175 :
書いた人:
―――
廊下を歩く「私」の視線を見ながら、まあ、ほとんど自分で見てるのと変わんないんだけど。
冬・・・かな?
冷たく引き締まった空気を感じて、私は考えていた。
ホントは聞こえてないのかな?
頭をガスガス叩いたのも、「病院」行こうかなんて考えたのも。
全然違うことを言ってたのかもしれないしね。
それにしても・・・人間10年でこんなに変わるんだろうか。
髪の色も、目の形も、輪郭も、声も・・・
ゆっくりと部屋に戻る視線も、心なし・・・低いような気がする。
背が縮んだのかなぁ?
まさかぁ・・・背が縮むのなんて、おばあちゃんくらいだ。
急激な老化が始まってるわけでもあるまいし・・・ねぇ。
176 :
書いた人:03/12/15 14:50 ID:AFSXiX/L
「私」はパジャマを脱ぎながら、衣装ラックに手を伸ばして白いワイシャツを取った。
うーん、着るものからして大人っぽいなぁ。
・・・っつーか、何でワイシャツ?
OLさんじゃないんだからさぁ・・・
が、ブラジャーを着けるのに俯いた視界に入った風景に、凍りつく。
胸、ちっちゃッ!!
太ってもあんまり大きくはならなかったから、期待はしてなかったけどさぁ・・・
これは酷い。
これって、まだ・・・Aかなぁ? ちっちゃいとかの前に、「薄い」の方が正確かも。
こんなに顔変わってるんだから、胸も大きくなってくれたっていいのに。
あさ美ちゃんレベルじゃなくてもいいから、せめて人並みには欲しかったなぁ。
177 :
書いた人:03/12/15 14:51 ID:AFSXiX/L
私が将来への気力を失っている間に、矢口さんにでも教わったんだろうか、
手際良く「私」は寄せて上げての作業を終え、あっという間に偽胸の出来上がり。
こうして世の男の人は騙されていくのだろう、私の胸じゃ騙せてすらいない、とは言わないように。
はぁ・・・・・・牛乳でも飲めばいいのかなぁ・・・
帰って仲直りしたら、あさ美ちゃんに「胸を大きくする方法」でも問い詰めてみよう。
でもなぁ・・・絶対、『女の人は胸の大きさじゃないよ!』とか言うんだ。
それがまた、嫌味に聞こえるんだよねぇ・・・
気が付くととっくに着替えは終わってた。
実にこざっぱりした格好。
ホント、OLって言われても納得しちゃう。
しかも黒髪のストレートだから、余計に真面目っぽさが際立つ。
石川さんが病的に夢見がちな視線で語ってた将来の夢、
『カーディガンを羽織ってランチを買いに行くOLさん』に近い。
178 :
書いた人:03/12/15 15:05 ID:AFSXiX/L
・・・お化粧は朝ご飯食べてからかな?
またスタスタと廊下に出た「私」。
こっちの世界に下手に関わらないでいい、っていうのは楽だけど、ちょっとつまらない。
しかも突然視界が動くから、ちょっぴり酔いそうだ。
せめて、「私」と会話できれば楽しいんだけどなぁ・・・・・・
「コラッ! 答えろ、私!」
そんなシャイな人間じゃないでしょ?
冗談めかした言葉に、「私」の足が立ち止まる。
やっぱり聞こえてるのかなぁ?
そわそわと「私」は右手を頬に当てた後、手の甲で唇を撫でた。
・・・いや。
ちょっと待って、今・・・見えたのって。
179 :
書いた人:03/12/15 15:06 ID:AFSXiX/L
今、ほんのちょっとだけど、視界に入った指。
爪が短かった。
ただの深爪じゃない、まるでちっちゃい頃から噛み癖があったかのような、変形した爪。
私が爪を噛むようになった? ありえない。
これがこの時代のトレンド? まさか・・・百歩譲ってそうだとして、この爪は昔から噛んでた風だし。
私が混乱してる間に、「私」は・・・いや、彼女は再び廊下を歩き始める。
「おかぁさ〜ん、朝ご飯なぁに?」
少しだらしなく、少し間延びした大きな声を廊下中に響かせて。
そうだ。
輪郭が変わってたのは、そもそも私じゃなかったからだ。
声が違ってたのは、これが彼女の声だからだ。
この家の風景、見たことがある・・・一度来たことあるもん、当たり前だ。
胸が小さかったのは・・・いや、これは私も同じだけどさ。
180 :
書いた人:03/12/15 15:12 ID:AFSXiX/L
―――
「希美、あんたねぇ〜、26にもなって、ご飯を大声で聞くのはやめなさい」
「いいじゃん、別に。お父さんとお母さんしか聞いてないんだからさ」
食堂に待ち構えていたその人に、私は「お久しぶりです」と、頭を下げた。
エプロン姿は変わらない。ただ、頭に混じった白いものが歳を感じさせるけど。
そして・・・・・・屁理屈うまくなったねぇ・・・のんちゃん。
ごめんね、すぐに気づかなくって。
おばさんがトースターからパンを取り出すのをわき目に、のんちゃんは満足げに食卓を見回す。
10年前にお邪魔した日と変わらない、暖かい食卓。
ホットカーペットが足元を暖めていて、目玉焼きが湯気を立ててる。
多分、この何年間、変わらないであろう、のんちゃんの家の食卓。
ただひとつ、私が頭の中に居候していることを除いて。
181 :
書いた人:03/12/15 15:13 ID:AFSXiX/L
「お父さん、もう仕事行ったんだ」
「あんたほど自由な職業じゃないのよ」
「私の方がよっぽど不自由なんだけどなぁ・・・」
「そんなの、この10数年で十分分かってます」
他愛のない、親子の会話・・・か。
のんちゃん、大人になったなぁ・・・・・・胸以外。
歯並びだって、あれって・・・矯正したよね?
表情やしぐさに落ち着きが出ていて、目線も相まって涼しげな感じがする。
つーかさぁ、私も気付いてあげようよ。
ちょっぴり自己嫌悪。
「希美、洗面所で何やってたのよ?」
おばさんの言葉に、のんちゃんはパンをのどに詰まらせる。
いやいや・・・私も苦しいから。
早くコーヒー飲んで、お願い。
182 :
書いた人:03/12/15 15:18 ID:AFSXiX/L
大げさに二、三回咳をすると、ようやく自由な呼吸。
頼むからさぁ、私も一緒に殺さないでね。
「いや・・・あのね・・・なんかちょっと、今日調子悪くって」
「今日お仕事ないんでしょ? 医者行きなさい?」
「うーん・・・精神科行ったほうがいいような気がするんだよねぇ。
なんだかさぁ、頭の中で変な声が聞こえる・・・」
「精神科」という言葉に、少しおばさんが眉をひそめた。
なぁ〜んだ、聞こえてるんじゃない。
ちょっぴりうれしくて、声の限り叫んでみる。
「おぉ〜い、のんちゃぁ〜ん!! 私だよぉ! 小川麻琴!!
聞こえてるんだったら、返事くらいしてくれたっていいのにさぁ」
が、今度ものんちゃんはスルー。代わりに返ってきた言葉は、
「ごめん、お母さん。やっぱり神社に御祓いとか行った方がいいかも」
御祓いって何だ、御祓いって。