「それまで!」
龍拳が右手を上げて試合を止めた。
「…私の鬼拳が通じないなんて…」
ガックリと項垂れる麻琴。
「わぁぁ!」と歓声を上げて飯田を取り巻くのは
加護、辻、紺野の3人娘だ。
「さすがやで!飯田さん!格好ええわ」
「飯田さんが負けるはずが無いのです!」
「正に最強!強すぎますね」
やんややんやと、飯田をはやし立てる。
「ハハハ…」
勝利の笑みを振りまく飯田はポンと小川の肩を叩いた。
「ナイスファイト!やるじゃん」
そう言って握手を求める飯田の顔には珠のような汗が
ポツポツと浮いている。
「…?…や、やっぱり、やせ我慢してたんですね?」
「…ハハ…結構効くな…鬼術って」
ギュルギュルと捻じれる腸(はらわた)の激痛に耐えながら小川麻琴に
勝利した飯田は、顔面蒼白なくせに作り笑顔のままバタリと倒れた。
「わぁぁああ!倒れたやんけ!」
ビックリする加護達。
「い、飯田さん!い、今、解呪します」
抱き起こす麻琴は、先程結んだ鬼術の印を逆に結ぶ。
「はっ!」
腹部に当てた麻琴の右手に、飯田の患部に浮き出た
鬼の梵字がスーッと戻る。
「ど、どうです?」
「な…治んない…腸が捻じ切れそうだよ…」
青白い顔のままの飯田。
その顔を見て動揺した麻琴の解呪は、鬼の梵字を半分しか戻せなかったのだ。
「し…失敗だ…だから、嫌だって言ったんです」
麻琴はワッと頭を抱えて蹲(うずくま)る。
「おいおい、どういうこっちゃ?」
「早く治すのです」
「殺す気ですか?」
飯田の顔色を見て、只事では無いと加護達は色めき立つ。
「…だ、だってだって」
動揺を隠し切れない麻琴。
飯田がゲフッと血を吐いた。
「ちょちょちょ、ちょっと麻琴ちゃん、アンタやり過ぎたんちゃうんか?」
「もっと、手加減するべきだったのです」
「一億円も納めたのに、死んだら浮かばれませんよ」
飯田の血を見て、非難の矛先を麻琴に向ける。
「わ、分かりました…もう一つ方法が有ります」
半分浮かない、それでいて妙に艶(なまめ)かしくなった顔の麻琴は、
静かに加護達を見る。
「な、なんや、有るんなら勿体付けんなや」
「出し惜しみはダメなのです」
「さっさとソレをしてください」
麻琴の心中も知らない加護達は、早く早くと、追い立てる。
「飯田さん、嫌だろうけど我慢してください」
そう言うとゴクリと喉を鳴らし、
麻琴は飯田のアゴをクイッと持ち上げて唇を奪った。
「なんや、ソレ?」」
「チューしてるのです」
「なるほど、口付けでお姫様を救う原理ですか」
何故か見とれる3人組は、言いながら自分達も唇を突き出している。
「違います、鬼の気を吸いだしているんです」
しかし、麻琴のキスも飯田には効かない…
美しすぎる飯田の唇に心を奪われ本気でキスをしてしまったからだ。
飯田の顔色は益々悪くなる。
「ダメやんけ!」
「チューしただけなのです」
「淫らな下心が有るからです」
より一層、批判のボルテージを上げる加護達。
「…分かりました、では最後の手段を選びます」
悲壮な決意で語る麻琴の顔色は悪い。
「なんや、まだ有んのかい?」
「いったい何個、手段があるのです?」
「また、出し惜しみですか?」
勝手な事ばかり吠える加護達。
「私…自害します…」
「は?」
「へ?」
「え?」
「術者が死ねば鬼術は解けます…首を吊ってきます」
そう、寂しそうに言うと麻琴は立ち上がり、廊下に出ようとする。
「わぁ!何処いくねん!死ぬ事あらへん」
「そうなのです、飯田さんは死なないのです。多分」
「貴女が死んだら、飯田さんの立場が無くなります」
麻琴が死ねば、追い立てた自分達のせいになりかねない
加護達は、必死に説得を始めた。
「ま、麻琴ちゃんは悪うないやんけ」
「そうなのです、やせ我慢した飯田さんが悪いのです」
「残念ですが、自業自得ですね」
ワラワラと麻琴に縋(すが)って宥めにかかる。
「ほら、元気出しぃや」
「小川饅頭食べるのです」
「もう、ほっときましょう。あんな人」
チアノーゼで、顔色が変わった飯田には見向きもしない。
その珍妙な やりとりを見ていた吉澤と石川は
腹を押さえて必死に笑いを堪えている。
