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185名無し募集中。。。
きん。と、
“はばき”近くから折られたその刃は、力のよりどころを失い、
河原の小石にあたって小さな音をたて、倒れた。

いつから刀が崩壊をはじめていたのか。藤本には分かっていた。
あの瞬間だった。

それは紺野と名乗っていた。
最初に刃を交えた浅葱色の狼。

藤本に軽く受け流されたと思われたそのとき、
紺野のたった一度の打ち込みによって、刀は殺されていたのだった。

そもそも日本刀の細身の構造は、
強い打ち込みを何度も受け止められるような造りにはなっていない。
藤本のもののような銘も無い刀であれば尚更である。
だから藤本は、その刀の脆弱さを自らの技術で補ってきた。
力を正面から受け止めるようなことはせず、受け流す。
だがそれを、若い一人の狼によって一撃で殺されていた。

(化け物どもめ……)
藤本は心の中でうめいた。
186名無し募集中。。。:04/01/27 21:34 ID:ny+C37Ex
驚くべきことに、あの一撃を受けてからその後、
藤本が相手の刀をまともに受け止めたのはこれが最初であった。
能面に追い詰められ、とうとう力を受け流すことができなかった。

能面の小刀は藤本の刀を折ったことで軌道を変え、
藤本の肩をわずかに掠るだけにとどまった。
能面がすかさず返す刀で上から斬り下ろそうとする。
しかしそれは今度は、まったく藤本の体に掠ることなく、虚しく空を切った。

その場にいたはずの藤本の体は、刀が折れると同時に心も折れてしまったかのように、
前のめりに崩れ落ちてしまったのだった。

「みきすけ!」
あやが叫んでいた。しかしそれも藤本にはもう、遠くに聞こえる。

「どうした!?」
ただならぬ様子に辻が藤本のほうを振り返った瞬間、
その隙を突いて能面の攻撃が集中し、喉元に一斉に刀を突きつけられ、
辻も動けなくなってしまった。

藤本を襲っていた能面が小刀を逆手に持ち替え、
うつぶせのまま動かない藤本に、とどめの一撃を突き立てようとした。
187名無し募集中。。。:04/01/27 21:35 ID:ny+C37Ex
「やめて!!」
あやがかばうように、倒れた藤本の上に覆い被さった。
顔を伏せ、目をつぶっている。
小刀を突き立てようとしていた能面が躊躇して止まった。

「待て」
その時、落ち着きのある声が、河原に響き渡った。
能面たちの動きが一斉に止まった。

やがて、三人を取り囲む能面の集団の一部が割れ、
その中から白い般若の面をした者が姿をあらわした。

「近寄らないで!」
白般若がそのまま藤本と亜弥々姫に近づこうとすると、
亜弥々姫はおもむろに藤本の腰の脇差しを両手で抜き、刃を向けた。

「……これは勇ましい」
しかし白般若は少しも動揺も見せず静かに言うと、構わず手を伸ばしてきた。
すると亜弥々姫は、白般若に向けていたその脇差しを、今度は素早く自分の首筋に当てた。
白般若の手が止まった。

「あなたたち。わたくしが欲しいのでしょう。
これ以上近寄るならば、わたくしはこの場で首を切ります」
亜弥々姫の目は真剣だった。
「……ほう」
188名無し募集中。。。:04/01/27 21:35 ID:ny+C37Ex
「……や……めろ」
そのとき亜弥々姫の下で、うめくような声が漏れ聞こえた。
藤本がわずかに意識を取り戻していた。
背中に感じる亜弥々姫の暖かな体温が、藤本の意識をわずかに呼び戻していた。

「みきすけ!」
藤本の覚醒に、亜弥々姫は一瞬気を緩めてしまいそうになったが、
あらためて首筋に当てた刃に力を込め、
白般若を見据えた。
一瞬の隙に動こうとした能面たちの動きが、再びぴたりと止まった。

「……いいでしょう」
しばらくの緊張した対峙の後、白般若が穏やかに言った。

「おっしゃる通り、我々の目的は貴方様です。
我々とて、この者どもに同志を幾人も斬られておりますゆえ、
正直を言えば只で帰すのは口惜しいところではありますが。
しかしいいでしょう。
もし、貴方様がこのままおとなしく我々に従ってくれると仰られるのでしたら、
この者たちの命までは取りますまい。どうですかな?」
189名無し募集中。。。:04/01/27 21:38 ID:ny+C37Ex
(……焦って、いる?)
藤本は、伏せた状態から気づかれぬよう少しずつ体位を移動させながら、白般若を見て思った。
その口調、そして周りの連中の仕種に、どこか焦りのようなものを感じる。

