397 :
書いた人:
――― 2003年12月22日
「辻・・・紺野・・・。もし来れるんだったらさ、最後だから・・・・・・おいでよ・・・ね?」
やぐっさんのその言葉に、私も紺野ちゃんも微動たりともしなかった。
二人とも控え室の畳に座ったまま、テーブルの上の砂時計をずっと見続けて。
微かな溜息が聞こえたけれど、それはいつもやぐっさんがするような、苛立ちを含んだものではなかった。
しばらく背中に寂しげな視線を感じたけれど、すぐにドアが閉まる音がした。
私も紺野ちゃんも、泣いていなかった。
いや、一声も発していなかった。
白い壁と緑の畳に包まれた部屋の中で、耳鳴りみたいな音だけが聞こえていて・・・
それが砂時計の砂が落ちる音だって気付いたのは、かなり時間が経ったあとだった。
398 :
書いた人:04/02/03 03:18 ID:6SEuVbF1
こんなに静かな部屋の中にいても、頭の中ではこの3日間のことが渦巻いていた。
いや、静かな部屋にいるからこそかもしれない。
まるで実際にすぐそこで起こっているみたいに、音だけが私の頭の中で繰り返されていた。
深夜にマネージャーから来た電話。
暗くて長い病院の廊下を走る、私たちの靴音。
廊下の長椅子でうずくまる、つんくさんの漏らした溜息。
誰かが卒倒して、そして誰かがそれを受け止めた時の衣擦れ。
気違いとしか思えない人たちの切る、シャッター。
3分後には明るい話題を出すくせに、表面的に悲しんで見せるテレビの音声。
誰かの嗚咽、誰かの泣き声、誰かの叫び声。
それのBGMみたいに流れる、お経の声と鉦(かね)の音。
・・・・・・紺野ちゃんの声は、一切聞こえていなかった。
一瞬顔をあげた私に見えたのは、砂が落ちた砂時計を、ゆったりとした、でも無駄のない動作でひっくり返す紺野ちゃんだった。
事務的な目つきで仕事を終えると、また一粒一粒を数えるかのように、砂の流れを見詰める。
紺野ちゃんはこの3日間、一声も発していなかった。
399 :
書いた人:04/02/03 03:18 ID:6SEuVbF1
私といえば、まこっちゃんはなんで死んだんだろう。
その馬鹿げた問いを、心の中で繰り返すだけで。
まこっちゃんをはねた車のドライバーのせい?
その人は車道に赤信号なのに出てきたまこっちゃんをはねた後、すぐに止まって必要なことをしたらしい。
私も一度だけ病院で、泣きながらつんくさんに謝っているその人を見掛けた。
20代半ばくらいのその人は、本当は大きい体格かもしれないけど、びっくりするほど小さく見えて。
今日もお葬式に行きたい、って本当は言ってたらしい。
でも・・・まこっちゃんのお父さんたちが断ったって聞いた。
お葬式であなたの顔を見て、そしてあなたに泣かれると、余計に悲しくなるから、お願いですから、って断ったって。
その人に異常な敵意の目を向ける人もいたけれど、でも私にはそう見えなかった。
裁判とか知らないけれど、まこっちゃんが死んだのはその人のせい、で終われると思わなかった。
400 :
書いた人:04/02/03 03:19 ID:6SEuVbF1
もちろん、その場にいた紺野ちゃんのせいなわけがない。
紺野ちゃんはずっと押し黙ったままだから、なんでまこっちゃんが車道に出ちゃったのか、分からないままだった。
赤信号を見落としたのかもしれないし、いつもみたいにボーっとしてたからかもしれないし。
でもそんなことは、もうどうでもよくて。
とにかく紺野ちゃんがそこで、何かをしなくちゃいけなかったわけじゃない。
じゃあ、なんでまこっちゃんは死んだんだろう?
