1 :
:
11/9は衆議院議員選挙でつ。必ず投票行って外食しましょう。
2 :
名無し募集中。。。 :03/11/08 23:40 ID:JSH6GPZ1
2だったらソニンと結婚する!
4 :
名無し募集中。。。:03/11/09 00:02 ID:bWoQZ/h2
5 :
名無し募集中。。。:03/11/09 00:21 ID:f78fzAfW
投票は行かないけど、外食します。吉野家で。
6 :
名無し募集中。。。:03/11/09 00:29 ID:/fidrdjL
7 :
名無し募集中。。。:03/11/09 00:36 ID:Kv8djQ1j
>>3 こんなことあったんか。。
やっとむんくの元ネタわかって爆笑しちまったw
もっと漏れも世間に目を向けなきゃいかんな。
ちなみに漏れはまだ投票権のある年齢じゃないから投票行って外食できません
8 :
:03/11/09 01:09 ID:JJE5sxmW
モヲタは投票行って外食しよう!って
少しは意義のある祭ぐらいできんのかw
9 :
名無し募集中。。。 :03/11/09 03:07 ID:bWoQZ/h2
俺皮肉にも誕生日が14日だから投票行けない
外食できない日曜日
10 :
9:03/11/09 03:08 ID:bWoQZ/h2
↑二十歳の
11 :
名無し募集中。。。:03/11/09 03:49 ID:jQA+Yjg7
このスレ狼の方がいいんじゃねえの?
12 :
ピース:03/11/09 06:36 ID:tXVvYnb/
今日モーヲタは下の部分、カーステ最大ボリュームでがんがん鳴らして走りまわりましょう。
「選挙の日って うちじゃなぜか 投票いって外食するんだ
(奇跡みたい 不思議な未来 ・・・・・・ れっちゅご )」
おい!加護ちゃんが「れっちゅご」って言ってるんだぞ。
行けよ。
13 :
ザ☆ピース!:03/11/09 07:46 ID:W6PsNE+R
♪ HO〜ほら行こうぜ そうだみんな行こうぜ
選挙の日って ウチじゃなぜか 投票行って 外食するんだ
(奇跡見たい すてきな未来 ・・・・・・ れっちゅご ) ♪
14 :
名無し募集中。。。:03/11/09 08:02 ID:FaFYBlUg
逝ってきた。
んで、帰りにすかいらーくでモーニング食べてきたよ。
7時になってすぐに行ったが結構人出があった。
変な風に折っても開く投票用紙に感心。
投票用紙には、「ののたん」と無理やり書くつもり
16 :
名無し募集中。。。:03/11/09 08:35 ID:LEwctnr7
松屋で唐揚げ丼食ってきた
食事も投票内容も中途半端に終わってしまった
17 :
:03/11/09 08:37 ID:NrAL2tZ0
選挙いきょーぜ
18 :
名無し募集中。。。 :03/11/09 08:40 ID:scjd/cFb
>>3 むんくより
国土交通相の山崎さんに支配されそうな
民主党
19 :
名無し募集中。。。:03/11/09 09:48 ID:C1Rsu+MK
投票行って、タバコ買ってきた
投票行って喫茶店でモーニング食ってきたぜぃ
ちなみに民主党に入れてみた
21 :
名無しさん:03/11/09 10:16 ID:wFyp02Jt
私も投票逝って、ファミレスでモーニングを食ってきますた。
11時半からハロモニ。の実況でつ。
追伸 名無しですみません。
22 :
名無し募集中。。。:03/11/09 10:29 ID:g/FBrDtn
小選挙区→ののたん
比例代表→こんこん党
で投票したぞ。
23 :
名無し募集中。。。。:03/11/09 11:04 ID:R+BkKcLP
自宅で昼めし食べてから投票に行きます。
民主党に1票。
24 :
:03/11/09 13:57 ID:g83xQxXv
age
25 :
名無し募集中。。。 :03/11/09 15:15 ID:FjJUflYf
民主に入れて来ます
26 :
:03/11/09 16:09 ID:wWsJqTPV
民主党は閣僚にモー娘。「でも」いれとけば
とか言った森元総理のいる自民党には絶対に入れません。
>>26 でも菅も失礼なこと言ってるしなぁ。
今から行くんだが悩む。
共産党に入れるしかないのか?
民主党のマニフェスト(追加項目)
1.コンサートでは口パクはやめて、全曲フルバージョンでやらせます
2.寒いコント、台本棒読みのMCはやめさせます
3.しょぼいグッズをボッタ価格で売ることはやめさせます
4.定期的に握手会、サイン会を開かせます
5.クソ席はFC会員には割り当てさせません
6.チケット価格を引き下げます
7.所属タレントを大切にさせ、コンサートで5曲カットという暴挙は
やめさせます
29 :
名無し募集中。。。 :03/11/09 17:20 ID:SvrRfTyJ
選挙の後にラーメン食いに行ったら、ラーメン屋の中に
共産党員のポスターが貼ってあった。
新聞読もうと思ったら、日刊スポーツと赤旗並んであったし。
かなり鬱で、注文せんで帰ってきた。
30 :
名無し募集中。。。 :03/11/09 18:04 ID:BBc8pUJE
とりあえず、新曲の「恋愛大臣」って誰がやるんだろう?
32 :
名無し募集中。。。:03/11/09 18:22 ID:KSe3w/vb
「まだ選挙権ないから」とか言ってるヤツ!
家族みんなで投票に行け。そして外食。
これが正しい姿だ。モヲタとして。
>>28 8.作詞作曲はつんく以外のプロデューサーを2〜3人外注させます
34 :
:03/11/09 18:33 ID:VU07QRgp
高速道路料金を無料などとたわけたことを言う菅直人のいる民主党には入れなかった。
あいつは仮に無料にしてそのあとどうするつもりなんだ?
無料にすれば、ほとんどの車が高速道路で走ることになるだろう。
さすれば渋滞と事故が多発することは目に見えている。
35 :
名無し募集中。。。:03/11/09 18:37 ID:5Cl729WF
投票所がめちゃ近いから
外食する方がマンドクセー
36 :
名無しさん:03/11/09 18:37 ID:/Q3ah8sH
日本の有権者は、投票と外食です。
37 :
名無し募集中。。。:03/11/09 18:42 ID:ke/qBh05
自民党マンセーで投票したよ
TBSの石原発言捏造で頭に来たからTBSが応援してる民社党は無視した
38 :
:03/11/09 18:42 ID:VU07QRgp
投票した後に外食した奴が勝ち組かなにかなの?
俺は投票した後にココイチに行ってビーフカレーwithタン塩の5辛を食べてきたが。
39 :
名無し募集中。。。:03/11/09 18:43 ID:cA2QvbzE
40 :
:03/11/09 18:45 ID:VU07QRgp
>>37 俺は公明党と共産党と民主党以外なら自民でも社民でもよかったんだけど、
俺の地区にはあの古賀誠なんかがいるから、社民党に入れてきた。
マニュフェストって言う言葉の響きが嫌いだ。
43 :
名無し募集中。。。:03/11/09 18:51 ID:9gpIZ1VY
比例と選挙区の両方とも自民にしてるやつは私立文系。
44 :
:03/11/09 18:53 ID:SYFHUz4C
又吉イエスに投票汁!
45 :
辻ちゃんです:03/11/09 19:01 ID:W6PsNE+R
みんな選挙いった? あと1時間だよ。 行ってね。チュッ
大人の人多いねぇ。
47 :
( ´ Д `):03/11/09 19:06 ID:7tgO0IY5
48 :
名無し募集中。。。 :03/11/09 19:08 ID:6belPgQj
皆は何処の党を支持しているのだろうか。
不在者投票を先週やっちゃたからな〜。
全部非自民に入れてきたよ(でも民主にも入れなかったな結局)。
ムネオなんか出てくるのは長期政権の弊害だからね。
自民党に入れてきたよ。
うちの小選挙区は民主党の候補がイケメンでモテモテなので多分当選するんだろうけどな・・
森発言に関してはむしろ娘。の名前を出してくれたことが嬉しかったり
51 :
あれはアホ:03/11/09 19:16 ID:X3KxAtL6
>>43 理系の菅は、ルートと円周率の区別がつかないらしいが・・・・・
>>51 マジ!
まあその昔円周率=ルート10 ってことになっていた時期もあったからね。
そういう問題じゃないか
>>51 菅って麻雀の点数計算が覚えられなくて計算機を作ったんだっけ。
さすがだな。
54 :
:03/11/09 20:03 ID:mCyJCWVD
民主でも自民でも大して変わらんが・・・
社民と保守と公明は許せん。
それだけ。
マニフェストと言われると産廃現場で働いてる俺は複雑なんだがな。
で、今回の選挙は娘と何か関係あるのか?
56 :
名無し募集中。。。 :03/11/09 23:19 ID:BBc8pUJE
>>55 景気が回復したら、娘のCDが売れるようになる。
かも。
>>55 石破防衛庁長官が当選した。
来年の自衛隊のポスターもモー娘。だ
58 :
:03/11/10 00:46 ID:E1ARDapp
高速無料になったら
遠征も高速でいける♪
一般道は疲れるからな
59 :
名無し募集中。。。 :03/11/10 01:27 ID:kv5hYf5R
>>58 高速無料にすれば高速道路じゃなくなるぞw
単に信号がない道路w
しかも迂回しようにも出口限定w
一般道の方がスイスイw
民主党は馬鹿だよねw
60 :
旅人:03/11/10 01:30 ID:JcdPsTAn
>>59 イギリスやドイツの高速道はなぜ高速のままでいられるの?
アメリカは土地が広いからっていうのは容易にわかるけど。
61 :
名無し募集中。。。:03/11/10 01:33 ID:iGmHC99h
公明党が結構、議席を獲得してるのが嫌だなあ
2大政党制にならないし
>>60 国土の広さと車所有台数の比率ですよw
まぁ、首都圏&関西圏以外は「高速」だろうけど首都高は無料になっても変わらんよ
あ、首都高は「JH」じゃなかったっけw
63 :
旅人:03/11/10 01:36 ID:JcdPsTAn
民主が公明を取り込みに裏工作を開始するなw
草加の票は魅力だからなw
自民235 vs 民主175 (+公明34)
拮抗するからな
65 :
旅人:03/11/10 01:41 ID:JcdPsTAn
>>62 僕は都市部への人口集中と過疎過密化が関係していると思う。
もちろん、そうせざるおえない国の形もあるけどね。
66 :
名無し募集中。。。:03/11/10 01:41 ID:DHM54Q9/
>>61 すんません。
俺の地区が迷惑かけました。
協賛はともかく者民と捕手は無くしていいんじゃねぇの?w
69 :
名無し募集中。。。:03/11/10 02:09 ID:jfHJZ545
>>64 無所属の中に自民の公認を得られなかったのがいるから
自民はあと10人くらい増えるわけだが
>>69 無所属当選は11人だがw
そのうち1人は真紀子な訳だがw
71 :
マシーン神崎:03/11/10 08:55 ID:PLbrNZkd
♪ニッポンの未来は
世界がうらやむ ・・・♪
「公明党=創価学会」に支配されてていいのか?
72 :
名無し募集中。。。:03/11/10 11:21 ID:/5W395CG
公明党議員を当選させた地域の住人を、俺は人間として認めない。絶対に。
>>71 誰もが不安な日本の現状♪
って誰かがいってた
>>72 なんだコレコピペ君か〜。
色んな所に貼るんだね。
ま、ここなら公職選挙法違反にならないからいいけどね。
>>1 子供つれて肉食いに逝ったよ
万札が飛んでいったさ
76 :
名無し募集中。。。:03/11/10 17:25 ID:uzJxDyxP
>>34 高速は暴走車と長距離専用。
一般道をマッタリ走ろう。
77 :
:03/11/10 19:34 ID:xhnRk/uW
つーか、機甲師団を解体するとか言ってる民主に政権は渡したくないのだが・・・
俺戦車好きだし
78 :
ヨミウリオンライン 20031107:03/11/10 19:52 ID:sSSCakx/
(前略)
この発言を聞いた民主党の菅代表が、7日の千葉・柏市での記者会見で猛反撃。
「官僚に振り付けしてもらわないと活動できない閣僚を
モーニング娘。かモーニング息子かわからないが、並べているのはどちらの内閣なのか」
「モーニング娘。が、むんくによってコントロールされているのと同様、
官僚にすべて振り付けをしてもらう内閣を歴代つくり続けたのは自民党」と、
つんくを「むんく」と言い間違えながら反論した。
79 :
名無し募集中。。。:03/11/13 19:29 ID:XJEbeKZ4
投票に行って昼はホテルのランチバイキング。値段が安くて腹いっぱい食えるので
たすかってまつ。
80 :
花子:03/11/24 03:44 ID:/jIZFq4p
逝った
ん
保
歩
一、人斬り美貴介
慶応ニ年。京都。千年の都と称えられこそすれ、夜ともなれば町の灯りとぼしければ、人の通りも無い。
細光る月が雲に隠れてしまえば、盛り場を少し外れたところなどは、たちどころに闇に包まれる。
そんな中、外れを行く一団があった。
人数は五人。雰囲気からすると、どうやら酒宴帰りの武士たちのようである。
ふわふわと上機嫌に歩を進めつつ、やれ「勤皇」だの「外夷」だのと、
腕を振り上げては声高に語っている。
勤皇の志士たちであった。
この時代、日本は黒船の来航を受け、
天皇を絶対視し外敵の侵入を拒む『尊皇攘夷』の思想が国中を席巻していた。
日本の未来に志を持った地方の藩士、浪士らが次々と天皇のお膝元である京へ集結し、
政治の中心は江戸から京都へと移りつつあった。
それら志を持った侍――志士たちは、昼は道場、塾へと通い、夜は飲み屋で酒を酌み交わしては、
日本の未来を憂い、仲間と熱い議論をたたかわせていた。
彼らのふらつく足がちょうど小さな堀をまたぐ橋にさしかかった頃、
その橋のむこうに一つの人影が現れた。
現れた。とは言ってもこの闇の中、はっきりと姿が見えるわけではない。
分かるのは一人の武士風のものであること、ただそれだけである。
彼らも酔っているとは言え、腰に二本の刀を差した立派な侍である。
先頭を歩いていた男がまずその影に気づき、会話を止めた。
後ろに付き従うように歩いていた武士たちも会話を止めた。
あたりを静寂が包む。
影はそこに立ったまま、動かない。
明らかにその影はこちらを意識しているように見える。
武士たちの顔つきが変わる。
それまで前の二人に付き従うように歩いていた後ろの三人が、前に歩み出た。
前の二人の用心棒のようなものであるらしい。
一人は大男で、相当鍛えられた体つきをしている。
一人は小さく、体も細いが、何やらふらふらと落ち着かない。
そしてもう一人は暗くてよく分からないが、日本人離れした独特の異人風の顔をしている。
ただの通りすがりであれば、あえて事を構える必要はない。
或いは物盗りか、夜鷹の類か。
もしやこちらの多勢におびえ、動けなくなってしまっているだけかとも思い、
三人の中の頭格であるらしい、異人顔の武士が声をかける。
「おいお前、何者だ」
ずいぶんと威嚇的な言い方だった。しかし影は動かない。
「いいよ、やっちまおうぜ」
ふらふらした男がへらへらと言う。
「まあまて」
大男が、妙に芝居がかったような大仰な口調でいさめる。
「おい、と言っている」
再び異人顔の男が影に言う。
しかしやはり影は微動だにしない。
やはりこれは……、
と、それぞれが腰に差した刀に手をかけた瞬間、天の三日月が消えた。
異人顔の男が、はっと気がついたとき、既に影は音もなく間合いに入りこんでいた。
「うぁぉっ」
次の瞬間には、闇の中、色もなくただ生温かい液体が男の頬にふりかかり、
つんとした血の臭いが鼻腔をくすぐる。
隣にいたはずの大男が声もなく、首筋から鮮血を吹き上げていた。
「泰造っっ!」
これを最後に、彼らが人語を発することはなかった。
「ひえぁああ」
山鳥のような奇声とともに、異人顔の男の胴体は下から斜め上に分断されていた。
「ふおっ」
そして。終始ふらふら落ち着きのなかった男も、得意の鎖鎌を懐から出すことなく、
力なくその場に倒れ、木製の橋桁をきしませた。
この相手は、まずい。一瞬の出来事に後ろの二人も事態が尋常でないことを察し、
遅れて腰の刀を抜こうとする。
さすがにそこは志をもって京に上ってくる志士である。
凶刃に背を向けて逃走することなく、その何かに立ち向かおうとした心意気までは良かった。
しかしあまりにも、その動作は緩慢すぎた。
影はすでに橋の上で三人をそれぞれ一刀のもとに切り捨てたあと、
躊躇することなくそのまま橋のふもとの二人に迫ってきていた。
二人には、その影がまさしく影であるかのように、離れた場所で一瞬のうちに消えては、
また、突然に目の前に現れたように思えたに違いない。
鋭く肉の斬れる音が自らの懐で二度ほどした後、二人はほぼ同時に崩れ落ちた。
ついに最後の一人まで、彼らは刀を抜くことすら出来なかった。
恐るべき一瞬の、静かな殺人だった。
>>85 修正
×慶応二年
○慶応三年(1867年)
その殺人劇の一部始終を、そばで見てしまっていた者があった。
橋のたもとの長屋に住む町人で、たまたま小便をしに、外の厠に出てきただけの男だった。
月を隠していた天上の雲が流れ、あらわれた細いそれが僅かな明かりを伴って顔を覗かせる。
一人立つ、それまで影だった者の足元に、うっすらと影が浮かぶと同時に、
橋の上に血に濡れた刀がぎらりと光る。
月明かりに照らされたその顔を見て、町人の背筋に冷たいものが走った。
たった今、町人が目にした惨劇にはあまりにも似合わぬ、美しい顔立ちの娘だった。
青白い月明かりがその整った顔立ちをよりいっそう、冷たく際立たせる。
まだ幼さの残る少女の顔だった。
しかしその顔には、何の表情もなかった。
目には何の感慨もなく、ただ、目の前に立ちふさがる立木でも切り捨てたかのように、
その場に倒れた志士たちの骸を見下ろしていた。
「ひ……」
町人がやっと思い出したかのように声を僅かに漏らしてしまったその瞬間、
とつぜん背後から口をふさがれた。そして胸部に一瞬の激痛を感じた後、町人は絶命した。
町人の死体を音を立てぬようそっとその場に降ろした後、
背後から現れた男はひょうひょうと、
しかし不思議と物音一つ立てることなく足を運び、橋のふもとの娘に近寄った。
「紀伊坊か」
娘が男に言った。少し鼻の詰まったような、やはりまだ若い、少女の声だ。
剣客然とした娘とは対照的に、遊び人風に着流しを身に纏った蓬髪の男は、
見た目そのままにひょうひょうと娘のそばに来て言った。
「藤本さ〜ん。少しは回りに気をつけてもらわないと困りますよ〜。
どこから悪い噂が広がるか分からないでしょ〜」
紀伊坊と呼ばれた男は甲高い声で女のように言いながら、
生死を確かめるように横たわる志士たちを足でこづく。
そこには、たった今失われた人命に対する敬意のひとかけらも見られない。
「さっさと斬っちゃえばいいのに。
相手が腰に手をやるまで待ってやったのは武士の誇りってやつ?」
娘は、男のほうを見向きもせず独り言のように言った。
「月が、消えるのを待っていた」
紀伊坊は空を見上げた。
紀伊坊が一部始終を見ていた限りでは、天上の月が雲に隠れたことなど、ほんの一瞬でしかなかった。
その間隙を縫ってこれを行ったというのか。
娘を見る。娘は返り血をまったく浴びていない。
紀伊坊の知る限りでも、あれだけの人間を斬って返り血をまったく浴びないような人間など、
数えるほどしか聞いたことがない。
あらためてその娘の疾さと、強さと、冷酷さに戦慄を禁じえなかった。
「……まあ、とにかく。辺りには一応気をつけてくださいよ〜。
こっちも色々と『仕掛け』を作らなきゃいけないんだから。今、足がついちゃうと、
上の方々もいろいろと困るんですよね〜。まあ、そこらの町人程度だったら別にいいけど〜」
まるで、先ほど自ら手にかけた命がどうでもいいものだったかのように紀伊坊は言う。
「わたしはただの人斬りだ」
そう言って娘は無表情のまま、刀の血をぬぐい、鞘に収める。
紀伊坊はしょうがないな、と少し困った顔をしてみせるが、暗闇で誰にも見えない。
「ま、後始末はいつも通りうちのほうでやるから、別にいいんですけど〜」
「ただ人を斬るだけ」
それは己の所業を嘲笑うかのような含みもなにもなく、娘の本音そのままの言葉だった。
何の感情もこもっていない、鼻にかかった声。
この娘。名を美貴、姓を藤本といった。
二、天誅
部屋の外が騒がしかった。また人斬りが現れたのである。
「天誅だー。また天誅だよー。今度は二条の小橋に現れたー」
表で瓦版屋が騒いでいる。
瓦版屋がたった今通り過ぎていった店、八馬屋という古道具屋の二階の一室に藤本はいた。
よく晴れた日だった。
昼下がりの強い日差しが、障子の隙間から、部屋の畳に一筋の光を通している。
そこは表向きただの古道具屋だが、実は藤本の『上』直轄の拠点の一つで、
裏では情報の交換や、物資の調達などの場として利用されている。
藤本がその古道具屋に対して、用心棒やら何やらしてやっているわけではない。
店はただ藤本に、衣食住の全てを提供してくれる。
それなりに良い部屋を用意してもらっているし、三度の飯も出るし、
せがめばいくらかの小遣いを用意してもくれる。
そこでは藤本は、ただの居候だった。
もっとも、藤本が店に金をせがむことは一度もなかった。
昼間は外に出ることがないのである。ほとんど日の光を浴びない。
酒も飲まない。
ただ、部屋にこもって剣を抱き、人斬りの命が下るのを待っている。
店の者も気味悪がって誰も近づかない。
それは両者にとって幸いなことだった。
「斬られたのはなんと、藤州(とうしゅう)藩の内村様と南原様だぁ」
表では瓦版屋の独演が始まっている。
「そしてなんと、お二人を守護なさっておられた『海神の三本の矢』までも斬られちまったぁ」
それは昨晩、藤本の斬った五人のことだった。
内村、南原清隆の二人は藤州藩の海軍局の要人で、
二人を守護していた三人は海軍局でも屈強な侍であり、
藤州を含む中国地方の古き領主である毛利家の逸話から、
