美しい満月の夜、国道を黒塗りの高級車が走る。
車内には三人の男女が乗っていた。
運転席に座る男は寡黙で、一言も声を漏らさない。
後部座席に二人の女性、妖艶な美女と、中性的美しさを持つ娘が座っていた。
中性的美しさを持つ娘――吉澤ひとみの目元にはアイマスク付けられていた。
「到着まで一時間くらいです。申し訳ないですが、我慢してくださいね」
「構わねえよ。お前らは信用しねえけど、あんたを信用する」
「それはありがとう」
この妖艶な美女に誘われ家を出ると、この高級車が止まっていたのだ。
「行く」と決めたのだから、迷う必要も無い。吉澤は車に乗り込んだ。
行く先も、そこで何が待つのかもわからない。
ただ…梨華ちゃんが待っている。
その想いがどんな不安も凌駕する。
「開会式が13:00。そっから試合が始まって、私は第3試合だから…
どんなに遅くてもリミットは15:00ってところか」
「なんです?」
「明日の大会だよ。何時なら間に合うかなって」
「まだその様なことを言っているのですか?」
「当たり前だ。梨華ちゃんを取り戻して、明日の昼までには戻るから」
「怖いもの知らずも、あなたくらいになると気持ちがいい」
やがて車はカーブし、坂を下る感覚を吉澤は感じた。
(…地下か?)
「アイマスクを外していいですよ」
妖艶な美女の言葉を受け、吉澤はただちにマスクを外す。
ただっ広い地下駐車場の一角に車は止まっていた。
(何処だここ?)
「降りて下さい。こちらです」
妖艶な美女が車のドアを開け、呼ぶ。
運転席の男は結局一言も声を漏らさず、じっと座っていた。
おそらくここまで載せることだけが彼の仕事なのだ。余計な事は一切しない。
吉澤は車を降りて美女の後に続く。
(まるで人の気配がしねえ。不気味な場所だ…)
駐車場の片隅にエレベーターがあった。それに乗る。
エレベーターのボタンは上行きしかない。ここが最下層なのだ。
すると、妖艶な美女はおもむろに緊急と書かれたボタンを押す。
カチッとマイクが繋がる音、そこへ美女が美しく告げる。
「アヤカです」
マイク音が切れると、ガクンとエレベーターが揺れ、下降を始めた。
(最下層…より下があるってこと)
二人を乗せたエレベーターは下降を続ける。
「怖くなってきました?」
「少しね」
「ウフフ…」
「それより、あんたさ。アヤカって名前なんだ。可愛いじゃん」
「おだてても何も出ませんわよ」
「チェ」
エレベーターが止まった。
短い通路、その先に鉄の扉と数字の並んだボタン。
アヤカがピピッと数字を推してゆく。10桁は操作していた。
とても覚え切れそうにない。
「たいしたセキュリティだ」
「さぁ、どうぞ。マスターがお待ちです」
マスター。梨華ちゃんを攫った張本人。一体どんな人物か?
吉澤は大きく唾を飲み込んだ。
そして扉の先に待ち受ける光景に、吉澤は思わず目を疑った。
豪華な装飾の数々が、磨かれた柱や壁を包む。
床の赤い絨毯にはチリ一つ落ちてやしない。
まるで…中世ヨーロッパの王宮にでもタイムスリップした感覚。
「…マジかよ」
「マジやで」
吉澤は再び目を見張る。
王様みたいな衣装の金髪男が奥から姿を現したのだ。
アヤカが深々と頭を下げる。
「吉澤ひとみを連れて参りました。マスター」
「ごくろうやったな。ようこそ吉澤君。会いたかったで」
「あんたが…マスター?」
「せや」
「あんたが梨華ちゃんを…」
「アレは元々わいのもんやで」
アレ。まるで人とも思っていない口ぶりに、吉澤は奥歯を噛み締めた。
だがここでキレル訳にはいかない。
確実に、梨華ちゃんと二人、戻る方法がわかるまでは。
「石川梨華を取り戻す方法を知りたいんやろ」
まるで心を読んだかの如く、マスターはそう言い切った。
吉澤は素直に頷いた。マスターはニヤリと笑う。
「わいがこの財をどうやって築き上げた思う?」
「さぁ」
「コロシアムや」
コロシアム。
古代ローマ帝国において、剣闘士たちが命を掛けて闘った競技場の名前。
「現代に蘇らせたんや。お前らの大好きな格闘技ちゃうで。殺し合いや。
これが馬鹿な金持ちどもに受けとんのよ」
悪。その一言を見事に体現した笑みを浮かべる。
そして彼が何が言いたいのか、何となくわかってきた。
「私に、そのコロシアムに出ろってこと」
「話が早いのぅ」
「誰を倒せば、梨華ちゃんを返してくれる?」
「決まっとるやろ。チャンピオンや」
「マスター!それは…」
アヤカが突然叫んだ。ここまでずっと冷静だったあのアヤカがだ。
(チャンピオンってのはそれほどの者なのか)
「どや、やるか?」
「約束は守るんだろうな」
「守らなコロシアムは成り立たへんやろ。ここでは勝者が絶対や」
「私が勝ったら、梨華ちゃんを返してもらうぞ。そして二度と近づくな!」
「命の保障はないで」
「上等」
マスターは誓約書を取り出す。
彼の各印はすでに押されてある。
吉澤はアヤカが用意した朱肉に親指を押し付けると、そのまま誓約書に押し付けた。
こんな裏社会では公的に意味のない代物だが、気持ちの問題だ。
「よっしゃ、交渉成立やな」
「で、試合は何時からだ?私は今すぐでもいいぜ」
「そう焦らんでええがな。こっちも準備がある」
「急ぐんだよ」
「しゃーないな。明日の昼12時ジャスト試合開始でどうや。それ以上は無理やで」
吉澤は脳内で計算を始めた。
(12:00か。秒殺して、速攻戻れば、ギリギリ大会に間に合うか…?)
