――― 17話 昨日と今日と明日 ―――
どこかのビルの屋上で月夜を見ながら、探検を兼ねる散歩を
毎夜のごとく繰り返すのが、俺達の日課。
http://blanch-web.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/data/IMG_000053.jpg 『今日の お月さまは笑っているわよ』
『ああ、それは三日月って言うんだよ』
『ヤグさんは物知りなのね』
エヘヘと笑いながら俺に話しかける白猫のメロンちゃんは、
どこかオットリとした使い魔だ。
そんな、メロンちゃんが不意に言った。
『ヤグさん、メロンはねぇ、なっちから命令された事ないんだよ』
『そう言えば、俺もないなぁ…』
言葉は通じないが、俺の御主人、矢口真里の事は
手に取るように分かってるつもりだ。
メロンちゃんも、御主人の なっちの事は良く理解してるんだろう…
多分だけど…
『役に立ちたいと思ってるんだけど、メロンの事ペットとしか
思ってないみたいなの』
『俺も同じ様なもんだよ、悩みなんて、関係無い2人みたいだからねぇ』
『そうなのよ〜、ホウキで飛ぶ練習だって三日坊主だったし…
メロンはせっかく使い魔として生まれたんだから、
役に立ちたいと思って、何か大事件でも起きればいいなぁって、
いつも思ってるの〜』
『…ハハハ』
ニッコリと笑って、恐ろしい事をサラリと言うメロンちゃん…
素敵だぜ…!
高校の外れに位置する一般住宅街、
ここに俺のご主人様、矢口真里一家の住む公営団地が有る。
鉄筋3階建ての団地の315号室が、俺…もとい、真里の家だ。
ベランダから差し込む午後の日差しが心地良い、真里の部屋で
紅茶とケーキで寛(くつろ)ぐのは、勿論 真里とメロンちゃんの飼い主なっち。
そして、俺もメロンちゃんと陽だまりの絨毯の上で日向ぼっこをしている。
真里達の会話に聞き耳を立てながら…
「なっちの家のお父さんが羨ましいよ、うちのお父ちゃんなんて
休みだと昼間っからビール飲んで、テレビに噛り付いてるもんね」
あ〜あ、と溜め息交じりで語る真里に なっちがクスッと笑った。
「何言ってるべさ、矢口のお父さん格好いいよ、
リーゼントで目つきが鋭くて、ロックンローラーみたいだべ」
何回か遊びに来た事がある なっちも、日曜日に来たのは初めてで、
仕事が休みで家でゴロゴロしている、真里の父親さんを見たのも初めてのようだ。
玄関先でペコリとする なっちに対して、無愛想ながらもウィンクをしながら
ピッと2本指を立てて「よう、ゆっくりしていきな…」と声を掛けた、
真里の父親は俳優のような渋い声をしているのだ。
「…ハハハ」
乾いた笑いを発しながら真里が自分の部屋のタンスの一番下の
引き出しを開けて、何やらゴソゴソと探し出して取り出したのは、
一枚の古ぼけて色あせたCDレコード。
うん?…なんだソレ?
俺の疑問を、なっちが代弁してくれた。
「なにこれ?」
無言で差し出されたCDジャケットを見ていた、なっちの目が丸くなっていく。
「この、真ん中の人…矢口のお父さん?」
「そう…お父ちゃん」
俺も初めて知ったが、真里の父親は元歌手だった…
ジャケットに写っているメンバー5人のロックグループ『アローマウス』の
メインボーカル矢口永吉はエレキギターを抱えてタバコを咥えていたのだ。
「すご〜い!矢口のお父さん歌手だったんだ」
「…ハハ、オイラの生まれる前だから、よく知らないんだけどね」
「ふーん」
「今でもギターは大事そうに持ってるんだけどね…
オイラがちっちゃい頃は、よく弾いてくれたんだけど、今は弾いてくれない…
それにね、このCD聞くと、お父ちゃん怒るんだよ」
「なんで?」
「ハハ、オイラにも理由は分からないよ」
あれっ?
