――― 6話 救出 ―――
翌日、辻はMAHO堂に寄らずに、そのままハロー製薬ビルに入った。
一般人にも解放しているこのビルは朝娘市の観光拠点にもなっているのだ。
ただし、入り口で一般用と社員専用とに分かれていて
社員用の入り口には武装した警備員が立ちはだかっている。
辻は迷いもせずに社員専用ドアをくぐり抜けた。
「待ちなさい、ここは一般人は入れないんだよ」
社員証の無い辻は案の定、警備員に呼び止められた。
「のの の、お友達がここに居るから、会いに来たのです」
胸を張って答える辻に警備員達は、しょうがない子供だなぁと顔を見合わせ、
じゃあ着いて来なさい、と 受付に案内した。
社員の子供が親に会いに来たと思ったのだ。
受付の女性はニッコリと微笑んで辻に用件を聞いた。
「お友達の紺野あさ美ちゃんに会いに来たのです」
辻も負けずにニッコリと微笑んだ。
「フフ、可愛いお嬢さんね、ちょっと待ってて、紺野あさ美さんね…」
パソコンで名簿を操作する受付嬢は、少し溜息を付いて答えた。
「う〜ん、紺野あさ美という者は、ここには居ませんね…
何かの間違いじゃないの?」
「そんな事は絶対ないのです!ののと同じ15歳なのです!
メガネを掛けた女の子なのです!」
「…15歳って、そんな年齢の社員…」
そこまで言って受付嬢はハッと何かに気付いたように言葉を飲んだ。
「…知り合いなの?」
ウンと頷いて辻はドカリと座った。
「呼ぶまで ののはココを動かないのです」
「……そう…」
受付の微笑みは消えていた…
だが、何を思ったのか、その辻の様子を見ながら
受付嬢は無言で何処かに電話を掛けた。
「…はい…ええ、そうです…お知り合いだそうです…はい…でも…」
辻に絆(ほだ)されたのか受付嬢は粘ったが…
「…あら?切れた」
切れた受話器を辻に見せて、諦めなさいと首を竦める。
「あさ美ちゃんが来るまで、ののは待つのです」
居なかったら諦めて帰るつもりだった辻も、何故か必死になっていた。
「もう…」
ため息を付いて、警備員に連れ出すように目配せをした受付嬢は、
エレベーターが開いたのを見て、近寄る警備員を今度は止めた。
「…あっ」
コツコツとヒールの音を響かせて辻に近付くのは
昨日 紺野を連れて行ったメガネの女性だった。
「あら?貴女は昨日の…」
辻を見た女性は、腕を組んで辻を見下ろす。
立ち上がり、辻はペコリと頭を下げた。
「ののは辻希美と言いますです、あさ美ちゃんに会いに来たのです」
「そう…でも残念ね」
そう言う女性は冷ややかだ。
「紺野さんは貴女とは会いたくないそうよ」
「え?」
「紺野さんは貴女と会いたくないと言ったの…
私はそれを伝えに来ただけ…帰りなさい」
改めて警備員に連れ出すように命じた女性は
腕を取られて引きずり出される辻を見届けて踵(きびす)を返した。
「嘘なのです!あさ美ちゃんが そんな事言う筈無いのです!
あさ美ちゃんは ののと お友達になったのです!」
「…嘘じゃなくてよ」
エレベーターに消える女性の口元が微かに歪む。
「嘘なのです!絶対嘘なのです!!」
足をバタつかせて叫ぶ辻の声がホールに空しく響いた…
MAHO堂に来た辻は見るからに落ち込んでいた。
「どないしたん?」
心配した加護が顔を覗き込んで聞く。
「あのね…あのね…ヒック‥ヒック…」
言葉にならない辻を皆で宥(なだ)める。
ミルクを温めて辻に「飲んで、楽になるから」
と与える安倍と矢口は辻が落ち着くまで待つ事にした。
「どうせ、詰らん事じゃろ、ほっとけ」
言い捨てる中澤に、ギロリと睨み付ける3人の目…
「…うっ!…わ、分ったわい」
ブツブツ言いながら中澤は2階の自室に消えた。
少し落ち着いた辻の途切れがちで言葉足らずな説明に
聞き耳を立てながら、大体の事が分った。
「許せへんな、その女」
「みんなで乗り込もうぜ!」
加護と矢口は、もうその気になっている。
「でも…」
渋る安倍は浮かない表情だ。
「あっ…そうか」
安倍の父親がハロー製薬の部長だと気付いた矢口は、
そっと安倍の肩に手を置いた。
「なっちはいいよ…」
「…うん…ごめんね……あっ!」
俯(うつむ)く安倍は何かを思い出したように、顔を上げた。
「そう言えば、私のお父さんが変な事言ってた」
