広い屋敷だった。
この部屋だけでもゆうに十二畳はある。
藤本一人を寝かせておくだけには十分すぎる広さだ。
つんくがやってきたときの音の響き具合から、
この程度の部屋がいくつも屋敷に収まっていることがうかがえる。
人が少ないのか、家の中の物音はほとんどせず、
耳を澄ませばむしろ表の鳥や、遠くの町の雑踏のほうが聞こえてくる。
爽然とした青畳の匂いに、香(こう)の香りがわずかに混じっている。
障子の隙間から入り込んでくる微かな風が、心なしか暖かい。
襖のつくりがいい。
堀川にあるということは、つんくの個人的な隠れ屋敷かなにかだろうか。
藤本は無意識に布団の手元を探っていた。
刀が無い。
だがすぐに、大刀も脇差も、あの河原で失っていたことを思い出す。
仮にもし残っていたとしても、この場で帯刀が許されるはずもなかった。
何も、つんくやここの家人を斬るつもりだったわけではない。
ただ刀を近くに持っていないと、どこか不安だった。
皇女と人斬り。
おそらくこの世の中でもっとも貴い人間と、もっとも卑しい人間だ。
別に特別な関係を期待していたわけではない。
身分の違いなどはじめから分かっていた。しかし、ただ……。
「正しくは先帝、昨年末に崩御(死去)された織明(おりめい)天皇のお子や」
つんくは話を続けた。
亜弥々姫は、嘉永三年(1850)、京都の御所に生まれた。
黒船来航の三年ほど前である。
父は先帝、織明天皇。しかし母は、名も特にない侍女の一人だった。
織明天皇は、頑迷とも言えるほどの攘夷主義者であり、純血主義者でもあった。
純血とはすなわち、天皇家は少しの血も混ざらず、
高貴なる血縁の者のみと子孫を成すべしというような考えである。
無論、織明天皇自身もこの考えに従い、当時にしてみれば珍しく、
律儀にも正室以外の女と契りを結ぶことがなかった。
しかし、たった一度だけ間違いを犯した。
相手は御所に務めていた名も知らぬ侍従の女。
そしてその時の侍女が身篭り、女の子を産んだ。
不幸なことに、これが織明天皇の最初の子だった。
織明天皇は戸惑った。
天皇家は混じりけのない血筋であらねばならぬ。まして自分のはじめての子が、あってはならぬ。
だからと言って、周りにしてみれば天皇の主義と違うと言うだけで、
天の御子をそう無下に扱うわけにいかない。
結果。周りのはからいで、亜弥々姫は天皇の正子としてではなく、
武家の子として育てられることになった。
織明天皇は、諸外国による開国への圧力が高まる中、
発言力が皆無であった当時の朝廷と幕府の関係下において、
異例の攘夷断行の親書を幕府に送ったほど政事に関心の強かった人物である。
幕府に対する立場もあったのだろう。
亜弥々姫は幕閣に近しい御家ではなく、地方の大名に預けられ、
ひっそりと育てられることになった。
「世話をしたのが、読瓜藩や。
そのときに宮廷の近衛職だった公卿と、
読瓜藩にちょっとした繋がりがあったらしくてな。
なんでも琉球出兵の時からの縁らしいが」
慶長十四年(1609)、
読瓜藩は独立国家であった琉球王朝に出兵し、これを支配下に置いている。
その後『帝慶の大獄』で名を馳せた安室奈美恵など、
読瓜藩から名を広めた琉球出身の武士も多い。
「本当なら、姫さんの生涯はそこでひっそりと終えるはずやった。
そこそこのええ暮らしに、そこそこの幸せ。
大名の子として、そこそこの家筋に嫁にでも行ってな」
ところが、ある出来事により事態は急変する。織明天皇の突然の崩御である。
『尊皇攘夷』
という思想がある。
当時の世の政治思想には、ほぼ全員の根本にこれがあったと言ってもいい。
源流は中国にあるとされ、
国内では、御三家に数えられるうちの一つ、手列戸(てれと)藩で発生した、
手列戸学がその思想的総本山と言われる。
『尊皇』とは、天皇を国の絶対的な王として尊び、付き従うこと。
『攘夷』とは、外夷(野蛮な外国人)を撃ち払い、鎖国を維持すること。
とされる。
攘夷に関しては、外国の圧倒的な軍事力を知り、
