382 :
書いた人:
―――
「・・・・・・れは・・・分かってるよ・・・でもさ・・・」
あれ・・・?
やばいッ!! 寝すぎた!!
が、視界に飛び込んできたのは、テーブルの上のベーグルとコーヒー。
コーヒーの湯気がやわらかく上がって、サラダにフォークが刺さったまま。
ん・・・・・・そうか、私まだのんちゃんの頭の中にいるんだった。
「・・・そんなこと言うたって、いつまでもごまかせるもんちゃうで?
どうせ結婚式の時になったら、ののも紺野ちゃんに会わないかんのちゃう?」
「・・・ん・・・そうなんだけど・・・ね」
あれ・・・? 電話中・・・かな?
次第にハッキリしてくる意識が、周りの状況を整理し始めて。
耳に押し当てている冷たい機械は、電話中なのかな?
私が起きたことに気付かないのか、のんちゃんは電話を続けていた。
しょっちゅうテーブルの上に伏せられる視線が、どこか物憂げで。
383 :
書いた人:04/01/31 15:22 ID:M/lT/SwW
「・・・ゴメン、うちそろそろ車乗らないかんから、もう切んよ?
とにかく、今日中には行けるように頑張るから・・・ののも、考えてみてや・・・」
「・・・あ、あいぼん・・・・・・」
あとに聴こえてくるのは、通話が切れたあとの機械的な音。
のんちゃんはその音をしばらく聞いた後、溜息をつきながら携帯をしまった。
しばらく・・・目の前の朝食に手をつけもしないで、カフェの外に見える街路樹を見つめる。
弱ったなぁ・・・起きた、って伝えるチャンスを完璧に逃したんだけど・・・
まだ8時前なんだろう・・・どこか朝なのに薄暗い景色。
それに溜息をついて食卓に目を戻したのんちゃんは、もそもそとベーグルをつまんだ。
今日の仕事は早い、って言ってたから・・・もう仕事場に来てるんだろう。
よくよく見れば、この4日間の間にも何度か来た、テレビ局のカフェだった。
あ〜、なんかもの苦しいなぁ。
灰色の空もそうだけど、何よりのんちゃんの感情状態が妙にブルーだからかもしれない。
384 :
書いた人:04/01/31 15:22 ID:M/lT/SwW
よし・・・今起きたってことにしよう。
ごく自然に、ごく普通に・・・今ならオスカーも狙えるような演技が出来そうな気がする。
頑張れ、私。
「・・・・・・あ、あれ?」
「・・・ん・・・まこっちゃん、起きた?」
「うん、おはよう」
なんつーのかなぁ? 自分に惚れた。
外見が見えないからかもしれないけど、完璧に信じ込ませることが出来たみたいで。
ごく自然に・・・自然に・・・
「なんかさぁ・・・さっき、電話してた?」
その刹那、のんちゃんの皮膚の表面に汗が一気に浮かんだような気がした。
いや、多分冷や汗だろう・・・起きたばかりの私には、少し寒すぎる冷や汗。
視線はカフェの入り口やら窓の外やら、いたるところを彷徨う。
「まこっちゃん・・・聞いてたの?」
「え? ううん・・・何か夢の中でそんな風だったような気がして・・・」
「そっか・・・うん、さっきあいぼんから電話あってさ。
今日中にもしかしたら来れるかも、だって」
385 :
書いた人:04/01/31 15:22 ID:M/lT/SwW
取り繕うかのように根元が無いのんちゃんの言葉は、一瞬で裏にある何かを予想させた。
さっきの電話・・・絶対、それ以外の何かで揉めていたと思うんだけど・・・
でもそれをストレートに突っ込むのはやっぱり勇気がいる。
加護ちゃんが来ることに喜びながら、私は少し訝しく思うと同時に、妙な詮索をして疑念を持った自分に後悔していた。
そんな私のことは予想もつかないのか、のんちゃんはしばらくして、またいつもの調子に戻ったみたいだった。
「このベーグル、美味しいでしょ?」
「うん、なんかねぇ・・・食べたことないやつだよ、これ」
「そりゃないよ・・・この会社が出来たのが、5年前だからね・・・」
「すごいねぇ・・・ベーグル通だねぇ、のんちゃん」
「嫌な通だね、それ」
どうやら既に収録は始まってて、今は朝ご飯の休憩、ということらしかった。
結構多めに時間を貰えたんだろう、テーブルの上を征服した後も、のんちゃんはのんびりと外を眺めて、行き交うコート姿のサラリーマンの群れを目で追っていた。
386 :
書いた人:04/01/31 15:24 ID:Ppq4bzVt
朝なのにこんなにゆっくりした景色って初めてだなぁ・・・
時間とともに店内も少し混んできたけれど、その忙しさが私たちに伝わることもなくて。
一瞬、のんちゃんが店内のざわめきに反応したように感じた。
「どしたの?」
「いや、今、名前を呼ばれた気がした」
「私には聞こえなかったよ」
が、次の瞬間、
「ののぉ〜!!」
今度は私に聞こえた無遠慮な大声に、のんちゃんが、いや、店内の誰もが目を向ける。
・・・え? モモレンジャー?
