――― 3話 出会い ―――
安倍なつみが朝娘市に引越して来て一週間が過ぎた。
過ごしてみて分かった事が有る…
それは当初のオドロオドロしい魔界街の印象と現実は違っていたという事だ。
安倍の住む地区の治安が最高レベルの高級住宅街といった理由もあるが
そこに住む住民は普通に過ごし、変な生き物も見なかった。
そして、何よりも治安が良い事に驚いた。
この街の警官は何時も武装していて街をパトロールしている…
それも数が市外の都市なんかより断然多い。
最初に見かけた時は怖い印象が有ったが
一般住民が普通に過ごす分には、これほど頼もしい存在もなかった。
安倍は段々この街が好きになってきていた。
そして、今日は『私立ハロー女子高』の転入の日だ。
新調した真新しいセーラー服に身を包んだ安倍に
担任の石井リカは廊下で待つように言い残し、教室に消えた…
安倍の心臓はドキドキし始めた。
3年B組の表札を見ながら、どんな挨拶を言うつもりだったかを
思い出そうとしたが完全に忘れていた。
安倍の緊張は頂点に達していたのだ。
「あわわわ…どうしよう、どうしよう…」
オロオロし始めた所に石井から入るように言われ、恐る々教室に足を踏み入れた。
30名程の視線が安倍に突き刺さり、安倍の体は硬直してカチカチになった。
「ほら、なにやってるの?挨拶しなさい」
「は、はぃ!」
石井に促されてもピンと硬直した体は元に戻らない。
「え…え‥と‥あの…そ、その…」
「もぅ!…一回、深呼吸しなさい」
「は、はひ!」」
安倍は落ち着こうと深呼吸をする…その数、1回、2回、3回、4回…
教室からクスクスと笑う声がチラホラと漏れる…
5回、6回、7回…
「貴女、何時までやるつもり!」
石井に尻をペンと叩かれ我に返った。
「…!は、はい」
少し落ち着いた…
「あ…っと、初めまして、安倍なつみと言います…北海道から来たべさ」
ペコリと頭を下げる。
「べさ…って…」
「か〜わいい」
クスクスとまた失笑が漏れる…
安倍は昨日考えた挨拶を思い出して、滞(とどこう)りなく話した…
が、話しながら教室内のクラスメートをさり気無く見ていて、
奇妙な光景に目を奪われた。
奇妙と言っても2人の生徒なのだが…
廊下側の一番後ろの席の生徒と、窓側の一番後ろの席の生徒だ。
廊下側の生徒は「学ラン」を着ていて、安倍の事など興味が無いのか、
腕を組んで目と閉じて寝ているように見える…
(男子…?…何故?)
そして、さっきから安倍を見て、声を出して「うぉお」と感心したり
クスクス笑ったり、「キャハハハ」と声を出して笑ったりする
リアクションの大きい生徒だ…
それはいいとして、安倍が目を丸くしたのは、その生徒の頭の上で子猫が
丸まって寝ているいるからだった。
(なに?なんで頭の上で猫が寝てるの?)
目を白黒させてる安倍に向かって その生徒はニーっと笑って見せた。
「それじゃあ、席は…」
何処にしようかと教室を見渡す石井に向かって
「先生!ココ、ココ!」
と、頭に猫を乗せた生徒は自分の隣の席をバンバン叩いた。
「うん?どうしたの矢口さん、そこ空いてるの…よし、安倍さん、あそこの席に座って」
「はい…」
安倍が席に着くと矢口と呼ばれた猫娘はニンマリと笑って手を差し出してきた。
「オイラ…矢口真里、ヨロシク」
「は、はい」
握手をしながらも安倍の目は猫に釘付けだ。
よく見ると猫は子猫ではない、子猫並みの大きさだが
体型はシャム猫の成獣だ。
猫はチラリと安倍に一瞥を繰れると、欠伸をして頭の上で丸くなった。
「ハハ、コレか?」
矢口は自分の頭の上の猫を指差した。
「…はい」
「この子はオイラの使い魔の『ヤグ』」
「…使い魔?」
「そう、簡単に言えば、何でも言う事を聞くペットみたいなもんだよ…
フフ、私って魔女なんだよねぇ、まだ見習いだけど」
そう言うと矢口はヘヘヘと舌を出しながらニーッと笑った。
「後で、オイラが校内を色々と案内してあげるよ、なぁヤグ?」
「あ、ありがとう」
どういたしましてと、ヤグが「ミャーオ」と鳴いた。
初日の学校は午前中で終わりだった。
転校生が珍しいのか、クラスメート達は安倍の周りに集まり質問攻めにした。
少し困り始めた安倍を見て、矢口が間に入った。
「あ〜!もう、オマイ等、質問しすぎ!安倍さんが困ってるじゃん!
