小説「ジブンのみち」

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80辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU
安倍なつみは上機嫌だった。
人懐っこい笑みで「いいね」と何度も繰り返している。

「紺野って、ブナの木相手に一万回の蹴りを日課にしてるんだって」
「なるほどね。よくやるぜ」
「紺野のローもらったら、並みの女の子じゃああなるのも仕方ないよ」

高度な技やその応用を一切廃除し、ただひたすら基礎練習のみを繰り返した。
その手から繰り出される正拳突き。
その足から繰り出されるロー、ミドル、ハイ。
それだけを絶対的な武器に鍛え上げた。他は何もない。
来る日も来る日も、その拳とその足を打ち続けてきた。
それが紺野あさ美である。
小手調べなんて知らない、最初の一撃から常に全力の一撃。
己の信じてきたモノを全力で相手にぶつける、ただそれだけ。
それで頂点を目指そうと思った。

「いいねぇ。おもしろくなってきたね。ねぇ美貴」
「あんたが一番楽しんでいるよ」
「そりゃそうよ。だってなっちが主催者なんだもん」

安倍なつみは上機嫌だった。
81辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/10/01 23:08 ID:DJPX70mC
「第5試合!加護亜依選手!加護亜依選手はいませんか!」
「はい!はい!はい〜!ごめんなさい〜!寝坊してもうたぁ」

先ほど紺野が消えた通路から小さな女の子が現れ、愛と麻琴の前を走り抜けていった。

「へーあんな小っちゃい子も出てるんやの」
「どうでもいい!それよりあいつだ!紺野あさ美!なめた態度とりやがって!」
「まあまあ。あれ、そういえば亜弥がいないね」
「あの猿ならお前の試合が終わってすぐどっか行っちまったぜ」
「ふーん。どしたんやろ?」

亜弥の試合は一回戦ラスト第8試合である。
そのときになれば来るだろうと思い、愛は試合観戦していることにした。
第5試合はさっきの小っちゃい子が3R判定でなんとか勝利を収めていた。
第6試合、第7試合と特に異変はなく進行してゆく。
そしていよいよ一回戦ラストという所で、事件は起きた。
一人の女が会場に姿を現したのである。
その姿を見つけた観客たちのどよめきは徐々に会場全体に広がってゆく。
(どうして彼女がここに?)
日本プロレス界最強の女、ハロープロレス社長、飯田圭織その人であった。
選手でもない、関係者でもない、ただ一人の観客として現れたのだ。
最前席にどっしりと腰を下ろす。足を組み、腕を組んで、静かに壇上を見つめる。
ただそれだけの行為で、会場全体が得体の知れないムードに包まれてしまった。
何かが起きる!?と…
82辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/10/01 23:09 ID:DJPX70mC
愛と麻琴も、ジョンソン飯田の放つオーラに圧倒されていた。
安倍なつみと並び現在、女子格闘議界の頂点に君臨するだけのことはある。

「あの人がハロープロレスのジョンソン飯田さん。亜弥の目標とする人かぁ」
「確かに凄ぇな。こんなに離れているのに目立って見えるぜ」
「うん、生で見るとほんとにでっかいわ〜。強そ〜」

一方、VIP室ではなっちが反応している。

「カオリの奴ぅずるいなぁ」
「あんたが仕組んだのか?」
「まさか。うちとカオリん所は対立関係ってことになってんだよ、一応」

しかしどう見ても、この予想外の波乱をなっちが楽しんでいる様にしか見えない。
飯田に向けるなっちの瞳を見て、藤本は少し嫉妬した。
(ジョンソン飯田か…気に食わねえな)

「はじまるぜ、圭織」
「ああ」

飯田の隣に石黒が腰を下ろす。飯田をこの場へ連れて来たのは彼女だ。
これから始まる試合を…いやこれから登場する娘とその力を見せる為にである。

「第8試合!松浦亜弥選手の入場です!」
83辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/10/01 23:12 ID:DJPX70mC
対戦相手である伝統派空手の娘はこの異様なムードに飲まれていた。
無理も無い。目と鼻先で超大物ジョンソン飯田が見つめているのである。
それに合わせて観客達の興奮も並ならぬものとなっている。
緊張するなという方が無理な話だ。
なのに、なのに目の前に立つ松浦という娘はまるでそれが見られない。
入場から堂々としていた。開始前の今でさえまるで気負いが見られない。
プレッシャーに押し潰されてもおかしくない状況なのにだ。

「はじめ!」

松浦亜弥が飛んだ。いきなりのジャンピングソバット。
空手の娘、これに反応するも対応ができない。ガードごと吹き飛ばされる。
寝てはいけない。相手はレスラー、自分は打撃屋だ。すぐに起き上がり構える。
打撃なら負けない、負けてはいけない。左右の拳を打ち込む。松浦はまるで避けない。
避けずにまっすぐ向かって来る。松浦も打撃で反撃してくる。それは防御する。
打ち合いとなった。こちらは攻撃と防御、松浦は攻撃のみ。手数が違ってくる。
押されている。当てた数は断然多いはずなのに、押されている。
そのうち分かってきた。違うんだと。この松浦という女は違うんだと。
打撃とか、寝技とか、攻撃とか、防御とか、緊張とか、そんなのは関係ないんだと。
そういうのを超えた所で強いんだ。違うレベルにいるのだと。
打撃屋がレスラーに打撃で負けたからどうだって話じゃないんだと。
強い。倒された。松浦が掴んできた。だが寝はしない。立ったままだ。何をする気だ?