全身タイツかと一瞬見紛(みまが)うほどの衣装・・・
いや、正しくは身体の線を強調しただけなんだけど・・・
まだお店に入ったばかりでかなり離れてはいるけれど、あのファッションで全てが分かる。
「石川さん・・・・・・30前でもまだあの格好なの?」
「痛いでしょ? もうみんな諦めてるけどね」
「あ、でも・・・やっぱり凄く綺麗だなぁ・・・」
「そうなんだけどねぇ・・・惜しいよねぇ・・・」
387 :
書いた人:04/01/31 15:25 ID:Ppq4bzVt
テーブルに肘をついたまま、のんちゃんはぼんやりと石川さんを迎える。
石川さんは10年前と全く変わってなくて。
朝から何がそんなに楽しいのか、ご主人の前で尻尾を振る犬みたいに微笑んでいた。
「梨華ちゃんさぁ・・・他のお客さんいるんだから」
「あれ? 随分生意気な口聞くじゃない・・・一月ぶりだって言うのにさぁ・・・」
「うん、お久しぶり」
石川さんも芸能界で頑張ってたんだなぁ・・・
ちっとも落ち着きが見られないけど、それでも眉間の辺りに年齢と色っぽさを感じちゃう。
二人の会話の邪魔にならないように、黙って彼女を必死に観察してみる。
うーん・・・綺麗なんだけどなぁ・・・どこか、違うんだよなぁ・・・
さも当然のようにのんちゃんの向かいに腰を下ろすと、ウェイトレスにサラダだけ注文する。
本当に生きてるのが楽しい、ってくらいのテンション。
388 :
書いた人:04/01/31 15:25 ID:Ppq4bzVt
「今日はもう入ってるの?」
「うん、5時入りだったよ・・・梨華ちゃんは?」
「私はこれから・・・」
運ばれてきたサラダを、反芻するみたいにゆっくりと食道に送り込んでいる。
明らかに周囲からは浮き上がっているのに、既にこのピンク色に目が慣れてきた自分が怖い。
まあ、10年前にもう見飽きてる、って言うのもあるかもしれないけど。
頼むから・・・マネキン丸ごと買いとかしてくださいよ。
「あ、そうそう・・・結婚式ね、全員来るらしいよ。つんくさん以外は・・・」
サラダボールのアスパラガスをフォークで弄りながら、妖艶といってもいい視線を向ける。
意味もなく、何故か私がドキドキした。
「紺野から・・・いつかな? 電話あってね。喜んでたよ。みんな来てくれるんですよ!! って」
「・・・・・・」
389 :
書いた人:04/01/31 15:26 ID:Ppq4bzVt
また、あれだ。
のんちゃんの頬の辺りが、微かに震え始めた。
首筋の辺りがさぁ、っと冷たくなる。
その様子に気付いているのかわかんないけど、石川さんはなお、上目づかいを崩さない。
「それでね・・・」
「・・・」
「一番喜んでたのは、ののが行く、って返事したことだ、って言ってたよ。
『のんちゃんも来てくれるんですよ!!』って・・・あのぽやぽやした声で、すっごく嬉しそうだった」
「・・・・・・」
機械的にのんちゃんが頷いているのが分かる。
一瞬、石川さんが切なげに目を細めた。
サラダに目を落とした後、唾を飲み込んで、もう一度顔を上げる。
「出来たらでいいから・・・・・・謝んなよ・・・ね?」
石川さんのその目は、今まで見たどんな時よりも強さを持っていて。
のんちゃんは・・・コーヒーカップを持ったまま、その目を見つめ続けていた。
手が少し震えているのが分かった。
390 :
書いた人:04/01/31 15:27 ID:0xEZwsy+
どれくらいそうしていただろう。
「・・・ッ!! なんで!?」
喉の奥から搾り出すような、嗚咽みたいな声がのんちゃんの口から出たのに、私はさして驚かなかった。
加護ちゃんとの電話の最後の部分が、少し見えたような気がして。
その問いに、精一杯石川さんは微笑んで返した。
「多分・・・私以外の誰も気付いてないよ。
あの時・・・小川の出棺が終わった後ね、私・・・トイレで聞いたんだ。
隣から紺野の泣き声が聞こえてさ・・・すぐに慰めようと思ったんだけど、聞こえたの。
『のんちゃん・・・ゴメンね』って。
日ごろ空気が読めないからその反動かもね・・・すぐに・・・気付いたの。
詳しいことは知らないけど・・・でも、何かがあったんじゃないかなぁ、って。
私たちが離れた、あの15分の間に何かが・・・」
391 :
書いた人:04/01/31 15:28 ID:0xEZwsy+
「それじゃ、紺野の結婚式で、ね?」
という言葉を残して石川さんが去った後も、ずっとのんちゃんはカップを持ったまま虚空を見ていた。
石川さんの言葉からは、私はさっぱり何もわからなくて。
何がのんちゃんをここまで呆然とさせているのか分からないけど、でも、収録が再開する時間が近い。
遠慮がちに声をかけてみる。
「・・・・・・のんちゃん、収録始まるよ?」
突然耳元で大声を上げられたみたいに、のんちゃんはビクッと肩を震わせた。
「だから・・・収録、もうすぐ始まっちゃうよ?」
私の声に時計を確かめると、のんちゃんはテーブルの隅をじっと見詰めた。
「あのさ・・・まこっちゃん・・・」
「?」
「まだね、まこっちゃんに・・・言ってない部分があるんだ・・・」
のんちゃんが拳を握り締めて、爪が掌に食い込む。
「今はちょっと時間がないけど・・・すぐ、収録終わったらすぐに話すから・・・
だからちょっとだけ、待たせるけど・・・必ず言うから」
「・・・うん、待つよ」
私の声にのんちゃんがぎこちなく笑った。
ぎこちないけれど、この数十分では最高の笑顔だった。