これからオイラが校内を案内するんだから、解散、解散!」
「なによ!」
「なんで矢口が安倍さんを独占する訳?」
「矢口の癖に生意気よ!」
口々に矢口を攻めるが、矢口がロッカーから自分のホウキを取り出すと、皆 口をつぐんだ。
矢口の手に有る そのホウキは、漫画や映画で見た魔女のホウキそのものだ。
「行こう」
安倍の手を取って教室を出る矢口。
「でも…」
「いいの、いいの」
白い目で矢口を見るクラスメート達に向かって小さく手を振って、
安倍は引きずられるように教室を出た。
それでも、ゾロゾロと着いてくる同級生達に矢口はホウキを振った。
魔力なのか、ボウと突風が吹き皆のスカートが捲れる。
「きゃ!」
「矢口!こらっ!」
「キャハハ!逃げるよ!安倍さん!」
「う…うん」
高笑いしながら逃げる矢口と一緒に安倍は走った。
トコトコと前を歩くヤグを道案内役にして、
矢口に校内を説明して貰いながら、安倍は気になっている事を聞いた。
「ねえ矢口さん」
「矢口でいいよ、みんなそう呼んでるから」
「…じゃあ、矢口」
「なんだい?…えっと」
「なっちでいいべさ、北海道ではそう呼ばれてたから」
ニッと笑う安倍の笑顔は天使のように見えた。
同級生達が安倍を囲んでキャーキャー騒ぐのも分かる気がする。
「なっちかぁ、…うん、可愛いな なっち…で、なんだい?」
「クラスにいた、学生服着た人って…?」
「あぁ、よっすぃか…うん、あれは男だよ」
「よっすぃ‥って男の人…?…いいの?ここ女子高だよ」
「いいんじゃないの?女だし…あぁ、本名は吉沢ひとみって言うんだけどな」
「…へ?…女?」
安倍は訳が分からないというふうに目をパチパチと瞬きする。
「フフ‥まぁ、その内、分かるよ」
「…ハハ…」
矢口の意味有り気な含み笑いが怖かった。
そして、もう一つ聞きたい事…
「矢口は何で自分の事を『おいら』って言うの?」
「ウッ…!」
「…?」
「小さい頃からの、口癖なんだ…直したいとは思ってるんだけど…
やっぱり おかしいかな?」
矢口は鼻の頭をポリポリ掻きながら はにかんだ。
安倍はニッコリ笑って首を振る。
「可愛いじゃん、矢口に合ってるよ」
「なっち…」
矢口の瞳が潤み始めた。
「でね、でねっ…」
更に、もう一つ聞きたい事。
「なんで、そんなに優しくするの?」
転校初日だからなのか分からないが、矢口は安倍に対してとても親切だった。
そして、矢口の事が好きになりだした安倍が一番聞きたかった事だ。
「え?」
「なんで?」
少し躊躇するも矢口は嘘がつけない性格なのだろう…
「…いや、私、魔女見習いだからさ…修行してるんだ」
「……?」
「良い事すると、魔力が上がるんだよね…」
ばつが悪そうに語った。
「…ふーん、魔力とやらを上げる為に優しくするの?」
ちょっぴりガッガリそうに言う安倍に矢口は慌てる。
「…あ、いや…違うよ…それは違う」
矢口は直ぐさま 手を振って否定した。
「じゃあ、何…?」
「…友達…」
ポツリと出た。
「え?」
「…いや…その、オイラ親友っていないんだよねぇ
ほら、魔女見習いだし…使い魔 持ってるし…皆、どこかで引くんだよ…」
「…そうなの?」
「心のどこかで怖いって思ってるんだよ」
矢口はポリポリと頭を掻きながら うつむいた。
「……」
「ハハハ…」
なんとなく寂しそうな笑顔。
「ね?そのホウキって飛べるの?」
安倍は業と明るく矢口のホウキを指差した。
「え?」
「魔女なんでしょ?」
矢口の顔を覗き込むようにしてニコリと笑った。
「…いや、まだ全然…今は飛べるようになる為に修行してんだよ」
「…ねぇ、貸して?」
安倍は右手を差し出した。
「うん?」
「そのホウキ、貸して」
矢口は黙ってホウキを手渡した。
「こうして飛ぶんだよね…」
安倍はホウキを跨いで飛ぶ格好をする。
「ねえ、飛ぶときって気合入れるの?」
「…え?」
「どうなの?」
「う‥うん、、まぁ」
「ようし!」
安倍は腕まくりをして、気合いを入れた。
5秒…10秒…20秒…
「ハハハ、無理、無…」
言い掛けた矢口は、次の言葉を飲み込んだ。
安倍の足元の空気が撓(たわ)んだ。
その撓みが渦を巻いて砂を巻き上げる…
フワフワと安倍のスカートを捲り上げた風は数秒の後にスッと消えた。
「う…うっそ〜〜!?」
疲れたのか、膝を付いてハァハァと肩で息をする安部を矢口は目を丸くして見詰めた。
「なっち!凄え!凄えよ!」
「そ、そう?…なんか知らないけど、風が出たみたいだべ…ハハ‥」
矢口は安倍の手を取ってギュッと握った。
その瞳は何かを訴えるようにウルウルと潤んでいる。
「な、何?‥矢口?」
「なっち、一緒に行こう!」
「え?…何処へ?」
「MAHO堂だよ!なっちもオイラと一緒に魔女になるんだよ!」
「え?‥え?…えぇええ!?」
安倍は又しても矢口に引きずられる様にして校門を出た…