――― 11話 ステーキとアイスクリーム ―――
魔界街には一般市民が近付けない場所がる。
俗にB地区と呼ばれる警察も足を踏み込むのを躊躇する、重犯罪者が住み付き、
魑魅魍魎が跋扈(ばっこ)する正に異界の地域だ。
(以前、飯田と吉澤が毒猿と死闘を演じた泥水町も、このB地区に属する)
ちなみに、一般人が住むA地区は朝娘市の8割を占め、
(その中でも安倍が住む最も治安が良い地区をS地区と言う)
残りの2割がB地区なのだが、B地区の住人でも
近寄らないのが、B地区の中心に有る僅かな面積の『C地点』
と呼ばれる、瘴気が漂う魔界と繋がる暗黒面である。
街外れに位置するB地区には警察により鉄条網のフェンスが
張り巡らせてあり、犯罪者達を隔離してある。
鈍く光る その鉄条網を道路を隔てた向い側に建つ
貧乏長屋の窓からボウと見る辻希美は、
MAHO堂での高橋愛との出来事にショックを受けて
物思いに耽っている様でいて、実はそうでは無い。
「お腹が空いたのです」
腹ペコなだけである…
両親は共働きで帰宅が遅く、いつも一人で夕食を作って食べる辻だが
今日 帰ってきて冷蔵庫を開けたら中には何も入っていなかったのだ。
ハロー製薬の下請けの更に下請け会社のライン工場で働く両親の
給料は甚だしく低く、B地区に隣接する 家賃が低い平屋建ての長屋横丁に
住居を構えるが、この家族はそんな境遇にも笑って過ごし、アッケラカンとしたものだ。
そして、辻が魔女見習いになると宣言しても、頑張れと励ましてくれる優しい両親だった。
「うん?」
隣の長屋の建付けの悪いドアがガラガラと音を立てて開けるのが聞こえた。
「久しぶりに帰ってきたのです」
週に一回ぐらいの割合で帰ってくる隣の住人が辻は好きだった。
「飯田さん、飯田さん、のの なのです」
勝手に玄関に入って呼ぶと、飯田圭織がヒョコリと顔を出して
ニーッと笑って手招きした。
「おいで のんちゃん、ご飯食べてないんだろ?」
「なんで分かるのです」
「ふふ、顔に書いてあるよ」
「マジでですか?」
手の甲で顔をゴシゴシと擦る辻を見てケラケラと笑う飯田。
週に一度しか帰らない飯田の冷蔵庫の冷蔵室には飲料水のペットボトルと
何に使うか分からない薬品類と注射器、湿布の類しか入っておらず、
日持ちのしない食品等は置いてなかった…
が、冷凍室には牛肉の塊とアイスクリームが入っている。
「よし、ステーキとアイスにするか」
腕まくりをする飯田は10キロ以上は有るステーキ肉の塊を
取り出してドンと まな板に乗せた。
「わぁ!ステーキなのです!のの は昨日 タマゴ掛けご飯だけだったのです」
パァッと顔を綻(ほころ)ばせる辻に向かってニッコリと微笑み
飯田は包丁を凍った肉塊に当てるとスッと違和感も無く切り落とした。
「凄いのです、飯田さんは何の仕事してるんですか?」
「ふふふ、秘密だよ」
ウィンクしてみせる飯田は自分の仕事を明かさない。
「それより のんちゃんはご飯を炊いてね」
「あーい」
米櫃(こめびつ)から五合の米を取って炊飯ジャーで炊くと
米の炊ける香りとステーキが焼ける匂いが
台所に漂い、辻のお腹をゴロゴロ鳴らした。
「はやく、はやく♪」
茶碗を箸でチンチン鳴らして待ちきれない辻の口からは
ヨダレの糸が引いている。
「ヨダレ、垂れてるよ」
食卓にステーキを運んだ飯田がご飯をよそいながら
半笑いで指摘した。
「もう、夜の9時なのです、お腹がペコペコ過ぎなのです」
「ハハ‥じゃあ召し上がれ」
「あーい、頂きますなのです!」
パクリとステーキ肉を一口頬張る辻は満面の笑みを浮かべながら
涙目になっている。
「う、美味過ぎるのです!」
「ハハハ、泣くほど美味しいのかい?良かったねぇ」
「うん!」
辻は一キロ、飯田は2キロものステーキを平らげ、
インスタントの味噌汁を飲んで、お腹を擦りながら一息付いた。
「あのねあのね…」
ソファーに腰掛け、アイスを食べながら辻の話しを聞く…
前に飯田に会ってから今日までの出来事を
楽しそうに喋る辻の笑顔を見るのが飯田は好きだった。
「そうかい、良かったねぇ」
相槌を打ちながら笑い合う 今の、この時間が飯田には
貴重な癒しのひと時だ…
話し疲れてウトウトとしてきた辻に毛布を掛けて
そっと頭を撫でながら寝かしつけると
「むにゃ、もう食べれないのです…」
と何の夢を見てるのか想像がつく寝言に飯田は苦笑した。
それでも、幸せそうな辻の寝顔を見る飯田の瞳は優しさに溢れている。
「不思議な少女だね…」
辻といると何故か心が和んだ…
それは、毎日の殺伐とした闘いの中でのオアシス…
飯田は辻と話す事で荒(すさ)みつつある心の均等を量っている気がした。
「ごめんください、希美 おじゃましてませんか?」
迎えに来た母親に手を引かれ、
眠そうに目を擦りながら飯田に手を振る辻を見送る…
こうして、飯田の英気は養われる。
「ハハ、明日も頑張るか…」
もう、何年も続いている ささやかな幸せに、飯田は励まされ続けているのだった…