇を噛んだ。
みんなの気持ちに応える為できることはひとつ…勝つことだけ。
224辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/03/05 03:11 ID:yemCz5A/
「ののを殴ってくらはい!」

目にいっぱいの涙を溜めて、辻は叫んだ。その勢いに戸田や木村は思わずたじろぐ。
すると後ろから、まだ一言も発していなかった若き空手家が身を乗り出してきた。

「そういうことでしたら、わたくしにお任せあれ」
「おい、みうな」

止める木村の声にまるで耳を貸さず、右から左へ流れる様な正拳突きを放つ。
遠慮のない一撃であった。辻の頬が赤く膨らむ。
右を向いた辻が正面に顔を戻し、また吼える。

「まだまだぁ!」

ブゥンと、今度は左から右で裏拳を当てる。みうなの拳には少しの容赦もない。

「入りましたか?」

コクンと頷く。正面を向いた辻の頬は両側とも赤く腫れあがっていた。
気合が…入った。

「行きましょうか。私がセコンドをしてさしあげますわ」

戸田と木村と里田はホウと思った。決して他人に媚を売らぬあの斉藤が自分から。
辻希美はニコッと笑んだ。そして歩き出した、前へ。
225辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/03/05 03:11 ID:yemCz5A/

一回戦第一試合

柴田あゆみ(フリー)21歳



辻希美(夏美会館空手)18歳
226辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/03/05 03:11 ID:yemCz5A/
怒号の様な大歓声。その中を、二人の娘が向かい合い立っていた。
柴田あゆみと辻希美だ。
身長差は約5cm。柴田が高い。だが間近で並ぶと数字以上の開きを感じる。
柴田は無地の胴着を。辻は夏美会館と記された空手着を着用していた。
互いに言葉を交わすことはない。

試合場は、プロレスのリングとは違いコーナーもロープも無い。
ルールはバーリ・トゥード。ポルトガル語で「何でもあり」を意味する。
禁止されているのは「目突き」と「噛み付き」だけ。
敗北条件はダウンしての10カウント、ギブアップ表示、ドクターストップ、
セコンドからのタオル投入、以上の4つである。
試合時間は無制限。引き分けや判定は無い。
そういうトーナメントである。

柴田あゆみのセコンドがメロンのボス斉藤瞳。
辻希美のセコンドが夏美会館の斉藤みうな。
奇しくも同じ姓を持つ者同士となった。
二人とも余計な口出しは無用と感じていた。試合場に立つ選手を信じるのみである。

主催者特別席で、安倍なつみが見ていた。
その隣で、藤本美貴が見ていた。
観客席最上段で、田中れいなと道重さゆみが見ていた。
選手控え室のモニターで、高橋愛と石黒彩と矢口真里が見ていた。

ゴングが鳴った。
227辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/03/05 03:22 ID:yemCz5A/
まず柴田が動いた。
辻を中心に円を描くよう、ゆっくりとゆっくりと動き始めた。
それに合わせて辻が体を動かす。常に正面を向くように。
――ッ!
突如、柴田の右足が消えた。同時に辻の小さな体が後方にぶれた。
蹴りだ。消えたと錯覚する程の速度。柴田の右足が辻の脇腹を狙ったもの。
腕でガードしていなければ倒れていたであろう、物凄い威力であった。
続けざまに柴田は左足で蹴りを狙う。
それを悟った辻はすぐにガードを固める。
これが罠であった。
蹴りの振りをした左足をすぐに戻すと、柴田は低空姿勢で前に出た。
タックル!
気付いた辻が、すぐに拳を横になぎ払う。
が、それよりもさらに低く、柴田は辻の左足を抱え込んだ。
辻が倒される。
柴田が左足を抱えたまま、辻の左手首を掴み取った。
開始早々、寝技の攻防。柴田の作戦通りに進んでいた。
辻のグラウンド技術はハロープロレス在籍時に学んだものが全てだ。
それも短期間であった為、万全であるとは言いがたい。
逆に柴田は上手かった。身近に関節技のスペシャリスト斉藤瞳がいたのが大きい。
十秒、二十秒、リング上で二人はもがき合った。
完全に左腕を取ろうとする柴田、取られまいとする辻。
腕を取られればその時点で試合終了である。ギブアップするか、折られるかだ。
腕が折られたら…もう試合にはならない。
――――――――――その腕を、柴田がついに捕えた。
228辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/03/05 03:23 ID:yemCz5A/
腕ひしぎ十字固め。
完全に決まった。どんなにもがこうともう外せない。
ミリィという音がした。骨が軋む音だ。辻の顔が激痛に歪む。

「あっけない幕切れだったな」
「やっぱり柴田か」

客席からの声。開始からまだ1分も経ってない。
これほどまで実力に差があるとは誰も予想していなかった。
いや、ここは柴田を褒めるべきだろう。
打撃から、フェイント、タックル、寝技、決め、全てにおいてムダが無い。
辻が何もさせてもらえなかったのだ。