地元では『三本の矢』と呼ばれ、敬われるつわものたちであった。
部屋の中で藤本は剣を抱いたままふと、おのれの手を見る。
五人を斬ったときの感触がまだ残っている。
そのとき、廊下と藤本の部屋を隔てる襖の隙間から、小さな鞠が転がってきた。
藤本が座ったままその鞠を手に取ると、
小さな子供が襖の隙間から顔を覗かせている。店の子供だった。
鞠で遊んでいる最中、たまたま藤本の部屋に入ってしまったらしい。
藤本は黙って鞠を持った手を差し出す。子供がおずおずと部屋に入ってくる。
しかし鞠をそっと手渡した瞬間、何故かその子供が突然に泣き出した。
それを聞きつけ、慌ててやってきたのが店の女房だった。
女房は来るなり子供に失礼があったのだと勝手に思い込み、
「申し訳ございません、申し訳ございません」
と、子供を抱え込みながら必死に謝った。
藤本は何もしていないのだが、その場がおおごとのようになってしまい、
一体なにごとかと、店の主人まで部屋にやってきてしまった。
主人は理由も聞かず子供と女房を大声で怒鳴りつけ、ささとその場から去らせると、
手を揉みながら、貼り付けたような笑顔で藤本に言った。
「あのう……、うちの者たちが、なにか失礼なことでも……?」
「何もない」
本当に何も無いのだから、と藤本はそう言った。
「ですが……」
妙に食い下がる主人が鬱陶しくなり、藤本は少し語気を強めた。
「何もない。何度も言わせるな」
その言葉に主人はまた、ははっ、と必要以上に縮こまり、部屋を出て行った。
襖が今度はきちっと閉められる。
もう、あの子供がこの部屋に来ることは二度とないだろう。と藤本は思った。
そしてまた今晩も、望んでもいない多少豪華な食事が並べられるに違いない。
藤本とこの店は、万事が万事こういった関係だった。
藤本は店に対して何もしていないし、特に何も望んでいない。
しかし、店の者たちは必要以上にかしこまり、些細なことでも大事にしてしまう。
人斬り――その肩書きは、人と人との関係を必要以上に大事にしてしまうには十分だった。
藤本は再びおのれの手を見た。
なぜ子供は突然泣き出したのだろう。
あるいは、この手に塗られた大量の血が、幼い子供の目には見えたのかもしれないと思った。
一体、今までどれだけの人間を斬ってきたことだろうと思った。
「天誅ー。天誅だよー」
表の瓦版屋が、まだ叫んでいた。
96 :
名無し募集中。。。:03/12/11 08:03 ID:iiH9gGwg
荒井さとしに投票して、牛丼を食べました。
この時代、天誅の名のもとに、多くの人の命が奪われていた。
天誅――すなわち天の下す罰の意であるが、
京に集結した、主に倒幕派の志士たちの中でも過激な者たちが、
公武合体派や佐幕派の人間を狙い、闇に隠れ命を奪うことを自ら天誅と称しているのが実情だった。
つまり、「正義は我にあり」である。
そしてその背後には大抵、彼らを囲い、指示を与える地方雄藩の影があった。
要するにその実情は、天の名を借りた権力闘争でしかない。
ただ、権力闘争とは言うものの、当時の日本は幕府が絶対の主権者であり、
地方藩の外様大名には、中央の政治に対する発言権がそもそも与えられていない。
自ずと倒幕派の雄藩が行っていたそれは主権者に対する反乱、
すなわちテロリズム的なものとなる。
当時の京都は、天誅の名のもとに、敵方有力者を暴力的に押さえ込むテロが横行していた。
三条河原では毎日のように生首がさらされ、
少しでも地位のあるものは天誅に怯え、外出もままならないような状況だった。
天誅は、他藩の主張を異にする有力者の暗殺に始まり、幕府の要人にまで及んでいたのである。
では、藤本に人斬りをさせていたのも、どこかの地方雄藩なのか、
というと、それは違っていた。
藤本に人斬りをさせていたのは、他ならぬ幕府であった。
幕府もまた、地方雄藩の命を受けたあまたの志士たちによる天誅の影に隠れ、
敵方要人の暗殺を行なっていたのである。
昨日藤本が斬った南原、内村の両名も、倒幕派の最右翼である藤州藩の海軍有力者で、
当時、諸外国との密貿易を目論んでいた藤州藩の海路を妨害するために、
幕府が目論んだ策略の一環であった。
藤本と幕府をつなぐ連絡係である紀伊坊が言っていた『仕掛け』とは、
つまり藤本の暗殺を幕府の仕業ではなく、
他藩かあるいは辻斬りの仕業と思わせるための細工のことであって、
とかく政情が不安定なこの世の中では、同じ討幕派の藩同士と言えども味方とは限らず、
他藩による仕業と思わせることも、さほど難しいことではなかったのである。
「藤本さ〜ん。調子はどうですか〜」
拍子抜けしそうな、あいかわらずふざけた声が襖の向こうの廊下からした。
紀伊坊の声だった。
暗殺の命は、大抵このように紀伊坊が八馬屋を訪ねてくることで藤本に伝えられる。
「あらまあ〜。またこんなに窓閉めきっちゃって。おでこにカビ生えちゃいますよ〜」
紀伊坊をただ見るだけで、言葉には何も反応しない藤本に、紀伊坊はまた飽きれた顔をする。
「用件は」
藤本が何の感情も見せずに言う。今度は誰を斬るのか。という意味だ。
紀伊坊が何の用も無しに藤本を訪ねてくることは無い。
訪ねてきたということは、つまり人斬りの指示があるということだ。
「まあいいですけどね〜」
紀伊坊はつまらなそうにそう言うと、「今度は大物ですよ〜」と少し声をひそめて言った。
紀伊坊の口から発せられた人物は、確かに言うとおり、『大物』であった。
読瓜(よみうり)藩重臣、徳光和夫。
具体的な実行の内容を話し終えると、紀伊坊は
「それじゃよろしくお願いしますね〜。また〜」
と、まるで殺人の依頼をしに来たとは思えないほどのいつもの軽い口調で言い、
部屋を出て行った。
藤本は部屋の窓の障子の隙間から、紀伊坊が店の外に出て行ったのを確かめる。
いつも飄々とした、まるで女のようなふりをするあの男が何者なのか、
普段何をしている人間なのか、藤本はまったく知らない。
しかしそんなことは、藤本にとってもどうでもいいことだった。
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:03/12/12 12:24 ID:vXq78pb5
■ 新譜情報
03/12/17 オムニバス アルバム [ プッチベスト 4 ] EPCE-5258 \3,059
04/01/01 前田有紀 シングル [ さらさらの川 ] EPCE-5252 \1,155 (C/W「それは不思議」マキシ)
04/01/01 前田有紀 シングル [ さらさらの川 ] EPSE-1114 \1,155 (C/W「それは不思議」カセット)
04/01/01 松浦亜弥 アルバム [ ×3 ] EPCE-5259 \3,059 ☆読み方:トリプル
04/01/14 新堂敦士 アルバム [ BRAND-NEW UPPER! ] POCE-7314 \3,059
04/01/21 モーニング娘。 シングル [ 愛あらば I'TS ALLRIGHT! ] EPCE-5260 \1,260 (C/W「出来る女」初回盤)
04/01/21 モーニング娘。 シングル [ 愛あらば I'TS ALLRIGHT! ] EPCE-5261 \1,050 (C/W「出来る女」通常盤)
04/01/28 松浦亜弥 シングル [ タイトル未定 ] EPCE-5262 \1,260 (初回盤)
04/01/28 松浦亜弥 シングル [ タイトル未定 ] EPCE-5263 \1,050 (通常盤)
04/01/28 安倍麻美 シングル [ 卒業 ] UMCK-9063 \1,400 (C/W「ルージュ」DVD付き初回盤)
04/01/28 安倍麻美 シングル [ 卒業 ] UMCK-5111 \1,000 (C/W「ルージュ」通常盤)
04/01/28 後藤真希 アルバム [ A ペイント イット GOLD ] PKCP-5034 \3,059
04/02/04 飯田圭織 シングル [ タイトル未定 ] EPCE-2021 \1,050 ☆書き下ろし新曲4タイトル収録
04/02/04 安倍なつみ アルバム [ タイトル未定 ] HKCN-50016 \3,059 ☆「22歳の私」「夕焼け空」収録
04/02/11 中澤裕子 シングル [ タイトル未定 ] EPCE-5264 \1,050
04/02/11 ミニモニ。 アルバム [ タイトル未定 ] EPCE-5265 \3,059
04/02/11 オムニバス アルバム [ タイトル未定 ] EPCE-2023 \2,800 ☆飯田圭織ほか参加・概リリース地中海カバー作品コンピ
04/02/18 つんく♂ アルバム [ TAKE 1 ] 品番・価格未定 ☆「ここにいるぜぇ!」「Touch me」ほか自身作セルフカバー
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>>2 ■ 売上データ補完所
売上スレ@避難所
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http://uriage.netfirms.com/ ■ 過去ログ
>>3-4
三、邂逅
三日後の深夜。藤本は八馬屋を抜け出し、読瓜藩邸から二町ほど離れた通りの影に潜んでいた。
紀伊坊から説明を受けた、読瓜藩の駕籠が通る予定の道である。
桜のつぼみがほころび始める頃である。京の都はようやくすごしやすい季節を迎えようとしていたが、
時折、冬がぶり返したかのように冷え込む夜がある。今日がそんな夜だった。
息が白くなりそうな冷え込みようだった。
そんな夜、こんな時間に出歩く者などめったにいない。辺りに人気はまったくない。
しかし、この程度の寒さは蝦夷で生まれた藤本にはまだ温いほうだった。
藤本は凍えるそぶりも見せず、息を潜め、ひたすら駕籠が通るのを待った。
(今度は大物ですよ〜)
紀伊坊との会話を思い出していた。
徳光和夫という人物は、現在は政事の第一線から退いているものの、読瓜藩の重鎮であり、
藩内における影響力は今も計り知れないという。
また、藩軍である『読瓜藩軍』の熱烈な支援者でもあり、
強大な火力を有することから『巨人軍』とも称されるそれを長年にわたって支え続け、
軍に直接的な関わりを持たない部外者の身でありながら、
藩軍支持者の精神的支柱とも言われる。
しかしその一方、陰で『毒蜜』とあだ名されるように、黒い噂は絶えず、
彼が表で流す涙の裏で、
彼によって涙を流させられている者が数え切れないほどいるとも言われる。
確かに、藤本がこんな大物を斬る機会は滅多にない。
単独で行動する藤本ゆえに、斬る対象の殆どは夜中の、しかも少人数で行動する者になる。
自ずと昼間に大人数の警備を伴って行動する本当の大物であることは少ない。
なぜそのような大物が、このような時間に数人の警護のみを伴って、こんな場所を通るというのか。
もっとも、藤本はそのこと自体にはあまり興味はない。
意味など知る必要はない。ただ、斬る対象の知識を頭に入れておけば、
それによって相手が人斬り――藤本に遭遇した場合の、行動も予測できるというだけである。
いろいろと奇妙な指示ではあった。
紀伊坊の説明では駕籠は二つ。護衛は担ぎ手の四人を除いてわずか五人。
徳光ほどの身分の人間が移動するには、明らかに護衛が少ない。
あくまで隠密に移動したいということか。
そして、
「一つ目の駕籠を狙ってください。その中に徳光は乗っています。
護衛の人は斬る必要ないです。狙いは徳光和夫ただ一人。本人と確認して斬ってください」
ここまでは、まだいい。しかしその次
「二つ目の駕籠は、……できるならば、斬らなくてもいいです。見逃して構いません」
紀伊坊には珍しく、なんとも歯切れの悪い言い方をした。
当然、藤本はそれに引っかかった。
「斬るな。ということか?」
「いえ。それで徳光さんを斬れなかったとなるのも具合が悪いんで。
藤本さんの任務に支障があるというのならば……」
紀伊坊の言いようがどうも要領を得ない。斬るのか、斬らないのか。
それに対してややじれた藤本は、
「邪魔ならば斬っても構わないんだな」
とだけ問いただした。
紀伊坊は相変わらず何か本質を避けるかのようにしながら、
「……はい。かまいま、せんね。……ただし、徳光さんは確実に斬っちゃってください」
と答えた。
誰を殺せという命はあっても、誰を殺すなという命は、今までなかった。
藤本の仕事は、大抵は皆殺しが基本である。
それは証拠証人を残さないためと、藤本自身に余計な分別をつけさせたくない上の意図でもある。
いつもの人斬りとは違う。そう感じてはいた。
もちろん、駕籠の中と担ぎ手を含めれば総勢十一人。これを全員斬り捨てるのはそもそも、
さすがの藤本といえど簡単なことではない。
狙った駕籠の中の一人を斬り殺しさえすればいい。
誰を斬るな、ではなく、誰を斬りさえすればいい。そう藤本は考えることにした。
遠くに、提灯の火が浮かんだ。
来た。藤本は闇に隠れたまま、息を潜める。
ただ皆殺しにすればよかった前回と今回は違う。
大人数の中から、一人を斬るだけである。
ならばいきなり狙いの一人を斬り、その場からすぐに立ち去ったほうが無駄がない。
腰の刀の鯉口を切る。無銘の刀である。
藤本のようなただの人斬りが、名のある刀を持てるはずも必要もない。
光が刀身に反射することを考え、鞘からは抜ききらない。
集団の先頭を来る護衛に悟られぬよう、闇の中、ほとばしる剣気を抑える。
誰かに習ったものではない。本能的なものである。
それはあたかも、野生の獣が獲物の襲い方を自然と学び取っているが如くであった。
昏い目をしていた。
冷酷と言うより、無垢と言ったほうが近いのかもしれない。
柔らかくはないが、固いわけでもない。
なにもない。
提灯の火が、まるで一つの意志を持った生き物のように、暗闇に揺れる。
一団が近づくのを待って、藤本が刀の柄に手をかける。
抜いた瞬間に襲い掛かり、一つ目の駕籠の中の徳光を斬り殺し、そのまま逃げ去るつもりだった。
しかしその時、藤本は辺りを包む強烈な殺気を感じた。
剣気を押し殺したまま、気配をうかがう。徳光を乗せた駕籠の一行はすぐそこまで迫っている。
(……多い)
突然に膨れあがった殺気は藤本の前方、通りを挟んだ塀の向こうから無数に放たれていた。
その瞬間である。
音も無く、謎の黒い集団が藤本より先に、一行に襲い掛かったのである。
「何者だ!」
先頭の提灯を持った護衛がそう叫ぶより前に、
既に一行の後ろでは謎の集団と他の護衛が斬り結んでいた。
その者たちは、全身を黒い装束で包み、顔を能のような面で覆い隠している。
深夜の静寂は、一瞬にして怒号が飛び交う戦場と化した。
「藤井先生!」
護衛の一人が叫んだ。
闇の中から、日本人には珍しい異国人のような縮れ毛の頭の男が現れた。
どうやら読瓜藩が駕籠の警護のために雇っていた用心棒らしい。
縮れ毛が膨らんでしまうために頭がでかく、体は剣客とは思えぬほどみすぼらしく見えてしまう。
藤井と呼ばれたその用心棒は、さっそうと能面の集団の前に踊り出ると、
突如奇声を上げて相手を威嚇しはじめた。
「ほっつ!ほっつ! ほっつ!ほっつ!」
わけのわからない叫びと共に繰り出されるその狂気的な踊りに気圧されたのか、
能面の集団は刀を構えたまま、じりじりと引きながら藤井を中心に輪を作った。
その頼りなさげな容貌に相応しい奇妙なくねくねとした動きで、
その容貌とは裏腹に、以外にも刺客に善戦しているように見えた。
これもまた、紀伊坊と同じく衆道の『け』が? と思わせる気持ちの悪い動きだった。
(もっとも、紀伊坊に衆道の『け』があるのかどうか、藤本が実際に確かめたことは無い)
藤本はこの異常な事態にも、闇に潜んだまま冷静に戦況を見つめていた。
能面の集団は六人。総勢では一行に劣るものの、見たところどれも相当の手練である。
恐らくそう時間の経たないうちにこの場を掌握するだろう。
何者なのか、何が狙いなのかは分からない。他藩の刺客か、ただの強盗集団か。
しかし、戦況が変わっても藤本のなすべきことは変わらない。
駕籠の中にいる徳光和夫を斬る。ただそれのみ。
藤本は状況を見計らって刀を抜き、先頭の駕籠に向けて走り出した。
「ほっつ!ほっつ! ほっつ!ほ……」
ちょうどそのとき、一行の後方では、
藤井と呼ばれた用心棒が、輪の中よりより歩み出た能面の一人に難なく斬り捨てられていた。
どうやら、奇妙な踊りと勢いだけの男のようだった。
駕籠は既に地面に下ろされている。
やはり駕籠の担ぎ手も護衛だったらしく、仕込み刀を抜き、
駕籠を守るようにして能面の集団と向き合っていた。
奇襲により、護衛の半数以上は既に地面に倒れている。残りは僅か四人。
闇に潜んで事が収まるのを見つめていても良かったが、集団の目的がわからない。
徳光一行を殲滅するのが目的ならば放っておけばいいが、
もし誘拐目的とでもなると、面倒なことになる。
ここは混乱に乗じて徳光を斬り、そのまま逃走するのが得策と藤本は判断した。
幸い、能面も護衛も藤本の存在にはまだ気づいていない。
藤本は素早く剣戟の合間を縫って駕籠にとりつき、すばやく開いた。
「きゃっ」
藤本は中の叫び声の主を見て硬直した。
中にいたのは徳光和夫ではなかった。
もちろん、直接顔を見たことは一度も無いから絶対とは言い切れない。
しかし、駕籠の中にいたのは、可憐な一人の少女だったのだ。
「姫!」
担ぎ手の一人が、駕籠にとりついた藤本に気づいて慌てて叫ぶ。
しかしその担ぎ手自身は、能面の剣を剣で受けていて、その場から動くことが出来ない。
(……姫?)
藤本はもう一度確かめるように駕籠の中の人物を見た。
驚いた顔をするその少女、確かにきちんとした身なりをしており、
姫という位にふさわしい気品を備えているようにも見える。
突然。
爆薬でも投げ込まれたかのように、軽い爆裂音と共に煙が立ち昇り、
駕籠を守るように藤本の前に立ちふさがった。
藤本は冷静に片手で目を庇いながら、煙が晴れるのを見極めた。
煙の中から現れたのは、これまた奇妙なモノだった。
それは全身に金粉をまぶしたような、見たことも無い異国風の着物を着ていた。
しかし顔は完全に日本人顔だった。
「マギマギマギー!」
金色の男が叫んだ。
「亜弥々姫には指一本触れさせませんよ〜」
この男、声の割に顔にあまり表情が出ない。
本気なのか、何かの冗談なのか、動揺を隠しているのか、
よくわからない。
刀を持っていない。かといって、他に武器になるものを持っている感じもしない。
「丸腰に見えるでしょ〜」
男が言う。
「ところがこうしてね。マギマギマギー」
そう言って前に差し出した手のひらを返すと、なんとその上に天保通宝が現れていた。
当時の一般的な通貨である。
「そしてなんとこれが!!」
もしや飛礫のように投げつけて来るのかと、藤本は身構える。
「大きくなっちゃうんですね〜」
なんと、男の手のひらの上の天保通宝が、一瞬のうちに十倍近くの大きさになっていた。
それは素直に驚くべきことだったが、特に攻撃には、なっていなかった。
「次はこれ、なんと耳もでっか……」
藤本は何となく斬るのも惜しくなり、
耳に手を当て開こうとしていたその男を、刀を使わずに拳で思い切り殴り飛ばした。
「あれあれ〜」
男は殴られるがまま、道の壁際に吹っ飛んだ。
「マギマギ先生ー!」
駕籠の中の少女が男に向かって手を伸ばして叫んだ。
どことなく、周りとは違う空気感を持った少女だった。
今日は奇妙なものに次々と出会う。やはりこの人斬り、何かが違う。
藤本は思った。
時間が掛かれば掛かるほど、事態はおかしなことになる。
やはり早いところ……。
心の中で決めた瞬間だった。
「うわおおおおおおおお」
ひときわ大きな男の叫び声があたりに響いた。地に降ろされたもう一つの駕籠の方だった。
駕籠の中から血に濡れた手が、助けを求めるように伸びていた。
能面の集団は既に、向こうの駕籠の護衛を打ち倒し、駕籠に取り付いていた。
駕籠の中の手の主はやがてゆっくりと這い出てきた。中肉中背の中年の武家、色はやや黒い。
男は天に向かって何かを求めるように言った。
「読瓜軍は……永遠に…………ふ」
そこまで言って事切れた。能面の刃が容赦なく男にとどめを刺す。
男が地に伏せる瞬間に藤本が見たその顔、
目が細く、目じりに寄った皺が一見人の良さそうな印象を与える。
藤本が聞いていた徳光和夫の人相だった。
読瓜藩重臣、徳光和夫は死んだ。
ならばもう、ここに藤本の用はない。
形はどうであれ、徳光は死んだのだ。藤本が求められた結果は完璧に達せられている。
あとはこの場を生き延びるのみ。
と、その瞬間を狙って、能面の刺客がやにわに藤本の方に向かって斬り込んできた。
気がつけば、藤本が変な奇術使いを相手にしているうちに、
こちらの護衛の担ぎ手も既に斬り倒されていたのである。
しかし能面の狙いは藤本ではなかった。剣先が藤本に向いていない。
その狙いは、駕籠の中の少女。
「きゃあ!」
しかし能面の剣先が少女に届こうかとしたその瞬間、
甲高い金属音と共に、藤本の剣がそれを上に弾き上げていた。
咄嗟のことだったため、相手の切っ先が鍔元に入り、右手の甲をわずかに斬られた。
「ちっ」
焦った能面の刺客があらためて藤本に向かって刀を構えた。
藤本も内心焦っていた。
半歩横にずれさえすれば、自分自身は難なく切っ先をかわせたはずである。
この少女は恐らく紀伊坊の話していた「斬らなくてもいい」対象のほうだろう。
読瓜藩がわざと入れ替えたのか、紀伊坊の情報が間違っていたのか、
とにかく駕籠を間違えてしまったのだろう。
「斬るな」とさえ言われておらず。場合によっては「斬ってもいい」存在にすぎなかった。
それを咄嗟に、守ってしまった。
突然の襲撃に目を閉じていた駕籠の中の少女も、
ゆっくりと目を開き、自分が無傷であることに気がついて不思議そうに藤本を見上げた。
何故だか分からない。しかし、少女を狙う剣先の殺意を感じた瞬間、自然と体が動いていた。
しかし能面はそんな藤本の内心の動揺に構わず襲い掛かってくる。
藤本は間髪入れず能面の胴に横薙ぎに刀を振るう。予備動作の全く無い疾さだった。
すると能面は、刀の鞘を片手で地面に突き立てたかと思うと、
その反動ですんでのところで上体を後ろに反らし、そのまま後ろにくるりと宙返りをした。
剣先にはかすかな手ごたえしかない。腹の皮一枚程度しか斬れていない。
(……乱波者か!?)