「変な事…?」
「うん!」
安倍は以前父親が会社から帰って来た時に語った事を聞かせた。
父親自身も まだハッキリと確かめてはいないが、ハロー製薬では公然の秘密らしい。
すこし興奮しながら話す父親は話していく内に落ち込んだ…
落ち込む理由は、自分達の娘と照らし合わせたのかもしれない…
それは、会社で囲う少女の話だった。
どんな病気が感染しても、死なない体質の少女…
症状は出るが、ある程度まで進行すると それ以上の悪化は無い…
父親が言う噂話しでは、少女も別に嫌がる素振りも無いらしい。
だから…
その娘は…
新薬の試薬実験に適したモルモット…
次々とウィルスに感染させて、治験する生態実験…
魔界街が生んだ異生体の少女はハロー製薬の急成長を影で支えたのだ。
「……」
言葉の無い魔女見習い達は、辻の言う少女と
安倍が語る少女の姿が重なった。
「行くのです!ののは我慢出来ないのです!」
立ち上がる辻達を安倍は止めた。
「待って…今日、お父さんが帰ってきたら、私話してみる…
お父さんじゃ、その子を助けられないかも知れないけど、
せめて、会ってお話しを出来るようにはさせてみせる…
だから、助けるのは その後にしましょ」
辻、加護、矢口は顔を見合わせる。
確かに、今行っても どうする事も出来ないだろう。
追い返されるのは目に見えていた。
「うん、分った…そうしよう」
「安倍さん、お願いしますです」
辻も今日行くのを諦めたのか、ペコリと安倍に頭を下げた。
「うん、まかせて!」
そうは言ったものの、安倍にも自信は無かった…
中間管理職の父親の立場を理解している親思いの娘は
そんな重大な事を父親に言えるのかさえ自信が無かったのだ。
「ふん、魔女見習いの分際では、どうする事も出来んじゃろ」
自室で見習い達の映る水晶球を見る中澤は
気だるそうにフカしていたタバコを揉み消した。
「やれやれ…やっかい事ばかり運んで来る連中じゃわい」
水晶に映る見習い達は言葉も無く店を勝手に閉めて
其々帰路についた…
「挨拶もせんと帰るしのぅ…」
水晶に布を掛けた中澤の耳に2階に駆け上がってくる足音が聞こえた。
「裕子婆ちゃん、今日はヤル気が無くなったから帰るね」
ドアをカチャリと開けた見習い達が顔をチョコンと出して
バイバイと手を小さく振って、また階段を下りていく…
無言の中澤は、今日何度か目の溜め息をついた。
「…全く持って…やれやれ…じゃわい」
アーチィングチェアーに座る中澤の年老いた瞳には
窓から遠くに見える、ハロー製薬ビルの塔影が揺らいで写った…
夜9時を回ったた頃、ハロー製薬本社ビルの社員用出入り口に
一人の黒尽くめ老婆が立っていた。
警備員を無視して入ろうとする老婆に突き付けられる自動小銃。
「止まりなさい」
怪しすぎる その成りに不審を持つのも道理。
---カツン---
老婆の握る樫の杖が地面に響く…
入り口ドアを何事も無く入る老婆は棒立ちになっている警備員の
横を無言で通り抜けた。
---カツン---
もう一度響くのは広いロビーだ。
呆けた顔の受付に、つんくは御滞在かね と聞く老婆は中澤裕子だった。
つんく専用のエレベーターで会長室に直行した中澤は
約10年ぶりの対面を果たした。
重厚な椅子にドカリと座る つんくは最初目を見張って驚いたが、
数秒後にはゲラゲラと笑い出した。
「ハハハ!なんだ?元の婆に戻ったのか!」
「ふん、お陰様でのぅ」
「で?何の用だ…お前が俺に会いに来るという事は、
よっぽどの理由が有るんだろう?」
「大した事では無いわい」
「いくら俺でも、若返らせる事は出来んぞ」
嫌味な笑いを投げるつんく。
「娘っ子を一人、解放して貰いたい」
その笑いを無視して用件を告げる。
「…娘?」
「紺野あさ美と言う名前の子供じゃ」
「…ほう」
急に つんくの目が据わる。
「用は、それだけじゃ…」
「理由は?」
「教えん」
「…あの娘の親には相当な金額を支払っている、見返りは有るんだろうな」
組んでいた腕を解いて葉巻ケースから葉巻を取り出し咥えた。
「ふん、有る訳ないじゃろ…」
「……嫌だと言ったら?」
ピッと高級ライターで火を点ける つんく…
だが、紫煙を吐き出す事は出来なかった。
