「始めぃ!」
龍拳の開始の言葉に、スッと構える麻琴。
飯田は片手を上げて試合を止めた。
「言っておきたい事が有る」
「なんでしょうか?」
「私は寸止めするが、麻琴ちゃんはフルコンタクトで突いてくれ」
「なっ?」
「それと試合の決着は、どちらかが参ったと言うまで…で、どう?」
「…腕に自信が有るようですけど、失礼ですが流派は?」
「我流…」
そう言いながら、飯田はポケットから警察手帳を取り出した。
「魔人ハンター…こう言えば納得して貰える?」
「……」
魔人ハンターの噂は知っている。
朝娘市警察の中でも『魔人ハンター』は3人しかいない。
一人は『妖人』、一人は『銃人』、
そして一人は、武器を使わず、人間を超越した肉体だけで敵を粉砕する『超人』…
沸々と湧き上がるように、体から漏れる『気』で解かる。
目の前に立つ飯田圭織は、多分、いや絶対その超人だ。
小川麻琴は祖父龍拳を見た。
黙って頷く龍拳。
「…飯田さん、此方も当てて構いません」
両手を前に突き出し、手の平を相手に見せて、腰を落とす形は『小川式受手の形』。
麻琴は飯田の攻撃を受けるつもりだ。
「まずは、私が攻撃していいって事?」
構えも何もなく、肩をグルングルン回しながら、
おもむろに近付く飯田の拳が消えた。
---パン!パン!パン!---
左、右、左と出した飯田の瞬速の拳は、全て麻琴の手の平で受け止められる。
飯田の拳と『受手の形』の接触は、シューッと音を立てて
麻琴の手の平から摩擦煙を上げた。
「ほう、結構ヤルじゃない」
ビリビリと痺れる飯田のパンチは、手の平に『気』を集めて受けていなければ
最初の一発で粉砕されている。
正に『超人』だ。
だが、見える、受けられる。
長兄の直也の拳は、こんな物ではない。
『受手の形』で前面に突き出す両手の隙間から、
飯田を覗く麻琴の口元は薄く笑う。
スッと前に出る麻琴は、「おっ?」と少し驚きながらも、繰り出す飯田の
拳、膝、肘、を『受手の形』でさばきながら、クルリと体を回転させて
飯田の懐に入り、体を密着させた。
両手を腰に溜めて、『気』を集中させる。
「波ッ!!」
飯田の横腹に当てた『小川式波動拳』は、飯田をドンッと吹き飛ばした。
「今の技、テレビで見た事あるでぇ!」
「すっげー!カメハメ波なのです!」
「今のがカメハメ波ですか」
加護、辻、紺野は「わぁ!」と声を上げる。
歓声を上げるギャラリーに「違います!」と思いつつ、
尻餅を付いた飯田に向かって跳んだ麻琴は、
『小川聖拳』を飯田の胸の真ん中に打ち込んだ。
ピシッと音を立てた直突きは、飯田の心臓を一瞬止めた。
これで、飯田の動きは完全に止まる。
後は、顔面に もう一度『小川聖拳』を当てれば勝ちだ。
勿論、寸止めで…
「…なっ!?」
倒れている飯田の右手が、麻琴の袴の裾を掴んで引っ張った。
バランスを崩した麻琴の足首を、飯田は体を起こしながら払う。
飯田と入れ替わるように尻餅を付いたのは麻琴だ。
「立ちな」
クイクイッと人差し指で、起き上がるように促す飯田は、余裕の笑みだ。
「あ‥有り得ない…」
普通の人間なら一撃で肋骨と内臓を破壊する
『小川式波動拳』を渾身の力を込めて打った。
普通の人間なら心臓が破裂する『小川聖拳』を本気で打った。
飯田圭織が『超人』と解かっていたからだ。
だが、本気で打ち込んだ『小川流拳法』は効かなかったのだ。
愕然とする麻琴は、祖父龍拳を仰いだ。
無表情の龍拳は無言のままだ。
「鬼拳は、まだ使ってないんだろ?」
上着の革ジャンを脱ぎ捨てた飯田は、黒のタンクトップだ。
「…はい」
「じゃあ、使いな」
仁王立ちする飯田は、麻琴を見据える。
「…いやです」
「なぜ?」
「…人に使った事が有りません」
「じゃあ、丁度良い、私に試してみな」
「…お爺様」
麻琴は再度、龍拳を仰ぎ見る。
勿論、試合を中止させる為だ。
「…麻琴よ、やって差し上げなさい」
「お爺様!私に人を殺せと、おっしゃるのですか!?」
「言うては無い、これ以上無理と判断したら、ワシが止める」
「でも、鬼術の解呪に自信が有りません…解呪は術者にしか出来ません」
「と、言う事じゃが…飯田さん、どうじゃ?」
龍拳は飯田に任せた。
「構いません」
「うむ、麻琴よ、決まりじゃ」
「……分かりました…」
何となく緊迫した場面に、吉澤を除くギャラリー全員がゴクリと唾を飲み込んだ。
小川麻琴は目を閉じて、両手を前に印を結ぶ。
「小・川・鬼・乗・手・超・捻・転」
麻琴の手の甲に梵字が浮かぶ。
ギュッと握った右拳を前に、スッと構えるは、『鬼拳超捻転』の形。
「…受けたら『参った』と、言ってください」
「参ったらな」
構えたまま腰を落とす麻琴の両足の指が、床を噛むようにキリキリと食い込む。
「行きます」
言うと同時に、ドンッ!と来た。
避ける間も無く(勿論、飯田は避ける気は無いが)、3メートルの距離を
一気に縮め、梵字の拳は飯田の腹のド真ん中に叩き込まれた。
何かが腹から背中に突き抜ける感覚の後に襲い来る悪寒…
ギリリと腹に食い込む、麻琴の拳に浮かび上がった梵字は、
溶けるように飯田の腹の中に送り込まれた。
「これが『鬼拳超捻転』、貴女の内臓は掻き回され、破壊されます」
「…ふーん」
冷や汗さえかかず自分の腹を擦る、飯田の顔には苦悶の表情は無い。
「や、やせ我慢はやめて、参ったと言ってください」
「…言わない」
ニッと歯を見せた飯田は、麻琴の襟を掴むと、そのまま背負い放り投げた。
どんな体勢からも、体を捻って猫のように着地する『小川式受身』で
ヒラリと床に身を置いた、麻琴の顔面に剛拳が飛ぶ。
「……ぁぁ」
寸止めされた、飯田のパンチは小川麻琴に死の恐怖を与えた。
当たれば、確実に死ぬ。
スイカのように吹き飛ぶ、自分の顔が見えたのだ。
ゴクリと喉が鳴る。
「…ま、参りました」
顔から冷や汗を垂らしたのは、麻琴の方だった…