いわゆる忍のことである。その動きは剣術家のそれとは一線を画し、知らぬ者には読みづらい。
藤本は勢い第二激を放ちに突っ込みそうになるのを抑えた。何が出てくるかわからない。
向こうも藤本の剣の早さに驚いたのか、長めに距離を取る。
「何事だ!」
と、その時。通りの奥――駕籠の一行を挟んで藤本の反対の方向から、張りのある叫び声が響いた。
能面の集団も一瞬、その方向に目を奪われる。
その先――闇の中から、いくつもの提灯を伴って疾風のように現れたのは、
暗闇に浮き上がる、浅葱色の士(さむらい)の群れだった。
藤本はそれを、知っていた。
獣の群れだ。
呼子と呼ばれる笛の音があたりにこだまする。
それらが手にした提灯には、「誠」の一文字が浮かんでいた。
全員が、袖をダンダラ模様に染めた浅葱色の羽織を纏っていた。
先頭に立った背の高い長髪の士が、声高に言った。
「市中取締役、会津中将様御預、壬生娘。組である!」
頭格であるらしいその士が宣言するや否や、
後ろに控えた隊士たちが躊躇なく能面の刺客に向かって斬り込んできた。
――壬生娘。組。
京中に名の轟く、京中警護のために組織された戦闘集団である。
しかし治安維持の名目とは言え、その残虐な数々の振る舞いから、
壬生の狼と蔑まれ、町人にさえ忌み嫌われる人斬り集団でもあった。
藤本は、それを知っている。
壬生娘。組はまた、京中警護とは言いながら実質上は幕府の手足となって、
反幕勢力を次々と斬り殺してきてもいたため、
勤皇派の志士たちには「幕府の犬」とも呼ばれ、蔑まれる存在でもあった。
藤本も同じだ。
幕府に表で飼われる番犬。裏の汚い仕事のために飼われる猟犬。
どちらも同じ、幕府の犬である。
しかしこの場では、治安を守る者と乱す者だった。
向こうは藤本のことなど知ろうはずもない。向き合えば斬りあいになる。
もはや、連中のいる方向に活路を見出すことは出来ない。
場は三つ巴の戦いになっていた。
能面の集団と、壬生娘。組と、藤本と。
浅葱色の獣の集団は、さすがに駕籠の警備らと格が違った。
その剣力で能面の集団と互角に渡り合い、徐々にではあるが場を圧しはじめていた。
人数、体力から言っても、彼らが場を制圧するのは時間の問題に見える。
獣たちは、藤本のところにも迫りつつあった。
刃を向けて、ひとりの獣が叫ぶ。
「壬生娘。組三番隊、紺野あさ美! 貴様何者だ!」
まだ見習いの隊士なのか、本人は声を振り絞っているようだったが、獣と言うには、少々頼りない。
しかしその目には、真剣がみなぎっている。
藤本は黙して答えない。
「ならば力づくで聞く!」
そう言って、紺野と名乗った隊士はその頼りない声とは裏腹に、豪快に上段から斬り込んできた。
藤本は刀を斜めにして刃を受け流し、鍔で受け止めた。
鍔を付き合わせたまま、両者動かない。
紺野と名乗る獣、意外に強い。しかし、
「くっ」
相手の息が漏れた瞬間を狙って、藤本は紺野に思い切り体を当てた。
紺野がもんどりうって倒れる。
「紺野!」
浅葱色の獣がもう一人駆け寄ってきた。集団の先頭に立っていた、背の高い長髪の士である。
獣は剣先を藤本に向け、凛とした声で言った。
「壬生娘。組局長、飯田圭織である。名を申せ」
やはり藤本は黙して答えない。
「……まあ、いい」
飯田と名乗った長身の士は、その身体にふさわしい長剣を、正眼に構えた。
「答えねば、斬る」
藤本はその全身から、立ち昇る不死鳥のような巨大な気を感じた。
並みの使い手ではない。
下手に逃げようとすれば、後ろを向いた瞬間に背中から斬られる。
「きゃあ!」
「姫!」
叫び声がした。
声の方を横目に見ると、能面の集団が駕籠の中の少女を拉致し、今にも逃げさろうとしていた。
「ちぃ」
飯田が言った。
その隙を縫って、藤本は飯田とは逆の方向に走り出していた。
躊躇なく能面の集団の中に飛び込み、少女を押さえる二人の前を風の如く走り抜ける。
「ぎゃああああああ」
男の搾り出すような悲鳴が上がった。
少女を押さえていた能面たちの腕が、すっぱりと大根のように切り落とされていた。
目にも止まらぬ剣技。しかも挟まれていた少女には傷一つ付いていない。
「え? え? ええ〜?」
鮮血がほとばしる中、状況が飲み込めず動揺する少女の腕を藤本はすばやくつかみ、
能面の集団から引き離す。
能面の集団がすかさず、刀を構えながら距離をとって二人を囲みはじめる。
藤本は、能面たちの動きを冷静に見据えながら、この状況を脱する方法に考えを巡らせた。
集団の背後では既に、飯田ら壬生娘。組が別の能面と斬り合いを始めている。
藤本はこのまま壬生娘。組に捕まるわけにも行かない。
奴らはまだ藤州藩の南原と内村を斬った『天誅』の下手人も探しているはずだ。
同じ幕府の手先とは言え、立場の上では相反する存在なのだ。
かと言って、この得体の知れない連中に身をゆだねるわけにも行かないのは自明。
藤本は意を決すると、能面たちの一瞬の隙をついて、「来い」と少女を腕を引き、
飯田たちが能面と斬り結んでいるのとは逆の方向――暗闇の方へと一気に走り出した。
>>作者さま
小説総合スレッドで更新情報紹介させていただきたいのですが、よろしいでしょうか。
正式なタイトルがございましたら、ご返事と併せて教えていただけると幸いです。
>>122 ご丁寧にありがとうございます。返事が遅れてすみません。
情報紹介に関しては何の問題もありません。
タイトルは『人斬り美貴介』でお願いします。
能面の集団が藤本と少女を追い、次々に闇へと姿を消していく。
「待て!」
飯田は叫び、能面の消えた方向を追った。
しかし能面の気配は既に、完全に闇に消え去っていた。
「足取りを追え」
「はっ」
飯田がそう言うと、浅葱色の羽織を纏った平隊士たちが、能面を追って次々と走り出した。
「……ちっ」
隊士たちの背中を見送って、
飯田は舌打ちをする。現場に残されたのは、累々と横たわる死体の群れだった。
刀を鞘に収め、軽くため息をついた。
死体の中には武士、能面、そして読瓜藩の武家が混じっている。
(あの訓練された動き……)
あの能面の集団は一体何者なのか。何の理由でこの一団を襲ったのか。
恐らく、強盗や辻斬りの類ではあるまい。
全ての検分には、相当の時間が掛かるだろうと思った。
最近、世が乱れているとは言え、不可解な事件が特に多い。
(そして……)
飯田は一人の、あの能面の集団とは明らかに違う浪士風の娘のことを思った。
(奴一人だけは仮面をしていなかった。警護の者でもあるまい。……何者だ)
「局長」
隊士の一人が、飯田の前に一人の男を連れて来た。
男は異国のような、全身に金粉をまぶしたような奇妙な格好をしていた。
異国から呼び寄せた藩付の大道芸人かなにかだろうか。しかし顔は日本人と変わらない。
「姫が! 姫が!」
男が動揺しながら叫んでいる。
しかしその仕種は、男の見た目のせいか、どこかふざけているようにも見える。
男に詳しく事情を問いただすと、この一団にはさる国元の姫君も加わっていて、
その姫が連れ去られたという。
(さっきの奴か)
飯田は藤本の顔を思い浮かべた。
娘の顔に似合わぬ、並々ならぬ殺気の持ち主だった。
通りに横たわる死体の数々を見る。
(読瓜藩……。一体何があるというのだ)
そして飯田は検分を進める隊士たちのほうに向かって言った。
「矢口! あたりを捜索する。後のことは任せた」
「あいよー」
飯田は威勢のいい返事を確認すると、近くの隊士たちに言った。
「辻! 紺野! 吉澤! 高橋! 奴らを追う。ついてこい!」
獣たちはふたたび、暗闇に向かって駆け出した。
イイヨーイイヨー。
ほ
てst
鞍馬の天狗はいつ出るのかワクワク
天狗といえば斉藤姐さんか
角兵衛獅子はメロンの面々か
東山にかかる月こそ答えを知る
俺はこれからちょっとずつ分かっていくだろう物語の背景にドキドキする。
四、浄瑠璃姫
深夜の寝静まった町のはずれに、二人の激しい息遣いだけが響いていた。
藤本は走りながら、冷徹に頭の中に考えを巡らせていた。
既に途中で能面の追手を一人斬り倒している。
残りの追手は、藤本が手を切り落とした者を入れても五人。
それも奴らが壬生娘。組の連中とやり合って無傷であれば、だ。
いくらか時間は稼げているはず。
どこへ身を隠すか。
できるならば読瓜藩邸が一番いい。もともと娘は読瓜藩の縁の者なのだ。
駕籠を襲った立場である藤本とは敵対する立場ではあるが、何も藩邸まで入る必要はない。
娘を門の外に置いて、自分はどこか他のところに身を隠してしまえばいいだけのことだ。
しかし、藩邸は今逃げてきた方向である。遠回りしても、手前で待ち伏せに合う可能性も高い。
ならば八馬屋か。
町で遊ぶことも無い藤本には、八馬屋くらいしか身を寄せられるような場所が思い当たらない。
だが、このまま八馬屋に飛び込んでも、何の意味も無いことも藤本には分かっていた。
恐らく逃げ込んだとして、店主たちは何の役にも立たないだろう。
彼らは幕府に軒を貸しているに過ぎないのだ。
幕府との連絡方法も限られているはずで、自分を匿えるような場所ではない。
むしろ、自分から逃げ場を無くしに行くようなものだ。
それにもし自分と幕府のつながりが外部に知れるようなことがあれば、
幕府は迷わず自分を切り捨てるだろう。
幕府にとって、自分のような猟犬を一匹失う程度は大した痛手ではない。
そこまで考えて、藤本は紀伊坊のことを思い出した。
あの、いつもへらへらと笑う男色趣味のような遊び人風の男のことだ。
藤本と幕府をつなげる唯一の連絡役であり、そして恐らく自分の監視役でもある。
奴と連絡を取れればいいが。
しばらく身を潜め、様子を探るか。
紀伊坊の方から連絡を取ってくれば、それでもいい。
そう思い、藤本は祇園を抜ける。と考えた。
祇園には男達が女遊びをするための遊里があり、京に点在する遊里の中でも特に品位が高いとされる。
働く者の中にはいわゆる“わけあり”も多く、
そんなこともあって遊里全体が独特の自治体制下にあったため、
雄藩であろうと幕府の者であろうと、そうたやすくあちこちの店に踏み込むことは出来なかった。
いかに悪名高く無頼の名を馳せる壬生娘。組相手であろうと、
それなりの時間を稼ぐことはできよう。
なんだったら祇園の者に娘を預けてもいい。
いくらか手持ちの金を渡して、夜が明けたら藩邸に連れて行くように言えば、悪くはしないだろう。
藤本は早々に鴨川を渡り、祇園を抜けて京の外に出ることを決めた。
その先は、またその時になってから考える。
鴨川に掛かる大橋は、追われる者にとっては危険な場所である。
周りに身を隠す場所が無く、逃げ場も無い。
また障害物も壁もないので、藤本のように単独で行動する人間にとっては、
多勢に囲まれやすいのである。
藤本は娘の手をいっそう強く引き、足を早めて橋板を蹴り進んだ。
橋の中頃に来たあたりで、藤本の体に変化が起きはじめていた。
肺からふり絞るように吐き出される空気の音が大きくなる。
視界が狭くなり、頭の中を呼吸音と足音が支配する。
何とも言えない高揚感に包まれはじめていた。
走り疲れたのだろうか、先程の戦闘による興奮状態か。
それとも右手の出血から、軽い貧血にでもなったのだろうか、
娘の手を引きながら足はふわふわと、どこか夢見ごこちに、宙を舞うような気分になっていた。
幻覚か。
妙に現実感が無い。足にも地につく感覚が無い。
まるで常世への橋を、渡っているかのようだった。
いや。自分が行くのは冥府であろう、と、妙に冷静に思った。
あれだけの人を斬ってきたのだ。このまま、闇に誘われるままに冥府に旅立つのもいいだろう。
言われるがまま、何の感情も持たずに人を斬ってきた。
それはきっと、罪というものなのだろうと。
まるで他人事のように思った。
と、急に後ろから娘の大声が藤本の耳に入ってきた。
「いた〜い。い〜た〜い、ってば! もう」
瞬時に藤本は振り返り、娘の口を右の手のひらで押さえた。
ここで騒がれてはまずい。
娘は藤本に口を押さえられたまま、頬を膨らませながら上目づかいで藤本を見つめていた。
その時、藤本は、自分がこの娘の手を引いて走っていたことを、あらためて思い出した。
理屈の上では分かっていたのだが、自分が現実に、この高貴ななりをした娘の小さな手を、
強引に握りこんで連れ回しているという事実をあまり実感していなかったのである。
藤本は慌てて、握っていた手を離した。
弓から弾かれたように娘の手が離れ、娘は少し距離を置いた。
静かな川風を受けて、左の手のひらがひんやりとした。手が汗ばんでいた。
藤本はその手に包まれていた、娘の小さな手のぬくもりの存在さえもすっかり忘れていた。
実は娘は、藤本に引き回されている最中もずっと「ちょっと待って」だの、
「ねえ待ってってば」だのと声を掛け抵抗を試みていたのだが、藤本はいっこうに気が付かず、
ただひたすら無言で振り向きもせず、力づくに娘を引き回していたのである。
そこでついに、娘はしびれを切らして、駄々子のように痛い、痛いと大声で叫び始めたのだった。
「もう! ちょっと待ってって、言ったじゃない」
藤本は何と言っていいのか分からず、黙って娘を見つめた。
娘は頬を膨らませたまま、ふうっと軽くため息をつき、藤本を指さした。
「そこ、血」
藤本は咄嗟に右手の甲を見た。能面の剣を受けたときに斬られた傷である。
しかしそれはほんのかすり傷のようなもので、大して血も出ていない。
「ちが〜う。そこ」
娘は藤本の左腰のあたりを指さしていた。
暗くてよく見えないが、着物が黒くにじんでいた。右手で触れてみる。
「くっ」
鈍い痛みが腰から全身に広がった。
着物の中に手を入れ、指先で傷口を探る。大きさはそれ程でもなかったが、やや深い。
痺れているせいか痛みは少ない、指先がずぶりと傷口にもぐりこむ深さだった。
骨や内臓に別状はないようだったが、血が止めどなく溢れてくる。
(これのせいか)
この傷の出血のせいで、幻覚を見たのだと藤本は悟った。
「だからちょっと待ってって言ったのに」
娘は不機嫌な顔でそう言いながら、自分の着物の左袖を右手で引っ張った。
「えい」
しかし、何も起こらない。
「……あれ? えい」
しかし、どうにもならない。恐らく着物の袖を引きちぎろうとしているのだが、
娘の高級な着物の生地が厚く、娘の力ではできないのである。
娘が自分の着物の袖と悪戦苦闘しているのを見かねて、
藤本は自分の着物の袖をびりりと引き裂き、娘に差し出した。
「あ、うん」
娘が気まずそうに言った。
早いうちに町の外へ出たかったが、幻覚を見るほどだ。
この出血を放って置くわけにもいかなかった。
川べりに腰を降ろし、着物の上をはだけた藤本のさらしには血がにじんでいた。
藤本は、娘の不器用な布の巻き方に、何度か自分がやったほうが早いと進言しようと思ったが、
娘の必死な様を見て、なすがままに身をまかせていた。
いつものとおり、人を斬るだけの仕事のはずだった。
多少は違うところもあったが、それほど難しいことではない。
なのに今、自分は何故かここでこうして、見知らぬ娘の手当てを受けている。
目の前を流れる川のせせらぎが意外に大きく聞こえた。
藤本は腋の傷のことを思った。
恐らく、娘を救うために能面の集団に飛び込んだときに負わされている。
それ以外、手傷を負わされる可能性のあった場面はない。
藤本が集団の中に切り込み、娘を押さえる能面の手首を切り落としたあの時だ。
あの瞬間に、素早く藤本の腋に小刀を差し込んだ者がいる。
相当の手錬であることは間違いない。
(あの連中……)
幕府の手の者では、おそらく無いだろう。
もし幕府の者ならば、あの場には藤本、壬生娘。組と、三組もの幕府の手のものが、
それぞれ違う目的で読瓜藩一行に鉢合わせしたことになる。それは考えにくい。
読瓜藩は、先に藤本が斬った内村、南原らの仕えていた藤州藩に並ぶ、西国の雄藩である。
数年前の公家暗殺事件により、京における一時の勢いこそ失ったが、
地元には今なお強力な軍と、優れた藩士を多くかかえていることに変わりは無い。
もともと倒幕派の勢力が強い藤州藩に比べ、
読瓜藩は以前、幕府と共に公武合体論を提唱していた時期もあり、
最近でこそ藤州藩を含む数藩と同盟を結び、幕府による藤州征伐を失敗に終わらせるなど、
はっきりとした倒幕の意志を前面に押し出して来てはいるものの、
本来は藤州藩とも違った独自の主張を持っている。むしろ藤州藩とは仇敵とさえ言ってもいい。
倒幕派は決して一枚岩ではない。
事実、紀伊坊の言っていた『仕掛け』により、藤本による内村、南原の襲撃事件は、
読瓜藩の仕業ではないかとの噂も世間では広まってきており、
藤州藩と読瓜藩の間には微妙な緊張が漂いはじめている。
そんなとき、藤本に『読瓜藩の大物』を斬れと言う。
これは読瓜と藤州の間に混乱をもたらすための天誅だったのか。
それとも、全く関係なく徳光和夫という存在を消すこと自体に意味があったのか。
壬生娘。組の存在にも疑念を抱いていた。
思えば現場に現れる『間』が妙に良すぎたような気がする。
駕籠の一行は誰にも知らせぬ忍びであったはず。
しかも襲いかかったのは無音の乱波らしき一団であり、
藤本と同じく叫び声ひとつ上げず静かに襲いかかっている。
壬生娘。組が現れたのが早すぎるのである。
あらかじめ何かしらの密告を得ていたと考えても不思議ではない。
つまり、幕府は藤本による徳光暗殺実行のあと、
壬生娘。組にすぐに場を治めさせる腹づもりだったのか、
徳光を殺し、娘を救うという条件ならばそれもありうる。
それとも……壬生娘。組にこの娘を?。
あるいは徳光を斬る予定だったこの、自分を……?
