猛忍具娘

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270名無し完璧です!
     40.安倍のプライド

「よしっ、石川、ナイスバッティング!!」

石川がホームを一周し終えようとした頃、やっと矢口が発した第一声だった。
横浜ナインは手荒く石川をベンチへと迎える。
飯田は主審からボールを受け取り、安倍へと返した。

「なっち、ドンマイ。切り替えていこ。」
「うん、わかってる……。」

そうは言うものの、さすがの安倍も同様を隠せない。
なんといっても安倍の一番の武器、『TSK』をアレだけ派手に打たれたのだから……。

「安倍さん、ボール貸してください。」

当然そういってきたのは藤本だった。
安倍は脈絡のない藤本の発言にまったく意味をわからずにいたが、とにかく貸してと強く言うので、とりあえず安倍は藤本にボールを渡すことにした。
ボールを受け取った藤本は、三塁ベースにタッチし、塁審に一言言った。

「三塁ベースタッチしましたよ。」
「うむ。アウト、ア〜ウト!!!」
271名無し完璧です!:03/12/29 01:36 ID:/zQBR2jd
へ?
そんな感じで、誰もがその状況を理解しきれずにいた。
一体誰がアウトなんだ?
だが、それは紛れもなく一人しかいなかった。

「……わ、わたし?」

そう、先ほど本塁打を放った石川、ただ一人だ。
だが、本人も何がなんだかまったくワケがわからないでいた。
そんな石川にご丁寧にも藤本が挑発のおまけ付きで説明した。

「残念でしたね、石川さん、ベースの踏み忘れをするなんて。
ま、おかげでこっちは助かりましたけどね。」

これに石川がぶち切れる。
どかどかとグラウンドへ戻ってきて、塁審へと詰め寄る。

「一体何なのよ!ベースの踏み忘れ?ワケのわかんないことぬかさないでよ!
何で私がそんなことしなくちゃいけないのよ!あんた、ちゃんと見てたの!!!」

矢口、柴田が二人がかりで石川を抑え込み、その場はなんとか丸く収まった。
それでもまだ石川の怒りは収まらない。
しかし、それ以上に怒っていたのは実は矢口だった。

「石川、いい加減にしなよ!ベースの踏み忘れなんて…しっかりしろよ!」

すると石川は突然我に返って静かにこう答えた。

「問題ないですよ、また打ち直しますから……。」

そう言った石川の目は、標的を定めた虎のような鋭い威圧的な視線を安倍へと向けていた。
272名無し完璧です!:03/12/29 01:39 ID:/zQBR2jd
「さあ、安倍さん、切り替えていきましょ。」
「はは……さんきゅ、藤本。」

藤本に返されたボールを受け取り、苦笑いする安倍。
しかし、先ほどよりはなんとか落ち着きを取り戻しているようだった。
その証拠に、後続もピシャリとしめて結局この回も三者凡退で終えた。
そして、ベース踏み忘れで流れが変わったのか、裏の早大付の攻撃。
先頭打者の安倍が魅せた。
初球の内角速球を見事なまでに綺麗に捌き、ライトスタンドへと運んだ。
その後、5番の藤本が右前安打、二死から8番の木村が四球を選んでチャンスを作ったが、この回は石川がなんとか1点にとどめた。
3回表、横浜は安倍の速球にまったく手が出ず、またも三者凡退。
今日の安倍は誰の目から見ても絶好調に間違いなかった。
たった一人を除いて……。

「なんか今日のなっち、いつもに比べるとちょっとおかしな気がする……。」

安倍の女房役、飯田。
彼女だけは安倍のいつもとの微妙な変化に気付いていた。
そこで飯田はベンチへと引き返した時、すぐさま安倍に直接聞いてみることにした。
273名無し完璧です!:03/12/29 01:41 ID:/zQBR2jd

「ねえ、なっち。」
「……。」

飯田の呼びかけにまったく反応しない安倍、その目は完全にどこかにいってしまっている。

「ねえ、なっちったら!」
「…はえ?あ、何、圭織か。どうかした?」
「ちょっとなっち、大丈夫?ボーっとして……。」

飯田は何気なく安倍の額に手を置いてみた。

「あつっ!あんた、ものすごい熱……。」

熱があるじゃん!
そう言おうとした瞬間、安倍はすかさず飯田の口を左手で塞いだ。
そして、右手の人差し指を立てて、周りに聴こえないように静かに言った。

「大丈夫、心配しないで。これくらいなら全然平気だからさ。
みんなに変な心配かけさせたくないしね。」

口に当てられた安倍の手をどけ、飯田もできる限りの小さな声で安倍に話す。
274名無し完璧です!:03/12/29 01:41 ID:/zQBR2jd

「あんた、そんな熱で平気なワケないっしょ?そのまま続けたらどうなるか、あんたにだって想像くらいできるでしょ?」
「ごめん、圭織……。
でもさ、昨日の紺野や藤本が頑張って投げるの見たっしょ?
あんだけ二人が頑張って、昨日休ませてもらってたなっちがこんなとこで降りるなんて…。
それに昨日矢口と約束したんだよ、真っ向勝負するって。
今更逃げたくないべさ。
それにさ、なっちはやっぱこのチームのエースだって自分では思ってる。
だからさ、こんなとこで降りるのはなっちのプライドが絶対に許さないべさ。」
「なっち……しょうがないなぁ……わかったよ。」
「圭織……。」
「9回まで、だよ。延長に入ったら嫌でも変わってもらうからね、いい?」
「ありがとう……圭織。」

もう、かれこれ5年もの付き合いになる飯田にはわかっていた。
おそらく38℃は軽く越えているであろう熱があったとしても、安倍はこんなことではマウンドを降りようとしないということを……。
そんな自分を枉げない安倍の球を、飯田はずっと受け続けてきたから……。
飯田はただただ、安倍がなんとか最後までもってくれることだけを祈っていた。