次の日…
飯田の貧乏長屋に小川麻琴が訪ねてきた。
辻と 楽しいお喋りをしていた飯田は、麻琴の顔色を見て
すぐさま部屋に通して、ベッドに寝かせた。
「いったい、どうした?」
「麻琴ちゃん、顔が紫色なのです」
「直也兄様が爺様を…殺しました」
「…な?」
「私は、闘っている兄様を咎めたのです。
ですが、兄様は爺様を殺し…
止めるようにすがった私に、
兄様は鬼拳『毒魔魅入(どくまみれ)』を使いました。
私は、逃げ出して…警察から、この場所を聞いて…」
「ど、毒って…解毒はしたのかい?」
「応急的な措置はしましたが、鬼拳は術者にしか解呪できません…
私は飯田さん達に、なんとかして欲しくて…」
そこまで言うと、麻琴はポロポロと涙を流し、泣きじゃくった。
「解呪するには、麻琴ちゃんの兄貴を殺せばいいのか?」
ブンブンと首を振る麻琴。
「私の事は、どうでもいいんです…
それよりも、神社を…」
「でも、解毒が先だろ」
オロオロする飯田。
呆然としながら、黙って聞いていた辻が、
何かを思いつきポンと手を叩いた。
「そうだ…祐子婆ちゃんなら…
MAHO堂の祐子婆ちゃんなら、治せるかもしれないのです!」
「あっ」と飯田も思い出した。
『死人返り』事件を解決した魔女の事だ。
「麻琴ちゃんをMAHO堂に運ぶのです」
「よし、行こう!」
飯田と辻は立ち上がった。
「その子供が、この世界で只一人『人造舎』総帥と連絡が取れる小娘か?」
小川堂で腰を下ろす小川直也は、『六鬼聖』が体の良い事を言って、
騙して連れて来た新垣里沙を小馬鹿にしたように睨み付けた。
「おい、総帥の北野に連絡を取れ。
小川家当主の俺が『人造舎』に入ってやると言ってな」
「本当に人材登録するつもり?」
腕組みをして余裕の新垣。
「あぁ、俺が負けたらな」
人造舎に登録する魔人は、いつもこうだ。
北野を殺して自分が総帥になるつもりなのだ。
だが、誰一人、北野を殺せない。
結果、登録者が増える事になる。
現在の登録者、『六鬼聖』を含めて27名。
そして、今日、28名になる。
「連絡取れたわよ、後、二時間ほどで来るって」
新垣がピッと携帯を切った。
「よし、境内で待とう」
新垣は『六鬼聖』を睨み付けて、鼻で笑った。
「小川さんが、人材登録されたら、アンタ達には罰を受けてもらうわよ、
私を騙して、こんな古くさい神社に連れて来た罰をね」
「何言ってんだ!」
「小川様が負ける訳ないじゃん」
「また、術を掛けるよ!」
「…うっ、それはやめて」
新垣は、忌まわしい激痛を思い出してビビリ声になった。
小川直也は人智を超えた力を持つ人材が欲しかった。
手っとり早い方法は人造舎を乗っ取る事だ。
北野を殺し、魔人達に小川流拳法を伝授し、
全国の小川神社に師範として、派遣する。
だから、直弟子の『六鬼聖』を人造舎に登録させていたのだ。
(※『六鬼聖』は小川神社で巫女のバイトをしている。
小川姓でもないのに、鬼術其の六まで習得しているのは、
密かに小川直也が教えていたからだ)
「さて、北野が来る前に…」
直也は胸にかけてある『元鬼魂』の数珠を外し、
少し間を置いてから鬼の勾玉を飲み込んだ。
体内に入れれば、鬼の能力が増すと考えたからだが、
今まで躊躇(ちゅうちょ)していたのには理由があった。
--人為らざる物になる--
その思いが拭いきれない。
鬼に飲み込まれる気がして、ならなかったからだ。
しかし、絶対に北野に勝たなくてはならない。
北野を殺さなくては自分の野望は達成できない。
「ウガァァァアアアア!!」
全身に激痛が走った。
毒に犯される如く、のた打ち回る直也の全身の血管が浮き出て、
プチプチと切れて、全身を血に染める。
何者かに、心を、魂を、乗っ取られる感覚…
「俺は!俺は!俺はぁぁああ!!」
大の字になった直也の胸だけが上下に大きく揺れていた。