「お前は……何者だ」
藤本は思わずつぶやいていた。
捨てていこう。と思った。
やはりこの娘といつまでも一緒にいるのは危険だ。
この娘は捨てて、一人で逃げよう。
おかしな出来事ばかりで少し気が動転していたのだ。
この娘を連れ出して、自分はこれから一体どこへ行こうと言うのだ。
娘をここに置いて、一人で身を隠し、朝になるのを待とう。
そして日が昇ったら、祇園からの人ごみに紛れて八馬屋に戻ろう。
そうすればまた今までと同じく、何事もなかったようにいつも通りの日々に戻る。
人斬りの日々に。
「うん?」
藤本のつぶやきに反応し、
懸命に藤本の傷口に布を巻いていた娘が見上げてくると、
藤本は思わず娘から目を背けた。
娘があまりにも無防備に、真正面から大きな瞳を近づけてくるので、
まともに見ることができなかったのである。
藤本のように闇の中に生きてきた人間にとって、それはあまりにも真っ直ぐで、眩しすぎた。
「あなた、名前はなんて言うの?」
「…………は?」
突然の問いに藤本は意表を突かれた。
「名前よ、名前。名前くらいあるでしょ〜?」
しばらく黙り込んだ後、まるで誰にも聞こえまいとするかのように、静かに言った。
「……美貴。藤本、美貴」
「へえ〜! かわいい」
「か、かわいい?」
すると藤本の恐ろしく不可解な表情をよそに、娘はひとりで楽しそうにつぶやき始めた。
「みき……、ミキ? ……みき! おいミキ! ……う〜ん。ちょっと呼びにくいな」
指を口に当てたりしながら、一人で何かを思案しはじめている。
「みきっぺ? ……いまいち。
みきたん? …………う〜ん、ちょっとまだ馴れ馴れしすぎるか。
えげれす風に、みきてぃ! とか。……でもなあ、
あんまり外国の話するとみんな嫌な顔するんだよね。う〜ん」
娘は腕を組んでしばらく考えた後、
「そうだ! じゃあ、みきすけ。ってどう?」
と高い声で言った。
藤本は娘が何を言いたいのか分からず、眉間に皺を寄せて首をかしげた。
「呼び名よ、呼び名〜」
「はあ」
「どう?」
「……どうでも」
藤本は少し鼻にかかった声で言った。川風で少し体が冷えてきている。
「じゃあ決まり! みきすけ! 私のことはあやでいいよ」
「……あや」
「そ。みんな亜弥々姫って呼ぶからあや。あややでもあやちゃんでもいいよ」
娘は一人で楽しそうに言った。
この娘には今の状況がわかっているのだろうか。と藤本は思った。
(姫……)
藤本はあらためて、あやと名乗ったこの娘を見る。
赤い豪奢なその着物は、
とてもそこらの身分で身に付けられるものではないことは藤本でも分かる。
それにこの混沌とした状況の中でも、浮世離れした、どこかずれた感覚、能天気さは、
俗世と隔離されてきた高貴な身分の人間特有のものなのだろう。
この娘は偽りなく、姫と呼ばれる身分なのであろうと思った。
気がつくと、亜弥々姫はまた藤本の顔を不思議そうに覗き込んでいた。
藤本は自分がぼうっと亜弥々姫のことを見つめていたことに気がつき、
あわてて目をそらし、誤魔化すように、
「きれいな、ものだな」
と言った。
亜弥々姫は不思議そうに藤本の顔をしばらく見つめた後、
「あ、これ?」
と頭をかしげて、頭の上の髪飾りを指さした。
「あ、ああ」
もともと誤魔化すために適当に言ったことだ。適当に答えた。
「本当? じゃあ、あげるよ」
亜弥々姫は嬉しそうにそう言うと、あわてて髪飾りを抜いて差し出した。
「あ、いや」
「いいからいいから」
そして藤本の髪が短く、とても髪飾りが刺さりそうにないのを見ると、
「はい」
と、にっこり笑って、手に持たせた。
藤本は手のひらに乗せられたそれを見て、確かにこれもきれいなものだな。と思った。
アメのように透き通った鼈甲の櫛に、
漆と金箔が複雑に絡み合った美しい細工が施されている。
おそらくこの娘と出会わなければ、一生触ることもなかったものだろう。
自分と同じ年頃の娘でありながら、
この娘は、いつもこのようなものを当たり前のように身に付けているのだろう。
「もったいないなあ、こんなにかわいいのに」
亜弥々姫が残念そうに藤本の短い髪を見つめた。
「かわいい?」
また不可解なことを言われた。
「うん、みきすけかわいいよ」
藤本は何も言えず、黙り込んだ。どうもこの娘とは話がしづらいように感じる。
「みきすけは、何してる人なの?」
また亜弥々姫の顔が迫る。
「……人斬りだ」
「人斬りさん? はあ〜」
亜弥々姫は興味深げに藤本の顔を見ながら頷く。人斬りの意味がわかっているのだろうか。
「お前は何者なんだ」
言い返すように、ずっと持っていた疑問を再び口にした。
「あやはあやだよ」
亜弥々姫が何故か嬉しそうに、瞳を真っ直ぐ向けてくる。藤本はまた目線を反らした。
やはり捨てていこう。心の中でもう一度、念を押すように言い、立ち上がろうとした。
娘が何者であるかなど、今さら自分が知っても得はないし、興味もない。
今ここに置いていけば、きっと“奴ら”が拾うだろう。
藤本は暗闇の、たった今渡ってきた橋の反対の袂の方向を見た。
後のことは、自分の知ったことではない。
自分が生き残れれば、それでいいのだ。
「あ〜あ。マギマギ先生大丈夫かなあ〜」
そんな藤本の心の内を知ってか知らずか、亜弥々姫は鴨川の流れを眺めながら呟いた。
川のせせらぎが相変わらず大きく聞こえる。
京の中心からも、祇園からも距離を置いているため、
頭上にはこぼれんばかりの星空が広がっていた。
「あんたは、何とも思わないのか」
「あやだよ。あ・や」
亜弥々姫が眉をしかめ、わざとらしく怒ったような表情を見せる。
「……あや」
「にゃははは」
亜弥々姫が嬉しそうに、しかし少し照れたかのように顔をほころばせた。
笑うと顔がくしゃくしゃになるんだな、と藤本は思った。
「……あや、は、今の状況を何とも思わないのか」
「今の状況って?」
「私のような人斬りに連れ去られているこの状況をだ。
どこかへ行く予定だったのだろう」
亜弥々姫はふうっと軽くため息をつくと、満天の星空を見上げた。
「あやはですねぇ〜。どうでも、いいんですよね〜」
意外な言葉だった。
身分のある人間が、いきなり襲われたあげく、
身も知らぬ人間にさらわれているのだ。人も多く死んでいる。
どうでもいいはずがない。
それとも高貴な人間にとって、下賎の者の命などどうでもいいということか。
亜弥々姫は言葉をつづける。
「亜弥々はですねぇ〜。あやのものじゃないんですよ」
「……?」
「おかしいですか?」
亜弥々姫が藤本の顔を見る。
「亜弥々姫は人形なんです。人形浄瑠璃の」
口調がそれまでの馴れ馴れしかったものとは少し違う、
他人行儀のようなもの変わったような気がした。
「人形……」
人形浄瑠璃とは、当時芸能文化の一つとして一般に楽しまれていた人形劇のことである。
三味線の音と太夫の語り、人形の三者で成り立ち、
平安末期の英雄、源義経と浄瑠璃姫の悲恋の物語で人気を博していたことから、
その名をそのまま受け継いだ。
「そ。人形なんです」
「いいなあ〜。みきすけは」
「いい? 私が?」
藤本の心が揺れた。自分が人より不幸と思ったこともないが、
人より幸福と思ったことなど、生まれてから一度もない。
「だって、自由じゃない?」
「いや。……自由では、ない」
「でも、縛られていないでしょ?」
「いや……」
言いかけて藤本は黙った。なんとなく、言い返すことが出来なかった。
考えてみれば確かに、自分を縛るものなど何があっただろうか。
こうして逃げていると、それが余計にいくらかの実感を伴って感じられる。
さっき橋の上で走っている時に感じた、奇妙な高揚感を思い出す。
そこには一種の、開放感もあったのではないか。
「そう……」
それを見透かすように、亜弥々姫は続けた。
「もし、それでもみきすけが自由じゃないんだとしたら、それは……
大切なものが、まだ分かってないんだよ」
「……たいせつ、な?」
「そ」
亜弥々姫はそう言うと右手を上げ、
人差し指をそっと、藤本の胸に当てた。
「ここ。ここにぎゅーっと。ぎゅぎゅぎゅーっとね」
亜弥々姫がほほえんだ。
「するんだよ」
その表情に藤本はどきりとした。
「みきすけはきっと、まだ、知らないんだよね。きっと」
正直を言うと、藤本には亜弥々姫の言葉の意味が半分もわかっていなかった。
しかしこの娘が何かを持っていて、自分にそれは無いのだということだけは、
何となくわかった。
「あやには、ありますよ」
そう言って再び星空を見上げた亜弥々姫の瞳が輝いていた。
確信を持った人間の目だ。と藤本は思った。
何かのために、命を厭わない覚悟を持った人間の目だ。
自分はそういう人間を、これまで何人も斬ってきた。
自分と変わらぬ年の娘に、どうしたらこんなにも凛々しい顔ができるのか。
『斬らなくてもいい』という言葉を思い出す。
斬れ。でも斬るな。でもなく、『斬らなくてもいい』。
この言葉自体が、この娘の所在を表しているのかもしれないと思った。
娘の言った「どうでもいい」は、
周りがどうなろうと構わないという意味ではなく、
自分自身がどうなってもいい存在なのだと、彼女は言っていたのだ。きっと。
こんな小さな、華奢な娘が。
亜弥々姫は自らのことを人形と言った。
しかし藤本は、きっとそんなことはないだろうと思った。
中身もなく、ただ人に操られるだけの浄瑠璃人形。
それはきっと自分のような人間のことを言うのだ。そう思った。
気がつくと藤本の口から、自身も思いもよらない言葉がこぼれていた。
「あんたは……人形じゃない」
「みきすけは、優しいよね」
亜弥々姫がほほえみながら言った。
「ほんと、うれしいよ」
「……私が?」
「うん」
「……そんなことはない」
「そんなことあるよ。わたしを助けてくれたじゃない」
「……そんなことはない」
「一つ、聞いていいか」
しばらくの沈黙の後、藤本が立ち上がって言った。
「……なに?」
「さっき、橋の上で止まれと言ったのは、私の」
腰のあたりを指差した。
不器用だがしっかりと、時間をかけて丁寧に布が巻かれていた。
「傷のためか」
「ん? ……そうだよ?」
亜弥々姫は、なぜそんなことを? と言いたげに、
藤本を見上げながら不思議そうな顔で答えた。
「何故だ」
「なぜ? ……って、だってああでも言わないと、みきすけ止まらなかったじゃない」
それは藤本の問いに対してはまったく見当はずれの、答えにもなっていないものだったが、
藤本が求めたものの答えには、なっていた。
「……わかった」
藤本はきっぱりとそう言うと、おもむろに腰に差した刀に両手を添え、すらりと抜いた。
黙ってそれを見守る亜弥々姫を一瞬、じっと見つめた後、
藤本は亜弥々姫に背を向け、言った。
「離れていろ」
と同時に、橋の袂のあたりの暗闇の中で、何者かが止まる気配がした。
そう。ずっと気配を殺し、様子をうかがうようにゆっくりと二人に近づいている者がいたのだ。
藤本はそれに気づいていた。
藤本が刀を抜いたのを受けるように、
暗闇からゆっくりと、その人影が姿をあらわした。すでに抜刀している。
星明りに照らされたそれは浅葱色の、ダンダラ模様の羽織を纏った一人の士だった。
浅葱色の獣。
壬生の狼。
じゃり。
と、そこで初めて、獣の足に踏まれた河原の小石が音を鳴らした。
獣は間合いの一歩手前で足を止め、
剣の先を藤本に向け、じっと見据えたまま、ゆっくりと口を開いた。
「壬生娘。組。四番隊組長……辻希美」
藤本が対峙する、三匹目の狼だった。
かっけー。
いいっす。
面白杉
てst
期待保
てす
あああ
あああああ
あああああああ
あああ
娘の背は小さく、顔にはまだあどけなさが残っている。
浅葱色のダンダラ羽織を着ていなければ、
誰もこの娘が京中で恐れられる壬生の狼とは気づかないに違いない。
それ程、見た目にはなんの迫力もなかった。
「名乗らない……んだったよね」
辻と名乗った娘はそう言うと、剣先を藤本に向けたまま、刃を横に寝かせた。
すっと腰が落ちる。
平正眼の構え。
向けられた刀身の美しい曲線が、藤本の位置からだと縮められて三日月のように見える。
やや緊張しているのか、肩に力が入っているように見える。
距離もまだ剣が交わる間合いではない。しかし……。
目の前の娘がこの構えをとった途端、背筋がぞくりとした。
それは幾人もの剣客と刃を交わしてきた藤本の、本能的な勘だった。
「ふっ」
辻の口元から軽い呼気が漏れた瞬間、
(――突き)
藤本は咄嗟に体の重心を右へと流した。
左頬のすぐ横を風が駆け抜ける。
ひょう。という風切り音とともに藤本の左耳の端が微かに、鋭利に裂ける。
(……はやい)
藤本は相手の刃線の動きを追っていた目を素早く戻す。
辻が剣の間合いに入っていた。
油断していたわけではない。
しかし一瞬で、音もなく間合いを詰められていた。
「あ〜、やっぱりよけちゃうんだ……」
既に間合いに入っているにもかかわらず、辻は見るからに肩を落として言った。
その仕種は外見そのままに、年端もいかぬ町の童女のようである。
「できれば殺さないようにって、言われてたんだけど」
辻の視線が上を彷徨う。まるでその場に藤本がいるのを忘れているかのように。
「あ〜〜、どうしよ」
藤本に向かってではない。何かを恨むように、天に向かって言っていた。
「……無理かも」
そしてあらためて藤本に向き直ると、
「次は二ついくね」
と真剣な顔に戻り、再び平正眼に構えた。
間を置かず辻が後ろ足を強く蹴った。
さっきよりも速い。しかし。
今度はしっかりと待ち構えていた藤本にははっきりと、辻の飛び込んでくる刃線が見えた。
――本来、突き技というものは、繰り出す側にとっても危険性の高い技と言われる。
もとより自分から相手に最も突き出した部分、刃先を急所に向かって最短距離で結ぶのだから、
技としてはどれよりも速く非常に有効である。
しかしその反面、縦に横にと長く斬ることに比べ、突きの有効な部分は刃先、
つまり刀の先の一点のみである。
となれば、逆に言えば受ける側はその一点を外しさえすればいい。
その一撃を外しさえすれば、
体勢を崩した突く側は成す術もなく相手の反撃を受けるしかない。
突きとはそういう技だった。
藤本は鋭く迫る辻の刃先の僅かな軸のかたよりを見切り、体(たい)を左に流した。
そして突き出た刀を右上に擦り上げ、そこから体勢を崩した相手の小手へ振り下ろす。
はずだった。
突き出されたはずの相手の刃先が藤本の目の前から消えていた。
恐るべき速さで一の太刀は既に辻の手元に戻されていたのだ。
瞬時、辻と目が合う。
(……まだ、くる!)
藤本の全身が総毛立った。
この突きの速さで、一の太刀を藤本に外されていながら尚、辻の体勢が全く崩れていない。
むしろ突きを外した機に乗じて反撃を繰り出そうとした、
藤本の体のほうが、左のほうにわずかに泳いでいる。
流れた藤本の体に向かって容赦なく辻の第二撃が迫る。
胴への突き。
「むう」
小さなうめきにも似た声を漏らしながら藤本が踏み出した左足に力を込める。
足元で小石がじゃり、と音を鳴らせる。
藤本は柄から左手を瞬時に離し、
振り下ろす勢いでそのまま右手を支点に刀をぐるりと回転させると、
体を流しながら刀身の棟で辻の突きを横からはたき、受け流した。
甲高い金属音が暗闇に響く。
そしてそのまま更に刀を回転させ、上段の位置に持ってくると、
体勢を立て直し、思い切り縦に振り下ろした。
刀身を円月のように一回転させる、曲芸のような技だった。
辻がぎりぎりの捌きで体を引き、それを躱す。
逃げ遅れた辻の髪が、斬撃の勢いで絶たれ、川風に飛ばされ消えていった。
手首近くから、つつーと血が流れる。藤本の切っ先が、わずかに届いていた。
「……すごい。避けた!」
辻はどこか感心するように言った。
(なんだ、こいつは)
藤本は戦慄を禁じえなかった。
繰り出すたびに突きの鋭さが増していく。
少しずつ力が抜けてきているのか。
最初の突きは、力みゆえに遅かったとでも言うのか。
「じゃあ、次は三つ」
どこか藤本に避けられたのが嬉しいことでもあるかのように、辻はそう言った。
言ったからには三つ来るのだろう。藤本はそう思った。
複雑な駆け引きをしてくるような相手ではないと分かっていた。
そして恐らく、その三つが可能であることも。
河原は小石が敷き詰められ、とても足元が安定しているとは言えない。
それでも尚、あの速い突きが三つも連続で繰り出せると言うのか。
わかっていた。
この小さな狼は藤本が刀を抜くまで、足音一つさせず近づいてこれるような奴なのだ。
変わっていない。藤本はそう思った。
こいつらはやはり獣の群れだ。“あの頃”と何ら変わってはいない。
と、その時だった。
風の向きが変わった。
藤本はとっさにその場から数歩後ろに飛び、
ぼーっと二人の戦いを眺めていた亜弥々姫の近くに走り寄った。
辻がむっ? とういう顔をした。
あたりの暗闇が蠢いていた。
星明りに、不気味な能面がいくつも浮かびあがっていた。
いつのまにか周辺を囲まれていた。
七、八、九……。
藤本は数を数えた。二十人近くいる。明らかに数が増えている。
すかさず辻が懐から仲間を呼ぶ呼子を取り出し、吹いた。
ぴり、ぴりり、ぴりりりりと、高い音があたりに鳴り響く。
藤本はしまった、と思っていた。
橋のあたりで考えていたのと同じように、ここでは身を隠す場所が無い。
辻との戦いに時間を取られすぎた。ここでは壁も無く、周りを囲まれてしまう。
多対一というものは、思う以上に無理のある戦いである。
特に周りを囲まれてしまうと、前、横、だけでなく後ろにも常に注意を配らなければならない。
単純に言って、三人に囲まれたら三倍の、
速さと、体力と、知覚の鋭敏さが求められる。
本来なら挑むべき戦いではない。
だからこそ一人で多人数と戦う時は、
壁や障害物の多い場所で、大勢での一気攻めをしにくくし、
乱戦に持ち込み、局地的に一対一の関係を作るのである。
しかしこの河原のように広く、何も無い場所ではそれができない。
せめて塀のある町中まで走るか。
藤本は隣の亜弥々姫を見て思った。
だが、能面の集団は既に周りを厚く取り囲み、じわじわと輪を縮めてきている。
自分一人ならいざ知らず、
果たして亜弥々姫を連れてこの輪から無傷で連れ出すことができるだろうか。
徐々に輪が縮まっていく。
藤本はその輪にあわせて、じわじわと後退するしかない。
そしてそのうちに、完全に輪の中心に追い込まれてしまうのだ。
分かっていても避けることができない。
牽制するように、能面が輪の中からときおり飛び出しては、藤本に突っかけてくる。
それを丁寧に逃さず一人ずつ斬り倒していくか、
それとも、ある程度の傷を覚悟して、輪の縮まりきらないうちに一点を突破するか。
そう思ったとき、突然、藤本の背中に触れるものがあった。
はっ、と咄嗟に藤本は数歩引きながら、
振り返りざまに背中に触れた相手を刀を横薙ぎにしようとした。
辻だった。
藤本は途中で刀を止めた。
辻も能面に囲まれ、突然背中に触れた者に対して咄嗟に振り返り、
斬ろうとした刀を途中で止めていた。
その隙を逃さず、能面が背後から襲い掛かる。
藤本と辻の目が合ったのは一瞬だった。
二人はお互いに向かって更に大きく足を踏み込んだ。
一瞬の出来事だった。
辻の背後に襲い掛かった能面は藤本に、藤本の背後に襲い掛かった能面は辻に、
一太刀で斬り伏せられていた。
互いを襲った能面がうめき声を上げながら地に伏せると、
二人は再び背中合わせになり、能面の輪に視線を戻した。
何も口には出さずとも、一瞬のやりとりで二人は通じ合っていた。
――ここは共闘だ。
二人の目が語っていた。
この場を切り抜けるために、一時的に手を組む。
ここで敵対しても、多人数の敵の前に互いに自滅するだけだ。
障害物も何もない河原だった。
しかし藤本の背後に、背は小さいが、強固な壁ができた。
迫真の立ち回りの臨場感が素晴らしいですよ
172 :
名無し募集中。。。:04/01/18 16:20 ID:Aa8GbU+R
きよし師匠の100万票は何処に
いつもひとりで戦っていた。
藤本の記憶では、ついぞ誰かと共に戦ったことなどない。
いつもひとりで人を斬り、立ち回り、逃れた。
また、それに疑問を挟むことも、つらく思うことも無かった。
むしろひとりのほうが楽だった。
「ここを動くな」
左手で後ろにかばうようにしながら、あやに言った。
「う、うん」
あやが答えた。
「貴様ら何者だ! 相手が壬生娘。組とわかって挑んでいるのか」
背後の辻が能面に向かって叫んだ。
幕末の京都を震え上がらせた壬生娘。の名は、
当時聞かせるだけで十分に脅しが効くものだった。
当時の京都は、藤州をはじめとする尊攘派雄藩の支援を受けた勤王の志士たちが跳梁し、
佐幕派、開国派の要人を白昼であろうと斬った。
またそれに便乗した尊攘派とは名ばかりの不逞浪士が商家に押し入り、
強盗まがいを行なうことも日常の、半ば無政府状態であった。
そんな時勢に現れた壬生娘。組は、
弾圧とも言える圧倒的な剣力で勤王志士たちを圧し、
京の鎮圧に努めた。
しかし、幕府の手のものとは言え、壬生娘。の出自もまた浪士である。
勤王浪士や不逞浪士によって一方的に乱れていたものが、
彼女らの登場によって、二勢力の対立による乱れに変わっただけ、という見方もできる。
また、彼女らの内部にも同じように町に不逞を行なう者が絶えなかった。
そうなってしまっては、勤王だろうと壬生娘。だろうと、
町人たちにとってはどちらも変わらない。
ただ等しく自らの生活を脅かす者たちでしかなかった。
壬生娘。には壬生娘。という明確な名があったのだから、尚更である。
乱闘の場に現れ、その名を言えば武人町人問わず場が凍りつき、
ある者はその場にひれ伏し、ある者は逃げ出した。
壬生娘。の名を騙り、商家から金を脅し取る不逞浪士の輩さえいたほどである。
壬生娘。の名はもはや、恐怖の代名詞ともなっていた。
辻が先程吹いた呼子は、その仲間を呼び集めるためのものであろう。
おそらく藤本を単独で発見した時は、逆に能面の集団に見つかることを恐れ、
吹くのを控えていた。
仲間の隊士が辿り着くまで、この場を生きて持たせることができるか。
辻の脅しにはそんな計算もあったに違いない。
しかし能面の集団は、その名に少しも動揺するところが無かった。
二人が組んだことにより一瞬の怯みを見せたものの、再び徐々に囲みの輪を縮めてくる。
とすれば、壬生娘。をまったく恐れぬ腕の持ち主たちなのか、
或いは、最初から壬生娘。と事を構えることも踏まえていたのか。
辻との共闘は思っていた以上に相性が悪くなかった。
踏み込みの速さ、手の動き、微妙な癖。
わかる。
一度刃を交えただけで、手にとるように辻の動きがわかる。
中心に立つ亜弥々姫を二人で守るように背に挟み、状況に応じて入れ替わる。
藤本が輪に斬り込めば辻が後ろの守りに入り、
辻が能面の刃を受け止めれば、藤本がそれにとどめを刺した。
幾多の修羅場をくぐり抜け、ぎりぎりの命の奪い合いをしてきた剣士であるからこそ、
一度刃を交えれば、何か通ずるものが互いにあるのかもしれない。
辻の特徴を藤本は既に一度の立ち合いでつかんでいる。
この娘の速さは、その足腰の強さと均衡の取れた体幹、そして反応の早さにある。
正確無比な足捌きの技術で疾さを得る藤本とは対照的に、
持って生まれた資質で速さを得ている。それが辻の速さだった。
つまり藤本は、その荒々しく小柄な豪放さの中から隙間を丁寧に補ってやればいい。
辻はまた、集団で戦うことに慣れていた。
おそらく普段は壬生娘。で集団戦を行なっているのだろう。
藤本が前に出れば後ろに素早く入り込み、
下がってくれば横目であろうと素早くその間合いを開ける。
集団でもこれほど違和感なく動けることがあるのか。と藤本はひそかに思った。
一人で動く時とあまり変わらない。むしろ手が増えたような錯覚さえ覚える。
それはそれまで藤本のあまり感じたことのない、
安堵や、信頼というものに近しい感情の動きかもしれなかった。
しかし能面の乱波どもはやはり、普通の剣客とは太刀筋がまったく異なる。
短刀で触れ合うほどの間合いにいきなり詰めて来る者もあれば、
長い鎖鎌を遠くの間合いから投げてくる者もある。
しかも非常に訓練された動きで統制が取れている。
ニ十数対ニの、一進一退の攻防が続いた。
飛び道具に対して無防備な、亜弥々姫の命は恐らく奪ってはこない。
生きてさらうのが目的だ。
それだけが救いだった。
息が、荒れている。
時間が経つにつれ、徐々に藤本はそう感じはじめていた。
体温が急激に下がっているのが、自分でもわかる。
腰の、あやに布を巻いてもらった傷口から溢れる血が止まらなかった。
いつの間にか、流れ落ちる血が河原の小石を広く黒く染めていた。
「! ……みきすけ」
あやが息を呑み、両手で口をおおった。
「どうした!?」
辻が能面の集団から目を離さずに言った。
極寒の北の地に生まれ、寒さには慣れている筈の藤本の体が、
桜の季節も近いというのに凍えている。
腰がどく、どく、と、大きく脈を打っていた。
ふっと、一瞬、意識が遠のいた。
「みきすけ!」
あやの叫び声に藤本は我に返った。
能面の一人が宙に舞っていた。
満天の星が、そこだけ人の形にくりぬかれたように黒く闇に覆われる。
口元に何かが輝くのが見えた。
(……含み針か!)