攘夷を望みながらも開国の道は避けられないという意見が多勢を占めた幕府側と、
あくまで鎖国を守り、日本を食い物にせんとする野蛮な外国人は排除すべき、
とする攘夷派に多少の温度差があったが、
尊皇という思想に関しては、国事に関心のある者のほぼ全員に共通するものだった。
尊攘派諸藩やその支援を受ける勤王浪士に限らず、
それらと対立するはずの幕府側からその手先たる壬生娘。組に至るまで、
ほぼ全員の底流に厳然として存在していたのである。
違ったのは、その具体的方法論であった。
そもそも国の政事は鎌倉の時代より、武家による代理政治という方便で成り立っていた。
あくまで国の主は天皇であり、武家が天皇より統治権を任ぜられ、
代理で政治を行なっているに過ぎないという考え方である。
つまり、「天皇の代行者として、覇牢幕府はそれに相応しいか」。
これがこの時代における本質的な論点であった。
もともと、三百年という長きに渡った政権に、
いよいよ陰りが見え始めてきた時代であった。
商品経済が急速に発展し、経済における貨幣の重要度が増していく中、
昔ながらの農作物を中心とする流通を基盤にしていた幕府の経済政策は、
根元から矛盾が生じ始めていた。
また、長きにわたって大規模な戦争がなく、平安が続いた世の中にあって、
最も上位の身分とされる武士の、兵士としての存在意義自体が疑問視される時代でもあった。
幕府の財政難のあおりを受けて貧窮にあえぐそこらの武家よりも、
商いに成功した商家のほうが遥かに裕福で、
実質的な権力が上回ることも少なくなかったのである。
士農工商といった、幕府によって定められた身分制度の序列が、
実質的には崩壊しつつあった。
国内がそういった矛盾を多く抱える中、
産業革命によって急速に国力を増大させ、
アジアに利権を求めはじめた欧米諸国の手がついに日本に到達し、
アメリカの黒船来航というきっかけによって、
矛盾が一気に爆発したのである。
尊皇攘夷に本質的に異を唱える者はいない。
しかしその担い手として現行幕府は相応しいのか。
相応しくない。と感じた者、あるいは我こそが相応しいと感じた者は、
『尊皇攘夷』の名のもとに『倒幕』を唱え、
あくまで現行幕府を維持すべきと感じた者は『佐幕』を唱えた。
「崩御によって、亜弥々姫のお立場が変わったと?」
石川が言った。
「織明天皇は、あんまり望んでおられなかったやろうけどな」
織明天皇にしてみれば亜弥々姫は忌み子である。
表舞台に出ずに一生を終えて欲しかったに違いない。
つんくは天皇のことを思い出したのか、しばらく押し黙った。
この時代の大名には珍しいほどの、実直で敬虔な尊皇家でもあったつんくは、
頑迷な織明天皇の崩御に、一個人として心から痛んだ数少ない人間でもあった。
「つまり、お世継ぎ……として?」
「いや。お世継ぎ問題はすぐに解決した。お前も知っとるように、
つつがなく正子としてお認めになられていた今の新明(しんめい)天皇がご即位なされた」
「じゃあ亜弥々姫は」
つんくは一瞬迷うかのように言葉を止め、そして続けた。
「……降嫁(こうか)や」
藤本の指先が、ぴくりと動いた。
幕府の支配力が日に日に弱まっていく中、
もはや従来の政策では体制を維持できないと考えた佐幕派から浮上してきたのが、
『公武合体論』という考え方である。
公――即ち天皇、朝廷と、武――幕府が一体となって政治を執り行なうという、
武家による代理政治という根本に帰ることを広く喧伝し、現行政権と朝廷を同一視させることで、
天皇の威光をもって幕威を復興しようという政策である。
これは、あくまで現行政権を維持したいと考える幕府側と、
それまで幕府に軽んじられ、一切政治に関わることの出来なかった朝廷側による、
利害が一致した結果だった。
そしてその具体的施策のひとつとして行なわれたのが、文久ニ年(1862)、
時の将軍、覇牢直樹(はろう なおき)と、
織明天皇の妹、三好宮千夏内親王(みよしのみや ちかないしんのう)の婚姻である。