懐から五芒星の書かれた紙の束を取り出す中澤が
ソレを放ると、紙は妖物達に変化したのだ。
---カツン---
蠢きだそうする妖物達は中澤の杖の音で、その動きを止めた。
「…解かっとらんのぉ、おぬしに選択の自由は無い、
それに、もう解放してもいいぐらいは儲けておるじゃろう?」
齢200歳を超える魔女は つんくに新たな恐怖を植えつける。
「……分かった」
葉巻を吸わずに揉み消した つんくは従うしかなかった。
「明日、ワシの子供達が迎えに来る、黙って渡してやってくれ」
「…子供?ハハ‥孫の間違いじゃないのか?」
「ふん、どうとでも言え」
「……」
「頼んだぞい」
つんくは黙って頷いた。
踵を返して部屋を出ようとする中澤は立ち止まり、そっと振り返った。
「のぅ?未だにワシの事を恨んでおるのか?」
ふと聞いてみたくなった。
「…いいや」
ゆっくりと首を振る つんく。
「…」
「…まぁ、最初は恨んだがな…だが、今となっては感謝さえしてるよ、
お前の言う通り、俺は絶対的な権力を手に入れたからな…
フッ‥それに、今のお前の姿を見たら同情さえするぜ…
辛かったんじゃないのか?その姿で俺の前に現れるのは?」
溜め息混じりに語る つんくは、今の成功は自分の努力も然る事ながら、
魔界街を創り出した中澤の魔術による所が大きい事を充分に理解していた。
恨んでいない との言葉は つんくの本心だった。
「…ぬかせ」
フンと鼻で笑う中澤は再び踵を返してエレベーターに乗り込む。
その中澤に つんくの御世辞…
「若返った時のお前は最高に綺麗だったぜ!」
「……」
胡麻を擦るのには理由があった。
「この化け物達をどうにかして行ってくれ」
大仰に腕を広げて見せる つんくは部屋に残った妖物達が
どうなるのか、少し不安だったのだ。
「…只の紙じゃ、燃やすなり なんなり好きにせい」
エレベーターが閉まると同時に蠢く妖物達は元の紙切れに戻った…
やけに明るい部屋だ…
壁一面が白く染まり、天井には何年か前にリクエストした空と雲が描かれている。
窓も無い、この部屋のベッドの上で蹲(うずくま)り、
時計を眺めて時間を数えるのは何の為…?
注射の時間が近付くのを数える為…?
それとも、週一回の散歩の時間を早める為…?
ハハ…散歩は一昨日終ったばかりだよ…
白い患者服を着た紺野あさ美は
膝に顔を埋めて震えた。
…たすけて…辻さん…
…飛べないけど、貴女…魔女なんでしょ…?
紺野がこの施設に来たのは物心が付く前だ。
両親の顔さえ知らないこの少女は
病気治療の為だと何年も何年も頑張った。
自分の特異体質に気付いたのは、学年にして小6当たりか…
それからは、時計の時間を数えるのと
週一回の散歩の時間に見る空が人生の全てになった。
それでも、精神が崩壊しなかったのは、散歩の時間に見る空を飛ぶ鳥達と…
街を楽しそうに歩く同年代の子供達を眺めていたからだ。
自分も何時かは、あの中に入って街を歩きたい…
友達と一緒にオシャレをしたい…
出来れば恋愛話しもしてみたい…
それも、半分以上 諦めかけていた…
出会うまでは…
…辻さん…
一昨日、約束したよね…
お友達になるって…
私、待ってるから…
何時までも待ってるから…
来週も、あの場所で会いましょう…
ベッドの上で蹲(うずくま)る紺野が顔を上げた…
何時もの様にギィと音を立てて、重いドアが開いたからだ。
「紺野さん、お友達が迎えに来てますよ」
「…え?」
ドアを開けた女性の笑顔は、何処と無く ぎこちなかった…
ハロー製薬本社ビルを出た紺野は眩しい太陽と
ソレと同じ位輝く笑顔に出迎えられた…
「あさ美ちゃん!キャラメル食べますか?…………‥‥-
「裕子婆ちゃ〜〜ん!来たよ〜〜!」
何時ものように魔女見習い達がMAHO堂にバタバタと出勤してきた。
「いいから、いいから」
そう言われながら、辻に背中を押されてオズオズと
入って来たのは見た事もない少女だった。
「へへへ〜、新しいお友達なのです」
「あ、あの紺野あさ美といいます」
「ふん…」
深々と頭を下げる紺野を一瞥すると、中澤は自分の部屋に引っ込んだ。
二階へ上る階段の手摺りに手を掛けながら
「ちゃんと、仕事は出来るんじゃろうな?」
紺野の顔も見ずに聞く。