咄嗟にそれを避けようと体をひねるが、腰の激痛に動きが鈍る。
「ぐぅっ」
左目の下に数本の微細な針が突き刺さった。
藤本は目を細めながら、構わず針を放った空中の敵を一刀のもとに切り伏せる。
「ぎゃああああ」
断末魔が河原に響く。
しかし藤本の注意が上に向いていたその隙に、
下から別の能面が懐に潜り込んでいた。
しまった。
そう思った。
藤本は気づいていた。
何度か能面と剣を交えるうちに、感じはじめていたその違和感に。
刀のはじける音の違いに。その手ごたえの違いに。徐々に忍び寄っていたその崩壊の瞬間に。
辻も別の敵と交錯し、藤本を助けることができなかった。
懐に潜り込んできた能面は小刀を逆手に持ち、
藤本の胴体を右腰のあたりから逆袈裟に斬り掛かった。
その小刀を腰のあたりで十字に受け止めた時、
藤本の刀が、折れた。
ドキドキいたします。
更新されてる!
イイヨイイヨー
カッケー
保全
ほ
ぜ
保守
きん。と、
“はばき”近くから折られたその刃は、力のよりどころを失い、
河原の小石にあたって小さな音をたて、倒れた。
いつから刀が崩壊をはじめていたのか。藤本には分かっていた。
あの瞬間だった。
それは紺野と名乗っていた。
最初に刃を交えた浅葱色の狼。
藤本に軽く受け流されたと思われたそのとき、
紺野のたった一度の打ち込みによって、刀は殺されていたのだった。
そもそも日本刀の細身の構造は、
強い打ち込みを何度も受け止められるような造りにはなっていない。
藤本のもののような銘も無い刀であれば尚更である。
だから藤本は、その刀の脆弱さを自らの技術で補ってきた。
力を正面から受け止めるようなことはせず、受け流す。
だがそれを、若い一人の狼によって一撃で殺されていた。
(化け物どもめ……)
藤本は心の中でうめいた。
驚くべきことに、あの一撃を受けてからその後、
藤本が相手の刀をまともに受け止めたのはこれが最初であった。
能面に追い詰められ、とうとう力を受け流すことができなかった。
能面の小刀は藤本の刀を折ったことで軌道を変え、
藤本の肩をわずかに掠るだけにとどまった。
能面がすかさず返す刀で上から斬り下ろそうとする。
しかしそれは今度は、まったく藤本の体に掠ることなく、虚しく空を切った。
その場にいたはずの藤本の体は、刀が折れると同時に心も折れてしまったかのように、
前のめりに崩れ落ちてしまったのだった。
「みきすけ!」
あやが叫んでいた。しかしそれも藤本にはもう、遠くに聞こえる。
「どうした!?」
ただならぬ様子に辻が藤本のほうを振り返った瞬間、
その隙を突いて能面の攻撃が集中し、喉元に一斉に刀を突きつけられ、
辻も動けなくなってしまった。
藤本を襲っていた能面が小刀を逆手に持ち替え、
うつぶせのまま動かない藤本に、とどめの一撃を突き立てようとした。
「やめて!!」
あやがかばうように、倒れた藤本の上に覆い被さった。
顔を伏せ、目をつぶっている。
小刀を突き立てようとしていた能面が躊躇して止まった。
「待て」
その時、落ち着きのある声が、河原に響き渡った。
能面たちの動きが一斉に止まった。
やがて、三人を取り囲む能面の集団の一部が割れ、
その中から白い般若の面をした者が姿をあらわした。
「近寄らないで!」
白般若がそのまま藤本と亜弥々姫に近づこうとすると、
亜弥々姫はおもむろに藤本の腰の脇差しを両手で抜き、刃を向けた。
「……これは勇ましい」
しかし白般若は少しも動揺も見せず静かに言うと、構わず手を伸ばしてきた。
すると亜弥々姫は、白般若に向けていたその脇差しを、今度は素早く自分の首筋に当てた。
白般若の手が止まった。
「あなたたち。わたくしが欲しいのでしょう。
これ以上近寄るならば、わたくしはこの場で首を切ります」
亜弥々姫の目は真剣だった。
「……ほう」
「……や……めろ」
そのとき亜弥々姫の下で、うめくような声が漏れ聞こえた。
藤本がわずかに意識を取り戻していた。
背中に感じる亜弥々姫の暖かな体温が、藤本の意識をわずかに呼び戻していた。
「みきすけ!」
藤本の覚醒に、亜弥々姫は一瞬気を緩めてしまいそうになったが、
あらためて首筋に当てた刃に力を込め、
白般若を見据えた。
一瞬の隙に動こうとした能面たちの動きが、再びぴたりと止まった。
「……いいでしょう」
しばらくの緊張した対峙の後、白般若が穏やかに言った。
「おっしゃる通り、我々の目的は貴方様です。
我々とて、この者どもに同志を幾人も斬られておりますゆえ、
正直を言えば只で帰すのは口惜しいところではありますが。
しかしいいでしょう。
もし、貴方様がこのままおとなしく我々に従ってくれると仰られるのでしたら、
この者たちの命までは取りますまい。どうですかな?」
(……焦って、いる?)
藤本は、伏せた状態から気づかれぬよう少しずつ体位を移動させながら、白般若を見て思った。
その口調、そして周りの連中の仕種に、どこか焦りのようなものを感じる。
亜弥々姫の説得と、藤本と辻の必死の抵抗に手間を掛けるくらいならば、
素直に亜弥々姫の要求に応じようとしているように思える。
既に場は完全に能面たちが掌握しているにもかかわらず。
(壬生娘。組か)
剣を交える前に、辻が呼子を吹いていた。
それを聞きつけた壬生娘。組の隊士たちが間も無くこの場を見つけ、やって来るはず。
ここで藤本らに苦戦し、自らを人質に取るあやの強奪に時間を割くよりも、
取り引きに応じて、壬生娘。と鉢合わせする前に決着をつけてしまいたいということか。
藤本は顔を伏せぎみのまま、周りに悟られぬよう、
後ろで取り押さえられている辻に目配せした。
辻がそれに気がつき、わずかに、ん? という顔をした。
「……貴様、が、首魁(首謀者)……か」
藤本は地面を手でつかみ、完全に膝立ちになりながら白般若に言った。
まだ意識は朦朧としていて途切れ途切れでも声を発するのが苦しい。
しかし相手は焦っている。まだ活路は見出せる。
「……たった二人で。よくここまでやってくれたものだ」
白般若は藤本の問いには答えず、河原に目線を移した。
幾人もの生き絶えた黒い影が、地面に伏せったまま固まっている。
「このお方のお望みどおり、貴様らは生かしておいてやる。
貴様らのその力、面白い。あるいは我らの目指すものにとって、良い駒になるかもしれん。
償いは、その後にでもしてもらうことにしよう」
「なぜ……さらう」
あやのことを聞いた。
「……殺す、つもりじゃ……なかったのか」
駕籠を襲った一件のことを言っていた。あの時、確かに能面は、あやの命を狙った。
それを咄嗟に藤本がかばってしまったのが、全ての始まりだった。
「本当にそんなことが知りたいのかね?」
白般若が、ふっと鼻で笑うようなそぶりを見せた。
「それとも、隙でも狙って、その手の中の石をこちらに投げつけでも、するつもりかね」
確かに藤本は膝立ちになりながら、ひそかに河原の小石を右手に握りこんでいた。
それを見抜かれていた。
「ふ、……まあいい。そんなことをしても私には無駄だよ。
それに時間稼ぎなど無意味だ。
体が冷えるので、こんなところに長居したくないのは確かだがね。
だが、たとえここに奴らが再び現れようと……」
全て見抜いているかのように白般若は言った。
「我らの足は壬生の狼どもよりも速い」
壬生娘。組が現れる気配はまだなかった。
「答えてやろう。我々の目的は、こちらのお方ではなかった」
まるで藤本を反応をうかがうように、言葉を切った。
(……違う、目的だった?)
「しかしこのお方――貴様のような野良犬には到底わかりもしないだろうが、
もし噂に聞く、あのお方だとすれば――我らにとってこれ以上ない拾い物だ。
ならば“生かしておいたほうが都合がいい”」
その言葉に、藤本の体がぴくりと動いた。
「はじめは“どちらでもよかった”のだがな」
「黙れっ!!!」
それまで、滅多なことでは感情を表に出すことのなかった藤本が怒りをあらわにした。
さえぎるように大声で叫んでいた。
藤本は、そんな問いを発した自分自身を恥じていた。
『生かしておいたほうが都合がいい』『どちらでもよかった』
あやが、自分を浄瑠璃の人形と言ってしまうような娘が言われていい言葉のはずがない。
それは藤本自身のことでもあった。
だが藤本は、今まで自分に向けてもそういった言葉をよく発していたし、
誰かにそれを言われたとしても、少しも傷つきはしなかっただろう。
恐らく何の引っ掛かりすら感じなかったに違いない。
しかし、この娘にそんな言葉をぶつけることだけは、何故か許せなかった。
そして藤本は、駆け引きのためとは言え、
そんな間抜けなことを問うてしまった自分を激しく責めた。
あやの顔を見ることができない。
藤本は体に残ったわずかな力を振り絞りながら叫んだ。
自分へなのか、相手へなのか。
自らも戸惑うほどあふれ出てくる感情の勢いそのままに。
右手に握りこんだ小石を手首の力だけで鋭く後ろに放った。
勢いよく放たれた飛礫は闇を貫き、辻を押さえていた能面の体に鋭く当たった。
相手の焦りを感じとったときから、これを狙っていた。
「ぐぅっ」
飛礫を当てられた能面がうめき声を上げた瞬間、辻は隙のできた別の能面を肘で突き上げると、
自分の刀をすばやく拾い上げ、自分を取り押さえていた能面たちを振り払った。
そして自分の脇差しに左手をやると、そのまま腰から抜き、
柄を藤本の方に向けて投げた。
すべて一瞬の出来事である。辻は藤本の目配せに気がついたときから、
藤本が何かを狙っていることを感じとり、
その何かが起きたとき、自分のできる最も有効な手段を計算していた。
そしてそれは、藤本の考えと完全に一致していた。
藤本は後ろで起きた出来事に一瞬怯んだ手前の能面に拳を入れる。
自分に向けられていた刃が外れた。
辻の強い力で直線的に、まったく回転を与えられず飛んできたその脇差しを、
藤本は左膝立ちのまま、ちょうど上段の構えのような格好で頭上で受け止め、
左足で強く地面を蹴って右足を前に向かって大きく踏み込み、
右手で脇差しの柄を、左手で鞘を引きながらその現れた白い刀身で、
眼前の白般若の面に向かって大きく振り下ろした。
「狙いは良かった」
白般若が言った。
「が、打ち込みは甘い」
藤本の振り下ろした脇差しは、頭に当たる直前で、白般若の金属製の手甲によって止められていた。
もう一方の拳が、藤本のみぞおちに深く入っていた。
「ぐ……」
息ができない。
「……なるほど。腰か」
藤本の腹に拳を残したまま、白般若が言った。
拳に血がついていた。
藤本の着物の腰から下が血でどす黒く染まっていた。
駕籠襲撃のとき、知らぬうちに能面の集団に刺されていた傷。
「我らも、そう簡単に命をくれてやるようには鍛えられていないからな」
藤本は苦しみで体を“く”の字に折りながら、
それでもなお、あやを白般若から庇うように後ろ手に、
あやの手をつかんだ。
しかし藤本に、状況に抗う力は既にない。
「では、ご同行願えますかな」
白般若が藤本の存在を無視し、頭越しに亜弥々姫にそう言ったとき、
ぴし、という小さな音と共に、面に、縦につつーっと亀裂が入った。
「……むぅ」
白般若の面が縦に真っ二つに割れ、からんと音をたてて河原に転がった。
完全に受け止めたと思っていた藤本の一撃が、
面にだけは、届いていたのだった。
「ふ、ふふふふふ……」
暗闇で顔のよくわからない、白般若の面をつけていたその者は、
まるで楽しくて仕方がないかのように、笑い声を漏らした。
「みきすけ……と言ったか」
足元の、悶絶する寸前の藤本を見て、それはにやりと笑った。
「やはりこの力、面白い」
藤本は意識が消え入りそうになっても、まだかたく、あやの手を離そうとしなかった。
「みきすけ……」
「……あ…………、あん……た……」
既に顔を上げる力すらない。顔を伏せたまま、ただ手を強く握り、言っていた。
「……大丈夫だから」
藤本の声をさえぎって、あやはそっと手に手を重ねた。
「ありがとう、みきすけ。今まで本当に、本当に私のために戦ってくれた人なんていなかった。
ほんとうに、ほんとうに、うれしかったよ」
あやの言葉の最後は藤本の耳に届いていなかった。
藤本の手があやの手から離れ、力なく落ちる。
藤本の意識は、そのまま、
鴨川のせせらぎに飲み込まれるように、闇に沈んでいった。闇に。
相変わらずかっけーなぁ。
保全
198 :
。。。:04/01/30 02:14 ID:Hb7woBpx
豚めし食おうぜ
ホゼン
――白い。
何もかもが白い。
まるで、あの場所のようだ。
今の季節はまだ、全てが白い雪に覆われているであろう遥か北の故郷。
もはや記憶の彼方へとぼやけてしまっている蝦夷の大地。
いや、もしかしたらここはそうなのか。
……帰ってきたのか。あの地へ。
河原の小石が頬に妙に温かかった記憶だけが残っている。
夜風に長く晒された小石が、温かいはずもないのに。
あの場所で自分の命は尽き、魂だけが迷って故郷へと帰ってきたのか。
帰ってきたのか。もはや故郷に何の思いもないというのに。
ぼうっと、そんなことを思っていると、
全てを覆っていた白がやがて、雪のように少しずつ融けてゆき、目の前で像を結んだ。
茶色の縞が幾重にもなっている。平らで、複雑な紋様。
それは波打つ砂浜の紋様のようにも、人の顔のようにも見える。
喘ぎ、畏れ、叫び狂う人々の群れ。
どれも醜く歪んでいる。
……木目……木。…………天井、か。
藤本は天井を見ていた。
体が金縛りにあったように動かなかったのは、布団の重みのせいだ。
自分は、床に横になって。天井を見ていたのか。
微かな自分の呼吸に合わせるように、視界が繰り返し白くぼやける。
まぶしい。
目を細める。
避けるように顔を横に寝かせた。
床から二畳ほど先の、障子が細く開いていた。
表から光の筋が部屋に入り込み、それがちょうど、藤本の目に当たっていた。
布団からゆっくりと手を抜き出した。
中の温まった空気が動くのが分かる。
光を避けて顔の前にかざした。
目が少しずつ、明るさに慣れてくると、障子の隙間から外の景色が少しだけ見えた。
ほんのりと薄い、紅いものがわずかに見える。
(……桜?)