これを『三好宮降嫁』と呼んだ。
『降嫁』とは、皇族の人間が臣下の家に降り嫁ぐことである。
将軍は天皇の臣下であるから『降嫁』となる。
簡単に言ってしまえば、政略結婚である。
はじめは、愛妹を政争の具とし外夷の跋扈する江戸にやることに難色を示していた織明天皇も、
攘夷断行を幕府に確約させることで降嫁を飲んだ。
祝言は盛大に行なわれ、京都から江戸へと下る中山道の行列は、
前代を見ない豪華で長大なものだったという。
しかしその施策も、いくつかの出来事の連続によって虚しく外してしまうこととなってしまった。
もともとあまり体の強くなかった三好宮が、嫁いで間も無く病に臥してしまったのである。
将軍直樹もまた、しばらくして将軍職を瀬戸家の由紀男に譲り、隠居してしまう。
もはや、降嫁による幕府と朝廷の姻戚関係をつなぐものが、
三好宮の兄である織明天皇だけになってしまった。
その織明天皇が昨年十二月、崩御した。
一説には、毒殺とも言われた。
織明天皇は攘夷主義に代表されるように、全般に保守的な人物で、
強い佐幕思想の持ち主でもあった。
そのために、存命中はどれほど尊攘派の要求があって、
帝を軽んじた藤州寄りの公卿らによる偽勅(偽りの天皇の命令)が乱れ行き交おうとも、
自らは頑として討幕につながる勅命を下すことが無かった。
まるで毒殺説を裏付けるかのように、崩御を受けて朝廷の動きは堰を切ったように激しくなった。
王政復古を目論む朝廷側の急進派は、幼帝新明天皇を立てることで、
朝廷の改革を断行し、一気に体制を整え始めた。
危機感を持った公武合体派が新たに画策したのが、さらなる降嫁だった。
そしてそこに浮上してきたのが、長くその存在自体を忘れ去られていた亜弥々姫であった。
落胤である。
妾腹とは言え天皇の第一子。
織明天皇の動向次第では、皇位の第一継承者ということもあったかもしれない。
また皇族に年頃の和子がいないということもあった。
織明天皇は正室との間に四人の和子を成したが、
上の二人は若くして病死し、
残りはまだ幼い、九歳になる皇女と、六歳の皇子(新明天皇)のみであった。
再び降嫁という同じ策を打つからには、前以上の世間に対する衝撃が必要になる。
長く存在を隠されていた先帝の第一子。年齢的にも婚儀にふさわしい。
しかも才色に優れているということが、亜弥々姫を担ぎ出すことの後押しとなった。
「そんな、いくらなんでも強引な」
と石川は思わず呟き、そして言い過ぎたと思ったのか、慌てて口元を押さえた。
「そうや。強引やな」
しかしつんくは咎めることもなく、逆に同意するかのような口調だった。
当然、はじめは亜弥々姫もこれを拒否した。
地方大名の子として育ってきた姫に、今さら天皇の直子だったので京に戻り、
そして江戸に嫁に行けなどと言われても、すぐに応じられるはずがない。
なにより、亜弥々姫にはこの時既に婚約者がいたのである。
幼いうちからの婚約だったため互いによく見知っており、
相手は人柄もよく、祝言の前から仲睦まじい関係だったと言う。
小さな幸せを手に入れられるはずだった。
しかしそれも公武合体推進派の強引な説得により解消させられた。
さらに、まだ会ったこともない幼い弟が今や天皇の位に就かせられ、
姫があくまで拒絶すれば、幼い妹がその代わりに降嫁させられると聞かされ、
亜弥々姫は自らの降嫁を承諾した。
純血でないゆえに地方に捨てられた娘が、
血を継ぐがゆえに、再び政略の道具として京に戻されることとなったのである。
織明天皇の喪が明けた後、
江戸にて大々的に祝言の由が発し、広められるはずだった。
そのときに読まれる予定だった御名が松浦宮亜弥内親王(まつうらのみや あやないしんのう)。
亜弥々姫が生まれてから一度も呼ばれたことのない、織明天皇皇女としての名だった。
(亜弥々姫は人形なんです。人形浄瑠璃の)
あやの言葉が藤本の記憶に残っている。
(いいなあ〜。みきすけは)
(だって、自由じゃない?)
