「そろそろ起きんと閉めるで」
「なあ」
「はよ起きんか」
俺は加護の声で目が覚めた。
ノロノロと俺の体を揺さぶっている。
「起きました・・・」
俺が起きたことを確認した加護は、
ジャラジャラと鍵のたくさんついたホルダーを、俺の眼前でチラつかせた。
「起きたんなら閉めるで」
辺りを見回すと、そこは学校の図書室だった。
まだ少し視界に靄がかかっている。
なかなか椅子を離れようとしない俺に、加護はいらついた口調で急かした。
「今行くって・・・」
どうやら加護は早く図書室の鍵を閉めて、家路につきたいらしい。
俺も早く帰って寝たかったので、足早に図書室を出た。
加護は鍵を閉めると、俺に「もう図書室で寝たらあかんよ」と釘を刺して、職員室に向かって走っていった。
きっと鍵を返すのだろう。
俺は携帯で時刻を確認すると、自分の教室に向かった。
教室に鍵は掛かっていなかった。
「助かった・・・」
俺は独り言を小さく呟き、素早く荷物をまとめ、鞄に入れる。
部活の奴がいてもよさそうだが、生憎、今日は試験前のため、部活動はやっていない。
今日はというか、これから試験が終わるまでずっとない。
まあ、部活に入っていない俺には関係の無いことだけど。
「何してるの?早く帰りなさい」
振り向くと教室のドアのところに、保田先生がいた。
「今帰ります」
俺は先生に軽く会釈して、昇降口に向かおうとした。
「ちょっと待ちなさい」
保田先生の声にビクッと体を震わせる。
なんかしたか、俺。
「頼みたいことがあるんだけど」
頼みごと?保田先生が俺に?
とりあえず怒られる様子ではないので、恐る恐る振り返る。
「なんでしょうか?」
「此処じゃなんだから」
保田先生は生徒指導室に、俺を誘導した。
「で、なんでしょうか?」
「さっきまで図書室で寝てたらしいわね」
「あ、ハイ・・・」
きっと加護だ。
加護が鍵を返しに来たときにでも言ったんだろう。
保田先生はおもむろに席を立ち、生徒指導室の灯りを消すと、懐中電灯で自分の顔を照らした。
こ、、、こわいな。
保田先生は俺の気もしらないで、話を始めた。
「実はね・・・」
保田先生の話は・・・。
「実はこの学校、幽霊が出るらしいのよ」
保田先生の声は真剣そのもので、とても冗談を言っているようには見えない。
そして保田先生の顔が顔なだけに、余計に怖さが増す。
「君、部活とか入ってなかったわよね。
明日の夜7時再登校ね」
「え?」
突然再登校を命じられ、意味不明だった俺の頭は、だんだんと状況が飲み込めてきた。
「それは、、、僕に幽霊退治をしろと?」
保田先生は神妙な顔付きで深く頷いてみせた。
俺の顔から血の気が引いていく。
実のところ、幽霊やお化けといった類はダメで、遊園地のお化け屋敷なんて入ったこともなかった俺。
そんな俺が幽霊と向き合う…退治するなどということは無理だ。
絶対に不可能だ。
俺はその場面を想像するだけで、全身の毛が逆立つのを感じた。
身震いしている俺に気づいた保田先生が声をかける。
「もしかして君、そういうのダメ?」
「………ハイ…」
今にも消えてしまいそうな声でそう答えると、保田先生は軽く溜息を吐いた。
「しょうがないわね。それじゃぁ今回は…」
保田先生の言葉に、安堵の息を漏らそうとしていた俺は、次の瞬間ぎくりとした。
「藤本と一緒に行ってもらうことにするわ」
「ハァ!?」
考えるよりも先に思ったままの言葉が出てしまった。
普通、ダメだって言ってるんだから他の奴に頼むだろう。
いや、この場合保田先生に普通を求めた俺が悪いのか…。
「明日の夜7時に来てね。藤本にも言っておくから」
保田先生は逃げ出せないわよ、といったような表情で、生徒指導室から去って行った。
「まじかよ…」
一人残された俺は、小さく呟いてから学校をあとにした。
次の日の夜7時。
俺は震える足で校門前に立っていた。
その日の授業はよく覚えていない。
保田先生の授業中は、ずっとあの瞳に見つめられていた。
本当に、怖かった。
ちびったらどうしよう…。
そんな感じの一日を過ごした俺は、それでも律儀に学校に来ていた。
約束を破るわけにはいかないし、、、な。
時間通りに来た俺は、周囲を見回した。
藤本らしき人物は見当たらない。
それどころか人の気配がない。
夜の学校は俺の恐怖心を煽るだけのものでしかなかった。
俺は意を決して校内に入る。
とりあえず職員室に行って保田先生を見つけることにした俺は、
職員室がある2階へと足を進めた。
うちの学校は2階に職員室がある。
1年の教室が4階。
2年の教室が3階とだんだん進級する度に階層が下がるので、遅刻が減る。
ということは3年は2階なわけだから、職員室が2階にあるというわけだ。
3年としてはありがた迷惑な話だが、現在2年の俺には関係のないことだ。
職員室の扉をノックしても、中からの応答はない。
しばらくノックを続けていたが、中に入って確かめることにした。
「失礼しまーす…」
のろのろと扉を開け、職員室に入る。
職員室の電気は付けっぱなしで、誰かいるものだと思っていた俺は、保田先生の机に向かった。
机の上には1枚の紙が置いてあった。
何か書いてある。
俺はそれを手にとり、読み始めた。
『幽霊退治をしてくれる君へ。
先生は怖いので帰ります。頑張ってね!