頭では分かっていた。
まこっちゃんと紺野ちゃんがたまたま買い物帰りで。
たまたまあの交差点を二人が通って。
そこに偶然、あの人が車で通りかかって。
色んなそういう偶然で、それで・・・・・・まこっちゃんが死んだ。
分かってはいたのに、ちっとも納得いかなかった。
401 :
書いた人:04/02/03 03:19 ID:6SEuVbF1
砂時計を見ているだけで到底昇華できる想いではなくて。
気が付いたときには、声に出ていた。
そしてそれに気が付いてもなお、言葉を止められなかった。
「まこっちゃん・・・なんで死んじゃったんだろ」
紺野ちゃんは答えなかった。
いや微動たりともせず、じっと砂を見詰める視線を変えなかった。
私も紺野ちゃんの答えを求めてはいなかったと、今は思う。
自分の心の中のものを、吐き出せさえすればよかったんだから。
「まこっちゃん・・・なんで死んじゃったんだろう」
「この間まで、あんなに元気だったのに」
「・・・なんで、こうなったんだろう」
やっぱり紺野ちゃんは答えなかった。
到底答えられることではないし、私も別に答えてくれるとも思っていなかった。
砂時計の砂が、尽きた。
その時。
402 :
書いた人:04/02/03 03:20 ID:6SEuVbF1
さっきと寸分違わない動作で、目つきで、表情で、砂時計をひっくり返すと、
紺野ちゃんは初めて視線を砂時計から外した。
それでも私にその視線を向けることはなくて、テーブルの端をじっと見詰めていて。
エアコンが再起動した音が、微かに聴こえる。
ごくっと唾を飲むと、紺野ちゃんは顔を上げて。
ただでさえ白いその肌が、ますます白く、殆ど透明にさえ見えた。
「・・・・・・なんで・・・私、守れなかったんだろう・・・」
紺野ちゃんの声は薄く掠(かす)れて。
リップの上からでも、その唇が蒼いのが分かる。
「・・・・・・私、ホントに何も出来なかったのかな・・・」
「・・・そんなことないよ」
403 :
書いた人:04/02/03 03:21 ID:vlxR3qvA
色々あったのに。
もっともっと、言葉に出したかったのに。
紺野ちゃんのせいじゃない、誰のせいでも・・・ないんだ。
喉から出かかった声は、何故か押し止められて。
「・・・・・・ううん、いいの」
首をふるふると横に振ると、長い前髪が彼女の表情を隠して。
詰まった声で、紺野ちゃんが泣いているのが分かった。
「いいの、だって・・・分かってるもん。
私がまこっちゃんと一緒にいたから、一緒にお買い物に行ったから、
ちょっと何か食べたいって言って、寄り道していこう、って言ったから、
それで・・・あの交差点を通ったから・・・だから・・・」
俯いたまま、紺野ちゃんは泣いた。
髪で顔を隠していても、鼻をすするのが聞こえてくる。
「誰もそんなこと、思ってないよ」
我ながら下手な慰め方だって思ったけど、これしか言えなかった。
が、紺野ちゃんは顔を上げると自嘲気味に笑った。
404 :
書いた人:04/02/03 03:21 ID:vlxR3qvA
「いいよ、無理しなくて。本当のことだから」
ただ腹が立った。
その言葉にも、自嘲にも。
誰もそんなこと思ってない、それは事実なのに。
それを素直に受け入れてくれない、紺野ちゃんのひねくれた所にも。
紺野ちゃんも数日ぶりに出した言葉は、止まらないみたいで。
「分かってるよ・・・みんな心のどこかで、思ってるに違いないから。
そうでしょ? なんで帰り道と逆の方向に進んだんだろう。
なんですぐ横を歩いてたのに、まこっちゃんを助けられなかったんだろう。
・・・・・・なんで、私じゃなくて、まこっちゃんなんだろう」
言い終わったとき、紺野ちゃんは笑った。
顔全体で笑っていた、なのに、最高にムカツク笑顔だった。
・・・ぱぁーん・・・
乾いた音と頬を抑えて下を向く紺野ちゃんに、自分が紺野ちゃんをひっぱたいたって初めて気付いた。
手が、痺れた。
405 :
書いた人:04/02/03 03:22 ID:vlxR3qvA
一瞬自分の右手の掌を見たら、少し赤くなっていて。
同じくらい、いやもっと、紺野ちゃんの頬も赤くなっているのが指の間から見えた。
「そんなこと言わないでよ!! 誰もそんなこと、思ってなんかないよ・・・誰も・・・」
詰まる言葉に口元を拭うと手が濡れて、自分が泣いているのに気付いた。
構わずに・・・泣いていることにも、詰まって言葉にならないのも、紺野ちゃんがずっと俯いているのにも、何にも構わずに続ける。
「何でそんな風に言うの? まこっちゃんが死んだのなんて、誰のせいでもないのに・・・
なのになんで、自分のせいだとか、自分じゃなかったんだろうか、とか言うの?