真里…なんか、寂しそうな顔してるぞ…
「あ〜、矢口ぃ聞きたいんだ?お父さんの演奏を」
「無理無理!休みの日は昼間っからビール飲んでる親父だよ」
キャハハハと笑う真里。
『ねえヤグさん、真里さんは笑ってるのに、どうして悲しそうなの?』
『……』
不思議そうに真里を見る、メロンちゃんの疑問に
俺は答える事が出来なかった…
ハハ…俺が真里を良く理解してるつもり、って言うのは
文字通り「つもり」だったんだ。
今回の事件が起きるまでは…
なっちとメロンちゃんが帰ってから一時間後、
玄関の呼び鈴が鳴ったので、真里と俺が出ると、
なっちが息を切らせて膝に手を付いてゼーゼー言っていた。
その なっちの右手には一枚のポスター…
「大変だべさ!」
『大変なのよー!』
なっちと肩に乗ったメロンちゃんが同時に声を出した。
まぁ、メロンちゃんの声は真里達には「ニャー」としか聞こえないけど…
「今ね、今ね、帰り道でコレを見つけて…」
ゼーゼー言いながら、なっちが真里に手渡したポスターは
どこかのライブハウスの演奏案内が書かれていた。
【今夜復活、伝説のロックグループ、アローマウス!】
そう書かれている、ポスターを目を丸くして見ている
真里の手を なっちが取った。
「行こう!もうすぐ始まっちゃうよ!」
『開演は7時からよー!』
「で、でも…」
「いいから!」
茶の間にいる親父さんを気にしている風の
真里を引っ張り出して、俺達は走り出す。
『ここよ、ヤグさん!メロンはライブハウスなんて初めてだからもう、胸がドキドキよ』
『あ、ああ…』
眩しいネオンに彩られた、店の看板を見上げながら
俺の心臓もドキドキしてきた。
チケットを買った、真里と なっちに抱かれながらドアを開けると、
俺とメロンちゃんは耳に入ってきた大音量の演奏にビックリして
一瞬逃げ出しそうになったが、真里の顔を見て大人しくした。
複雑そうな真里の顔は、何を考えているか俺にも解からず、
目を輝かせる なっちとは対照的に見えたから…
タバコのヤニが漂う、古びた感じの店内は薄暗く、
テーブルの客席は8割方埋まっていた。
客層も真里達よりは、かなり上のように…
って言うか、おっさんとおばさん ばかりに見える。
俺達は一番後ろのテーブルに座った。
ジーパンとTシャツの中年男達の曲は、小気味良いリズム&ブルース
が殆どで、俺達が店に入って最初に聞いた
大音量のロックは、結局その一曲だけだった。
2つ ジュースを買ってきてテーブルに置いた なっちは最初、
興奮して色々と真里に話しかけてたが、真里は「ああ」とか「うん」としか答えず、
なっちも、何となく真里の空気を読んで、ストローを咥えて大人しく演奏を聴いていた。
俺とメロンちゃんは、サラミを貰って食べた…
真里は最後まで無言だった…
彼等は、なっちから真里の事を聞いて、最初は驚いていたが、
次々と昔話を懐かしそうに話し出した。
ここはアローマウスの楽屋。
なっちが店の人に知り合いだって嘘?を付いて、
グズる矢口の手を引いて案内してもらったのだ。
「なぁ、真里ちゃん、永吉は元気かい?俺達は永吉を探してたんだぜ」
「…うん」
真里は相変わらず、無口だ。
「本当は、アイツがリードボーカルだから戻って欲しいんだけどな」
「ああ、アイツの声じゃないと、俺達の曲じゃないぜ」
「せっかく、再デビューする事が決まりかけているのに…」
彼等の元には、大手のレコード会社から再デビューの
話しが転がり込んできていた。
「なんで、矢口が生まれる前に解散したんですか?」
なっちは、俺が聞きたかった事を聞いてくれる。
たぶん、真里も聞きたい筈だ。
「ハハハ、なんだ?永吉から聞いてなかったのかい?」
顔を見合わせて、頷き合うメンバー達…
彼等の話しだと、最初のアルバムを出した時に、音楽の方向性が違うと
真里の親父さんが何故か言い出して、一方的にバンドを抜けたらしい。
結局、ボーカル不在が響いて解散になったらしいが…
当初は訳も分からずバンドを抜けた親父さんに対して
怒りを持っていた彼等も、今となっては、怒ってなかった。
ただ、水臭いとは思っているようだが…
理由があった。
デビューが決まった時には真里の親父さんは、皆に黙って結婚していて…