P.S〜藤本には連絡がつきませんでした。
一応留守電入れたけど、来なかったら1人で頑張ってね。』
手紙は保田先生の裏切りが明確に記されていた。
「あの野郎…」
俺は脳内で保田先生の顔を思い浮かべると、近くにあった椅子を思い切り蹴った。
もちろんこれくらいで憂さが晴れるわけではないが、少しは気分が軽くなった。
しかし、藤本が来ないとなると俺には無理だ。
さて、どうしたものか。
藤本には連絡がつかなかったらしいので、俺は校内を巡回してみることにした。
震える足を無理矢理に動かしながら職員室を出る。
扉のギーっという音も、今の俺には恐怖でしかない。
職員室を出てから少ししたところの廊下で、
懐中電灯を持ってこなかったことを後悔した。
がたっ
俺は必死で恐怖心と闘っていると、美術室の方から物音がした。
「・・・・・・・・」
数秒程度の思考ののち、俺は無謀にも美術室の扉に手をかけた。
やはり職員室同様、今日は扉の開く音がやけに耳障りになる。
というか、怖い。
俺の体がギリギリ入るだけ扉を開け、中に入ると、一つ窓が開いていた。
恐らくさっきの物音はこれが開いた音だろう。
「誰?」
俺が入り口のところで佇んでいると、美術室の奥の方から声が聞こえた。
「おおおおおおおお前こそ誰だよっ!?」
切羽詰った声で叫ぶ。
すると、人影が近づいてきた。
人間ということを確認出来た俺は、大分冷静になっていた。
その人影が誰なのかを認識するのに、時間はかからなかった。
「あんた何してんの」
藤本だった。
俺は安堵の溜息を吐き、近くの机に腰を下ろした。
「何って、保田先生に頼まれて」
そういえば藤本には連絡がつかなかったと、保田先生の書置きに書いてあった。
「どうして藤本がここに?」
藤本は当たり前でしょ、とでも言いたそうな表情で、俺に近づいてきた。
藤本は俺の耳元まで唇を近づける。
「ちょっ・・・藤本?」
藤本の髪の香りが俺の鼻を擽る。
近距離過ぎて顔は見えないが、その表情は容易に想像がつく。
笑っているだろう。
その後、藤本は俺の耳元で保田先生からの留守電を告げる。
「あんた、幽霊の話聞いてお漏らししちゃったんだってねぇ」
それを聞いた俺は、自分でも分かるくらい、赤くなっていた。
俺が怖がりだとバレたのはしかたがない。
でも俺は、お〇らしてはしてないよ・・・な。
次の日学校へ行ったら、確実に保田先生をシバこうと思った。
俺と藤本は美術室をあとにして、4階へ向かった。
階段を上っている間、藤本はずっと悪魔の微笑みを浮かべながら、
俺の顔をジロジロと見ていた。
恥ずかしくかった。
もうとうの昔に、いや、藤本と会ったときから怖いとう感情は消えていた。
保田先生に対する殺意は芽生えたが。
4階は1年の教室だ。
それに、テラスと視聴覚室とコンピュータ室がある。
「俺ちょっとトイレ」
藤本の視線に耐え切れなくなった俺は、藤本にそう告げると、
足早にトイレに向かった。
男子トイレに入った俺が溜息を漏らそうとすると、鏡に写る藤本を見つけた。
「お前なんで、ここ男子トイレだぞ!?」
「うん」
藤本は特に気にした様子もなく、水道の周りをうろうろしている。
俺はするにも出来ない状態で、恐らく顔を真っ赤にしてボーっとしていただろう。
そんな俺に気づいたのか、藤本はこちらを見やる。
「何、しないの?」
早くしてよ、といった口調で問いかけてくる藤本に、俺は意見した。
「出来るわけないだろ!早く出てけよ!」
「あたしが出てったら怖くて出来ないくせに」
ちょっと図星だったかもしれない。
そもそも俺がトイレに入ったのは藤本の視線から逃れるためであって、
本当に用をたしたいわけではない。
「もういいよ・・行くよ」
俺は一人いじけると、藤本の先を歩き始めた。
「ねぇ、何処行くの?」