――― 5話 キャラメル ―――
夕日の赤に溶けるように消えて行く、小鳥の群れ…
自分もあのように飛べたら、どんなに幸せなんだろう…
そうしたら、今、ここから羽ばたいて、
あの小鳥達と一緒に逃げれるのに…
逃げる…?
どこから…?
逃げられる事など出来ない事はとっくに分かっている…
でも…
飛んでみたい…
空を思いっきり飛んで、何もかも忘れたい…
そうしたら…
きっと…
きっと…
MAHO堂の帰り道、辻は加護と別れて一人で歩いて帰路についた。
街の中心地のハロー製薬の超高層ビルを見上げるのが好きで
たまに遠回りをして、この道を歩く。
「いつか飛び越えるのです…そして展望台にいる人達をビックリさせるのです」
ホウキを握る手にも力が入る。
「うん…?」
ハロー製薬本社ビルの巨大な出入り口から続く扇状に広がる
大きな階段の中腹でチョコンと座り、夕日の空を ただ見詰める
眼鏡と掛けた一人の少女が気になった。
木陰に隠れて、その少女の様子を伺う…
2分…5分…10分…
同じ姿勢のまま身動(みじろ)ぎもせず、ボウと空を見続ける眼鏡少女…
「…う〜〜!」
辻の我慢も限界になった。
「…何をしているのです?」
トコトコと近寄り、堪らず声を掛けた。
「…?」
夕日を遮って自分の前に立つ、ホウキを持ったセーラー服の少女に
声を掛けられて、紺野あさ美は フとその顔を見上げた。
ニコリと微笑む辻に紺野も少し はにかみながらも微笑み返す。
「小鳥…」
「…え?」
「夕日に消える小鳥を見てたの…」
「小鳥…?」
「あのように飛べたらいいなぁって…」
飛ぶと言う言葉を聞いて、辻の耳がピンと立った。
「本当に飛べたらいいのです」
辻は紺野の隣にペタンと座って一緒に空を見上げた。
「…あの?」
「うん?…ののですか?ののは辻希美っていいますです」
別に名前を聞くつもりでは無かったが、名乗られては答えない訳にはいかない。
「あ、私は紺野あさ美っていいます」
「ふうん、じゃあ、あさ美ちゃんだね」
慣れ慣れしい人だなぁと思いつつも紺野は「うん」と頷いた。
「あさ美ちゃんは何年生なのです?」
「はい?」
「ののは中三なのです、市立朝娘中学の三年生なのです」
「あ…私、学校行ってないから…でも、行ってたら私も中三です」
「おお、同い年なのです…でも、なんで学校行かないのです?」
ズカズカと人の心に入り込んで来る
この少女の質問攻めに紺野は少し辟易してきた。
「…病気なのかなぁ」
何故か答えてしまう。
「え?」
「だから、たまにこうして空を見るの…」
半分嘘とも言えない自分の答えに窮して、
辻が早く消えてくれたらと思った。
ふと見ると、辻はポケットに手を突っ込んでゴソゴソと何かを探している。
「…あ、有ったのです」
「…?」
「はい」
差し出されたのは銀紙に包まれたキャラメルだった。
「ののは、このヨーグルト味のキャラメルが大好きなのです」
頬に手を当ててモグモグする、辻は満面の笑みだ。
「甘酸っぱいのが広がると幸せな気持ちになるのです」
辻に促されるように、紺野もそのキャラメルを頬張る。
「ね?美味しいでしょう?」
「…うん」
不思議な味だった…
普通のキャラメルなのに、何故かちょっぴり切なくなった…
「のの の、魔法が掛かっているのです」
「…魔法?」
「そうなのです、ののは魔女なのです」
「…ハハ」
何を言い出すのかと、今度は少し可笑しくなった。
「可笑しいですか?」
「…だって、魔女なんて」
「魔女は居るのです」
ニーッとする辻の手にはホウキが握られている。
「…ハハ、それで飛ぶの?」
「う…まだ…飛べないのです」
「…」
今度は紺野が やっぱりね とニーッと笑った。
「でもでもでもでも、絶対飛べる…」
ソコまで言って辻は気付いた。
「あさ美ちゃん、笑顔は可愛いのです」
「…?」
「ののはあさ美ちゃんが寂しそうに見えたのです」
「……」
ああ、それで声を掛けてきたのか と、紺野は思った。
「…変わってるね、辻さんって」
「え〜?ののは変わり者じゃないのです」
不満そうな辻に、紺野の溜息が一つ…
「じゃあ、不思議少女」
「うん、ののは不思議少女なのです」
こっちの表現は気に入ったらしい。
それから、暫く取り留めの無い話しをした…
