マネージャーの真也が運転するワゴン車の後部座席で
安倍と矢口は自分のホウキをギュッと握っている。
午後の授業を抜け出して、松浦に
「ある場所に連れて行くから、それなりの準備をして」
と、言われ、とりあえずホウキを持ってきたのだ。
「ねぇ、ここ数週間で この街の空気が変わっている事に気付いていた?」
窓の外を見ていた松浦が、訳知り顔で聞いてきた。
「空気?」
顔を見合わせて、キョトンとする安倍と矢口。
「その顔じゃ全然 解かってないみたいね」
フフンと小馬鹿にしたような顔の松浦。
「どういう事だべ?」
「…私は、週に一回か二回しか この街に帰ってこないから
余計に解かるのかもしれないけど、帰るたびに街の空気が違うのよ。
…まぁ簡単言えば、魔界の空気が濃くなってきていると言う事。
このままじゃ、近い将来 朝娘市自体が本当に魔界に飲み込まれるわ。
だから、その原因の場所に これから確かめに行くのよ」
そう言いながら松浦は2人に飴玉を渡して、自分も頬張った。
「マジかよ?だ、大丈夫なのか?」
渡された桃味の飴を舐めながら矢口が聞いたが、
「フフ…大丈夫じゃなかったら、死ぬかもしれないわね」
と、松浦が返したので、「ウグッ」と飴を喉に詰まらせた。
「し、死ぬって…何処なの?その場所って?」
矢口の背中を擦りながら、安倍が聞く。
「見えてきたわよ」
車の前方を促す松浦。
「あの山は…」
ワゴン車のフロントガラスから見えてきたのは、以前、小川麻琴を
救うために解毒剤を貰いに行った事の有る、
小川神社が所在する霊山『小川山』だった。
安倍と矢口には普通にしか見えない小川山も、
師匠の石黒を凌ぐ潜在能力を持つ松浦亜弥には、
霊山から渦を巻いて立ち上る不気味な妖気が、
魔界街に降り注ぐさまが見て取れているのだ。
駐車場にワゴン車を止めて、真也を含む4人が降り立ったのは、
鳥居がそびえる小川神社の入り口だ。
「見える?」
鳥居に向かって顎をしゃくる松浦。
「何がだべ?」
「結界よ」
松浦は、アンタ達には見えなくて当たり前、と、当然のように答える。
「はぁ?結界?」
「そう、この山一帯に侵入者を感知する結界が張られているわ。
一般の参拝客と、私達みたいに意識して侵入する外敵とを区別する、
意識帯がバリヤーのように張めぐらされているわよ」
そう言いながら、松浦が小川山を見上げた。
「外敵って…おいら達がかよ」
「先輩達は違うかもしれないけど、私は敵意を持って入るわ。
…確認したい事が有るの」
「確認って何だべ?」
「私を敵として認識するって事は、私のバックにいる
魔界街の最高権力者の つんくを敵に回すって事よ。
その覚悟が、この神社に居る連中に有るのか確かめるの」
薄く笑う松浦の微笑みは、2人の喉をゴクリと鳴らした。
「し 市長さんって、ぁゃゃのファンなの?」
「そうよ、私の一番の支援者…」
桃味のキャンディをパクンと頬張るアイドルは、
小川神社の鳥居を楽し気にくぐった。
小川神社の境内に有る、小さな御堂の中で、六鬼聖の3人娘は
ドクロの水晶に映る、松浦とマネージャーと2人の一般高校生を
キャーキャーとハシャギながら見ていた。
「ぁゃゃだ!本物のぁゃゃだ!」
「サイン貰おうよ!」
「でも、結界に引っ掛かったよ!」
「ふーん…で、ヤバイのかい?」
ほの暗い御堂の中で腕組みをして、壁に寄りかかる新垣里沙は、
アイドルが結界に反応した事を訝しがる。
「結界に引っ掛かったから何か企んでると思うよ!」
「あの大男がヤバイんじゃない?」
「でも、たいした事ないと思うよ!」
「ちょっとぉ、『思う』って何よ…頼りないねぇ」
フウッと溜め息を付く新垣。
「なんだって!」
「バカにすると許さないよ!」
「また腹痛の術を掛けるよ!」
「うっ!…じゃ、じゃあ私は何人か連れて様子を見てくるよ」
少女には似つかわしくない極太の眉毛がピクピクと動き、
腸が捻じれる地獄を味わいたくない新垣は、
いそいそと御堂を出て行った。
楽しげに鼻歌を歌う松浦を先頭に、安倍 矢口 真也の4人が
小川神社に続く階段を上っていくと、
眉毛が太い少女を先頭に、2人の男が立ち止まっていた。
「さっそく来たわね」
松浦の唇の端がキューッと吊り上がる。
その松浦の背中を安倍がツンツンと指で突付いて小声で聞いた。
「なっち達は何をすればいいんだべ?」
「…何の為にホウキを持ってきたの?