と、障子の外に人の影が映りこんだ。
小さい。まだ子供のようだ。
それは障子の隙間から、こちらをじっと覗き込んでいた。
「りかさーん、ゆきどーん」
藤本と目が合うと、子供はそう言ってとたとたと、奥のほうへ駆けて行った。
「こら〜、椎子、走らないの」
しばらくすると、女が二人入ってきた。
一人はいかにもといった、古風な匂いのする美人。
もう一人は少々色が黒いが、これもまたかわいらしい女だった。
「どーお? 調子は」
色の黒い女が微笑みかけながら言った。
藤本は黙ったまま、障子の隙間の外を見ていた。
頭がまだぼうっとしている上に、状況がまだよく飲み込めていなかった。
「有紀さんがね。よく面倒見てくれたんだよ〜」
藤本に無視されたと思ったのか、色の黒い女が苦笑いしながら明るい声で言った。
口は笑っているが、目はどこか困ったような表情をしている。
「痛み無ーい?」
妙にいらいらさせる女だ、と思った。
「体、拭きましょうか。石川さん」
もう一人の女が言った。
二人がかりで、布団からゆっくりと上体を起こされた。
有紀と呼ばれた女が、藤本の寝巻きをはだけさせ、手際よく体を拭きはじめた。
普段の藤本なら拒んだだろうが、体が脱力して抵抗する気すら起きない。
頭にも靄がかかったかのように、何も考えられない。
生きていたのか。
ぼうっとしながら、ただ漠然とそう思っていた。
「傷は、大丈夫みたいね」
有紀という女が傷口を覆った布を解き、それを見ながら、石川と呼ばれた女が言った。
(傷……)
見ると、腰の傷が醜く大きいかさぶたになっていた。
傷を意識したとたん、鈍い痛みが蘇ってきた。まだ完全にはふさがっていないようだった。
気がつくと、体のあちこちが痛みはじめた。
手の甲、肩の刀傷。腹、腕。
意識と共に、体中が覚醒してくる。
「ここは、どこだ」
「……堀川よ」
石川が答えた。
まだ、京都だ。
布の交換が終わり、再び寝巻きを着せられた。
「あんたらは……」
まだ頭が混乱している。分からないことが多すぎた。
しかしやがて、藤本は思い出した。
「……! あやは!」
咄嗟に床から立ち上がろうとして、腰に激痛が走った。
「ぐぅっ」
「動かないで! 傷口が開いちゃう」
二人が押さえるまでも無く、藤本は上体を起こしたまま、
激痛のために体を折り曲げて動けなくなった。
呼吸をするのも苦しい。
「無理しないで……」
石川が困ったように言った。
とその時、
「起きたって?」
遠くの方から男の声が聞こえた。
それと共に、徐々に足音が近づいてくる。
そしてついに足音が藤本たちのいる部屋の前で止まると、
すっと襖が開き、まず椎子と呼ばれていた小さな女の子が顔を覗かせる。
そして次に、襖が大きく開き、男が現れた。
「よお〜、藤本〜」
「つんく……」
藤本はその男の名前を呟いた。
修正
×椎子
○詩子
更新乙です。
続きが楽しみ。
保全
ほ
「寺田様」
石川もその男を見て言った。
すると男はどこか気まずそうに、
「……石川〜。こういうところではつんくって呼べ言うたやろ」
と言った。
市中に出回るとき、周りの人間に自分をつんくと呼ばせるこの男は、
本当の名を、寺田光男という。
幕府側最高の兵力と言われる、会府(あっぷ)藩藩主である。
会府二十三万石を領する堂々たる大大名の藩主。いわゆるお殿様である。
目の前のへらへらと笑っている軽そうな姿からはとても想像できない。
この男はまた、京都守護職という重職を幕府から仰せつかっている。
守護職、所司代といった、
天皇のお膝元である京都の治安を維持する組織群を束ねる最高権力者であり、
あの壬生娘。組も、指令系統をさかのぼれば京都守護職、つまり寺田に行き着く。
壬生娘。組が自ら名乗るときに言う「会府中将様御預(あっぷちゅうじょうさまおあずかり)」
の会府中将とは寺田のことである。
そんなことから現在、京都に居を置くこの男が、
激務から離れ、身分を隠して町に出るときの姿が「遊び人のつんく」であった。
本人曰く、「守護職たるもの、常に市井の空気を知っておかねばならない」という。
かの八代将軍、暴れん坊某もかくやである。
本来なら藤本のような、下級藩士ですらない浪人者が口を聞けるような人物ではない。
目通りすることすら叶わない。
身分で言えば、金貨と塵屑以上の差がある。
しかし「遊び人のつんく」は、そういったことにはあまりこだわらない、
こだわらせない性格だった。
「ひさしぶりやな」
つんくはしみじみと言った。
藤本とつんくの出会いは数年前にさかのぼる。
何より、藤本をこの生業に引き込んだのが、他ならぬこの「遊び人のつんく」であった。
しかし藤本には感慨に浸っている暇は無かった。
ここにつんくがいるということで、事情が少しずつ飲み込め始めていた。
目覚めたばかりの頭も、より鮮明に、覚醒しはじめている。
自分は恐らく気を失ったあの後、
壬生娘。組か、奉行所か、とにかく幕府側の人間に拾われたのだ。
その後何があったのかは分からない。
しかしここできちんとした治療を受け、つんくが現れたということは、
藤本の職務を知る者によって身分が保証され、
少なくとも、読瓜藩襲撃の罪を問われ、
罪人として拷問を受けるというようなことにはなっていないということだ。
藤本は痛みの走る腰の傷に我慢しながら、起こした体を両手で支えながら言った。
「あの娘はどうした」
「……まあ、落ち着きや」
「どうした」
「あなた、ちょっと」
石川が藤本の不遜な態度にしびれを切らしたように口を挟んだ。
つんくは藤本の取り付く島も無い態度に、ため息をついた。
「どうもこうも、ないで」
つんくの緩慢な様子に藤本は苛立ちを隠せなかった。
今にも床から飛び出し、あやを探しに走り出そうというほどの勢いだった。
しかし藤本は、その場の感情の勢いで行動できてしまうような人間ではなかった。
「大体の事情は聞いとるよ。
……あんなあ。今、外に出ても、お前一人じゃどうにもならへんで」
分かっていた。
外の桜が咲いている。ということは、あれからもう幾日も過ぎている。
今飛び出たところで、何のつても、力も持たない自分が、
たまたま出会っただけの、素性も知らぬ女のさらわれた先をつかむことなど、出来るはずが無い。
自分は言われるがままに仕事をこなしていただけの、ただの人斬りなのだ。
動いたところでどうにもならない。ましてや体も、頭も働かない今の状態では。
焦りと冷徹な思考が、藤本の中で交錯していた。
「一体何があったって言うんや。お前とあの娘に」
つんくがそれまで黙って聞いていた有紀のほうに目をやると、
有紀は心得たように詩子を連れてそっと部屋から出ていった。
部屋には、つんくと藤本と、石川の三人だけが残った。
「まだ無事や。たぶん、やけどな」
有紀と詩子が部屋から離れていったのを見計らい、
藤本を少しでも落ち着かせるためであろう、つんくの放ったその短い言葉は、
あやの行方がまだ知れてないこと、
しかし大事には至らないと確信できるだけのものが、何かあるのだろうということを示していた。
「これはな。もう、お上の政事(まつりごと)の話や。
お前らはもう、全く知る必要の無いことや」
つんくは確かめるように藤本の目を覗いて、またため息をついた。
藤本のつんくを見る目に、まったく揺らぎが無かった。
「そやけどな。それでもお前には助けてもらったし、
こっちに協力してくれるなら、少しくらいなら話したってもええ。
……どうや?」
協力。とは、あやのこと、あの能面の集団のことについて、
知っている限りのことを話せということなのだろう。
つまり守護職も、能面の集団の正体をまだよく分かっていない。
これは取り引きなのだ。藤本はそう思った。
誠意を見せるから、こちらにも誠意を見せろと。
そこにはつんくの、藤本に対する個人的な思い入れもいくらかは関係していたのだろう。
本来ならば、壬生娘。組に捕らえられて、
重要人物として拷問にでもかけられてもおかしくなかったのだ。
藤本は表情を変えず、小さく頷いた。
それを確認すると、つんくは石川を目で促した。
石川が小さな紙包みをすっと藤本のほうに差し出した。
藤本の表情がわずかに変わった。
「あなたの懐に入っていたものよ。治療のときちょっと邪魔だったから……」
白く薄い油紙に包まれたそれは、アメのように透き通った鼈甲の櫛に、
漆と金箔が複雑に絡み合った美しい細工が施されたものだった。
あやが藤本にあげると言ったもの。
あやはその時、藤本のことをかわいいと言った。
懐にしまったまま忘れていた。
藤本はそれを手にとった。
少しも傷がついていなかった。
「何から、話そうか」
つんくが静かに言った。
「そうや。まず、あの姫はな……」
藤本は手の櫛を見つめていた。
その時、たとえつんくの口から御三家、御三卿の名が出ても藤本は驚かなかっただろう。
読瓜藩の徳光和夫、会府藩の寺田の名が出ていて、
あの姫がそこらの武家の娘ごときでは、その方がおかしい。
夜陰に隠れるように行く駕籠の一団、能面の集団、それにあの、なんとも言えぬ気品。
しかしつんくの口から出てきたものは、藤本の想像を越えたものだった。
「あのお方の父君は――」
(……お方?)
会府ニ十三万石の領主が、「お方」と呼ぶ。
「天子(てんし)様や」
「……天子……様?」
何も考えず、その言葉を繰り返していた。
「そや、帝(みかど)や」
つんくは確かにそう言った。
帝――天皇のことである。
覇牢(はろう)幕府三百年の歴史の中で、
天皇は実在から、象徴の存在に追いやられていた。
戦乱の時代を制し、全国を統一した覇牢家は、
まず諸大名とともに、朝廷を徹底的に弱体化させた。
生きるにやっとの棒禄と小さな領地しか与えず、政治への口出しを事実上一切禁じた。
日本は古来より神の国とされ、天皇は神の子、天子とされていた。
人を統べるのは天子の役割であり、それは今でも根強く人々に信じられている。
鎌倉の時代より続く武家政権はあくまで朝廷の代理によって行われているもので、
実権はあくまで朝廷――天皇のもの。とされていた。
覇牢幕府は諸大名だけでなく、その朝廷の力を弱体化させ、発言力を徹底的に弱めることで、
天皇を無力な象徴上の存在として政事の外に追いやり、
三百年もの、世界的にも稀に見る安定した政権を築いたのである。
しかしそれでも、三百年の間に時代のほうが限界に来ていた。
商品文化の発展により、商業を中心とした商品経済へと移行しつつあった時代に、
古くからの農業を中心とした自給自足を基盤とする幕藩体制が対応しきれず、
幕府を含め、多くの藩が構造的な財政難に陥っていた。
さらに追い討ちをかけるように黒船が来航し、
諸外国からの圧力に揺れ動く幕府に対して民衆の不満が蓄積していく。
そんな時流に乗るように、全国に広まっていったのが、
尊皇攘夷という思想だった。
疲弊した幕政を批判する象徴として。
「幕府」の対義語としての「天皇」の名に、再び衆目が集まった。
皮肉にも、三百年間幕府が天皇の力を封印し、
実体あるものから象徴へと追いやったことが、
当時の幕政に反感を持つ民衆の天皇に対する想いを、より特別な、至高のものへと高めていた。
帝の子。
藤本の視点は定まらず、ただつんくのほうをぼうっと見ていた。
視界の隅で、桜の花びらがゆらゆらと落ちた。
保全
ホ
219 :
ねぇ、名乗って:04/02/06 01:22 ID:QHefQESS
つんくに投票してやった
sage
そうですか寺田光男が松平容保ですか
理屈で考えれば予想出来た筈なのに何故か笑ってしまったわ
保全
hozen
広い屋敷だった。
この部屋だけでもゆうに十二畳はある。
藤本一人を寝かせておくだけには十分すぎる広さだ。
つんくがやってきたときの音の響き具合から、
この程度の部屋がいくつも屋敷に収まっていることがうかがえる。
人が少ないのか、家の中の物音はほとんどせず、
耳を澄ませばむしろ表の鳥や、遠くの町の雑踏のほうが聞こえてくる。
爽然とした青畳の匂いに、香(こう)の香りがわずかに混じっている。
障子の隙間から入り込んでくる微かな風が、心なしか暖かい。
襖のつくりがいい。
堀川にあるということは、つんくの個人的な隠れ屋敷かなにかだろうか。
藤本は無意識に布団の手元を探っていた。
刀が無い。
だがすぐに、大刀も脇差も、あの河原で失っていたことを思い出す。
仮にもし残っていたとしても、この場で帯刀が許されるはずもなかった。
何も、つんくやここの家人を斬るつもりだったわけではない。
ただ刀を近くに持っていないと、どこか不安だった。
皇女と人斬り。
おそらくこの世の中でもっとも貴い人間と、もっとも卑しい人間だ。
別に特別な関係を期待していたわけではない。
身分の違いなどはじめから分かっていた。しかし、ただ……。
「正しくは先帝、昨年末に崩御(死去)された織明(おりめい)天皇のお子や」
つんくは話を続けた。
亜弥々姫は、嘉永三年(1850)、京都の御所に生まれた。
黒船来航の三年ほど前である。
父は先帝、織明天皇。しかし母は、名も特にない侍女の一人だった。
織明天皇は、頑迷とも言えるほどの攘夷主義者であり、純血主義者でもあった。
純血とはすなわち、天皇家は少しの血も混ざらず、
高貴なる血縁の者のみと子孫を成すべしというような考えである。
無論、織明天皇自身もこの考えに従い、当時にしてみれば珍しく、
律儀にも正室以外の女と契りを結ぶことがなかった。
しかし、たった一度だけ間違いを犯した。
相手は御所に務めていた名も知らぬ侍従の女。
そしてその時の侍女が身篭り、女の子を産んだ。
不幸なことに、これが織明天皇の最初の子だった。
織明天皇は戸惑った。
天皇家は混じりけのない血筋であらねばならぬ。まして自分のはじめての子が、あってはならぬ。
だからと言って、周りにしてみれば天皇の主義と違うと言うだけで、
天の御子をそう無下に扱うわけにいかない。
結果。周りのはからいで、亜弥々姫は天皇の正子としてではなく、
武家の子として育てられることになった。
織明天皇は、諸外国による開国への圧力が高まる中、
発言力が皆無であった当時の朝廷と幕府の関係下において、
異例の攘夷断行の親書を幕府に送ったほど政事に関心の強かった人物である。
幕府に対する立場もあったのだろう。
亜弥々姫は幕閣に近しい御家ではなく、地方の大名に預けられ、
ひっそりと育てられることになった。
「世話をしたのが、読瓜藩や。
そのときに宮廷の近衛職だった公卿と、
読瓜藩にちょっとした繋がりがあったらしくてな。
なんでも琉球出兵の時からの縁らしいが」
慶長十四年(1609)、
読瓜藩は独立国家であった琉球王朝に出兵し、これを支配下に置いている。
その後『帝慶の大獄』で名を馳せた安室奈美恵など、
読瓜藩から名を広めた琉球出身の武士も多い。
「本当なら、姫さんの生涯はそこでひっそりと終えるはずやった。
そこそこのええ暮らしに、そこそこの幸せ。
大名の子として、そこそこの家筋に嫁にでも行ってな」
ところが、ある出来事により事態は急変する。織明天皇の突然の崩御である。
『尊皇攘夷』
という思想がある。
当時の世の政治思想には、ほぼ全員の根本にこれがあったと言ってもいい。
源流は中国にあるとされ、
国内では、御三家に数えられるうちの一つ、手列戸(てれと)藩で発生した、
手列戸学がその思想的総本山と言われる。
『尊皇』とは、天皇を国の絶対的な王として尊び、付き従うこと。
『攘夷』とは、外夷(野蛮な外国人)を撃ち払い、鎖国を維持すること。
とされる。
攘夷に関しては、外国の圧倒的な軍事力を知り、
攘夷を望みながらも開国の道は避けられないという意見が多勢を占めた幕府側と、
あくまで鎖国を守り、日本を食い物にせんとする野蛮な外国人は排除すべき、
とする攘夷派に多少の温度差があったが、
尊皇という思想に関しては、国事に関心のある者のほぼ全員に共通するものだった。
尊攘派諸藩やその支援を受ける勤王浪士に限らず、
それらと対立するはずの幕府側からその手先たる壬生娘。組に至るまで、
ほぼ全員の底流に厳然として存在していたのである。
違ったのは、その具体的方法論であった。
そもそも国の政事は鎌倉の時代より、武家による代理政治という方便で成り立っていた。
あくまで国の主は天皇であり、武家が天皇より統治権を任ぜられ、
代理で政治を行なっているに過ぎないという考え方である。
つまり、「天皇の代行者として、覇牢幕府はそれに相応しいか」。
これがこの時代における本質的な論点であった。
もともと、三百年という長きに渡った政権に、
いよいよ陰りが見え始めてきた時代であった。
商品経済が急速に発展し、経済における貨幣の重要度が増していく中、
昔ながらの農作物を中心とする流通を基盤にしていた幕府の経済政策は、
根元から矛盾が生じ始めていた。
また、長きにわたって大規模な戦争がなく、平安が続いた世の中にあって、
最も上位の身分とされる武士の、兵士としての存在意義自体が疑問視される時代でもあった。
幕府の財政難のあおりを受けて貧窮にあえぐそこらの武家よりも、
商いに成功した商家のほうが遥かに裕福で、
実質的な権力が上回ることも少なくなかったのである。
士農工商といった、幕府によって定められた身分制度の序列が、
実質的には崩壊しつつあった。
国内がそういった矛盾を多く抱える中、
産業革命によって急速に国力を増大させ、
アジアに利権を求めはじめた欧米諸国の手がついに日本に到達し、
アメリカの黒船来航というきっかけによって、
矛盾が一気に爆発したのである。
尊皇攘夷に本質的に異を唱える者はいない。
しかしその担い手として現行幕府は相応しいのか。
相応しくない。と感じた者、あるいは我こそが相応しいと感じた者は、
『尊皇攘夷』の名のもとに『倒幕』を唱え、
あくまで現行幕府を維持すべきと感じた者は『佐幕』を唱えた。
「崩御によって、亜弥々姫のお立場が変わったと?」
石川が言った。
「織明天皇は、あんまり望んでおられなかったやろうけどな」
織明天皇にしてみれば亜弥々姫は忌み子である。
表舞台に出ずに一生を終えて欲しかったに違いない。
つんくは天皇のことを思い出したのか、しばらく押し黙った。
この時代の大名には珍しいほどの、実直で敬虔な尊皇家でもあったつんくは、
頑迷な織明天皇の崩御に、一個人として心から痛んだ数少ない人間でもあった。
「つまり、お世継ぎ……として?」
「いや。お世継ぎ問題はすぐに解決した。お前も知っとるように、
つつがなく正子としてお認めになられていた今の新明(しんめい)天皇がご即位なされた」
「じゃあ亜弥々姫は」
つんくは一瞬迷うかのように言葉を止め、そして続けた。
「……降嫁(こうか)や」
藤本の指先が、ぴくりと動いた。
幕府の支配力が日に日に弱まっていく中、
もはや従来の政策では体制を維持できないと考えた佐幕派から浮上してきたのが、
『公武合体論』という考え方である。
公――即ち天皇、朝廷と、武――幕府が一体となって政治を執り行なうという、
武家による代理政治という根本に帰ることを広く喧伝し、現行政権と朝廷を同一視させることで、
天皇の威光をもって幕威を復興しようという政策である。
これは、あくまで現行政権を維持したいと考える幕府側と、
それまで幕府に軽んじられ、一切政治に関わることの出来なかった朝廷側による、
利害が一致した結果だった。
そしてその具体的施策のひとつとして行なわれたのが、文久ニ年(1862)、
時の将軍、覇牢直樹(はろう なおき)と、
織明天皇の妹、三好宮千夏内親王(みよしのみや ちかないしんのう)の婚姻である。
これを『三好宮降嫁』と呼んだ。
『降嫁』とは、皇族の人間が臣下の家に降り嫁ぐことである。
将軍は天皇の臣下であるから『降嫁』となる。
簡単に言ってしまえば、政略結婚である。
はじめは、愛妹を政争の具とし外夷の跋扈する江戸にやることに難色を示していた織明天皇も、
攘夷断行を幕府に確約させることで降嫁を飲んだ。
祝言は盛大に行なわれ、京都から江戸へと下る中山道の行列は、
前代を見ない豪華で長大なものだったという。
しかしその施策も、いくつかの出来事の連続によって虚しく外してしまうこととなってしまった。
もともとあまり体の強くなかった三好宮が、嫁いで間も無く病に臥してしまったのである。
将軍直樹もまた、しばらくして将軍職を瀬戸家の由紀男に譲り、隠居してしまう。
もはや、降嫁による幕府と朝廷の姻戚関係をつなぐものが、
三好宮の兄である織明天皇だけになってしまった。
その織明天皇が昨年十二月、崩御した。
一説には、毒殺とも言われた。
織明天皇は攘夷主義に代表されるように、全般に保守的な人物で、
強い佐幕思想の持ち主でもあった。
そのために、存命中はどれほど尊攘派の要求があって、
帝を軽んじた藤州寄りの公卿らによる偽勅(偽りの天皇の命令)が乱れ行き交おうとも、
自らは頑として討幕につながる勅命を下すことが無かった。
まるで毒殺説を裏付けるかのように、崩御を受けて朝廷の動きは堰を切ったように激しくなった。
王政復古を目論む朝廷側の急進派は、幼帝新明天皇を立てることで、
朝廷の改革を断行し、一気に体制を整え始めた。
危機感を持った公武合体派が新たに画策したのが、さらなる降嫁だった。
そしてそこに浮上してきたのが、長くその存在自体を忘れ去られていた亜弥々姫であった。
落胤である。
妾腹とは言え天皇の第一子。
織明天皇の動向次第では、皇位の第一継承者ということもあったかもしれない。
また皇族に年頃の和子がいないということもあった。
織明天皇は正室との間に四人の和子を成したが、
上の二人は若くして病死し、
残りはまだ幼い、九歳になる皇女と、六歳の皇子(新明天皇)のみであった。
再び降嫁という同じ策を打つからには、前以上の世間に対する衝撃が必要になる。
長く存在を隠されていた先帝の第一子。年齢的にも婚儀にふさわしい。
しかも才色に優れているということが、亜弥々姫を担ぎ出すことの後押しとなった。
「そんな、いくらなんでも強引な」
と石川は思わず呟き、そして言い過ぎたと思ったのか、慌てて口元を押さえた。
「そうや。強引やな」
しかしつんくは咎めることもなく、逆に同意するかのような口調だった。
当然、はじめは亜弥々姫もこれを拒否した。
地方大名の子として育ってきた姫に、今さら天皇の直子だったので京に戻り、
そして江戸に嫁に行けなどと言われても、すぐに応じられるはずがない。
なにより、亜弥々姫にはこの時既に婚約者がいたのである。
幼いうちからの婚約だったため互いによく見知っており、
相手は人柄もよく、祝言の前から仲睦まじい関係だったと言う。
小さな幸せを手に入れられるはずだった。
しかしそれも公武合体推進派の強引な説得により解消させられた。
さらに、まだ会ったこともない幼い弟が今や天皇の位に就かせられ、
姫があくまで拒絶すれば、幼い妹がその代わりに降嫁させられると聞かされ、
亜弥々姫は自らの降嫁を承諾した。
純血でないゆえに地方に捨てられた娘が、
血を継ぐがゆえに、再び政略の道具として京に戻されることとなったのである。
織明天皇の喪が明けた後、
江戸にて大々的に祝言の由が発し、広められるはずだった。
そのときに読まれる予定だった御名が松浦宮亜弥内親王(まつうらのみや あやないしんのう)。
亜弥々姫が生まれてから一度も呼ばれたことのない、織明天皇皇女としての名だった。
(亜弥々姫は人形なんです。人形浄瑠璃の)
あやの言葉が藤本の記憶に残っている。
(いいなあ〜。みきすけは)
(だって、自由じゃない?)
