35.アイドル人造人間(サイボーグ)
「りかちゃん、おしかったれすね。」
バックネット裏の観客席。
辻がまるでヒーローモノのテレビに見入る子供のように(といってもまだ子供だが)言う。
「でも、なんれとらえたはずなのにだきゅーがあがんなかったんれしょーね?」
「それはね、辻。きっとチェーンソーボールの軌道のせいだよ。だろ?後藤。」
福田が辻の素朴な疑問にさっと答えてみせ、後藤に振る。
それに後藤も応える。
「そうだねぇ、あれだけ変化にキレがあると、普通は当てるのも難しいもんだからねぇ。
梨華ちゃんは悪球打ちだから当てられたようなもんだよ。
ただ、あの球の軌道は軸足に当たりにくるような感じだから、どうしてもミートポイントが近くなっちゃう。
それであの梨華ちゃんでも打球を上げらなかったんだろうねぇ。」
「………ほぇ〜。」
辻は話の内容こそ、ただただ口をボケーと開けて聞いているだけのような状態だったが、それでもこの二人がすごいという事だけは十二分に理解できたようだ。
3回表、二死で松浦の打順、マウンド上の石川はさらに気合が入る。
しかし、その一方で松浦はまったく打とうという気配がない。
そうこうしている内に、あっという間に石川が2ストライクを取ってしまって一気に追い込む。
ここで石川が松浦に対してハッパをかける。
「あなた、打つ気まったくないわけ?」
松浦はまったく動じることなく言葉を返す。
「打つのはあややの仕事じゃないもん。
どうせ点取られないから打つ必要もあんまりないし。」
さすがの石川も松浦のこの挑発的な態度には多少は慣れてきたようだ。
比較的、さっきよりも落ち着いている。
松浦は結局この打席、見逃し三振に倒れる。
3回裏、松浦が満面の笑顔でマウンドへと向かっていく。
この松浦は『姫路の星』と同時に、あともうひとつ、ある異名を持っていた。
『アイドル人造人間(サイボーグ)』、それが彼女のもうひとつの異名だ。
アイドル級のかわいい顔をした彼女、実はとある記録を有している。
一試合12死球、今大会(地方含む)通算53死球、いずれも彼女ひとりで打ち立てた恐ろしい記録だ。
しかし、これで防御率が0点台というのもさらに驚異的なことだ。
実は彼女、本来は制球力がかなりいいはずなのだ。
その証拠に、四球に関しては一試合に一つあるかどうか、というくらい。
しかも、この死球の大半が足、しかも膝周辺をピンポイントで当てていることが多い。
まるで狙っているかのように…。
足なので、当然退場をくらうという事もまったくない。
この精密機械のような制球力、さらに平気で死球を狙ってくる冷徹さが、彼女を『人造人間(サイボーグ)』と云わしめる所以なのである。
試合はこのまま早い展開で進み、開始から1時間も経たずして、すでに6回の攻防を終えていた。
姫路は石川の好投で散発5安打、一方の横浜は以前松浦の前にランナーすら出せず、互いに0行進を続けていた。
7回表、石川は姫路打線にヒットこそ許すものの、粘りのピッチングでまたしても0でこの回を終える。
裏の横浜の攻撃、この回は一番の矢口からだ。
ゆっくりと打席へと向かっていく矢口。
「そろそろどうにかして攻略しなくちゃ……。」
矢口は左打席で構える。
立ち位置はもちらん、ホームベース寄りの打席の一番後ろ。
初球、二球目とキュートスライダー。
やはり避けるのが精一杯という感じで、とても打つどころではない。
そこで矢口は突如立ち位置を変え、打席の一番前に立つ。
松浦は何事もなかったかのように三球目を投じる。
その瞬間、矢口は仕掛けた。
打席の中で動いたのだ。
そして矢口は打席の一番後ろへ。
狙いは速球、矢口の読みは完璧のはずだった……。
しかし、矢口のバットはことごとく空を切った。
「惜しいけどハズレでしたぁ。
今のが『桃色チェンジアップ』、通称『ピーチチェンジ』。」
矢口は三振に倒れた。
続く新垣もセクシーシュートの前に為す術なく三振に倒れる。
そして柴田が打席に入る。
もちろん打席の一番後ろに立つ。
初球は例の如くキュートスライダー。
その時柴田が動いた。
軸足を引き、打ちにいったのだ。
結果は残念ながらピッチャーフライ。
横浜サイドからはため息が漏れ、スリーアウトでチェンジとなる。
しかしこの時、一人だけ目つきが変わった人がいた。
石川だ。
石川の目が怪しく光る。
アニメの世界ならおそらくキラーンと効果音を立てていただろう。
「みんな、ごめん。打てなかったよ。」
「柴ちゃん、どんまい。気にすることないよ。」
柴田の詫びに矢口がフォローを入れる。
「そうそう、それに柴ちゃんのおかげであの球を攻略できそうだしね。ふっふっふっ……。」
「……梨華ちゃん?」
石川の怪しげな笑いに柴田は若干戸惑っている模様だ。
果たして石川の見い出したチェーンソーの攻略法とは?
今のところ、それは石川にしかわからない。