ヤバくなったら飛べばいいじゃん」
意地悪そうに、松浦が答える。
「と、飛べないべさ」
「…じゃあ死ぬかも」
言葉もない安倍に向かって そっけなく返した松浦は、
新垣と向き合い、黙って相手の出方を伺った。
「…聞きたいんだけど、何しに来たの?」
腕を組んだ仁王立ちの新垣は、松浦を見た瞬間、
ただのアイドルでは無い事に気付いた。
「とりあえず、魔界街を代表して言うわ。
…この神社から湧き出す妖気を止めてほしいんだけど」
ぶしつけに聞いてきた新垣に、松浦も すぐさま本題を切り出した。
「ハァ?魔界街を代表?…バカじゃないの?
アイドルだからって、この街の代表なんて笑わせるわ」
プッと吹き出した新垣が、後ろの2人の魔人に目で合図を送る。
前に出ようとした魔人達に向かって、ピッと右手を挙げて止めた松浦は、
「私のバックには、つんく が居るのよ」
と、一歩前に踏み出し、
「私を襲えば、この街の最高権力を敵に回すという事が解かって?」
そう言って、セーラーの胸ポケットから一枚の紙を取り出した。
つんくが松浦の支援者なのは事実だ。
だが、今の松浦の行動を つんくが支持するかと言えば、
それは つんく本人に聞いてみなければ分からない事。
つまり、松浦が勝手に魔界街代表みたいな顔をして、
ハッタリを言ってるだけなのだが…
もし、それが事実なら…と、顔を見合わせてビビる2人の魔人は
新垣が唯一命令する事ができる、下っ端中の下っ端魔人だ。
ピクピクと新垣の眉毛が動く。
「だ、大丈夫よアンタ達。いずれ この街は小川様が支配する事になるから」
そう言いながらも、松浦を恐れた新垣は一歩引く。
「へぇ、本当?」
冷ややかに言い返しながら、松浦は五芒星が描かれた紙を手の平で返すと、
その紙は銀色に煌くホウキに変化した。
「やゃゃやや、やっておしまい!」
そのホウキを見て慌てた新垣に命じられて、襲い掛かろうとした魔人達は
突然舞い上がる強風に煽られ、ズズッと後ろに下がる。
「フフン、少しはヤル気になったみたいね」
純銀製のホウキを軽々と手に持つ松浦が、自分の後ろを振り向くと、
安倍と矢口が自分達のホウキを魔人に向けて、必死に振っていた。
「じゃあ、私も…」
言うと同時に松浦も銀ボウキを振る。
松浦の銀ボウキは風が出ない。
その代わりに、針状になったホウキ部分の銀を無数に飛ばす。
そして、危険な銀の針は放射状に放たれ、2人の魔人を一瞬にして針ネズミにした。
言葉も無くドサリと崩れ落ちる魔人達と、悲鳴を上げて血に染まる新垣里沙。
魔人の一人を盾にして、針地獄を辛うじて避けた新垣も
肩や足に十数本の銀針が刺さり、転げまわって泣き叫んでいる。
「今、殺した2人は『魔人モドキ』ね。あっさりと殺され過ぎ、弱すぎるもん。
でも、このバカ娘の悲鳴を聴いて本当の魔人共がワラワラと湧いて出てくるよ」
転げまわる新垣を見下す松浦。
「ほ、本当の魔人?」
「な、なんだそりゃ?」
松浦の殺人技を目の当たりにして、
ドキドキドキドキ 心拍数が跳ね上がる安倍と矢口。
「あら、言ってなかったっけ?この神社には30人近い魔人が棲んでいるわよ。
どういう理由で集まったかは、私は知らないけど、師匠(石黒)が言ってたわ。
…さて…どうする?先輩達」
と、ニヤニヤ笑いの松浦が、2人に顔を向けた。
「ど、どうするって?どどどどどどうするべさ!?」
「さささ30人って!どどどどどどうすんだよ!?」
顔面蒼白になった安倍と矢口が顔を見合す。
「逃げる準備をしたほうがいいんじゃないの?」
言いながら松浦は純銀製のホウキに跨る。
「来たぞ…」
マネージャーの真也が初めて口を開いた、
と同時に階段を猛ダッシュで駆け下りて逃げ出した。
「ゎゎゎゎゎわわわわわわ!マネージャーが逃げたべさ!!」
「あのマネージャー、何しに着いて来たんだよ!