人形ではないのだ。あやにはたしかに心がある。
ただ自分を人形としなければ、己の運命を呪い、
孤独な心を支えることができなかったのだろう。
「じゃあ、あの読瓜の駕籠は……」
石川が言った。
「それは、まだよう分からん。なんであんな時刻に駕籠を出したのか……、
確かに、姫は存在自体まだどこにも伏せてあるから、表立って動かせないのも確かやが。
なんせこっちの守護職のほうではまだ、姫が既に上洛してたことすら知らされてなかったんや。
何がどう動いとるのか、正直まだよう分からん。読瓜の公武合体派なのか、
それとも倒幕派がなんかしとるのか」
「壬生娘。組に現場に行くよう言ったのはオレや。
夜中に急に知らせが入ってきてな、急いで行かせた」
つんくは藤本を見た。
「そんで。藤本に徳光殿を斬るように命じたのは、幕府の反読瓜の連中や」
「反読瓜?」
石川が言った。
「そうや」
この時代。
急速な海外の知識の流入と、状況の著しい変化によって激しく変節する人々の思想は、
個人にとどまらず幕府や各藩の政治方針をも大きく揺さぶり、
その中で大筋に何ら関係のない瑣末な対立までも多く生んでいた。
何もかもが揺れ動いていた。
人も、幕府も藩も。
そんな時代だった。
「そんなんもいるんや、どこにでもな。八馬屋を使ってる上役を締め上げたら吐いた」
八馬屋とはこの場合、藤本のような暗殺者を使っているという内輪の隠語である。
藤本には倒幕も佐幕も、思想的なことは何もない。
人を斬るために必要なこと以外で、誰が何々派だとかいう話には興味がない。
ただ黙って、正面を見ていた。
「読瓜への恨みだけで、亜弥々姫のことはよく知らずに、
ただ徳光殿の警護がゆるくなるってことだけで斬らせようとしたんや。
それだけで単純に読瓜の勢いをそげると思うとったらしい」
藤本は斬らなくていいという言葉を思い出す。
命令を下した人間は、本当に亜弥々姫のことなどどうでもいいと思っていたと、いうことか。
胸がわずかに高鳴った。
「浅はかな連中や」
つんくは苦々しく言った。
「これで公武合体派は読瓜側の徳光殿と、藤井君も失った。
幕府の連中が欲をかきすぎるからや。おいしいところ全部持っていこうとしたって無理なんや。
……もう名前だけの策や、意味ないんや」
降嫁批判、国政批判ともとれる言動だった。
そこには京都守護職という重職にありながら、
中央の政事にはなんら口を出すことの出来ない己の無力さへの、
もどかしさがあるのかもしれなかった。
「じゃあ能面の一味は」
「藤本にしろ、その能面の連中にしろ、読瓜内部の筋はないやろと思う。
読瓜ならあの駕籠が何か知っていたはずや。
徳光殿を狙ったにしても、わざわざあの駕籠を襲撃する必要がない。
たぶん、藤州藩やないかと思っとる」
最後の言葉の言い方に、つんくはまだ何かを隠している。と藤本は感じた。
「もし藤州藩の連中やったら、奴らの同盟にくびきを打てるかもしれん」
元来同じ勤王の立場にありながら仇敵でもあったゆえに反目しつづけていた読瓜、藤州両藩は、
昨年、他の諸藩とともに同盟を結んでいた。
西国の倒幕派藩を代表する二つの強大な藩が手を結んだことは、
幕府側にとって大きな脅威だった。
「石川、このことはまだ黙っとけ。お前らだけに言うとるんやからな」
「はい」
これはもう、お上の政事の話や。
はじめにそう言った、つんくの言葉を思い出す。
政事のことなど藤本にはどうでもよかった。しかし、
その中で、あの娘は一人で立っている。
(ほんと、うれしいよ)
(わたしを助けてくれたじゃない)
あやの言葉が、藤本の脳裡によみがえる。
「藤本。あの姫がこれから、すぐにどうこうなるってことは、たぶん無いやろ。
身分がわかってさらったってことは、連中にもあの姫の価値がわかっとるってことや。
捜索にも全力をもってあたらせとる。
お前は能面のくわしいことで、オレらのほうに協力してくれんか。
人相、太刀筋、聞きたいことはこっちにもいっぱいあるんや」
本来ならこの男は、命令して力づくでも藤本を従わせることのできる立場である。
あえてそれをやらずに穏便な言葉で説得しようというのは、この男の性格なのか、
それとも何か含むところがあってなのか。
「あんな……その櫛な」
藤本が黙ったままいるのを受けて、つんくが藤本の手の中の櫛のほうに視線を向けた。
あやに無理矢理持たされた、藤本には不釣合いすぎる豪奢な櫛。
「オレも一度だけ、あの姫とお会いしたことがあってな。
そのとき、お父上――帝からいただいた、たった一つのものや、言うとった。
それ、裏返してみ」
言われるまま、ただ反応するように櫛を裏返した。
そこには、十六の花弁を持った菊をかたどった紋が、小さく一文字だけ刻印されていた。
「ご紋や」
菊花紋章。天皇直系の血筋にのみ、つけることを許されていた紋である。
「本人も最近まで知らされてなかったらしいけどな、織明天皇がご健在やったときに、
たった一つだけお送りになられたものやそうや」
藤本の胸が高鳴った。
「下賜やで」
つんくはそう言うことで、藤本の円滑な協力を促そうとしていたのかもしれない。
しかし藤本はそのとき、
櫛に視線を落としたまま、後ろから頭を思い切り殴られたような感覚に襲われていた。
(もったいないなあ、こんなにかわいいのに)
目の前が真っ白になった。
(今まで本当に、本当に私のために戦ってくれた人なんていなかった)
不意に、美しい鼈甲の櫛の上にぽたりと、一つの雫が落ちた。
「あなた……」
石川が言った。
藤本の目から、つうと一筋の涙がつたっていた。
それは自身にも予期せぬことだった。
蝦夷の地を離れて以来、涙を流した記憶などない。
藤本はゆっくりと顔を上げた。
胸を張り、涙をぬぐわず、ただ落ちるにまかせていた。
これは、自ら涙を流すことの出来ない人形の、
あやの代わりに、自分の目から流れ出てきているのだと、思った。
浄瑠璃のように清らかで美しい、あの姫の。
涙の流れを追うように、庭の桜が舞い落ちていた。
やがて一つの言葉が、藤本の口をついて出た。
「……刀を」
「藤本……」
つんくが困ったような表情を見せた。
確かにこれはもう、藤本の関われるような話ではないのかもしれない。だが、しかし。
(……大丈夫だから)
藤本の胸に、あやの指の感触が残っている。
(みきすけはきっと、まだ、知らないんだよね。きっと)
(ここ。ここにぎゅーっと。ぎゅぎゅぎゅーっとね。するんだよ)
「刀を、くれないか」
確かめなければいけないことがある。
藤本は自分の胸に当てた拳を、強く握った。
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これで第一部が終わりとなります。引き続き第二部をはじめる予定です。
返事はしていませんが、感想、保全等、励みになっています。ありがとうございます。
早保。
カッケーすよ。娘小説最近追い始めたばっかですけどこんなワクワクするのは初めてですわ、著者さんガンガレ
作者様へ
第一部終了お疲れ様です。
第二部も楽しみにしております。
保全
イイカンジ
第二部
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一、その名は
四条通りの少し奥まったところにある、
旅籠の裏口の脇にできた軒下の小さな日陰で、
亀井絵里は緊張していた。
通りを行く人の群れは、そんな亀井に全く気づかず通り過ぎていく。
とく、とく、と胸が高鳴っている。
うだるような夏の京都の暑さに、額に浮き出た汗がつつーと、
亀井の家鴨のような口の横をつたって、顎の先から落ちる。
「そろそろだ」
前で建物の中の様子をうかがっていた新垣里沙が、振り返って小声で囁く。
「はい、組長」
緊張した面持ちで大きく頷くと、
新垣は亀井の目をじっと見て何かを確認したように口を一文字にして二度三度、小さく頷き、
また前に向きなおる。
壬生娘。組が新編成された後の、最初の大きな捕り物だった。
そのこともあってか、今日は副長の矢口真里自ら出陣し、指揮をとっている。
亀井は幹部候補生として、今は組頭――副長助勤の一人、新垣里沙の下に、
伍長としてついている。
新垣は見た目は小柄で華奢だが槍の名手で、
その明るくさっぱりとした人柄から、多くの隊士に慕われている。
亀井たちが加入してくるまでは組の最年少だったために、
先輩幹部にもよく可愛がられていたらしく、
加入した新人の教育係に抜擢された時はそれは張り切って、
その張り切りぶりから「よ、塾長!」と矢口らに、よくからかわれていた。
組の大幹部である安倍、飯田、矢口たちは、会合で顔を合わせるたびに、
自分こそがもっとも娘。組を愛しているのだ。いや自分だ。と、
喧嘩しそうな勢いでよく言い合う。
新垣はそんな彼女らを遠くで嬉しそうに眺めながら、
いや自分こそが、そんなみんなを含めた娘。組を一番愛しているのだ。と、
笑ってよく亀井に言った。
亀井は、そんな新垣も含めた娘。組を、自分こそが一番愛していると言いたい、と思っている。
気がつくと、新垣が振り返って、亀井のほうをじっと見つめていた。
それを見て亀井は、不思議そうに首をかしげる。
「……?」
「か〜めい〜」
自慢の濃い眉を釣り上げながら言う、妙に芝居がかった大袈裟な言い方。
新垣は亀井を叱るとき、いつもこういう言い方をする。
本人の中に、何かそういった教育者像のようなものがあるらしい。
「はい?」
「ニ〜ヤニヤしてんな」
「あ、は、はい」
亀井は思わず口元を押さえた。知らないうちに、新垣の背中を見る顔が微笑んでいたのだ。
「くねくねするな〜」
「は、はいっ」
言われて反射的に背筋を伸ばす。
困った時に思わず体をくねくねさせてしまうのは、亀井の悪い癖である。
「しっかり、しろ〜」
「押忍!」
新垣が再び背を向けて建物の中に集中したのを確認すると、
亀井は気持ちを落ち着けるように深呼吸をし、
青く澄みきった空を見上げて故郷の両親のことを思った。
(お父さん、お母さん。絵里はこれから、人を斬ります)
家鴨のような口を、強く結んだ。
亀井たちのいる裏口とは反対側の、通りに面した表口の方が騒がしくなる。
斬り込み隊が、旅館の玄関から突入した。
「御用改めである!」
先頭は副長の矢口真里。組で一番の小柄だが、胆は誰よりも大きい。
「壬生娘。さくら組副長! 矢口真里!」
と同時に建物の中で叫び声と怒号とが交錯する。
「上がれー!!」
「おおー!」
「どけっ」
「ちょ、ちょっと待っておくんなはれ」
「壬生娘。組やー!」
胸の鼓動が一段と高まる
「抜刀しておけ」
中の様子をうかがいながら新垣が小さな声で言った。
槍の名手は、今日は屋内戦闘では不利になるため、槍を刀に持ち替えている。
「はい」
亀井は腰の黒い鞘から、白い刃をすらりと抜いた。
初めての突入経験だった。
目的はこの旅籠を隠れ家にしている藤州浪士らの摘発。
その中でも特に重要人である、濱口優と有野晋哉両二名の捕縛。
数々の悪事をはたらきながら自らを「よゐこ」と名乗る不逞の輩である。
亀井たちは、それが裏口に逃げた場合の待ち伏せの役割を担っていた。
「娘。組や」
通りを行く町人が突入に気がつき、ひそひそと呟きあい始めている。
人々の視線が外の亀井たちに集まってくる。
「壬生狼(みぶろ)や……」
「壬生の狼どもや」
皆、遠巻きに畏れと好奇心の混じった視線を送ってくる。
しかし決して目は合わせようとはしない。
亀井はそんな町人たちの視線に耐え切れず、思わず目を伏せる。
「亀井!」
背を向けたまま、新垣が渇を入れる。
「はいっ」
背筋を伸ばす。
「目を離すな」
静かに言った。
「……押忍」
「追えー!」
屋内が俄かに緊張に包まれる。
その時、亀井が上を指差した。
「あ、上!」
建物の二階の障子が開き、数人の浪士が外に逃げ出そうとしていた。
「濱口さん、こっちだ」
「ちょ、ちょい待ってや〜」
赤ら顔の濱口は徳利を片手に持ったまま、浪士に引きずられるように現れ、敷居をまたいだ。
「こっちだ! ニ階から逃げるぞ!」
亀井の発見を受けて新垣が周りに向かって叫んだ。
「あ、やべえ〜」
濱口は焦って、屋根の上をどかどかと逃げ始めた。
勢いよく踏まれて割れた瓦の破片がぱらぱらと下に落ちてくる。
「ガキさん。逃がすな」
二階の窓から色の白い、まるで美男子のような娘が顔を出した。
二番隊組長の吉澤ひとみだ。
「はい! 追うぞ亀井」
「押忍っ」
人ごみをかき分け、勢いよく走り出した。
濱口らは屋根づたいにいくぶん、移動が遅い。
しかしこのまま通りの死角に入って、他の建物の中にでも入られてしまえば、見失ってしまう。
逃げる先を意識しながら追う新垣の足は速い。
亀井は新垣の背中を必死に追いかけた。
しばらく行くと、
新垣は走りながら近くの団子屋の店先に掛かっている暖簾を見つけ、
ひょいと取り上げると、
「おばさん! ちょいと借りるよ」
と竹竿の端を両手で持ち、
「おりゃー!」
と叫んで、屋根上の濱口らの方向に投げつけた。
赤い布をばたばたとさせながら、青い空を団子屋の暖簾が一直線に飛んでいく。
暖簾は見事に先頭を行く浪士の足元を絡めとり、
「うわああ」「お、おい押すな」「ちょ、ちょっと酒が――」
三人ともを屋根の下に転げ落とした。さすがは槍の名手。
逃げ出した旅籠から五軒ほど先の路上であった。
「痛ってえ〜」
尻餅をついて動けなくなっている三人に、すかさず新垣が詰め寄り刀を突きつけた。
「壬生娘。さくら組五番隊隊長! 新垣里沙だ!
藤州浪士、濱口優! 貴様を――」
が、その時である。
追いついた亀井が、走ってきた勢いそのままに路上の小石につまづいた。
「あ!」
とっさに目の前の新垣の着物をつかんでしまう。
「あ」
不意に後ろから亀井に寄りかかられて、小さな新垣はよろけて地面に手をついた。
「くふぅ」
浪士の一人がそれを見てすばやく刀を抜いた。
「きえええええええ」
迷わず新垣に向かって刀を振り上げた。
「新垣さんっ!」
亀井が叫んだ。
赤い鮮血が、青い空を染めた。
――路上に倒れこんだ二人の前に、黒い影が立ちはだかっていた。
太陽の逆光で、亀井にはその容貌がよく分からない
前の新垣も、同じように影の背中を見上げていた。
新垣に向かって刀を振り上げた藤州浪士は、それを振り下ろすことなく、
立ちはだかった影の人物に胴を横薙ぎにされていた。
「あああああああああああ」
浪士は胸から鮮血を吹き上げながら断末魔の叫びを上げ、路上に突っ伏した。
影は浪士が動かなくなるのを見届けると、
まるで紙片でも斬り捨てたかのように全く揺らぐことなく、
そのまま剣先を地面にへたり込んでいる濱口の顔に向けた。
「濱口、優だな。……私は、壬生娘。おとめ組――」
「藤本!」
影の言葉をさえぎった叫び声の方を亀井が振り返ると、
そこに矢口が立っていた。
亀井の後を追ってきていたのである。
ひときわ背が低いために、背後の群衆の中でも矢口のところだけ頭一つ二つ分、へこんでいる。
矢口に続いて、隊士たちが次々に人ごみを掻き分けて集まってくる。
有野は既に突入組の手によって捕縛されていた。
口を布で縛られているために声を出せず、ひょろ長い体を必死でばたばたさせている。
本人は必死のようだが、なぜかふざけているように見えてしまう。
名を呼ばれた影の人物が、剣先を濱口の眼前からそらさぬまま、ゆっくりと振り返った。
それは狼の装束――
浅葱色の、袖口をダンダラ模様に染めた羽織を着た、藤本がそこにいた。
昏い目をしていた。
冷酷と言うより、無垢と言ったほうが近いのかもしれない。
柔らかくはないが、固いわけでもない。
なにもない。
「捕えろ」
「はっ」
矢口の声に従って、平隊士らが濱口を捕縛する。
まだ赤ら顔の濱口が叫んでいる。
「ていねいに扱えや〜、お前ら。オレはな〜」
隊士たちが濱口らを縛り、連行していく中で、
矢口はむっとした表情で藤本を睨みつづけた。
藤本は足元の新垣を一瞥して、
「……やる気のない餓鬼を前に立たせるな」
そう矢口に言った。
新垣が悔しそうにうつむく。
矢口は何も答えず、ただ藤本を睨んだ。
藤本は矢口の目線を平然と受け止め、しばらく見つめあった後、
「邪魔なだけだ」
と言ってきびすを返し、周りを取り囲む人ごみに向かった。
藤本の姿を畏れる人々が、おののき次々と道を開いていく。
やがて藤本の浅葱色の後ろ姿は、群衆の中に消えていった。
「くっそ〜」
藤本の後ろ姿を見送りながら、新垣が言った。
「藤本さん……」
亀井も藤本の後ろ姿を追っていた。
「……カッコいい」
「はぁ〜!?」
新垣が太い眉毛を八の字にして叫んだ。
藤本を見送る亀井の目が、きらきらと輝いていた。
相変わらずいいっすね〜
あ、やっぱりあの紅白の時に閃いちゃったんですね寺田様
 ̄ ̄| ̄ ̄| ̄|
 ̄| ̄ ̄| ̄ ̄|─‐‐-、
 ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| |
 ̄ ̄| ̄ ̄| ̄|----‐
 ̄| ̄ ̄| ̄ ̄|  ̄ヽi チラ・・・
 ̄ ̄| ̄ ̄| ̄|д゚) ||
 ̄| ̄ ̄| ̄ ̄|中濃 ||)
 ̄ ̄| ̄ ̄| ̄| ー ス/||
 ̄| ̄ ̄| ̄ ̄|----'/
 ̄ ̄| ̄ ̄| ̄|"U ̄
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260 :
ねぇ、名乗って:04/02/19 08:43 ID:HomyRh/U
局を抜けたら切腹、という事は安倍さんは
ごめんあげてもた
sage
保全
>数々の悪事をはたらきながら自らを「よゐこ」と名乗る不逞の輩である。
ワロタ
二、妖刀
京都の夏は、盆地という地理的条件から風のまったく吹かない日がよくある。
藤本は強い陽光の下を避けるように、木陰に一人座していた。
不動堂村屯所。
壬生娘。の名の由来となった壬生村の仮宿から、西本願寺集会所の屯営を経て、
ようやく手に入れた娘。念願の、自分たちのために建てられた自分たちのための新たな屯所である。
それは大名の屋敷にも劣らぬ、まさしく壬生娘。の屋敷と言えるものだった。
新規隊士の加入による新編成にともない、ついこの間、
西本願寺からの大々的な引越し作業が行なわれたばかりである。
藤本はその隅に建てられた大道場の裏手縁側の、
ちょうど木陰になっているところで、黒鞘の大刀を抱きかかえるようにして、胡座を組んでいる。
木漏れ日が、まだらの影を縁側に落としている。
蝉がよく鳴いている。
少し離れた、垣根の方から子供たちの歓声が上がっている。
暇な隊士が近所の子供たちと遊んでいるのだ。
壬生の狼と京洛人に恐れられる娘。だが、
意外にも近所の人間たちとは割と仲良くやれているらしい。
ただ、藤本はそれらには決して近寄らない。人ごみが合わない。
矢口真里は、おとめ組屯営へ向かう石畳の通路をずんずんと歩いていた。
不動堂村屯所では、さくら組とおとめ組の屯営が分けられている。
業務的にもそれぞれ分担されており、そのための区分けである。
それまで壬生娘。が行なってきていた業務を、
この夏から、さくら組とおとめ組がそれぞれ並列して行なうことになった。
屯所内でそれぞれの仕事を営む平隊士たちが、
矢口の形相に恐れおののき、慌てて道を開ける。
鬼副長。ひそかにそう囁かれることもある。
非常に背の高い下駄をいつも履いている。
そのせいか歩き方が少し珍妙なのだが、
本人にとってはそんなことより少しでも身長を高く見せることのほうが大事であるらしい。
矢口はその勢いのまま屯所の一番大きな建物の中に入り、高い下駄を脱ぎ捨てると、
少しでも風を通すようにと戸の開け放たれた廊下をずんずんと進み、
一番奥の障子を開けるなり叫んだ。
「局長!」
「なんだ、矢口」
「矢口さん」
八畳ほどの座敷の中央に、飯田圭織が座していた。
その横に石川梨華がいる。
正座し背筋をぴんと伸ばした飯田は上背があるために、
ともすれば、立っている矢口とそう高さが変わらないようにすら見える。
何か書きものの途中だったらしく、体は机に向けたまま、首だけ矢口のほうに向けていた。
矢口は興奮冷めやまぬといった風に、正面に回ると言った。
「どういうことだ!」
「どうって?」
飯田が矢口を見上げる。
「決まっている。あいつのことだ」
「……まあ、座りなよ」
「あれはうちらの仕事だろ」
矢口は飯田に促されるまま、その場に座った。
「お茶でも、入れてきますね」
そう言って石川は逃げるように部屋を出ていった。
「明らかに越権だ」
藤本のことを言っていた。
矢口は濱口、有野両名を捕えるというさくら組の仕事を、
後から現れた藤本に横からさらわれたと感じていた。
実際に捕縛したのはさくら組だから、本当に横取りされたわけではない。
しかしこれは、組全体としての規律の問題だった。
こういった行為を許しておけば、互いの組の手柄の横取り、或いは補助を期待する甘えが生じ、
職務の線引きが曖昧になり、隊の組織力が弱体化する。
野放しにしておくわけには行かないと矢口は思っていた。
そもそも最近は虫の居所があまり良くなかった。
先日まで矢口は、藤州藩の海事を取り仕切る南原清隆、
内村光良らによる一部局、通称『笑犬隊』に個人的に接触を図っていた。
藤州の独自外交による諸外国からの武器輸入や軍備増強の具合を探るためである。
ところがその幹部らが突然、何者かによって『天誅』で暗殺されてしまい、
南原、内村、そして『三本の矢』を失った笑犬隊は事実上の壊滅。
矢口のそれまでの接触はまったくの水泡に帰してしまった。
読瓜藩の手の者による犯行ではないかとの噂もあるが、
暗殺者の行方は未だつかめていない。
その暗殺者が他ならぬ藤本であったことは、壬生娘。の誰も知らない。
「ん〜……」
飯田が唇に人差し指を当てながら、視線を宙にさまよわせはじめた。
「局長!」
矢口もよく知る、何か考えているようで、あまり考えていない時の癖である。
このままにさせておいても、矢口に理解できる言葉は出てこない。
「まあまあ矢口さん。あ」
石川が茶を三つ、盆に乗せて戻ってきた。
矢口は石川が置く前に盆の上から茶を奪い取ると、一気に飲み干した。
「熱いよ!」
「そりゃあ、入れたてですもの」
「本人はたまたま通りかかっただけだと釈明していたが」
「そんな見え見えの言い訳通じるかよ」
矢口のいらいらは治まらない。
藤本が必ずしも悪いわけではない。
見方を変えれば、命の危険に晒された味方を救ったとも言える。
しかも手柄を横取りしたわけではないのだ。
しかし、それではいけないのだと矢口は思っている。
さくらに与えられた仕事は、さくらがやり遂げなければいけない。
たとえそこで重傷を負ったとしても。
それが戦いの最前に立つ者の責務というものだ。
初陣の亀井と、新しく幹部に昇進した新垣はそれをやり遂げなければならなかった。
それをあんな形で、あっさりと横から持っていかれてしまった。
恐らく藤本にはそんな意識は全くなかっただろう。
ただ、その場の処理をするためにもっとも効率のいい手段を選択しただけである。
それは今まで単独で行動してきた藤本には理解できないであろう、矢口なりの組織の論理だった。
矢口には、壬生娘。をここまで大きくしたのは自分ら初期の人間だという自負がある。
小さな甘えの積み重ねは、いつかギリギリのところで組織にとって大きな穴になる。
また。どこのものとも知れず、
いきなり壬生娘。に入ってきた者にやすやすと任務を遂行されてしまうことに、
抵抗感があったのも正直な気持ちではあった。
「矢口さん、まあそう言わずに」
気まずい雰囲気を取り繕うとしてか、石川が横から口を挟む。
「ほら、ああやって小っちゃなかわいい花でも、地面の下に大きな根っこがあるんですよ?」
部屋の外、廊下の先に見える、庭の隅に咲いた黄色い小さな花を指さす。
「もうこんな、こおんなおっきな根っこなんですよ」
大袈裟に目を大きく開けて手を広げてみせる。
「これって何か私たちに似てませんか?」
石川は一人でニコニコとしているが、二人は言わんとしていることがよく分からず、
微妙な面持ちで二の句を継げずにいる。
「……これって、おもしろくないですか?」
「わけわかんないよ!」
「石川は時々変なこと言うね」
「そんな〜。……みなさん前向きに行きましょうよ。そう! 前向き前向き!