「…あ…あいつ等…‥」
死にそうな飯田も、苦笑するしかなかった。
「お前達、いつまで漫才をしてるつもりなんじゃ」
ウホンと咳払いをして、龍拳が割って入った。
「でも、お爺様…」
すがるような麻琴の目。
「ワシが解呪しよう」
「え?術者にしか、解呪はできないんじゃ?」
「ふん、その通りじゃ。じゃが、一子相伝の鬼拳小川流の伝承者だけは別じゃ」
そう言いながら龍拳は首に掛けて有る数珠を外した。
大粒の数珠の中に一つだけ、一際大きな形の違う白い勾玉がある。
「麻琴よ、鬼拳の最終項『鬼術其の二十四元鬼魂(げんきだま)』を知っておるの?」
「…はい」
「元鬼魂は呪術ではない、伝承者だけが受け継ぐ事が出来る この勾玉の事じゃ」
白い勾玉を見せる龍拳。
「これは開祖小川秀麻呂が倒した鬼の角で造った、『鬼録書』と並ぶ
我が小川家に伝わる家宝じゃ」
「…初めて聞きました」
「うむ、『鬼録書』と違い、これは秘中の秘じゃからのぅ…
これを身に付ける者は全ての鬼術が無効になり、解呪もできる」
飯田を覗き込む龍拳。
「今の勝負、引き分けとするが良いかな?」
「…何故?」
「確かに麻琴は寸止めされなければ死んだ。
じゃが、おぬしも麻琴が解呪してなければ、今頃は死んどる」
「……それは…」
「先程の麻琴の解呪で半分は鬼の気を吸出しておる。
おぬしの体力なら、あと三日もその状態を我慢すれば鬼の気も抜けて治るじゃろう」
「…三日も?」
少女と引き分けたとなると飯田のプライドに関わる…
だが、三日も今の状態が続くかと思うと気が遠くなる。
「どうするね?」
「…分かりました。引き分けで結構です」
「ふむ、決まりじゃな」
そう言うと、龍拳は飯田の腹に勾玉を当てる、
そして、たったそれだけで飯田の顔色が戻った。
先程の漫才を忘れて本気で嬉しがり、
バンザーイと手を上げる加護達に囲まれて苦笑いの飯田。
「野心家の直也がワシに手を出せないのも、この勾玉のせいじゃ」
麻琴に話しながら、数珠を首に掛けなおす龍拳。
「さて、平家の鎮魂火葬の準備もできてる頃じゃろう」
皆に着いて来るように促して、龍拳は道場を後にした。
小川神社の鬼火で火葬された平家は、その後に執り行われた
『小川葬』で魂を鎮め、一連の儀式が終わったのは夕刻近くだった。
「また、来なさい」
龍拳に そう言われ、送り出された飯田軍団は、見送りに出た小川麻琴に
手を振って小川神社の小川階段を下りた。
カァカァと、カラスが鳴く夕暮れの階段を、其々の思いで下りる飯田軍団。
「今日は、小川尽くしやったなぁ」
「おみくじ引くの忘れたのです」
「不思議な神社でしたね」
ケラケラと笑う加護達。
「戒名が平家じゃなくて、小川になってたけどいいのかなぁ?」
「いいんじゃねえの?兎に角、俺は疲れたよ」
ヘトヘトの石川と吉澤。
「…うん?」
飯田が足を止めた。
階段を上ってくる人影が見えたからだ。
三人の少女達の影と、2メートルはある大男の人影。
ケタケタ笑いあう三人の少女は、加護達と同じ朝娘市中学の制服を着ている。
すれ違った時、神主姿の大男はチラリと飯田を見て、僅かに会釈をした。
上っていく四人の後姿を見送りながら、
飯田は髪に隠れた、古い傷痕を擦った。
生まれてすぐに施設で育った飯田には、両親の記憶が無い。
知っているのは生まれて直ぐ出来たと思われる頭の傷だ。
額の上の頭皮にポッカリと穴が開いたように出来ていた 抉(えぐ)れた傷は、
大きくなるにつれて塞がり、今では髪に隠れて、目立たない。
その傷痕が、僅(わず)かながら疼いたのだ。
「でっけえ人なのです」
「あの人じゃないですか?麻琴さんのお兄様って」
「それに、あの三人の女の子、うち等の中学の一年生やで」
ポカーンと見送る上級生達。
「…うん?どうした?」
吉澤が石川の様子がおかしい事に気付いた。
「…あの三人の女の子…『人造舎』に登録されてる、
『六鬼聖』と呼ばれている魔人だわ」
「はぁ?本当かよ。子供だぜ」
吉澤の問い掛けに、静かに頷く石川。
「…平家さんの記憶が、そう言ってるの」
「後で…調べてみよう…」
疼く傷痕を押さえながら、飯田は踵を返した…