人形ではないのだ。あやにはたしかに心がある。
ただ自分を人形としなければ、己の運命を呪い、
孤独な心を支えることができなかったのだろう。
「じゃあ、あの読瓜の駕籠は……」
石川が言った。
「それは、まだよう分からん。なんであんな時刻に駕籠を出したのか……、
確かに、姫は存在自体まだどこにも伏せてあるから、表立って動かせないのも確かやが。
なんせこっちの守護職のほうではまだ、姫が既に上洛してたことすら知らされてなかったんや。
何がどう動いとるのか、正直まだよう分からん。読瓜の公武合体派なのか、
それとも倒幕派がなんかしとるのか」
「壬生娘。組に現場に行くよう言ったのはオレや。
夜中に急に知らせが入ってきてな、急いで行かせた」
つんくは藤本を見た。
「そんで。藤本に徳光殿を斬るように命じたのは、幕府の反読瓜の連中や」
「反読瓜?」
石川が言った。
「そうや」
この時代。
急速な海外の知識の流入と、状況の著しい変化によって激しく変節する人々の思想は、
個人にとどまらず幕府や各藩の政治方針をも大きく揺さぶり、
その中で大筋に何ら関係のない瑣末な対立までも多く生んでいた。
何もかもが揺れ動いていた。
人も、幕府も藩も。
そんな時代だった。
「そんなんもいるんや、どこにでもな。八馬屋を使ってる上役を締め上げたら吐いた」
八馬屋とはこの場合、藤本のような暗殺者を使っているという内輪の隠語である。
藤本には倒幕も佐幕も、思想的なことは何もない。
人を斬るために必要なこと以外で、誰が何々派だとかいう話には興味がない。
ただ黙って、正面を見ていた。
「読瓜への恨みだけで、亜弥々姫のことはよく知らずに、
ただ徳光殿の警護がゆるくなるってことだけで斬らせようとしたんや。
それだけで単純に読瓜の勢いをそげると思うとったらしい」
藤本は斬らなくていいという言葉を思い出す。
命令を下した人間は、本当に亜弥々姫のことなどどうでもいいと思っていたと、いうことか。
胸がわずかに高鳴った。
「浅はかな連中や」
つんくは苦々しく言った。
「これで公武合体派は読瓜側の徳光殿と、藤井君も失った。
幕府の連中が欲をかきすぎるからや。おいしいところ全部持っていこうとしたって無理なんや。
……もう名前だけの策や、意味ないんや」
降嫁批判、国政批判ともとれる言動だった。
そこには京都守護職という重職にありながら、
中央の政事にはなんら口を出すことの出来ない己の無力さへの、
もどかしさがあるのかもしれなかった。
「じゃあ能面の一味は」
「藤本にしろ、その能面の連中にしろ、読瓜内部の筋はないやろと思う。
読瓜ならあの駕籠が何か知っていたはずや。
徳光殿を狙ったにしても、わざわざあの駕籠を襲撃する必要がない。
たぶん、藤州藩やないかと思っとる」
最後の言葉の言い方に、つんくはまだ何かを隠している。と藤本は感じた。
「もし藤州藩の連中やったら、奴らの同盟にくびきを打てるかもしれん」
元来同じ勤王の立場にありながら仇敵でもあったゆえに反目しつづけていた読瓜、藤州両藩は、
昨年、他の諸藩とともに同盟を結んでいた。
西国の倒幕派藩を代表する二つの強大な藩が手を結んだことは、
幕府側にとって大きな脅威だった。
「石川、このことはまだ黙っとけ。お前らだけに言うとるんやからな」
