小説「ジブンのみち」 part2

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158辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU
そして大会前日。
吉澤ひとみは市井紗耶香の家を訪れていた。
待ち望んだニュースが海外から飛び込んで来たからである。

「Maki Goto won the victory in overwhelming ability」
「へぇ、結構きえいに英語しゃべれんだ」
「あの〜、私ずっとアメリカ暮らしだったこと忘れてんすか?」
「そうだった」
「ったく」
「…にしても、いよいよだな」

吉澤が頷く。
市井が手元のマウスを動かすたび、吉澤はピリピリとした感触に遭遇する。
ネットで海外のホームページを検索して手に入れた。
ブラジルで開かれた柔術のトーナメント速報。「後藤真希が圧倒的な実力で優勝した」
ピリピリした。
まるで肌が焼け付く様であった。
英語で記されたその文章を目にするだけで、たまらなく熱い。

「今や世界の格闘技の最高峰はブラジル柔術にある」

愛用のPCに目をやったまま、市井が言った。
その頂点に後藤真希が立った――と言いたいのだ。
吉澤は思わず唾を飲み込んだ。
159辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/02/21 18:27 ID:vyl5ZnDp
「いったい、どのくらい強ぇんだろうな」
「この日本格闘議界の、勢力構図が一変するくらいだろう」
「簡単に言いますね」
「真希は大会が終わり次第、すぐに日本に戻ると言ってた」
「…ってことは?」
「明後日か?早ければ明日の夜にも…」

明日の夜には…後藤真希がこの日本の地に降り立つ!
熱が炎になって燃え上がる様であった。

「明日の大会が…ちょうど終わる頃ですかね?」
「吉澤」
「はい?」
「最低でも…優勝だぞ。それが後藤真希へのボーダーラインだ」

誇張でも冗談でもない。市井の顔はいたって冷静である。
燃え上がる炎を内に収束しつつ、吉澤は笑みでそれに答えた。

「帰ります。家で梨華ちゃんがうまい飯作って待ってる」
「ああ。たらふく食ってよく休んどけ。明日は私も応援に行く」
「はいっ」

とびきりの笑顔で、吉澤は市井の家を後にした。
160辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/02/21 18:27 ID:vyl5ZnDp
窓の下には淡い街の光が広がる。
高級ホテル、その最上階にあるバー。

「美貴と二人で、こういう所来るの。初めてだっけ?」
「あんたが酒飲めねえからだろ」
「美貴が強すぎるのよ」

バーボンを氷で割ったものを藤本はグイッと飲み干した。

「同じもの」

無表情なバーテンに空のグラスを差し出す。
もう6杯目だ。安倍はまだ1杯目が半分以上残っている。

「大会は明日よ。あんまり飲みすぎちゃ…」
「明日だから飲むんだ。酔いたいんだよ」
「どうして?」
「吉澤ひとみのせいさ。楽しみで、気が狂いそうになる」
「へぇ」
「それと、安倍なつみのせいだ」
「あら、なっちも?」
「ようやく明日、あんたに辿り着くとかと思うと…」
「フフ…」

出てきたグラスを、藤本はまたグイッと喉に流し込んだ。
161辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/02/21 18:37 ID:vyl5ZnDp
「もう何年になるかなぁ」
「何が?」
「美貴が夏美会館に入門してさ」
「3年半だ」
「そんなになるか。いやぁ…なつかしい」
「フン」
「創設以来、何万人という入門者を迎えたけどさ。今だに美貴だけだよ」
「…」
「入門初日に、なっちに殴りかかってきた奴はね」
「…フフン」
「あの日、なっちは確信したんだ。夏美会館は地上最強になるってね」

酒が入っているせいか。安倍がいつになく饒舌だ。
新たなグラスも飲み干した藤本は、微笑を浮かべたまま窓の外に目をやった。
満月が夜空に浮かんでいた。

「美貴は満月みたいだね」
「どうして?」
「なっちが太陽だから」
「ケッ!自分で言うな」

しかし“満月”という呼称が確かに合っている気もした。
太陽に様に熱く燃え輝き続ける存在ではない。
淡い美しさの中にどこか狂気を秘めた、闇に浮かぶ満月。
162辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/02/21 18:38 ID:vyl5ZnDp
「じゃあ、さしずめあのガキはスッポンってとこか」

藤本がスッポンと例えたのは辻のことだ。
太陽と月とスッポン…というジョークである。

「アハハ…ひどいわよ。美貴」
「笑ってんじゃん。スッポンは今日誘わなかったのか?」
「あの子はまだ未成年でしょ」
「もう19だろ」
「どっちみち入れてもらえないわ。どう見てもお子様じゃん」
「あんたも人のこと言えねえけど」
「美貴!」
「可哀想だし、呼んでやっか」

藤本は携帯を取り出すと、ピピッと辻のアパートに電話をかけた。
『はい、こちらミニモニ留守番電話サービスセンターなのれす』と音声。

「留守だ。大会前に遊びに出てんのか?」
「まさか…まだ道場だったりして」
「そういえば、この2週間あいつずっと道場にいたらしいじゃん」

沈黙が流れる。
安倍と藤本に共通の想像が浮かぶ。二人は同時に席を立った。

「はっぱ、かけすぎたかな?」
163辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :04/02/21 18:39 ID:vyl5ZnDp
大会前日のこんな夜遅くだというのに、道場には明かりが付いていた。

「やっぱり」
「世話のかかるガキだ」
「なっちがあんなこと言ったから…」
「とにかく行こうぜ」

藤本が道場の扉を開いた。
その中の光景に藤本、そして安倍の表情も変わる。
床にうつ伏せで辻は寝息を立てていた。
注目すべきはその手前、拳大の穴が開いたサンドバックの残骸が吊るされていたのだ。
(まさか、あの子…本当に正拳を)

「こいつ、本気で2週間、サンドバック叩き続けてたのか?」

藤本がしゃがんで辻の寝顔を覗き込む。
精も根も尽き果てた…だが満足気な表情の寝顔であった。

「…美貴」
「ん?」
「なっちは今、3年半ぶりに改めて確信したよ。夏美空手は地上最強だ」
「…ああ」
「明日、スッポンが奇跡を起こすかもしれないべさ」