――― 20話 小川神社の乱 ―――
「爺殿、今日こそ その『元鬼魂』を俺に渡してもらおう」
小川堂で長兄の直也を迎えた龍拳は、ドカリと座り首を振って見せた。
「三週間ぶりじゃのう。何をしておった?」
「ふん、家出した親父殿を探していた」
「…見つけたのか?」
「まぁな…そんな事より、覚悟を求める話しがある」
「何ようじゃ?」
「爺殿は歳を取りすぎた。隠居しろ、後は俺が引き継ぐ」
「引き継いでどうする?」
「知れた事、小川家の再興、そして支配だ」
全国に二十四箇所在る小川神社は、時代に流れて信者も激減し、
今や存続の危機に陥っている。
総本山の朝娘市に在る、この神社の支援で何とかやってきている状況なのだが、
その支援も滞り勝ちになり、今では分社してくれと頼み込まれる始末で、
龍拳が歳を重ねるにつれ、全国の門下生も減り、
それに伴い拳法のレベルも落ちるばかりだ。
「直也よ、おぬしの考えには賛成しかねる」
小川直也の野望に、龍拳は哀れみ、そして恐怖さえ覚える。
小川流拳法で、あらゆる格闘界を席巻し、門下生を増やし、
神社と信者を倍以上に増やす。
小川姓を問わず。
その後に政界に進出し、小川家による日本支配…
無様で無謀なる夢は、直也自信を破壊し、狂わせる。
「爺殿、俺には出来る」
直也が上着を無造作に脱ぎ捨てた。
「…俺は今日、親父殿を殺してきた」
直也の首に掛かる、組紐に吊るされた奇怪な形の骨。
「おぬし、それは!」
愕然とする龍拳。
「親父殿を探した理由はコレよ、『元鬼魂』を相殺する骨。
即ち、消息不明の俺の妹、小川家長女『オニ子』の角を奪うためだ!」
小川家の開祖、秀麻呂と鬼の女との間に生まれた子の血が
現在の小川家にも僅かだが流れている。
しかし、生まれる子供は当たり前のように人間の子供だ。
だが、何百年も続く小川の血に、何代かに一人、
鬼の能力を持つ子供が生まれる。
即ち、隔世遺伝。
鬼の女の血を受け継ぐ、鬼の子供は必ず女児で、
成人した時の 類稀なる その美貌は、世の男を虜にすると伝えられる。
現在の小川家に、その隔世遺伝の子供が生まれた。
母親の子宮を角で傷付けながら生まれた鬼の子は
世に出た時、獣の咆哮で鳴いたのだ。
取り上げた産婆の手から鬼の子供を奪い取った、
父、龍之介は その場で小川流拳法を使い、額から突き出る鬼の角を叩き落し、
血まみれの子供を抱えて小川神社を出たのだ。
鬼の角と共に…
暫らくの後、一人帰ってきた龍之介は憔悴しきっていて、
心配する龍拳の話も聞かず、その日から性格が変わった。
名前も付けられていない鬼の子の消息も言わず、
世を悲観したように、捨て鉢になり、毎日のように遊び歩いた。
そして、行方不明の鬼の子供は、
誰が名付けるでもなく、『オニ子』と呼ばれるようになる…
龍之介は、龍拳の言う事を無視し、気まぐれに直也を殴り、
母親は毎日のように嬲(なぶ)られる日々…
堪忍袋の緒が切れた龍拳の逆鱗に触れ、父親も少しは変わったように思えた。
数年の後、病弱だが子宮も回復した母親が、末娘の麻琴を生んだ。
だが、麻琴を生んだのを境に 見る間に体が衰弱して、衰えていく母親…
その母の姿を見て育った直也は、
鬼の子が生まれた時から性格がガラリと変わり、
母親を心配するでもなく、放蕩を続ける父親を憎んだ。
そして、直也の必死な看病も空しく、薄幸な母親は、
誰を恨む訳でもなく、ひっそりと他界したのだ。
小川直也は、その日から心に鬼を棲まわす事になる。
そして、今日、実父 小川龍之介を殺した。
正式な名前も付けられず捨てられ、陰で『オニ子』と呼ばれていた、
顔も知らない妹の形見の『鬼の角』を奪い取るために。
幸薄かった母親の仇をとるために。
「爺殿の鬼拳は、最早 俺には通じぬ!
『元鬼魂』を渡すか、俺に殺されて奪われるか、好きな方を選べ!」
「おぬしにワシが殺せるのか?」
「殺せる!爺殿だけではない!親父殿を殺した俺には、
妹の麻琴さえ殺す事を厭わない覚悟が有る!」
「…狂うたか?直也よ」
「どうとでも、思え…」
仁王のように立ちはだかる直也に向かい、龍拳は静かに立ち上がった。