「いっくよ〜1!2!3!」
84辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/10/01 23:14 ID:DJPX70mC
亜弥は掛け声と共に、両腕に力を込めた。
相手の腰を掴んだ手でそのまま一気に彼女を持ち上げた。
バーベル上げの様に、対戦相手の娘を上空に持ち上げたまま静止してみせたのだ。
相手も女子といえどある程度の体格は備えている。亜弥よりも重いはずである。
もちろん彼女も大人しく持ち上げられているつもりはない。抵抗はする。
だがどうにもできないのだ。亜弥の両手がガッチリと掴んで放さない。恐るべきパワー。
試合を見ている者全員にその光景が見える様、そのまま亜弥は壇上をグルッと回り始めた。
観客に、選手に、高橋愛に、安倍なつみに、石黒とジョンソン飯田に…
「自分を見ろ!」と言わんばかりの大胆不敵なアピール。
存分にその視線を堪能すると、亜弥は再び壇上の中央に位置を戻した。そして…

「グッバイバイ!」

パワーボム!ではない…松浦亜弥風味が効いている。
とにかく派手に!目立つように!思いっきり上から下へ相手を叩き落とした。
それだけの技だが、亜弥のパワーで床に叩きつけられた衝撃は想像を絶する。
伝統派空手の娘は、その時点で意識を失った。

「勝者!松浦亜弥!!」
「イエ〜イ!ありがとうございま〜す♪」

あの異様な空気が、この松浦亜弥の笑みで一気に興奮のるつぼへと変化した。
デビュー戦とは思えない圧倒的倣岸たる戦いぶり。まさにサイボーグ。
闘いを魅せる為に生まれてきた様な娘。松浦亜弥!一回戦突破!
85辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/10/01 23:14 ID:DJPX70mC
「どうだった?」

試合を終えた亜弥が、通路で観戦していた愛と麻琴の元へ戻ってきた。

「相変わらずのバカ力やわ。それに私と闘ったときよりもまた強くなってる」
「もっちろん。優勝はもらっちゃうからね」
「ケッ!そうはさせねえぜ。優勝すんのはこの小川麻琴様だからよ!」
「無理ね。第一あんたの次の相手って…」

言いかけた亜弥が口を止める。その視線の先に一人の娘が入った。
愛と麻琴も振り返る。三人の前に姿を見せたのは夏美会館のホープ、紺野あさ美。
紺野は麻琴を指差し、それから愛、亜弥と順に指差して口を開いた。

「まずあなた、次にあなた、最後にあなた、三人とも私が倒しますから」

紺野は二回戦で麻琴と、順当にいけば準決勝で愛と、決勝で亜弥とぶつかる。
この大胆不敵な宣戦布告に麻琴、愛、亜弥、それぞれがそれぞれに表情を変える。

「上等…」
「それは楽しみやわぁ。私も負けんからの」
「まぁ本当に決勝で会えたらいいけど」

この3人を前に紺野は一歩も引かない。
本気で3人共倒すつもりでいる。
86辻っ子のお豆さん ◆Y4nonoCBLU :03/10/01 23:15 ID:DJPX70mC
「そういうことなんで、覚悟しておいて下さい」
「そりゃあこっちのセリフだ!」

麻琴がつっかける。しかし紺野は少しも動じない。
一瞥をくれるとそのまま控え室へと戻っていった。

「マジでぶっ飛ばす!」

吼えながら、麻琴も二回戦に備える為、控え室へと下がっていった。
あとには愛と亜弥が残る。愛はこのあとすぐ二回戦第一試合が出番である。
気合を入れなおし入場口へと向かう愛に、亜弥が声を掛ける。

「愛、負けんなよ」
「亜弥もね」
「当たり前だ」
「二ヒヒ…」

二人は小さく笑みを交わし別れた。果たさなければならない決着があるのだ。
18歳以下の女子日本一を決める大会も二回戦へ。
残り8人。若き狼達の戦いはさらに熾烈を増してゆく。
(やっぱ凄えのがいっぱいいるなぁ。でも日本一になるのは私やよ!)
陽の当たる場所へと舞い降りた少女、高橋愛は逸る胸を堪え駆け出した。