小説「ジブンのみち」 part2

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167辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU
「よっしー、おそいなぁ」

何度も確かめた、時計の針は午後7時を回っている。
「勝負にカツ」と寒い願いを込めて作ったトンカツが、冷えかけている。
石川梨華は部屋に一人、ため息をおとした。
(市井さんの所、千葉だし…遅くても仕方ないよね)
自分自身に言い聞かせる。
そして、はりきって造りすぎた料理の数々を眺めまわす。
(ウフフ。このご馳走見たら、どんな顔するだろ)
幸せだった。
石川は今、幸せだった。
吉澤と共に暮らし、彼女を応援するだけの生活が。
(うん、悪くない…)

コンコン…

そのノックの音は唐突だった。
最初はよっしぃーが帰ってきたんだと思った。
立ち上がって、扉に駆け寄る。
ドアノブが静かに回る。

「よっしぃー!おかえ…」

石川の顔に張り付いていた笑みが、次の瞬間、消えた。
168辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/02/22 22:42 ID:h+te92nV
異質な男だった。
スーツも、ズボンも、靴も、顔つきも、金髪の髪も、その存在自体が異質であった。
この平穏でありふれた日常の中に、ひどく似つかわしくない男だった。
その男がズカズカと部屋に入り込んできた。

「あ、あ、あ、あ…」
「えろうひさしぶりやのぅ」

男の口から出た関西弁、それさえも異質であった。
石川は小刻みに震えていた。それは尋常な怯え方では無かった。

「お、上手そうなトンカツや無いか。どら、一個もろた」
「あ、あ…」

よっしーの為に作ったトンカツ…。
それさえも言葉にはならなかった。
男は、勝手に部屋に上がり込むと、テーブルのおかずを勝手に物色しだした。
トンカツを口に含むと、勝手に眉をしかめる。

「イマイチ…いやぁイマサンってとこやのぅ」
「…どうして、ここに?」

ようやく石川が吐き出した言葉が、それであった。
男は口端を持ち上げ、嫌な笑みを浮かべる。
169辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/02/22 22:42 ID:h+te92nV
「どうしてやあらへんがな。俺が梨華をほっとく訳ないやろ」
「寺田さん…私は…もう」
「そや、俺は寺田や。そしてお前は石川梨華や。よもや忘れたとは言わさへんで」

寺田と名乗る異質な男は、馴れ馴れしく石川の肩を抱き寄せた。
石川はどうしようもないくらい震えていた。

「今の生活、楽しいんか?」
「…はい」
「幸せですか?」

目にいっぱいの涙を溜めて、石川は大きく頷いた。
すると寺田は石川の肩に腕を掻けたまま、アハハハと笑い転げた。
大粒の涙が、石川の目から今にも溢れ出そうになる。
耳元に触れるくらいの距離で、寺田は囁き変えた。

「忘れたんか?お前は、一生、幸せになったらあかん女やろ」

涙が石川の頬を伝い落ちた。
掻き消えそうな声で、石川は言った。
「…忘れてません」と。

寺田は、憎らしい笑みを浮かべると、石川の腕をとった。

「よっしゃ!ほな、行くで」
170辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/02/22 22:43 ID:h+te92nV
玄関の向こうには黒塗りの高級車が止まっていた。
運転席に黒いスーツの男。そして助手席には世にも美しい女性が座っていた。
石川はその美女を知っている。美女は車を出ると、後部座席の扉を開けた。

「どうぞ」
「ほら梨華。乗りいや」

寺田に背中を押され、石川は思わず前につんのめる。
ズンと、重いナニカが背中に圧し掛かった。
(この重圧…私はまた…またあの生活に…)
後ろを振り返ると、吉澤と共に過ごした家が見える。想い出の数々が蘇る。
たまらなくなり石川の頬にまた、涙が落ちる。
それを見た寺田が嬉々として言う。

「なんや?吉澤ひとみが恋しいんか?」

寒気が走った。何よりもこの男の口からよっしぃーの名が出たことに。

「なんなら、吉澤も連れてきたろか」
「ダメ!それだけは…それだけはやめて!お願い!」
「おい」

寺田は美女を呼び寄せ、ナニカを耳打ちした。美女は首だけで返事する。

「ダメ!連れてきちゃダメ!よっしぃー!来ないで!」
171名無し募集中。。。:04/02/22 23:06 ID:S4crnmsU
うあおおおお 更新来てた!
美女?誰でしょうか?気になるう
172辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/02/22 23:09 ID:0g1vNJK2
(ちぃっと遅くなったかな?梨華ちゃん、怒ってるかも)
駅から続く商店街の道を、吉澤ひとみは大きな紙袋を抱えてニヤニヤと闊歩していた。
(でも、これ見たら喜んでくれるだろ?)
紙袋の中には、白いブラウスといっぱいの幸せが詰まっている。