亜弥々姫の説得と、藤本と辻の必死の抵抗に手間を掛けるくらいならば、
素直に亜弥々姫の要求に応じようとしているように思える。
既に場は完全に能面たちが掌握しているにもかかわらず。

(壬生娘。組か)
剣を交える前に、辻が呼子を吹いていた。
それを聞きつけた壬生娘。組の隊士たちが間も無くこの場を見つけ、やって来るはず。
ここで藤本らに苦戦し、自らを人質に取るあやの強奪に時間を割くよりも、
取り引きに応じて、壬生娘。と鉢合わせする前に決着をつけてしまいたいということか。

藤本は顔を伏せぎみのまま、周りに悟られぬよう、
後ろで取り押さえられている辻に目配せした。
辻がそれに気がつき、わずかに、ん? という顔をした。

「……貴様、が、首魁(首謀者)……か」
藤本は地面を手でつかみ、完全に膝立ちになりながら白般若に言った。
まだ意識は朦朧としていて途切れ途切れでも声を発するのが苦しい。
しかし相手は焦っている。まだ活路は見出せる。

「……たった二人で。よくここまでやってくれたものだ」
白般若は藤本の問いには答えず、河原に目線を移した。
幾人もの生き絶えた黒い影が、地面に伏せったまま固まっている。
「このお方のお望みどおり、貴様らは生かしておいてやる。
貴様らのその力、面白い。あるいは我らの目指すものにとって、良い駒になるかもしれん。
償いは、その後にでもしてもらうことにしよう」
190名無し募集中。。。:04/01/27 21:40 ID:ny+C37Ex
「なぜ……さらう」
あやのことを聞いた。
「……殺す、つもりじゃ……なかったのか」
駕籠を襲った一件のことを言っていた。あの時、確かに能面は、あやの命を狙った。
それを咄嗟に藤本がかばってしまったのが、全ての始まりだった。

「本当にそんなことが知りたいのかね?」
白般若が、ふっと鼻で笑うようなそぶりを見せた。
「それとも、隙でも狙って、その手の中の石をこちらに投げつけでも、するつもりかね」
確かに藤本は膝立ちになりながら、ひそかに河原の小石を右手に握りこんでいた。
それを見抜かれていた。

「ふ、……まあいい。そんなことをしても私には無駄だよ。
それに時間稼ぎなど無意味だ。
体が冷えるので、こんなところに長居したくないのは確かだがね。
だが、たとえここに奴らが再び現れようと……」
全て見抜いているかのように白般若は言った。
「我らの足は壬生の狼どもよりも速い」

壬生娘。組が現れる気配はまだなかった。

「答えてやろう。我々の目的は、こちらのお方ではなかった」
まるで藤本を反応をうかがうように、言葉を切った。
(……違う、目的だった?)
191名無し募集中。。。:04/01/27 21:42 ID:ny+C37Ex
「しかしこのお方――貴様のような野良犬には到底わかりもしないだろうが、
もし噂に聞く、あのお方だとすれば――我らにとってこれ以上ない拾い物だ。
ならば“生かしておいたほうが都合がいい”」
その言葉に、藤本の体がぴくりと動いた。

「はじめは“どちらでもよかった”のだがな」
「黙れっ!!!」
それまで、滅多なことでは感情を表に出すことのなかった藤本が怒りをあらわにした。
さえぎるように大声で叫んでいた。
藤本は、そんな問いを発した自分自身を恥じていた。

『生かしておいたほうが都合がいい』『どちらでもよかった』
あやが、自分を浄瑠璃の人形と言ってしまうような娘が言われていい言葉のはずがない。

それは藤本自身のことでもあった。
だが藤本は、今まで自分に向けてもそういった言葉をよく発していたし、
誰かにそれを言われたとしても、少しも傷つきはしなかっただろう。

