36.あっち向いてホイ
7回裏、石川が姫路打線を三者凡退に打ち取る。
8回表、この回の先頭打者の石川が打席へと向かっていく。
「ねえ、あやや。」
石川に突如声をかけられ、さすがの松浦も少し驚きの表情を見せる。
しかし、松浦もすぐさま返す。
「なぁ〜に、梨華ちゃん?」
互いに満面の笑みで相手の愛称で呼び合ってはいるが、二人の間には張り裂けんばかりの緊張感が漂っている。
しばらくして石川が口を開く。
「この打席であんたを沈めてあげる。」
松浦は笑顔を崩さない。
しかし、石川が打席に立った時、松浦の表情が歪む。
松浦だけでなく、球場中の誰もが自らの目を疑った。
「あなた、それで打つつもり?正気?」
松浦の言うことは確かに正論だ。
なにせ、石川は何を思ったのか、体を完全にバックネット側に向けて構えているのだ。
松浦から見れば完全に背を向けている状態だ。
一体何処を向いているんだ、と思わずつっこみたくなる。
「とやかく言わずにさっさと投げなよ。ご自慢のスライダーをさ。」
さすがの松浦もこの挑発に少しムッとする。
そして、身の程を思い知れといわんばかりに、思い切りボールを投げた。
石川の右足に向かって球の軌道が変化する。
その時だった。
石川が体を思い切り開いて打ちにいった。
「ハッピ〜〜〜〜〜!!!!!」
鋭く振り抜かれ、打球はレフトへと舞い上がる。
普通なら切れていってファールになってしまいそうな打球。
しかし石川の気持ちの乗った打球は切れることなく一直線にレフトスタンドポールを直撃した。
右の拳を高々と掲げながらベースを回る石川。
横浜サイドは予想外の先制劇に沸きに沸く。
一方の松浦はさすがに唖然としていた。
「梨華ちゃんも上手いこと打ったもんだね。」
バックネット裏の福田が言った。
辻は相変わらず頭の上にハテナが浮かんでいるようだ。
そんな辻に、後藤が優しく説明する。
「梨華ちゃんはミートポイントを前にするためにあんな打ち方をしたんだよ。
ああすれば打った感じは普通の時と変わらない。
それに、投手に背を向ける形で立てば、ボールは普通には見えない。
つまり悪球になるっていうこと。
だから梨華ちゃんが打てたんだよ。」
「ほぇ〜。」
結果として、この本塁打が勝負の行方を分けた。
その後も投げ続けた石川が好投し、見事横浜が完封勝利を収めた。
試合終了後の挨拶時、松浦が石川の前に立ちはだかった。
その目は殺気すら漂っていて、そこには笑顔がかけらもなかった。
「あややは負けず嫌いなの。だから今度対戦するときには絶対にあなたを倒す。」
今度は石川の方が余裕げに笑顔。
「いいわよ。次も私が打たせてもらうけどね。」
そう言って二人は固い握手を交わす。
こうして二人はいつの間にか、互いを最高の好敵手と思うようになっていた。
この戦いを通じて、ある種の友情が生まれたのだ。
松浦はその後、いつもの笑顔を取り戻し、ベンチへと引き返していった。
激戦を経て、ついに決勝の対戦カードが決定した。
北海道代表早大付札幌高校と神奈川代表横浜高校。
明日、この二校から娘。甲子園のトップとなる高校が決まる。