・・・・・・紺野ちゃんがそんなんじゃ、まこっちゃんだって怒るよ!!
そんな紺野ちゃんなんか、大ッ嫌いなんだから!!」
言った瞬間に、拙(まず)いと思った。
この場でまこっちゃんのことを引き合いに出すべきじゃなかった。
でも口から出た言葉は、とうに紺野ちゃんの鼓膜を震わせて。
紺野ちゃんは両手で顔を抑えて、部屋から出て行った。
私は・・・・・・後を追えなかった。
砂時計の砂が落ちきっていたけれど、私はそれをひっくり返さなかった。
406 :
書いた人:04/02/03 03:23 ID:vlxR3qvA
―――
「・・・でもさ、のんちゃんが悪いわけじゃないよ」
「うん・・・それは分かってるよ・・・でもね」
昼下がり、テレビ局の近くの公園で、のんちゃんはブランコに座ったまま薄曇りの空を見た。
カラスが何羽か、飛んでいくのが小さく見えて。
「でもね、今なら分かるんだ。なんで紺野ちゃんが、自分のせいにしたかって。
自責の念、とかあると思うけど・・・でもそれ以上に、まこっちゃんが死んだことの意味を探してたんだと思う」
「?」
「だから・・・まこっちゃんが何で死んだのか、何で死ななくちゃいけなかったのか、
分からないでいるよりは、それを自分のせいにしたかったんだと思う」
「よく分かんないなぁ・・・」
「その方がね、救いがあるんだよ、絶対」
コンビニで買ってきた缶紅茶を両手で包んで、のんちゃんはもう一度目線を下に落とした。
「私はね、謝んないといけないと思うんだ。
紺野ちゃんの気持ちを拾えなかったのは勿論だけど、叩いたことにも・・・ね」
407 :
書いた人:04/02/03 03:23 ID:vlxR3qvA
自分のせいにしてそれで終わらせようとしてるのは、のんちゃんも一緒じゃないか。
そう思ったけれど、口にすることは止めた。
のんちゃん自身が気付いているような気もするし。
「でもね・・・やっぱり謝れなかったんだ。この10年間。
嫌ってほど携帯電話とか発達してるのに、ね。それでも無理だった。
だから・・・正直、結婚式のときにも謝れるかって言うと、自信は無いよ」
「でもさぁ・・・」
「謝る必要無い、って言うんでしょ? どうなんだろうね。
あいぼんは、『ののの気持ちの整理のために、謝れや』って言うけど。
まぁ・・・梨華ちゃんがああ捉えるのも無理ないけどね・・・
もう帰ろう? 風が出てきた」
そう呟いて、ブランコを飛び降りる。
さすが石川さん、10年経ってもやっぱり筋違いなこと言っちゃってるなぁ。
正直私には、どっちが正しくてどっちが悪いかなんて分からない。
そもそもそう割り切れるかだって、あやふやなんだから。
こればっかりは、10年後の二人次第って所かなぁ・・・
408 :
書いた人:04/02/03 03:24 ID:vlxR3qvA
と、バッグの中のバイブ音にのんちゃんが急いで携帯を取り出す。
文面を読んで私とのんちゃんが笑ったのは、多分同時だっただろう。
「しっかし・・・味も素っ気もないねぇ・・・」
「30過ぎにもなって絵文字だらけのメール打ってくるやぐっさんより、数倍マシだよ」
【送信元:あいぼん
仕事カタがつきそうな感じなので、今日中にそっち行く。
新幹線乗ったらまたメールするから、駅に迎えに来てや。
迎えに来なかったら、多分泣く。まこっちゃんによろしく】