----2年前----
---朝靄のテニスコートで、ラケットを胸に抱いた少女がポツンと佇んでいた---
---夕焼けのテニスコートで、ベンチに座り 折れたラケットを
寂しそうに見詰めていた少女を見た---
---夜更けのテニスコートで、その少女は うつむきながら涙を零していた---
風が鳴くテニスコートで 項垂れる少女を見詰め、
サラサラとした髪を掻き上げる Tシャツとジーンズの美少年の足元に
ひっそりと咲き乱れる白い薔薇の花弁が震えて舞った…
その少年はそっとラケットを取り上げて少女に渡す。
そのラケットにはR・Iのイニシャル…
「お前、朝から居ただろ…」
黙ってラケットを受け取った石川はハッと少年の顔を見た。
薄く微笑む少年は中学からのクラスメート…吉澤だった。
「ずうっと見ていたの?」
「……」
吉澤は答えなかった。
朝は登校の時…
夕方は下校の時…
そして、今は夜の散歩…
偶然、目に付いただけだ。
だが、説明するのが面倒な吉澤は黙って頷いた。
「お前、テニスが好きなのか?」
「…うん…でも、今日で諦める」
「…?」
「才能が無いって解かったから…」
寂しそうに答える石川は、励ましの言葉が返ってくると思った。
「そうか…分かった」
「えっ?」
「諦めたんだろ?」
「…うん」
「…じゃあな」
そっけなく帰ろうとする吉澤…
「ちょ、ちょっと…」
「…うん?」
「…何しに…来たの?」
「…お前が寂しそうにしてたから」
「…えっ…?」
吉澤の顔を見た石川のハートがドクンと脈打つ…
ひっそりと微笑む吉澤の瞳は吸い込まれそうに透明だった。
「でも、俺は 人を励ますってガラでも無いし…」
「…ハハ…」
「それに、テニスの事なんか、全然分からないしな」
「…うん…」
「それだけだ…」
吉澤はコートのアスファルトにマッチを擦ってタバコに火を点け、
そのままコートを出た。
「よっすぃ、タバコ吸うの?」
白い薔薇の花弁が舞う中、振り返る吉澤は薄く笑って夜霧に消えた。
ドキドキと心臓が鳴っていた…
破裂するかと思った石川は慌てて胸を押さえた。
中学からの同級生…
今まで只のクラスメートとしか思っていなかった吉澤が
こんなに格好良いとは気付きもしなかった。
胸に顔を埋めていた石川は、頭の後ろで腕を組み 青い空をボウと眺める
吉澤のタバコを取り上げて、そっと唇を重ねた…
「…好き」
「失敗したな…」
「…なにが?」
「あの時、声を掛けなきゃ良かった…」
出会った時の事を想う 石川の心を見透かしたかのように、吉澤は呟いた。
「もぅ、照れちゃって、可愛い」
今では、猛烈な石川のアタックに辟易する吉澤…
「あの時は、学校の行き帰りに偶然目に留まったから 声を掛けただけだ」
と説明する吉澤だが、石川は全く信用してない。
石川の脳内では、薄幸の美少女の自分を影で見守っていた
王子様の設定に出来上がっているのだ。
「貴女達!何をやってますの!もう、授業は始まってますのよ!」
給水塔の下から藤本の甲高い声が聞こえた。
「チッ、邪魔者が来た…」
いがみ合いながら屋上を出る石川と藤本を見送る吉澤は
もう一度、給水塔に上ろうと鉄梯子に手を掛ける。
「吉澤さん!貴方もです!」
「よっすぃ!早く!」
「……」
2人に怒鳴られ、吉澤は長い溜め息を付いた……
吉澤さん…
貴方は憶えていないでしょうね…
あの日の事を…
リムジンの窓から流れる街並みを眺めながら
藤本は、そっと俯(うつむ)いた…
幼い頃から我がままに育った藤本は
高校に進級する頃、ある悩みに直面した。
このまま、この性格が治らなかったらどうしよう…
自分の我がままで他人を振り回して
後悔する事が多々有った。
その事で、夜ベッドに潜り込んで眠れなくなった事も
数え切れない…
皆、自分を恐れて本心を明かさない…
多感な少女は自分の環境を嫌々受け止め、
自分の顔色を伺う大人達や同級生を蔑んだ。
だからなのか、自分でも嫌な性格になったと
自己嫌悪に陥るのだ。
そして、日々の生活の中で性格は変わる事は無く、
より一層悪くなる一方だった。
我がままによって生じる自己嫌悪…
このままでは心が分裂してしまう…
「ホ〜〜ホッホッホッホ」
しかし学校に来れば、何時ものように高笑いをする藤本。
パコンと後ろから頭を叩かれた。
「な、何を…」
振り向くと吉澤が立っていた。
「謝れ…」
「え?」
「謝れって言ってんだ、バカ」
「……」
吉澤の後ろには一人の少女が怯えていた。
先程、些細な事で皆の前で罵倒し、謝らせたクラスメートだ。
勿論、悪いのは自分だ…
その事で家に帰ってから自己嫌悪に陥り、
今日も眠れない夜を過ごすのは解かっている。
誰かに注意して欲しかった…
「お前…それで、よく毎日ぐっすりと眠れるな」
「…な!」
「それとも、後悔して眠れないのか…?」
藤本を射抜く吉澤の視線は、そのまま心に突き刺さる。
「謝ればスッキリするぜ…お前自身が、よく解かってるだろ?」
この人は自分の心を見透かしてる…
藤本の心がチクリと痛む。
「…さ、さっきは私が悪かったわ」
これでも謝った方だ。
「それだけか?」
何故か吉澤の言葉は心に響く…
「……ゴ、ゴメンナサイ…」
「ふん、やれば出来るじゃん」
ニヤリと笑う吉澤が、藤本の尻をペンと叩いた。
「きゃっ!何するの!」
ハハハと笑う吉澤は、いたずらっ子の様に藤本の
スカートを捲って逃げた…
その日から、自分でも性格が変わったと思う。
そして、眠れぬ夜は少なくなった…
眠れない日は、大抵 吉澤と話した日だ。
吉澤を想うと眠れなくなる…
----好きになったと言うの?私が?あの特異体質の男を?----
「有り得ませんわ!」
声に出して言ってみても、後の祭りだった。
藤本の心は吉澤に占領されてしまったのだ。
窓から見える青空に浮かぶ雲が 吉澤の顔に見えて、
顔を染める藤本は、鞄からある物を取り出して ジッと見詰める。
それは、吉澤に渡すつもりだった お土産…
日々募る吉澤への想いに、藤本は 今日渡せなかった
ヨーロッパ旅行の お土産の、高価なペンダントをギュッと握り締めた……