34.悪球打ち、敗れたり?!
矢口が松浦に詰め寄ろうとした時、誰かがその間に割って入ってきた。
石川だった。
その表情は怒りに満ちていて、ウォームアップの時以上の剣幕だ。
「あんた、いい加減にしなさいよ。やっていい事と悪い事があるでしょ?」
普段の笑顔の石川のかけらもない。
その石川の怒れる目は松浦をただただ凝視している。
にもかかわらず、松浦はまったく臆することなくニコニコと笑顔で言葉を返す。
「勝負の世界にそういうのって関係ないと思うけどぉ?それに今のストライクだしぃ。全然問題なんてないじゃない。ただそっちが避けるのが下手なだけでしょ?」
この言葉に石川の堪忍袋の緒がプチーンと切れる。
石川が松浦にゆっくりと歩み寄る。
この時には観衆の誰もが乱闘モードに突入しつつあることを察していた。
しかし、誰かがかろうじて石川を制止する。
柴田だった。
痛々しそうに少しばかり左足を引きずっている。
「梨華ちゃん、それだけはダメだよ!それこそ相手の思う壺だよ!」
懸命に石川を説得しようとする柴田。
しかし、石川はまったく聞く気配がない。
「離して、柴ちゃん。あいつだけは絶対許せない!柴ちゃんやお豆、よっすぃ〜を平気で傷つけるあいつだけは……。」
柴田に話しかけてはいるものの、石川の目は松浦を睨んだままだ。
松浦も石川を挑発するように笑顔で石川を見つめる。
「ここでもし手を出したらどうなるかぐらいわかってるでしょ?そんなことしたら、矢口さんや他のチームメイトが!いや、それだけじゃない、今まで私たちと闘って敗れ去った全ての人たちがここで夢を諦めることになるんだよ!」
柴田のこの言葉に石川は我を取り戻す。
そしてその場でクルリと振り返り、ベンチへと退こうとする。
しかし、松浦はそんな石川に対してさらに吹っかける。
「逃げるのぉ?あややは乱闘大歓迎なのにぃ。」
石川の足が止まる。
この瞬間、誰もが石川がまたキレたと思った。
石川はまた松浦の方に向き返る。
「決着は野球でつける。あんたは私が絶対に打ってやる!」
この時、松浦ははじめて笑顔を崩し、真面目な顔つきになる。
しかし、すぐにまた元の笑顔に戻る。
「やれるもんならやってみなよ。完膚無きまでに叩き潰してあげるから。」
この後二人は、片方は今にも殴りかかりそうな目つきで睨みつけて、片方は相手を上から見下したような笑顔で、互いの目だけを見続けていた。
それは数秒の出来事ではあったが、まるで数十分はあったんじゃないかと思えるくらい長く感じられた。
そしてようやく試合が再開される。
結局柴田は、この後松浦の球にまったく手が出ず、三振に倒れる。
2回表の岩国の攻撃も、初回に続いての石川の好投で、簡単に三者凡退に抑え込まれてしまった。
2回裏、横浜ナインは早くも円陣を組む。
「みんな、聞いて。松浦のあのチェーンソーボールってのはかなり厄介だと思う。
多分、そう簡単には攻略できないだろうし、ただ狙っても怪我をするのがオチだと思うから、あの球はおいらと石川で何とか仕留める。
他のみんなは打席の前の方に立って速球をなんとか攻略してちょうだい。
柴ちゃんとお豆は足の状態もあるだろうから、何を狙うかの判断は個人に任せる。なんとかして松浦を打ち崩そう!」
矢口の指示にナインはオゥ!と声を合わせて気合を入れなおす。
そしてこの回の先頭打者、石川が打席に向かう。
矢口は、今回の試合はこの石川が勝負の鍵を握っていると思っていた。
そう、石川の悪球打ちなら、松浦のチェーンソーボールを攻略できるだろうと……。
「あなた、悪球打ちなんだって?話は聞いてるよぉ。」
松浦が突然話しかけてきて、石川は少々ビックリしたが、すぐさま言葉を返す。
「そうよ。だから、あんたのチェーンなんたらって球は私には通じないってこと。」
まるでその言葉が来るのを予想していたかのような松浦。
まったく崩れることのない笑顔が、まるで自信を表しているかのようだ。
「さっきも言ったでしょ?完膚無きまでに叩き潰すって。あなたじゃあややの球は打てないって事を教えてあげる。」
石川が左打席で構える。
松浦はワインドアップから第一球を投げる。
柴田の初球とまったく同じ球の軌道。
間違いなく『キュートスライダー』だ。
ボールはホームベース上を通過し、そして変化、石川の左足を襲う。
その球を石川が打ちにいった。
『カキーーーン!!!』
痛烈な打球音。
誰もが捉えたと思った。
しかし、綺麗に流し打った打球はサードへの真正面のライナー。
あっという間にアウトになってしまった。
「言ったでしょ?完膚無きまでに叩き潰すって。」
自身に満ち溢れた松浦の笑顔、一方の石川は完璧に捕らえた打球がアウトになってしまったことに困惑していた。
石川はワケもわからず、ベンチへと戻っていった。