37.決戦前夜
パーパパーパラーパ パーパパーパラー パパー
「あ、メール……。」
安倍が携帯に手を伸ばす。
一体誰からだろう?
携帯を開き、メールを確認する。
そのメールの主は思いもよらぬ人からのものだった。
「矢口?」
内容は今すぐ会いに来て欲しいとのこと。
一体こんな時分に何のようだろう?
とりあえず安倍はすぐさま矢口の元へと向かうことにした。
その頃、新垣は一人宿舎の前で素振りを行っていた。
明日の決戦に備えて……。
「ふぅ、ちょっと休憩しようかな……。」
「お豆、頑張ってるね。」
「あ、柴田さんに石川さん。」
先輩の柴田と石川が新垣に差し入れを持ってきた。
全員で持ってきたお茶とお菓子をほおばりながら和む。
「そういえば、お豆は矢口さんが今どこにいるか知んない?」
石川が新垣に尋ねる。
心当たりのない新垣は素直に答える。
「いえ、見てませんけど……どこか行ったんですか?」
「そっか、じゃあどこかに出かけてるんだろうね。」
しばらくの沈黙の後、新垣が口を開く。
「あの……明日の試合、どうなると思いますか?」
石川・柴田はちょっと驚きながら目を見合わせる。
この問いに柴田が先に答える。
「相手は早大付だからねぇ。
先発はおそらく今日投げていない安倍さんだろうけど、後ろには藤本さん、さらには今日好投した紺野ちゃんもいるからね。
それに打線もそうそうたる顔ぶれだから一筋縄じゃいかないだろうね。」
石川も続くが、こっちはえらく楽天的な意見。
「ま、なるようになるって。
私たちだって負けないくらい頑張ってるんだから、自信を持っていこうよ。
ポジティブポジティブ♪」
「相変わらず梨華ちゃんが言うと寒いよね。」
「何よ、柴ちゃん!
人が真面目に話してるのに!」
柴田の石川イジメを見て、新垣は思わず吹き出す。
と同時に少しだけ残っていた不安の靄のかかっていた心が完全に晴れた。
そして自信を取り戻した新垣が声を張り上げる。
「石川さん、柴田さん、明日は絶対に勝ちましょう!!!」
石川と柴田は笑顔で同時に深く頷いた。
それと同じ頃、紺野は宿舎の机の上でノートを広げてボールペンを走らせていた。
テレビにはいつの間にとったのやら、横浜の試合を録画したビデオが流れては止めてを繰り返している。
「紺ちゃ〜ん♪」
突然の声に紺野は思わず飛び上がる。
見てみると、そこには藤本が立っていた。
あ、表向きとは違って髪がやけにボサボサになっているってとこは気にせずに。
「横浜の研究?頑張ってるね。」
「はい、やっぱり負けたくないですから……。
藤本さんも知ってますよね?
うちらが去年決勝で負けたっていうこと……。」
「うん、前に飯田さんとかから聞いたよ。」
紺野をはじめとする藤本以外の早大付ナインには、昨年決勝戦で上野に敗れた苦い思い出がある。
特に紺野はこの試合のラストバッターになってしまったということで、一層悔いがある。
それだけに、今度こそ勝ちたいという思いは誰よりも強かった。
「紺ちゃん、横浜はどう?」
「やっぱり強敵ですよ。
投手の石川さんは攻略できないこともないと思うんですけど、打者としての石川さんが厄介ですね。
石川さんはどうも悪球打ちみたいなんですけど、徐々に調子も上がってきてるみたいで要注意です。
あと、石川さんの前の矢口さん・新垣ちゃん・柴田さんをどれだけ出さないようにするかが勝負の鍵になりそうな気がします。」
「ふ〜ん、相変わらずよく調べてるねぇ。」
「いや、それほどでも……。」
藤本に誉められ、紺野は少し顔を赤らめて俯いてしまう。
藤本は紺野のこういったところが可愛くて何気に好きだったりする。
だからこうやってたまに紺野を誉め殺したりして楽しんでいるのだ。
「紺ちゃん。」
「はい?」
藤本が突然真面目な顔をして話してきたので、紺野は少し妙な声で返事をしてしまう。
「明日は安倍さんが先発だから大丈夫だとは思うけど、もしものことがあれば美貴らが投げることもあると思う。
だから心の準備だけはしておきなよ。
ま、そうは言っても打って守るのが第一だから、美貴らはそっちでがんばろうね。」
「そうですね。」
「それと……。」
藤本が話に少し間をおく。
そして真剣な表情を崩さずに、そのまま話を続けた。
「美貴が言うのもあれだけど、あまり意識しすぎちゃダメだよ。
確かに勝たなきゃダメな試合だろうけど、大事なのはいつも通りに頑張っていくことだと思う。
そうすりゃ自然と結果がついてくると思うからさ。」
「藤本さん……。」
「さ、データ分析するんでしょ?
美貴も手伝ってあげるからさ!」
「あ、ありがとうございます!」
藤本の言葉に僅かながら勇気をもらった紺野は、藤本と一緒に横浜の分析を再開した。
ポツッポツッ……ザァーーーーー
「あ〜、降ってきちゃったよぉ〜。
今から傘を取りに行くのもアレだし……。
今度絶対矢口に何かおごらせてやるんだから。」
安倍は愚痴りながら、雨の中を走っていた。
さっきまではなんとか止んでいた雨も、また降りだしてきてしまった。
おかげで服もびしょ濡れだ。
安倍は走りながら、矢口に何をおごらせるかを考えていた。
そうこうしている間に、ちっちゃな人影が見えてきた。
「なっち、来てくれたんだね。」
「矢口、こんな時間に何の用だべさ?
つか、こんなとこにいたら風邪ひくべよ。
って矢口、様子が変だけどどうかしたの?」
人影の正体は矢口だった。
しかし、その表情は安倍に何かを訴え続けていた。
「なっち……。」
「なに?」
「なっちは知らなかったかもしれないけどさ。
なっちはずっとおいらの憧れ、おいらの一番の目標だったんだ。」
「へぇ〜、そうだったんだ……。」
「うん、そのなっちとついに決勝で直接対決する機会ができた。
だからさ、今ここで一つだけ伝えたいことがあるんだ。」
「なに?」
しばしの沈黙の後、意を決して矢口が口を開く。
「おいらね、真っ向勝負してほしいんだ。
なっちは明日先発でしょ?
こんなこと言うのもなんだけど、絶対に逃げないんで欲しいんだ。
おいらも全力で迎え撃つからさ。」
「……矢口の気持ちはわかったよ。
大丈夫、私は絶対に逃げないよ。
明日は結果がどうなろうとも、必ずいい試合にしようね。」
「うん!ありがとう、なっち。」
そう言うと、矢口は走って宿舎へと帰っていった。
一方の安倍はというと、矢口の言葉が頭の中でひたすら響き渡っていた。
絶対に逃げないで……。
雨の中を宿舎へ歩きながら帰っていたが、その言葉が安倍の中に重く圧し掛かった。
やっとのことで宿舎へ戻った安倍は、さっと体をタオルで拭いて、すぐさま布団へと倒れ込んだ。
そして数分もしない内に、そのまま眠りへと落ちていった。