「明日はこれ着て応援に来て、…なんてね」

髪を掻き、どうにもだらしない笑みをこぼす。
とてもボクシング世界チャンピオンには見えやしない。
商店街をこえて住宅街に入ると、もう家はすぐそこだ。
吉澤はいつもの調子で、いつもの様に、いつもの家の扉を開けた。

「たっだいまぁー!遅くなってごめん!いやー腹減っ…」

吉澤は一瞬、家を間違えたのかと思った。
見たこともない美女が居間に立っていたから。
(梨華ちゃん)(違う)(知らない人)(知らない家?)(いや…ウチだよ)
混乱する吉澤を尻目に、美女は懐からナニカを取り出してテーブルに載せた。
札束であった。

「これはマスターから。お世話になった分だそうです」
「ハァー?お世話?」
「ええ、石川梨華さんが、こちらでお世話になりましたから」

吉澤の目つきが変えるには、十分な台詞であった。
173辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/02/22 23:10 ID:0g1vNJK2
「梨華ちゃんは…何処だ?」
「マスターの元に帰りました。ですから、これは、そう…」
「…」
「手切れ金」

美女が妖艶な笑みを浮かべる。
手にしていた紙袋が落ちると同時に、吉澤は前に飛び出ていた。
空を裂く様なジャブが、妖艶な美女の顔面スレスレにて止まる。
美女は表情ひとつ変えることなく、言った。

「噂以上ですね。反応できませんでした」
「何者だお前。金なんかいらねえよ。とっとと梨華ちゃんを返せ」
「それは無理な相談…と言いたい所ですが」
「いいから。私が本気でブチぎれる前に、言う通りにしろ」

押し殺した声で囁く吉澤。美女の顔から笑みが消える。

「たいした殺気だ。私では、とうていあなたには太刀打ちできないでしょう」
「…早く」
「賢明な判断を。私を殴れば、永遠に石川梨華は戻らないでしょう」
「…!」
「ウフフ」

美女はツッと後ろに下がると、玄関の方へ歩き出した。
吉澤はずっと彼女を睨み続けたまま目を離さない。
174辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/02/22 23:11 ID:0g1vNJK2
「あなたに許された選択は二つ。
石川梨華のことは忘れ、表社会で今の輝かしい栄光と共に生きてゆくか?
石川梨華を追って、栄光も命の保証すらもない裏の世界へと飛び込むか?」

玄関を背に、美女は再び妖艶な笑みを浮かべ問うた。

「メロンを知っていますわよね。マスターに依頼されて石川さんを攫った」
「全部お前らの仕業だったのか」
「あれは裏社会のほんの表面に過ぎない存在。一緒にしてもらっては困ります」
「…」
「さぁ、どうします?吉澤ひとみさん」

吉澤は立ち尽くした。
色々なことが、頭の中を駆け巡った。
ボクシングで手に入れた栄光のこと…
日本一を掛けた明日の大会のこと…
対戦相手の藤本美貴のこと…
頂点に立つ安倍なつみのこと…
そして、帰ってくるごっちんのこと…
これまでの人生のすべてを…

(すべてを…私は…捨て…)

「そうそういい忘れてました。石川さんからあなたへの伝言」
175辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/02/22 23:11 ID:0g1vNJK2
妖艶な美女の言葉で、吉澤はハッと顔を上げる。
梨華ちゃんからの伝言…

「『来ないで』…だそうです」

まるで殺気の消えた、赤子のような顔で吉澤は動きを止めた。
(バカ、大バカ…私は何を迷っている)
自分の両の手を見た。
(何のために鍛えた手だ。栄光を掴む…じゃないだろう)
(梨華ちゃんはきっとたった一人で、苦しんでいる、泣いているんだ)
(誰かを守るための…手だろ)
二つの拳を強く握り締める。答えは決まっている。

「行くよ」

美女は今までで一番艶やかな笑みで、玄関の扉を開いた。
(私は戻る。梨華ちゃんと一緒に…戻ってくる)
(決着をつけてない奴はまだいっぱいいっぱい残しているんだ)
(藤本美貴!高橋愛!安倍なつみ!それと…)

「間違ってないよな。ごっちん」

静かに、吉澤ひとみはその一歩を踏み出した。
テーブルの上の冷え切ったトンカツに、気付くこともなく。

第14話「来ないで」終わり