「は、はい!よろしくお願いします!」
「ふん、それと、2階に空いてる部屋が有るから、勝手に使って良いぞ」
そう言いながら中澤は自分の部屋に消えた。
「いやったー!あさ美ちゃん、ココに住んでいいって!」
手を取り喜ぶ辻と、不思議そうな顔の紺野。
「どうして、私の事を分かったんでしょう?」
MAHO堂で住み込みで働きながら学校に行くと言うのが
この店に来るまでの道中で、皆で考えた答えだ。
それを、何故か中澤は知っていた。
「裕子婆ちゃんは大魔女やからなぁ」
関心する加護と
「やっぱり裕子婆ちゃんは何でもお見通しだな」
腕を組んで頷く矢口。
「魔女って…本当なの?」
「あー?疑っているのです!」
証拠を見せる と言って紺野の手を取って裏庭に連れ出す
辻と加護を「やれやれ‥またか?」と追い掛ける矢口。
「どうした?なっち?」
矢口はさっきから微笑むだけで喋らない安倍が気になった。
「う、ううん、何でもない…矢口、私ちょっと裕子婆ちゃんに話しがあるから」
安倍はそう言って、二階へ続く階段を上って行った。
「お、おう…じゃあ、裏庭で待ってるよ」
何か有るとは思ったが、矢口はソレ以上突っ込むのは止めた…
大事な話しが有るのならば、安倍の方から話してくれると思ったからだ。
昨日、安倍は父親に紺野あさ美の事を 聞く事は出来なかった。
父親の会社での立場…
自分が今住んでる、この社宅…
新しく出来た親友達…
父親に話したら、全て失ってしまうような気がして、
悩み、色々と考えていたら話す事が出来なくなったのだ。
そして今日…
「安倍さん、言ってくれましたか?」
辻に聞かれ「う、うん」と曖昧に答えた。
「よっしゃー!救出に行くでぇ!」
加護の気合いに辻と矢口は「おお!」と答える。
安倍は不安で胸を押し潰されそうに成るのを押さえて、
皆でハロー製薬に出向いた。
ドキドキと心臓が鳴るのが分かった…
言ってない事がバレたらどうしよう…
胸が張り裂けそうになった…
しかし…
結果は呆気ない物だった…
ハロー製薬で追い返されそうになったら、
絶対父親を呼んでもらおう と、腹を決めて臨んだが、
あっさりと紺野は解放されて、自由の身になったのだ。
「安倍さん、ありがとうなのです」
「流石、安倍さんやな」
「なっち、偉い!」
皆は安倍が父親に言ってくれた お陰で、
紺野が解放されたと思ったらしく、手放しで喜んだ。
「ハハ…良かったね」
安倍は、そう言うのが やっとだった。
謎が解けたのはMAHO堂で中澤を見た時だった。
全てを知っているかのような中澤の態度で気付いた。
どうやったのかは判らないが、中澤は紺野を解放するように
ハロー製薬に掛け合って、そして巨大企業が折れた…
安倍には そうとしか思えなかった。
ノックをして中澤の部屋に入ると
中澤は椅子に座り、転寝(うたたね)をしていた。
「あの…」
「何も言うでない」
中澤は その姿勢のままで静かに呟くように言った。
「お前が どうにか出来る事態じゃないのは分かっておったからのぅ…」
「……」
やっぱり、この人が手を打ってくれたんだ と、泣きそうになった…
「この事は お前の心の中に そっと仕舞っておくんじゃ」
「…でも」
「アホ…言い触らされると、ワシが恥ずかしいんじゃよ」
「……うん…ありがと」
この人は私の立場とかを想いやって 言ってくれてる…
安倍はそう思い、中澤に感謝した。
「それと、学校云々は面倒じゃから、ワシは何もせぬぞぃ」
もう部屋を出ろ と言わんばかりに、手でシッシッと犬を追い払うような仕草。
「うん!うん!それは、まかせて!」
安倍はトンと胸を叩いて、ドアを開けて部屋を出た。
「…裕子婆ちゃんって本当は優しいんだね」
ヒョコリと顔を出してニコリと笑う安倍はパタンとドアを閉めた。
「…ふん」
トントンと安倍が階段を下りる足音を聞きながら
手元に水晶球を引き寄せて裏庭の様子を見る。
辻がホウキに跨り、フワフワと浮いてるのを 紺野が目を見開いて驚いていた。
だが、その顔はキラキラと輝き、新しい生活への希望に溢れている様に見えた。
「…また、厄介者を背負い込んでしまったかのぅ…やれやれ じゃわい…」
そう言う中澤の口元は、微笑んでいるように見えた…