「はい」
これはもう、お上の政事の話や。
はじめにそう言った、つんくの言葉を思い出す。
政事のことなど藤本にはどうでもよかった。しかし、
その中で、あの娘は一人で立っている。
(ほんと、うれしいよ)
(わたしを助けてくれたじゃない)
あやの言葉が、藤本の脳裡によみがえる。
「藤本。あの姫がこれから、すぐにどうこうなるってことは、たぶん無いやろ。
身分がわかってさらったってことは、連中にもあの姫の価値がわかっとるってことや。
捜索にも全力をもってあたらせとる。
お前は能面のくわしいことで、オレらのほうに協力してくれんか。
人相、太刀筋、聞きたいことはこっちにもいっぱいあるんや」
本来ならこの男は、命令して力づくでも藤本を従わせることのできる立場である。
あえてそれをやらずに穏便な言葉で説得しようというのは、この男の性格なのか、
それとも何か含むところがあってなのか。
「あんな……その櫛な」
藤本が黙ったままいるのを受けて、つんくが藤本の手の中の櫛のほうに視線を向けた。
あやに無理矢理持たされた、藤本には不釣合いすぎる豪奢な櫛。
「オレも一度だけ、あの姫とお会いしたことがあってな。
そのとき、お父上――帝からいただいた、たった一つのものや、言うとった。
それ、裏返してみ」
言われるまま、ただ反応するように櫛を裏返した。
そこには、十六の花弁を持った菊をかたどった紋が、小さく一文字だけ刻印されていた。
「ご紋や」
菊花紋章。天皇直系の血筋にのみ、つけることを許されていた紋である。
「本人も最近まで知らされてなかったらしいけどな、織明天皇がご健在やったときに、
たった一つだけお送りになられたものやそうや」
藤本の胸が高鳴った。
「下賜やで」
つんくはそう言うことで、藤本の円滑な協力を促そうとしていたのかもしれない。
しかし藤本はそのとき、
櫛に視線を落としたまま、後ろから頭を思い切り殴られたような感覚に襲われていた。
(もったいないなあ、こんなにかわいいのに)
目の前が真っ白になった。
(今まで本当に、本当に私のために戦ってくれた人なんていなかった)
不意に、美しい鼈甲の櫛の上にぽたりと、一つの雫が落ちた。
「あなた……」
石川が言った。
藤本の目から、つうと一筋の涙がつたっていた。
それは自身にも予期せぬことだった。
蝦夷の地を離れて以来、涙を流した記憶などない。
藤本はゆっくりと顔を上げた。
胸を張り、涙をぬぐわず、ただ落ちるにまかせていた。
これは、自ら涙を流すことの出来ない人形の、
あやの代わりに、自分の目から流れ出てきているのだと、思った。
浄瑠璃のように清らかで美しい、あの姫の。
涙の流れを追うように、庭の桜が舞い落ちていた。
やがて一つの言葉が、藤本の口をついて出た。
「……刀を」
「藤本……」
つんくが困ったような表情を見せた。
確かにこれはもう、藤本の関われるような話ではないのかもしれない。だが、しかし。
(……大丈夫だから)
藤本の胸に、あやの指の感触が残っている。
(みきすけはきっと、まだ、知らないんだよね。きっと)
(ここ。ここにぎゅーっと。ぎゅぎゅぎゅーっとね。するんだよ)
「刀を、くれないか」
確かめなければいけないことがある。
藤本は自分の胸に当てた拳を、強く握った。