「倒れてるが大丈夫か?」
血まみれで倒れている小川直也を見下ろす『人造舎総帥』北野と白衣の男。
心配する六鬼聖に囲まれている直也は、意識が朦朧(もうろう)としている。
「…大丈夫だ」
北野の声を聞いた直也は荒い息を付きつつ、立ち上がった。
「噂に聞く『鬼拳小川流』、その力を人造舎に
貸してもらえればありがたい事です」
「俺が負ければな…」
体が ふらつく直也を見て、北野がニヤリと笑った。
「人造舎に登録を希望する者は、大概が俺を殺して
乗っ取る事を前提に申し込んでくる。
だが、今まで誰一人成し遂げた者はいない。
その体で俺を倒すのは至難の業だと思うがね。
それとも、治してやろうか?」
北野は連れて来た、目つきの鋭い白衣の男を紹介した。
「この男は『魔界医師』財前、外科処理のスペシャリストだ。
俺が斬る人間を繋げてくれる」
北野が切り落とした腕や足を その場で繋ぐために
呼ばれた魔界医師は無表情のままだ。
「ひとつ分かった事がある」
「なんだね?」
「キサマは目が見えてる」
不適に睨み付ける直也を、溜め息混じりに見返し、
「…腕と足を一本づつ落とせば、泣きつくだろう」
そう言いながら、北野は仕込杖を腰に溜めた。
ビューッと一陣の風が境内を回り、消えた…
それが合図のように…
「…まいる」
ぎゅう、と握った拳は異様なオーラをまとい、浮き出た血管は
その凄まじい力を物語っている。
グンと拳を前に突き出す直也は、早くも鬼術を拳に込めた。
その時、ドクンと心臓が鳴った。
見る間に顔の形相が変わる。
「…鬼か…面白い」
ジリジリと間を詰める北野がペロリと唇を舐めた。
真っ赤に紅潮した直也の鬼の形相。
顔だけではない、額には角が二本、反り上がるように突き出ている。
『元鬼魂』を飲み込んだ影響が、直也の体に変化を与えたのだ。
北野の俊足の抜刀。
突き出した直也の拳を落とすのには、充分な間合いと技術。
そして、『漸巌剣』と名付けたチタン鋼の刃。
コンクリートの塊でも、鉄の壁でも切り落とす無敵の抜刀術。
北野が無敗の理由だ。
その、失敗する筈の無い、無双の抜刀は
十数億をかけて造ったダイヤモンドでも切り裂く超硬質チタン鋼の
刃が折れたことで、伝説に終止符が下された。
「ば、馬鹿な!有り得ん!!」
腕を切り落としたと思った瞬間に刃が折れた。
鬼に変わった直也の、気が、肉が、骨が、『漸巌剣』を折ったのだ。
狼狽する北野の腹に鬼拳『超捻転』。
肩口に『毒魔魅入(どくまみれ)』。
顔面に『濃漸瘴(のうざしょう)』。
胸に『肉骨憤(にくこっぷん)』。
脳天に『惨鉄拳(ざんてつけん)』。
憤怒の表情の直也は仁王立ちで言い放つ。
「俺の勝ちだ!!」
体内に送り込まれた鬼術は臓器、筋肉、骨を次々と破壊し、破裂させる。
「…ハハ」
ヘラッと笑った北野の上半身が爆発したように飛び散った。
下半身だけになった北野を愕然と見詰める財前。
「オマエの外科手術で助けてみるか?」
勝利したのと同時に鬼の角が消えた直也が
魔界医師に向かって不適に笑った…
「おい、新垣、これから登録している魔人を一人づつ呼び出せ」
さっそく人造舎総帥として指示を出す小川直也。
「…でも、半分ぐらいは要人警護とか用心棒とか暗殺の仕事で出てます」
「俺の言う事が聞けんのか?」
ギロリと睨み付ける。
「いえ、聞きます聞きます聞きますとも」
揉み手の新垣はポケットから携帯を取り出した。
「あの…直也様…」
心配そうな六鬼聖。
「…大丈夫だ、俺は鬼の魂に打ち勝った」
六鬼聖を見る直也の目は優しかった。
「本当ですか?」
「…ああ、本当だ」
ホッとする六鬼聖は顔を見合わせて「やったね♪」とハイタッチをした。
一時間後に現れたのは200キロの巨漢、曙太郎という魔人だ。
「俺が、新総帥の小川直也だ」
