第五十二話「呪われし神話の行方〜変身忍者嵐・第三章〜」
(☆)誠にくどうようではございますが、今よりおよそ三百七十年前、日本は徳川幕府磐石の
所謂「江戸時代」。その中でこの物語は徳川幕府の体制・支配をより強固たるものに仕上げました
三代将軍・家光公の御時世が舞台でございます。
この頃になると戦国の世を遠く離れ、天下は泰平にございました…。
ですがいつの世も、悪は、絶えないものでございます。
(☆)時は1636年、即ち寛永十三年。第一章の頃より参勤交代で江戸に下向致しておりました
越前美浜藩十四万八千石城主・五木治部大輔弘繁公は一年間の参勤を終えられ、居城たる
越前美浜城へと帰っておりました。
(☆☆)帰城した弘繁公を出迎えますは美浜藩のお国家老上席
勝野新兵衛洋忠(かつの・しんべえ・ひろただ)にございます。
(☆)当時、大名家には江戸屋敷に「江戸家老」、国許には「国家老」とがございまして、
藩主がどちらか一方にいる間、そのもう一方のお留守を預かりつつ、
各々の職務にあたる、と言う仕組みになっております。
そのお国家老・洋忠が、藩主・弘繁公をにこやかに出迎えます。
(☆)「殿、一年間のお勤めを果たされご無事のご帰城、まずは祝着至極に存じまする。」
「うむ。洋忠、美浜の方は大事なかったか?」
「それは無論のこと、つつがなく、平穏無事にござりまする。」
「そうか、何よりじゃ。」
とは申しましたものの弘繁公、平静を保ってはおりますが、心中穏やかではございません。
(☆)それもその筈、江戸在府の間、悪鬼羅刹の如き凶悪忍群「血車党」の襲撃を受け、美浜五木家
危急存亡の事態に立ち至ったのでありますから無理もございません。また現われはせぬか?
余の命を奪いに来はせぬか?それを考えますうちに弘繁公の額にうっすらと汗が・・・・・・。
(☆)それを見て、「余程の重大事に遭われたのであろう。」と察してか
洋忠は、弘繁公に入浴と休養を勧めます。
家臣の心遣いに感謝し、一年間の疲れを癒す弘繁公でありました・・・。