話すのは辻だけで、紺野はもっぱら聞き役だったが
辻の話す非日常とも思えるエピソードは とても面白く、
物語のような…おとぎ話のようにも聞こえた。
「ですから、その続きが……」
ケラケラと笑いながら話しをする辻の目が、手持ちぶたさからなのか、
紺野のクルクルと指に丸める銀色のキャラメルの包み紙に気付いた。
「その、銀紙を貸して下さいなのです」
「…あ、ごめんなさい」
紺野はキャラメルの包み紙の小さな銀紙を申し訳なさそうに手渡した。
辻の長話しに紺野が飽きてきたと思われた と、思ったのだ。
だが、違うようだ…
「ヘヘヘ、こうして…こうして…」
辻が一生懸命に何かを折り始めたからだ。
「…うん?」
辻の胸ポケットから小さなハムスターが顔だけ出して覗いていた。
「つ、辻さん…それ?」
眼鏡を外して凝視する紺野の視線に気付いた辻は、可愛いでしょと微笑む。
「この子は、のの の使い魔の『マロン』なのです」
「マロン…?」
「だから、ののは魔女だって、さっきから言ってるのです」
そう言いながら出来上がった小さな折り紙を紺野に手渡す。
「…紙飛行機?」
「一緒に飛ばすのです」
辻の手にも同じ物が有った。
「…飛ぶんですか?コレ?」
「へへへ〜」
辻は立ち上がり、笑いながら「行くよ」と紙飛行機を飛ばす。
紺野も吊られて一緒に飛ばした。
「あ…」
キラキラと光りながらフワフワと飛ぶ小さな紙飛行機は
落ちそうになりながらも、自分の意思が有るように持ち直す。
「頑張るのです!」
「…飛んでる」
「へへへ」
「…本当に飛んでる…」
縺(もつ)れる様に飛ぶ2つの紙飛行機…
「もっと飛ぶのです!」
辻が手を広げてピョンピョンと跳ねながら紙飛行機を応援する。
座っていた紺野も立ち上がり、こぶしを握って見守る。
「…頑張れ」
思わず声が出た…
「あぁぁ」
風に煽られて落ちそうになる…
「頑張れぇ!」
「飛べ…飛べ…」
紺野は祈るような気持ちで紙飛行機を応援した。
フラフラと頼り無さ気に飛ぶ
紙飛行機が、自分の分身のように思えたのだ…
飛んで…
小鳥に成れない私の変わりに…
飛んで…
飛んで…
お願い…
「飛べー!」
「飛んでぇ!」
紺野の声が聞こえたかのように持ち直し上昇する…
「わぁぁあ!飛んだー!」
「やった…やったー!」
「……」
「…」
夕日に消える…キラキラと光る銀紙の紙飛行機を見送る紺野はハタと辻を見た。
「あの包み紙には、のの の想いを込めたのです」
微笑む辻の顔は何かを見透かしているように見える。
「想い…?」
「そうなのです」
「なに…?」
「紺野さぁん!時間ですよ〜!」
辻が答えようと唇を動かすと、背後から紺野を呼ぶ声が聞こえた。
ハロー製薬の社員証を胸に付けた、
20代半ばの眼鏡を掛けた綺麗な女性は腕時計に目をやりながら
休憩時間は終わりましたと紺野に告げた。
「あ…うん、今行きます…」
答える紺野は寂しそうだった。
「じゃあ、辻さん…」
肩を抱かれてハロー製薬ビルに消えようとする紺野の背中に
辻の声が届いた。
「あの銀紙は色々な想いを包み込めるのです!」
「…!」
「ののはあさ美ちゃんとお友達になりたいと思ったのです!」
「…!!」
「そう想いながら紙飛行機を折ったのです!」
「どうして…?」
そっと振り向いた紺野は、そう言うのが精一杯だった…
…さっき出会ったばかりなのに…
…どうして、そんな事言えるの?
…私が寂しそうに見えたから?
…私が病気だと言ったから?
…それで、同情したの?
そう聞きたかったが、言える筈が無かった…
言葉に出してソレを言ったら、本当に嫌われると思ったからだ。
辻に嫌われるのが怖かった…
紺野も、さっき出会ったばかりの辻希美という名の少女と友達になりたかったのだ。
「お友達になるのに理由なんか無いのです!」
「…!…」
ギュッと瞑(つぶ)る、紺野の瞳からポロポロと大粒の涙が零れた…
「…うん」
紺野は項垂れながらも静かに頷いた。
「約束なのです」
辻は右手を伸ばして小指を立てた。
ハッとする紺野のハートに結ばれる、指切りの約束…
「明日もキャラメル持って来るのです!そして、また遊ぶのです!」
女性に連れられハロー製薬ビルに消えていく紺野に、辻の声が届いたのか、
紺野はもう一度振り返り、微かに微笑んだ…ように見えた…