デビューという、大事な時期に結婚した事に親父さんは皆に気兼ねしていたんだ。
ある悩みを抱えて…
真里のお母さんのお腹には、真里が宿っていた。
でも、真里のお母さんの母体が芳しくなくて…
(真里は元気に生まれたんだけど、
親父さんは奥さんと子供…将来の事とか色々と考える所があったらしい)
事務所にもメンバーにも結婚した事を隠していた、真里の親父さんは、
真里の為に…
自分の愛する家族の為に、
デビューしたての収入が不安定のバンドを捨てて、
今の仕事(市役所勤め)に就いたのだ。
他のメンバーが、この事を知ったのは
それから暫らくしてからの事だったらしいが、
それまでの誤解や憎しみは解消された。
「ほい、真理ちゃん…」
リーダーのハゲのサムソンが一枚の写真を真里に手渡して見せた。
その写真を見た真里の唇がへの字に尖がっていく…
色あせた写真には、赤ちゃんの真里を抱えて笑う
真里の親父さんが写っていた。
「暫らくしてから、永吉の奥さんから、その写真が送られてきたんだ…
皆さんに、ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした、って手紙を添えてな」
ポンと真里の頭に手を置いたマイケルがニカッと歯を見せた。
「でも、良かったぜ…真里ちゃんが、こんなに大きくなって」
「そんなに、大きくなってないべさ…」
涙目の なっちの突っ込みにメンバー達がドッと笑う…
「なぁ、真里ちゃん…永吉のヤツに伝えてくれないか…
俺達はオマエが帰ってくるのを何時までも待ってる、ってな」
「…うん」
結局、真里は「うん」しか言わなかった…
解かっているよ…
言葉に出して何かを言えば、泣いてしまうからだろ?
だって…
今…
現に…
泣いているもの…
店を出たとたんに、真里は両手で顔を覆って嗚咽を漏らした。
なっちは、黙って真里を抱きしめて頭を撫でてた…
『ヤグさん…真里さんが泣いてる…』
『…うん』
『でも、泣いてるのに、悲しそうじゃないね…』
『…うん』
『どうしてかな…?』
『……』
なぁ、メロンちゃん…
メロンちゃんは気付いているかい?
メロンちゃんだって、今、泣いてるよ。
メロンちゃんは、今、悲しいのかい?
違うだろ?
同じなんだよ。
俺も、真里も、なっちも、メロンちゃんも…
まぁ そういう俺は、涙が出そうなのを必死に我慢してるんだけど…
次の日曜日…
「お父ちゃん♪」
真里の猫なで声に、親父さんはギョッとした。
「な、なんだ?気持ち悪い」
「えへへ…デートしよか?」
「ハァ?」
「いいから、いいから」
親父さんの手を引っ張りながら、連れ出す場所は
勿論、あのライブハウスだ。
まぁ、開演は夜だから、それまでは本当にデートするつもりなんだろう。
俺はニッコリ笑って見送った…
だって、この後メロンちゃんが来る予定だから。
真里と照れる親父さんが出て行ってから一時間後、
ピンポーンと呼び鈴。
「あら?なつみちゃん、真里は さっきお父さんと出て行ったわよ」
玄関に出た お母さんに向かって、なっちと肩に乗ったメロンちゃんは
ニッコリと微笑んだ。
「うん、今日は、お母さんに用が会って来たんだべさ」
「私に…?」
『そうよぅ』
メロンちゃんが「ニャーオ」と鳴いた。
夜になって、俺達はライブハウスへの道をテクテクと歩いた。
なっちから事情を聞いた お母さんは微笑を湛えて、
そして、なっちはギターケースを抱えて。
メロンちゃんは夜空を見上げた。
『ねぇヤグさん、今日のお月さまは、まん丸よ』
『…本当だ、これはね、満月って言うんだよ』
俺はチョッピリ得意気に語ったが、そんな事は意に介せず、
メロンちゃんはニッコリしながら月を見てる。
『メロンねぇ、三日月の日から 毎日お月さんを見てたんだよ』
『へー…』
俺は『暇なんだね』と雰囲気をぶち壊しそうになる事を
言いそうになって少し慌てた。
『それでね、すごい事を発見したの』
『すごい事?』
『うん、とってもすごいの』
『な、なに?教えて?』
『あのねぇ、お月さまはねぇ、毎日少しづつ大きくなるのよ』
『う、うん』
『一昨日のお月様と昨日のお月さまは違うの』
『うん…それで?』
