32.CHAIN SAW BALL
突然の雨と延長戦のおかげで、第二試合の試合開始時刻がかなり遅れている。
しかし、なんとか雨も小康状態になり、水捌けのよい甲子園ということもあって、予定より二時間半遅れで試合は開始されることになった。
横浜・東洋大姫路の両校が入念にウォームアップを行う中、一人だけいつもとはまったく違う顔つきをしている。
横浜高校の石川梨華。
普段は白い歯をこぼしながら楽しげにアップをしているのに対し、なぜか今日は真面目な面持ちだ。
それどころか、人をまったく寄せ付けないような剣幕が漂っているくらいだ。
そこに矢口が思わずいつものように「どうした、石川?」と茶かを入れようとしたが、今日はそれすらできそうな雰囲気ではない。
矢口はなぜ今日の石川の様子がおかしいのか、大体の理由は察していた。
おそらく吉澤の事だろう。
矢口も、石川と吉澤の仲は十分に知っていた。
矢口はあえて石川にはその事に触れることなく、そのままアップを続けた。
そして準決勝第二試合が始まった。
先攻は東洋大姫路だったが、横浜の先発の石川は、本日はいつも以上に『キレて』いた。
いつもは立ち上がりに不安のある石川だが、初回は三者凡退と最高の立ち上がりを見せた。
続いて裏の横浜の攻撃。
マウンドにはあいつがいた。
地元ということで、他とは比較にならないほどの大声援、あややコールが耳が割れんばかりに球場中に木霊している。
マウンドに立つのは、姫路の星と謳われているこの大声援の主、あややこと松浦亜弥だ。
一番の矢口がいつものように打席の一番前でバットを構え、そしてプレイがかかる。
「とばしちゃって、よいのかな?」
松浦がそう言って第一球を投げた。
外角に152km/hの速球。
矢口は打ちにいくが、振り遅れて空振り。
その後、矢口は6球目のアウトハイの速球を振らされて、空振り三振に倒れた。
「くそぉ!」
地面を蹴り、悔しさを全面に出す矢口。
続いて新垣が打席に入る。
しかし新垣は、矢口とは一転して打席の一番後ろのホームベース寄りに立つ。
「さすがお豆ですね。相手に応じて戦い方を変える、お豆の立派なとこですね。」
「柴ちゃん、それはおいらへの当てつけかい?」
「いやいや、そうじゃないですよ。矢口さんみたいに自分を貫けるのも立派だと思いますから。」
「たしかにおいらもお豆のそういうところは感心してるけどね。」
矢口は常に打席の一番前に立ち、どんな相手とも真っ向勝負を挑む。
一方の新垣は、自分が最も打てる確率の高いと思う型で相手に合わせてくる。
この堅実さが、矢口とクリーンアップとのパイプ役として、横浜の二番を任せられている要因のひとつでもあった。
そんな新垣に対する松浦の初球。
内角への速球。
新垣がそれを打ちにいく。
が、その瞬間。
「うわぁ!!!」
『ドカッ!!!』
さらに内角へとシュートしてきた球が、新垣の右足を直撃した。
「お豆!」
矢口を筆頭に、横浜ナインが一斉にベンチを飛び出し、新垣の元へと向かう。
「チェーンソーボール、『セクシーシュート』。」
松浦は笑顔でそう言った。
これが吉澤に「まるでチェーンソーのよう」とまで言わしめ、そして苦しめた、松浦の誇る必殺のシュートボールだった。