「…北野ヲ殺シタノカ?」
曙が、呆然と立ち尽くす新垣と財前を信じられないという表情で見直す。
「今日から、お前の名前は小川太郎だ」
「…ハァ?何イッテルンダ?」
「命令だ」
鬼術『仙脳術(せんのうじゅつ)』は、術を受けた者を催眠状態にする。
小川直也は、呼び出す魔人達全てに鬼拳に乗せた『仙脳』を掛けるつもりだ。
フラフラと夢遊病者のように体が振れ、
目がトロンとなった曙太郎こと小川太郎を
小川道場に待機するように命じて、
小川直也は、新垣に次の魔人を呼び出すように命じた。
MAHO堂の前に飯田のコルベットが停車している。
紺野は急遽CLOSEの看板を立てた。
中澤の呪術で直也の鬼術は解呪された。
それは、魔術の道を歩む歴史の違いを表していた。
中澤が調合した薬で麻琴の毒は抑えられた。
だが、解毒したとは言えない。
小川堂に有る鬼の解毒剤を飲まなければ完治しないらしい。
「この毒だけは特別じゃ…」
中澤の言葉に安倍と矢口が立ち上がった。
自分達も、力になりたいと自ら小川神社に赴いたのだ。
「まぁ、何とかなるだろ、ヤグとメロンもいるし」
「麻琴ちゃんの話を聞く限りでは、お兄さんは助けてくれる筈だべさ」
昨日の事件が起きるまでは、直也は妹想いの優しい兄だと分かった。
ただ、父親を憎んでいた事を除けば…
そして、出て行って6時間も過ぎようとしていた。
紺野の部屋でスヤスヤと眠る小川麻琴の顔を覗き込む飯田の表情は沈んでいた。
中澤の治療を受けている時に出た麻琴の話は、飯田にある種の焦燥感を植えつけた。
それは、直也が龍拳を殺害する動機を話す中で、避けられない過去の出来事だった。
話しを聞くうちに、それは疑問から確信に変わっていく。
『オニ子』の事だ。
飯田は物心がついた頃から、人間離れした怪力の持ち主だった。
通常、魔人と呼ばれる特殊能力者は魔震の影響によって
偶然に超能力を得られることが殆どだが、
飯田は生まれた時から人と違っていたのだ。
額から血を流し、血まみれになりながら施設の前に捨てられていた。
小学校に入学した頃には、大人にも負けない力を持っていた。
何故だ…?
それは自分が『オニ子』だからだ…
年齢、額の傷、捨て子、鬼の怪力、美女…
全てが自分と符合する。
飯田は麻琴の額を撫でながら、直也とすれ違った時に感じた
奇妙な傷痕の疼きを思い出していた。
小川神社から、矢口と安倍が帰ってきた。
その手の中には、小さな瓶が握られている。
「すんなりと渡してくれたよ、小川姓発祥の話しは辛かったけど」
今まで時間が掛かったのは、長い説法が原因だったのか
と、皆は納得し、小川家の人間は皆そうなのかと少し呆れた。
「おっかない人だったけど、事情を素直に話したのが良かったみたいだべ」
瓶の中の解毒剤を麻琴に飲ませる。
「お兄さんが言ってたよ。済まなかったって…」
「…そうですか」
少しホッとしたような麻琴。
それを見た矢口と安倍は顔を見合わせて、困惑したように項垂れた。
「どうしたんです?」
「…うん、あのね…」
「言ってください」
「…うん…次は容赦しないって」
「…え?」
「今度逆らったら殺すって…そう伝えてくれって…」
それを聞いた麻琴は沈痛な面持ちで「そうですか」とだけ答えた。
「…この一件が解決するまで、私の家で暮らさないか?」
飯田が麻琴の手を取りながら言った。
「え?」
「いいんだよ…のんちゃんも隣に住んでるし」
「…いいんですか?」
「勿論だよ」
縋るような麻琴の視線に困惑しながらも、
飯田の声は限りなく優しかった…
「まったくもって、やれやれじゃわい…」
ジワリと血が滲むように広がる不安感は、どこから来るのか…
「鬼が魔を呼び込むか…それとも…」
自室の水晶球で、皆の様子を眺めていた中澤は、
魔界街を覆う、不穏な空気を肌で感じ取っていた。