恐らく何の引っ掛かりすら感じなかったに違いない。
しかし、この娘にそんな言葉をぶつけることだけは、何故か許せなかった。

そして藤本は、駆け引きのためとは言え、
そんな間抜けなことを問うてしまった自分を激しく責めた。
あやの顔を見ることができない。
192名無し募集中。。。:04/01/27 21:43 ID:ny+C37Ex
藤本は体に残ったわずかな力を振り絞りながら叫んだ。
自分へなのか、相手へなのか。
自らも戸惑うほどあふれ出てくる感情の勢いそのままに。

右手に握りこんだ小石を手首の力だけで鋭く後ろに放った。
勢いよく放たれた飛礫は闇を貫き、辻を押さえていた能面の体に鋭く当たった。
相手の焦りを感じとったときから、これを狙っていた。

「ぐぅっ」
飛礫を当てられた能面がうめき声を上げた瞬間、辻は隙のできた別の能面を肘で突き上げると、
自分の刀をすばやく拾い上げ、自分を取り押さえていた能面たちを振り払った。
そして自分の脇差しに左手をやると、そのまま腰から抜き、
柄を藤本の方に向けて投げた。

すべて一瞬の出来事である。辻は藤本の目配せに気がついたときから、
藤本が何かを狙っていることを感じとり、
その何かが起きたとき、自分のできる最も有効な手段を計算していた。

そしてそれは、藤本の考えと完全に一致していた。
藤本は後ろで起きた出来事に一瞬怯んだ手前の能面に拳を入れる。
自分に向けられていた刃が外れた。

辻の強い力で直線的に、まったく回転を与えられず飛んできたその脇差しを、
藤本は左膝立ちのまま、ちょうど上段の構えのような格好で頭上で受け止め、
左足で強く地面を蹴って右足を前に向かって大きく踏み込み、
右手で脇差しの柄を、左手で鞘を引きながらその現れた白い刀身で、
眼前の白般若の面に向かって大きく振り下ろした。
193名無し募集中。。。:04/01/27 21:46 ID:ny+C37Ex
「狙いは良かった」
白般若が言った。
「が、打ち込みは甘い」
藤本の振り下ろした脇差しは、頭に当たる直前で、白般若の金属製の手甲によって止められていた。
もう一方の拳が、藤本のみぞおちに深く入っていた。
「ぐ……」
息ができない。

「……なるほど。腰か」
藤本の腹に拳を残したまま、白般若が言った。
拳に血がついていた。
藤本の着物の腰から下が血でどす黒く染まっていた。
駕籠襲撃のとき、知らぬうちに能面の集団に刺されていた傷。
「我らも、そう簡単に命をくれてやるようには鍛えられていないからな」

藤本は苦しみで体を“く”の字に折りながら、
それでもなお、あやを白般若から庇うように後ろ手に、
あやの手をつかんだ。

しかし藤本に、状況に抗う力は既にない。

「では、ご同行願えますかな」
白般若が藤本の存在を無視し、頭越しに亜弥々姫にそう言ったとき、
ぴし、という小さな音と共に、面に、縦につつーっと亀裂が入った。
194名無し募集中。。。:04/01/27 21:47 ID:ny+C37Ex
「……むぅ」
白般若の面が縦に真っ二つに割れ、からんと音をたてて河原に転がった。
完全に受け止めたと思っていた藤本の一撃が、
面にだけは、届いていたのだった。

「ふ、ふふふふふ……」
暗闇で顔のよくわからない、白般若の面をつけていたその者は、
まるで楽しくて仕方がないかのように、笑い声を漏らした。

「みきすけ……と言ったか」
足元の、悶絶する寸前の藤本を見て、それはにやりと笑った。
「やはりこの力、面白い」
195名無し募集中。。。:04/01/27 21:48 ID:ny+C37Ex
藤本は意識が消え入りそうになっても、まだかたく、あやの手を離そうとしなかった。
「みきすけ……」
「……あ…………、あん……た……」
既に顔を上げる力すらない。顔を伏せたまま、ただ手を強く握り、言っていた。

「……大丈夫だから」
藤本の声をさえぎって、あやはそっと手に手を重ねた。
「ありがとう、みきすけ。今まで本当に、本当に私のために戦ってくれた人なんていなかった。
ほんとうに、ほんとうに、うれしかったよ」

あやの言葉の最後は藤本の耳に届いていなかった。
藤本の手があやの手から離れ、力なく落ちる。

藤本の意識は、そのまま、
鴨川のせせらぎに飲み込まれるように、闇に沈んでいった。闇に。