ほら、どうですかこの桃色の柄。五条通りの呉服屋で見つけたんですけど、
わたしに似合うと思いません?」
ニコニコとしながら反物を取り出して矢口に見せる。
「きしょいんだよお前は! 空気読めよ!」
矢口は思ったことは結構そのまま口に出してしまうほうである。
「矢口さんひどいっ」
石川はよよよとその場に崩れた。
「まあ、色々とあるのだよ」
飯田は曖昧に呟いた。
飯田も実は、心中どうしたものかと悩んでいた。
藤本には、諸士調査役兼監察という役職を与えている。所属はおとめ組。
内外の情報を収集し、上に報告する役である。
各隊の組頭と同じく副長助勤並の幹部扱いだが、
組頭のように部下は持たず、ほとんどが単独で行動する。
組織というものに慣れておらず、
また寺田と直接のつながりを持っている藤本には、
そのほうが何かと都合が良いだろうという判断だった。
しかしその役職のために、今回のように結果的に他の組の仕事とかち合ってしまうこともある。
どうも藤本はその辺りでの他組に対する気遣いが根本的に欠落しているらしく、
独断で行動に走り、相手の矜持を無闇に損なってしまうようなこともあった。
今回も実は、藤本がさくら組の現場に向かうのを飯田は知っていた。
それを察し、外に出ようとする藤本を呼び止め、
普段は本人も着ていない浅葱色の隊服を着るよう、わざわざ言ったのである。
かち合う部外者やさくら組隊士らに藤本が壬生娘。であることを認識させるためだけでなく、
藤本本人にもあくまで個人としてではなく、壬生娘。組隊士としての自覚を促すためであった。
実際、藤本は規律でがんじがらめに縛りつけてしまうには惜しい、優秀な人材ではあった。
正直なところ今の娘。組には人材が不足している。
人付き合いなどから収集するような情報には疎いが、
各藩、不逞浪士らの動向などには敏感で、
驚くほど客観的で正確な情報を飯田に上げてくる。
剣の腕も言うまでも無い。
あの、読瓜駕籠襲撃で対峙した時のことをまだ覚えている。
適度に抑えられた剣気。
飯田の細かな仕種、体(たい)の流れを、藤本が完全に追いきっているのがわかった。
獣の集団を統括する局長たるこの自分をして、
全力で立ち向かわなければ克ちきれない相手と思わせた。
何よりもそのとき飯田を戦慄させたのは、
邪心の全く無い、まるでからくり人形を思わせるようなその正確な動作だった。
人としての心の揺らぎが見えなかった。
殺人に向かう者特有の、情念のようなものが何ら感じられなかった。
いかに人斬り集団と恐れられる壬生娘。組の者でも、
人を斬ることに対してそれぞれ形は違えど、
皆、何か畏れのようなものを心の内に持っていることを飯田は知っている。
藤本にはそれがなかった。
同じ組の者として接するようになった今ならその理由が少し分かる。
あの娘には何か欠けている。
藤本には人としてあって当然の、中心の何かがぽっかりと抜け落ちているのだ。
それが飯田には何よりも恐ろしく感じられた。
「とにかく。しばらく間をやってもらえないか」
飯田は考えた末に、そう言うしかなかった。
「巡回に行ってくる」
矢口は半ば諦めたように、立ち上がる。
「……あいつは、いつか娘。を崩壊させる」
飯田を睨み、そう言い捨てて部屋を出ていった。
「あ、矢口さん」
石川が矢口を目で追う。
「いいんですか?」
飯田に訪ねる。
「……いいよ」
矢口の言い分も飯田はよく分かっている。
本音を言えば、自分も藤本を心から歓迎はしていなかった。
藤本の事情をある程度解っているのは飯田と、あとは石川くらいである。
その二人でさえ、まだ分からないことが多くある。
藤本が壬生娘。にとって本質的な同志でないことも分かっている。
矢口にも自分の想いを全て話してしまえればいいのかもしれない。
だが言ってしまえば、矢口はその気性のまま猛烈に反対するだろう。
そうするわけにはいかないのだ。
藤本美貴を壬生娘。として受け入れる。
それは幕府や寺田との関係性から、組の局長として、飯田が自分で判断したことであった。
「新しい隊服だぞ!」
「おお〜!」
藤本のいる道場の表側。
中庭のあたりに荷物を抱えてやってきた数人の隊士のもとに、
手空きの隊士たちが群がりはじめていた。
新編成、屯所移転に合わせて、隊服も一新することになっていた。
そして隊服と共に『娘。』の文字が染め上げられた隊旗、
『桜』『乙女』の字がそれぞれ書かれた隊旗、提灯も新たにしつらえられた。
藤本は“あて”が外れたことに、少しいらついていた。
ある筋から、藤州脱藩浪士の有力者、濱口、有野が浪士を集めているとの情報を得た。
藤州藩と読瓜藩の同盟に関係することで密会を重ねているという。
藤本はそれを聞き、すぐさま現場へと向かった。
たまたま飯田に呼び止められ、隊服を着ていくようにも言われたので、
少々鬱陶しくもあったが、特に拒否する理由も無かったので言われるがままにした。
その時、飯田に、
「お前は壬生娘。組の隊士なんだから、壬生娘。らしく行動しろ。
昼に梟が森を飛んでいたらおかしいだろう。それと同じだ」
と言われた。
局長の飯田は、時々わけのわからないことを藤本に言ってくる。
よくわからなかったので軽く受け流した。
――(大体の事情は聞いた)
壬生娘。加入に伴って初めて顔を合わせたとき、藤本は飯田に、そう切り出されたのを覚えている。
(会府藩ゆかりの者だそうだな)
実際は違う。
しかし、京都で幕府の命により暗殺を行なっていたと言うわけにもいかないので、
会府藩付で主に密偵活動を行なっていたということに寺田がした。
寺田の屋敷で目覚めたとき横にいた色の黒い女が、
壬生娘。組の幹部であったことも、その時に知った。
壬生娘。組は同じ志を持つ者たちによって結成された組である。
新隊士は常に募ってはいるが、剣力、学、思想性など審査は厳しい。
いくら組の後ろ盾となってもらっている会府藩藩主の申し入れとは言え、
獅子身中の虫のような自分を受け入れることには忸怩たる思いがあるだろう。
向こうは藤本と寺田の本当の関係性もよく知らないのである。
だからあえて、本来なら隊長級の力を持つ藤本に部下はつけなかったのだろう。
娘。組は実力主義が建前で、
実力さえ認められれば、段階を踏まず一気に伍長、組頭になれることもある。
藤本を監察にしたのは、平隊士を囲い込み、組が内部崩壊する可能性を恐れているからだろう。
ただ、隊務に縛られることなく、一人で自由に行動できるのは、
藤本にとって単純にありがたいことだった。
しかし、そうして捕まえた濱口、有野の両名は、
藤本が最も欲する能面についてのことは結局何も知らなかった。
と。それとは正反対の方向の、藤本の背のほうで、がたんと大きな音がした。
建物の戸が勢いよく閉められた音だ。
いらつくように強く踏み鳴らされる高い下駄の音が、
かんかんかんと少しづつ近づき、横の石畳を通り過ぎ、
そしてはたと何かに気づいたように止まった。
見ると、副長の矢口が黙ってこちらを睨んでいた。
木陰の下の藤本の方から見ると、炎天下の石畳に立つ矢口の姿は白く、眩しい。
藤本は何の感情も持たず、ただ何故か自分を睨んでいる矢口を見つめた。
「おいらは認めないからな!」
矢口はそう言い捨てると、再び高い下駄の音を鳴らしながら、
石畳の上を正門のほうへ歩いていった。
藤本は何も感じることなく視線を正面の木立に戻すと、
抱きかかえるようにしていた刀の黒鞘に、何気なく手を触れた。
刀を手にしていると、心が落ち着くのが自分でもわかる。
(刀をくれないか)
そう言った藤本につんくから渡されたのが、この刀だった。
堀川にある寺田の別邸では、
風を少しでも入れるためか、いたる所の戸が開け放たれていた。
人けのない静かな屋敷の中で、遠くの蝉の声に混じって、茶せんを振る音がする。
寺田が茶を点てていた。
冬には炉であった部屋中央の穴は畳でふさがれ、
横に風炉と呼ばれる、夏用の湯沸かし器が置いてある。
特に仰々しい作法はない。ただのくだけた茶である。
炉の穴があったところを挟んで向いに、二人の男が座っている。
名をそれぞれ鈴木おさむ、都築浩と言った。
「つんく」の個人的な友人である。
どちらも西南雄藩とも縁が深いが、
特にどこかに深く肩入れするようなことはせず、多事に関わり続ける浪士である。
幕府とも繋がりがあるとの噂があり、壬生娘。の結成にも関わっている。
「ところで。八馬屋の娘を、入れたそうで」
鈴木が言った。
――(刀を、くれないか)
藤本の言葉が、寺田には少々意外だった。
寺田の知る藤本は、そういう人間ではなかった。
頭が悪くない。
己の分を知り、過ぎた欲は持たず、自分の身に余ることには関わらない。
ただ言われるがままに人を斬る。人を斬ることに罪の意識も持たない。
幕府にとってこれほど使いやすい者はない。
そんな人間だった。
今回の亜弥々姫の件、明らかに藤本が関われる大きさではない。
途方もなく身分の高い人間が、たまたま襲撃した場所に居合わせただけである。
事情をきちんと話せば、あっさりと手を引き、こちらが望む協力だけを得られると思っていた。
それが、従わなかった。
「ああ、入れたな」
茶を点てながら、そうとだけ寺田は言った。
「どんな、つもりで?」
興味深げに鈴木が追い討ちをかける。
「つもりて言うかなあ」
「ただの思いつきとか」
都築が言った。
面白い。と、確かにつんくは思った。
何があの、冷徹で無垢な藤本の心を動かしたのか。
――(お前、なんでそないにあの姫にこだわるんや)
あの時、いくら寺田が聞いても、藤本は決して答えなかった。
もしかしたら、本人にもよくわかっていなかったのかもしれない。
(ひとつ、オレと取り引きをせえへんか)
しばらく思案した後に寺田は言った。
(お前、壬生娘。組に入らんか)
藤本よりも、横にいた石川が驚いていた。
藤本には、寺田の筋から手に入った亜弥々姫の情報をこれからも下ろしてやる。
姫の身柄が戻れば、目通りさせることも考えてやらなくはない。
ただしそのかわり、壬生娘。組に入り、組のために働けと。寺田はそう言った。
(上のほうにはオレが話を通してやる。どうや?)
(……なにが、狙いだ)
(何って。京の平和を守りたいだけや。京都守護職やからな)
寺田はそう言ってへらへらと笑った。
「ははは、そうかもなあ」
寺田は都築の言葉に笑いながら、茶を差し出した。
「壬生娘。組の中にいる藤本が見たくなったんや」
「また適当なことを」
鈴木が半笑いで言う。
寺田の身分を気遣いながらもからかう、少し媚びへつらったような笑い。
「いやいや、ほんまやで」
「はあ……」
寺田は二人が困惑する姿が楽しくてたまらないらしく、
嬉しそうににやにやとする。
「ちょっとまじめな話をするとやな」
「はいはい」
「今回の件で、御庭番が動いとる」
茶碗を持った二人の動きが一瞬止まる。
「御公儀。……ですか」
公儀御庭番とは将軍直轄の隠密である。将軍の命だけを受け、将軍のためだけに働く。
その名のとおり将軍家のお庭の番という役目を隠れ蓑として、
将軍の手足となり情報を収集し、時には破壊活動も行なう手練(てだれ)の集団である。
「御庭番は、藤州やないかと見とるらしい」
二人は押し黙った。
いかに多くの藩の政事に携わった二人とは言え、
公儀御庭番の話ともなればそれは禁忌にも近い。
大袈裟な話、たった今この場の会話を御庭番に聞かれていても不思議ではないほどなのだ。
茶をずずっとすする。
都築が黙ったまま、気まずそうに茶室に目線を泳がせた。
床の間に、ふと目が留まる。
いかにも京都の治安を守る武家の茶室らしく、
そこには掛け軸や壺などではなく、刀が飾られていた。
専用の掛け台に縦に置かれたそれは、黒光りする漆塗りの鞘、金の鍔、金糸を巻かれた柄、下緒。
と、いかにも宝刀といった豪奢な拵えである。
「そう言えば。あれをその娘に与えたそうですね」
「ああ、あれか」
また寺田が何を思ったのか、不思議と嬉しそうな顔になった。
「いいんですか、一介の浪人者に」
「ん、ええんや」
あれとは会府藩に伝わる宝物の一つで、
『独り舞台』と別名のある刀だった。
黒い石目塗の、地味な何の変哲も無い鞘。
拵えにもこれといった特徴は無い。
藤本の抱えている刀である。
しかしそこに収められた刀身は、どこか心を惹きつける。
反りはやや深く、細い。
反りが浅く肉厚の、現在流行しているいわゆる『勤王刀』と呼ばれるような刀とは一線を画している。
まるで古刀のようである。
重量は普通の刀と変わらないはずなのだが、
重みの散り具合が良いのか、持つと柄が手に吸い付くように、驚くほど軽く感じられる。
抜きん出た実力のために研修期間を必要としなかった藤本は、
他の同時加入した隊士より先に現場に就かされ既に何回かの突入を経験している。
『独り舞台』の切れ味は驚くほど鋭かった。
濱口を捕えるために浪士を横薙ぎに斬った時も、
すらりと、決められた軌道の上を奔るように刃紋が宙を滑った。
その斬り口は浪士の胸から背骨まで達した。
藤本は寺田の提案を受け入れ、あの屋敷で有紀と詩子の看病を受け、養生した。
傷はもう癒えている。
だが。まだ足りない。まだ。
自分にできることは、ただ斬ることだけだ。
そうすることでしか何かとてつもなく大きなものに対して、
自分が関われる方法はないと思っていた。
しかしこのままではあの白般若すら斬ることはできない。
あの時は傷を負ってはいたが、
たとえ傷を負っていなくとも互角に渡り合うことが出来たかどうか。
もっと、鋭くならなければならない。
あやに会わなければならない理由があった。
藤本は縁側の上ですっと目を閉じ、神経を研ぎ澄ました。
目の前の、葉の一枚が落ちるのも聞き逃さないように。
(……?)
すぐ近くに、何かの気配を感じた。
すると、まるでそれを邪魔するかのように、子供たちの声ががやがやと近づいてきた。
目を開くと、おとめ組の道重が子供を引き連れて歩いていた。
「あ、藤本さん。こんなところで何してるんですか」
道重が藤本の姿に気がつき、呑気に言う。
子供たちがわいわいとついてくる。
皆一様に、上のほうをきょろきょろと見ている。
「こっちじゃないのかなあ」
「どこにいるんだー」
「でてこーい」
何かを探しているようである。
「あ! いた!」
子供の一人が、藤本の前の木を指さした。
それに合わせるように、にゃあという小さな声が、木の上のほうで聞こえた。
枝の上で、小さな子猫が震えていた。
「ほんまお宝やで」
寺田が言った。
「オレもちょっと振ったことがあるけど、ありゃ妖刀やな」
銘は打たれていないが、江戸初期の刀工、武州住上杉洋史の作と言われている。
あまり知られた刀工ではない。
しかし、その一振りにだけは、ちょっとした“いわく”がある。
ある古物市に、それはあったという。
ある武士がそれを見つけ、手にした。
地味な黒石目塗の鞘に地味な黒巻きの柄。
しかしその場で試しに抜いて見ると、
反りがやや深く細身で、まるで古刀のようだが、
乱れ刃紋の刀身はそれは美しく、武士の心を魅了した。
すると突然、武士は手先から痺れていくような感覚に襲われた。
まるで阿片を吸わされたような、幻想的な気持ちになった。
気分が高揚し、浮かれたような状態になった。
気がつくと、周りでいく人もの人間が血を流し倒れていた。
話を聞きつけた奉行所の与力たちが駆けつけた。
近くの武士も数人駆けつけた。
しかし誰も、その刀を手にした武士を止めることが出来なかった。
浮かれ状態の武士は群集の中心でただ独り舞い踊り、
止めようとする与力、武士をことごとく斬り捨てていった。
周囲で見ていた人が後に話したことによれば、
それはさながら、独り舞台のようであったという。
無論、ただの伝説である。
後に実際に幾人もの人間が『独り舞台』を抜いたが、
そのような惨事になったということは、いくつかの眉唾物の伝承を除いて、聞かない。
伝説とは、得てして周りの人間が勝手におもしろおかしく作り上げていくものである。
ただ、周囲の人間が『独り舞台』をそうして畏れたのは事実であるし、
確かに見事な刀ではあったので、宝物として大名に預かられることになった。
「なぜそこまでその娘に?」
寺田は少し考えたあと、笑顔で言った。
「わからん。なんか、面白いかなと思っただけや」
「またそんなことを……」
「しかし、おもろい顔するようになったもんやなあ。藤本」
寺田は遠くを見ながら感慨深げに、呟いた。
とても、藤本が人斬りをするようになったきっかけを作った人間が言うようなことではない。
都築が言った。
「楽しんでるんですか? つんくさん」
「どうやろな」
「降りられなくなっちゃったのかな」
道重が爪先を伸ばして木の上方を覗き込む。
子猫は高い枝の上で縮こまり、動けなくなっている。
手を伸ばすが、届かない。
局長の飯田くらいの背なら、手を伸ばせばなんとか届きそうな高さではある。
生きた経験の少ない幼い猫は、知らず知らずのうちに高いところまで登ってしまい、
愚かにも自力で降りられなくなってしまうことが、たまにある。
「重ちゃん、どうしよう〜」
子供たちが道重を見上げる。
道重は困ったように口に手を当てて一人思案する。
「木に登るとか! あ……でも。細いから揺らしちゃったら危ないし……、
じゃあ! 箒でも持ってきて……、でも掃ったりしたら落っこちちゃうかな……」
ああでもない、こうでもないと、子供たちが口々に騒ぎ立てる。
子猫はにゃあにゃあと鳴いている。
一人で静かにしていた藤本にとっては、迷惑この上ない状況である。
「藤本さん。どうしたらいいと思います?」
しかしそんなことはまったく気にせず、道重は助けを請うように藤本を見る。
子供たちも追って藤本を見た。
道重の期待が子供たちにも伝わったのか、
自分たちの見知らぬ謎の武士に対し、
まるで未知であることが、どんな不可能も可能にしてしまう法力使いの証であるかのように、
無邪気な期待のまなざしを藤本に向ける。
藤本はふと、八馬屋で、突然子供に泣き出されたことを思い出す。
うっとうしい。と思った。
「藤本は野生の獣や」
寺田が言った。
「壬生娘。も獣やが、ちょっと檻の中に入ってたのが長かったかな、
おとなしくなってきてしもうたからな」
寺田は茶碗を持った。
「なんか変わりはじめた野生の獣に『独り舞台』をやったったんや。
それが今度、壬生狼。の中でどう生きるか。それはまあ、
娘。とっても、藤本にとっても、見ものやな」
と、葉が一枚、茶室にひらひらとどこからか入り込んできた。
「やっと風が吹いてきましたかね」
都築が言った。
日が傾きはじめ、山の上からわずかな風が降りはじめてきたようである。
どこからともなく有紀が現れ、あちこちの開け放たれた戸を丁寧に閉めていく。
一枚の葉を見ながら、ふと寺田は思った。或いは……
「なんか、託しとるのかもしれへんなあ」
「え? なにか言いました?」
鈴木が言う。
「いや、ええわ」
つまらない感傷だ。と、寺田は思った。
日が傾いたせいか、屯所の周りにも風が吹きはじめた。
と。ふうっと強めの風が、屯所の中を駆け巡った。
道重と子供たちはいっせいに、とっさに顔をそむけ、目を閉じた。
その瞬間。
かん、と。小さな堅い音がするのを道重は聞いた。
それは道重もよく知る、刀を鞘の中に納める音だった。
一体どこから聞こえたのかと道重がきょろきょろ辺りを見回すと、
それまで縁側に胡座をかいていたはずの藤本がいないことに気がついた。
「あ、藤本さん」
立ち去ろうとする藤本の背中を、少し離れたところに見つけた。
しかしもう届いていないのか、藤本は声に全く反応せず歩いていく。
何か悪いことでも言っちゃったかな、と呑気に思う道重の後ろで、子供が叫んだ。
「あ!」
声に振り返ると、木の上で縮こまっていたはずの子猫が道重の足元に立っていた。
子猫は何事も無かったかのように、にゃあと一つ鳴き、そのまま木陰に消えていく。
そばに、子猫が乗っていた枝が落ちていた。
黒く、大人の手首ほどの太さのあるそれは、
まるで何度も鉋を掛けられたかのような滑らかな白い断面を、道重のほうに向けていた。
かっけー
川VvV从<保全。
すごいなぁ。これはすごいよ。
保全
ぼちぼちn日っぽいよ。
ならば保全
新スレを立てるか、移転してみるのはどうでしょうか。
このまま保全しながら更新を待つのが一番良いんだろうけど。
ズバっと保全
コマメニホゼン
できるだけ保全。
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とり急ぎ。
ご指摘ありがとうございます。8日でn日なんですね。
こまめに保全していただくのも申し訳ないので、以下のスレに移動しようかと思います。
公式本
http://ex4.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1077226319/ 更新はまだです。
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