「勝ったらすぐに帰ってもいいんだよな?」
「言ったやろ。勝者は絶対やて。好きにすればええで」
「OK!12時だな」
「よかったで。吉澤ひとみが意外と話の分かる奴で」
「こちらこそ」
マスター寺田と吉澤ひとみは互いに笑みを浮かべる。
アヤカだけが複雑な表情のまま、その場に取り残されていた。
「おーフカフカ。気持ちいい〜」
用意された部屋のベットにゴロンと倒れ込む。
「大物なのか…鈍感なのか…。あなた、ご自分の状況がわかってないみたいね」
ベットで横になったまま、吉澤は入り口に立つアヤカを見上げる。
「わかってるさ。勝てばいいんだろ」
「ルールもあって審判がいる格闘技とは違いますのよ」
「それでも、こいつに変わりはない」
吉澤はグッと拳を自らの顔に近づけた。
「どつき合いなら、世界中の誰にだって負けねえ自身があるからよ」
「…チャンピオンを知らないから」
「なんだって?」
「いえ、何でも。最後の夜をせいぜい楽しむことね」
「何だよ行っちゃうの?話し相手いなきゃ、楽しめねえだろ」
アヤカはその美貌をわずかに崩す。
この吉澤を相手にしているとどうも調子が狂う。
「話すことなどありません」
「あるよ。アヤカのことが知りたい」
まだ、更新途中だといいんだけど・・・・ネタバレしそうで・・・石川・・・わかんないけど・・・
変な奴だ…とアヤカは思った。
明日死ぬかもしれないのに、こんな屈託ない顔で話しかけてくる。
自分はこちら側の人間なのにだ。
「まぁいいでしょう。冥土の土産に」
「だから私は死なねえし、負けねえっての」
「それで、どんな話をするのです?」
「チェ。クールな奴。そうだなぁ…アヤカの昔話が聴きたい」
「そんなものありません。私は物心ついた時からここにいましたから」
「えっ?」
「あっ!…今のは忘れてください」
「ずっとこんな所に?友達とかいなかったの?」
「…いるにはいましたが、負けて動けなくなった子や去った子ばかりです」
「それって…」
「その内の一人に、あなたも知っている子がいます」
「誰?」
「柴田あゆみ…聞いたことがあるでしょう」
「嘘!メロンの?」
「ええ、メロンになる前、彼女はここで共に育った」
「そうなんだぁ。確かにあいつだけ…何か違ったもんなぁ」
「あなた達との戦いのときは、まだ殻を被っていた」
「え?」
「殻を破った柴田あゆみは…強いですよ」
アヤカは妖艶な笑みを浮かべ、言った。
時間は再び大会当日に戻る。
「今まで、ありがとうございました」
控え室のひとつ、柴田あゆみが頭を下げていた。
下げられた三人は思わぬことに、苦笑を浮かべあう。
「顔、上げろよ」
「こっちが照れるじゃねえか、なぁ」
斉藤と大谷の言葉を受け、柴田は静かに頭を上げる。
村田もメガネをつまみながら語る。
「私たちも嬉しいのです。あなたの晴れ姿が見れることがね」
「はい」
吉澤達に敗れた後、格闘技に挑戦したいと言う柴田に反対する者はいなかった。
むしろ3人は積極的に協力したものだ。
斉藤の関節技、大谷の打撃、村田のトリッキーな技術、全てを柴田に注ぎ込んだ。
だが、柴田が感謝しているのはそれだけではない。
(アソコを逃げ出した私を…ここまで育ててくれたのがあなた達です)
「いってきます!」
地の底から光輝く場所へと辿り着きし娘、柴田あゆみ出陣!
相手は夏美会館の辻希美である。