柴田のセコンド、斉藤瞳は勝利の笑みを浮かべる。
辻のセコンド、みうなは対照的に顔をしかめた。タオルを握る手に汗がこびり付く。
まだ辻はギブアップをしない。
辻を攻めることはできない。柴田が強すぎた。想像以上に強すぎたのだ。
もう選択肢は残っていない。ギブアップするか、ギブアップをせず腕を折られるかだ。

「んぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぃぃぃぃぃぎぎぎぎぎぎぎぎぃぃぃ…」

苦悶の声。歯をむき出しに辻の苦悶の声が響く。
ミリミリィミリィという音。骨と骨が軋みズレル音。想像を絶する激痛。
それでもまだ辻はギブアップをしない。
「もう勝負はあったのに何故?」と、会場中の観客が疑問を浮かべた。
229辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/03/05 03:23 ID:yemCz5A/
ここから数十秒の間に起きた出来事を、のちに人々はこう呼ぶ。
奇跡、と。

体が浮いていた。柴田あゆみの体がだ。
何事か?と柴田は思った。
間接技を掛けられている左腕だった。辻希美の左腕だ。
その左腕が柴田あゆみの体を持ち上げようとしているのだ。
理屈では分かる。無理だ。
しかし現実、柴田は確かに左腕一本の力で持ち上がっているのである。
腕力が強い、というレベルの話ではない。
そんなことがあってはいけないのだ。
少なくとも自分が教わってきたグラウンドの技術には、存在していない。
関節技を完璧に決める――――そこが終着駅なのである。
(こんなことがあって…)

「んぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぃぃぃぃぃ!!!!!!!」

不可能が現実になる。左腕がその腕力のみで、自分より大きい人間を持ち上げた。
そのまま辻は左腕を柴田あゆみごと、反対側の床に叩き付けた。
そして右の拳を握り締め、振り下ろした。
柴田は慌てて腕を放し、間一髪で辻の突きをかわした。
同時に立ち上がった二人は、再び向かい合う。
辻は左腕をブランと垂らし右腕のみ構えをとっている。
柴田は叩き付けられたダメージがまだ残っており、全身が重く感じた。
いやそれはダメージのせいだけではない。そう、恐怖だ。
230辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/03/05 03:23 ID:yemCz5A/
(馬鹿な…私が…恐怖を感じている…)
(そんなはずはない。そんな感情はあそこで、あの場所で捨ててきた!)
柴田あゆみの表情が変わった。気の質も変わる。
それは「試合に勝つ」というより「相手を叩き伏せる」という感情に近い。

『殻を破った柴田あゆみは…強いですよ』

アヤカが吉澤に言った。その殻を…今、破った。
あの無表情な柴田あゆみが、牙を剥き出しにして辻希美に迫る。
来る!誰もが悟った。柴田あゆみ最高最強の必殺技!
フリージア!
回避不能。一撃必殺。試合序盤の蹴りとは速さも、破壊力も、歴然に違う。
そのフリージアに一筋の閃光が立ち向かう。
(拡散する力を一点に集中…)
あの夜、安倍なつみに一本一本指折り、教わったもの。
辻希美の正拳!
そいつが柴田あゆみのフリージアに真っ向から挑みかかった!

「ああああっ!!」

赤き純潔と一筋の閃光の激突。
もの凄い強度の物体が砕ける音。その音が会場に響き渡った。
正拳を突き出したままの姿で固まる辻。
ハイキックの体勢で固まる柴田。
場内に静けさが満ちる。
231辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/03/05 03:24 ID:yemCz5A/
ガクン。
膝から崩れ落ちたのは―――柴田あゆみであった。
さっきの音。あれは柴田の脛が破壊された音だったのだ。
倒れた柴田に向かって、さらに辻は拳を振り上げる。
まだ向ってくる!辻の闘争本能がそう反応させたのだ。

「そこまでーーーーーーーー!!!!」

レフリィーが間に入って、辻を止める。
見ると、柴田側のセコンドからタオルが投入されていたのだ。
もう闘えない。斉藤瞳の判断であった。そしてその判断は正しかった。

「勝者!!辻希美ぃぃぃぃ!!!!!」

高らかにコールされる自分の名前を聞いて、ようやく辻は我に返った。
強く握り締められた自らの拳を見つめると、今度はそれを高々と振り上げる。
それに呼応する様に、会場全体から辻希美の名が何千何万となって叫ばれた。
人々の興奮は早くも最高潮に達していた。
そう、彼らはその目でまのあたりにしたのだから。
辻希美という名の「奇跡」を。

一回戦第一試合 勝者 辻希美 1分27秒 TKO

第15話「開幕」終わり