『そしてね、昨日のお月さまと今日のお月さまも違うのよぉ』
『月齢の事かな…?』
『メロンは気付いちゃったの、昨日と今日は一緒じゃないって』
『……?』
『だから、今日と明日も一緒じゃないのよ』
当たり前の事を すごい事だと言うメロンちゃん…
俺には、何が すごいのか良く理解できない。
だから遠まわしに聞いてみた。
『…ハハ、俺には、むつかしくて良く分からないよ』
『むつかしくないの』
『……』
『そういう事なの…』
なぁんだ、そう言う事かぁ…って…おいおい…
でも、俺に向かって微笑むメロンちゃんは女神様に見えた。
『ハ、ハハ‥メロンちゃん、まん丸のお月さま は良い事が有りそうだよ』
『そうなのよ、メロンもそう思ってたの!』
『よし、行こうぜ!』
俺とメロンちゃんは、お母さんと なっちを置いて
一足先にライブハウスに向かって走り出した。
「俺達の昔からのダチを紹介させてもらうぜ!」
もう、数曲終わった所なのか、俺達がライブハウスに入ると、
拍手の中、リーダーのサムソンが客席の後ろを指差した所だった。
スポットライトが当てられた客席は、勿論、真里と親父さんのテーブルだ。
「…お、俺は…」
親父さんは明らかに狼狽しているように見える。
「どうしたんだい?永吉…俺達はオマエさんを探してたんだぜ」
首を振って、ためらう親父さんの背中を真里が押した。
「お、おい、真里…」
「…いいから」
踏ん張ってステージに行くのをためらう親父さんを真里は押す。
「いいから!」
真里の声は震えていた。
ズルズルと真里に押されて、親父さんはステージ前に立ち尽くす。
「…歌ってよ」
「無理だ…」
「…なんでよ!」
「…勝手にバンドを抜けた俺には、歌う資格はない」
真里に促されても、拳を握り締めて項垂れる
親父さんは 怒っているようにも見えた。
「資格は無いかもしれないけど、義務はあるわ」
「…!!…オマエ」
振り向く親父さんの前には真里のお母さん…
なっちがチョコチョコと走り寄って、ギターケースを真里に手渡した。
「アナタは真里に自分の音楽を聞かせる義務があるの」
「……」
「ねぇ‥時々、遠い目で何かを考えてるでしょ?」
「…」
「私には分かるのよ、アナタが何を考えているかを…」
お母さんの言葉に親父さんの涙腺が緩んだ。
「ちっちゃい頃…」
「…む?」
「ちっちゃい頃、お父ちゃんはオイラを膝の上に乗せて、よくギターを弾いてくれた…」
そう言いながら、真里はギターケースを親父さんに渡す。
「…真里…」
「永吉…真里ちゃんはオマエが抜けた理由を知ってるんだぜ」
ステージ上からサムソンが手を差し出す。
「さあ!」
「…どうなっても知らねえぞ、俺は何年もギターを握ってねえし、歌も歌ってねえ」
「フン、そんな事は折込済みだぜ」
ニヤリと笑うサムソンの手を親父さんはガッチリと握った。
固唾を呑んで事の成り行きを見守っていた お客さん達も
親父さんがステージに上がると、ワッと歓声を上げた。
勿論、お母さんも真里も、なっちもメロンちゃんも、そして俺も…
後ろを向いて涙を拭く仕草をする、親父さんの背中は震えている。
だが、振り向いた その顔は、今まで見た事も無い…
つまり、アローマウスのボーカルのソレになっていた。
「なっちぃ」
「なんだべ?」
ニコニコする なっちに真里が抱きついた。
「だ〜い好き!」
「わぁぁあ」
よろける なっちとキャハハハと笑う真里…
何時もと変わらない、登校風景…
何時もと変わらない、他愛もない会話…
だけど、今日の風景は昨日と違って見える。
ニッコリと微笑むメロンちゃんと目が合った。
あぁ…そう言う事なのか…
俺は、メロンちゃんが言っていた『すごい事』の意味を 今、理解した。
--- ねぇヤグさん、メロンねぇ すごい事を発見したの ---
--- お月さまはねぇ、毎日少しづつ大きくなるのよ ---
--- 一昨日のお月様と昨日のお月さまは違うの ---
--- そしてね、昨日のお月さまと今日のお月さまも違うのよぉ ---
--- メロンは気付いちゃったの、昨日と今日は一緒じゃないって ---
--- だから、今日と明日も一緒じゃないのよ ---
--- むつかしくないの ---
--- そういう事なの ---