鬼勘一家の事務所へと到る道すがら、紗耶香はひとり考えていた。もし、さっきの
女性の言葉が真実ならば、明日香が生きている可能性があるということになる。
車窓に映る町並みに目もくれず、目深に被ったテンガロンハットの奥に伝う涙を軽く
指ではらい、あくび一つしてみせると紗耶香は車を運転する男に尋ねた。
「ねぇ、あとどれくらいなの?」
「どれくらい、ってったってまだ走り出してそんなにゃ・・・」
どうやらあれだけ痛い目を見てまだ口答えするつもりらしい。紗耶香は後部座席
から身を乗り出し、隣に座っている男の首を背後から裸締めで締め上げる。彼女は
洒落のつもりなのだが、男達は紗耶香の言動が気が気でない。それを知ってか
知らずか、紗耶香は極めた腕を解くことなく、今度は抑揚を抑えた冷たい口調で再び
尋ねた。
「どれくらい?」
「・・・あと5分くらいです」
そんなこんなで車は目的地である鬼勘一家の事務所に到着した。道路を隔てた
高い壁の、その向こうに広がるのは日本庭園をしつらえた豪華な作りの邸宅で、
文字通り豪邸という言葉がぴったりの建物だった。一見するとどこかの老舗の料亭
のようにも見えなくは無かったが、これはおそらく主である鬼勘の趣味に違いない。
「お帰りなさいやし!」
「お疲れ様です!」
掃き掃除に精を出していた若い衆が、先頭を切って歩く男に威勢のいい挨拶をする。
一方男はといえば、若い衆の挨拶に対して特に言葉をかけるでもなく、さっと手を振る
だけ。肩で風を切って歩くその姿には先刻の無様な有様など思いもつかない。そして
その後ろを歩く紗耶香にも、若い衆の視線が注がれていた。二人の男の後をついて
くる、奇妙な出で立ちの少女が気になった若い衆の一人が、掃き掃除の手を休めて
兄貴分の男に尋ねる。
「兄貴、そちらの方は・・・」
「親父の客人だ。失礼のないようにな」
若い衆の言葉に一言だけ答える兄貴分の男。極道とはメンツに生きる人種である。
少しばかりのお灸を据えた後には早々自分に歯向かうことはない、そう考えた紗耶香
は彼らのやり取りには特に口を挟まず、ただ黙って二人の後についていった。獅子脅し
の音が冬の空気を震わせ、池へと注ぐ冷たいせせらぎに漂う落ち葉が冬枯れの妙を
かもし出していた。
やがて3人は玄関から屋敷へと上がった。板張りの床をきしませ、3人は一路鬼勘の
待つであろう部屋へと向かう。その道すがら、二人組の男が紗耶香に言葉をかける。
「親父に会わせろ、というのはどのようなご用件で?」
「話によっちゃ、お通しできかねる場合もあるんですが・・・親父の身に何かあっちゃ
俺達も極道の名折れってもんでして」
先ほどの不覚も厭わず、紗耶香の目的如何では自らの親分を守るために身を挺する
覚悟を語る二人の男。そこはさすがに任侠の徒である。その点は尊重せねばならないと
思ったか、紗耶香は早々に二人に対して理由を打ち明ける。
「実はね・・・用心棒の口をさがしててね」
「用心棒ですか・・・」
二人はそう言って互いに顔を見合わせる。自分の腕ならば先刻身をもって思い知った
はずだ、そんな勢いで紗耶香は二人の前に回りこんでさらに駄目押しする。
「だめ?いい仕事するよ?」
確かに「いい仕事」はしそうではある。それは既に確認済みでありその点は保証できる。
だが、二人はまたお互いに顔を見合わせると、申し訳なさそうに言った。
「客人、申し訳ねぇ・・・ウチは用心棒の先生が既に一人いるんだ。あんたの食い扶持
はないかも知れねぇ」
「聞いたことは無ぇかい。日本一の拳法使い、『ワルツ・リー』の名前を」
そう言って男達は紗耶香に詫びる。鬼勘一家には既にワルツ・リーなる男が用心棒と
して雇われており、紗耶香を雇うことはできないだろうというのだ。しかし、そう言われて
引き下がる紗耶香ではない。
「ワルツ・リー・・・じゃあ、先にそいつに会わせてもらおうかな」