ボディガードじゃなかったのかよ!!」
慌てて安倍と矢口もホウキに跨る。
まだ何も見えてないが、安倍と矢口にも分かった。
物凄く嫌な感じの気が、こちら目掛けて向かってくる。
そして、ドスドスと階段を駆け下りてくる複数の足音も聞こえてきた。
「じゃあ、お先にぃ」
銀ボウキに乗った松浦が、手を振りながら上空に上っていく…
「と、飛んだべさ…」
「バカ!おいら達も飛ばなきゃ、殺されるよ!」
ガチガチと震えながらもホウキに念を集中…集中…
……集中…‥出来ない…
…出来ない‥
‥出来‥
…集中‥出来る訳がない!!…
パニックになる2人の目に、物凄い形相の魔人曙太郎の巨漢を筆頭に、
10人程の明らかに人とは思えない連中が走り下りて来るのが見えて、
安倍と矢口の何かがキレた。
「ぅわぁぁぁぁあああああああああああ!!」
「ぎゃぁぁぁぁあああああああああああ!!」
いきなりボンッと飛んだ。
縦横にクルクルと回転しながら、地上から一気に飛び上がり、
気付いた時には、上空50メートル程の高さでフワフワ浮いていたのだ。
「ウフフ、やったじゃん」
呆然とホウキに跨る安倍と矢口の間に、スーッと割り込んだのは、
銀ボウキを横座りに、ニコニコと笑う松浦亜弥だ。
「しししししし死ぬかと思ったべさ…」
ハァハァと荒い息をする安倍が安堵感から力が抜ける、
と、ヒューッと真っ直ぐに落下し、慌ててバタバタと手足を動かし、
なんとか持ち直して、また上ってきた。
「ハハハ、慣れるまでは、気を抜いちゃダメですよ。安倍先輩」
屈託無くケラケラと笑う松浦の顔を見た矢口は、
本当の松浦亜弥の顔を見た気がした。
「…マジで死ぬかと思ったよ」
安堵の声をポツリと漏らす矢口。
「ね、必要でしょ?必殺技」
矢口に向かって、松浦がニーッと白い歯を見せた。
「……かもな…」
矢口は複雑な表情で、そう答えた…
突然 バーンと音が聞こえた。
と、同時に松浦の銀ボウキが尻尾のように何かを叩き落とす。
「うん?自動防御が働いた…」
そう言って、両手の指を丸めて望遠鏡のようにして音の出る方向、
つまり、魔人達が集まっている下方を見た松浦が、
「ヤバいよ。もっと高く飛んで」
と、2人を促し、訳が分からない安倍と矢口を、もっと上空に導く。
雲を見つけ、そのの中に隠れる3人。
その間中、パンパンと断続的に音がして、その度に松浦の銀ボウキが
尻尾のように動き、キンキンと音を立てて何かを弾いていた。
「どうしたんだよ?」
矢口が聞いた。
「あの魔人連中の中に、銃の達人が居て、私に狙いを定めていたの」
ちょっと心外な顔の松浦。
「ええッ!!」
驚く矢口と安倍。
「大丈夫、雲の中なら撃ってはこないわ」